ここはオルタナティブ・デジカメサイト。デジカメとMPEG-4動画の話、サブカル系の駄文コンテンツをどうぞ…
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画像日記   〜都会に暮らすサイレント・マイノリティの発言


2002/5/31

 ワールドカップがスタートしましたが、結局チケットの一部は未着のまま…ということになったようです。チケットの印刷を請け負ったのは、バイロム社というイギリスの小さな会社。この、FIFAが代理店契約したバイロム社に対して、批判の声が上がっています。いや、最近の論調を見ていると、バイロム社に対する批判と言うよりも、FIFAとバイロム社に対して文句を言えないJAWOC(日本W杯組織委員会)に対して、「国辱モノ」だという大きな批判が湧き上がっています。
 ところで今回の問題の責任をを問われての、バイロム社の社長のコメントが実に面白かった。次のようなものです。

 「…FIFAが今回依頼した入場券1枚毎に購入者の名前を印刷する仕事には、前例がないことをよく理解していただきたい。FIFAが今後文化や言語の異なる国で共同開催しないことを望む。今回の仕事は創業以来最大級の事業だった…」

 ふざけたコメント…と怒る人もいますが、私は「確かにそうかもしれない」と妙に納得する部分があります。アルファベットを使う言語圏の人たちにとって、日本語、韓国語で1枚1枚に異なる名前を印刷する…なんて、およそ頭がおかしくなるような作業だったでしょう。どうやって校正作業をしたのか、逆に気になるぐらいです。西欧文化圏の人々にとって、漢字やひらがななどというものは、単なる似たような絵か記号に過ぎません。「右」と「左」、「田」と「日」を識別することだって困難でしょう。私は印刷関係の仕事もやりますが、何十万枚というチケットの1枚1枚に異なる名前を「タイ語」で印刷する…なんて仕事はやりたくありません。タイ語のアルファベットや数字なんてどれも同じ文字にしか見えないですから…。さらに、微妙に違う韓国語と日本語の問題もあるでしょう。

 結局のところ、JAWOCがFIFAに対して「日本の印刷会社で受注したい」と強く言えなかったのも、こうした事態に陥ってなおかつバイロム社にもFIFAにも文句を言えないのも、全ては「各方面にお願いをし、さらにお金を遣って無理やり日本・韓国で開催した」からにほかなりません。要するに、サッカーを楽しむことを文化とする西欧諸国、そしてその西欧文明の影響を色濃く受け継いだ南米諸国の人たちにとって、日本などは「サッカーとは無縁の異文化圏」に過ぎないのでしょう。日本人、韓国人以外の全てのサッカー関係者の基本的な考えの中に、「アジアの国なんかでワールドカップをやりたくない」という気持ちがあると思います。当たり前でよね、相撲のお茶屋制度の話を欧米人が理解できるわけないのと同じですから…

 私は、サッカーには特に強い興味があるわけではありません。日本代表は、サッカーの世界ランキングでは32位だそうです。この世界ランキング、全く根拠のない数字ってわけでもないですよね。だとすれば、どう理屈をつけようと日本が予選を通過するのは無理だと考える方が自然なわけですね。それに、日本各地に莫大な建設費をかけて作った巨大なスタジアム。ワールドカップ終了後には、維持費だけがかさむ「遺跡」になりそうです。
 がんばれ、ニッポン!…と言っておきましょう(笑)

2002/5/30

 ここ数日、デジカメの新製品がいくつか発表になっています。富士写真からは「FinePix401」が、ニコンからは「COOLPIX2000/4500/5700」が発表されました。
 「FinePix401」は501に3倍ズームを搭載し、ハニカムCCDを一世代アップした製品ですね。3倍ズームを搭載してもこのサイズならたいしたものです。個人的にはこの手の小型カメラにはズームもいらないし、クレードルもいりませんが…。2304×1728dotの解像度の画像が撮れるのに、相変わらず16MBなんて使えないスマメを同梱しているところが笑っちゃいます。
 ニコン「COOLPIX2000」は、2500の普及版の位置付けでしょう。単三4本なのでバッテリー込みの重量は300g近くなると思います。ポケットに入れて歩くにはちょっとツライですね。デザインはこちらの方が好きなので、これでもう少し小さくて、単三2本でバッテリー込みで200g強だったら欲しいところです。「4500」は、「900シリーズ」のファンのためにあるようなカメラです。デザインが好きじゃないのでコメントはパス。で、注目の「5700」ですが、ニコンはけっこう気合入ってますね。現在仕事でCOOLPIX5000を使っているのですが、仕事用ならこの5700もいいですね。レンズ良さそうだし、ちょっと欲しくなります。

 個人的には、相変わらず型落ち寸前か不人気でマイナーな低価格機種ばかり買ってます。ミノルタ「F100」買おうかなと思っていた時にはコニカ「KD-300Z」を買っちゃうし、今回はカシオ「EXILIM」でも買おうと考えていたのに「COOLPIX2500」を買っちゃいました。私は個人使用のデジカメには3万円以上は使わない…っていうのが1つのポリシーのようになりつつあります。それと、みんなが持ってる人気機種は買う気がしない…というのも、モノを買うときのある種の習性みたいなものですね(笑)。

 でも、以前確か「デジカメはもう買わない」なんて書いた覚えがありますが、ダメですねぇ。何となく増えていきます。私は基本的に買ったモノを売らないので、どんどん増える一方。たまには「FinePix1500」や「DSC-X100」などの古いデジカメで撮影しようと思うのですが、なかなか持ち歩く機会がなくて…。

 話は変わって、毎日ネットでニュースを見ることは習慣になりつつあります。活字好きな私は新聞も読んでいますが、新聞の情報は朝夕2回。でもネットの情報は、ほぼリアルタイム…、この「ほぼ」ってところがミソです。TVほどの速報性がないけど新聞よりは速報性が高く、TVと違って自分が都合のよいタイミングで読めるので、日常生活のペースに合ってるんです。  今日の注目ニュースは、「アリの同士うち誘発する科学物質発見」…という記事です。
アリを同士討ちさせて害虫となる白アリなどを駆除する…ということらしいのですが、最近はこうした「生物兵器」を使って害虫を駆除する手法が、農業分野などでよく使われてますね。それにしても、アリを同士討ちさせる…って、何だかこういう研究を真剣にやっている人たち、自分とは違う世界の人だなぁ…と、つくづく思います。

 今日はまた、とりとめのない話でした…

2002/5/29

 「リビングで環境のためにできること…人にやさしく、環境にもやさしい。未来のことを考えて選ぶなら、AQUOSです。」…これはTVや駅貼りポスターで最近やたらと目に付くシャープの液晶TVの広告です。環境、環境…って、うるさいなぁ。「環境について考えるのなら液晶TVに買い換えろ」と言っているわけですが、実に不快です。余計なお世話です「液晶TVを使っていないあなたは環境に配慮していない」と言っているのと同じことじゃないですか。企業っていうのは、ふざけた論理でモノを売ると思います。
 現在、TVを所有していない家庭なんか皆無に等しい。つまり、新しく液晶TVなんか買わなくても、今使っているTVを寿命が来るまで使っている方が、ゴミも出さないし、よほど環境にいいと思いますが…。第一、液晶TVの量産にあたって使うエネルギーたるや大変なもの。液晶TV量産ラインの電気の使用量は、一般家庭の何万世帯分に相当するはず。そんな工場を稼動させるのやめて、「今お使いのTVを長く使いましょう」というキャンペーンでもやった方が「環境にやさしい」でしょう。
 自動車も同じ。現在カローラに乗っている人がプリウスに乗り換えたら、それは環境に優しい行動になるのですか? そんなわけはないですよね。ハイブリッドカーを新たに製造するために使われるエネルギーや、生産工程で使われる電気を発電することで大気中に排出される二酸化炭素、買い替え後に廃車にされるクルマの処分などについては、計算に入ってないですから…。今乗っているクルマを長く乗り続けた方が環境には優しいはずです。
 自動車メーカーが「地球環境に優しい企業」なんてセリフを吐くのは許せない。「自動車に乗るのをやめてできるだけ公共交通機関と自転車に乗りましょう」というのならまだわかります。冒頭のシャープも同じこと。「液晶TVが環境に優しい」なんて寝ぼけたことを言ってもらっちゃぁ困ります。TVなど家電製品をなるべく使わないのが環境に優しい行動なのであって、消費電力が少ない家電製品に次々と買い換えろ…なんて話の、いったいどこが環境に優しいんだろう?
 それと、液晶の製造プロセスをご存知ですか? 原材料からの液晶製造、さらには液晶パネルの製造ともに、かなりエネルギーや電気を必要な工程を経ています。液晶パネルは廃棄後には性分が面倒な産業廃棄物になります。ちなみに液晶材料の大手には、あの水俣病を出した「チッソ」がありますね。

