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画像日記   〜都会に暮らすサイレント・マイノリティの発言


2002/6/30

■クイズです。さて、これは何でしょう?

クイズ画像 1


クイズ画像 2


クイズ画像 3



■答

1.蚊取り線香立て
 「地上に突っ込んだUFOとその横で途方に暮れる宇宙人」…という蚊取り線香立てです。陶器製で、下部が引き出せるようになっており、そこに火の点いた蚊取り線香を入れます。UFOの上部に幾つかの小さな穴が開いていて、煙が出る仕組みです。

2.インドのアイスクリーム作り用のカップ
 伊勢丹のインド料理レストラン、ガンガーのシェフ「ラムちゃん」に見せてもらったものです。
 インド料理店使う、プロ用のアイスクリーム作り器…というか、アイスクリームを作るときに使うアルミ製のカップだそうです。作り方、使い方は教えてもらえませんでした。

3.カメ
 水槽に入っている「亀」のアップです。以前私が飼っていたのですが、現在はわけあって友人のハセガワ君のデザイン事務所で飼われています。私が飼っていたころは、手のひらの半分もない小さな亀だったのですが、ハセガワ君のパートナーのユミコさんが行き届いた世話をしているので、ここ2年間で大きく成長しました。今では20センチ以上になり、水槽いっぱいの大きさです。

2002/6/28

 Web上では、SONYが発表した超小型デジカメ、サイバーショットU「DSC-U10」の話題で盛り上がっています。気になるのは、まず「どのくらい小さいか」という点です。
 CASIO「EXILIM」との比較されているようです。でも私は「EXILIM」を持っていない。そこで、私が所有しているデジカメの中でもっとも小さいのは、Konica「KD-300Z」(トイデジカメを除いて…)と比較してみました。
 まず「DSC-U10」が、84.5×39.8×28.6mm、87g…というサイズ、一方「KD-300Z」が87×55×30mm、165g…というサイズ。重量が半分という点を別にすると、幅と厚みは大して変わらないんですね。高さが約3/4という感じです。「KD-300Z」は京セラのFineCamなどと同機種ですから、馴染みのあるサイズです。ふーん、思ったよりも小さくないんだ…というのが実感です。
 次にWS30SLIMと較べてみましょう。89.0×58.0×18.7、78g…って、こちらは意外と大きいですね。厚みは薄いですが、幅も高さも「KD-300Z」よりも大きいわけです。
 つまり「DSC-U10」は、「KD-300Z」の高さを3/4にして、重量はWS30SLIM並み…というカメラなんですね、ふーん…
 「DSC-U10」は、「EXILIM」とはコンセプトが違います。小さいとは言っても厚みがあるので、「コロン」とした感じ。つまり、ポケットの中に転がしておく感じで持ち歩くわけですね。私は、「EXILIM」のような薄型よりも、こちらの方が使いやすいかも…です。
 さて、そうなると東芝の「SORA T10」あたりもライバル機になります。その「SORA」は、85.5×72×27.9mm、118g…というサイズです。「DSC-U10」とは幅と厚みがほぼ同じですが、高さがあるので四角っぽいわけです。重量は、かなり「DSC-U10」に近づきます。でも、SORAはその分液晶モニタが大きいし、なんたって200万画素です。実売価格も予想される「DSC-U10」とほぼ同じ。これは比較して悩む人がいるかもしれませんね。うーん…

 「DSC-U10」は、単4ニッケル水素電池2本で撮影可能枚数1800枚、起動が1秒というのも非常に魅力す。ところが、128MBのメモリースティックを使うと起動時間が4秒に延びるらしい。私は128MBか256MBのメディアを入れておいて、電池交換なしで300〜500枚程度の撮影をしてみたいと思っていたのですが、これはちょっと興醒めです。
 ネット上で公開された「DSC-U10」のサンプル画像の画質は、あまりよくありません。「SORA」の方がかなり上でしょう。かといって、日常のメモ記録には十分な画質です。「DSC-U10」は、判断の難しいデジカメだなぁ。

 …ハハハ…、実にどうでもよい話、愚にも付かない話でした。デジカメなんて、自分で買って撮って見なきゃ、何もわかりませんよね。

 今日の画像は、「入り口の上に大きな船のあるラブホテル」です(CP2500で撮影)。このホテルは、サイト内の「グルメガイド」でも紹介した。池袋西口の餃子店「味居」のい隣にあります。ここの中には入ったことはありませんが(…じゃ他のホテルには入ってるのか…と突っ込まないで下さい)、もしかすると「水に浮かぶ船型のベッド」なんてのがあるのかもしれません。
 最近は趣向を凝らしたラブホテル(最近では「ファッションホテル」と呼ぶんですね)が多いようです。部屋の中にプールがあったり、ブランコや滑り台があったり、滝があったり…。いろいろと入ってみたいのですが、私のような「普通のオジサン」にはなかなか機会がありません(笑)

2002/6/27

<裏口入学詐欺>教授に毎年数人仲介 1人6000万から1億で…

 関連財団法人の巨額の所得隠しが明らかになった学校法人・帝京大学(東京都板橋区)で、受験生の父母に入試の口利きをしたという都内の団体代表(44)が、「医学部の教授を窓口にしていた」と毎日新聞に証言した。      〜中略〜
 また、帝京大医学部の学生として13年間在籍した都内の会社員の男性(45)も、口利きの実態を証言した。サラリーマンだった22歳の時、開業医の父と同じ医師を志した。父の大学時代の同期生を通じ、帝京大医学部付属の病院関係者を紹介された。83年1月、この関係者の指示で、病院幹部に額面2500万円の小切手を渡した。幹部は「立派なお医者さんにします。大丈夫です」と話したという。最初の紹介者の病院関係者にも現金50万円を手渡した。83年6月10日付で、「帝京第一学園」名義で1000万円、「愛媛沖永学園」名義で1500万円の領収書が送られてきた。
 男性は96年3月、卒業できないまま大学を退学となったが、「長い間、学費を払わされ続けた。帝京大医学部はカネまみれ。怒りが込み上げてくる」と話した。


