WS30 の世界        
 
HOME
Mail
   
旧ファイル
11/20〜12/24日分
旧ファイル
10/22〜11/19日分
旧ファイル
9/20〜10/21日分
旧ファイル
8/20〜9/19日分
旧ファイル
7/20〜8/19日分
旧ファイル
6/19〜7/19日分
旧ファイル
5/23〜6/18日分
旧ファイル
4/19〜5/22日分
旧ファイル
3/18〜4/18日分
旧ファイル
2/13〜3/16日分


私的画像日記 〜デジカメとともに暮らす日々の記録

 

   
1/19  昨夜は12時過ぎまで、池袋の行きつけのお店「かつら」で飲んでました。今年初めてインド人シェフのサティヤさんと会ったので、インドの話を聞いていたのです。
彼は日本に住んで16年になるとのことですが、インドへ帰郷して日本に帰ってくる度に、香辛料や食材をどっさりと持ち込むのだそうです。どっさりって、どれくらいかと言うと、100Kgぐらいは持ち込むというのです。でも、確か国際便は荷物を20Kgまでしか預けられないのでは…と聞くと、「だいじょうぶ」だとのこと…不思議だなぁ。さらに、生野菜や果物もたくさん持って来るって言うんですけど、それって検疫にひっかりますよね。ところが、彼の話では税関で「コックだ」と告げると、何を持ち込んでもOKだって言うのです。そんなバカな…と思いながら彼の話を聞いていました。
 帰りがけに、なぜかマンゴスチンを2個頂きました。
 で、彼が来週の月曜日に美味しい新作カレーを作ってくれるということなので、行って食べてくるつもり。味のほうはまた報告します(…そんな報告、誰も聞きたくないでしょうが…)。

 今日の画像は、その「かつら」のオーナー兼ソムリエの桂さんです(StickShotで撮影)。本人に無許可で掲載する画像なので、後から苦情がきたら削除します(笑)。

 何か今日の日記は、小学生の書く絵日記のような内容です。ハハハ…  
1/18  さて、自宅に開通したADSL報告の第二弾です。スループットの速度がどのくらい出ているかについて、昨日(2002/1/17)は4Mbps以上と書きました。これは、一昨日の夜にADSLモデムの管理画面で確認した数字だったのです。そこで昨夜、もう一度「ブロードバンドスピードテスト」http://speed.on.arena.ne.jp/という定番サイトで計測してみました。その結果は以下のとおりです。

測定サイト http://speed.on.arena.ne.jp/ v2.0.8
測定時刻 2002/01/18 00:22:26
回線種類/線路長 ADSL/-km
キャリア/ISP eaccess 8Mbps/asahi-net
ホスト1 WebArena(NTTPC) 2.98Mbps(1441kB,4.2秒)
ホスト2 at-link(C&W IDC) 2.71Mbps(1441kB,4.4秒)
推定最大スループット 2.98Mbps(372kB/s)
コメント eaccess 8Mbpsとしては速いほうです。

 …というわけで、概ね3Mbpsという結果が出ました。まあ、こんなもんか…という感想です。ホスト2のat-linkというサーバー事業者は、私のオフィスでもよく利用しています。商用サイトの構築を依頼されると、安価で安定したレンタルサーバーとして利用することが多いのです。だから、このat-linkに置かれたホストでの計測というのは、非常に現実的な数値として理解できます。
 さて、面白いのは「eaccess 8Mbpsとしては速いほうです」というコメントの部分。本当にそんなものなのか調べてみようと思い、とりあえずはADSL関連情報の定番サイト「ほんわかキリン本店」へとお邪魔し、そこから「eAccess非公式板」を探索してみることにしました。
 いろいろなユーザーの声や速度を調べた結果、確かに自分は速い方だということがよくわかりました。うちは局からの距離が約1.5Kmなんですが、これで3Mbpsは確かに速いのです。遅い方の例では、1Mbps出ていない例がたくさんあります。ひどいケースでは局からの距離が1Km程度なのに、500Kbps前後しか出ていない例もありました。それにしても、ユーザーの皆さんの書き込みを見ているといろいろなトラブルがありますね。私の場合は申込みから開通まで、そして開通後の状況も含めて、スムーズに行った方だと思います。
 ところで、ADSLの速度アップについては、モジュラーケーブルの長さやLANケーブルとの干渉、パソコンの性能や設定などいろいろな条件があります。私の場合は、まだ全くチューニングしていない状態。今後はまずモジュラーケーブルを短くすることから始まって、いろいろと試みてみようと思っています。

 そう言えば「ほんわかキリン本店」さんからリンクされている、東京めたりっく通信元会長の小林博昭氏の日本のADSL事業という論文は非常に面白かったですね。この論文のサブタイトルには「日本の失われた10年」とつけられていますが、まさにその通りだと思います。
 距離や既存設備など、条件によって回線速度が大幅に変わるADSLには、「あまねく高速回線を提供する」という面での問題が山積していますが、それでもなおFTTHに代表される各戸に光ファイバーを新たに施設よりは効率的に高速回線を普及させることができます。そのADSLについて国とNTTは、ある意味で“あらゆる手段を使って普及を妨害”しました。政府、NTTにとっては新たな公共事業的な税金のばら撒き対象として「光ファイバー」が非常に都合のよいものだったのでしょう。またNTTグループは、過去に膨大なコストをかけて普及させたISDNの延命を図ることも重要だったのです。さらにNTTが、自社回線上で実際にADSLを提供するにあたってISDNとの親和性が低いという理由で国際標準の「AnnexA」規格のモデムに反対し、日本独自規格に等しい「AnnexC」規格の導入をプッシュした点は、論文内に書かれている通りです。日経コミュニケーションなども、かなり前から「AnnexA」モデムがISDNとほとんど干渉しない点を指摘していましたが、現時点では既にそれが定説になっています。
 その上、論文に書かれているATMシステムの採用とそれに伴うPPPoEの採用が、ADSLサービスを複雑にした経緯も、既に各所で指摘されている通りです。