 私はこの日記で、時々環境問題について文句をつけてますよね(笑)。というのも、冒頭のシャープのCMのような話が多過ぎるからです。「地球環境に優しい企業」なんてフレーズは、企業広告としては「誇大広告」「虚偽の広告」として禁止してもいいと思っています。

 さて、今日の画像は、水槽の中のウーパールーパー(COOLPIX2500で撮影)です。ちょっと見にくいかもしれません。昨夜、トカゲ愛好家のアメリカ人に見せてもらったものです。彼はウーパールーパーも好きで、メキシコのウーパールーパー生息地に見に行ったことがあるそうです。かつてTVCMがきっかけで流行ったことがあり、日本中あちこちで見かけましたが、ブームが去った最近ではすっかり見なくなりましたね。
 白い個体と黒い固体があり、われわれに馴染みが深い白い方は、アルビノーの一種だそうです。知らなかったなぁ。黒い(茶色い)ウーパールーパーも、昨夜初めて見ました。

 新コンテンツを公開します。「Nikon COOLPIX2500 〜デザインが購入の決め手!?」…というレビューです。気が向いたらお読み下さい。

2002/5/27

 TTNetからアステルのPHS事業を買収した「鷹山」は、この秋から通話料無料の携帯電話サービスをスタートするそうです(実際には無線APや既存のPHS電話交換網も利用した複合サービスのようですが…)。通話料無料の携帯電話…、つまり「携帯電話システムを利用したIP電話」です。現時点では詳しいサービス内容は不明ですが、このアイデア、ずいぶん昔からあちこちで言われてきました。私もiモードがスタートした時に、実現の可能性を何度か考えたことがあります。しかし、iモードレベルの帯域では、コーデックによってデジタル化された高品質音声を伝送することはむすかしいし、第一、携帯電話の音声交換システムをIP電話化するメリットはあまりないようにも感じました。しかし、米国などでは既に実用化に向けた取り組みが始まっているようで、IPv6への移行を前提に実現する方向にあるようです。
 いずれは、電話も放送も全てがIPネットワーク上で行われることになりそうですが、こうした劇的な通信環境の変化には、まだまだついていけない企業も多いようです。国の放送政策や通信政策なども、見ていると非常に場当たり的で、政府自体がここら辺の状況変化に対する洞察力がありません。
 政府は「IP立国を目指す…」などと言いながら、相変わらず地方の農村に莫大な補助金を出して誰も使いもしないようなFTTH網を作るなど、見当はずれの税金の無駄遣いを繰り返しています。前も批判した「インパク」などが国の無意味なIP政策の最たるもので、この国では今後も似たようなことが続きそうです。
 「国のIP政策」で思い出しましたが、先日スペインの公立学校で教育現場でのLinux採用を決定した…というニュースを読みました。日本も小中学校でパソコン教育をやるのなら、Windowsなどやめてオープンソースを採用して欲しいものです。
最も私は、小中学校でパソコン教育など全く不要だと思っています。そんなことより基礎学力を高める方が重要で、パソコンなんか教室に数台設置しておけば、授業で先生から教わらなくとも自然に覚えるものだと思うのですが…

 今日は、書いていることが面白くないし支離滅裂かも(笑)…

2002/5/26

 「日本民間放送連盟(民放連)音声委員会委員長の佐藤重喜・文化放送社長は21日記者会見し、サッカー・ワールドカップに関する民放ラジオの放送計画を発表した。それによると、TBSラジオ内に制作本部を設置、在京4局で構成する計17人のチームを編成。23試合の実況生中継を共同制作し、全国に配信する。このうち、1次リーグの日本戦3試合と決勝戦の計4試合は、AM、FM、短波の全101局が同内容の中継を一斉に実施する…」
 何ともアタマにくるニュースですね。どうも、電通が全民放ラジオ局の放送枠を買ったようです。
 全く大本営発表か平壌放送じゃあるまいし、日本中のラジオ局が同じ放送を流すなんて、気でも狂ったのか…と言いたいです。昭和天皇の大葬の時にも同じことを思いましたが…。どこか1局ぐらいは、「うちは独自のプログラムで行く」「うちは音楽を流し続ける」などという放送局がなかったのでしょうか? 放送枠を全部買うという電通も論外です。要するに「国営通信社」「国営代理店」なのでしょう。
 別にワールドカップ開催を批判しているわけではありません。私はオフィスではJ-WAVEをかけて音楽を聴きながら仕事をしているのですが、それがワールドカップの中継放送になってしまうのは勘弁して欲しい。仕事中は音楽を聴きたいのですから…
 別にワールドカップの日本戦の中継を聞きたい人が多くても、それはそれで構いません。でも「選択肢」があるべきです。ワールドカップの中継よりも音楽が聴きたい…、という人はどうするのでしょうか?
 もしかすると、こういう状況を「ファシズム」と言うのかもしれません。「オルタナティブがない国」、これは亡命騒ぎがあった某国と同じです。嫌だなぁ…

2002/5/25

 PCのスペックにはこだわらない…とは言うものの、購入後1年半が経過した自宅のメインマシンEPSON「Endeavor MT-4000」のスペックはあまりにもプアー。…というわけで、ボチボチとパーツのグレードアップを図っています。
 今回はCPUをCeleron700MHzから1.1GHzにアップしました。マザーボードがAsus「CUSL2」なのでCoppermineコアしか対応できないわけで、そうなると必然的にCeleronのクロックの上限は1.1GHzということになります。ビデオカードは、購入時にはi815のオンチップビデオだったけど、今回GeForce2を挿したので、まあ人並みになりました。HDDは、購入時の20GBに20GBを足して使っていましたが、今回セカンダリーの20GBを40GBに変更です。メモリも256MBだったのを384MBに増設しました。24倍書き込みのCD-Rも増設してます。  世の中はPentium4 2GHzの時代、そんな中では今回のグレードアップでもプアーなスペックであることに変わりはありません。しかし、3Dゲームをやるわけじゃなし、とりあえずは満足です。これで、あと1年以上は使えそうです。

 昨夜は午前3時頃までマターリと飲んでましたが、「イモリ好きのアメリカ人」とお話できたことが収穫です。何でも、自宅のマンションの水槽に400匹ほどのイモリを飼っているとのことです、イモリは非常に種類が多く飼うと奥が深いのだそうです。私はヤモリやトカゲは小さい頃によく捕まえて遊んだ記憶があるのですが、イモリはちょっと苦手です。あのお腹の部分が赤いのが何となく気持ち悪い感じ。あれを400匹も飼っている人がいるとは…。そういえばイモリは両生類で、ヤモリやトカゲは爬虫類ですね。

 日常のオーディオ環境がMP3中心になってきました。むろん音の良し悪しで言えば、CDの方がよいに決まっていますが、まあロックやポップスをBGMとして聴いている範囲ではMP3で充分です。手持ちのCDを160bitでエンコードする作業を毎晩5枚ぐらいづつ進めた結果、100枚以上のお気に入りCDのエンコードが完了し、ほぼCDレス環境が構築されつつあります。後は、カーステレオをMP3に変更する予定です。
 そういえばPCのサウンド環境についても、多少質の高いものが欲しくなりました。現在スピーカーについてはローランドのMA-10Dを導入しているのでほぼ満足していますが、サウンドカードのグレードアップが問題です。現在狙っているのはオンキョー「SE-80PCI」で、これは安価なサウンドカードの中では出色ではないかと思っています。

 多忙な日々が続いているので、物欲が高まって困ります(笑)。現在いちばん欲しいのが、なんと久々の「バイク」。運動不足なので川原でトライアルでもやろうかと…。むろんコンペティションモデルはいらないので、以前乗っていて手放した「TLR200」の再購入を考えています。中古で程度のよいのを探して友人に声を掛けていますが、果たして見つかるかどうか…

2002/5/24

 山口県下関市で開会中の第54回国際捕鯨委員会(IWC)年次総会が終了しました。商業捕鯨再開を目指して日本が提案した、鯨資源を減らさず捕鯨を進める「改訂管理制度」が否決され、さらに先住民生存捕鯨捕獲枠も削減されそうです。鯨頭数の増加や鯨が魚を食べることによる一般漁業資源への悪影響などの科学的な根拠を提示しての日本提案ですが、問題は欧米諸国の大半は「理屈抜きに鯨を捕獲・食用とすることが気に食わない」という点でしょう。要するに鯨の捕獲は絶対に許す気がないのです。欧米では自然保護運動が政治家の支持基盤と結びついた…という点も見逃せません。
 これに対して、日本人の多くからは「欧米の横暴」という声が上がっています。しかし私は、欧米に対して「クジラを食べるのは日本の伝統的な文化」と言い切る日本の一部の人たちにも、なんとなく疑問を感じます。
 鯨食は、本当に「日本の食文化」なのでしょうか?

