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画像日記   〜都会に暮らすサイレント・マイノリティの発言


2002/9/27

 昨日から、胃が痛くてつらいです。以前、胃潰瘍になったことがあるので「ガスター10」を買ってきて飲んでますが、治りません。うっ、痛い…

 TVのニュースを見ていたら、「アジア大会」なるものが始まったそうです。選手団の結団式とやらの映像で、選手団長に団旗が渡されるというセレモニーをやってました。しかも、参加選手がみなお揃いのブレザーを着てました。セレモニーのアホらしさもさることながら、この揃いのブレザーやらを税金で作ったとすれば、なんとバカバカしいことでしょう。高校野球の選手宣誓…ってヤツも見るたびにアホらしいとおもうのですが、こういう「結団式」のような幼稚なセレモニーに税金を使うのはいい加減にやめて欲しいですね。第一、選手役員併せて1000人以上も送るのは、なんとしても解せません。

 スポーツ振興につぎ込まれている税金は、いったいどれくらいになるのでしょう。ちょっと調べたら、文部科学省を中心とする中央官庁の予算が約4000億円、全国の地方自治体の予算が合計して約4000億円、その他財団等を含めて、合計すると年間1兆円近い予算がスポーツに使われています。
 まず、スポーツ振興予算の多くが「箱モノ」と呼ばれる巨大施設作りに投入されます。立派な体育館が出来ても利用者がほとんどいない…なんていう地方の町村の話は枚挙に暇がありません。ワールドカップで新設された各地の競技場の大半が今後赤字運営され、税金がつぎ込まれるのです。
 アマチュアスポーツの世界には、よく分からない団体で高い給料をもらって食っているヤツがたくさんいるのも不思議です。なぜ、アマチュアスポーツでメシが食えるのでしょうか?
 私は、学校教育の中でスポーツを教え・楽しむことや、地域社会でスポーツを振興させていくことになんら異議はありません。だから、学校教育レベルの予算で一定の金額がスポーツにつぎ込まれるのは構いません。しかし、莫大な国家予算をつぎ込むことには反対です。いっそ、「スポーツ振興関連予算ゼロ」にしてもいいと思います。
 スポーツなんて個人レベルで楽しむのが基本で、国家が関わる意味がどこにあるのかよくわかりません。企業が宣伝のためにスポーツチームを持つのは自由です。どんな競技にプロスポーツができるのも構いません。要するに税金さえ使わないのなら、誰がスポーツに金を出してもよいのです。
 スポーツなんて税金を使ってやるものじゃないはずです。

 「iPod for Windows」、買っちゃうかどうか…、真剣に悩んでます。

 今日の画像は、真っ暗な夜道に寝そべる猫です(U10で撮影)。
 暗い道に寝ていたので思わず、踏んづけそうになりました。なんとなく狐っぽい猫(?)ですが、ストロボを焚かれて怒ってました。まあ、私が猫を撮っても、nozomiさんのようにはいきませんね(笑)

 ところで、私は人生に疲れたので、心の傷を癒すために長い旅に出ようと思います…、というのは冗談ですが、明日から1週間ほど日本を留守にします。仕事と休暇を兼ねて、海外に出かけます。
 日本からは、飛行機で十時間以上離れた場所です。ノートPCを持って行きますが確実にネットにアクセスできる保証はありませんし、アクセス速度も不明です。おそらくこのサイトの更新はできないと思いますが、気が向いたらモデム環境での更新を試みます。では、ごきげんよう。

2002/9/26

デジタル一眼レフの規格について考えること


 私は「小さなレンズ交換式デジカメ」が欲しい。具体的に言うと、200〜250g程度のデジカメで、レンズ交換できるものが欲しいのです。ズーム嫌いな私でも、レンズの画角に関しては使い分けてみたいという欲求はあります。そうですね、とりあえずはオーソドックスに28o、50o、85o、135o、200o…と5種類をラインアップしてくれれば十分です。きっと最初に28oと200oの2本を揃えて遊ぶでしょう。
 小さな一眼レフ…というコンセプトでよいのですが、デジカメの場合は液晶ファイダーがあるので、モニタで実像さえ確認できれば一眼レフじゃなくとも構わないわけです。ライツミノルタCLを一回り小さくしたようなデジタル・レンジファインダー機も面白いかもしれません。

■35mmフルサイズと4/3型

 そこで、ここのところ各所で議論が沸騰しているデジタル一眼レフの撮像素子のサイズ問題です。
 奇しくも、キヤノンが35mmフルサイズ(36×24mm)、有効画素数約1,110万画素のCMOSセンサーを採用した「EOS-1Ds」を発表しました。ほぼ時を同じくして、オリンパスはデジタル一眼レフ用の新規格「Four Thirds System」を提案しました。撮像素子のサイズを4/3型に規格統一するというもので、18×13.5mmという規格です。これは35mmと較べて面積では約1/4になります。
 どちらが合理的で、そしてどちらの方向性が今後の主流となるのかは知りませんが、基本的に私は、まず「デジカメでは現行の銀塩フィルムの規格である35mmを捨てるべき」…だと思っています。そして、得にオリンパスの「Four Thirds System」を支持するわけではありませんが、デジタル一眼レフ規格には35mmフルサイズではなく、もっと小さい面積のCCDを標準化すべきだと思います。

■メリットとデメリット

 35mmのフルサイズCCDの優越性を主張する人の多くは、次の2点をメリットとして挙げるはずです。

@銀塩一眼レフカメラのレンズ資産が利用できる
Aチップサイズが大きいCCDの方が高画質

 @については、現行の銀塩一眼レフカメラのレンズというのはメーカーによってマウントが異なる他、同じメーカーでも複数のレンズマウントを採用しているため、レンズ資産のメリットをあまり感じません。デジカメ用のレンズマウントが新規格になっても、複数のメーカーで共通化が進むのなら、そちらのメリットの方が大きいはずです。
 Aについては確かにその通りです。CCDは多画素化および小型化に伴いセンサの開口面積が小さくなり感度低下を招きます。当然開口面積が大きい方が感度が高く、ダイナミックレンジが高いわけです。CCDの面積が大きければレンズも大きいので、レンズの解像力も上がります。画質については、文句なしにチップサイズが大きいCCDに軍配が上がります。
 反面、大きなCCDにはデメリットもたくさんあります。最大の問題は、大サイズのCCDは製造プロセスの問題で低歩留まり、高コストになるということです。さらにレンズも大型化することで高コストになるわけです。デジカメユーザーの底辺を広げ、銀塩ユーザー層とは異なるマーケットを開拓するためには、価格を下げて広範囲に普及させることが必須です。量産規模を大きくすることは、低コスト化だけでなく、製品の品質をアップすることにつながります。

 もう1つの大型CCDのデメリットは、周辺部の光量落ちの問題です。大型CCDは、入射角が鋭角になりやすく、その結果周辺部の感度が落ちる…という現象を起こしがちです。CCDは感度を上げるため各画素ごとにマイクロレンズがついているものが多くなっています。各画素に届く光線の角度が垂直でない場合は、それに応じて各マイクロレンズ中心とCCDの各画素の位置をずらす必要があります。周辺部になるにしたがってマイクロレンズによる光線の集光点とCCD各画素の位置がずれ、光量にロスが生じるのです。

■広角と望遠に対するアマチュアのニーズ

 受光面積が大きい方が、レンズ焦点と結像面に距離を取れるので、広角レンズには有利です。
 でも、現行デジカメ機種を見ている限り35mmフルサイズよりも小さいCCDを使っても、28o程度なら問題はありません。私は、一般的な意味でのアマチュアにとっって、広角はとりあえず28mm程度で十分と考えます。さらに譲っても、24mmでしょう。
それ以上の広角レンズを使いたいユーザーは、別のシステムへ移行すればよいと思います。
 実際にアマチュア(銀塩のハイアマチュアを覗く)のカメラ愛好家のうち、どれだけのパーセンテージで28mm以下の広角レンズを使いたいと思うのでしょうか? パースペクティブが強く出る24o以上の広角レンズは、普通のアマチュアにとってはけっして使いやすいレンズではありません。
 反対に望遠については、一般のアマチュアに強いニーズがあります。「遠くに見えるものを引き寄せたい」という人間の本質的な要求に基づくものなので、相当に高い倍率まで、アマチュアのニーズがあるのです。望遠レンズに関しては、CCD面積が小さい方が大幅に小型化できるので、圧倒的に有利です。

■35mmフィルム規格の起源

 銀塩の35mmフィルムにこだわる必要は、どう考えてもありません。
 この35mmというフィルム規格は、もともと映画用のフィルムから生まれたものです。映画宣伝用や撮影確認のためのスチル写真を撮るために映画用フィルムを短く切って写したことが始まりです。これを使って、1925年にライカが35oフィルム専用カメラを発売したのがきっかけになりました。さらに1934年にコダックがパトローネタイプの35oフィルムを使った「レチナ」というカメラを発売し、現在の35oフィルム規格が固まったのです。
 35oフィルム規格なんて、偶然の産物だし、規格統一の経緯には技術的な要因は考えられていません。実にいいかげんなものです。こうして見ると、35oという規格には、光学的な意味で採用する必然性が全くありません。CCDの画面を大型化したいのなら、逆に35oよりも大きいサイズを提唱したって構わないのです。
 古い規格にこだわることで、技術進歩を妨げるのはいただけません。

■複数の規格乱立は歓迎

 将来mCCDの製造技術が飛躍的に進歩するか、またはCCDに代わる撮像素子が主流になったとき、35mmフルサイズどころか、6×6などブローニーサイズの撮像素子も簡単に製造できるようになるかもしれません。そうなったら、プロ用や特殊業務に超大画面CCD搭載デジカメを商品化すればよいのです。高くても大きくても、欲しい人、必要な人は買うでしょう。
 だとしても、光学系はさらに大きくなるわけで、そんなバカでかいカメラは私は欲しくないですね。むろん、すごく高感度でしょうから、星空などを撮影するには最適でしょう。その他、いろいろな分野で業務用途に使えるでしょうし、極限の高画質を求めるプロが使う分にはどんなに値段が高くても構いません。第一、いろいろな規格があった方が面白いと思います。ただし、そうした規格とは別に、一般ユーザー向けの小型CCDによる安価な一眼レフ規格があることが望ましいと思います。
 でも、当面は適当に小さなCCDサイズの規格で、安価な小型の一眼レフが登場することを期待しています。