 ちょっと長い引用で恐縮ですが、これは毎日新聞の記事です。記事中の「帝京大医学部の学生として13年間在籍した都内の会社員の男性(45)」の証言内容には、失礼ながら大笑いしました。

 22歳にもなって"自分の意思"で裏口入学し、その後高い授業料を払い続けて結局卒業できなかった彼の、どこが「被害者」なのでしょう。私は単なる「バカ」にしか見えません。別に誹謗・中傷しているわけではありません。22歳という分別ある大人が自らの意思で裏口入学をした時点で、金を払って医学部に入ったその行動こそがまず非難されるべきでしょう。彼は「大学に対して怒りが込み上げてくる」と言っているそうですが、何を怒っているのでしょう? つまり「たくさん金を払ったのだから卒業させろ」ということなのでしょうか? この記事を書いた毎日新聞の記者は、この男性の証言を何のために引用したのでしょうね。

 ところで、「裏口入学」って、私は別に怒りを感じません。金を払ってまで大学に行きたいやつは行けばいいし、それが医学部だって別に構いません。国家試験なるものが正当なプロセスで選抜されているのであれば、誰に機会を与えても構いません。ましてや、普通の大学なんて裏口で入ろうが試験を受けて入ろうが、そんなものどっちでもいい話じゃないですか。勝手にやってろ…って感じです。
 帝京大学に限らず、青山学院中等部への裏口入学を持ちかけた日大法学部教授の事件など、最近は裏口入学の話題が多いですね。先だっては、教育評論家による「お受験詐欺」も話題なりました。何でも、慶応大学の付属中学校などへの裏口入学を持ち掛けて複数の父兄から約33億3000万円という多額の現金をだまし取っていたそうです。こういう事件の話を聞いても、子供を裏口入学させようとして多額の金を騙し取られた父兄…という「被害者」に同情する気持ちは全く起きません。それどころか、「被害者」とも思えません。個人的な話ですが、私はその裏口入学の対象とされた付属中学校のある大学に通ってましたが、あんなところ、幼稚舎や中学校から高いお金を払ってまで行くような大学ではありませんでした(笑)。
 しかし、先の帝京大学医学部に裏口入学した22歳の男とは異なり、中学受験段階で親の意思で裏口入学をさせられた子供の方は、何となく気の毒に感じます。子供を裏口で入学させる…と考える親というのは、いずれ自立せざるを得ない子供の将来をどのように考えているのでしょうか。それにしても、最近では30過ぎても家庭から自立しない子供とそれを喜んで許容する親…という家庭がたくさんありますから、これはこれでいいのかもしれません。一生子供の面倒みたい親と、面倒を見られたい子供…って、ああ気持ち悪い!

 話は変わりますが、書き込みで誹謗中傷されたとする獣医から訴えられていた、2ちゃんねるの管理者ひろゆき氏に対して、400万円の賠償という判決が出ました。私は仕事で大規模なiモード用掲示板を運営していた時期があり、他人事ではない話です。
 管理者側が「発言の公益性や真実性が分からない段階で削除義務はない」と主張したことは正しいと考えます。掲示板管理者に「書き込みが真実かどうか立証する責任がある」という判決は、正直言って絶対に不可能なムチャクチャな話です。これでは、掲示板の管理者は「真実かどうかわからない書き込み」を全部削除しなくてはならくなります。
 DHCが訴えた件もそうですが、政治家や企業経営者など金がある人間は、自分への批判を封じるために片っ端から訴訟を起こせばいいし、これで簡単に「批判的言論を封殺する」ことができるわけです。
 私も仕事上で発生した謂われのない経緯をもとに訴えられた経験がありますが、ともかく裁判というのはキツイ。高額の賠償金訴訟をを起こされると、こちらが悪くなくても多額の弁護士費用と手間がかかります。訴える方が大企業だったりお金持ちだったりすれば、弁護士に、任せっきりでいいのですから簡単です。訴えられた方が個人や小さな会社であった場合、裁判を続ける…ということだけで消耗し、小さな会社なら倒産しかねません。DHCの訴えを見ていると、実に理不尽な感じがします。
 仮に自分という個人や自分の会社が大規模掲示板上で理由なく中傷される立場になったら…、確かに困ります。でも、そうしたリスクと「ネット上での自由な発現」を秤にかけるなら、現状では「自由な発言」の方を選びます。むろん、前提として「匿名発言者のモラル」を要求するのは言うまでもありません。
 今後は、大企業や国家・自治体等を相手にした自由な発言をすることが、ますます規制されてきそうな気がします。私は2ちゃんねるのひろゆき氏のファンでも支持者でもありませんが、この裁判を続けるために裁判費用のカンパをしてもよいとすら思っています。

 さて、いよいよワールドカップの決勝戦が行われます。次回開催国がドイツということを考えれば、今回はブラジルが優勝する…というのが妥当な予測です。またブラジルは、前回のフランス大会における「貸し」があるはず。さて、どうなるでしょうか?
http://homepage2.nifty.com/bet-aramaye/tunis/fifa.html


2002/6/26

 今日は、サイト内の池袋グルメガイドのコンテンツを増やしました。

 まあ、私が普段よく行くお店…というだけのことですが、あまり詳しく書いていくと、管理人の「食べ物の好み」や「日常の行動」がわかってしまいますね。
 万が一、ここに紹介するお店のどこかで私を見掛けても、絶対に声を掛けないで下さい…(笑)。


2002/6/25

 日記特別編   デジカメは「3万円」で選ぶ時代


2002/6/24

 …そして今日も、ワールドカップネタが続きます…(笑)

 日韓共催ワールドカップが始まってから、特に日本が決勝リーグの1回戦で敗退して以降、勝ち進む韓国に対する「風当たり」が強くなってきています。審判の「誤審」に対する世界各国の反応もそうですが…、日本人一般レベルでのリアクションが大きくなってきているように感じます。
 その最たるメディアが「2ちゃんねる」。私は2ちゃんねるというメディアをこよなく愛しているのですが、以前から韓国、朝鮮半島関連の書き込みだけはちょっとヒドイと思っていました。ところが、ワールドカップ開催以降、韓国関連のスレや書き込みは急増し、現時点ではほとんど無法地帯になっています。その大半が、韓国人に対する謂れの無い悪口です。他愛のない話…と無視するには、限度を超えている感じもしますね。

