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私的画像日記 〜デジカメとともに暮らす日々の記録

 

   
12/24  妙な話なんですが、私は「しかつめらしい」という言葉が「しかめつらしい」に見えることがあります。おわかりだと思いますが、これは「しかつめらしい」と「しかめっつら」を混同しているわけです。むろん意味の違いはよくわかっていますし、話し言葉の中で混同することは絶対にありません。問題は「活字として読む」時の問題なんです。
 実は意味がわからないから混同するのではなく、「字面」が似ているから混同するのです。つまり、視覚的な類似性の問題です。

 さて、「しかつめらしい」は大辞林によると「まじめくさっていて、堅苦しい感じがする。もったいぶっている。」という意味です。「しかめっつら」は「不快そうに眉や額の辺りにしわを寄せた顔。」という意味です。まあ、意味的にも何となく似ている部分はありますね。「しかつめらしい顔」は、きっと「しかめっ面」に近いものでしょうから(笑)。

 これは、全く自慢をするわけではないのですが、私は非常に本を読むのが速い方だと思います。いわゆる「速読」なんですね。普通の翻訳ミステリーなどの文庫本だと、だいたい1時間弱ぐらいで読了します。さらに仕事で資料を読む時など、意識して速く読もうと思えば、もっと速く読むことができます。パソコン雑誌1冊を隅から隅まで15〜20分ぐらいで読みます。これは、「特技」というよりも、職業柄身についたある種の技術のようなものかもしれません。
 速読する時には、「字を読む」のではなく「判面全体を見る」に近い感じです。ページをめくりながら、目に入った活字を拾い読みに近い感じで覚えていく感じです。読んだものを意味に変換しているのではなく、見たものを意味に変換しています。うまく伝えられないのですが、なんと言うか「文字情報ではなくビジュアル情報を意味に変換する」って感じかなぁ…。また私は、一度読んだ本については、読了後に「特定の内容が記述してあった場所」を比較的容易に探すことができます。その場合、「終りから1/3ぐらいのページで、右側のページ、真ん中よりも下の位置に書いてあった…」といった具合に、書いてあった場所を「イメージ」として覚えています。

 で、この「文章を見る」という作業をしている私は、「字面が似ている」ものを混乱しやすいのだと、自分では考えています。「しかつめらしい」と「しかめっつら」を、意味がわかっていて混同するのは、こんな理由です。

 今日はクリスマスイブです。イブの特選画像をお届けします。有名な立教大学のクリスマスツリーです。先程、DC3800で撮影してきたばかりの画像です。

 私はむろんキリスト教徒ではなく、クリスマスには何の意味も感じません。でも、今宵を家族と過ごされる方も、友人と過ごされる方も、恋人と過ごされる方も、そして1人静かに過ごされる方も…皆さんの心が安らかでありますように…。メリー クリスマス! 
12/22  「海外逃亡」……なんてよい響きの言葉なのでしょうか。私は、何も犯罪を犯したことがないので(交通違反は散々やった時期がありますが…)特に逃亡する理由はありません(当たり前ですね…笑)。でも、いろいろなシチュエーションを空想しては楽しむことがあります。
 仮に何らかの理由で止むを得ず犯罪を犯すとか、膨大な借金を作って債権者に追われることになったら…私は確実に海外へ逃亡するでしょう(笑)。
 もし会社経営に失敗して莫大な借金を作ったと仮定しましょう。ここで私は、鬼のような債権者から逃げるのです。通常債権の消滅時効期間は10年、商行為にもとづく債権は5年です。要するにビジネス上の借金なら5年間逃げればいいわけです。
 行き先は、最も勝手知ったる場所を選ぶとすればやはりアメリカです。でも、アメリカは司法執行機関が高度に整備された国。しかも物価も高い。5年間隠れ住むとなると、なかなか厳しいものがあります。そこで向かうのはアジアです。
 アジアの混沌の中に身を隠す…これに限ります。アジアの方が「逃亡」っていうムードが出ますよね(笑)。実際に日本の犯罪者がよく逃げ込むマニラ、香港、バンコク、クアラルンプール、カルカッタなどへ逃げることにしましょう。手持ちのお金は友人から借りまくった200万円、そして知人名義のパスポートを持って、格安チケットで関空あたりから出国します。他人名義のパスポートで簡単に出国できるのは、誰もが知るところです。
 バンコクあたりでは、エアコン無しでよければ、月3000バーツぐらいでそこそこのアパートが借りられます。駐在員クラスが借りるようなアパートとは雲泥の差がありますが、それでも「汚くて住めない」というほどではありません。また、バンコクならば1日の食費と雑費は100バーツもあれば十分です。30日で3000バーツ。家賃と合計すると生活費は月に6000バーツです。これって日本円に直して18000円ぐらいだから、5年間暮らしても100万円ちょっとですよね。もっと安くだってあげられます。知り合いの日本人で1泊80バーツのゲストハウスに長期滞在しながら、食費を1日30バーツで抑えて、月に3000バーツぐらいで数年間暮らしている人がいますから。バンコクあたりで地元資本のデパートに勤めている女の子の月給が1万バーツ以下で、それで友人とアパート借りて暮らしていたりするんですから。
 あとは、日本人のバカな観光客相手にガイドでもするってことで、適当に騙してお金を稼ぐ手もありますね。
 さらに生活費を安くあげるなら、同じタイでもチェンライやメーサイあたりまで行くか、今ならカンボジアあたりもいいでしょうね…。先頃シェムリアップで暮らしていた玉本某がタイの国境で捕まりましたが、このあたりなら生活費はバンコクの1/3でOKです。100万円持ってりゃ、10年間だって暮らせます。

 年の瀬の忙しさの中、今日もオフィスで仕事です。「海外逃亡」の夢を見ながら… 
12/20

 日記特別編   デジカメの常識(私の常識)

     
12/19

 日記特別編   デジタルカメラの将来

     
12/18  ミノムシが絶滅危惧種に…って話がニュースになりました。何でも、日本全国からミノムシが消えつつあり、その原因はミノムシに寄生するハエの幼虫のせいだそうです。ミノムシは害虫ですが、いなくなるとなると寂しいものがあります。小学校の頃、ミノムシを裸にして箱に入れ、きれいな色の布切れをたくさん入れてカラフルな「蓑」を作らせて遊んだことがあります。
 小学生の頃は、ミノムシに限らず虫でよく遊びました。中でも「ダンゴムシ」はよく集めて、転がして遊んだりしたものです。
 ところで、ミノムシがオオミノガという蛾の幼虫であることはよく知られていますが、ダンゴムシというのはどういう虫なのでしょうか? 私も知らなかったので、ちょっとダンゴムシについて調べてみました。
 驚きました。ダンゴムシは「虫」ではなかったのです。ダンゴムシは「節足動物門甲殻網等脚目」に属する動物で、なんとエビやカニに近い動物だったのです(でもダンゴムシは食用にはなりません)。「節足動物門甲殻網」までなら、普通のエビやカニ以外にミジンコやカブトエビ、ザリガニ、フジツボなんかも含まれますね。成長するまでに何度も脱皮を繰り返すそうですから、確かにエビやカニの仲間っぽいですね。極めて近い動物に、海岸にいっぱいいる「フナムシ」があります。
 また、北海道にはダンゴムシに近似した「ワラジムシ」という動物がいるそうです。このワラジムシは、外見もダンゴムシそっくりなんですが、丸くならないのだそうです。
 「日本ダンゴムシ協会」というホームページがありますので、参考にして下さい。