2002/9/25

 最近、若い人がチョークバッグを腰に下げています。ご存知の通り、チョークバッグはフリークライミングで滑り止めのチョークを入れる袋であり、これを誰が最初にファッションアイテムに取り入れたのかは知りません。最近では、このチョークバッグにデジカメを入れる人もいると聞きました。確かにクッション性や耐衝撃性もあり、口の部分も締まるので、デジカメケースにはよいかもしれません。
 しかし、フリークライミングをやっていた私は、まだ街中でチョークバッグが流行るよりも前に(いつから流行ってるのか知りませんが)、「これはカメラを入れるのによいかもしれない…」と考えました。まだデジカメがなく銀塩コンパクトカメラを使っていた頃なので、そうですね6〜7年ほど前でしょうか。実際に、チョークバッグにカメラを入れて歩いていたことがあります。これはおそらく、若者が街でチョークバッグを使うよりも早い時期だったと思います(自慢してます…笑)。

 さて、チョークバッグはクライミングには必須の道具ですが、使うのはあくまでフリークライミングです。私が登山に夢中になっていた高校時代は、まだ人工登攀が主流で、フリークライミングなんてものはほとんど知られていませんでした。
 フリークライミング発祥の地はアメリカです。既に1970年代の初頭には、通称「ヨセミテ派」と呼ばれる人たちがフリークライミングを楽しんでいました。当時日本でも雑誌などには紹介されていたのですが、ハーケン代わりにボルトやナットを使って確保し、後から使ったナットを外す…なんて登り方は、想像がつかなかったものです。ハーケンを使って確保することが当たり前だった時代に、岩のリス(割れ目)にナットを挟んでそれで全体重を支えるというのは、ピンとこない話でした。それに人工登攀では「足で登る」のが基本で、「3点支持」を叩き込まれました。ところがフリークライミングは、腕力で強引に登ります。打ち込みっ放しのハーケンと違って「岩を汚さない」という理念おさることながら、登り方自体もカルチャーショックでした。

 私が初めてフリークライミングを試したのは、1980年代初めのアメリカ、しかも本場ヨセミテです。当時バイクの事故の後で足を悪くしていた私は、本格的なクライミングは出来ませんでしたが、それでもヨセミテの渓谷のあちこちにある小さな練習用の岩で、フリークライミングを教えてもらったのです。それが非常に楽しくて、エル・キャピタンを見上げて「登ってみたい」と心から思いました。

 話は変わって、ヨセミテと言えば思い出すのが、映画「スタートレック4/ 故郷への長い道」です。確か、クジラ語を話すナゾの宇宙船の謎を探るために、ザトウクジラを求めてタイムトラベルで過去の地球へ行く…ろいうストーリーです。クジラを主題に地球環境問題を散りばめた安易なストーリーでしたが、この作品はカーク船長とミスター・スポック、ドクター・マッコイの3人がヨセミテで休暇を取っていたシーンからスタートします。夜のヨセミテで、焚き火を囲んだ3人が、「Row,row,row,your boat…」と歌いながら、マシュマロを焼いて食べるシーンは、非常に印象深いものでした。

 さらに話は飛んで、ここで出てくる「マシュマロ」、アメリカではキャンプの定番「焼きマシュマロ」として有名です。私が小さい頃は、マシュマロと言えば「フニャフニャした不味いお菓子」の代表的なものでした。
 20代の始め頃にアメリカで生活していた時も、「焼きマシュマロ」を体験する機会がありませんでした。「串に刺したマシュマロを焼く」というものを始めて体験したのは、もう20代の終わり頃に日本のキャンプ場でです。「外はコンガリ、中はトロ〜リ」ですごく美味しい…と言われて食べたのですが、はっきり言って、私は嫌いです。アメリカ人は、なぜこんなものを美味しいと言うのか、不思議ですね。

 で、そのマシュマロですが、いったい何から出来ているのでしょう。考えてみると、マシュマロの原材料とか製法とかについて詳しいという人をあまり聞いたことがありません。むろん私も知りません。そこでちょっと調べてみました。

 まず、マシュマロの起源ですが、「フランスでmarsh(沼地、湿地)に群生するmallow(あおい属の植物)の根からとれる粘りのある汁に卵白や、砂糖を加え味付けし、軽い泡がたつまで撹拌混合して作られた薬用食品」…とのことです。
 そして現在市販されているマシュマロの原料は「砂糖、水飴、コーンスターチ、ゼラチン、卵白、香料等であり、他にゲル化剤、改良剤として寒天やアラビアガム等が使われる」…のだそうです。
 そして製法ですが、これは「一般的なものは砂糖・水飴を水で溶解し、煮詰めた糖液に予め、水に溶解した起泡剤を加え、混合し、泡立器で強く撹拌し泡立てるもので、家庭でもハンドミキサー等を用い、手軽に作ることができる」…とのことです。
 いやぁ、勉強になりました。あの不味いマシュマロが何から出来ているのか…初めて知りました。
 ところで、ここに書いたマシュマロの製法は、こちらhttp://www.eiwamm.co.jp/daihyakka/index.htmlのサイトで紹介されていたものです。無断引用ですが、企業サイトなのでこうして明示することで宣伝になるはず。勘弁してもらいましょう。

 今日は何か、支離滅裂な話題でした(笑)

2002/9/24

 私は本が好きです。もう完全な活字中毒です。ミステリーやノンフィクションを中心に、正確にはわかりませんが、年間300〜500冊の単行本、文庫、新書を読み、年間500冊以上の雑誌を読みます。私は、こうした自分のことを「プロの読み手」というと大げさですが、「熟練した本の読み手」だと思っています。書評を書いているわけではありませが、面白い本、面白くない本…に関する自分なりの確固たる基準があります。新作ミステリーなんか、5分で20ページも読めば面白くないかどうかを判断しちゃいます。
 そんな私は、本を読む時、この文章は技巧的に良くない…という評価はまずしません。むろん、文章のうまい・下手や、文体の好き嫌いを感じることは多いですが、基本的には本は「内容」、つまり小説で言えばストーリー、ノンフィクションで言えば書かれた事実の内容…などで評価するわけです。当たり前の話ですよね。
 当然ながら、本は読んでみるまでその内容はわかりません。読む前に書評などによって一定の情報を得ることはできますが、他人とは感性も興味の範囲も異なるので、やはり読んでみるまで内容の面白い、面白くないはわかりません。そこで、読み始めて面白くない本は、すぐに読むのをやめて次の本に移るのです。

 さて、私のような「熟練した本の読み手」が存在するならば、カメラやデジカメの分野では「熟練したカメラの遣い手」「デジカメの遣い手」…が存在するはずです。評論家ではなく、「遣い手」というところがミソです。カメラの遣い手…って何でしょう?

 「デジカメの遣い手」とは、「デジカメで写真を撮る人」のことです。デジカメのスペックについてガタガタ言う人のことではありません。例えば、「自分の子供の成長記録を撮り続ける人」や「自分の彼女の水着姿や下着姿などフェティシュな画像を高画質で撮り続けている人」…などが、「写真を撮る人」です。こうして、「写真を撮る」という行為が目的でデジカメを使う人こそが「デジカメの遣い手」です。
 「デジカメの遣い手」にとっては、デジカメがどんなCCDを使っていようと、どんな操作性を採用していようと、それは二義的なことです。
 これは、本の読み手が、文章の技巧や装丁などに相当する評価ポイントを二義的に捉えているのと同じこと。こうなると、本で言うところの「ストーリー」は、デジカメで言えば「撮った画像」に近い感覚だと思います。

 結局、熟練したデジカメの遣い手にとっては、「自分が撮りたいシーンでよい画像が得られるかどうか」だけが評価ポイントです。この「自分が撮りたいシーンでよい画像が得られるかどうか」という評価は、そのまま「自分の用途で使いやすいかどうか」ということを意味します。

 こう考えてくると、「一般論として複数のデジカメをスペックで比較する」ということは、たいていの場合無意味です。デジカメのスペックに対する評価は、一般論などあり得ないかもしれません。ましてや、そのデジカメのスペック評価における一般論の、最大の基準が「画質」というのは、妙な話になります。毎々書いているように、ポケットにデジカメを入れてお散歩に行きたい…という時に、重量が300g以上ある比較的大きなデジカメと、200g以下で容積が小さいデジカメを比較して、「どっちの画質がよいか?」という比較をすること自体に意味がありません。

 むろん、こうした「画質評価が無意味」という話は、比較対象となるデジカメが「いずれも一定の画質水準を満たしている」ことが前提になります。でも、最近登場する普及価格帯のデジカメは、パソコンの画面で見る用途、L版で印刷する用途などに限れば、画素数の差や、利用してるCCDの差、そして光学系の差などに関係なく、実用上の画質差は完全になくなりました。

 SONYが「DSC-U20」を発表しました。これは発売直後からほぼ確実に予想されていた製品で、同じCCDサイズで200万画素があるのですから、投入してきて当然です。ありがたいことに、ズームを搭載するなんてバカなことをしないでくれたので、またまた欲しくなりそうです。…っていうか、確実に購入しちゃうでしょうね(笑)
 相変わらず、私にとってDSC-U10はベストデジカメの1台であり、現時点で最も携帯頻度と使用頻度が高いデジカメです。適度によい画質で、革命的なほどに小さく、起動時間や記録時間が短く、バッテリー寿命が長く、マクロが優秀…と、どれをとっても私の日常記録には最適のデジカメです。

 それにしても、あちこちのBBSなどを読んでいると、このDSC-U10を2〜300万画素以上の高画質・多機能デジカメと比較して「オモチャのようなデジカメ」「2台目のサブ機向け」などという評価がされているのを見かけるのは不思議です。バカみたい。
 DSC-U10と2〜300万画素以上の高画質・多機能デジカメを比較するのは、バイクで例えるならば「ロードスポーツ用バイクとトライアル用バイクを比較する」…のと同じです。比較の対象ではありません。
 メインのカメラとサブカメラと言う切り分けも嫌いです。特に、他画素の高機能カメラを「メインカメラ」と言い、コンパクトなデジカメを「サブカメラ」と呼ぶのは、納得できません。例えば私はCOOLPIX5000とDSC-U10の両機種を所有していますが、日常的なデジカメの利用においては、DSC-U10がメインのカメラで、COOLPIX5000は仕事以外では非常に使用頻度が低いサブカメラです。SPYZのような小型のトイデジカメが日常ユースのメインで、高画質機がサブ…という人、けっこう多いと思いますが、いかがでしょうか?