 まったくもってこの国は、「合理性」と「デファクトスタンダード」に背を向けることで、幾多の市場を潰してきました。私はこのADSL事業発展の経緯を見ると、かつて国や業界団体が主導してつぶれた幾多の「日の丸プロジェクト」を思い出します。むろん、高度成長期においては通産省が企業連合を主導したり産学協同を行ったりして成功した日の丸プロジェクトもたくさんありますが、現在のITやネットワーク関連ビジネスにおいては、全てを民間の自由競争に任せ、「デファクトスタンダード」へと向かう自然な流れに委ねることが、結果としてユーザーに利益をもたらす可能性が高いように思います。
 
1/17  昨夜、自宅でADSLの8Mが開通しました。これで、1年前から東京めたりっく通信のADSLを使っているオフィスに続いて、自宅もADSLになりました。自宅の方はイー・アクセスなんですが、申込みから開通まで3週間ほどでした。ISDNからアナログ回線への変更があったのでこれだけ時間がかかりましたが、最初からアナログ回線なら最短で「中8営業日」で開通するそうです。このイーアクセスの「8営業日」というのは、ADSL事業者の中では最短です。なぜ8営業日なのかという点について、イーアクセス側では「8MBだからゴロ合わせで8営業日ということにした」とコメントしていますが、非常にいいノリですね。

 ADSLに関しては、相変わらず申し込んだままで何ヶ月も放置されている「放置民」がたくさんいるそうです。Yahoo!BBがひどいのは既に皆さんご存知の通りですが、比較手評判が良いSo-net+アッカでも大量の放置民がいるそうです
。  それにしても、Yahoo!BBとの軋轢を公開した有名なddyouさんのホームページは、まさに壮絶な体験記です。たかだかADSLを利用するためにこれだけのエネルギーを使った方がいると思うと、非常に複雑な思いに駆られます。
 幸い、私の場合は非常にスムーズでした。Webから申し込んで、後は1回NTTから工事日を連絡する電話が入り、それを自分の局の担当部署に連絡しただけです。あとは、何もすることなく比較的短期間で開通しました。また、局からの距離も近いので、まあ十分な速度が出ています。開通後すぐに速度を調べてみたところ、下りで4MB以上、上りで800KB以上出ていました。とりあえずは満足すべき数値です。
 ADSLモデムは月額500円のレンタルです。オフィスのADSLのように自分で購入しようとも思ったのですが、購入価格は約3年分のレンタル料に相当するわけで、3年後は回線状況がどうなっているのかわからないのでやめました。あとは、終末にでも秋葉原に行って、ブロードバンドルーターを買ってくるつもりです。

 小泉内閣が「IT立国(バカバカしい…)」をスローガンとする中、ブロードバンドという言葉がもてはやされ、国の政策は10MB以上の光ファイバーの方へと向いています。日本全国あまねく100MBを張り巡らせるべきだと主張する人たちは、8MB程度の速度を「ブロードバンド」ではなく「ミッドバンド」と呼んでいます。私は、インターネットの回線は8MBもあれば十分…なんて言う気はありません。別に100MBになったからといって困るわけではありませんから。でもそのために膨大な税金を注ぎ込むのは反対です。既存のメタル線を利用するADSLは、コストがかからない広帯域化の手段です。
 まあ、確かに8MB(スループットで5MB以下)の回線では、TV放送や映画を見るには不足です。SDTV(現行地上波TV放送)程度のMPEG-2の場合、約10MB近い帯域を必要とします。でも、だからと言ってインターネット回線で映画やTVを見なければならないってことはありません。第一、現時点ではインターネットラインを通して送られてくる動画コンテンツを茶の間のTVで見る手段が限られています。コンテンツのレベルを考える限り、またコミュニケーション手段としてのインターネットの本質を考えれば、当面は数MBの回線を普及させることの方がじゅうようだと考えます。

 ところで、ADSLは局からの距離が遠いケースでは使えない場所もありますが、最近は「リーチDSL という技術を利用することで、局から9Km以上離れたユーザーにもDSLサービスを提供できます。NTTの収容局から各家庭までの距離は平均半径2.2キロ、最長7キロとのことですから、これでほぼ日本中にADSLサービスを提供することが可能です。ADSLはもっと普及してもよいアクセスラインだと思います。

 今日の画像は、いつもの居酒屋画像です(StickShotで撮影)。これでもう、3日間もStickShotでの撮影画像を載せてますね。いや、なかなか面白いカメラで、まだ飽きません。
 パスポートが切れそうなので、急いで更新しなければなりません。急いで、とは言っても、すぐに海外へ出なければならない用事もないのですが…。でも、急に“海外逃亡”しなければならくなるかもしれませんから…。ちなみに、2月20日は「パスポートの日」だそうです。 
1/16  トイデジカメは入門機種じゃない…ってことをいつも書いてますが、トイデジカメを購入した人の“その後”にはいくつかのパターンがあるようです。端的に分類すると、トイデジカメを「使い続ける人」と、「使わなくなる人」があります。
 まずはトイデジカメを購入して、その後使わなくなる人のパターンです。
 非常に多いパターンは、デジカメを持っていなかった人がとりあえず安価で手軽という理由でトイデジカメを購入し、その後普及クラスや高級クラスのデジカメへとグレードアップしていく中で、トイデジカメを使わなくなる…というパターンです。
 次に、既に普及機または高級機を所有している人が面白半分に購入し、普及機や高級機の画質と比較して「これはひどい」という理由で使わなくなるパターンがあります。こういうユーザーには、トイデジカメの画質や存在価値を認めない人が多いですね。
 逆に使い続ける人にもいくつかのパターンがあります。
 まずは、初めてのデジカメとしてトイデジカメを購入、その画質や使い方に満足して、その後中級機や高級機へとグレードアップせず、トイデジカメを使い続けるユーザーです。こういうユーザーの中にはちゃんとした目的意識があって、「自分の使い方ではこれで十分」とトイデジカメの本質を認識している人もたくさんいます。
 次に、既に中級機や高級機を所有しそれなりに使い込んでいて、トイデジカメの画質についても「それ相応」と了解した上で遊びとしてトイデジカメを使い続けているユーザーです。
 結局のところ、長期に渡って10〜35万画素のトイデジカメを使い続けるユーザーは、中・高級クラスのデジカメの画質を知らないで使っている人だけではありません。むしろかなり多くのユーザーが、トイデジカメの画質が何たるかをわかって使い続けていると思います。これは、このサイトを訪れてくれる方の使い方を見ていて強く感じたことです。
 私自身は、最後に分類したユーザーに属します。トイデジカメの画質や機能の限界を十分に認識した上で、トイデジカメを使い続けるでしょう。だって、すごく面白いものですから。