 日本人の韓国感…私はどのあたりに「標準」があるのか、よくわかりません。昔から在日の友人や仕事仲間がいたし、IT関連の仕事で韓国の方に会う機会も多く、「韓国という国、朝鮮半島に住む人々が、日本人一般からどのように見られているか」…ということについて、あまり真剣に考えたこともありませんでした。
 しかし、2ちゃんねるのいくつかのスレを見ていると、韓国人に対して意味不明の反感を持っている人はけっこういるようだし、それ以上に韓国と日本の歴史や韓国の現在について知らない人が多いのが不思議です。

 それにしても、「意味もなく韓国を悪く言う」…って、実に不思議な話です。ここでは、日韓併合以降の日本による侵略の歴史についてはあえて触れないことにしますが、江戸時代以降の日韓交流史について、私の拙い歴史的知識で見てみましょう。
 日本は江戸時代までは、韓国という国を非常に敬う態度を執っていました。鎖国をしていた江戸時代に日本が交易していた外国は長崎出島のオランダだけだと思っている人もいるようですが、江戸時代を通して朝鮮とも交易していました。「朝鮮通信使」について、簡単な解説を、作家の杉洋子さんのサイトから引用しておきます。

朝鮮通信使
 李氏朝鮮の国王が武家政権に派遣した使節。室町時代、倭寇の跳梁を抑え安定した貿易体制を築く狙いだった。  とくに江戸時代の通信使が知られる。一行は400〜500人ほど。中国の情報を得たり徳川幕府の国際的な地位を確認する政治的な意義のほか、随行した儒学者、医師、画家らとの交歓で文化面でも多大な影響を受けた。江戸との道中の交流も盛んで、通信使にちなむ祭りや地名が各地に残っている。ただ往復、滞在中の接待で日本側の財政負担がかさんだことなどから、1811年、対馬で迎えたのが最後になった。

 「滞在中の接待で財政負担がかさんだ…」とあるように、朝鮮からの施設は歴代の幕府によって手厚くもてなされたわけです。  むろん、知識人の間では朝鮮は「学ぶ対象」の国家でした。特に江戸時代の学問の主流はと言えば、朱子学(儒学)であり、文化的には「中国は親の国であり、朝鮮は兄の国である」…とするのが当時の学者や文化人の通念であったといえるでしょう。江戸時代の日本人は、今日では想像もできないほど朝鮮とその文化に畏敬の念と親近感を抱いていたのです。

 日韓関係の雲行きが少し怪しくなるのは、幕末からです。幕末には「儒学に対抗する学問」としての「国学」が隆盛を見ました。特に幕末の尊皇攘夷の思想は「古来からの日本文化を優位」とみなす一種の中華思想であり、それが討幕運動と結びついたという経緯があります。従って、明治に入ってすぐに「征韓論」が台頭した裏側には、幕末の尊皇攘夷の思想の影響を大きく受けた志士たちが明治の元勲となって国を引っ張った…という背景もあるでしょう。
 とはいえ、幕末の段階ではまだ「朝鮮を日本より下に見る」という思想はありませんでした。第一、国学といえども儒学の影響を強く受けていたましたし、尊皇攘夷の考え方を持つ志士や学者達の中には、完全に儒学をもとにした主張を展開した人も多かったのです。例えば水戸藩の藤田幽谷、東湖の父子は朱子学に基づいて、大義名分、君臣上下の別を説いて尊皇論から攘夷論を展開しました。

 風向きが大きく変わったのは、明治時代に入ってからです。明治政府高官内での派閥争いや権力闘争が顕著になる中で、政府高官の一部が、外征論によって不平士族の不満を転嫁する政策を打ち出したからです。征韓論は、内政問題を外交問題に転嫁して内政に対する国民の不平不満を逸らそうとする現在でも多くの国で見られる政治手法だったわけです。このあたりは、歴史の教科書に書いてある通りです。

 朝鮮(現代の韓国・北朝鮮)という国は、歴史的経緯を客観的に見れば、「日本に文化や学問を伝えた国」です。それ以上でも以下でもありません。日本に文化を伝えた国だからといって必要以上に卑屈になって接する必要はありませんが、逆に「韓国に対して差別的な言辞を吐く」というのは、全くのお門違いです。
 第二次大戦後に限って言えば、韓国が経済的・産業的な部分で日本より遅れていた時代はありましたが、現在では既に経済力でも拮抗している…と言ってよいでしょう。第一、戦後の一時期に韓国が経済的に遅れた原因は、長きに渡る日本の侵略的支配と文化破壊が大きな原因の1つですし、第二次戦争後に東西両陣営の大国同士の対立が噴出した朝鮮戦争の犠牲になったせいでもあります。
 現在では、ハイテク分野や自動車産業等において日本と互角またはそれ以上の技術力を発揮しています。また、渋谷の最先端ファッションビル「109」のブティックで「カリスマ店員」によって売られている服の大半が、韓国デザイナーの手によるものだ…ということは、知らない人が多いかもしれません。今、日本の若い女性のファッションは、韓国からの買い付けによって成り立っているのです。

 さて、話が「デジカメサイトらしからぬ」方向へと行ってしまいました(笑)。

 私は、某総理大臣や某東京都知事のように、ワールドカップによってナショナリズムを刺激されませんでしたが、その代わりに「国と国の関係」「国家と個人の関係」「国家と宗教」など、実に様々なことを考えました。今回のワールドカップは、「国のあり方」を考える良い機会を提供してくれたのかもしれません。