 何か、デジカメに関するいろいろな評価記事や他人の意見が、全て無意味に思えてくる今日この頃です。傲慢で自分勝手なヤツだと思って下さい(笑)

 今日の東京は、久しぶりの快晴です。朝夕の涼しさもさることながら、湿度が低くて気持ちのよい気候です。街を歩く女性のファッションも秋らしくなりました。
 やはりいちばん季節の変化を感じるのは、草花や日の長さではなく、女性のファションですね。「お前は、街を歩きながら女性しか見ていないのか?」と言われそうですが、…実はその通りです。
 私は、路傍に密かに咲く美しい草花を観賞するよりも、道を歩く美しい女性を鑑賞する方が好きです(笑)

2002/9/22

 今日は、画像掲示板のログを一部消失してしまいました。あらためて深くお詫びします。ゴメンナサイ。
 このサイトのサーバー環境を徹底的に整備したいとは思っているのですが、多忙な日常にかまけて、つい延び延びになっています。ともかく、個人的にいくつかのドメインを持っているのでレンタルサーバーではなくサーバー丸ごとのホスティングに移行する決心を固めており、既にホスティング業者も決定し、あとは契約するだけの段階です。
 このサイトのコンテンツのデータ量は、画像が多いこともあって、既に200MB近くになっています。画像掲示板だけは別のサーバーに置いているのですが、これまたログが100MB以上になっています。これだけのコンテンツデータをレンタルサーバーに置くということ自体が間違っているのは、重々わかっています。しかし、いざ占有ホスティングに移行するとなるとCGIを設置し直すなど、いろいろと面倒な作業が生じるため、面倒で億劫なのです。
 それと正直な話、1年ちょっと前に面白半分でこのサイトを作り始めた時、まさかこんなにコンテンツが増え続けるとは思ってもいなかったのです。こじんまりとしたサイトを作るつもりだったのが、「饒筆」な性格が災いして、テキストコンテンツを増やし続ける子とになってしまいました。その上、画像をこんなにたくさんサーバーにアップするとは考えていなかったのです。

 それにしても、サーバー移転を決心したものの、サーバー占有型のホスティングサービスまで使ってこのサイトを運営していく意味があるかというと、…これはちょっと考えものです。
 前々から言っているように、しょせんここは「ヨタ話」と「悪態」だけが詰まっただけのクソサイト(笑)、訪れて頂く方々は、それはもう人格者の方ばかりですが、なんと言っても管理人の頭がプッツンしてます。こんなサイトの安定運用を求めて、そこまでやる必要があるかどうかは、「?」です。
 こうして見ると、そろそろ「やめ時」かもしれません。1年半に渡って、結構好きなこと書いたからなぁ…
 でも、これも以前書いたように現在試験運用中の「趣味のフェチサイト」(URLはヒ・ミ・ツ…笑)の運用も新しいサーバーで本格運用しようと思っており、ここは悩むところです。サーバー環境が整ったら、趣味のフェチサイトに全力投球して、デジカメの話なんか放っておくか…。はたまた、好きなことを書いていると言いながら、まだまだ遠慮している部分が多いので、このサイトでもっと本格的に「悪態をつきまくる」か…。
 デジカメについて語るより、デジカメを使って撮影したフェチ画像について語る方が楽しいですよね。第一、フェチ画像なら、語らずとも「見せる」だけでいいのですから。
 「デジカメは使ってナンボ」を実践するためにも、本格的な画像サイトの運用を準備します。あ、そうそう、私のフェチサイトは、女性が見ても楽しめますよ。ああ、「エッチじゃない」とは言いません。エッチのない人生はつまらないですから…。でも「下品」なものではないつもりです。試験運用中のフェチサイトの方にも、どうぞお越し下さい。

2002/9/21

 世間では連休だというのに、またしてもオフィスで仕事です。今日の昼食は、「高田屋」という最近開店したちょっと高級そうな蕎麦屋のランチを食べました。890円でカツ丼と蕎麦のセットですが、これが不味いのなんのって…。二度と行きません。

 池袋西口では、毎年恒例の「ふくろ祭り」というのが始まるらしいですね。あちこちに、提灯などがディスプレイされ、街頭に警察官が増えてきました。「祭り」と言ったって、駅前広場で何かくだらない出し物をやるぐらいで、どうでもいいのですが、街がうるさくなって困ります。今日も西口一帯では、街頭のあちこちのスピーカーが大音量で演歌を流しています。右翼の街宣車じゃあるまいし、街角に演歌を流すのはやめて欲しいですね。
 それにしても池袋は、東口と西口が別々にお祭りをやる不思議な街です。

 昼食の帰りに、19日に池袋西口に回転したばかりの「ビックカメラ西口店」を見学しました。特に見るべきもののない、つまらないお店でした。チラシを見たら、日替わりでデジカメが安くなっています。FinePix1300が4980円とか、PENTAX「EI-200」(マイナーな機種だなぁ)が9800円とか…。けっこう衝撃を受けたのは三洋「DSC-MZ1」が台数限定とは言え9800円で売られていること。ホント、デジカメって、こういう安売りで入手すべきものですね。

 ビックカメラ西口店がつらないのは、パソコンのパーツや周辺機器を売っていないのが大きな理由です。池袋には、なぜまともなパソコンショップがないのでしょうか?
 東口のビックパソコン館で一通りのパーツや周辺機器は揃いますが、いかんせん秋葉原価格と較べると値段が高過ぎます。あとは、東口の目立たない場所にTwoTopがありますが、品揃えが少な過ぎます。池袋の西口に、パーツショップが出来て欲しいですね。できれば24時間営業で…

 ところで新華社発のこのニュース、すごいですね。中国で女性が卵を産んだって? しかも、「…そのようなことはとても少なく、珍しいとのこと」というコメントが、いたく気に入りました(笑)

「湖南桃源 妊婦が息子を出産後、丸い形の"卵"を出産 」
新華網湖南9月18日発 記者 万崗山 鄭国慶)

 先頃、湖南桃源県沙坪鎮に住むある妊婦が、自宅で"男女の双子"を出産した。同時に、彼女は男の子を出産してから、丸い形の物体を出産した。丸い巨大な卵らしい。家族はは怪しい物だと思い、豚小屋に捨てた。助産婦さんは気配りが細かい人で、彼女はその"卵"を再び拾って洗ってから、はさみで切り、その中には、発育状態が良く、睡眠状態の女児を発見した。この女児は卵から生まれた。産婦人科の医師の説明によると、このようなことはとても少なく、珍しいとのこと。

2002/9/19

 久しぶりにデジカメの話を…

 相次いで1/2.7インチの300万画素CCD搭載機が登場し、今後もこのクラスの機種が増加しそうな気配です。さらに、400万画素、500万画素分野でもCCDサイズを大きくしないまま、画素数だけをアップしたCCDが続々登場しそうです。
 こうした状況の中で、「極小画素の弊害」という言葉が、デジカメの辛口評論を売り物にするライターを中心にやたらと目に付くようになりました。さらに「評論家ぶった口調で語りたがる個人ユーザー」がこれに追随し、あちこちの掲示板で「画素ピッチが小さいCCDを搭載したカメラはダメだ」と書かれています。先日はどこかのBBSで、1/2.7インチの300万画素CCD搭載機について「技術者の魂を売り渡したようなカメラ…」「ダイナミックレンジを無視した無謀な所業」などと書いてあったのには、大笑いしました。

 同じCCDサイズで多画素化を行うと、いくつかの大きなメリットがあります。まずは、チップ面積が小さければ、CCDの量産コストは下がります。CCDメーカーは、歩留まりの低いアナログデバイスであるCCDのチップサイズをを、出来る限りは大型化したくないのは当然です。またCCD部のサイズが同じならば他画素化にあたって、光学系や回路基板などにもほとんど変更を必要とせず、旧筐体と旧デザインをそのまま踏襲できます。つまりデザイン費用が節約できるわけです。次にCCDの開口面積が大きいほど口径の大きいレンズを使う必要があり、光学系にコストがかかります。チップ面積が小さければ。基本的には光学系も小口径で済みます。
 ともかく、デジカメにチップサイズ小さいCCDを使うことの、ユーザーにとっての最大のメリットは「低コスト」でしょう。

 極論すると、CCDサイズというのは、デジカメの高画質技術の中では「1つのパラメータ」に過ぎません。いくらCCDサイズが大きかろうと、画像処理回路のチューニングやアンプの性能が悪ければ、高画質は達成できません。全ての部分に優れた機能を求めるのはわかりますが、コストとの兼ね合いを考えると、「安価なCCDを使って高画質のカメラを設計する」というコンセプトで技術者が頑張ってくれる方が、消費者にはメリットが大きいのは当然です。
 逆に言えば、コンシューマ向けデジカメに「大サイズのCCDを使う」とか「出力特性の優れたCCDを新設計する」…なんてのは、「誰でも思い付く最も安易な高画質化手法」とも言えます。コストやデザイン、調達の容易さを考えて市販の汎用CCDを使って高画質カメラを作るからこそ、高度な技術が必要になるのではないでしょうか? NikonはD1でカスタムCCDを使って高画質を実現しましたが、D100では汎用CCDを使いました。その結果については賛否両論ですが、私はデジタル一眼レフの販売価格を半額に落としたNikonの見識には敬意を表します。企業姿勢としては、難しい決断だったろうと推察する次第です。
 技術者は、まず最初に「開発コスト」「製品コスト」という枷を嵌められます。技術者は、全てに渡って最高のパーツを使う…という選択肢を許されないのが普通です。「デジカメの高画質化」という課題に対して、「低コストで」という条件が加えられるのは当たり前のことで、だからこそチップサイズの小さいCCDを使いながらも、その他の部分のチューニングで高画質化を実現しようとするわけです。
 逆に言えば、コストがいくら高くてもいいから、高機能の製品を作ってくれ…というのは、とんでもないお金持ちのセリフであって、一般ユーザーから見れば傲慢なセリフです。