 今日の画像は、オフィスの近所のファミレス、サイゼリアの「ミラノドリア」です(eggyで撮影)。なんと270円で、まあまあの味です。サイゼリアってグラスワインが90円じゃないですか。このミラノドリアとワインを2杯飲んで合計450円。デフレとはいえ、ホントに物価が安くなりましたね。こうなると最近、ラーメンの値段って高いと思います。オフィスの近くの有名店だと、だいたい普通のラーメンが600〜700円はします。 
12/17  今日はちょっと珍しい(?)画像を1枚…パイナップルが木になっているところです(某温室でeggyで撮影)。「木になっている」という表現は変ですね。パイナップルは草ですから…。
 パイナップルというのは、パイナップル科アナナス属の多年草で、背丈は1mちょっと、開花時期は4月〜7月でその後は巨大な集合果をつけ、それが食用になります。
 こんな画像のどこが珍しい!…と怒られそうですね(笑)。知っている人は知っているのでしょうが、私はパイナップルがこんな風になるなんて、高校生の時まで知りませんでした。…というよりも、生まれて初めて沖縄でパイナップル畑を見て衝撃を受けたのです。こんなリュウゼツランのような草の中心部から巨大な実がニョキッっと生えているなんて、想像もしていませんでした。
 すごくバカな話ですけど、私はパイナップルというのは椰子の実のように、大きな木になっているものとばかり思い込んでいたのです。無知と言えば無知、常識がないと言えば常識がなかったわけですが、社会人になってから色々な人に聞いてみたところ、パイナップルの実がなっているところを見た人って意外と少ないのです。
 つまんない話でした…。  
12/15  パレスチナ自治区に対するイスラエルの攻撃が続き、オスロ合意の崩壊とともに、第5次中東戦争へと発展する可能性すら心配されています。インドでは国会襲撃の犯人をカシミールのイスラム過激派と断定しました。パキスタンのイスラム武装組織は犯行を否定していますが、インドは「対テロ」を掲げてカシミールへの侵攻を企図しているようです。パレスチナではムスリムvsユダヤ、インドではヒンズーvsムスリムという宗教対立が、大きな戦争へと拡大する可能性が高まっているわけです。
 こうした状況を見ていると、「文明vsテロ」という表向きの理由はともかく、本質的な部分では、やはり「異なる宗教間の対立」という現実を受け入れざるを得ません。
 こうなると誰もが、「宗教」というものについてあらためて考えざるを得ません。「宗教とは何か?」「よい宗教と悪い宗教があるのか?」など、いろいろな疑問が頭を過ぎりますが、中でも「人類に宗教は必要か?」という命題が、私には重く感じられます。
 当たり前の話ですが宗教というのは、それを信じる人がいて初めて成立します。人はけっして自然に生まれながら自然に何かの宗教を信じるわけではありません。布教という活動の結果であれ、公的な教育の結果であれ、誰か教えるものがいるから、また語るメディアがあるから、宗教を信じるのです。
 原始社会を例に出して「人はされに教えられなくても自然に信仰心を持つ」という人もいます。「宗教」と「信仰」は微妙な関係にありますが、宗教と較べて、まだしも「信仰」の方が人間の純粋で自然な感情の発露に基づくものと言えるかもしれません。なぜなら宗教には「教える」「解答を与える」という体系としての思想・規範的な部分がありますが、信仰は個人の問題ですから。しかしながら、信仰心というのは自然な人間の感情でしょうか? もし、生まれたときから成長過程を通して、誰も神や仏の存在を説かなかったら、また神や仏について書かれたメディアに触れる機会がなかったら…人は誰に何を教わらなくても何らかの信仰心を持つようになるでしょうか?
 科学が発達していなかった古代や中世、そして発達した科学を知識として教育を受けられない人々にとっては、火山の噴火や洪水、彗星の接近、不治の病など、人に脅威や災いをもたらす自然の営みに「畏れ」を抱くことはあるでしょう。人間は畏れを抱くことから、何らかの信仰を持つに至るかもしれません。しかし、自然現象に対する解明が進んだ現代において、なおかつ十分に教育を受けることができる環境に育ったならば、人は「信仰心」を持たない方が普通ではないかと思います。
 私は、全ての信仰心は「誰かが教えるから芽生える」のではないかと思います。

 宗教は文化でもあり、思想でもあります。人類の発展の中で宗教が大きな役割を果たしてきたことは間違いありません。しかし、現代において宗教は本当に必要なのでしょうか?人類にとって宗教が本当に必要だという理由は何かあるのでしょうか? 宗教を理由に、世界各地でこれだけの争いが起こっていても、それでもなおかつ宗教というのは人類にとって必要なものでしょうか?
 私は全ての人が等しく高い教育を受けられる環境が整うことを前提条件にできるならば、「一切の宗教的活動を法的に禁止する」という方向性が考えられてもよいのでは…と思ったりします。

 今日の画像は、近所の100円ショップで購入してきたクリスマスツリーです(WS30 SLIMで撮影)。
高さは約25センチほど。一見して何の変哲もないツリーに見えますが、実は非常にハイテクな製品で、底の部分に単三電池を2本入れてスイッチを入れると、ツリー全体が光るのです。ナイロン製の緑の葉の間にたくさんのプラスチックファイバーが混じっているのです。こんなハイテクな「光るツリー」がたった100円でした。
 で、買ってきてすぐに電池を入れて見ました。しかし、ツリーは光りません。壊れていました(笑)。なんかすごく悔しいので、帰りにもう1個おなじモノを購入するつもりです。
12/14  eggyの人気は落ちませんねぇ。eggyブームも夏頃に一段落したかと思ったのに、ここへ来て投売りに近い状況の中でまたまた新しいユーザーが増えている感じです。
 でも、MPEG-4動画普及にあたってeggyが果たした役割はとてつもなく大きいと思います。SHARPがVN-EZ1を発売した時にはほとんど注目されず、その後私がVN-EZ5を購入した頃ですら、MPEG-4動画なんて誰も使っていませんでした。でも、eggyがちょっとしたブームになってから、ホームページ上でMPEG-4動画を公開する人がすごく増えたし、forest48さんの「TINBOT WORLD」のような優れたオリジナル作品も登場しました。まあ、MPEG-4撮影機能を持つ動画カメラ機能に加えて、そこそこきれいな静止画撮影機能、さらには「PixLabo」という非常によく出来た動画編集ソフトがセットで1万円以下、場合によっては5千円以下で買えるのだから、信じられないような話です。

 動画というと、いまだに「デジカメの付加機能としての動画」とeggyのMPEG-4動画を画質で比較する人がいますが、これはもう全く別物です。何度も書いているように、データ容量とビットレートが桁違いに少ないですから、長時間撮影、Web上での動画公開など、MPEG-4動画のハンドリングのよさは、画質で比較するものではありません。
 第一、高画質の動画を撮影したければDVを使えばよいわけですし、ここへ来てSONY「DCR-IP7」という、コンパクトデジカメ並のサイズと重量のMPEG-2動画カメラが登場しました。「DCR-IP7」は、あえて言えばDVとMPEG-4カメラの中間に位置する動画カメラです。長時間のMPEG-2動画を撮影機能と、そこそこの静止画撮影機能を持ちます。先日ちょっと使う機会がありましたが、「DCR-IP7」で撮影したMPEG-2動画の画質は、基本的にはDVの画質と大差ありません。古いHi8機よりもきれいなぐらいです。個人的には、MicroDVというテープメディアが気に入らないのと、初代機ゆえの将来的な互換性が気になるので、第二世代機が発売されたら購入しようと考えています。希望としては、第二世代機で記録媒体がシリコンメディアになってくれると、非常にうれしいのですが…

 さて、今日はちょっと興味を惹くニュースがありました。
 「…聖書研究を核とした信仰グループ『イエスの方舟(はこぶね)』主宰で、女性会員と集団失跡などした千石剛賢(せんごく・たけよし)さんの死亡届が12日、居住地の福岡県古賀市役所に出されていた。78歳だった。死因などは不明。兵庫県生まれ。1952年から大阪の聖書研究会へ通い始め、60年に東京で極東キリスト集会を開き、信者と共同生活を始めた。75年に『イエスの方舟』と改称。若い女性会員の家出が続き、78年に『娘を返せ』と迫る家族から逃れるように東京を離れた。この逃亡生活がマスコミで話題になり、千石イエスと称されるようになり、信者からは『おっちゃん』と呼ばれた。千石さんは名誉棄損容疑で書類送検されたが、不起訴処分になった。福岡市に布教の拠点を移し、博多区中洲で集会所を兼ねたクラブ『シオンの娘』を営業。93年秋から古賀市に建てた『イエスの方舟会堂』で共同生活を続けていた…」
 …というものです。「イエスの方舟」という名を久しぶりに耳にしました。
 千石剛賢氏は、共同生活をしていた若い女性の家族からの訴えにより、あたかも「極悪非道のカルト宗教家」のようにマスコミで取り上げられました。しかし、その後実際の女性会員の肉声が伝わってくるにつれて、世のイメージとはかけ離れた人物像が浮かび上がりました。要するに、彼自身は特に何かを教え・説くわけではなく、彼女達が一方的に彼を慕ってついてくるという構図です。その後オウム事件が起こったときに、アサハラ某と千石剛賢の違いを論じたマスコミはありませんでしたが、非常に対照的な人物であることは確かです。
 私は個人的には宗教に対して全く無関心ですが、千石剛賢という人物の生き様とそれを取り巻く女性達の人生の軌跡については、宗教とは関係なく非常に興味深いものがあります。結局のところ「イエスの方舟」は、宗教団体というよりも「コミューン」だったのでしょう。