 確かに日本では、奈良時代から捕鯨が行われた記録があります。また神事などに鯨の肉を用いたという記録もあります。ただし日本全国あまねく鯨を食べていたわけではなさそうです。つまり、鯨を食べたのは主に漁業を生業とする沿岸地域の集落の住民が中心で、しかも常食していたわけではなさそうです。江戸時代には町民や商人・職人による鯨食の記録もたくさん出てきますが、当時もっとも人口が多かった「農民」の食生活の記録の中では、鯨を食べたと言う話は皆無に近いようです。沿岸部の漁民と江戸や大阪など大都市の町民の一部が食していたからといって、それは「食文化」ではないような気がします。
 私のような世代を中心に、現在30代半ばを越えている人間は、概ね鯨を食べたことを懐かしく思い出します。日本で商業捕鯨が盛んになり、鯨肉が広範囲に市場で流通し始めたのは、戦後の食糧危機がきっかけでした。冷凍肉の流通だけでなく、缶詰などの形で広範囲に普及したのは昭和30年代からの話です。特に学校給食で使われたことが、鯨食の習慣を広めました。南氷洋捕鯨の最盛期は1960年頃でしたが、当時は鯨肉は不味いということで消費が増えず、在庫過剰になり、やむなく学校給食にまわした…との記録が残っています。つまり、食糧事情が良くなってくると、鯨肉は自然に食べられなくなったのです。これが、一般の人には鯨肉を食べる文化などなかった証拠でしょう。いずれにしても、広範囲に鯨食習慣が根付いたのは戦後からであり、そして昭和50年代をもって大量消費は終わりました(商業捕鯨が制限されたのは1982年からで 1987年には全面禁止)。要するに、「大多数の日本人」が鯨を食べた期間は、日本の長い歴史の中でわずか30年間ほどに過ぎません。こうした状況をもって、「鯨食は日本の食文化」と言い切ることができるのでしょうか?
 さらに、これはあくまで推測ですが、渋谷や新宿で無作為に100人の通行人を捕まえて「鯨を食べたいか?」と聞いてみたら、おそらく90%以上が「別に鯨なんか食べたくない」と答えるでしょう。事実上、鯨が食べられなくなってから既に20年が経過しています。世代が若いほど、鯨を食べると言う習慣はないはずです。その上、マクドナルドのハンバーガーを子供の夕食に与える親が増えてきている…というこの国で、「食文化」もくそもない…という気もします。
 何はともあれ、こうした状況を見る限り、「鯨食は日本の食文化」と大上段に構えることも不自然。個人的には鯨のベーコンは大好きですが、まあ「文化論」を戦わせてまで食べたいとも思いません。


2002/5/22

 感性とか感受性とかいうものは、個人差があるものです。最近、やたらと「感動した」を繰り返す現在の某首相に呆れていたのですが、某首相そっくりにメイクしたイッセー尾形が「感動した!」というセリフを吐く某コーヒーのCMを見て、ちょっと笑いました。もっとも、イッセー尾形という人の芸、評価する人もいるようですが、私は底が浅い感じがして好きではありません。…というよりも、どうでもいいや、って感じです。

 私はNHKの「プロジェクトX」という番組が非常に不愉快なのですが、最大の理由は「感動の強制」に近い感覚、そしてその感動の中身の安っぽさを感じるからです。同じように感じている方もけっこう多いようで、こうした文章を読むと「まともな感覚を持っている人がいるんだな…と、少し安心します。

 近頃は「安易に感動する」人が増えたように思います。特に気になるのが、童話を読んで「感動した」という大人が増えたこと。ベストセラーになった童話「葉っぱのフレディ」なんかは、いい年をした大人から「絶賛!」「感動!」の嵐です…。私は、書店の店頭で立ち読みして、ナンダコリャって感じでした。基本的に文意読書をする習慣がない人が増えたこと、文章に対する読解力がなくなり高度な文脈から文意を読み取れなくなったこと…などが影響しているのだとも思いますが、それ以前に「大人の知力の衰退」を感じます。ともかく書店に行くと、大人向けの童話や寓話があふれています。私は「葉っぱのフレディ」について「幼稚で面白くない」と評したら、ある若い女性に「あなたは感受性が鈍い」と言われました(笑)。その彼女に読書歴を聞いたところ、まともに本を読んでいない。「感受性」とか「感性」とか言う言葉は、とても安っぽく使われるようになったものです。

 翻って、では自分は何に感動するか…と言われると少し困る部分があります。まず第一に「感動する」という言葉が嫌いだし、「ささいなことに感動する」こと自体に対する照れがあります。しかし、同世代の多くの人と較べれば、感動かどうかはともかく「何かに心を動かした」という事実を、わりと気軽に口にする方でもある…と自己分析しています。そんな私が最近もっとも感銘を受けたのは…って、やめときます(笑)

 ところで、先に引用したプロジェクトXへの揶揄を込めた文章は、「HOT WIRED JAPAN 」のコンテンツである「Bit Literacy」の中の「池田信夫のドットコミュニズム」というエッセイからのもの。この「池田信夫のドットコミュニズム」というのは、オルタナティブな視点の提供という意味でなかなか面白くて気に入ってます。例えば「第14回 先見性なきテレビ界へ」という一文を読むと、放送業界がいかに広大な周波数資源の独占を図っているか、また税金を食い物にしているか…という現実がよくわかります。放送業界に限らず、官公庁のように既得権益にしがみつく既存業界が多い日本の産業は、今後さらに衰退していくことは確実で小。また昨今の政府のIT政策なるものの大半は、どこかの業界を儲けさせるために立案されるものばかりで、ホントにうんざりですね。

2002/5/21

 「フランスで開催中のカンヌ国際映画祭で、レオナルド・ディカプリオ、キャメロン・ディアスの共演で話題を集めているマーティン・スコセッシ監督の待望作「ギャング・オブ・ニューヨーク」の20分間ダイジェスト版が上映される」…というニュースがありました。Yahoo!のニュース画像では、スコセッシ監督が「THE LAST WALTZ」のポスターの前に立っており、「THE LAST WALTZ」が大好きな私は思わずニンマリと微笑んだのです。
 スコセッシと言えば駄作も多いのですが、「タクシードライバー」一作だけで、私は無条件で認める映画監督です。前にも書いたかも知れませんが、タクシードライバーに影響を受けた20代の私は、作品中のロバート・デ・ニーロを真似ていつもM65を着ていた時代があります。
 M65に限らず、サープラス・グッズは今でもわりと好きで、たまに上野の中田商店とか松崎商店とかの近くを通り掛かると、つい立ち寄ってしまいます。アメリカに行ってもサープラスショップがあるとつい買い物をしてしまうのですが、私のお気に入りは、ニューヨークのSOHOにある「CANAL JEAN CO.」というお店。ここはジーンズを中心とする巨大なカジュアル衣料ショップですが、地下のフロアには格安のサープラスウェアが大量にあります。1月のバーゲン時期にここで山のように服を買うのは、なかなか楽しいものがあります。

 話は戻って、カンヌ映画祭でダイジェスト版が上映されるという「ギャング・オブ・ニューヨーク」、これもちょっと楽しみな映画です。ハヤカワ・ノンフィクション文庫から出版されている同名の原作を読んだのですが、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、大量に移民が流入していた時代のニューヨークの様子が生き生きと描かれており、非常に面白く読みました。この原作をスコセッシがどんな風に映像化するか、非常に期待しています。これまた大好きな「ワンスアポンアタイム・イン・アメリカ(Once upon a time in America)」なんかとは、一味違った映画になるのでしょうね。

2002/5/20

 サッカーのワールドカップの開催日が近づき、世界の多くの国から選手と観客が日本を訪れます。各国選手団のキャンプ地が地方都市に分散しているため、各キャンプ地では自治体などが主催する「文化交流イベント」が盛んに行われています。
 「外国人に日本文化を見せる」となると、イベントなどで必ず披露されるのが「祭り(神事)に関連した舞踏、太鼓などの和楽器の演奏」などで、その他に陳腐なところでは「和服を着た女性が華道を披露する」「茶道のお点前を披露する」…なんてのも相変わらず多いようです。
 ところで、これらは果たして「日本の文化」なのでしょうか? それ以前に、「文化」と一体なんでしょうか?
 大辞林によれば「文化」とは「…社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。…学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの」…と定義されています。
 言い換えれば、文化とは、「民族」や「居住地域」など生活を同じくする集団が長期間の社会生活の中で生み出した共通の行動様式…と言えそうです。さらに、行動様式よりも「美的様式」の共通性に重きを置く定義もあります。
 そして文化が成立する条件としては「その集団の構成員の全員または大多数が取得し、伝承などによつて世代間に受け継がれるもの」であることが必要でしょう。ある社会集団のわずか数%しか伝承していない行動様式や美的様式は「文化」ではありません。