2002/6/23

 ワールドカップ関連のニュースネタが続きます(笑)。 
 こんなニュースがありました。

 …「ブラジルに恐怖を与えよ」=イングランド、勝利へ神頼み……サッカーの「母国」と「王国」の対決に神頼み−。21日に行われるワールドカップのイングランド−ブラジルを前に、イングランドの英国教会サウスウェル教区主教に仕える典礼学者ジェレミー・フレッチャー師は、イングランドの勝利を神に祈る特別祈とう文をしたためている。20日のBBC放送が報じた。
 …「神よ ブラジルに勝利を与えたもうな」「神よ ブラジルの選手に恐怖を与えよ」 「神よ その手を上げ、ロナウドとリバウドの力を弱め、ロナウジーニョを混乱させよ」「神よ これらがかなわぬとも、土壇場でたとえオフサイドとおぼしきゴールでもイングランドに与えたまえ」「神よ かくして神はイングランドと共にあることを世界に知らしめよ」…

 「土壇場でたとえオフサイドとおぼしきゴールでもイングランドに与えたまえ」…というフレーズが笑えます。

 イングランド-ブラジル戦については、こんな話もありました。同じイギリスのスコットランドでは、国を挙げてブラジルを応援したそうです。スコットランド人は、300年前にイングランドに併合された恨みを忘れていません。つまり「敵の敵は味方」ということです。イギリス…すなわちグレートブリテンが「1つの国」だと思ったら大間違いですね。

   「英日曜紙サンデー・ピープルは23日、エリザベス女王が来年の新年の叙勲でサッカーのFIFAワールドカップTMでイングランドの主将を務めたベッカム選手に爵位を授与する可能性があると報じた。」…というニュースもありました。しかしその反面、厳然たる階級社会であるイギリスでは、下層労働者階級出身のベッカムを無視する上流階級層も多い…というニュースもありました。イギリスの王室なんて、しょせんは海賊の片割れじゃないですか…。

 ところで、イタリアチームの監督は、決勝リーグ出場を賭けた試合中に、はるばるイタリアから持参した「聖水」をベンチ前に撒いて神に勝利を祈ったそうです。「聖水」って何だ?

 まあ、各国共に必死なのはわかるのですが、中世に始まる歴史的な文化や国家の対立などが、そのまま現れているところが、何ともすごいですね。スペインチームの別名は「無敵艦隊」だし、イングランドチームの応援にロンドン子が集まったのが「トラファルガー広場」です。無敵艦隊をイギリスが破った「トラファルガーの海戦」にちなんで名付けられた広場です。これで、トルコとイタリアが戦っていたら、「レパントの海戦」の再来と言われるのでしょうか…。

 韓国国民の喜びようも半端ではありませんが、別の意味でのヨーロッパの狂乱を見ていると、「たかがサッカー」とはとても言えません。
 そういえば、北朝鮮がベスト16に残ったチームとして韓国を除く15国を発表…という記事も、かなり笑いました。韓国が決勝まで勝ち残ったら、どんなふうにコメントするのでしょうか…。それよりも、ワールドカップに対抗して北朝鮮で開催中の「大マスゲーム大会」、私はすごく見たいのですが…。NHKあたりでちゃんと放映してくれないかなぁ。

 今日の画像はまたまた、街で見掛けたバイク、HONDA「イーハトーブ125」です(CP2500で撮影)。
バイアルス「TL125」に続くHONDAのトライアル車ですが、数年間に渡って楽しんだ4スト、125CCのバイクです。トライアル車と言ってもコンペティションモデルではなく十分にツーリングも可能で、高速に乗れない不便さをおして、よく東北あたりまで走りに出かけました。最後の頃に、175CCにボアアップしてかなりコンペモデルに近いところまでチューン、多摩川の川原で行われる草トライアルレースなども楽しみました。
 こうしてまだ大事に乗っている人を見ると、嬉しくなります。今見ると、街乗りにもオシャレなバイクですね。

2002/6/21

 お気に入りのエッセイである池田信夫の「ドット・コミュニズム」の中から、 「死の接吻−官民プロジェクトはなぜ失敗するのか?」…という一文を読んで、思わず快哉を叫びました。
 「日の丸OS」と呼ばれた「TRON計画」の経緯については、まさにここに書いてある通りです。確かにTORONは組み込み機器向けのシステム用OSとしてはそこそこに利用されていますが、それもここへ来てJAVAやWindowsCE、そしてLinuxなどに置き換わりつつあります。ましてや、一般的な情報処理環境の中でTORONというOSがどのような末路を辿ったかについては、語るまでもありません。毎日TORON端末で仕事をしている…というビジネスマンには、一度もお目にかかったことがありません。TORONが「MacOSの貧弱な模造品で、CPUも時代遅れのCISCだった…」という内容はまさに事実であり、膨大な税金を注ぎ込み、国策として教育現場にまで押し込もうとした結果、何の成果も生み出さなかった現実を見ると、誰も責任を取らないのが不思議なほどです。
 それにしても、「国が主導することの愚かさ」になぜいつまでたっても気づかないのでしょうか? ハイテク分野では、「社会がデファクトスタンダードを決めた」ものしか、残りません。社会の発展や技術の発展を国がコントロールしよう…というのは、非常に愚かなことだと考えます。このエッセイにあるように、「第5世代コンピュータ、シグマ計画、ISDN、OSI、デジタル放送、第3世代携帯電話などの官民プロジェクトがことごとく失敗…」しました。そして今も国は、愚にもつかないIT政策を推し進めています。

 大きな話題となっている「ベッカムのサインを児童から回収、抗議殺到」…という記事、私も呆れました。
 「子供の気持ちに配慮していない」との抗議が殺到しているそうですが、それ以前に。「サインをもらえないこどもに配慮して、各校に均等に配って展示するため…」などと、真面目に考える教育委員会のスタンスが狂ってますね。いわゆる「悪しき平等主義」ってヤツです。きっと、教育委員会の連中は、本気で「不公平になってはいけない、平等でなくてはならない」と考えているのでしょう。教育現場におけるこの「平等主義」が、教育のダイナミズムを奪い、ひいては人間関係や社会環境の多様性に対して順応できない人間を増やしたことは確実です。
 だいたいこの手の「平等」などというのはある意味で幻想に過ぎず、人間は「平等ではない機会、平等ではない社会環境」の中で生きていかなければならないのです。こうした社会の中で生き抜く力をつけるためには、教育現場も現実の社会環境に近い状況に置いた方が自然なはず。「人間の能力には個人差がある」ことや、「運・不運など、人間の能力とは無関係の要素が働く」ことなどをきちんと理解し、その上で「本質的な人間の平等」を教えればよいだけです。「オルタナティブのない教育現場」は、人間の器量を小さくするような気がします。