 もっと単純に考えたらどうでしょう。例えばある機種が1/2.7インチで200万画素のCCDを採用していたとします。これを300万画素にした場合、解像度がアップすることによる画質向上のメリットと、画素ピッチが小さくなったことによるノイズの増加やダイナミックレンジの低下のデメリットと比較して、メリットがデメリットを上回ればそれはそれでよいのではありませんか?
 当たり前の話ですが、メーカーは画素ピッチが小さくなることのデメリットをできるだけ少なくするため、ノイズ除去やダイナミックレンジ補完のための、せいいっぱいのチューニングを施してくるでしょう。その上でなおかつ、極小ピッチ化による欠点も浮き彫りにはなると思います。でも、その欠点は、一般ユーザーにとっては画素数向上による高画質実現のメリットを上回るものではないはずです。
 私は、ここ1年間ほどに登場するデジカメの新製品を見ていて、画素ピッチが小さくなったことによって「素人目に見ても明白に画質が低下した」という例を知りません。一部の評論家などが細かいところを見て騒ぎますが、一般ユーザーの大半にとっては画素数の向上によるメリットの方が大きいのでは…と言える程度の欠点ばかりがクローズアップされているように感じます。

 デジカメの性能について滔々と語るのは自由ですが、もう1つ大きな問題があります。デジカメの極限の性能を引き出して写真を撮影する…そんなシチューエーションはそれほど多くありません。例えば、いくらマニュアルで撮影しても、デジカメが内蔵する露出計測機能を使って完璧な露出の画像を撮ることなど、ほとんど不可能に近いはずです。また、手持ちで撮影する場合、厳密な意味で手ブレがゼロなんて考えられません。
 また、こうした技術的な要因もさることながら、いつも言っているように「よい写真」なんてものは、人によって尺度が異なります。私は、完璧な露出とフレーミングの美しい花の写真を見ても、別に「よい写真」だなんて、これっぽちも思いません。
 極小画素、極小画素というような、デジカメに関するウンチクをえらそうに語るヤツに限って、ロクな写真を撮ってないに違いない…と、私は思いっきり偏見の目で見ています(笑)。

2002/9/18

 「<拉致事件>在日コリアン社会にも暗い影 脅迫めいた電話も…」というニュースを暗い気持ちで読みました。朝鮮人学校の生徒を脅迫して、一体何にどうなるというのだろう。拉致事件はひどい話ですし、家族の心痛を思うと言葉がありませんが、でもそれとこれとは別問題。あまりに程度の低い事件です。
 第二次大戦中、日本は朝鮮半島から数十万人(いろいろな説がありますが)の人間を労働者として徴発しました。記録を読むと、村々を回って強制的に「拉致」した事例も多いようです。だから北朝鮮が日本人を拉致してもよい、という話ではありませんが、双方が歴史上の呪縛から逃れるためにも、こうした程度の低い事件を起こすのは勘弁して欲しいですね。

 「金融機関の保有株、日銀が直接買い取りへ」とい言うニュースを読みましたが、これには驚きました。金融機関の保有する株式といえば、日本の名だたる基幹産業の株式です。これを国の中央銀行が買い取るって、要するに「企業の国有化」と同じじゃないですか? まじめな話し、この国は社会主義化を進めているわけですね。お墓の下のマルクスも金日成も、さぞ喜んでいることでしょう(笑)

 トップページのタイトルバナーのデザインを変更してみました。私は、グラフィカルな部分をクリエイトする才能が全く無いので、絵を描ける人やデザインが出来る人が、ホントうらやましいです。

2002/9/17

 先日、アクセス数が30万を越えた折に、何人かの方から「お祝い」メールを頂きました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。…とは言うものの、本音の部分では、サイトのアクセス数のアップを喜んでばかりいるわけではありません。実は、もうこれくらいで十分、という気持ちが強いのです。原因の1つは、たくさん来るようになった、面倒なメールです。
 サイトのアクセス数と、サイト訪問者からの反応の数は基本的に正比例するわけで、掲示板などに書き込んでいただく分には、賛同も批判も含めてリアクションを歓迎しますが、問題はメールなのです。
 現在このサイトの1日のアクセス数はトップページのカウンターで800〜900程度が平均ですが、アクセス数が500を超えたあたりから、けっこう意味不明の面倒なメールがたくさん届くようになりました。
 先日は、「お前はサヨクか?」という内容で、日記やコラムの文をボロクソにけなしたメールが来たので、あまりの不快さに「この内容のどこがサヨクだ。お前は日本語が読めないバカか?」というメールを返しておきました(笑)
 「バカチョンカメラは差別用語か?」というコラム文に対しては、「お前は朝鮮人に味方をするのか?」と右翼的で無礼な内容のメールがきました。これに対しては、黙殺すればいいものを「お前の頭は猿以下か?」と、余計な返事をしてしまいました。そのうち、どこかの右翼から大量のスパムメールが届くかもしれません(笑)
 デジカメについても書きたいことを書いているので、時々抗議のメールが来ます。大きいデジカメは嫌いだと書いたら、「私は大きな一眼レフタイプのデジカメを持っているのだが、けなされて不快だ。小さいデジカメは画質が悪い…」と延々と反論がきました。この手のメールは、もう4〜5通は来ています。私は「個人的な意見」と断わって「小さいデジカメが好き」と書いているのであって、大型の高機能デジカメの存在を否定したことなどありません。第一、私だって仕事には大型の高機能デジカメを使っています。こうした、意味不明の抗議をされても、返事のしようがありません。結局、「大きいデジカメが好き!…というサイトでも開設されたらいかがでしょう?」と、お返事をさせて頂きました。
 そんな中で、実は一番困るメールが、「購入相談」です。掲示板に書き込んで頂くのはいっこうに構いません。でも、メールで購入相談を送ってこられると、はっきり言って困ります。第一、デジカメを購入する時に、見も知らないサイトの管理者にメールで相談する方がヘンだと思うのですが…。なんでそんなメールにいちいち答える義務があるんだ?と思っちゃいます。掲示板に書いて頂くのなら、私が答えられない時には誰かが答えてくれるし、問題はありません。でも、メールで返事を書くのは非常に面倒なことだし、返事をくれということは個人的に頼みごとをするのと同じなわけですよね。人に頼みごとをするのなら、相談料を払うか、お歳暮でも贈ってくるのが常識だと思います(笑)
 他にも不思議な内容のメールがあります。「大変よいサイトですが、こういうサイトはどうやって作ればよいのですか?」というものです。私はホメられたのかもしれませんが、どう考えても返事のしようがありません。それに私は、このサイトを「よいサイト」とは全く思っていません。そこで、「こんなサイトを作るのはおよしなさい…」とお返事を書いておきました(笑)
 …というわけで、メールでのご相談は、忙しい時は無視することにしています。でも先日、購入相談のメールを無視したら、「なぜ答えてくれないんですか?」と返答を催促するメールが2度も続けて来たことがあります。さすがに頭に来て、「なぜ私が、あなたの質問に答えなければいけないのですか?」と丁重に返事をしておきました。それに対する回答はありません。
 私は、けっしてサイト内容に関する質問や批判を拒否しているわけではありません。ただ、できればメールではなく、掲示板で質問するなり異見を述べるなどして頂きたいと思います。私にメールを出すと、思いっきり不愉快な返事が返ってくるかもしれませんので、悪しからず…(笑)

 私は、世のため人のためにサイトを開設しているわけではありません。以前も書きましたが「自分で好き勝手なことを書くため」にサイトを開設しているのです。
 それに物事に「客観的評価」なんてあり得ない…というのが持論ですので、サイト内容に反対意見を言われても困ることが多いのです。このサイトに書いてあることは、あくまで「個人的な好み」であって、全く客観性はないのです。

 で、「サイトの内容に関するメールでの質問はお答えしかねます」というのが結論です。よほどヒマな時か機嫌のいい時にはお答えしますが、無視させて頂くこともあります。ご意見は掲示板にどうぞ。ただし、気に入らない書き込みは遠慮なく削除します(笑)。あ、そうそう…ビール券付きのご質問は歓迎します。金額に応じて、可能な限り丁寧にお答えいたします。