 こうなると、「茶道」や「華道」、さらには「武士道」などは、日本の文化ではありません(当たり前ですね)。現代の日本で生活する大多数の人間の行動様式や美的様式に、こうしたものは全く反映されていません。

 では、典型的な「日本文化」として何を挙げるとよいでしょうか? 海外生活を経験した私の視点で「比較文化」的な観察すると、次のようなものが「固有の日本文化」です

  −曖昧な態度、曖昧な言葉を多用する(明確な結論が嫌い)
  −自己主張をしない(逆に美徳する風潮もある)
  −集団行動が好き(修学旅行、群れるサラリーマン、暴走族など)
  −ファッションに個性がない(若者もビジネスマンも同じ)
  −中庸なライフスタイルを求める
  −年上、目上の人間を尊敬しない(敬語の死滅とタメ口の一般化)
  −勉学が嫌い(世界、アジアの中でも際立った学力低下)
  −コミュニケーション中にやたら意味のない薄ら笑いを浮かべる
  −他人との体の接触を厭わない(満員電車、混雑したバーゲン会場など)

 つまり、ワールドカップで来日する諸外国の人々に日本文化を見せるには…、「普段どおりの日本人の生活」を見せればよいのです。簡単ですね。

 …そうそう、「デジカメが好き」というのも日本文化になりつつあります(笑)

2002/5/18

 このサイトのトップページに「Today's Watch」という部分があります。サイト自体のコンセプトとは無関係の内容も多いのですが、とりあえず自分が気に留めたニュースをほぼ毎日2〜3つリンクしていました(こんなところは誰も気にしてないでしょうが…)。
 今回、試験的にこの部分をHTML埋め込み型CGIに変更してみました。私は、トップページに限らずフレームを使うのは嫌いだし、トップページ自体がCGIプログラムになるのも嫌なので、どうしてもHTMLに埋め込みたかったのです。BBS用CGIを改造したのですが、HTMLに埋め込むのはけっこう難しく、改造にあたってはWebプログラマーのお世話になった次第です。自分専用の書き込みページを用意してありますので、更新は非常に楽になりました。こうなったらサイト全体をCGIで構成したいとも思っているのですが、さすがにやめておくべきでしょうね。
 今回の試みがうまく行くようなら、日記の部分もCGI化しようと思っています
 Webサイトの構成というのは、個人の好みが反映されます。デザインは個人のセンスによっていろいろあってよいと思いますが、「軽くてシンプルなページ」を作るのは、非常に難しいことです。個人的な好みで言えば、「Flashは使いたくない」「GIF画像も減らしたい」「フレームは嫌い」…ということもあって、私の場合はどうしても「テーブル組みで構成したテキストベースのデザイン」になってしまいます。スタイルシートは以前は嫌いでしたが、最近は使い始めました。
 さて、今回の変更にあたって最大の問題はと言えば、ブラウザによる表示の違いです。以前も書いたように、Netscape Navigatorの4.××は、捨てました。私の場合、基本的にはWindowsで、しかもExplorer5.0以上…というのが基本です、以前アクセス解析で確認したところ、実際に当サイトに来られる方の95%はこの条件に当てはまります。今回は、この条件以外にOpera6.0とリリースされたばかりのMozilla1.0で表示を確認しています。
トップページのCGI部分の表示に何か不具合でもあれば、ぜひ教えて頂くと助かります。
Macintoshはサポート外としたいところですが、MacintoshユーザーでもExplorer5.0以上をお使いの方はサポートしたいと考えています、前に、当サイトの掲示板がMacintoshから見ると表示が乱れる…とのご指摘を頂いたので、ヒマを見て調整しているのですが、まだ解決には至っていません。もしかするとBBSのCGI自体を変更する必要があるかもしれません。Macintoshユーザーの方には、今少しお待ち頂くことになります。
 今後は、もしかすると「動画系のニュースサイト」的な性格を強めていくかもしれません。実を言えば、本サイトにはもともと「コンセプト」などというものはないので(笑)、気まぐれに内容を変えていくだけのことです。

2002/5/17

 奈良の明日香村には、謎の石造物がたくさんあります。「酒船石」「益田の岩船」「鬼の雪隠石」などが有名です。中でも石の表面に幾何学的な線や窪みが刻まれている「酒船石」についてはその用途が全く不明で、周辺の「亀石」「猿石」「二面石」などとともにわが国の古代史の大きな謎の1つと言われてきました。5.5m×2.3m、厚さ約1mの巨石で、祭祀用、庭園の一部、酒の醸造用、辰砂(水銀)精製用、天体観測に使った…など様々な説がありますが、決定的な定説はありません。作家の松本清張は作品「火の路」の中で、これら謎の石造物はゾロアスター教と関連がある…という説を展開、古代イランと明日香を結ぶ文化の伝播路を指摘し、古代史マニアの間で議論になったりしました。こうした、酒船石に関する様々な説明の中には、「宇宙人が来た証拠」などというとんでもない説もあります(笑)。






 話は飛びますが、私はデジカメの撮影データをデジカメ本体から直接読み出す方法が嫌いです。USBケーブルの接続が面倒な上、複数のオフィスや自宅にあるPCの全てにドライバーをインストールする気もしません。PCがドライバーソフトだらけになるのも嫌です。というわけで私は、基本的にはPCに複数メディアの読み出しに対応する汎用カードリーダーを接続して使っています。しかし、WS30のように内蔵メモリオンリーのデジカメの場合、USBケーブルを接続して本体から直接読み出す以外にありません。昨夜私は、デジカメの画像を読み出すべく、自分のPCにUSBケーブルを挿していました。

 …そのとき、ふとUSBケーブルのコネクターを見た私は、大変なことに気がついたのです。そうです、USBケーブルのコネクタについている小さなマークです。



 なんと、これはまさしく「酒船石」の表面に刻まれた溝の模様とソックリではありまんか…。
 ってことは、酒船石に溝を刻んだ人間はUSBのことを知っていたことになります。酒船石は、飛鳥時代の女帝・斉明天皇(594〜661年)の時代に置かれたとされています。1400年前にUSBを知っている人間がいたとは…もしかして…

2002/5/15

 最近愛用しているMP3プレヤー、Intel Pocket Concert…。いつもシャツの胸ポケットに入れて、道を歩いている時に聴いています。私は通勤や仕事で乗る電車・地下鉄の中では本を読んでいるので、外で音楽を聴くのは概ね歩きながら…ということになります。
 昨夜も仕事で遅くなり、駅から自宅までの道をIntel Pocket Concertを聴きながら歩いていました。曲は時々入れ替えながら25曲ほどがいつも入っています。昨日夜道を歩きながら聴いていたのは、グレートフル・デッド(Grateful Dead)のライブ版のMe And Bobby McGeeでした。
 Me And Bobby McGeeと言えば、Janis Joplinの方が有名ですし、個人的にもJanis Joplinバージョンの方をよく聴きます。でも実は、Grateful Deadの歌うMe And Bobby McGeeは、Janisバージョンとは違った意味でとても味わい深いサウンドです。Grateful Deadバージョンを聴くと、見たはずのない1960年代後半のサンフランシスコの街並みが瞼に浮かんできます。60年代後半の、精神の自由を求めて彷徨った若者たちの姿も一緒にです。
 「Grateful Dead」には特別な想いがあります。ロックが好きな方でその名前を全く知らない方はいないと思いますが、「ドラッグ漬けのサイケデリックバンド」として認識されている方が多いかもしれません。1965年に結成されたGrateful Deadは、Jimi HendrixやJanis Joplinと並んで、60年代後半のウェストコーストにおけるヒッピームーブメント、ドラッグカルチャーを代表するバンドでした。
 本サイト内の「ロック遺産」という文で、サンフランシスコのロック文化について少し書いたことがありますが、サンフランシスコのHaight Ashbury地区、Haight通りとAshbury通りの交差点の近くには、Grateful Deadのメンバーが住んでいた家がそのまま残されています。Haight Ashbury地区では、Grateful Deadのトレードマークであるドクロやクマ(Grateful Dead Bean Bear)に因んだ小物を売っていたりします。
 Grateful Deadと言えば、San Franciscoのライブハウス、Fillmore Eastでのライブコンサートなどが知られていますが、70年代に入るとともに、カントリー、フォーク、ブルースなどのアメリカ伝統の音楽への志向を強め(ジェリー・ガルシアはもともとカントリーバンドをやっていました)、American Beauty(1970)やWorkingman's Dead(同)などの名アルバムを次々とリリースしました。
 その後、何人かのメンバーが他界し、メンバーチェンジを繰り返しながらも、ジェリー・ガルシアを中心に90年代半ばまで活動を続け、95年にガルシアの死とともに活動を終えました。Grateful Deadについては、熱狂的なファンサイトも多く、こちらこちらのサイトを参照してください。