 イタリア人は「韓国は八百長」って騒ぐな!…と言いたい。現代財閥が金を注ぎ込んだなどと言われていますが、電通などはFIFAにもっともっと金を注ぎ込んでますよね。だいたい「過去の16回の大会の中で開催国が決勝リーグに進めなかったことは一度もない…」なんて、そんなアホな…。「必ず開催県が優勝する」という日本の国体と全く同じじゃないですか。ホームタウン・ディシジョンなんて、ソルトレークオリンピックでアメリカがやったこと見てりゃわかる通りです。電通とFIFAとの関係を考えれば、日本だって実力以上の決勝リーグの進出という結果を出すにあたって「神の手」が働いたことは間違いないし、それを認めたからと言って実際に戦った代表選手達を貶めることにはならないはずです。現代の「スポーツイベント」が「金を生むコンテンツ」である以上、別に不思議なことではありません。プロレスと同じで、そういう現実を全て飲み込んだ上で、世界レベルの技術のぶつかり合いを楽しむのが「大人のスタンス」というものでしょう。会社ぐるみでトトカルチョでもやりながら楽しんだ方が、よっぽど健全です。

 また、ワールドカップネタを書いてしまいました(笑)。けっこう楽しんでるかも…です。

2002/6/20

 まあ時事モノということで、ワールドカップネタが続きます。
 日本中が「サッカー評論家」になりつつある日本。日本が敗退したゲームがあった先夜、私は知人から「なぜ日本が負けたのか、それは戦術が悪かったからだ」という話をさんざん聞かされました。むろん、その知人はサッカーの専門家ではないし、競技経験もありません。日本中の家庭や居酒屋で同じような会話が交わされているのかと思うと、なんとなく可笑しいですね。
 ところで、決勝リーグの初戦敗退によって、日本チームの解散が決まりました。それとともに、トルシエ監督の退任も決まりました。毀誉褒貶が激しいトルシエ監督ですが、私は好きです。
 むろん私は、何かを語るほどサッカーについて知っているわけではありません。そういう面では、居酒屋の片隅で日本代表の戦術論や選手起用法について議論を闘わせているサラリーマンのオッサンやにわかサポーターと同じです(笑)。その素人の私は、あの弱かった日本代表チームが今回決勝リーグに勝ち残った最大の理由は、トルシエという人物の存在と働きにあった…と考えています。

 サッカーという競技は、まさしく西洋文明圏のスポーツであり、文化です。トルシエは、サッカーの日本代表を育てる過程で、あらゆる「日本的なもの」を拒否しました。「日本的な人間関係」「日本的な世論」などには、一切配慮しませんでした。あくまで「西欧流優位」を確信する姿勢で、独裁的に代表監督の権力を行使しました。これが、日本サッカーを「西欧や南米諸国に伍すレベル」に引き上げたのだと思います。
 トルシエというフランス人は、「日本を外から見る」という視点・立場に徹したのだと思います。行動規範を決める上で、日本の文化や社会慣習への同化を徹底して拒否しました。誤解を恐れずに言うと、トルシエは西欧キリスト教文明圏に属する人間固有の伝統である「異教徒への蔑視」「アジア人への蔑視」を、絶え間なく持ち続けたのだと思います。これは彼の人間性のレベルが低いからではなく、「血」であったのだとも考えます。それでもトルシエに人間的には優れた部分が多くあったことは、彼と寝食を共にした日本代表メンバーの一部の解散会見での言葉からも伺えます。彼を心から慕っていたメンバーがたくさんいたことは確かです。トルコ戦の敗戦後、泣きじゃくる選手の肩をそっと抱くトルシエは、まさしく「父親」の愛情を持って接していました。ゲーム後に涙を見せたトルシエの会見は、「文明を超えた」人類共通の感情の存在を感じさせたものでした。
 彼は、今回のワールドカップ開催を通して選手を褒め続けました。何度も「選手を誇りに思う」という言葉を口にしました。一丸となって応援するスタンドのサポーターの力を、最大限の好意で指摘しました。彼は、日本のサッカーの技術とそれを取り巻く環境が、西欧文明圏のそれに近づいたことを評価したのです。
 結局のところトルシエは、「典型的だが、きわめて良質なヨーロッパ人」であったのだと思います。「ニッポンに居ながら、ニッポンの外にアイデンティを置き続ける」ことで、結果的にニッポンに大きな影響を与えた…トルシエの功績は、ある面でモースやクラークなど明治維新後の日本近代化に貢献した「お抱え外国人」によく似ている…と思う次第です。

 私は、けっこうトルシエのファンになりました(むろん通訳のダバディ氏とセットです…笑)。顔を真っ赤にしてしゃべり続けるトルシエって、けっこうかわいいと思います。今後TVで、トルシエ&ダバディの「一心同体」コンビが見られなくなると思うと、何か寂しい気がします。

 さて、トルシエ氏の4年間の貢献に対して「国民栄誉章」は絶対に似合いません。むしろ、日本国民の彼への想いと愛を込めて、2ちゃんねるのこちらのスレを捧げるべきでしょう。誰かこのスレを全部フランス語に訳して、「トルシエタン」に読ませてやって下さい。それにしても、「トルシエタン、ハァハァ」…ってどう訳すんだろう?(笑)。

 今日の画像は、オフィスの近くの歩道に停めてあった、SUZUKI「ハスラー90」です(WS30SLIMで撮影)。
 2スト車が好きで、小排気量車が好きで、デュアルパーパス車が好きな私にとっては、これ以上のバイクはない…というほど好きなバイクです。ただ、生産中止になったのが確か1979年頃ですから、程度のよい車両にお目にかかることは少なくなりました。個人的にはハスラー90を所有していたことはないのですが、友人のクルマを預かって、半年ほど乗り回していたことがあります。河原で遊んだりするのはすごく楽しかったし、90CCとは言えけっこうトルクがあるので、ちょっとしたツーリングにも十分に使えるバイクでした。