 今日もまた画像なしの「画像日記」となりました。媒体関係の仕事が年末進行で、デジカメで写真を撮るヒマがありません。 
12/12  たまたま当サイトの掲示板でWS30のWindowsXP用ドライバの話題が出たので、試してみようと、自分のサブマシンにWindowsXP(Pro)をインストールしました。いやけっこう時間がかかりました。まずシステムの調査に30分近くかかり、その後のシステムインストールにも30分以上かかったので、合計1時間以上の時間を要しました。まあ、ネットワークやSCSIなど主要なドライバは全て認識した上、インターネットの接続設定やブラウザの設定、メールソフト(Becky)の設定などもそのまま引き継いでくれたため、インストール後の基本的な作業環境はWindowsMe時代と変わりません。インストールしてあった主要なソフトも全て問題なく動作しました。Celeron400MHzの貧弱なマシンであったため、ちょっと重くなったのはやむを得ないところ。
 それよりも問題は、画面のデザインや、スタートメニュー、エクスプローラ(マイコンピュータ)の使い心地が変わったことです。デスクトップの画面デザインは早速「Windowsクラシック」に変更したので、まあ何とか見られるものになりました。困ったのは、エクスプローラの操作環境です。妙に派手な配色のアイコンで、表示形式も変わったので落ち着かないことこの上ない。マイコンピュータ内では、メディアの種類によって異なるアイコンが表示されるのですが、うっとおしいですね。登録ユーザーごとにログイン、ログオフする形はWindows2000と同じですが、これまた操作画面がいちいち妙に派手です。昨夜は時間がなかったのでそのままにしておきましたが、従来からの慣れた環境を取り戻すために、徹底してカスタマイズする必要があります。
 エラーメッセージが親切になったとのことですが、メッセージがやたらと長くなったことは確かです。でも「どう対処すればいいのかわからない」点は変わりません。またファイル操作を楽にするためでしょうか、「ファイルとフォルダのタスク」というメニューができました。かえってわかりにくくなったと思うのは私だけでしょうか。
 まあ、短時間使ってみた感想では、現状ではあえてWindowsXPに移行する理由はありません。特にWindows2000を使っているユーザならば、当面はそのままでよいと思います。

 話は変わりますが、次の記事を読んで非常に落胆しています。「ニューヨーク・タイムズ紙とCBSテレビが11日公表した共同世論調査によると、米国民の多くがテロ事件の捜査に関し、政府の権限強化に理解を示す一方、国民の人権の制限には懸念を抱いていることが分かった。それによると、64%が憲法で保障されている権利を制限する権限を戦時には大統領に与えるべきだと回答。10人中8人近くが米国の安全保障の脅威になるとみなされた外国人の無期限拘束に賛成した。しかし、軍事法廷の設置には51%が反対。自分自身の人権が制限されるのを懸念する人は65%に上り、通常の米国人の電話や電子メールの監視を容認することについては3分の2近くが消極的で、対象が外国人か米国人かで判断が異っている…」
 「非常時に個人の権利を制限するべきかかどうかの判断が、対象が外国人か米国人かで異なる…」というアメリカの世論状況は、「よき移民社会」であったアメリカの終焉を意味するかもしれません。かつてアメリカは、第二次大戦中に私有財産を取り上げて強制収容所に隔離した日系人に対して、政府が公式に謝罪しました。私は、間違いを犯してもそれを認めて謝罪するアメリカという国の「度量の大きさ」が好きでした。でも、今回のテロ事件以降のアメリカの世論の動きには、かなり失望しています。

 北海道では大雪だとのことですが、東京でもここ数日、朝晩の気温が下がってやっと冬らしくなりました。私は冬が嫌いではありません。もっと寒くなれ… 
12/11  共通の体験をベースにした「世代の想い」というのがあります。この「ある世代の持つ共通の想い」は、なかなか別の世代には伝えられません。例えば、激動の太平洋戦争の戦中・戦後を体験した世代は、それを全く体験していない戦後世代に対して、当時の世の中の雰囲気を正確に伝えるのは困難でしょう。また、1960年代〜70年代に青春時代を過ごした人々は、ベトナム戦争や公民権運動で騒然とした世界、ラディカルなミュージックシーンやアートシーンを体験していますが、それを1980年代以降に生まれた若者に伝えるのは困難でしょう。
 でもこうした話は、「古い世代が新しい世代に伝える」というケースで語られることが多いはずです。古い世代の体験を新しい世代に伝えなければならない…という話は、様々な場面で話題になります。そして、自分自身も今の10代の若者に対して、「自分達はこんな体験をしているんだ」という意識を強くもつことがあります。
 でも考えてみれば、逆の状況にもっと思いを馳せるべきかもしれません。現在の10代には10代固有の「時代の体験に基づく想い」があり、それは私たちのようなそれより古い世代にはわからないのではないかと…思うのです。
 これはよく大人が言うところの「若者の気持ちを理解する」という話とは少しニュアンスが違います。「若者の気持ち」という時、それが時代に関係なく「若い世代が持つ大人の世界に対する反抗心や対抗心」を意味する部分が、かなり含まれるように思うのです。私が思うのは、現在の流行の音楽や彼らが毎日食べるファーストフード、そして彼らの世代のコミュニケーション方法など、現在の10代を取り巻く「カルチャー」がもたらす「共通の想い」です。それを、私たち古い世代は理解していません。というか、理解しようと思っても理解することは不可能だと思います。でも、それでは何かまずいかもしれない、とも思っています。

 人生で最も感受性の強い時期に自分を取り巻くカルチャーから受ける影響は、非常に大きいでしょう。それは自分自身がかつて体験したことです。自分の好みや人格形成に、10代の自分を取り巻くカルチャーが与えた影響は非常に大きいものがあります。
 例えば私はバイクが好きです。確か70年代の始めに中型二輪免許制度ができて、バイク全体が牙をもがれた…という部分があります。でも、私がバイクにあこがれ始めた頃には、まだ周囲を「牙をもがれる前のバイク」がたくさん走っていました。まだ免許がなかった頃、そうした荒々しい、今のように洗練されていないバイクを見てバイクにあこがれました。まだ中学生だった私は、KAWASAKIの「マッハ3」やHONDA「CB750 K0」のようなバイクに乗りたいと思ったのです。そういった頃のバイクは現在のそれとは異なり、馬力や速さが全てだったのです。こうした荒々しいバイクは、その後私がバイクに乗り始めてからも、今よりもうんとたくさん街中を走っていました。安く中古車でいくらでも買えたのです。私は、ともかく「速く走る」「遠くまで走る」ことを目的に、バイクに乗ってきたのです。
 そんな自分の体験から考えると、現在の10代の若者達が渋谷でファッショナブルに「TW200(ティーダブ)」に乗っているのを見ると、「こんなヤツらバイク乗りじゃねぇや」と思ってしまいます。でも、彼らにとってのバイク、彼らにとってのライディングスタイルはまさしく、そうしたものなんだろうし、それを自分とはスタイルが違うから…で片付けてはいけないのでしょう。別に「理解する」のではなく、自分が体験してきたこととの違いをはっきりと認識した上で、彼らのスタイルを素直に認めればいいんですよね。でも難しい…
 今日は何だか、ウダウダとした「オジサンの繰言」になってしまいました。

 私はジンジャー(Segway)に乗ってみたくてたまらないのですが、こんなものを見つけました。韓国製のジンジャーもどきです。
12/10  旅は大好きなのですが、その延長で「空港」が好きです。その匂いや雰囲気も好きですし、中のお店やいろいろな人が働いているのを見るのも好きです。海外旅行時に乗り継ぎの時間が数時間あったりすると、出来る限り空港の中を探検します。空港内のカフェでビールを飲みながら、いろいろな人を観察しているのはすごく楽しいことです。乗り継ぎのトラブルかなんかで長時間待たされることもありますが、ビジネスで急いでいる時でない限り、特に嫌な思いをしたことがありません。半日ぐらいなら十分に空港で楽しむことが出来ますね。
 私の場合、アメリカは仕事でよく出かけるので、JFK、ラガーディア、ニューアーク、ローガン、オヘア、アトランタ、ダラス、ヒューストン、ミネアポリス・セントポール、シアトル・タコマ、サンフランシスコ、ロサンゼルスなどたくさんの空港を体験していますが、そんな中で印象に残っている空港がいくつかあります。
 例えば、シカゴのミッドウェイ空港は国内便専用の小さな空港で、シカゴのダウンタウンから車で20分ぐらいのところにあります。待合室も小さく、発着時刻が手書きで書いてあったりします。飛行機がエプロンに入ってくるのではなく、たいていは滑走路の近くに駐機している飛行機まで待合室からテクテクと歩いて行って、タラップを上がって乗り込みます。このローカル空港から小さな20人乗りぐらいのプロペラ機に乗るのは、すごく楽しいことですね。
 アジアでも小さな空港をいくつか体験していますが、滑走路が未舗装のネパールのボカラ空港なんかは印象に残っています。小さい空港ではないけれど、インドのチェンナイ(マドラス)国際空港では飛行機のトラブルで一晩待たされたことがあって、それでも退屈せずに楽しい夜を過ごしたことを思い出します。
 こんな空港好きの私にとって、非常にお気に入りのサイトがあります。「飛行機・飛行機・飛行機」というサイトは、世界中のローカル空港の写真と、小型航空機の写真が載っています。このサイトを作られた方がどんな理由で、こんなに世界中のローカル空港を体験しているのかは知りませんが、コンテンツを見ていると飛行機で旅に出たくなるサイトです。

 話が全く変わりますが、8MBのADSLサービスが増えてきました。でも、ある雑誌の調査によると現実の平均データ転送速度は3MB弱とのことです。私が使っている1.6MBの東京メタリック通信の場合でも、スループットでは800KB前後ですから、別に不思議な話ではありません。ADSLは距離によって、スループットが変化することは誰でも知っています。いや、そんなことはどうでもいいのですが、1つ気になることがあります。平均で3MBしか出ないサービスを堂々と「ADSL 8Mサービス」というのは、一種の誇大広告だと思いますね。8MBというのは最大速度なわけで、実際に8MB出るケースなんておそらく数%しかないでしょう。だったら、サービス名称には平均速度でも書いておくべきだと思うのですが…。なぜ、8MBサービスという名称に誰も文句を言わないのでしょう?
 ところでADSLといえばReach DSL は、けっこう気になる技術です。Yahoo!BBでもサービスを始めたようですね。