 「トイデジカメは画質が悪いのであんなものは使うべきではない」と強く主張する人々を、私は密かに「画質ヲタク」と名付けています。「画質が悪い写真は写真ではない」とう意見自体には、若干ながら拝聴すべき点があります。「写真」というものには、その字が表わす通り「可能な限り被写体を眼で見たとおり再現する」ことが求められるからです。しかし写真の本質は“画質が全て”かと言えば、けっしてそうではありません。「記録に残す」という場合には、確かに高画質の方がよいでしょう。でもそれ以上に、画質の問題なんかよりも優先する「写真を撮る楽しさ」があるんです。これは「画質ヲタク」には絶対にわからないことでしょう。
 画質ヲタクは、写真撮影の楽しみの中でも“最も美味しい部分”を知らずにいる、非常にかわいそうな人々です。高画質の写真を追い求める中で逆にわからなくなることがあること、そして失っていく楽しみがあることに、どうして気付かないのでしょうか?
 私にとってのトイデジカメは、本質的な写真撮影の楽しさを味わわせてくれる存在です。

 今日の画像は、昨日に続いてその低画質デジカメの代表的存在である「StickShot」で撮影した「自室の本棚の一部」です。
 蔵書数を数えたことはありませんが、数万冊に達すると思われ、図書館並みの本を所有していることは確実です。本をたくさん持っているからといって、別に私がインテリというわけではありません。だって蔵書の大半はミステリーや娯楽小説ですから…。むしろ読めば読むほどバカになる…類の本が多いですね。 
1/15  もうトイデジカメを買うのはよそう…と思ってましたが、たまたま通りかかったビックカメラの店頭でタカラ「StickShot」を980円で売っていたので、面白半分に購入しました。2千円なら買わなかったと思いますが、980円ならまともに写らなくても、すぐに使わなくなっても後悔しない金額です。喫茶店のコーヒー2杯分ですから…
 で、単4電池2本を入れて、マニュアルも読まずにいきなり撮影してみました。添付ドライバーをインストールしたPCで撮影画像を読み出してみると……「10万画素にしては画質は悪くはない」というのが率直な感想です。接写はダメだし、暗い居酒屋での撮影では画像がざらついてノイズだらけになります。でも、普通の明るさの屋外や明るい室内で2mぐらいの距離のものを撮影するとけっこうシャープです。発色もナチュラルです。また、遠景の風景画像もそこそこ見られます。
 またCheezSYZとは違って光学ファインダーもついているのがいいですね。右手だけで握って人差し指でシャッターボタンを押そうとすると、レンズ部に手が掛かってしまうようで、指が写ってしまった画像が何枚かありました。要注意です。私は、棒状の本体を横向きに構えて縦位置で撮影するスタイルが非常に具合がよく感じました。
 感覚的には携帯電話搭載カメラの画質をちょっと良くした感じかな。10万画素の画像でも、人物を撮影したりするとけっこう楽しめます。こういう「低画質カメラ」にはそれなりの楽しみ方があることを再認識しました。
 それにしても980円とは、やっぱり安いですね。「写ルンです」と同じ値段です。「10万画素にしては悪くない」というよりも「980円のデジカメにしては悪くない」というのが正しい感想です。

 今日の画像は、その「StickShot」で撮影した自宅の部屋のパソコン周りです。
 現在は、デスクトップPCの前のノートPCで、アナログモデムでインターネットに接続しています。 ご覧頂くとおわかりになると思いますが、自宅の仕事場は6畳の広さしかなく、あまり良好な作業環境とは言えません。でも、昔から何でも手の届くところにある狭い部屋ってのはけっこう落ち着く方で、現状に大きな不満はありません。 
1/14  このサイトの中で音楽の話と言えば、60年代〜70年代のロックの話ばかり(笑)。まあ、好きなんだからしょうがないのですが…。で、今回は最近のJ-POPグループ、LOVE PSYCHEDELICOについての感想です。それにしてもDELICOは売れてますね。
 DELICOは、私にとっては最近のJ-POPバンドの中では稀に見るほど耳障りのよいサウンドで、お気に入りです。彼ら自身が、ツェッペリンやジャニス・ジョプリン、ボブ・などの影響を受けているというだけあって、当然と言えば当然。佐藤直樹の弾くリフは上手いという以上に、ノスタルジックです。私にとっては、日本人ギタリストの神様的存在であるチャーなんかと較べても、佐藤直樹の弾くリフの方が好き。また彼は、アコースティックサウンドも実にいいですね。
 私は最初のアルバムに収録されている「ノスタルジック69'」という曲が特にお気に入り。この曲、ライブバージョンでKUMIのボーカルを聴き、またステージスタイルを見たとたん、CBGBで唄うNYパンクの女王、パティ・スミスを思い出してしまいました。またKUMIのボーカルは、アコースティックなバックで聴くと、ジョニ・ミッチェルを思い浮かべる部分があります。これをカラオケで歌えそうな女の子は、ちょっっと周りにはいませんね。
 要するに、「60年代後半から70年代前半にかけてのロックをこよなく愛するオジサン」からすると、DELICOの音楽は実に申し分のないものですね。でもサウンドとしては申し分なくても、スピリットがどうかといえば、これはまあ別物です。でも、久々に出た日本人のロックバンドらしいロックバンドです。ノスタルジックでライブなノリのリフと、レコーディングでは打ち込みも上手く使う現代的な音作りの融合…けっこう期待してます。