 ここは、わがままな個人サイトです。「心温まるコミュニケーション」なんてものは、期待しないで下さい。

2002/9/16

 いた、世間では連休だというのに、休みも何もあったもんじゃありません。もう、ひたすら仕事をやってます。…うーん、カッコ悪いなぁ。

 以前この日記で、Thinkpad240(43J)のメモリ増設に関して「192MBの壁を越えられるメモリはないでしょうか?」と書いたところ、掲示板でせざーるさんからバーテックスメモリー「VN10S-192M」という製品がある…という貴重な情報を頂きました。早速Webでこの「VN10S-192M」を調べたところ、「ThinkPad及びLet's note等256MB化用唯一の192MBメモリー」ということで、TP240での動作を保証しています。
 で、これを購入しようと思ったのですが、なんと言ってもこの手の話は自分で調べるのが基本。面倒がらずに、ちょっと調べてみました。TP240ユーザーは非常に多く、メモリ増設の話はゴロゴロ出てきます。「VN10S-192M」という話もむろん多かったのですが、それ以外にも128bit、PC100の256MB SO-DIMMの増設に成功したという話がありました。その中で、GREEN HOUSEの「GH-SDH256BG」という製品を使って、私のマシンと同じ43Jで+256MBの認識に成功したという話を見つけました。TP240のユーザーは多いけど、43Jの話は意外と少なかったですね。
 さて、ここで私は考えました。絶対確実なバーテックスメモリー「VN10S-192M」を使って合計256MBにするか、さもなくばリスクはあってもGREEN HOUSE「GH-SDH256BG」を使って320MBにするか…という判断です。価格は「VN10S-192M」がメーカー直販で11,800円、「GH-SDH256BG」の方は安いところで8,900円程度です。
 こうなるとリスキーなことが大好きな私は、ダメ元で「GH-SDH256BG」を購入することにしました。
 一昨日、通販で購入した「GH-SDH256BG」が届いたので、早速TP240に取り付けてみました。取り付け後に起動すると…おお、BIOSで327600000Byteと320MB以上を認識しています。WindowsMeを起動すると、これまた320MBを認識しています。やったぜ…って感じです。  結局、私のThinkpad240は、Celeron400MHzながらも、メモリ320MB、HDDが30GBとかなり強力なマシンになりました。これならWindowsXPも問題なく動きますが、ここは使い慣れたWindows2000で行くことにします。
 それしても、自分で調べるきっかけを頂いたせざーるさんには感謝です。

 今日の画像は、御神輿です(U10で撮影)。昨日、中野の辺りを歩いていたら、氷川神社のお祭りということで、あちこちに御神輿が出ていました。自分で撮っておいて言うのもなんですが、この「神輿」ってヤツは実におぞましいものですね。
 以前にも書きましたが、私は「祭り」というのが嫌いです(笑)。嫌いというより、生理的にイヤなのです。私は、入学式や卒業式から社員旅行に至るまで、帰属している集団で行うセレモニー、行事、祭りの類は一切何でも嫌いですが、その中でも特に地域社会の行事というのが嫌いですね。こういう祭りになると、突然張り切る近所のオッサンも嫌いだし、祭りのような場でしか存在感を見せられない…奴らのメンタリティも嫌いです。
 結局のところ、帰属意識の中でもっとも嫌いなのが「地域に対する帰属意識」であり、その地域に根ざす「共同幻想」のようなものに強い嫌悪感を持っているからでしょう。神輿なんてものは、この共同幻想の象徴でもあり、私の嫌いな宗教的な儀式の道具でもありますから、おぞましいってわけです。まあ、それが東京の新興住宅地に住んでる理由でもあります。私のような人間が下町なんかに住んでたら、目も当てられません。
 むろん、地域共同体が嫌いだからといって、日常生活の中で近所の人と揉めたりすることはありませんけど…。

2002/9/13

 一昨日から昨日にかけてのTVニュースは、9.11同時テロ事件の一周年イベントの中継で埋め尽くされました。「グラウンドゼロ」を背景に、これでもか!…というほど繰り返される、犠牲者の姿とその家族や友人の声、そして悲しみを乗り越えてテロとの戦いに雄々しく立ち向かおうという施政者達の決意の演説…、あらゆるニュースと特番で、こうしたシーンが繰り返して放送されました。
 この「9.11追悼番組」で見せるアメリカのすざまじいばかりのメディア攻勢に対して、違和感を感じる、というよりも微妙な苛立ちを感じるのは、私だけではないと思います。
 1年前の9月11日に、世界の多くの人が見守る中でマンハッタンのWTCビルで起きたことは、まさに筆舌に尽くし難いほどの悲劇であるし、許せない行為でもあります。
 しかし、その後1年間の世界では、この9.11に並ぶ悲劇がたくさん起こりました。アフガニスタンでは、アメリカを中心とする多国籍軍の攻撃によって、民間人の間に9.11を上回る死者が出ました。パレスチナ自治区で繰り返されるイスラエル軍の攻撃による犠牲者の数はここ1年で3桁の数字に達しているばかりでなく、ジェニンではイスラエル軍による住民虐殺も噂されています。
 その他、カシミール紛争やインドネシア各地の独立運動などアジア地域の紛争、アルジェリア、ソマリア、リベリア、コンゴなどアフリカ各地で続く内戦も、ここ数年間いっこうに収まる気配を見せません。
 要するに、9.11と同様の悲劇が世界中で続いています。しかし、これらの大半は、その実態がメディアで放送されることもなく、毎日のように死んでいく人々の家族が嘆き暮らす姿が事細かに紹介されることはありません。
 こうした状況の中で、世界中の多くの人々にとって、アメリカの9.11の悲劇こそが「唯一リアリティを感じられる悲劇」となりつつあります。9.11の悲劇では、「加害者」と「被害者」がメディアによって明確に示され、「被害者が報復する」「加害者に罰を与える」ことが、ごく当然のように受け入れらえつつあります。
 これって、やっぱりヘンです。世界中で9.11にニューヨークで起こったことと同じような、虐殺、殺戮が起こっていても、誰もその実態や原因を知らず、もちろん被害者と加害者の関係も知りません。それゆえに紛争は放置され、「正義の力」なるものも行使されません。世界中で続く戦争や虐殺の悲劇の中で、唯一9.11にニューヨークで起きた悲劇だけが、「悪」とそれに対する「正義」の存在をアピールしているのです。

 9.11に関する洪水のような報道を見ていると、要するに「メディアで徹底的にPRしたものが正義を得る」…ということがよくわかります。

 こうした状況を見ていて私は、最近読んだ本「情報操作とボスニア紛争 ドキュメント 戦争広告代理店」(著者:高木徹、講談社)の内容を思い浮かべました。
 バルカン半島で起こったボスニア紛争に対して、世界はほとんど関心を示しませんでした。特に、世界の世論に大きな影響を与える大国アメリカは、初めは全く関心を抱かなかったのです。そこで、ボスニア・ヘルツェゴビナのシライジッチ外相はアメリカを訪問し、「セルビア人を悪者にし、ボスニア・ヘルツェゴビナに世界の同情を集める」ためのメディア戦略を繰り広げます。彼はアメリカの広告代理店と契約しました。この広告代理店は、シライジッチと米国政府要人との会談、テレビへの出演、有力記者への接近など、あらゆるPR戦略を実施します。中でも決定的だったのは、ボスニア紛争を「民族浄化」というキャッチコピーで表しことです。セルビア人のモスレム人への攻撃を、ナチスのユダヤ人迫害と重ね合わせ、アメリカ人の感情を決定的に反セルビアに方向付けることに成功しました。その結果が、NATO軍の介入とセルビア空爆です。

 この「広告代理店が正義を作り出し、それが武力行使へと向かう構図」は、アメリカのメディアによって洪水のように流され続ける9.11関連報道…という状況と、全く重なり合って見えるのです。

 実は、私はかつて大手広告代理店に勤務していたことがあります。メディアの力はある程度知っており、「広告」や「報道」によって「世論」なるものが形成されていくプロセスに関して、一定の知見はあるつもりです。「広告」よりも「報道」の方が、なお大きな力を持ちます。それゆえに、全ての報道に対して「オルタナティブな視点」を持ち続けなければ…と考えてきました。  そんなことから、一昨日から昨日にかけての9.11関連のニュースの洪水は、頭の中で警戒信号が鳴りっ放し…という事態を招いたわけです。

 そういえば今日の朝日新聞の朝刊は、一面のど真ん中に「タマちゃん」の写真が掲載されていました。「日本はノーテンキな国だ」と、つくづく感心しました。
2002/9/11

 このサイトは一見デジカメ情報サイトっぽいのですが、実はテキストコンテンツがやたらと多い。私は、文章を書くことが全く苦にならないのです。苦にならないどころか、キーボードの上に指を置くと、書くという行為が止まらなくなります(笑)。「饒舌」という言葉がありますが、私の場合は「饒筆」という感じですね。

 さて今日は、中年男の「ナンパ」の実話です(笑)。

 渋谷のセンター街なんかへ行くと、男の子が女子高校生とかに片っ端から声を掛けている光景をよく見ます。いわゆる「ナンパ」というヤツです。私は長い人生の中で、このナンパというのは一度もしたことがありません。私の世代では、10代の頃に路上でナンパなんてする友人もあまりいなかったので、当然かもしれません。それに、見知らぬ女性に声を掛けるのが恥ずかしいとか照れ臭いとは思いませんが、相手がどういう人間かわからいないのに、話なんかすることもないと思っていました。
 その私が、思わぬきっかけでナンパをすることになったのです。

 数年前の話ですが、昼休みにオフィスの近くのデパートへ財布を買いに出かけました。長く使っていた札入れがボロボロになってきたので、新しいのを購入しようと思ったのです。
 私はけっして「カッコイイ中年男」じゃありません。その時の格好は、ベージュのコットンパンツにローファー、ノータイのボタンダウンシャツにネイビーの3ボタンのジャケットといういつものヨレヨレのスタイルで、間違っても「金持ちの中年」には見えなかったと思います。
 で、財布売り場でシンプルな札入れを探していると、女性の店員が近寄ってきてお決まりのように「何かお探しですか?」と声を掛けてきました。私は、普通は店員に声を掛けられるのは嫌いなのですが、その時には自分の好みが黒か紺のシンプルな札入れであることを告げて、予算を言った上で探すのを手伝ってもらいました。5分ほどで決めて、購入しました。
 探してくれた女性が30歳前後(…に見えたのですが)の落ち着いた接客態度の感じのよい女性だったので、冗談で「ありがとう、探してくれたお礼に晩メシでもごちそうしましょうか?」と声を掛けたら、「ホントにご馳走してもらえます?」と笑いながら聞いてきたのです。私はなんとなく引っ込みがつかなくなって、名刺を渡して「夕方にでもここへ電話してください。都合がよければいいですよ」と答えて、相手の名前も聞かずに(名札もよく見ずに…)オフィスに戻ってきました。
 で、その日の夕方のことです。「○○さんから電話です」とスタッフに言われて、電話を取りました。聞いたことのない名前なので電話セールスだと思い、無愛想な声で電話に出ると相手は女性で、「○○百貨店の○○です。今日のお昼にご馳走してくれると言われたので電話しました」と言うのです。
 こんなこともあるもんだ…と思いながら、面白半分にその夜食事することを了解し、待ち合わせ場所を決めました。もしかすると、これはいたずらかも…と思いましたが、まあ相手の職場もわかってることだし、こんな体験をすることもないだろう…と思い、話してみることにしたのです。
 で、その夜…待ち合わせ場所に彼女は待っていました。別にイタズラでもなかったようです。昼間の制服姿とは違って雰囲気も変わり、美人ではないけどかわいい感じの女性でした。
 お店は任せると言われたので、別に高級なお店に行くこともないと思い、時々行くカジュアルなレストランでメシを食いました。話すとなかなか頭もよく楽しい女性で、2時間ほどけっこう話が弾み、その後彼女がもっと飲みたいというので、今度は彼女がよく行くという大衆的な小料理屋へ案内されて飲みました。深夜まで楽しく話し、なんとなく腕を組んで夜の街を駅まで戻り、タクシー乗り場で別れました。
 「また会いましょう」という言葉は、双方から一言もありませんでした。そして、私も面倒なので彼女の電話番号なども聞きませんでした。そう言えば、名前は聞きましたが年齢は最後まで聞かずに終わりました。