 今日の画像は回転寿司店の看板です(Cheez!SPYZで撮影)。でも、こうした夜景は、さすがにSPYZでは無理があります。うまく写すのは難しいですね。
 そういえば昨日はちょっと用事があって渋谷を歩いていたのですが、デジカメではなく銀塩カメラを持っている若い女性がたくさん目につきますね。それも一眼レフを持っている女性を何人も見ました。ここ数年、若い女性を中心としたカメラブームとか言いますが、こうした一眼レフを持った女性というのは単なる趣味なのでしょうか、それとも写真専門学校にでも通っているのでしょうか。いずれにしても、センスのよいファッションをした女性が使い込んだ一眼レフを持っているのって、けっこうカッコイイと思います。
12/8  居酒屋のメニューに「エイヒレ」ってのがありますよね。あれ、私ははじめて食べたのが5〜6年前なんです。っていうか、私はいわゆる「チェーン店系の居酒屋」に時々行くようになったのが5〜6年前からで、それまでは「エイヒレ」という食べ物があることを知りませんでした。
 で、エイヒレという食べ物は、飴色でねっとりした食感の「焼いた干物」です。私はこのエイヒレを「エイのヒレ」だと思っていました。海の中を泳ぐあのエイのヒレですね。

 ところが、今日私は衝撃的な事実を知りました。エイヒレというのは「エイのヒレ」ではなく「エイヒレ」という生き物がいて、その干物だというのです。

 「エイヒレ」は「Ahiray」と書きます。オーストラリアの北岸から東シナ海の水深150〜200mあたりに広く棲息する無脊椎動物です。一応、写真を挙げておきます。なにか、魚のような魚じゃないような、不思議な動物ですね。
 このAhirayをオーストラリアの原住民であるアボリジニは「エイヒレイ」と発音しており、これが日本で「エイヒレ」と呼ばれる理由です。

 このエイヒレの干物は、中国やベトナムから大量に輸入されており、それを軽く火で炙ったものが日本の居酒屋の定番メニューになったわけですね。

 いや、居酒屋のエイヒレを「エイのヒレ」だと思っていた方は、私以外にもいるのではないでしょうか。いや、世の中には知らないことってありますよね。 
12/7  パソコンの高性能化と低価格化が進むにつれて、パソコンに関する物欲が無くなりつつあります。現在メインで使っているマシンはCeleron700MHz、メモリ256MB、ビデオがG400、HDDが40GB、×8書き込みのCD-Rを搭載する815マザーのPC…という平凡なスペックのもので、現在の「原稿書き+いろいろ(デジカメ画像のレタッチ・整理、Webメンテナンスetc.)」という使い方の範囲では、全く過不足のない性能だと思っています。アプリケーションは原稿書き用のMicrosoft Word2000とテキストエディター、画像レタッチ用のPaint Shop Pro等を使う程度なので、700MHz以上のCPUは要りません。3Dゲームもやらないので、ビデオカードなんか、古いG400で十分です。
 既にPentium4は2GHzというクロックに達しています。Athlonの方もXP1800は、3D描画性能ではPentium4 2GHzを上回ります。ビデオカードもGeForce3 Ti500なんてすごいのがあります。でも、そんな高クロックのCPUや高性能ビデオチップを活かすような、グラフィックス・アプリケーションを使わないのですから、全く不要なのです。DVD-RAMも低価格化が進んでいますが、いまのところ4.7GBなんて使い途がなく、メディアが安いCD-Rで十分です。
 また、比較的高いハードウェアスペックを必要とするWindowsXPが登場しましたが、仕事ではやむなく使う場面もあるでしょうが、個人的な作業環境では全く不要です。現在オフィスのマシンはWindowsMe、自宅のマシンではWindows2000を使ってますが、これをXPに変更する予定は、当面はありません。
 ノートPCも同じです。基本的な使い途は、出張先で原稿を書くこと、メールを読み書きすること、Webにアクセスすること…だけですから、現在使っているCeleron400MHzのB5ノートで全く問題はありません。

 こうしてパソコンに関する物欲がなくなってくると、何だか自分が年をとったような、時代から取り残されていくような気がしないでもありません。と言うのも、ホンの2〜3年前までは、最新の性能を持つPCに常に飢えている状態で、ひっきりなしにパソコンを買ったり自作したりしていました。HDD BENCHの結果に一喜一憂して、新しいPCの数値が高いと、それだけでうれしかったのです。ところが、最近は仕事でAthlon1800XPを搭載したマシンやPentium4の2GHzを搭載したマシンをテストしても、特に欲しいと思わなくなりました。
 結局は、パソコンで新しいアプリケーションに挑戦しなくなったということでしょう。というよりも、仕事でも趣味でもパソコンの利用形態が限られてきているわけです。これは、単に私自身に覇気がなくなったというだけではないようです。
 ブロードバンド時代とか、パソコンで動画編集を行う時代とか言っても、現実的には膨大なパソコンの演算処理能力、グラフィックス描画能力を使うアプリケーションは非常に限定されています。確かにDV動画の編集を行ったり、3DCGの描画を行うなどする場合には有効でも、そうしたことをやる意味も趣味もない人が圧倒的に多いはずです。動作撮影やWeb上で動画を見ることを楽しんでいる私自身、マシンに負荷がかからないMPEG-4動画が専門なので、パソコンには高い処理能力は不要です。  まあ、現在の自分を取り巻く状況を見る限り、Pentium4の2GHzマシンを必要とするのは、かなり先のことになりそうです。

 今日の画像は、街中で見つけた「WindowsXP」のキャンペーン広告です(Cheez!SPYZで撮影)。
 そういえば、SPYZで写真を撮る時には、なぜか滅多に縦位置のフレーミングを使いませんねぇ。個人的には縦位置をよく使う方なんですが、どうもCheezの形状は縦位置が撮りにくいようです。
 テロ事件の影響で予定していた海外旅行を取りやめたのですが、もう半年も海外に出ていないので、だんだんストレスが溜まってきました。仕事でも遊びでもよいのですが、一定期間ごとに日本を出ないと、どうもスッキリしません。そんんわけで、来年早々にでもどこかへいくつもりです。どこに行くにしても出発の1週間前ぐらいに手配するわけですから、行き先はこれから考えることにします。  
12/6  今日は、珍しく「時事ネタ」です。
 「サッチー、脱税で逮捕される!」…昨夜からこのニュースばかりです。天下の国営放送NHKでも再三ニュースを流していますし、今朝の朝日新聞なんか1面に大きく記事がありました。不愉快だなぁ…って、脱税したことが不愉快なのではなく、こんなニュースを執拗に流しているマスメディアが不快なのです。
 しかし、野村ナニガシが2億円脱税したことが、何故こんな大きなニュースになるのでしょうか? マスメディアには、もっと取材すべき対象、もっと放送すべきニュースがあるんじゃないですか? 2億円の脱税は、そりゃ悪い事です。納税は国民の義務です。でも、もともとは個人が自分の才覚で稼いだお金じゃないですか? 例えば、それよりも「公金=他人の税金」を泥棒のように盗んで好きなようにに使いまくってる外務官僚を、もっときちんと叩くべきでしょう。彼らのやってることは、公金横領だか詐欺罪だか窃盗罪だか知らないけれど、個人で稼いだお金を脱税するより、他人の税金を盗む方がはるかに大きな“犯罪”のはずです。でも、なぜ外務官僚をまとめて刑務所に送らないんでしょう? 不思議です。

 国会議員の給与・歳費の削減と永年勤続表彰の廃止など、国会改革が論議されています。給与や歳費削減は当然だと思いますが、それよりも永年勤続表彰ってやつは馬鹿げてますね。国会に25年以上在職し、永年勤続議員表彰の対象となった議員には、月額30万円の特別交通費が支給されています。さらに肖像画を作製して院内に掲額することができ、その作製費として100万円が国会予算から支出されています。さらに、勤続50年以上の国会議員には憲政功労年金として年間500万円の功労年金が支給されています。額縁入りの肖像画…って、アホらしいなぁ。
 第一、国会議員って何が偉いのかよくわかりません(偉くないから当たり前か…)。私は、代議員制度そのものには賛成です。日本のような「右へ倣え」の国では、国民投票をやった方がかえって世論が1つの方向に流れて危険な感じがします。だから代議員が国会で投票する形は基本的に賛成なのですが、その代議員を選挙で選ぶのをやめたらどうでしょうか。アメリカの裁判制度における「陪審員」のように、国会議員を「人種・職業・性別・学歴などに関係無く、市民から無作意に選ぶ」のがよいのではないかと思います。むろん、無報酬が原則ですが、任期を1国会限りにして、拘束時間に対してその人の収入に応じた賃金補償をすればよいと思います。こうして、無作為に選ばれた市民の代表を、正確に地域ごとに人口比で選出していけば、特に問題はないと思うのですが…。選挙によって確実にまともな人物が選ばれているとも、思えませんから…。