 今日の画像は、東池袋の超有名ラーメン店「大勝軒」に並ぶ人々です(SPYZで撮影)。
 これを撮影したのは昨日(13日)の午後3時頃なのですが、中途半端な時間にも関わらず、数百人の行列が出来ていました。すごいですねぇ…。私は、行列に並んでまでモノを食べるということは絶対にしません。何かを食べたり買ったりするために行列に並ぶ…という行動と自体が自分で納得できないのです。だから、いつも行列が出来るほどの有名店では何かを食べたことがないのです。

 ところで今日は成人式。オフィスの近くでも振袖を着た女性が目立ちます。ここのところ毎年、成人式で酒を飲んで暴れるバカな若者のことが新聞やTVで話題になりますが、私はそれ以前に「成人式」などというものに出席する人のメンタリティがよくわかりません。それ以上に、自治体が税金を使って成人式なんてくだらないことをやるのを辞めるできでしょう。何の意味もないと思うのですが…。
1/11

 日記特別編   携帯電話でMPEG-4
  〜ムービー携帯用動画サイトを作る

 
 
1/10  mp3の新規格「mp3PRO」にはけっこう期待してます。ビットレート64Kbpsでエンコードしても、従来のmp3のビットレート128KbpsでエンコードしたMP3と同等の音質を実現するとのことです。デモ版mp3PROエンコーダ/デコーダはこちらからダウンロードできます。

 アメリカの音楽雑誌「SPIN」が、「ロックバンドベスト50」を発表しました。1位がビートルズ、2位はラモーンズ、3位がレッド・ツェッペリン、4位はボブ・マーレー&ザ・ウェイラーズ、5位ニルヴァーナ…ということで、2位以下は大変満足する結果です。何を隠そう、私はラモーンズはライブ見たことがあります。しかもニューヨークのクラブで…。
 ところで、この結果を伝えるニュース記事には第1位のビートルズに対して「議論の余地はない」と書かれていましたが、何故ビートルズの1位に議論の余地がないと思う人が多いのでしょうか? 私はあの時代においてビートルズがポピュラーミュージックシーンに果たした役割は文句なしに認めますが、「すごいロックバンド」という感じが全くしないのです。

 「プレクスター」というCD-ROMドライブのメーカーは、自作派なだ誰でも知ってますよね。このメーカーを私は、漠然と台湾あたりのメーカーだと思っていました。そうしたらなんと「シナノケンシ」という日本のメーカーの製品でした。シナノケンシは長野県に本社がある有名な精密モーターのメーカーで、1980年代に後半にはHDD用モーターなどで有名でした。社名からもわかるように、もともと「信濃絹糸」という紡績会社だったということです。かつて、ちょっとだけ仕事上の付き合いがあった会社なので、「プレクスター」に驚いた次第です。…個人的な話でした。

 ところでその「シナノケンシ」という会社は丸子(長野県小県郡丸子町)というところに本社があります。かつてよく登山やハイキングをしている頃、北八ヶ岳から霧が峰にかけての一帯が大好きで、諏訪側から北八方面に入り、霧が峰を経て丸子や上田側に降りてきたことがよくあります。そう言えば「鹿が教えた湯」と書く、鹿教湯温泉というのが近くにありましたね。このあたりには15年以上行ってないのですが、今はどうなっているのでしょうか?

 今日の画像は、昨日の日記に書いた高機能レンズ付きフィルム「写ルンです エクセレント Flash27」です(DC3800で撮影)。
AE機能とセンサー付きフラッシュとなれば、これはもうオートコンパクトカメラとほぼ同じ機能です。ともかく外観も立派だし、ストロボなんかスイッチを入れると、LEDランプがポップアップします。驚いたのは電源で単3電池を使っているとのこと。
 このカメラはレンズ付きフィルムということで、どのようにリサイクルされるのか知りませんが、このままフィルムだけ入れ替えれば、半永久的に使えそうな作りですね。私はDPEに出す時に、思わず「カメラを返して下さい」って言いそうになりました。
1/9

 日記特別編   「写ルンです」+フジカラーCD
  〜銀塩カメラの復権

 
1/8  アメリカがアフガニスタンに続く新たな戦場を求めていることは、いまや世界周知の事実となっています。軍産複合体を政治的バックボーンとするブッシュ政権は、減速する国内景気浮揚のためにも新たな軍事行動を必要としています。こうした中で、アメリカの次の軍事行動先として注目されているのがソマリアです。
 昨日の日記で書いたように、ソマリアという国に対する知識というのは、多くの日本人、いや世界の人にとって非常に覚束ないものでしょう。
 …で、突然ですがそのソマリアの話です。これがなかなか興味深い国です。正式な名称は「ソマリア民主共和国」で人口は約1000万人、イスラム教徒が中心で首都はモガディシオです。古くからこの地に住んでいるソマリ人の国です。ソマリアについてちょっと勉強してみましょう。