 その後私は、その百貨店へ何度か行きました。3ヵ月後ぐらいに、たまたま通り掛かった財布売り場の近くで彼女と出会ったこともあります。その時、彼女は笑って手を振るのです。私も声を掛けずに笑って通り過ぎました。
 1年ほどして、人事異動でもあったのか、彼女の姿を見掛けなくなりました。以後、現在に至るまで彼女を見掛けたことはありません。たった一度の「デート」でした。
 …以上が、私の人生で唯一の「ナンパ」の話です。残念ながら、この話にエッチシーンはありません(笑)

 あまりにくだらない話なので、書いている方が恥ずかしくなりました。間違って読まれた方には、心からお詫び申し上げます。
 なお、写真は本文とは無関係です(笑)

2002/9/10

 多忙で昨夜は帰宅できませんでした。ところが昨日の朝、携帯電話を自宅に忘れて出てきたので、2日間携帯電話を持たずに過ごしています。
 たった2日間携帯電話無しで過ごしただけなのに、ちょっと不安な感じがしています。携帯電話を持っている状態が当たり前なので、外出していても、どうも急用で電話がかかってくるんじゃないかと気になるのです。
 とは言っても、私の場合は、仕事以外の用件ではあまり使わない…というか、広く他人に番号を教えていないので、携帯電話の通話料の請求額は、たかだか毎月3千円程度です。別にのべつ幕なしに携帯電話を掛けているわけじゃありません。だいたい1日に数回、仕事上の連絡を中心に30秒以下の会話を交わすだけです。いや、30秒も話すことのほうが珍しく、私の通話は概ね10秒以下で済む用件が多いですね。この程度しか携帯電話を使っていないにも関わらず、2日間携帯電話を持たずにいると何となく落ち着きません。

 こんな話を書いていたら、「バリ3シンドローム」という言葉を思い出しました。これは、携帯電話のインジケーターが3本立っていないと、社会から疎外されているように感じてしまう精神状態のことを言うんだそうです。具体的には、「お店では必ず窓際に座る」「電波が届きやすいと噂される道の真ん中を歩く」「電波圏外の地下街には立ち寄らない」…などの行動になって現れるそうです。
 こうした行動を取る人々を心理学者は「携帯電話を通じて人とのつながりを持とうとする孤独で寂しい人々」と見ているとのことです。

 むろん私は「バリ3シンドローム」ではないし、「携帯電話でしか社会とのつながりを意識できない孤独な人間」でもありません。私が不安なのは、仕事上の緊急連絡が受けられない不安であって、孤独とは無関係です。

 それにしても、心理学者や「識者」などと言われる人たちは、「社会事象に無理やり共通性を見出す」ことが好きですね。たいしたことのない社会事象を取り上げて、マスコミ受けする「社会現象」やら「症候群」をでっち上げているような気がしてなりません。言ってみれば、「症候群を作り出したい症候群」…と言えます。
 ワイドショーのコメンテーターに出てくる学者や、あとは佐高信あたりが典型的ですね。
佐高信のようなマスコミの太鼓持ちのような人間はどうでもよいのですが、社会学とかをやってる大学教授あたりで、こうしたマスコミ受けを考えている輩が多いのはいただけません。
法政大学社会学部の稲増龍夫なんかは「現代社会を理解する手段としてメディアの周辺文化を研究する…」と称し、アイドルタレントについてとうとうと喋ってます。そりゃアホな学生の受けはよいかもしれませんが、「モーニング娘の社会学的考察」なんてそんな長屋談義のどこが「社会学」なのか、一度小一時間問い詰めたいですね(笑)

 話は変わって、ちょっと古い話ですが「100人の地球村」っていうのが話題になりましたね。昨日たまたま大学生と話していたら、あの話に感動した…って言うんです。「目うろこ」だったそうです。私は、「こいつバカじゃないか?」と思いました。「100人の地球村」に関する論理のレトリックに対する批判や、物質中心主義の世界に警鐘を鳴らす本として喝采を浴びた点に対する批判は、各所でなされているので特に私が繰り返すほどのことじゃありません。
 私があの話で一番気に入らないのは、物事を単純化することの危険性…ってヤツですね。
全体を100人の村に換算すると、0.5人以下、すなわち4%以下の事象は目に見えません。社会の中で4%というのは決して少ない数字ではなく、大事なものを見落とす可能性が高いということです。
 オルタナティブなんて、だいたいが4%以下です。かつてバチスタ政権を倒したキューバ革命はたった12人で始まりましたが、当時のキューバ全体を100人の村にしたら、話には出てこない人々だったはず。まあ、例えがちょっと悪いとは思いますが(笑)、私は「100人の地球村」には入らない存在でいるのが好きかも…です。

 今日も悪態ついてます(笑)。画像日記のはずなのに「画像」はどこへ行ったのでしょうか?

2002/9/9

 アメリカのネバダ州で、マリファナ合法化運動が活発化している…という記事を読みました。
シャーマニズムに始まる宗教にしても、幻想体験や神秘体験が生み出す精神世界にしても、人類が生み出した文化は、その始まりの時点でドラッグが関わっているものが多いですね。
 人間の精神の活動とドラッグは、切っても切り離せないものだと思います。あえて言うなら、一部のドラッグは人間の脳が持つ可能性を引き出す「触媒」のようなものだと考えます。
 だからといって、無条件でドラッグを認めよ…などと言っているわけではありません。覚せい剤中毒者やヘロイン中毒者が引き起こす悲惨な事件や、アヘン戦争のような史実を見て、無条件であらゆるドラッグを認めろというのは非常識でしょう。
 細かい話を省き、あえて単純化して個人的な考えを述べれば…
 アルコールや煙草、コーヒーも含む全てのドラッグの中で、依存性が極端に強く健康に著しい害のある「ハードラッグ」を禁止する…ことについては、無条件で行われるべきだと思います。この中にはヘロインやコカイン、覚せい剤や各種合成ドラッグが含まれます。
 次に、健康を害する可能性はあるが摂取方法や摂取場所を限定することで、摂取しない第三者への影響を最小限に留められるもの。そして一定の習慣性や依存性はあるが、これも摂取方法によって歯止めをかけられるもの。さらに、文化と密接に関連しているもの。…以上の条件を満たすドラッグは解禁してもよいと思います。
 ここには、酒、煙草、マリファナが含まれると考えています。

 で、冒頭のネバダ州の話に戻りますが、以前から主張しているように、私はマリファナ(大麻)を日本でも解禁すべきだと考えています。
 面倒なので詳細は書きませんが、大麻については習慣性・依存性はアルコールや煙草よりもはるかに低くてコーヒー程度に過ぎず、逆に高い薬効があります。
 日本では、戦後「大麻取締法」が成立するまでは、大麻は「医薬」として認められていました。1948年に事実上GHQによって制定されたこの法律ができるまでは、日本人は縄文時代に遡る長い大麻利用の歴史を持っています。
 それにしても国家は、都合のよいときだけ麻薬を合法化します。第二次大戦中に日本軍部は兵士に覚せい剤である「ヒロポン」を配りました。ベトナム戦争中には、アメリカ政府及び軍は、アヘンやヘロインの摂取を事実上放置しました。いずれも戦場で兵士が感じる恐怖をマヒさせ、強い軍隊を作るためです。兵士にドラッグを与えた例は、洋の東西を問わず、古代からあたりまえのこととして行われてきました。
 こうした「ドラッグを管理する国家」に対して、ドラッグの摂取の是非を決める権利を自分たちの手に取り戻したいと願っているのですが、モラルの無い社会にあっては無力な主張でしょうね。

 上質のマリファナであるシンセミア(受粉しない雌株の花穂のことで、受粉しないことでTHCが多く効力が倍増する)が、安価に入手できるようになる日が来ることを期待しています。

 月額200〜300円というレンタルサーバーがいくつかあるのですが、そのうちの1つを借りてみました。150MBで200円、しかも独自ドメインを移すことができます。公開Webサイト用のサーバーとして使うには、まあ多少問題点があったとしても、150MBで月額200円のオンライン・ストレージを借りたと考えれば、使い途はあるでしょう。このサーバーの利用状況については、後日詳細に報告します。

 仕事用に購入したデジタル一眼レフNikon「D-100」を使い始めました。昨夜、オフィスの一部屋を簡易スタジオ代わりに使って、簡単な商品撮影を行いました(小さなオモチャを撮影)。今回使ったレンズはAF Nikkor 85mm F1.8Dですが、やはりこの手の撮影には一眼レフタイプが圧倒的に使いやすいし、仕上がりもいいですね。今回はパンフレット用の小さめの画像なので、JPEG-FINEで十分なのですが、TIFF-RGBモードも使ってみました。256MBのCFカードで10カット強撮影できます。
 近々、外へ持ち出して撮影してみるつもりですが、「小さいカメラで遊ぼう」というこのサイトのポリシーに反するので、インプレッションを掲載するかどうかはわかりません。