 代議員制度の話が出ましたが、本音を言うと、私は代議員制度ってのに対しても疑問を感じています。国民投票よりはマシって思うけど、多数決でものを決める民主主義それ自体が正しいかどうかよくわからない。誰かモノがよくわかっている人間が1人で決めればいいと思うんだけど、“多数決を否定する民主主義”ってものが成り立つのかどうか、それもよくわからないですね。「民主主義」ってあんまり好きな言葉じゃないです。

 さて、今日の画像はオープンカフェでカフェオレを飲む女性です(Cheez!SPYZで撮影)。
 ところで、このサイトの管理アドレス宛に時々メールを頂きますが、最近「WS30EXの発売日はいつですか?」という質問を何通か頂きました。私にWS30EXの発売日を聞かれても困るのですが…(笑)、どうもこのサイトの名前が「WS30の世界」なので、何かメーカーと関係でもあるのかと思われているのかもしれません。むろん、メーカーとは無関係です。だからダメなところはダメとはっきり書いているつもりです。…というわけで、WS30EXの発売日は知りません(笑)。 
12/5  デジカメ好きの皆さんは、女性の水着の写真や裸の写真を撮影したことがありますか? 当然ですが私はあります。どんなシチュエーションで誰を撮影したかについて詳しく書くつもりはありませんが、ともかくいろいろな人物をいろいろなシチュエーションで撮影しました。
 私は、以前から書いているように人物を撮影するのが好きですし、身近な人物の日常的な振る舞いを撮影するのは楽しいことです。被写体となる人物の中には、当然男性だけではなく女性もいますし、日常的な姿の中には水着や下着、そして裸もあります。むろん、男性の裸を撮影したこともあるわけです(笑)。
 でも、Web上の個人デジカメサイトってのは、それが「真面目なサイト」と認知されている場合、ヌード写真が掲載されている例はほとんどありません。例えば、アダルト系じゃない普通の個人デジカメサイトによくある「画像掲示板」には、なんとなく裸の女性の画像をアップするのがためらわれる雰囲気があります。
 逆に女性の裸や下着姿ばかりがアップされている画像掲示板ってのもありますが、それらはみな、アダルト系コンテンツを目的にしたサイトばかりです。「芸術」か「アダルト」かという二者択一ではなく、日常的なの撮影行為の延長として、ごく自然に風景画像も女性の裸も掲載できるような、そんなサイトはできないものでしょうか?
 画像掲示板に恋人の水着写真をアップして、それを見た仲間から「いいプロポーションですね」とかコメントをもらうのって悪くないじゃないですか? でも、日常的な撮影行為の延長としての風景画像と女性の裸が、ごく自然に混在するサイトってのは、実際に運営するのはなかなか難しそうですね。

 「鼻先から尾の付け根までがわずか16ミリ、小さなコインや親指の先に乗るほどの世界最小のトカゲの仲間を、米ペンシルベニア州立大とプエルトリコ大の研究者が、このほどカリブ海のドミニカ共和国の島で発見した=写真。」
 私は特に爬虫類好きではありませんが、これ欲しいなぁ。

 TVで「小泉内閣に何を望むか」という特集をやっていました。街頭インタビューを見ていたら「景気をよくして欲しい」と答える人が非常に多いのです。この番組でのコメントに限らず、政府に「景気対策」を望む声は非常に多いわけで、これはとりもなおさず「景気というものは政策によって変動する」ということですね。それは確かです。
 でも、私のようにな個人事業者を長くやっていると、「会社の状態がよくないから、政府に景気をよくしてもらおう」というふうにはあまり考えません。自分で何とかする…ってのが基本です。もし日本での会社経営がどうしてもダメなら、どこか別の国で仕事やってもいいわけだし…。そういえば、会社の近所の小さな餃子屋さんは、ハルピン出身の中国人がやっています。1年ほど前にハルピンから来日して、少ない資本で始めたそうですが、こういう「国境を越えたバイタリティ」って見習いたいですね。

 今日は多忙で、デジカメで画像を撮っていません。というわけで、画像はありません。 
12/4  400万画素機にしては小さいってところが非常によいと思い、オリンパスの「C-40」が欲しいと思っていました。それで先週末に家電量販店でC--40の実物を手にとってみたのですが、購入する気がなくなりました。つまり、質感というか、雰囲気がなんとなく合わなかったのです。デザインが悪いっていうのじゃなく、なんとなく手に持ってしっくりこなかったわけです。こういうことってありますよね。
 デジカメの質感というと、最近はペラペラした感じのプラスチックっぽいものが増えました。
FinePixの201とか301とかの廉価版シリーズなんかそうですね。逆に妙に」メタルっぽいイメージを強調した製品もあります。IXYから始まって、RevioやFineCam、そしてLUMIXのDFC-F7なんてのもそうです。DFC-F7のデザインは、このメタルっぽいソリッドな存在感を強調するあまり、“行き過ぎ”た感じがします。
 あと、前から言っているように、グリップに対する配慮がないデザインが多いのも気になります。  こうして見ると、デジカメのデザインはまだまだ過渡期にあります。同じカメラでも銀塩コンパクトの方が、デザイン的には成熟したものが多いようです。

 ところで、デジカメの新製品でコニカ「デジタル現場監督 DG-2」が発表されました。別に買おうって気はないのですが、「工事現場用カメラ」のデジタル化が着々と進んでいるそうです。工事写真の記録撮影用途に関しては、数年前に聞いた話では、国内の全DPE枚数の約7〜8%を占めるほど膨大な需要があるそうです。国土交通省が「デジタル写真管理情報基準」案を出しているので、今後デジタル化は一気に加速するでしょう。

 現場監督といえば、コニカの銀塩コンパクトの「現場監督」の初代機を持っています。もう15年ぐらい前に買ったもので、ツーリングや登山によく持っていきました。単焦点のカメラですが、ともかく手持ちのコンパクトカメラの中では、今でも最もきれいに撮れるカメラの1つです。この手のカメラにしては描写力バツグンの非常に切れ味がいいレンズを搭載しているってこともありますが、適当な大きさと重さがあるため手ブレしないのです。同じコニカのBIG MINIという小さなカメラも持っていますが、確実に良い写真が撮れるということなら、「現場監督」の方が上ですね。小さいカメラが好きな私ですが、確実に良い写真を撮るためにはある程度大きいカメラの方がいいってことを、初代「現場監督」が教えてくれました。

 今日は、なんとなくとりとめのない話ですね。まぁ、天気も悪いし、マターリ行きましょう。

 今日の画像は、新宿の南口、高島屋前から見上げるNTTドコモのビルです(CheezSPYZで撮影)。ちょっとニューヨークのクライスラービルに似ているところが気に入ってます。
 それにしてもCheezSPYZは、夕陽に映えるドコモビルを見事に描写していますね。この小さなCMOSカメラでここまで撮れると、何だか痛快ですね。このカメラが売れるのもわかる気がします。
 こうなると、CheezSPYZでフラッシュメモリ搭載バージョンが欲しいですね。値段が1万円を超えてもいいから、電源OFFでもメモリが消えず、撮影枚数が3倍くらいの上位機種が欲しいなぁ。 
12/3  昨日は新宿の街を歩いていましたが、街はクリスマスの飾りで華やかに彩られ、人もいっぱいでした。新宿という街には不思議な魅力があります。新宿を題材にした小説が多いのもそのせいでしょう。大沢在昌「新宿鮫シリーズ」や馳星周「不夜城シリーズ」はよく知られていますが、最近私は、西村健の「脱出」「突破」「ビンゴ」と続く「オダケン・シリーズ」がお気に入りです。なんといっても、オダケンのハチャメチャぶりはすさまじい。ビンゴのヤクザとの戦いぶりは、まるで映画「コマンドー」である。バズーカはぶっ放すし、マシンガンを両手に1丁ずつもって、軍隊並のヤクザの大群と渡り合う。今までの日本のハードボイルドには無かった「荒唐無稽タイプ」の作風で、けっこういけると思います。

 ジョージ・P・ぺレケーノスの新シリーズが刊行されました。「曇りなき正義」です。ニック・ステファノス、ピート・カラスなどワシントンのギリシャ移民社会を描いた前シリーズがあまりにもよかったので、期待半分、不安半分で読んでみたけど、これがまあ絶品でした。
 黒人差別というミステリーにはちょっと重いテーマに対して、正面切ってぶつかっています。カッコイイ主人公の黒人探偵はともかく、コンビを組む元白人警官の心の動きが上手く描写されています。自分が「差別」していることを知っていながら、人間らしくあろうとする生き様が、実に自然です。しかし、ぺレケーノスという作家は、トマス・クックらと並んでミステリーを「小説」の域に高めた功労者ですね。