2002/6/19

 今日の画像は、池袋西口にある「典座」というラーメン屋です(WS30SLIMで撮影)。秋葉原にもある有名店で、3ヶ月ほど前に池袋にも開店しました。開店時に食べに行ったのですが、その時は「不味い」と思いました…って話は前に書きましたっけ?。
 塩や醤油など厳選された天然素材だけを使っているとのことですが、私にはまったく美味しくありませんでした。ともかく「味が無い」し「妙に油っぽい」のです。私は化学調味料味は好きではありませんが、天然素材だけを使っていれば味が無くてもよいというわけでもないでしょう。でも、その後ネットを見ていると、なかなか評判が良いのです。ここのラーメンを美味しいと評価する人がけっこういます。そこで、今日のお昼に再度挑戦して見ることにしました。
 結果は…、やはり美味しくありませんでした。今回は、新メニューの「つけ麺」を食べました。600円です。前回食べた「典座ラーメン」よりはマシだと思いましたが、同じ池袋西口の「七福神」のつけ麺の方が、はるかに美味しいですね。内装は今風で、ちょっと気取ったラーメン屋なのですが、個人的にはもう2度と行くことはないでしょう。

 NECのノートPC「LaVie J LJ300」を購入してから、約1ヶ月が経過しました。ノートPCと言えば夏モデルはずいぶん値上がりしています。…というより廉価版機種をラインアップから外したメーカーが多いですね。まあ、液晶パネルとメモリの需給逼迫を受けてのことでしょうが、それ以上に「パソコンの安売競争はしない」というメーカーの意思が感じられます。不況で売れなくなったパソコンは、もうメーカーにとって儲かる商品ではなくなりました。付加価値を上げて「適正価格」で売りたい…ということでしょう。
 かく言うNECも、LaVieJシリーズは、CD-ROM無しで廉価版のLJ300をラインアップから外し、CD-ROM&無線LAN付きの「500/700」だけになりました。いずれも20万前後の価格ですから、2002年モデルのB5モバイルノートで唯一12万円台で購入できたLJ300は、まさにギリギリのタイミングだったわけです。
 そのLJ300ですが、問題なく動作しています。デザインが安っぽく、強度不足を感じる点は相変わらずですが、実際に持ち歩いてみると特に気にはなりません。12.1インチの液晶パネルの視認性もよく、キータッチもまあまあ…。全体的に見て、12万円台のモバイルノートとしては、大きな不満はありません。Celeron650MHzのパフォーマンスは十分ですが、メモリは早急に384MBまで増設するつもりです。あと、WindowsXP Homeがインストールされているので、XP Professionalに変更する必要があります。
 さて、まずやるべきことは万一の事態に備えてCDブートのリストアが可能な状態にすることです。次に、DドライブをつぶしてHDDを1ドライブで使うために再フォーマットすること。LJ300のバックアップファイルはHDDに格納されているのです。純正CD-R/ROMドライブならば、リカバリーCDを作ることができますが、廉価版のLJ300はCD-ROM無しなのです。ネットワーク経由でバックアップCDを作ることも考えましたが、ここはブート可能な外付けCD-ROMドライブを購入することにしました。LJ300は、せっかくUSB2.0を搭載しているので、狙うのはUSB2.0対応のポータブル型CD-R/ROMドライブです。
 いろいろと探したのですが、ネット上でブート可能との報告があったPanasonic「KXL-RW32AN」が、コジマ電機で17800円とかなり安かったので購入しました。これはR×8、RW×8、ROM×24のUSB2.0対応の軽量ドライブです。
 作業は、まずUSB2.0のドライバをインストールすることからスタート、Microsoftのオフィシャルサイトからダウンロードした2.0のドライバをインストールして、コントロールパネルの「システム」プロパティでドライバを確認して終了。次は「KXL-RW32AN」をブートドライブとして認識させます。これは、C:\WINDOWS\system32\px.iniの中に、次のような文字列を加えることで完了です。

 [ADD03]
 Vendor=GENERIC
 Product=CDRRW09
 AsVendor=MATSHITA
 AsProduct=CDRRW09

 何でも、「CDRRW09」というのが「KXL-RW32AN」とのことです。
 これで「KXL-RW32AN」を認識したので、プロインストールされているRecordNowというライティングソフトを使って、Dドライブに収納されているバックアップ用ファイルからリカバリーCDを焼きます。私は、このRecordNowというライティングソフトを使ったことがなかったのですが、問題なくリカバリーCDの作成は終了しました。
 今度はこのリカバリーCDを使ってPCをブートし、HDDのパーティションを切り直す作業です。まずはマシンを再起動してBIOS画面を出します…

 …と、この話は長くなるので続きはまた明日。

2002/6/18

 ワールドカップネタが続きます。ワールドカップを見ていると、「アジア」という言葉が高い頻度で象徴的に使われます。曰く、「過去にアジアで決勝リーグに残ったのは○○と○○しかない」、「アジアのチームで過去に最も勝ち進んだのは○○」…等々。これはアジアが、「サッカー文化圏」としてヨーロッパやヨーロッパ文明の影響が大きい南米やアフリカなどとは明らかに異なることを示しています。アジア諸国にサッカーが根付いた時期がヨーロッパよりも大幅に遅かったことに起因するわけです。