 さてさて…、毛先が乱れた歯ブラシ、暑いお湯にくぐらせると新品のようにきれいに毛先が揃うようです(知りませんでした)。
 みんながこれをやったら、歯ブラシメーカーの売り上げはやっぱり落ちるでしょうね。たいていの人は、毛先が乱れてきたかどうかで歯ブラシの換え時を判断していますから…

 今日も、書いてることが支離滅裂だなぁ(笑)

2002/9/6

 現在の社会のあり方…に対しては、ある種の絶望を感じています。絶望と言うよりも「諦観」に近いかもしれませんね。だから私は遊びます(笑い)

 メルコロジテックなどからも、低価格のサーバー機能を内蔵するIPネットワークカメラが市販され、Webカメラシステムを簡単に構築できるようになりました。こうした流れの中で、市中への監視カメラの設置台数は増えるばかりです。いまや街頭や駅などの公共スペースのいたるところに自治体や警察が監視カメラを設置し、金融機関やコンビニは言うに及ばず、個人商店にまで監視カメラが設置され始めました。子供の安全を願う父兄の要望で、監視カメラを設置する学校も増加しています。
 最近では単に監視カメラを設置するだけでなく、顔(人相)を画像認識して個人識別を行い、指名手配犯人の人相と自動照合するシステムも実用化され、空港や公共スペースに設置されつつあります。

 そういえば昨年、警視庁によって新宿歌舞伎町の街角に50台の監視カメラが設置された時、TBSのWebサイトでBBSを使って「監視カメラに賛成か、反対か」という議論がなされたのを読みました。
 監視カメラに反対する人の多くが「プライバシーの侵害」「公権力による必要以上の監視行為は個人の権利を侵す」…という意見であったのに対して、賛成する人は「やたらとプライバシーの重要性を持ち出すのに安全確保に対する具体案が無い」「自分の子供や家族が被害にあっても、監視カメラ設置に反対するのか」「安全を確保するには社会が一定のコストを負担し、個人の犠牲も必要」…という意見でした。

 私は、個人的には公共スペースへの監視カメラの設置には絶対に反対する立場です。ましてや顔を記録して画像認識するなどということには、もっと反対です。

 しかし、監視カメラ設置に賛成する人々が言うところの「自分の子供や家族が被害にあっても、監視カメラ設置に反対するのか…」という意見に対しては、有効な反論ができません。確かに、白昼の路上ですら通り魔などの凶悪犯罪が急増しています。自分や家族がいつ被害に遭わないとも限りません。

 犯罪を防止するためには「公権力を強化する」…以外に有効な手段がないことは、ある意味で現実です。
 子供の頃から社会モラルを守らせるための教育を行う…などの手段によって公権力が過度に介入しなくとも安全な社会を確保できるのであれば、それに越したことはありません。しかし、現実には東京電力や日本ハムでなされたような企業の行動、そして外務省の不祥事に見る役人のモラル欠如などを見ていると、社会活動を担っている大人にモラルがない今の社会で、子供に社会性や社会モラルを守らせる教育をするというのは、どうにも難しいと考えざるを得ません。

 こうした社会のあり方に対しては、絶望するしかないのでしょうか。

 話は変わって、先日の長野県知事選挙で田中康夫が当選しました。正直言って「面白い」と思います。作家としての田中康夫は嫌いだし、意図的なんでしょうが慇懃無礼な「…ございます」口調はいただけない。何よりも、プクプクと太っているのが生理的に嫌です。これだけネガティブなイメージを持ちながら、なおかつ「政治家的な発想」が少ない人間が政治家になることだけでも意味があると思っています。
 私は「政治家」という職業を認めない人です。「立派な政治家」という言葉は、それ自体が自己矛盾だと考えています。いろいろな職業を持っている人が片手間にやればよいことだと思っていますし、国会議員を含めて全ての代議員は抽選で選べばよく、むろん給与のないボランティで十分と思っています。
 ところで、今回の長野県知事選挙では「民意」という言葉がやたら使われました。特に田中知事側は、圧勝した今回の選挙結果を受けて「民意」を背景にした改革を進めるでしょう。こうした状況の中で田中知事は、直接民主制を大幅に取り入れる…ということを方針の1つにするようです。つまり、県民の意思決定手段として住民投票を大幅に取り入れたいということでしょう。
 私は、住民投票に代表される直接民主制には、非常に大きな危惧を抱いています。小泉内閣の成立直後の支持率が90%であったことを考えると、この国の国民は物事の是非を「判断」するのではなく、「流れに乗る」形で投票を行う危険性を秘めています。直接民主制というのは「大衆の熱狂」を反映するという点で、きわめて危険な意思決定方法です。もっとも、大衆の熱狂が社会を誤った方向へ導くというのは、特にこの国に限ったことではありません。第一次世界大戦後にナチスの台頭を許したのも大衆の熱狂なら、第二次大戦後のアメリカで行われたマッカーシー旋風も大衆の熱狂が背景にありました、そして今、大衆の熱狂を背景にブッシュはイラクを攻撃しようとしています。
 こうしたことかから、民主主義(この言葉は嫌いですが…)の形態としては、ワンクッションが得られる代議員制の方が適切であると考えています。では、翻ってこの国の代議員は…と言えば、国会議員から地方議員に至るまで、世界的な視野の歴史観を持っている人はほとんどいないように感じます。道路公団の民営化問題を見ていても、地元の権益を損なうという理由で反対する議員は与野党を問わず非常に多く、こうした状況は目を覆うばかりです。

 直接民主制はダメ、かといって代議員制度もダメとなると、ここでもまた絶望するしかないのでしょうか。

 さて話は監視カメラに戻りますが、世界には私と同じように「監視カメラが嫌いな人」がたくさんいるようです。その中でも「ニューヨーク監視カメラプロジェクト」という団体によるこちらのサイトは気に入りました。ニューヨーク市内の監視カメラの一覧がマップで表示されるものです。このサイトには、監視カメラを見付けたら報告するための入力フォームも用意されています。
 そしてこちらの「iSee」というサイトはさらに面白く、出発地と目的地を選択すると監視カメラが赤く表示され、これらを避けて迂回するルートを教えてくれるものです(WIRED NEWSがネタ元です)。
 監視カメラ設置の是非はともかく、私のように監視カメラが嫌いという人もたくさんいるでしょう。せめて、監視カメラの全ての位置を表示するシステムを、ネットユーザーが協力して作り上げる…というのも、面白いかもしれません。

2002/9/3

 アンドレ・ブルトン「魔術的芸術」の普及版が、今年6月に河出書房新社から発刊されました。内容はといえば…
 「本書は、アンドレ・ブルトンの晩年の大事業である。古代エジプト絵画からデ・キリコまで、原始諸民族のオブジェからデュシャンまで、ケルトの象徴文様からエルンスト、タンギーまで、古今のあらゆる芸術の領域を踏査し、魔術的の一語をもってあらたな視野のもとに置き、さらにシュルレアリスムの理念に照らすことによって、美術史そのものを書きかえようとした壮大な試みである。20世紀最大の"幻の書物"、待望の普及版」…という怪しいものです。
 この「魔術的芸術」は1997年に同じ河出書房新社から発刊されていたのですが、なんと27,000円というバカ高い本で、とてもじゃないけど購入する気がしなかったのです。今回の「普及版」は3,800円と安価なので、早速購入してきました。読んだ感想は…、とても一口では言えません(笑)

 アンドレ・ブルトンは「シュールレアリズム宣言」でよく知られていますが、現在は岩波文庫からも出ているこの本は、高校時代に現代思潮社から発刊されていたハードカバーを読んで、胸をときめかせたものでした。
 実は、高校時代に胸をときめかせた割に、シュールレアリズム絵画も文学も、そしてフロイトなんかも、社会で忙しく働くようになった30代以降、見ても読んでも全く面白くありませんでした。それが不思議なことに、ここ数年、こうしたジャンルの書籍をまた読み始めました。
 人間は、年齢が変わっても本質的な部分は変わらないのしょうが、年を経る過程では、思考や行動そして興味の対象などに一種の「波」が生じるようです。最近は、私個人の脳ミソの内部における「復古主義」が始まっているのかもしれません(笑)

 私はアメリカとアジアを中心に世界中あちこちを歩き、暮らしましたが、ヨーロッパは未体験です。以前にも書いたように、おそらく社会階層のクラス分けが強固で、しかも中世以降の安直なキリスト教文明を礎とする「ヨーロッパ的なもの」に対する嫌悪と反発が、これまでヨーロッパに足を向けさせなかった大きな要因だと自己分析しています。しかし最近になって「安直なキリスト教文明」が生み出したものの中に、なにがしかの「雑多なエネルギー」や「クリエイティビティ」があるのだ…ということを理解し始めたのかもしれません。また、ヨーロッパが移民社会へと変貌を遂げつつある最近は、多様な生活様式とキリスト教以外の文明もヨーロッパを根底から変えつつあるのでしょう。
 考えてみれば、先に挙げたシュールレアリズムは、ヨーロッパのキリスト教文明が生み出した強烈なアンチテーゼであり、「乱痴気騒ぎ」です。近世以降のヨーロッパでは、芸術や文学の分野で多くの「運動」が生み出されました。くだらないものも多いですが、シュールレアリズムのように「何かを破壊する」という点だけでも、十分に意味がある運動もあります。
 シュールレアリズムの画家と言えば、ルネ・マグリットの作品をすごく見たいと思っています。彼は後のポップアートに大きな影響を与えたシュールレアリズムの巨人ですが、シュールレアリズムの流れの中ではアンドレ・ブルトンとは異なる道を歩みました。アメリカン・ポップアートが大好きな私は、以前から非常に興味があった画家です。ベルギー王立美術館には著名な彼の作品「光の帝国」が展示されているはず。またマグリットが生涯を暮らしたベルギーのブリュッセルには、彼が住んだ家も残っています。

 そうだ、仕事を休んでベルギーに行こう!