 さて、このGrateful Deadが歌うMe And Bobby McGeeは、まさに60年代のウェストコーストの自由な空気、矛盾を孕んだアメリカと異議申し立て運動に揺れる世界…を映し出しているとともに、自分がずっと前に失くしてしまった「何か」を思い出させてくれます。60年代のサンフランシスコのHaight Ashburyの街を、十代の終わりの頃の自分が1人で歩いているような…そんな気持ちです。

 仕事に疲れて歩く夜道で、Grateful Deadの歌うMe And Bobby McGeeを聴きながら、私はちょっと涙が出そうになりました…

 こちらのサイトの中に、「"Me And Bobby McGee"は好きですか?」というコラムがあり、ちょっと面白く読みました。
 「Me And Bobby McGee」の歌詞の一部とその訳詩を挙げておきます。

Me And Bobby McGee
K.Kristofferson/F.Foster

Busted flat in Baton Rough, waiting for a train
When I was feeling near as faded as my jeans
Bobby thumbed a diesel down, just before it rained
And wrote a song on the way in to New Orleans
I pulled my harp out of my dirty red bandanna
I was playing soft while Bobby sang the blues
Windshield wipers slapping time,
I was holding Bobby's hand in mine
We sang every song that driver knew

Freedom just another word for nothing left to loose
Nothing, I mean nothing hun, if ain't free
Feeling good was easy lord when he sang the blues,
You know feeling good was good enough for me,
Good enough for me and my Bobby McGee

ミー・アンド・ボビー・マギー

バトンルージューでひと騒ぎして列車を待っていた
ジーンズと同じぐらい色あせた気分だった
遠くからやってくるディーゼルをボビーが見つけ
ニューオリンズまで一緒に旅した
アタシは汚れた赤いバンダナに包んだハーモニカを取り出し
ボビーの歌うブルースに合わせてそっと奏でた
風よけワイパーがリズムを刻み
アタシはいつしかボビーの手を握り
運転手の知ってる歌を残らずみんなで唄った
自由ってことは失う物がなにもないということ
自由でなければ、意味がない

彼がブルースを歌えばいい気分になるのは簡単だった
いい気分になるだけでもう何も言うことはなかった
私とボビー・マギーには


2002/5/14

標準 私には、嫌いな言葉がたくさんあります。例えば「IT」「ブロードバンド」「ユピキタス」などという言葉は嫌いなので、できる限り使わないようにしています。いずれも、曖昧な意味で適当に都合よく使われる点が駄目なのでしょう。また、無意味にカッコつけるためにも使われますね。
 例を挙げると、「…携帯電話の普及に伴うユピキタスIT化の進展によって個人が取得可能な情報の量が爆発的に増加し、これを自動的に処理してくれる知的情報処理システムの社会的必要性が増大しつつある…」といった、わけのわからない文章が蔓延しているのを見ると、何となく腹が立つのです。
 ちなみに上記の迷文は、電子情報通信学会基礎・境界ソサエティの主催企画「若手研究者・学生向けに最新技術をわかりやすく紹介する講演会」の講義ノートから引用した文ですが、この文のどこが「わかりやすい」のか、よくわかりません(笑)

 ところで、こうした個人的に嫌いな言葉の1つに、「市民」という単語があります。「市民」という単語や「市民運動」という単語には生理的な拒絶感があります。
 市民という言葉は、もともとはヨーロッパの「市民革命」という言葉で使われる「市民」に因する意味を持つ言葉だと思います。中世ヨーロッパの自治都市の住民で、貴族、聖職者、地主などの支配階級ではないが農奴でもない人々を指して「市民」と呼んだ(翻訳した)のが始まりです。封建的な農奴制から資本主義へと移行するにあたって主役となった人々のことです。

 現在の日本では市民という言葉は、「リベラルな中産階級」が自らの社会的な位置を示す言葉として、好んで使用します。この市民という言葉の日本的曖昧さも嫌いですが、好んで使う側の意識はもっと嫌いです。
 自称市民の多くは自称インテリです。市民運動家を称する人の学歴調査でもやってみると面白いかもしれません。おそらく大卒、しかもソコソコの偏差値の大学卒業者が多いはずです。自称市民の職業はホワイトカラー(オフィスワーカー)が圧倒的に多いと思います。工場労働者やその他の肉体労働者は少ないでしょう。そして、自称市民の多くは大都市居住者です。そして、こうした社会的性格ゆえに、自称市民の多くは少なくとも「社会的な弱者」ではありません。むしろ、本質的な社会的弱者の一部に対して差別的な立場をとる自称市民も多いと感じています。

 「大規模開発反対グループ」「反原発グループ」「環境問題を考えるグループ」「人権問題を考えるグループ」「行政監視グループ」「選挙時の勝手連」など、実際に活動中の様々な「市民運動」を見ていると、私は違和感を覚えることが多いのです。物事の是非や善悪を二元的に考える集団が多い点が、いちばん気になるところです。環境問題に傾注する人々などは、独善的と言い換えてもよいかもしれません。まあ「クジラを食べるな」とか「犬を食べるな」とか言う動物保護団体の例を出せば、独善の意味は伝わると思います。例えば、リサイクル運動をやっている市民団体が好き勝手に古新聞を回収したおかげで、日本の古紙市場は崩壊しました。効率的に機能していた商業ベースの古新聞回収業者は食べていけなくなり、代わりに処理しきれないほど大量の古紙が野積みされる事態を招いたのです。要するに、既存の多くの市民団体は、社会を見る視点が柔軟性に欠ける例が多いように感じます。

 さらに「市民運動家」の一部は、悪い意味で政治的な匂いが強い点も気になります。環境保護運動やリサイクル運動家、そして選挙時に「勝手連」などを組織して革新政党候補者を支持するような活動家には、70年安保世代(現在50代前半でしょうか)がけっこう多いようです。彼らは、社会に対する強い問題意識を抱えたままで、80年代、90年代を生きてきました。環境問題や原発反対運動などの中に自分の居場所を見つけた人は非常に多く、そうした人たちの一部は「組織」に対するこだわりを持っています。またある意味で、組織を作りそれを動かす術を知っています。そんなところから、彼らの世代は、独特の政治的な行動を見せるときがあり、それが鼻につく場合も多いのです。

 …ああ、こんな話はやめておきましょう。今日も意味不明の文字が並ぶj饒舌な日記になっています。どうぞ、笑って無視して下さい。

2002/5/13

 先日、クリエイティブの「NOMAD JUKEBOX3」という20GBのHDDを内蔵したMP3プレヤーが欲しいという話を書きました。週末にいくつかのお店を回ったのですが、「NOMAD JUKEBOX3」現物を見ることができませんでした。といううことで、購入はしばらくお預けです。  私は日常的に視聴する音楽ソースとして、ますますMP3を利用する機会が増えているのですが、そのMP3の時代が終焉を迎えようとしています。
 というのも、MP3を最初に作り出したのはFraunhofer Institut Integrierte Schaltungen(Fraunhofer IIS-A)と呼ばれるドイツの研究所なのですが、2001年9月以降、この Fraunhofer IIS-AがMP3のライセンス料の徴収を始めたのです。Fraunhofer IIS-Aは、エンコーダ1本について5ドル,さらにダウンロードされたすべてのMP3楽曲に対して1曲あたり1セント、もしくは総売上の1%…というかなり高額のライセンス料を決定しました。幸いなことに、現時点ではまだ全ての利用形態に対しての請求が行われてはいませんが、早晩MP3は衰退する可能性があります。既に、MP3関連のソフトウェアベンダーなど小規模な事業者が撤退し始めているのが現状です。
 MP3というのは、圧縮率と音質から見るとけっしてベストのフォーマットではありません。AACやATRACなどMP3を上回る高性能コーデックもたくさんあります。しかしながら、いずれも開発には私企業や営利団体が絡んでいるので、ライセンスの問題は残ります。  こうした状況の中、「Ogg Vorbis」というデジタルオーディオフォーマットが脚光を浴びています。「Ogg Vorbis」は、いわゆるオープンソース・ムーブメントの流れの中で登場したフォーマットで、Ogg Vorbisのオフィシャルサイトには、「Ogg Vorbisは汎用圧縮オーディオフォーマット。完全オープン,知的所有権なし,特許および使用料全くなし。高音質(44.1〜48.0KHz,16ビット以上およびポリフォニック)のオーディオ/音楽をチャネル当たり16〜128kbpsの固定および可変ビットレートで処理」と書かれています。
 現状では、エンコード・再生をサポートするソフトはありますが、ハードウェアレベルでのサポートはありません。「Ogg Vorbisの活用入門」というサイトに行くと、ソフトをダウンロードすることができますので、皆さんもぜひ試してみてください。