 ジョージ・ハリスンが死去しました。私はビートルズって全く興味がなかったので、あまりピンときません。同じ時代のロックミュージシャンなら、ツェッペリンやクリームなど好きなグループが山ほどあるのに、ビートルズの音楽は何も感じない。まだ、同時代のストーンズの方がピンと来るものがあります。結局、私にとってのビートルズは「ロック」ではなく「ポップス」なんですね。  で、実は解散以後のビートルズは本格的に嫌いになりました。特にジョン・レノンが嫌いですね。イマジンとかマザーとか「愛と平和」を臆面もなく歌われると、生理的に虫酸が走ります。何を偉そうに…って感じかなぁ。
 ま、ガンジス川に遺骨を撒くというジョージ・ハリスンには冥福を祈っておきます。

 また本の話になりますが、「立花隆先生、かなりヘンですよ −教養のない東大生からの挑戦状」という本はかなり気に入りました。立花隆って人は頭は悪くないとは思います。でも、オカルト的な部分とか、妙な論理の飛躍とか、いわゆる「危ない部分」があることは、かなり以前から気になっていました。この本はかなり明快に、そうした部分を明るみに出しています。立花隆という名前は、それ自体がブランド化していますよね。なんと言うか「知のブランド」です。筑紫哲也なんかが、立花隆ブランド化の張本人の1人でしょう。まあ、彼への個人的評価はともかく、この本に対する彼の反論が非常に楽しみです。論理的な反論を期待します。

 しかし、あの「ジンジャー」がただの電動スクーターだったとは…。なんか、ドクター中松の推測通りだったじゃないですか…。  
12/1  携帯電話端末へのカメラ搭載が本格化してきました。これまではJ-PHONE及びTUKA、そしてエッジ端末が中心でしたが、ドコモがFOMAに、そしてauも新動画サービス端末への搭載を進めています。
 最初に携帯電話用カメラが登場したとき、多くの人がキワモノ扱いをしました。あんな画像ではカメラとは言えない…というのが一般的な評価でした。しかしJ-PHONEユーザーを中心に「携帯電話でカメラ」は、遊び方が定着しつつあります。画像が小さくても、画質が低くても、やっぱり「写真を撮る」ことは面白いことなのでしょう。私も、J-PHONEのカメラ付き端末や、エッジのTorevaを時々使いますが、けっこう楽しいですね。
 携帯電話へのカメラ搭載の一般化と、携帯電話で撮影するという行為の定着を見ていると、デジカメを機能と画質だけで判断することのバカバカしさを、あらためて強く感じます。写真は「撮ってナンボ」のものです。いつも身近にカメラを持ち歩いていれば、10万画素程度のカメラであっても、画像を撮影することの楽しさを感じることができるはずです。

 最近は、携帯電話搭載カメラの高画質化への試みが進んでいます。現在は10万画素程度のCMOSが中心ですが、三洋電機はCMOSではなくCCDの搭載を提唱しています。既に、携帯電話用の1/7インチ、11万画素のCCDカメラモジュールを製品化しています。CMOSと比較して消費電力とユニット体積でのハンディはありますが、感度が一気に6〜7倍にアップする上、高画質化も実現します。感度がアップすると「盗撮」に使うヤツが増えそうですね。
 また、既に携帯電話用ストロボも商品化されている他、メモリカード搭載型携帯電話端末もまもなく発売されることから、いよいよ携帯電話が「デジカメ」のライバルとして浮上してきそうです。
 私も、当然ながら毎日携帯電話を持ち歩いています。もし、携帯電話にそこそこ写る(CheezSPYZ程度)デジカメが搭載されるようになったら、もうSPYZやWS30などの小型デジカメを持ち歩くのをやめるかもしれません。

 今日の画像は、オフィスの近くのサイゼリアのドリンクバーで、エスプレッソを淹れているところです(CheezSPYZで撮影)。
 SPYZは暗いところでは、近距離の画像がうまく撮れませんね。これって絞りが開くから、被写界深度が浅くなるってことでしょうか? でも、CheezSPYZの絞りって可変じゃないですよね。じゃあ手ブレか……って、これは独り言でした。 
11/30  Cheez! SPYSはとても快調に売れているようです。「小さい、大人が持てるデザイン、そこそこの画質」という商品コンセプトが、市場で大きな支持を受けたということでしょう。9月以降は、東京と大阪にある何軒かの大手家電量販店のデジカメ販売ランキングで、必ず上位に顔を出しています。10月は販売台数トップになっているところもありました。むろん、単価が安い商品ですから販売金額ベースでは上位機種の何分の一かいしかならないでしょう。でも、いまやCheez! SPYSは完全にベストセラーデジカメです。
 ところで今年の春から夏にかけては、同じようにデジカメ販売台数ランキングの上位に、必ずWS30が入っていました。こうして見ると、Cheez! SPYSやWS30のようなトイデジカメは、相当広範囲に普及しているはずですし、本格的な上位デジカメを所有せずに、こうしたトイデジカメだけを持っているユーザーの数も相当に多いはずです。根拠のない推定ですが、トイデジカメだけでデジカメライフを楽しんでいるユーザーは、全デジカメユーザーの20~30%ぐらいに上るかもしれません。このサイトでも、はじめてのデジカメがCheez! SPYSというユーザーの方が何人もおられます。

 さて、こういう状況になると「トイデジカメで上手く写真を撮影するためのノウハウ」のようなものが、もっと広範囲に知られててもよいと思います。昨今デジカメ関連のムックや単行本がかなりたくさん発刊されていますし、パソコン雑誌はどれも毎号のようにデジカメの特集を組みます。どちらにしても「デジカメ写真撮影のノウハウ」といった記事は、世の中にあふれています。
 でも、こうしたデジカメ撮影のノウハウというのはあくまで中級機以上のデジカメを対象としたもの。「液晶モニタのないカメラでマクロ撮影時のパララックスをどうするか」とか、「ストロボのないデジカメで暗い場所を撮影する方法」とか、「小さくて軽いカメラの手ブレを抑える方法」とか…、こんな話はどこにも書いてありません。また、トイデジカメ固有のダイナミックレンジの低さを指摘したうえで、「明暗の差が大きい被写体への対処法」なんて話も欲しいところですね。
 要は、ここまでトイデジカメが普及し、しかも上級デジカメや銀塩カメラによる撮影ノウハウを持たない多くの人たちが楽しんでいるわけですから、こうしたユーザ層のい役立つノウハウ本なり、ノウハウ紹介記事なんかがあってもよいのでは…と思うのです。サイト内のあちこちで書いたとおり、本来は「トイデジカメの方がよい写真を撮るのは難しく、ある意味でトイデジカメは上級者向き」といった部分もあるのです。
 トイデジカメユーザーに、もっと多彩な写真撮影の楽しみが伝わるとよいのですが…

 さて、今日の画像は渋谷西武百貨店の靴売り場です(CheezSPYSで撮影)。何でも、ここは日本一の売上を誇る靴売り場だそうで、広大な地下フロアの全部が靴で埋まっています。ただし、基本的には女性用の靴しか売っていません。
 靴が好きだって話は前にも書きましたが、男性用の靴屋でこうした「何でも揃う」という大きな売り場はあまりみかけません。デパートなんかでも女性用靴売り場が広大な面積であるのに対し、男性用の靴売り場は新服売り場の隅にあったりします。不満ですねぇ。だから私は欲しい靴があると、けっこうあちこち捜し歩くことが多い。世界中のありとあらゆる靴が買えるお店があったらいいのになぁ。  
11/29  トップページのデザインを変更しました。というのも、見知らぬ方からメールを頂き、Navigatorではうまく表示されない…との指摘を受けたからです。以前から承知していた事実ですが、Netscapeのユーザーも減ったことだし、まあいいか、なんて思っていたのです。
 私はWebデザインが得意ではありません。私のオフィスではWebコンテンツの制作を受託していますが、私個人は全くの素人です。素人ながらに、Webデザインにはけっこう苦労します。まずExplorerとNavigatorでは、既に使えるタグに大きな違いがあります。両方で完全に同一の表示をさせるのは不可能に近い。また同じExplorerでも、バージョンによって大きな違いがあります。さらに私は、スタイルシートを使うのが嫌いだし、ダイナミックHTMLなんかも絶対に使いたくありません。自分自身はブラウザでJavaをoffにしているので、Javaなんて使いたくありません。フラッシュも嫌です。要するにシンプルなサイトを作りたいのです。あと、フレームも嫌いです。
 シンプルなサイトで、しかも見栄えのよいサイトを素人が作るのは、やはり難しいですね。HTMLを書き換えるのに、1時間近くもかかってしまいました。
 いずれにしても今回のデザインは暫定的なものです。また近々きちんと変更するつもりです。
 …なーんて、このサイトのデザインなんか誰も気にしてないでしょうけど(笑)。要は自己満足の問題です。