2002/9/2

 私は女性が好きです…って、この言葉はもう何回書いたっけ?(笑)デジカメなんかより女性の方がずっと好きです。バイクよりも好きです。で、今日はその「大好きな女性」の話を書きます。
 私が好きな女性のタイプ…、そんなものはありません。私は友人、恋人、結婚相手の全てを含めて、親しく付き合うことを前提とする女性については、その許容範囲がきわめて広いのです。身長や体重、そして容姿など外観の好みなんてほとんどなく(極端でなければ…)、むろん人種や国籍にも全くこだわりません。相手の年齢もあまり気にしません(常識的な範囲で)。人生ではいろいろなタイプの女性と出会えること自体が楽しみなので、当然です。
 親しく付き合う相手としての女性に関して、強いて好みを挙げるとすると、「頭がよいこと」「おしゃれなこと」の2点だけは非常に気にします。
 まず、頭が良いというのは何も高学歴という意味ではありません。知識が豊富で、しかも目から鼻に抜けるような…頭の回転が速い女性が好きです。これは単純に「話していて楽しい」からであり、共通の話題がたくさんあればあるほど一緒にいる時間を楽しく過ごせます。次に、自己主張は強い方がいい…と言うよりも、全てに対して自分の意見を持っていて、社会問題から文学、音楽の話まで様々なことを議論できる女性が好きです。
 「おしゃれ」というのはかなり重要な要素です。他人に見られることを楽しみ、そのためのファッションやライフスタイルをいろいろと考える女性が好きです。これは、当たり前ですが「ブランド品で着飾っている」という意味ではありません。背が高くても低くても、太っていても痩せていても構いません。また、着用するファッションは高価な服でも安価な服でも構いません。それなりに自分に似合うファッションを考えて、自信を持ってそれを着こなす女性が好きです。

 ところで、ここで書いた女性に対する好み、実は女性にだけでなく「親しく付き合いたい男性」にも当てはまります。というよりも、「おしゃれで頭がよい」という条件は、男性の友人に対しての方が厳しいかもしれません。

 あとは、お付き合いする対象の「女性」に限定した話としては、セックスを楽しめる相手…という条件があります。この条件は、上記の2つの条件ほど絶対的なものではありませんが、長期間お付き合いする中ではかなり重要な要素だと思います。この際、あえて遠回しな表現は避けますが、私は女性とセックスをすることが好きです。単なる生殖手段としてではなくセックスを楽しむというのは、人間同士のコミュニケーションの中では最も高度な部分だと信じていますので、これはお互いに楽しめる(気持ちよくなれる)関係がいいですね。
 そういう意味では男性の友人ともセックスが出来ればよいと思いますが(いや、できるようですが)、個人的には趣味・嗜好・本能の3通りの理由から出来ませんし、その方法もよく知りません。男性ともセックスをする関係になれば、より相手の本質がわかるかもしれません。だから男性とも女性ともセックスできるバイセクシュアルな人は、うらやましいです(笑)

 翻って自分自身は、女性に好かれる男性でしょうか? これは難しい問題です。周囲の女性に片っ端から聞いて回るわけにもいかないし…。1つだけ言えるのは、「好かれよう」と努力はしているつもりです(笑)。努力という言葉が嫌いな私が、唯一努力している部分かも。あ、それから、20代の頃よりは女性に好かれるようになりましたね、最近は…。まあ、カドが取れてきたからでしょう。害のないヤツと思われているかもしれません。ここのところ、女性相手に話す時にはいつもニコニコしてますから。

 話は変わって、タマちゃんは、どうやら夏休み限定の顔見世ということで、鶴見川から去ったようです。タマちゃん騒動をTVで見ていて面白かったのは、ニュースのコメンテーターに社会学者や心理学者なんかが登場して、「なぜタマちゃんがブームになるか」という理由をマジメに分析していたことです。こうしたコメントを総合すると、要するに「実生活での嫌なことや暗いニュースが多い中、多くの人が癒されたいと思っている」という結論が多かったですね。社会不安が癒しブームを呼ぶ…という話の延長線上で語る評論家ばかりでした。
 それにしても、アザラシごときで「癒される」なんて、ホントにそうだとしたら「軽い人生」だなぁ。社会学者なんてのも、安易なコメントすると思いますね。私はアザラシが嫌いなわけじゃないし、むろんかわいいとも思いますが、別にアザラシやかわいい動物を見て「心が癒される」わけではありません。っていうか、社会不安や自分の生活上の様々な問題と、動物を見て心が和むという感情は、何の関係もありません。こんなものでは癒されないのが「大人」だと思うのですが…。
 むしろ私は、タマちゃん騒ぎは社会全体の幼稚化に関係があるんじゃないかと思います。確かにアザラシはかわいいけど、いい年した大人がキャアキャア騒ぐほどのことでもないと思いますが…。まあ、私が前々から批判する「大人の童話ブーム」なんかもそうですが、何か「どっしりと構えている大人」が本当に少なくなったように感じます。

 今日も、なんか支離滅裂なことを書いているような…(笑)

2002/9/2

 昨日は「防災の日」でした。この防災の日の前後になると、私は思い出したように「非常用持ち出し袋」の中の防災グッズの点検をします。電池を交換したり、古くなった食料品を入れ替えたり…
 「マメなヤツ」とは思わないで下さい(笑) 別に真剣に災害に備えているわけではなく、自分の手持ちのアウトドア用品やヘビーデューティグッズの中から、防災グッズに適したものを選んで集めておくことが楽しいからなのです。阪神大震災の時にふと思いついて、古いグレゴリーのデイパックにいろいろなものを詰め込んだのです。
 入れてあるのは…
 まずは懐中電灯で、これは当然「マグライト」と高輝度LEDが点滅する小型安全灯です。ラジオは10年以上放電しないリチウム電池付きのもの。普段使わないアマチュア無線用の430MHzのトランシーバーも入れました。単三電池はアルカリを10本、ニッカド/ニッケル水素を描く5〜6本づつ。充電用の太陽電池パネルと小型の手回し発電機も入れてあります。ナイフはスイスアーミーナイフとレザーマンのツール、登山用のメタクッカーと専用の固形燃料、むろん小さな2人用のコッフェルもいっしょです。アメリカのホテルに泊まった時に持ってくるソーイングキットを2〜3個と、アルミ蒸着したナイロンのビバーグ用ブランケットも入ってます。あとは遭難時につかうホイッスルも…。そしてアメリカで買った非常用の薬のキットとストロー式の浄水器…こんなところです。あ、お金も入れてあります。500円玉と千円札で3万円ぐらいとメイプルリーフ金貨を数枚です。
 これらのグッズを詰め込んで、まだバッグには隙間があったので、1リットルのミネラルウォーターを2本と缶詰のカンパンを2個、サンマの缶詰を入れておきました。

 こうしたグッズは、別に防災用、非常用を目的に購入したものではなく、日常的に好きで買い集めたものばかり(カンパンを除いて)。その中で普段ほとんど使わないものを中心にまとめてデイパックに放り込んだのが、私の「非常用持ち出し袋」です。
 で、いつも部屋の隅に置いてあるのですが、当然ながら一度も使ったことがありません。不謹慎な話ですが、台風などが来るたびに、東京にも「避難勧告」でも出ないかとちょっと期待します。一度このバッグを使ってみたいわけです。
 でも、考えてみれば1日のうち自宅にいる時間はごくわずか。大半は都心のオフィスです。自宅にいる時に災害に遭う確率は、限りなく少ないですね。ってことは、自宅に「非常用持ち出し袋」を置いてあっても、あまり自分自身の役には立ちそうもありません。

2002/9/1

 今日もまた秋葉原へ。仕事で急にサーバーを組み立てる必要があり、パーツをまとめて購入しました。
 今回はクライアントの要求でSCSIマシンが必要になり、ホントに何年ぶりかでSCSIカード、SCSIのHDD、CD-ROMなどを購入しました。
 ADAPTECのUltra160のSCSIカードなんて約3万円、同じくUltra160対応の36GBのHDDも3万円近くします。この2つのパーツの値段だけでPentium4の1.6GHzぐらいのマシンが組めちゃいます。さらに、CPUはPentuim4の2GHz、PC2700のDDRメモリを1GHz分購入、その他マザーボードやらいろいろと購入してしめて15万円以上のお買い物…。普段仕事で使うパソコン3台分のお値段です(笑)。
 最近ではSCSIのメリットなんか、ほとんどないと思ってます。転送速度だってATA133で十分だし、SCSIならCPUに負荷をかけないって言ったって、Pentium4が2.4GHzの時代になって、CPUの負荷もクソもありません。結局SCSIカード使うことによるトラブルの方が面倒なくらい。
 ケースも含めて全パーツを購入したら、重くて持って帰るのが面倒なので、秋葉原にあるクロネコヤマトの宅急便の営業所から自分のオフィス宛てに送っちゃいました。

 で、秋葉原に行くと必ず立ち寄るカフェ「SegaFredo」でアイスラテを一杯。今日は大サービスで、U10で撮影した店内の画像を2枚貼っときます(笑)。
 私はスタバを始めとするチェーン店系のカフェは大嫌いなんだけど、なぜかこのSegaFredoだけは許せるんです。勝手な話ですけど…。1つは、赤を基調とした店内の配色が好きだからかもしれません。

  

 そういえば、先日HDDを30GBに交換したThinkpad240(43J)を快調に使ってるんですが、ご存知の通りThinkpad240の初期型は、内蔵の64MBのメモリに加えて空きスロットには128MBまでしか増設できず、最大メモリが192MBまでということになってます。私も128MBを増設しています。ところが先日ある人から、「43Jはマニュアルにはないけれど、PC-100の128bitのSO-DIMMなら256MBまで認識する」…という話を聞きました。そうなると合計320MBまで増設できます。ならばWindowsXP Professionalも入れられます。
 そこでお聞きしたいのですが、どなたかThinkpad240-43Jに256MBのSO-DIMMを増設された方はいませんか?
 もしおられたら、動作を確認した製品名を知りたいのですが…。どうも「128bitのSO-DIMM」ってところがミソらしいのです。



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