 ソマリアという国は、その国の位置と形から「アフリカの角」と呼ばれています。この土地は高価な「乳香」の産地として、古代エジプトの時代から知られていました。
 この地が本格的に歴史に登場するのは、10世紀前後からです。海を挟んで北側にアラビア半島があり、古くからアラブの商人たちがアフリカ東海岸を船で南下する貿易ルートになっていました。首都のモガディシオは、アフリカでも最も古くから栄えた交易拠点での1つです。イスラムがサハラを越えて勢力を拡大し始めた8世紀後半に、東アフリカ、インド洋岸にはいくつかのイスラム交易都市が誕生しました。中でもモガディシオはインド洋岸最大の交易拠点であり、10世紀、つまり大航海時代以前に既に世界屈指の貿易港として繁栄していました。
 14世紀のアラビアの旅行家イブン・バトゥータは、アデンから船で対岸のザイラウに渡り、さらに2週間ほどかかってモガディシオを訪れています。そしてモガディシオの住民の多くは非常に裕福な商人で、毎日数百頭のラクダを屠殺していると記しています。
 15世紀、中国・明の宦官「鄭和」による歴史上有名なインド洋遠征では、明への朝貢を求める大艦隊がモガディシオまで到達し、同地が繁栄していたとの記録が残っています。バスコ・ダ・ガマのインド到達よりも約80年も前のことです(余談ですが、この鄭和の遠征を描いた伴野朗の小説「大航海」は面白いですね)。
 栄光の貿易都市であるモガディシオを含め、その後のソマリアはいくつかの部族国家の集合として、多少の争いはあったものの比較的平和で安定した時代が続きました。そこへ、19世紀半ばからイギリス、フランス、イタリアなどの欧米列強が植民地政策によって侵略を始めたのです。平和な部族国家をイギリスが侵略する…という経緯は、アフガニスタンとも似ています。ここに、ソマリアの混迷が始まりました。
 欧米諸国の植民地政策が終わりを告げ、イギリス領とイタリア領が独立して一つの国になったのは第二次大戦後の1960年のことです。その独立のわずか9年後には大統領が暗殺され、その後クーデターが起こりました。その結果、社会主義の軍事政権が誕生しました。この冷戦時代以降、ソマリアの情勢は混迷を極めることになります。詳しい経緯は省略しますが、当初ソ連の援助を受けていたソマリアは後にはアメリカの援助を受けるようになるなど、ソ連とアメリカの両陣営間を行ったり来たりしたのです。エチオピアやエリトリアの混迷と共鳴するように、ソマリアは国際政治の舞台で翻弄されました。最終的に冷戦終結後にはアメリカからの援助もなくなり、内戦に突入したのです。
 ソマリアの内戦を収拾するためにアメリカを主体とする国連平和維持軍がソマリアに進駐したのは1992年のことです。結果は賛嘆たるものに終わりました。平和維持軍の中核であった米軍には死傷者が続出し、米国内世論にも負けて、いち早く撤退することになりました。その後のソマリアには誰も手出しすることができず、混迷状態のままで現在に至っています。

 さて、確かに現在のソマリアには「イスラム過激派」と呼ばれる人たちがいるようです。しかし、どう調べてみてもアメリカが大軍を持って攻撃する正当な事由を持つほどの「国際テロの拠点」とも思えません。ソマリアでアメリカが軍事行動を行うとすれば、アメリカは、ソマリアに対して事実上2度目の武力侵攻を行うことになります。さらに、ソマリアもアフガニスタンと同じく、19世紀から欧米列強の植民地政策下の侵略に晒され、その上で冷戦時代に大国の国益に翻弄された過去を持ちます。こうした国に対して軍事行動を行うことの意味を、世界の人は深く考える必要があると思います。

 ソマリアの自然と風土、そして文化や歴史を知ることで、ソマリアという国に対して、ソマリアという国に住む人々に対して、想像力を働かせることができるはずです。

   ※参考資料:ソマリア内戦に見るエスニックな対抗運動の展開
1/7
想像力と知識

 人は想像力の及ぶ範囲でしか、喜び、悲しみや苦しみなどの感情を分かち合えない…ということを、昨年9月11日のテロ事件の時に、つくづくと感じました。前にも少し書いたように、9月11日のテロ事件の経緯と犠牲者の捜索活動の様子や悲しみに沈む遺族の素顔などがリアルタイムで全世界にTV中継され、その結果多くの人が、悲しみや怒りを共有しました。
 しかし、世界では9月11日のテロ事件をはるかに上回るような戦争や悲劇が進行しています。その多くはアジアやアフリカを中心とする第三世界の出来事です。こうしたメディアで伝えられない戦争た悲劇に対して、世界の人は極めて冷淡です。極論すると、「アフリカの片隅」や「アジアの片隅」で、どれだけ人が死のうと、どんな悲劇が起ころうと、「自称文明国」の人々は、そうした事実すら知らずに日常生活を送っています。
 1990年代後半の数年間で300万人が死んだと言われるコンゴ内戦、民族間で大虐殺が行われた1994年のルワンダの内戦、記憶に新しいユーゴスラビアの内戦、さらにはアリジェリアの内戦、リベリアの内戦、エチオピアの内戦、ソマリアの内戦、ニカラグアの内戦などは、いずれも数万から数十万人単位の「虐殺」が行われました。そして1970年代のカンボジア内戦ではポルポト率いるクメール・ルージュが一説には300万人以上の虐殺を行ったと言われています。かつて起こったアフリカのビアフラの内戦では、200万人が餓死しまた。ここで挙げた全ての内戦での死者を合計すると1千万人に達するかもしれません。その1千万の死のひとつひとつに対して、親や兄弟、家族や友人などの怒りや悲しみがあるのです。9月11日のテロ事件に対して怒り悲しんだ人々は、これらの大規模な虐殺や悲劇に対して同じような怒りと悲しみを感じたのでしょうか?

 この差は、マスコミを中心とするメディアへの露出度の違いもありますが、より大きな壁となっているのは「その国や地域に対する情報量・知識の差」「その国や地域と自らの生活との文化の差」だと考えます。人間は、地域の生活様式に関する知識や情報の少ない場所で発生した出来事に対して、想像力が働かないのです。よく知らない場所で起こったことには、実感が沸かないのです。
 9月11日にテロ事件については、その悲劇が発生した場所であるアメリカという国の地勢や風土、文化、住んでいる人々の生活様式について、われわれはかなりよく知っています。よく知っている故に、テロ事件で家族や友人が死ぬとどういう結果が起きるのか、周囲の人がどのように悲しいのかをはっきりと想像できるのです。その結果、悲しみや怒りを共有できるのです。
 しかし、例えば内戦で苦しむコンゴという国については、多くの人が何も知りません。下手をすると、アフリカのどのあたりにある国か知らない人も多いかもしれません。ましてやコンゴの人々がどんな日常生活を送り、何を考えて生きているのかについては、全く情報を持っていません。だから「コンゴの内戦で300万人が死んだ」と聞いても、実感が沸かないし、犠牲者と怒りや悲しみを共有することもできないのです。