 私は、「オープンソース」という世界的なムーブメントを完全に支持しています。長年PCを使ってきましたが、バージョンアップを繰り替えし、その度にソフトや周辺機器の互換性の問題が生じるばかりか、OSとアプリケーションソフトの変更に膨大なコストを要求する既存のOSにはもううんざりです。真面目な話、もういいかげんにWindowsもMacOSもバカバカしくて使う気にはなれません。Windowsに至っては、セキュリティ上のバグだらけ。毎月のようにパッチソフトをインストールする必要があるOSを使うのは嫌になりました。OSだけではなく、アプリケーションもコーデックも全てオープンソースの時代になれば、どんなにいいだろうと思います。第一、ユーザーの自己責任を明確にし、しかも世界中のエンジニアによって技術の発展が素早く反映される点で、ユーザーフレンドリーな形でのコンピュータの発展には、絶対にオープンソースのプログラムの方が優れています。
 音楽好きの私としては、「Ogg」の普及と高機能化を切に願う次第です。

2002/5/12

 昨夜は、12時近くに知人に呼び出されて飲みに出かけることになりました。出かけて行った先は「味居」という餃子屋。といっても知らない方が大半でしょうが、ここは池袋西口の奥まった場所(ラブホテル街近く)にある、知る人ぞ知るディープなお店(いま池袋で最もトレンディなスポットです)。
 何でも、「池袋ウォッチ」という有名サイトの常連によるオフ会とのことで、これまたディープな方々が集まっておられました。オフ会とは言っても、既に池袋西口のマニアックなタイ料理店「ジョイ・ダー」で1次会を終えた後の2次会だったとのことで、出来上がっている方ばかりです。「池袋ウォッチ」管理人のnonakaaan氏をはじめ、1次会出席後に某居酒屋で日本酒を召し上がってこられた「くま」さんなど、たくさんの個性的な方々が狭いお店に立錐の余地もない状態で、わけのわからない異様な盛り上がりです(それにしてもnonakaaan氏は、どうして私のこのサイトをご存知だったでしょうか?)。  私も2時間ほどお付き合いをしていましたが、深夜にいつの間にか解散にとなり、皆さんは三々五々、いずこともなく夜の街へと散っていかれました。
 ディープな場所でディープな方々が集まる…、奇妙かつ楽しい夜でした。



 ※eggyのMPEG-4動画からキャプチャー

2002/5/10

 唐突な話ですが「盗聴」って何でしょうか? 前にも書きましたが、私はラジオや無線機が大好きで、広帯域レシーバーを中心にけっこうたくさんの受信機を持っています。海外の短波放送なんかを聴いたりしています。こうしたレシーバーの中でいちばん愛用しているのは、6〜7年前に購入したアイコム「IC-R100」という製品で、これは自宅の仕事机の上に置いてあります。ベランダに設置したディスコーンアンテナに接続しているのですが、最近の製品と比較すると特に高性能なレシーバーではありません。でも、なんとなく使い慣れたので気に入っているのです。小型の外部スピーカーを接続してあり、仕事をしながらAMラジオでナイター中継を聞く時なんかにも使います。気が向くと、いろいろなバンドをスキャンして聞いていますが、いまだにアナログのコードレスフォン利用者は多いようで、近辺の家の個人的な会話が飛び込んできます。
 私がしていることは「盗聴」なのでしょうか?
 スクランブルを掛けないで電波を出しているのは、ある意味で隣近所に聞こえるような大声で話しているのと同じです。私が使っているレシーバーは違法なものでもなんでもなく、ごく普通に市販されている製品です。レシーバーで聞いた個人情報を、二次利用したり悪用したりすることは法に触れることですが、聞くだけなら別に何もやましいところはないと思っています。人間同士が生で会話するときでも、内緒話をしたければ、周囲の人に聞かれないように小さな声でヒソヒソと話しますよね。「周囲の人に聞かれたくないなら、自分でそのような手段をとる」ことが基本だと思います。

 私は、音楽を聴きながら仕事する習慣があり、オフィスではFMラジオをつけっぱなし状態。自宅では最近、MP3を聴くことが増えてきました。仕事で使っているパソコンで、ワープロソフト作業中に同時にMP3を再生したりもするのですが、どうもCPUへの負荷とトラブルが気になる。そんなわけで、全く別個にMP3によるBGMシステムを構築することにしました。そこで候補に挙がったのは、「NOMAD Jukebox 3」です。20GBのHDDを内蔵し、128bitでのエンコードなら5000曲をストックできます。これなら、私が所有している全CD(400枚程度)を収納できる計算です。NOMAD Jukeboxの前機種のHDDが6GBだったので、3倍以上の収納力ですね。iPODは大嫌いだし、他社のHDDタイプのプレヤーもイマイチ食指が動かなかったのですが、ほぼ NOMAD Jukebox 3 で決まりでしょう。あとは、アンプ内臓スピーカーでオーディオ品質の高いものを接続すれば、立派なBGMシステムができそうですね。早速、週末に購入することに決めました。

 ところで昨日、こんなニュースがありました。

 …「登・退庁時は、あいさつをきちんとする」「(大使同士を『閣下』と呼び合う)過剰な敬称は使わない」―。川口外相の私的諮問機関「変える会」(座長・宮内義彦オリックス会長)が9日午後に外相に提出した外務省改革の「中間報告」に、一般社会人には当たり前の"常識"が多数盛り込まれた…

 …思わず笑いました。外務省では大使同士が「閣下」と呼び合っているらしいですね。ってことは大使同士が会話をすると、「閣下、昼メシは何を食べましょうか?」「今日はカツ丼にしましょう、閣下」…という風になるのでしょうか。ハハハ、バッカじゃないの? 相手を「閣下」と呼ぶ方もバカだし、「閣下」と呼ばれて平然としている方もバカですね。しかし、笑ってばかりもいられません。事はとても深刻です。官僚システムの中で、こういう無神経なバカ官僚達が養成されているわけですから。「科挙」じゃあるまいし、前近代的なキャリア試験なんて無くして、民間企業などで実績を挙げた人間を公務員の管理職に登用していくシステムを作るべきでしょう。
 そういえば私は、国会議員や地方議員がお互いを「先生」と呼びあっているのを見るとすごく不快だし、「先生」と呼ばれることを受容している国会議員の精神構造もよく理解できません。国会議員というのは、代議員制度の下で国民の代表を務めている人間に過ぎないのであって、別に「先生」ではありません。「先生」というのは辞書をひくと「学問・技芸などを教える人」や「年長者で人生の先達」を言うのであって、国会議員はそれに当てはまりません。
 私は時々セミナーの講師なんかをやったりするのですが、「先生」と呼ばれると「○○さんと呼んでください」と訂正します。他人に「先生」と呼ばれるほど気色の悪いことはありませんね。

2002/5/9

 日記特別編  リーバーマンとヴィクの街  「ミシガン湖に沈む夕日」


2002/5/7

 私は、個人のPC環境においてWindowsを本気で捨てようと思っています。Windowsは、98SEあたりがもっとも安定していて使いよかったのですが、Meは不安定でひどいものでした。Windows2000はまあ安定していましたが、その後のXPも含めてハードウェアリソースを食い過ぎます。もう「Pentium4 2GHz+GForce4」などといった最新ハードを追っかけるつもりはありません。MicrosoftOfficeも気に入らない。重いし、何よりもOSとべったり一体化しているので、同じ機能を持つ他のアプリを使いにくいのです。例えば、私はメールソフトとしてBecky!を愛用していますが、何かというとOutlookが起動するWindowsには、もううんざりです。
 で、WindowsからどのOSに移行するかというと、むろんLinuxです。Windowsにうんざりしたらからといって、いまさらMacintoshに再移行することはあり得ません。とは言うものの、MacintoshはUNIX環境への傾斜を強めており、Mac OS Xの次期バージョンJaguarは、完全にUNIXユーザーを意識したものになりそうです。