 さて、今日の画像は近所の焼肉店の看板です(CheezSPYZで撮影)。暗い場所で通りすがりに撮影したので、ボケてるのとフレームに入っていないのはご容赦ください。「焼肉フランス人」というお店の新メニュー、「米国人カルビ」ですって…。ちょっと笑っちゃいました(読めないかも)。  
11/28  いやぁ本音の話、デジカメの話題には飽きてきました。デジカメについて考えれば考えるほど…、というほどデジカメについて考えたことはありませんが、結局のところ「デジカメなんて好きなもの買えばいいじゃん」とか「デジカメの画質がどうのこうのなんてどうでもいいじゃん」という言葉しか出てきません。まあ、1つだけやりたいことがあって、それは「デジカメの落下テスト」ですね。持ってるデジカメを全部、だんだんに高い場所から床に落下させ、何センチの高さで致命的に壊れるか…というテスト、これはまだ誰もやったことがないのではと思います。
 つまり私は、それほどデジカメという存在に対して愛着を持っていないのかも知れません。むろん、「写真を撮る」という行為も「撮った写真」も好きです。考えてみると、私自身は写真を撮ることに意味を感じているのであって、写真を撮る道具としてのデジカメに対しては、それほど深い思い入れがないのでしょう。いや「モノ」は好きです。クルマもバイクもデジカメも好きです。デジカメは面白い道具だとは思います。でも例えば趣味のハードウェアとしてデジカメとバイクを比較すると、デジカメにはバイクほどの人間臭さというか、モノの背景にライフスタイルまで含むような深みはない感じがしますね(バイクとデジカメを比較するなんてムチャクチャですね)。

 さて、当たり前の話ですがデジカメは「カメラ」です。カメラというのは、「視覚イメージを記録する道具」として、人類史に比類の無い貢献をしたツールです。そういう視点で見た場合の「カメラ」という存在には興味があります。でもこの場合、一定レベルでの写実的な記録性能を満たすのなら、多少のスペックの違いはカメラの本質とは無関係です。私が銀塩カメラよりも圧倒的にデジカメを使うようになった理由は、便利だからです。いちいちDPEに出す必要はないし、撮影画像はパソコンのハードディスクに放り込んでおけばいい。それで、見たいときに見ることができます。つまるところ、写真が好きということとデジカメが好きということは、特に関連を持たないとも言えます。

 デジカメよりも撮影した「写真」に思い入れがあるというのなら、フォトアルバムサイトを作ればよいのですが、ここにもネックがあります。例えば、私は日常生活の中で人物を撮影することがもっとも多いのですが、これを片っ端から掲載するわけにはいきません。彼女と2人でいる時の画像なんて、全部公開したらマズイことになっちゃいます(笑)。
 まあ、そんな理由で「差し障りのない画像」を公開するわけですが、そうするとありきたりのスナップ写真とか旅行記風の写真ばかりになっちゃいますよね。これって、面白くないなぁ。旅行先で撮影した写真だって、彼女と一緒の旅行だったら公開できない写真の方が多かったりします。

 さて、デジカメサイトなのにデジカメをないがしろにするような文を書いていますね。われながら呆れるところです。でも、表現の場としてのWebサイトに対する興味は失っていません。そこで、サイト名を変更しようかなんて考えています。題して「暴走するデジカメサイト」。暴走というのは、自分の考え方の話です。私は時々、自分の頭で考えていることが勝手に暴走して、思考が自己増殖する傾向にあります。一種の狂人かもしれません(笑)。
 ハハッ…今日も意味不明の日記でした。

 今日の画像は、居酒屋で石狩鍋を食べているところです(CheezSPYZで撮影)。今年の「初鍋」でした。別に鍋物が好きなわけではないんですけど…。
 ところで、「ワンギリ」とか「ワンコ」とか呼ばれる携帯電話への迷惑通話が問題になってますよね。ホントに良くこんなことを考えますよね。この「ワンギリ」という形で詐欺的商法ができることを最初に考えたヤツは、ある意味で偉いですね。 
11/27  前にも書いたことがありますが、私が本格的に仕事にパソコンを使い出したのは1980年代の後半、PC-9800以降ですが、1980年代の始め頃にはいろんなパソコンを購入して遊んでいました。当時購入したパソコンが懐かしくて、自宅のクローゼットの中を探していたら、「HC-20」という携帯パソコンが出てきたのです。で、友人に昔のパソコンを持っているかと尋ねたら、以下の5種類のパソコンが集まりました。

信州精機「HC-20」…1981年に信州精機(後のエプソン)から発売された、ハンドヘルドコンピュータです。外部記憶装置としてマイクロカセットレコーダーを一体化していました。この1981年という年は、シャープの「MZ-80B」や富士通「FM-8」が発売されたことでも記憶しています。
ソード「M5」…1982年に発売された、Z80A搭載機です。基本的にはゲーム機でしたが、森尾由美がTV CFで「夢、かなえてあげる」と言っていたのを思い出します。
カシオ「FP1000」…1982年に発売されたカシオの低価格ビジネス機です。カシオ独自の C82 BASICを採用していました。
トミー「ぴゅう太」…これも1982年に発売されたものですが、なんと16ビット機でした。日本語BASICを採用していました。
キヤノン「X-07」…1984年に発売されたキヤノンのミニパソコンです。オプションで赤外線を使ったワイヤレス通信ユニットがありました。

 もうちょっと周囲の人間に声をかけて、古いパソコンを集めてみようかなんて思っています。MSXパソコンなんか10種類ぐらいは集まりそうです。「パソコン博物館」でも作ったら面白いかも…。

 今日の画像は、朝のマクドナルド店内です(CheezSPYSで撮影)。バーガーショップにはめったに行きませんが、今朝はたまたまコーヒーを飲みました。
 このマクドナルドの真向かいには以前はバーガーキングがあったのですが、半年ほど前に撤退しちゃいましたね。もう65円バーガーにはどこも対抗できないようで、このままではバーガーショップはマクドナルドだけになってしまいそうです。個人的には、バーガーキングの方が内装がアメリカっぽくて好きだったのですが…。 
11/26  アイデンティティとかレーゾンデートルとかいう言葉がありますね。まあ、どっちもなんとなく理屈っぽい感じで好きな言葉ではありませんが…。いずれにしても、人間は社会的な動物ですから、社会における自分の存在意義みたいなものを考えたくなります。
 世の中には2つのタイプの人間がいると思います。1つは自分の存在意義を自分自身に求める人間、もう1つは自分の存在意義を自分が所属している集団やコミュニティに求める人間です。後者で言うところのコミュニティには、家族、地域社会、学校、会社など、様々なものがあります。
 自分が所属しているコミュニティや集団に自己の存在の証を求める人間は、同じ価値観を持つ人間の存在にこだわりを持ちます。同じ価値観を持つ集団の中で生きていくことが、心地よいというか安心できるタイプでしょう。それに較べて、自分の存在意義を自分自身に求める人間、すなわち自分自身のあり方を社会と切り離して考える人間は、他人との価値観の差を気にしません。
 私は後者なので、他人の価値観に興味がないし、他人との価値観の違いなんて考えたことがありません。周囲の人間が異なる価値観を持っていた方が落ち着きます。同じ価値観をもつ集団の中にいると落ち着くどころか、かえって落ち着かないですね。みんなが同じことを考えている集団というのは、その個性単位が大きかろうが小さかろうが、かえって気持ちが悪いのです。それは家族であっても、会社であっても、国家という大きな単位であろうと同じです。

 話は飛びますが、「フランス兄弟社」という、割とお気に入りのサイトがあります。要するに「フランス人にあこがれているがフランス人にはなれない人」のためのサイトです。で、アメリカという国が好きな私は「アメリカ兄弟社」を作りたいと大真面目で考えているわけです。
 アメリカが好き、アメリカ人になりたい…ってのも、考えてみれば実にミーハーな話ですね。私はアメリカに住んでいたことがありますし、アメリカのグリーンカードを取得するのは別に不可能な話ではなく(抽選もありますよね)、移民社会であるアメリカ人ってのはなろうと思えば誰でもなれるって部分があります。でも、仕事とか家族を含む様々なしがらみとか考えると、そう簡単にアメリカ人になるわけにもいかず、今日に至っているわけです。だから、「フランス人になりたいけどなれない人」が集まる「フランス兄弟社」のメンタリティはよく理解できるのです

 アメリカという国が好きな理由はいちいち挙げるとキリがありませんが、ひとことで言うと「日本的ではないから」というのが最大の理由です。じゃどこが日本的ではないのかと言えば、これまたひとことで言うと「多様性」という言葉につきます。
 日本に暮らして○○年、私はこの国を「多様性に欠ける」国だと考えています。まず日本という国に住んでいる人全体に価値観の差が小さい。学校、会社、家族などいろいろな社会構成単位で見ても、それぞれ価値観が良く似た人の集まりであることが多いですね。私は同じ価値観を持つ人が、互いの価値観に基づく規範に準じて生活する…こういう感覚が、すごく苦手です。でも、日本という国はわりとこの「共通の価値観基づく規範」に準じて生活することえを強いられる部分があります。いや、別に規範から外れてもいいのだけれど、そうすると広範な社会性を保つのが難しいじゃないですか。加えて、個人の趣味・嗜好からファッションにいたるまで、右へ倣えって感じの人が多い。サラリーマンの格好は見事に同じだし、渋谷を歩いている若い世代のファッションも、みんなよく似ています。J-POPなんか、見事に同じ傾向の曲ばかりが流行る。ともかく、そんなこんなで日本という国があまり好きではないわけです。
 こういう言い方をすると「あんたは日本が好きではないのか?」とか言われそうですし、昨今流行の「ゴー宣」読者の方からは「非国民」と言われそうですね。でもはっきりと書いておきましょう。「ハイ、私は日本という国が好きではありません。日本という国に生まれた事を誇りに思っていません」