 ところで、「想像力」という言葉だけを聞くと何か「知識」の対極にある言葉のような気がします。でも、それは違います。「正しく想像する」ためには知識が必要です。知識がなくては「モノを想像する」ことはできません。
 例えば、日本人の多くは(日本以外の自称文明国も同じでしょうが…)世界各地で起こっている戦争や悲劇に対して非常に鈍感な気がします。これは、世界各地の風土や地勢に対する知識がないことが大きな要因のような気がします。知識と教養の不足が、人々から想像力を奪ったのかもしれません。
 こうした世界各地の出来事に対して敏感に反応し、それが戦争や悲劇であれば、怒りや悲しみを共感するために必要な知識を身に付けることは、特に難しくはないと思います。学校で勉強しなくても構いません。メディア、しかも良質のメディアにたくさん触れることで得られるはずです。本、映画、TVドラマ…何でも構いません。片っ端からメディアに触れる時間を持てばよいのです。
 ただし、「良質のメディア」かどうかを見極めること、これが必要でしょう。反乱するメディアの中で良質のものを選り抜く…難しいことですね。

 そして、やはり実体験に勝るメディアはありません。ここでいう「世界各地の生活や文化の情報」を得るための実体験とは旅です。全ての人に、世界を旅をすることをお勧めします。 
1/5  新年の気まぐれで、サイトのトップデザインを大幅に変更し、コンテンツにも追加・変更を加えました。
 デザインも内容も、まだ暫定的なものです。なにぶん素人が作るものなので、お見苦しい点も多いかとは思いますがご容赦ください。今後とも、徐々に変更していきます。
 「WS30」というトイデジカメを購入したことがきっかけとなって、面白半分に立ち上げた当サイトですが、なんとなくデジカメの話だけでは面白くありません。というよりも、前から書いているように「デジカメなんて好きな機種を買って好きなように使えばいい…」という主張に関しては、もう書き尽くしました(笑)。
 このサイトは、今月末で開設1周年を迎えるのですが、そんなこともあって「もう辞めちゃおう」なんて考えていました。どうせ、誰も気にしないゴミのようなサイトですから…(笑)。でもアクセスカウンターを見るとけっこう見に来てくれる方もあるし、どうしようかなぁとちょっと考えてしまいます。Webサイトで何かを書いたり公開したりすることは、個人的にはけっこうカタルシスになっている部分があります。じゃぁ「自分のために続ける」ことにして、それにしてもコンテンツをどうしようか…。  …でこの際、サイトのコンテンツをもっと興味の趣くままに「グチャグチャ」にしちゃおうと考えた次第です。
 個人的な興味の範囲はデジカメ以外の部分にもたくさんあり、そんな話を主に「私的画像日記」に書いてきました。この画像日記に適当に書いた文の中で「これは自分の考えに近い」と思われるものを集めて、新しいタイトルを作り、今後はそれをテーマとして書いていこうと思います。
 むろん、デジカメの話や自分で撮影したデジカメ写真については、今後も書いたり、公開したりしていくつもりですが、徐々に方向性を変えようかなんて思っています。デジカメ写真については、真面目な話、思い切って「エロサイト」的な方向へ行くことも考えています。これは、高級なデジカメを購入して自己満足だけの風景写真や家族写真を掲載しているサイトがあまりにも多いので、こうした状況に対する自分なりのアンチテーゼの意味もあります。思いっきり、プライベートな画像やエロ画像でデジカメ遊びに対する私なりの考えを示せたら…なんて思っていますが、プライバシーを公開するとなると相手もあることですし、ましてや実際にエロサイトを作るのはなかなか難しいかもしれません。
1/4  年明け早々の今日、パソコンを1台作りました。…とは言っても、オフィスに転がっていた余り物パーツで自分のマシンを組み立てたのです。現行マシンがCeleron466MHzとあまりにもプアーなので、多少でもグレードアップしようと考えたわけです。まずマザーボードはECS「P6ISA-U」という初期のi815マザーで、テスト用に購入して1年ほど放ってあったもの。CPUはCoopermineコアのCeleron 850MHzと、これはまあまあの性能。メモリは、PCC133メモリを256MB。ビデオカードは、いまや化石のようなTNT2-64M。HDDは自分の旧マシンから外したSEAGATEの17GとIBMの6.4GBです。CD-ROM代わりにMITSUMIの4×4×32というこれまたプアーなCD-Rを取り付けました。あとは10/100のLANカードという構成です。
 マザーボードを新しくしたにも関わらず、WindowsMeがインストールされたままの旧HDDをそのまま取り付けて起動させるという荒業です。まあ、HDD以外のパーツを全て交換した…とも言えます。起動と同時にマザーボード上のI/F用ドライバを片っ端から拾って認識していくのですが、特にトラブルもなく従来どおりの環境で動作するようになりました。
 自作とは言うものの、回数を重ねるにしたがってやることは本当にいいかげんになります。今回の余り物マシンも組み立てには15分程度。まあ最初にCPUとメモリとビデオカードだけを取り付けてモニタにつないで電源を投入し、BIOSが立ち上がればもうそれで半分完成したようなもの。あとは、適当にHDDとFDとCD-ROMを取り付けてケーブルをとり回しておしまい。今回はOSのインストール作業がないので実に簡単です。
 こんな適当に作ったマシンでも、いまのところけっこう快調です。旧マシンよりはずっとキビキビと動作するようになりました。CPUはPentium4で2GHz時代に入ったとはいえ、850MHzはワープロやエディターを中心に使うには十分過ぎるクロックです。ビデオカードだって、3DゲームをやるわけではないのでTNT2で十分。最新のGForceUやVなんて私には必要ありません。
 ちなみに久しぶりにHDBENCH(3.30)で計測してみたところ、ALLが「10680」という数値でした。最近ほとんどベンチをとっていないので、比較できません。どっちにしても、世間一般のマシンと比較するとかなり遅いんでしょうね…(笑)
 私はここ数年、先端的なパーツで構成された最新パソコンを使ったことがありません。自作デスクトップもたまに購入するノートPCも、いつも安い旧パーツで構成されたマシンばかりです。考えてみると、デジカメもAV機器も同じ。最新の高性能機は滅多に購入しません。自分の現実的な使い方の範囲で、納得できる性能の、できるだけ安いものを購入します。どうも自分は「コストパフォーマンス」という言葉に弱い感じです。