 ところで、私のオフィスではWWWサーバーとしてLinuxを使うノウハウはあり、何台ものLinux機が稼動しています(主にLedHut)。最新のLinuxは、デスクトップ環境も整備されてずいぶん使いやすくなってきました。CD-ROM起動のインストールも簡単。またハードウェアの制限もほとんどなく、標準的なパーツを使って組み立てたDOS/V機ならまず問題なく動作しますし、ネットワークやUSBなど周辺のデバイスも確実に認識します。さらにLinuxへの移行の決心を決定的にしつつあるのは、Sunの「StarOffice」の存在です。
 今回、OpenOffice.orgからリリースされた 新しいOpenOffice1.0のWindows版を使ってみましたが、 ほとんどMicorosoftのofficeと変わりません。いちばんよく使うWord代わりのWriterは、Wordとの互換性も非常に高く、操作性も悪くありません。私は原稿を書くのが仕事ですから複雑なレイアウトの文書を作ることはまずありません。Writerで普通に文書を作成してWord形式のdocファイルで保存すると、ほぼ100%そのままWordで読み出すことができます。原稿の出稿先など、相手のことを考えてWordを使っていたのですが、こうなるとWriterに変えても問題はほとんどないようです。もともと、ブラウザやメールなどネット環境は、Linuxでも全く問題はありません。

 しかし、デスクトップ作業環境を完全にLinuxに移行するとなると別の問題が出てきます。例えばデジカメのデータ転送です。レタッチに関しては「GIMP」という有名なLinux用の高機能画像処理ソフトがあるから問題はないのですが、データの転送は大きな問題です。まあ、WS30のようにUSBポートから直接Twainドライバで読み出す以外方法がない機種は後回しにして(WS30のLinux用ドライバーを作った方もおられますが)、メモリカードから読み出すのなら大きな問題はなさそうです。こんなサイトもありました。

 窓の外は、久しぶりの雨です。なんとなく肌寒い1日です。休み明けの今夜は、繁華街も空いていそう。冷たい雨の中を、久々に夜遊びでもしようかなぁ…

2002/5/6

 巷ではGWの最終日とやらで、高速道路の渋滞や新幹線の混雑具合などが話題になっていますが、現在オフィスで仕事中の私にはまったく無関係のニュースです。GWなどという期間に旅行しても、まあどこへ行っても混雑しているわけで、こうして仕事をしている現状に不満があるわけではありません。余計な電話が掛かってこない分、かえって仕事の能率が上がるというものです。

 昨夜は、自宅のPCのメモリを増設し、HDDとビデオカードの交換を行いました。もう1年半も前に購入したPCですが、ASUSのCUSL2-Mという比較的素姓の良いマザーを使っているので、いかようにでもアップグレードできます。ただ、FCPGAのCPUは数が少なくなりつつあるので、今のうちに最高クロックのパッケージを買っておいた方がよいかもしれません。

 私はデジタルガジェットが好きなのに、何故かPDAには興味がありません。palmもCE機もザウルスも、全く使う気になりません。前にも書いたことがありますが、そもそも手帳を持ち歩く習慣がないのでPDAを持っても使い途がないのです。住所録や電話番号のメモは携帯電話に入れているし、街中でWebにアクセスする必要性も感じません。移動中のメールの送受信はiモードの転送メールで十分です。でも、最近になって、デジカメの撮影画像のモバイルストレージ用途に1台買ってもいいかな…という気になっています。500g以下で5GB程度のHDDを内臓したCE(PocketPC)機っていうのをどこかが作ってくれないでしょうか。
「SmartJam」の購入も考えたのですが、いまいち食指が動きません。

 高性能トイデジカメの新製品が次々に登場していますが、やはりCMOSのメガピクセル機が中心。いまのところ、CMOS機を購入する気にはなれません。なぜ50万画素程度でもよいからCCD搭載機が出ないのでしょう。日立マクセルのWS80はコケちゃったみたいですし…。私はeggyの静止画のような画像が撮れる小型のトイデジカメが欲しい。それに、CMOSのメガピクセル機ってだいたい1万円以上しますよね。こうなると1万円台で購入できるCCD採用のエントリークラスの型落ちデジカメとたいして値段は変わりません。  そういえば秋葉原の某店で、最新の200万画素機のFinePixA201をタイムセールで1万6千円で売ってました。思わず購入しそうになりましたが、これなんかトイデジカメとは比較にならない美しい画像が撮れます。
 トイデジカメはWS30やSPYZのように、「メチャクチャ小さい」などの絶対的な差別化ポイントや、普通のデジカメにはないような面白さを持っていないとつまらないと思います。

 NTTドコモの新しい504iシリーズは、全機種が二つ折り型の端末になるそうです。私はストレート型が好きなのですが、ドコモに限らずストレート型の端末はほんとに少なくなりました。なぜストレート型は人気がないのでしょう? 不思議です。

 今日の画像は、秋葉原の路上に登場した「和牛ステーキ屋」です(eggyで撮影)。
 「国産松阪牛使用」なんて書いてありましたが、これって世の中に逆行したコピーですよね(笑)。
 串に刺したブロック状のステーキを売っているのですが、値段は400円でした。外人の女性が買って食べてましたが、そういえばニューヨークの街中にあるシシカバブの屋台と同じですね。あれは最近は見なくなりましたが、80年代にはよく売ってました。確か金串に2〜3cm角ぐらいの牛肉のブロックが4〜5個ついて、1本1ドルだったと思います。

2002/5/4

 JRが発行している「Suica」というカードがありますね。いわゆる非接触式のプリペイド型のICカード(SONY製)です。今日、私はこのSuicaのイオカードタイプのものを購入しました。
 このSuica、「タッチ&ゴー」とは言っていますが、受信部から約10cmの距離でも認識するものです。ところが今日、秋葉原駅で切符を使って改札を通過した前の人に続いて改札を通過したところ、下車駅の改札口でストップがかかってしまいました。要するに改札で「通過」を認識していなかったのです。有人改札口でデータを訂正してもらってことなきを得ましたが、このSuicaを手にして、いろいろなことを考えてしまいました。

 仮に、このSuicaがデータの送受信部から10m以上離れてもアクセスできたとします。そうなると、密かに町中の至る所にデータの送受信部を設置しておけば、カードを持っている人の行動を完全にトレースすることができます。
 例えば、イオカードタイプではなく定期券タイプのSuicaの場合、購入時に住所や氏名を書きますよね。そうするとSuicaに個人データを埋め込んでおけば、特定の個人の行動を完全に明らかにすることができるわけです。所有者のは「非接触ICカード型の定期券」を持っているだけのつもりでも、所有者の知らないうちに行動パターンを監視されている…ということがあり得るわけです。
 私は、他愛のない話としてこんなことを考えていたのですが、よく考えてみると技術的にさほど難しいことではありません。運転免許証などを非接触型ICカードに移行するという動きは、かなり進んでいます。この非接触型カードのデータ転送距離を、実際に公表するスペックよりも長距離にしておくだけで、国民のほとんどの位置情報をリアルタイムで密かに検知することが可能です。
 システム自体はそんなに大げさにする必要はありません。何も、全国どこでも検知する必要はないのです。大都市部に限定するとか、主要な駅や街角に検出ポイントを設置するだけのことです。要は「Nシステム」と同じです。国というか、国を統治・管理する立場にある一部の人間は、「個人の位置情報をトレースする」というのは、非常に魅力的なシステムだと感じるでしょう。
 同じような話は、携帯電話でも言えます。携帯電話の所有者の位置情報を獲得することは、現状でも簡単です。GPS搭載端末ではなくとも、おおよその位置情報は獲得できるし、それを誰かが密かにやっていない…という保障はありません。
 そういえば、最近はいつのまにか「Nシステム」の利用範囲が拡大しつつあります。オウム真理教事件で有効に使われてから、一般市民のアレルギーも小さくなった感じで、東京新宿には大規模な監視カメラネットワークが設置されました。
 最近の国会における有事法制関連法案の経緯や小泉某や石原某の言動を見るまでもなく、世の中が少しづつ危険な方向、個人の自由を束縛する方向に向かっていることは確かです。

 わたしはこんな日記の中で、こうした社会的な動きに警鐘を鳴らそうなどと思っているわけではありません。個人的には、別に世の中や社会の仕組みがどんな方向に流れてもいっこうに構いません。この国が嫌なら出て行くだけだし、自分の意に沿わない限り、おいそれと「誰か他人の意思」に簡単に従うつもりもありません。
 好きな仕事をやって、美味しいと思うものを食べて、女の子と遊んで…、節操のない人生をできる限り続けていくつもりです。

 Suicaを購入したところから、とんでもない白日夢を見たのかもしれません(笑)