 「東洋と西洋」という言葉は、相対する文化の概念としてよく使われます。よく似た言葉に、「ヨーロッパとアジア」があります。どちらもユーラシア大陸における地理的、地勢的な概念ですが、今回のサッカーのように文化的な概念としても使われることが多いようです。例えば、「アジアの文化は西欧社会にはない神秘性と柔軟性を持っている…」というような使われ方をします。世界は結局、ヨーロッパとアジアに分かれる…とする考え方ですね。サッカーの例でみれば判るとおり、アフリカや北米・南米大陸は「ヨーロッパ」の影響圏の範疇に入るわけです。
 その「アジア」という言葉、地理的に見てどこを指すのかイマイチ明確ではありません。また、文化の概念としてのアジアとなると、簡単に西欧文化と対比させて一括りにしてよいのか、はなはだ疑問なわけです。例えば同じアジアで括られるイランの文化と日本の文化は全く異なるもので、これは下手をするとフランスの文化と日本の文化の差よりも、大きな差があるかもしれません。同じように、インドの文化と日本の文化は全く違います。しかし、ヨーロッパから見れば、これは同じ「非ヨーロッパ圏」というわけなのですね。「非キリスト教文明圏」という言い方も出来るかもしれません。
 もう少し現実に即した文化圏でカテゴライズすると、日本は明らかに「中国文化圏」に位置します。そりゃ当然でしょう。日本よりも古くから巨大な経済圏、文化圏として東アジアに君臨した中国の影響を受けて社会を発展させてきたのが、朝鮮や日本です。

 さて、「アジア」の話に戻りますが、地理的な概念で見た「アジア」とはいったいどこでしょう。まずは「アジア」という言葉の語源から見てみます。
 アジアの語源は、アッシリア語(アッカド語)のアスー(assu:日の出)から来ているそうです。ちなみにヨーロッパの語源は、セム語のエレブ(ereb:日没)から来たものだそうです。アジアの語源には他にもいくつかの説があり、その1つはギリシャ語のアッソス(ASSOS)から来ているとするもので、アッソス(ASSOS)はトルコの半島アナトリアの突端にある地名だそうです。そしてさらにもう1つの説は、フェニキア人が付けたというもです。フェニキア人はエーゲ海の東側の地中海沿岸を「アス」と呼び、ローマがペルガモンを征服して現在のトルコ西部が属州を「アス(東)」にラテン語の地名接尾辞の「イア(ia)」を付けて「アシア」と呼んだのが、始まりとするものです。
 要するにASSで始まるギリシャ語、フェニキア語の言葉が、ともにより古いアッシリア語のアスー(assu:日の出)に由来したものだとすれば、後の2つの説は実は最初のアッシリア語源説と矛盾しません。単純な話で、日が出る方向は東であり、古代地中海世界では東の方にある土地をASSから始まる言葉で呼んだようです。余談ですが、アッシリア語はアッカド語の方言の1つで北メソポタミア地方で用いられたものです。アッカド語は最古のセム語であり、その文字は楔形文字ということになります。  古代地中海世界においては、事実上の「東の国」の限界は現在のトルコでした。従って、トルコこそがアジアであったわけですが、ともかく「東の方の土地」を指す言葉が「アジア」であることは間違いないようです。

 さて、繰り返しますが、実際のところ「アジア的」などという包括した文化圏の概念はありません。ヨーロッパ文化の存在を念頭に置いても、日本とインドは全く異なる文化圏ですし、朝鮮半島と中近東に文化的な共通性はほとんどありません(むろんシルクロードを通った文化の伝播はありますが…)。にもかかわらず、ヨーロッパでは「トルコ以東は全てアジア」です。ヨーロッパに住むキリスト教徒の価値観、文化観では、イスラム教徒もヒンズー教徒も仏教徒もみな同じであり、「東の方の非文化的で不可解な場所」なのでしょう。

 で、ワールドカップサッカーでの「アジア」という言葉の使われ方を見ていると、まさにこの「東の方の非文化的で不可解な場所」としての「アジア」という意味で使われているような気がします。むろん、ワールドカップにおける「アジア」は、予選における地域分けに依存しているわけですが、その予選における地位分け自体が、「古典的な地理概念としてのアジア」に依存しているわけです。  サッカーという競技は、結局のところ、「ヨーロッパ文化圏のためだけにある競技」なのでしょう。イラン人、インド人、韓国人、そして日本人がサッカーという競技に参加すること自体、ヨーロッパの人間には違和感があるはずす。ましてや、ワールドカップを開催したり、そこでヨーロッパのチームを破って決勝リーグに勝ち上がったりすることは、」もしかすると、彼らにとっては「すごく不愉快なこと」かもしれません。

 ところで、次のようなニュースを見ました。「…17日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは、日本はこれまでの勢いとサポーターの後押しで、W杯の決勝トーナメントで、欧州勢をうち破る最初のアジアの国になるだろうと分析、18日の対トルコ戦での勝利を予測している。」
 えっ…という感じです。ってことは、ワールドカップの予選ではトルコは「欧州」に含まれているのですね。知りませんでした。トルコは、サッカーの世界ではいつのまにか「ヨーロッパ」に「昇格」していたのです。

 ここのところ、日記の日付が正確じゃなかったみたいです。修正しました。それと、画像がないですよね。一応「指摘画像日記」なんですから、画像付けます…明日から…

2002/6/17

 昨日は久しぶりに秋葉原へPCのパーツを買いに出かけました。知人から頼まれた格安PCを組み立てるためです。
 何と言っても、決められた予算は35,000円。いかに安くてよいパーツを買うか…がポイントです。まず、マザーボードにはSOLTEK「SL75-DRV」をチョイス。これはチップセットにVIA VT8366+VT8233を使ったFSB 266/200 MHzのSocketAマザーですが、最近あちこちで安売りしています。このマザーを幸先良く5,980円でゲットしました。次いで、DDRメモリの256MBを4,000円弱、HDDは某ショップでタイムセールをやっていた5400rpmの40GBを6,980円、CPUはDuron1.1GHzのリテール版を7,180円、LANカードが780円、FDDが980円…と、順調に購入していきます。ビデオが問題でしたが、3Dゲームなどはやらないというので某ショップの店頭に1,980円で転がっていたNVIDIA Vanta 8MB(懐かしいっ!)を購入。あとは安いCD-ROMを買って2,980円のケースとマウス/キーボードで1,000円といけば、まあこれで予算内で収まる…と思ったのですが、依頼者が予算をオーバーしてもよいのでCD-Rが欲しい…と言い出したので、6,980円で32倍書き込みのCD-Rを購入し、しめて約40,000円のお買い物となりました。
 持ち帰ってビールを飲みながら(笑)早速組み立てましたが、全てのパーツが順調に動作、OSもインストールして無事組みあがりました。4万円で「CD-R付きのDuron1.1GHzマシン」が出来るのですから、まだまだ自作も捨てたものではありません。それに「SL75-DRV」を使った自作機ならば、いずれCPUやビデオカードをアップグレードするにしても、DVD-RAMドライブやキャプチャーカードを増設するにしても、思いのままです。