 というわけで、今日の画像は組み立て途中のニューマシンです(DC3800で撮影)。

 話は変わりますが、「L.E.T.S(Local Exchange Trading Scheme)」というものをご存知ですか? 簡単に言えば「地域通貨」です。一応経済学を専攻した私は、「通貨の本質」に非常に興味があります。「L.E.T.S」は、国がその価値を保証する一般的な通貨の概念を覆すものとして、非常に面白い考え方です。最近の日本の経済の低迷を見ていると、ある日突然、貨幣が紙切れになるという状況が訪れないとも限りません。というよりも、理論的には実際に起こり得る話です。その日のために、「L.E.T.S」を普及させることは無駄ではないかもしれません…。  
1/3  昨年いっぱいで「インパク」が終了しました。終了を受けて、「インパクは成功した」との宣言が出されました。インパクには133の企業・団体や64の地方自治体など全部で503団体が参加し、政府は自治体への補助金など総計で約80億円を投入しました。その結果、「直接的な経済効果だけで政府支出の数倍にのぼる」とのことです。
 しかし、インパクの経済効果なんて本当にあったのでしょうか?確かに政府がお金をばら撒いたことは事実です。その結果、私の知り合いが勤務する大手メーカー系のコンテンツ制作会社はある自治体からホームページの作成を2000万円の予算で受託しました。2000万円!…ホームページの制作費としては気が遠くなるような予算です。完成したホームページを見ましたが、私の会社なら100〜200万円もあれば十分に制作できる内容です。要するに、政府が投じたお金は、意味のない媒体宣伝予算と相場を無視したコンテンツ開発費となって、一部の企業の懐を潤しただけのようです。結局のところ、土建屋にお金をばら撒いて、誰も使わないような巨大公共施設を作る…というこれまでの構図と全く同じです。
 しかも、インパクのアクセス数は予想していた50億の1/10以下に留まったそうです。この数字だって、私は信じていません。私自身インパクのサイトにアクセスしたのは3〜4回だけです。どんなものか見てみようと思って、いずれも5〜10分ほどアクセスしました。それだけです。私の周囲の人間からインパクのサイトの話題が出たことは一度もありません。インターネットのヘビーユーザーほど、インパクには一度もアクセスしたことがない…という人が多いようです。
 だいたい政府がお金を出してインターネットを中心とするIT分野の普及や啓蒙活動を行う…というのはやめて欲しいですね。インターネット・コミュニケーション、インターネット・カルチャーというのは、自然発生的に形成され、成長していくべきものです。政府広報や企業宣伝など、「上から与えられたコンテンツを楽しむ」ものではありません。インパクのようなくだらないことに税金を使うぐらいなら、まだネットインフラの拡充にお金を出した方がマシです。
 …というわけで、インパク終了を受けて発表された「インパク宣言」を読んで、久しぶりに怒りが込み上げてきました(笑)。ま、インパクなんて「クソ」は本当にどうでもいいんですけど、くだないことに湯水のように税金が使われたことは、やっぱり腹が立ちますね。

 ところで、個人的にたくさんの年賀状を受け取ったのですが、私はここ10年間「年賀状廃止」を宣言しており、自分からはほとんど出しません。受け取った年賀状に関しては返事を書くようにはしています。こうしたやり方をしていれば、そのうちに年賀状はゼロになるだろうと期待しているのですが、なかなか減りません。年賀状作りを楽しみにしている方には申し訳ないのですが、習慣としての年賀状のやりとりが消えていくことを望んでいる次第です。

 そうそう、このサイトに訪れて頂いた方からも何人も年賀メールを頂きました。この場を借りてあらためてお礼を申し上げます。謹んで、新年のお祝いを申し上げます。

 今日の画像は、お正月らしい写真で湯島天神の「破魔矢売り場」(…って言うのでしょうか?)です(DC3800で撮影)。むろん、こんなモノを買ったことは一度もありません。1500円のと2000円のがありましたが、飛ぶように売れていました。原価はタダみたいなもんだろうし、儲かるんだろうなぁ… 
12/29  東京の練馬区には「光が丘」という巨大な団地があります(私の自宅の近くです)。この団地には「光が丘新聞」というタブロイド版の無料紙が配布されています。発行は月2回、発行部数は約4万部とのことですが、無料紙なので地域の広告を取ることで経営が成り立っているわけです。それにしても、こうした無料紙が存続できる状況ってなんとなく不思議です。仮に経営者が1人で全てをやったとしても、タブロイド版8ページの新聞を取材、リライト、編集、デザインするコスト、4万部印刷する費用と配布(配布は1人じゃ無理)コストを考え、さらに事務所の家賃と経営者の最低限の収入を考えると、毎号かなりの広告料を取らなければ成り立たないはずです。タブロイド版で8ページの地域新聞で、果たして毎号50万円以上の広告費が取れるのでしょうか? 一度経営者に話を聞いてみたい気がします。
 1970年代の頃、ミニコミ誌・紙のブームだったことがあり、ちょっとした地域コミュニティでは必ずミニコミ誌が作られていました。70年代に発刊されていたミニコミ誌の多くは消えていきましたが、けっして全滅したわけではありません。インターネット時代に入って地域性の強いミニコミ誌はなくなったかと思いきや、現在でも「情報誌」に名前を借りて、けっこうたくさん発行されています。例えば私のオフィスがある池袋でも3〜4種の無料情報誌が発行されており、飲食店のレジ付近などに置いてあって簡単に入手できます。