 今日の画像は、「豊島区のごみ置き場の告知」です(eggyで撮影)。
 東京の豊島区は、この4月からゴミの出し方が非常に複雑になりました。「資源ごみ1」(ビン/カン/段ボール)、「資源ごみ2」(ペットボトル/プラスチック容器)、「可燃ごみ」、「不燃ごみ」…の4種に分類して出すのです。しかも、それぞれ集める曜日が違います。エコロジー意識が希薄な私は、何がなんだかさっぱりわかりません。第一、もともと「可燃」と「不燃」の違いがよく理解できなかったのですから…。だって、「燃えない物質」なんて存在しないですよね?(笑)
 既に多くの自治体でもっと複雑な分別収集を始めているようですが、みんないったいどうやってごみを出しているのでしょう。

2002/5/2

 MacOSの世界シェアは、わずかに3%程度です。つまり全世界のパソコンの中で、Macintoshはわずか3%に過ぎず、Linuxを下回っている状態です。しかも、OSレベルでの世界シェアは今後さらに下がり続けるでしょう。これは、今後、発展途上国を含む第三世界で膨大な数のパソコンが普及していく中で、圧倒的多数のWindows機やLinux機が増加し、相対的なMacintoshのシェアは数年内に1%前後にまで下がると思います。こうしてみるとMacintoshはいまや「特殊なパソコン」になっており、ソフトウェア開発者の立場からすれば「無視」してもよい存在です。
 しかし、熱狂的なMacintoshファンが存在することは周知の事実で、それも「自称おしゃれな人」「自らの個性を主張する人」「クリエーターやデザイナーなどカタカナ商売の人」などが多いことはよく知られています。私は、たまたま商品企画関連の会議でデザイナーやクリエーターの方の同席することがありますが、彼(彼女)達が会議に持ち込むのはたいていPowerBookあたりで、大多数の参加者が持ち込むWindowsノートを尻目にけっこう誇らしげにMacintoshを開いています。何か「われわれは君たち平凡なビジネスマンとは違う」ということをMacintoshで主張しているかのようで、はっきり言って笑っちゃいます。Macintoshの熱烈なファンの多くは、自らが「Windowsカルチャーに対するオルタナティブ」だと考えているようです。
 実のところ、現在のコンピュータ文化の中で、Macintoshはけっして「オルタナティブな存在」ではありません。逆に、Apple社はきわめて保守的で閉鎖的なメーカーであり、Macintoshというパソコンも互換性のない閉鎖的な機種です。しかも、OS-XになってからはアーキテクチャもLinuxのコピーとなってしまいました。
 Windowsカルチャーに対するアンチテーゼどころか、Windowsを上回る閉鎖性と高い独善性を持つ機種のどこが「オルタナティブ」なのか、私にはさっぱりわかりません。Windowsカルチャーに対するアンチテーゼを言うのなら、オープンソースカルチャーを挙げるべきで、Windowsノート機にLinuxなどをインストールして使っているユーザーを見ると、「がんばるなぁ」という感想を持ちます。  また、いまだにWindowsはそのGUIでMacintoshの真似をした…などと言う人もいますが、MacintoshのGUIこそは先行したゼロックスのアルトのコピーそのものであり、まあ「使いやすいGUI」を追求していくと、どれも似たようなものになっていくというだけの話でしょう。

 私はここで、Macintoshユーザーを貶めようとしているわけではありません。それどころか、私はMacintoshの熱烈なファンだった時代があります。ファンというよりも「マック・エバンジェリスト」であったと言った方が正確で、自らの会社をMacintoshのオフィシャルデベロッパーに登録するとともに、周囲の人間に片っ端から「PC9800をやめてMacintoshへ」と薦めました。Macintosh Plusが発売された頃です。その後、32MBのメモリを搭載したフルスペックのMacintoshCXに等倍のCD-ROM、初代のレーザーライターにフォントを数種購入したら400万円近くなってしまった時代でした。オフィス内にはSE30が一番多く、ともかくすべての業務をMacintoshで行っていました。1990年前後は、Macintosh関連のソフト開発をやっていた関係で、毎年必ず1月にはサンフランシスコのMacWorldに行きました。帰りには、EDUCORPのスタック集やシエアウェアを大量に買い込んできたものです。
 しかし、いつの頃からか興味はPC互換機へと移り、できたばかりのDOS/V規格のマシンをいじり回していました。
 こうした熱烈なMacintoshユーザーであった頃を思い浮かべると、自分で自分が可笑しくなります。最近では、正直なところMacintoshでもWindowsでも必要に応じて使えばよいと思います。そして、少なくとも価格が安価でアーキテクチャが公開されている分、DOS/V機の方が使いやすいので、日常使うOSはとりあえずWindowsに決めています。
 ただし、OfficeSuitesアプリケーションが成熟してきたら、日常のデスクトップ環境もLinuxへと移行するつもりです。やはり、特定の企業の利益とは関係なく、コンピュータ技術やソフトウェア技術の進歩を広く万人が享受できる「オープンソース」という考え方には、強い共感を覚える次第です。

 むろん、Macintoshユーザーの中でも、「他に選択肢がないために淡々とMacintosh を使い続けるDTPデザイナー」のような人々がたくさんいることは知っています。しかし、オルタナティブな存在を自認する「勘違いMacユーザー」…が、けっこういることは確かです。

2002/5/1

 NTTドコモの経営が失速…というニュースが目立つようになりました。今期の決算が赤字というだっただけでなく、iモード以降はこれといったヒット商品もなく、ジリ貧状態になりつつあります。某週刊誌には、NTTグループ内からの大量の人員を受け入れたため、官僚的な体質が復活したという記事がありました。
 海外でのiモード事業もうまくいってないようです。ドイツでスタートしたiモードサービスは、前評判は上々だったにも関わらず、実際にはまったく売れていないという報告もありました。

 結局のところ海外では、携帯電話は文字通り「携帯する電話機」として機能すればよいという人が多いということでしょう。実にもっともな話です。私も個人的にはiモード端末をメール転送端末としては利用していますが、ネットにアクセスして情報を見たりコミュニケーションしたり…という用途ではほとんど使っていません。だから可能な限り小型軽量でバッテリー寿命の長い端末を購入することにしています。
 FOMAの普及状況がひどいという話は前にも書きました。私はたまたま携帯電話専門誌関連の仕事もしているのですが、FOMAユーザーからの声を聞くと、「通話エリア内でもつながらないことが多い」「バッテリーが持たない」「データ伝送中にノートPCが誤動作する」など、ロクな感想を聞きません。当初販売予想にはまったく達していない…とのことですが、当然でしょう。なぜこんな未完成なシステムでサービスをスタートしたのか不思議です。それに端末が重くて大きいとなると、これで普及する方が不思議です。ストリーミング放送サービスなどをスタートしていますが、コンテンツが魅力的かどうか以前に、バカ高いパケット通信料がネックです。
 ライバルであるJフォンもauも魅力的な端末をたくさん投入しています。Jフォンの写メール端末はデジカメユーザにも魅力的ですし、auのGPSケータイはマジな話欲しいです。バッテリー持続時間がもう少し長ければ、またパソコンとの位置データリンクができれば、文句なしでGPSケータイを常用したいところです。

 いや前振りが長くなりましたが、携帯電話用の動画コンテンツが簡単にできるという話は、このサイト内で解説してあります。つまり、ドコモのFOMAもauのムービーケータイも、個人でMPEG-4動画サイトを開設することができます。現時点ではこうした動画対応携帯電話端末の普及台数が少なく、またパケット料も高額なために、動画サイトを開設してもほとんど見る人はいないでしょう。でも、今後動画携帯が普及して通信料も下がれば、ぜひ本格的な動画サイトを開設してみたいと思っています。で、携帯電話用の動画サイトでどんなコンテンツをやるかというと、やはりこの小さな画面にはフェチサイトがぴったりではないでしょうか?
 画面が小さいから、エロ度が低いのミソです。だって、こんな小さい画面でカップルがエッチなことやってるのを見ても、何の興奮もしないどころか、なんとなく笑っちゃうじゃないですか。そこがいいと思うのです。携帯電話の画面を顔に近づけて食い入るように見なければ、何が映っているのかよくわからないようなマニアックな映像を流そうと考えています。電車の中などで携帯の小さな画面をじっと見入っている人の様子を、想像しただけで楽しくなります。
 既に「ezmovie作成ソフトLite」を使って、秘蔵のオリジナリル・フェチ動画(笑)のコンバートを始めました。128×96dotにすると、かなりきわどい動画(別に法に触れるような映像ではありません)も、なんとなく微笑ましいものになるから楽しいですね。
 …というわけで、PC用のフェチサイトに続いて、携帯電話用のフェチサイトも着々と準備中…という話でした。乞う、ご期待!…って、なんだかなぁ。

 私は、残念ながら連休はありません。前半も後半も、ずっとオフィスで仕事です。



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