 さらに私は、日本もなにも、国や郷土を愛する気持ちなんてものはこれっぽちもないのです。おそらく私は、地球上のどこの国に生まれていても、国や郷土を愛する気持ちなんて持たなかったでしょう。第一、何故「自分の生まれた国に誇りを持たなければいけない」のでしょうか?私が日本という国に生まれ、日本という国の国籍を持つに至ったのは、ある意味で全くの偶然です。私は、自分の意志で日本に生まれたわけではありません。両親がたまたま日本に住んでいただけの話です。私は「国」という抽象的な概念に対して愛や誇りを持つことができません。そして実体としての「国」(権力構造とでも統治機構とでもどう捉えてもらっても構わないのですが…)に対しても、別に愛や誇りを持つことができません。
 むろん、日本という国の気候風土や食べ物、四季の風景、そして一部の日本文化(特に日本語文化)については、人一倍愛しています。それが日本に住んでいる、主たる理由です。だから日本という国に誇りをもてないヤツは、どっかの国に出て行け…と言われても困るのです(そんなこと言われる筋合いはないですが…)。ともかく、風土も食べ物も大好きなのですから。でも、総じて日本人のメンタリティは好きではありません。これって普通じゃないんでしょうか?

 はてさて、アメリカという国の持つ「多様性」が好きだと書きましたが、9月11日の同時テロ事件以降、そのアメリカのアメリカたる所以である「多様性」が危機に瀕しているようです。アメリカは、テロ報復に反対する声を上げにくくなっているようですね。特にマスコミの変更ぶりが目につきます。そんな中でも、各地で報復戦争反対のデモが行われたり、バークレー市議会がアフガニスタン攻撃反対の決議をしたり、「健全な多様性」はかろうじて維持されているというところでしょうか…。私の好きな「多様性を持つ社会」が、また1つ地球上からなくならないように、切に祈ります。

 きょうもまた、長〜い「素面の戯言」でした。ここをデジカメサイトだと思っている人は、間違っても読まないで下さい(笑)。

 さて、今日の画像は「池袋のファミレスの2F席の窓から見た光景」です(CheezSPYSで撮影)。特に意味のある画像ではありません(笑)。一頃紛失していたCheezSPYSがデイパックのポケットの隅から出てきたので、また毎日持ち歩いています。

 ところで、話は変わってハギワラシスコムからコンパクトフラッシュ型スマートメディアアダプタ「HPC-CSA01」が発売されました。これいいですね。  
11/24  私は、高校時代までを名古屋で過ごしました。そして母の実家は三重県です。そんなわけで、中部地方から関西地方の一部については、かなり土地鑑があります。バイクに乗っていたこともあって、愛知、岐阜、三重、滋賀、そして長野県の南部あたりは、だいたい日帰りで気軽に遊びに行く圏内であり、高速道路を使えば、京都、奈良、福井、石川県あたりも十分な日帰り圏内でした。
 東京に長く住んでいると、東京というか、東京よりも北に住んでいる人の多くがが中部地方の土地鑑がないことに驚かされます。例えば、岐阜県、滋賀県、三重県の位置関係などはよくわからない人が多いわけです。三重県が南北に長い県で、東は愛知県、西は奈良県、北は滋賀県、南は和歌山県に接し、南部は紀伊半島のかなり先端部に近いあたりまであることなどは、あまり具体的にイメージできないようです。同じように岐阜県が海を持たない内陸県で、愛知・三重・福井・石川・富山・長野・滋賀の各県に隣接していること、また穂高岳など北アルプスの3000m峰の多くが岐阜県にも属していることなど、あまり知られていません。北アルプスというと、東京の人はまず長野県を思い浮かべるようです。

 いや、こんな話を書いたのは、逆に中部地方で生まれ育った私は、名古屋に住んでいた当時は、埼玉、群馬、栃木、茨城、千葉といった関東の都道府県の位置関係が全く実感できませんでした。むろん、日本地図を見ているのでおおよその位置関係は頭に入っているものの、茨城県が長い海岸線を持つことや、埼玉県と茨城県が隣接していることなど、このあたりに住んでいる人にとっては当たり前のことが、なんとなく具体的なイメージとして掴めなかったのです。私は今でも関東近辺はなんとなくわからい場所が多い、遊びや仕事で日本中旅行しているにもかかわらず、最も理解していないのが関東圏の地理なのです。
 私は旅行が好きで、東北や北海道、中国・四国や九州にはよく行きますが、関東近辺で行っていないところがすごく多いですね。
 例えば、水郷として有名な「潮来」って行ったことがありません。房総半島の先端の野島崎や、伊豆半島の先端の石廊崎にも行ったことがありません。尾瀬にも志賀高原にも行ったことがありません。考えてみれば富士山にも登ったことがありません。北アルプスや南アルプス、八ヶ岳なんかは大半の山に登ったことがあるのに…。赤城山にも榛名山にも登っていません。筑波山なんか、2〜3年前に初めて行きました。  ともかく、東京に住んでいながら関東地方となると行ったことがない場所がすごく多いのです。来年は、関東の近場をあちこち旅行してみようなんて考えています。

 昨夜は、ちょっとしたパーティがあって遅くまで楽しく騒いでいました(eggyで撮影)。
 インド料理パーティとでもいいましょうか…。本場インド人のシェフが作った何種類ものカレーと、ソムリエが薦める美味しいワインを堪能し、他にカクテル、日本酒などいろいろなお酒をチャンポンで飲んだので、かなりいい気持で帰宅しました。たまにはこんな夜もいいかも。
11/23

 日記特別編   ブロードバンドはどこまで必要なのか? (その2)

    
11/22

 日記特別編   ブラウザフォン(iモード等)について考える

    
11/21  先週の金曜日に出張から帰ってきて、週末の土日はオフィスに出社、月曜日は何件もの打ち合わせをこなし、火曜日はクライアントとの会議が2件で帰宅は深夜、そして今日はプレゼンテーション用の資料作成で夜11時を過ぎた現時点で仕事中…と、息つく暇もないほどの忙しさです。考えてみれば、昨年の後半あたりから、まともに休みをとっていません。まったく、人間らしい生活がしたいと考える今日この頃ですが、考えてみれば誰かに強制されたわけでもなく好き好んでやっている仕事です。
 私は20代にサラリーマン生活を経験しましたが、20代後半にバイクで事故を起こして中期入院したのをきっかけに会社を辞め、フリーランスで仕事をはじめました。以後今日に至るまで、会社勤めはしていません。
 だから「忙しい」とは言っても、誰にも文句を言える立場ではないのです。でも、そろそろ人生について考え始めています。このままでは面白くない…と。いや、新しい仕事をはじめようとか、そんなことを考えているわけではありません。仕事なら概ね好き勝手なことをやってきましたし、特に現在の仕事に不満があるわけではありません。私が考えているのは「仕事を辞めて遊んで暮らす」ことです。大真面目な話です。
 こんな不況の世の中に不謹慎ではないかと言われるかもしれません。でも本気で「遊んで暮らす」道はないかと考えているのです。むろん、私は大金持ちの家に生まれたわけではないですし、貯金もありません。でも、世の中にはそんな人間でも遊んで暮らす道があるかもしれないと真剣に考えているのです。
 お前はバカか?…と言われるかもしれませんが、好きな女の子とアジアの片隅ででも暮らすというのは悪くない話です。私は女の子が大好きですから…。別に夢物語だとは思っていません。いたって現実的に考えています。例えば、アジアの一部の国なら年間数十万円でけっこう楽しく生活することは十分に可能です。それくらいなら、年に1ヶ月分くらい原稿を書いてりゃOKです。インターネット環境さえあれば、どこからでも原稿を送ることはできます。幸いなことに、ここ1〜2年の間に書いた雑誌や単行本の原稿についてはそこそこの結果を出しています。そんなことで、なんとか当面の食い扶持については心配せずに済みそうなのですが…。10年先だの、老後だの、家族の問題だのを考えなければ、全てOKですよね。どうかなぁ…
 いやこんなことを真面目に考えているのですから、「WS30の世界」というサイトの管理人は、アホであった…と思って頂いて結構です。事実ですから。
 あーあ、今日は全くわけのわからないことを書いてるなぁ。あまりにも仕事をやり続けたので、プッツンしたかもしれません。

 そう言えば、昨日の日記特別編の続きを書くのを忘れていました。そして、考えてみれば、今日もデジカメに触っていません。 ここまで書くのに11分を経過、タイムリミットです。仕事に戻ります。 
11/20

 日記特別編   ブロードバンドはどこまで必要なのか?