 ところで、印刷メディアの中でも書籍や専門雑誌等については、まだまだインターネットメディアに対する絶対的な優位性を確保しています。しかし地域性の高い情報誌の場合は、情報の鮮度や伝達手段から見て、絶対にネットメディアの方が優位のような気がします。特に最近では、iモードなどのブラウザフォンを使った情報メディアなどが情報の受け手にとっても使いやすいような気がします。にもかかわらずこうした地域ミニコミ誌がたくさん発刊されてている事実には、再度注目すべきだと考えます。
 というのも、これだけの数のミニコミ誌が発刊されているということは、それが経営的に成り立っている…ということでもあるわけです。むろん、発刊主体が大手スポンサー企業であるケースも多いでしょう。それでも、お金が出ていることに変わりはありません。
 それに較べて、インターネットのサイトの運営は、ひところよりも難しくなってきています。大手広告代理店に勤務する私の親しい友人によると、一時期出稿が殺到したインターネット広告の落ち込みは激しく、最近ではかなり大きなポータルサイトでも全く広告が集まらない状況にあるそうです。要するに、例え1日のアクセス数が数万あったとしても、広告出稿を当てにして独立系サイトを運営することなどは事実上不可能に近い状況との話です。

 要するに、インターネットというメディアに対して、「印刷メディア」はまだまだいくつかの点でアドバンテージを持っているということす。ここでそのアドバンテージの内容について詳しく挙げることはしませんが、個人的な感想としては、今後10年経っても20年経っても、書籍や雑誌はおろかミニコミ系の情報誌だってなくなることは絶対にないでしょう。実は、私はこうした状況を喜んでいます。
 ここ数年間、自分でWebサイトを作ったり、自分のオフィスで仕事としてWebサイトの構築を受託しているうちに、私は何か「個人の印刷メディア」を作ってみたくなりました。印刷された情報誌を個人ベースで発刊してみたいという強い欲求があります。

 来年あたり、「時代に逆行する印刷メディア」作りにでもチャレンジしてみようかと思っています。 
12/27  前に「事業に失敗し、債権者に追われて海外へ逃亡」というシチュエーションの話を書きましたが、今回は仮想逃亡記の第二弾で、「現在の仕事と人生からの逃亡」という話です。  現実には無理でしょうが、けっこう憧れたりします。具体的には、「女性問題が泥沼化し、人生と仕事に疲れて田舎に引っ込む」というシチュエーションを考えて見たいと思います。
 前にも書いたように、私は基本的に「田舎暮らし」がダメなので昨今の都会生活者が憧れる「自然の中で家族でのびのびと田舎暮らし」という雰囲気の生活は勘弁して欲しいですね。「素敵な女性と一緒に田舎でマッタリと暮らす」というのなら、なんとなく我慢できそうです。現在の生活から逃げるのですから、現在の家族や恋人と一緒ではダメです。まあ私は自慢じゃないけど女性の友人が多い。しかも素敵な女性の友人がたくさんいます。というわけで、その中の1人をクドいて一緒に逃げることにします(バカな事を書いてると笑って下さい)。
 私は10代後半〜20代の前半は登山目的で、20代後半から30代始め頃にはバイクで日本中を放浪しており、ほぼ任本全国隅々まで足跡を残しました。北海道から九州・沖縄まで行った中で「ここに住みたいなぁ」と思った場所はたくさんあります。住みたいと思った場所の大部分は都市なんですが、田舎でも住みたいと思ったところは数ヶ所です。
 基本的には「温暖な土地」「食べ物が豊かな土地」「海がある場所」「山もある場所」「不便すぎない場所」…というのが条件です。山もいいですが、海が近いことは絶対条件です。
 そんな条件に合致する「住んでみたい田舎」を2ヶ所挙げます。まずは静岡県の西部です。具体的には浜名湖の周辺、三ケ日あたりです。開けた平野ではありますが、隣の鳳来町あたりは豊かな山で、しかもあまり険阻な山ではありません。汽水湖である浜名湖では美味しい魚が採れます。むろん、みかんの産地として有名なぐらいですから非常に温暖です。交通の便がメチャクチャに悪いと言うわけではなく、大都市である浜松あたりには容易に出られます。
 次は和歌山県です。田辺市の郊外あたりがいいですね。黒潮が寄せる田辺湾に面し、気候温暖で美味しい魚がたくさん採れます。街の背後から紀伊半島の内陸部にかけては深い山岳地帯で山の恵みもたっぷりと受けられます。田辺市はそこそこの規模の都市だし、昔から熊野三山への入口として交通の要衝の地でもあり、和歌山や大阪方面に出るのもそれほど不便ではありません。
 で、住む場所が決まったら、私は犬を飼ったことがないので一度犬を飼ってみたいですね。クルマは必要ないですが、バイクは1台欲しいところ。やはりここはスーパーカブがよいと思います。

 …しかし、書いてる話が「白昼夢」に近いところが悲しいですね(笑)。いくら三ケ日や田辺がよい土地でも、結局自分は都会で仕事をやり続けることになるでしょう。時には夜の池袋や渋谷でメディア関係の人間と飲みながら、時には女の子と遊びながら…都会暮らしが続くでしょう。現在の生活からは、抜け出られそうにありません。
 今日はもう12月27日ですが、まだまだ仕事が全くキリがつきません。このままだと31日までは仕事です。下手をするとお正月もまともに休みを取れないかも…。だからこんな「白昼夢」を見ているのでしょうね…。
12/25  東京は寒いクリスマスになりました。午前中は晴れていた空が重く垂れ込め、急に気温も下がって、なんとなく雪が降りそうな気配です。
 ところで、Jフォンから1月に登場するシャープ製端末「J-SH51」は31万画素のCMOSカメラとSDメモリカード・スロットを搭載するそうです。いよいよ携帯電話が本格的なデジカメとなる時代が到来しました。実際に購入するかどうかはわかりませんが、興味しんしんです。

 今日の画像は、柔らかい冬の日差しが照りつける新宿御苑です(eggyで撮影)。


 日記特別編   JPEG2000を使ってみよう