 ところで、秋葉原は最近少しづつ雰囲気が変わりつつあります。まず第一に食事をする場所が増えました。以前はまともに食事できる店が無く、昼時には困ったものですが、最近はけっこうまともなモノを食べさせるお店が増えています。パーツショップ街におしゃれなカフェも何軒かオープンし、裏通りのあたりでもあまりジャンキーな雰囲気がなくなりました。ちょっとしたデートスポットって感じでもあります。とはいえ、相変わらず、揃ってデイパックを背負った一見むさ苦しい若い男の集団が多いのも事実。秋葉原をデートスポットにするおしゃれな恋人たちは、まだまだ少数派のようです。

2002/6/14

 多くの人に惜しまれて急逝したナンシー関のサイト「ボン研」を、あらためて読んでみました。ボン研最後の彼女のエッセイでは、問題のNHK番組「奇跡の人」について、こう書かれています。

 「…そんなことより「奇跡の詩人」である。未見の方に説明すると、脳に障害がある11歳の少年が文字盤を指すことでコミュニケーションをとり(これは確立した方法として一般的に普及しているものらしい)、そして「詩」まで発表し、その詩が大きな感動を呼んでいるという話。その「文字盤を指す」のも単独では難しいので母親が抱きかかえるような状態で行われる。で、問題はここ。 「母親、勝手に動かしてねえか?」
何でNHKスペシャルともあろうものがこんな番組放送してんだろ。いや、この親子がインチキだとかそういうことは言ってない。そういう意味での「真偽」を指摘するには、もっと調べたりしてからじゃないと。しかし、「インチキに見える」ようなコレを放送したNHKの意図がわからないし、番組の性格上「インチキに見える」というのは「失敗」だろう。
前に、日本テレビの「ドキュメント2002」で放送された「多重人格の少女・ヒロ」と同じ。胡散臭いものとして笑っていいのならば問題はないが、「インチキ」を指摘することすら(無言のうちに)許していないわけである
。 本当に何なんだろうか。売れてるらしぞ詩集とか。お父さんの仕事はこの少年の「詩」をワープロで清書することらしいし。
この、詩の執筆(文字盤指し)を人前でやったりする「交流会」というのをやってたらしいのだが、何故か4月からは中止。フォーラム的なモノや公演会の類へのゲスト出演も、4月以降一切断っているらしい。別にだからなんだというわけではないけどさ。
でも「母親、勝手に動かしてねえか」と思わないで、「感動」に一直線に着地する人がいるんだから世の中広いわ。って、感動派の方が多数なんだけどね…」

 何となく、フフッと笑っちゃいます。彼女は間違いなく「インチキ」だと思っているでしょうが、そこは「公の文章」ゆえに、「…『真偽』を指摘するには、もっと調べたりしてからじゃない、」と公正なスタンスを述べた上で、「…しかし、『インチキに見える』ようなコレを放送したNHKの意図がわからないし、番組の性格上『インチキに見える』というのは『失敗』だろう…」と、あくまで「インチキに見える」点を批判するに留めています。さらに、この「詩」で一家が食べていることを皮肉る言葉を入れ、最後に「…『感動』に一直線に着地する人がいるんだから世の中広いわ。って、感動派の方が多数なんだけどね…」と、締めています。この最後の「感動派」のやすっぽい感性を揶揄する点で、見事に私と気持ちを1つにしています(笑)。

 彼女は急逝する直前に、過熱するワールドカップを巡る状況について、次のような発言を残しています。

 「…何かね、もう積極的に「嫌だ」とか「うるさい」とか絡んでいく気がしないのである。もはやちょっと引き気味。怖いです。気味悪いっす。長野五輪以降、大きなスポーツイベントが来ると、人は何故か心一つに束ねられてしまいがちなのは解っていたけど、今回のW杯は束が太い。結束しているヒモがきつい。凄いな。いや、別に束ねてどうしようとしているわけではないことも、時が過ぎれば驚くほどの早さでバラけることも知ってるけど。
(ロシア戦中継時)マンションの階下と思われるあたりから時折「ギャーッ」という奇声が聞こえてきた。(中略)あの「ギャーッ」というのに文句言っても、こっちに正当性はないのだろうな。でも普段は集合住宅のマナーをきちんと守っているカタギな善人が、カタギな善行として奇声を発しているって構造が怖いです…」

 これは、ほとんど私の心境と同じです。私もワールドカップについて「批判」する気もないし、日本の一次リーグ突破に関して「がんばったなぁ」という気持ちもあります。
 でも、この国を挙げての狂乱については、「怖い」「気味悪い」って感覚がすごく強いです。「カタギの集団の狂乱」というのは、もっとも恐ろしい。以前も書いた「全国の民放101局が同じ放送」…なんて状況は不気味以外のなにものでもない。それと「日本を熱心に応援しないのは非国民」「批判を許さない」って雰囲気も嫌いです。

 ナンシー関という女性が、「頭が良かった」ことは確かです。少なくとも、オルタナティブであろうとし、それを売り物にした「芸風」であったわけですが、それは単に芸風であっただけでなく、持って生まれた「物事の本質を見るセンス」に支えられていたように感じます。
 例えば同じように「毒舌」で売るビートたけしなどの書いたものを読むと、呆れるほど底が浅く、「時代に対する批評精神」を全く感じません。あれは「オルタナティブ」ではありません。ナンシー関が持っていた批評精神は、社会が健全に機能するために、欠かせないものであったような気がします。

 ナンシー関…、実に惜しい「批評家」を失くしました。

2002/6/13

 TVで夜のニュース番組を見ていると、サッカーの話題ばかりです。ワールドカップに全く興味がないわけではないのですが、あらゆるメディアがここまでサッカー一色になると、かなり食傷気味です。「多様性」と「オルタナティブ」の存在をもってマスメディアを認める私にとっては、サッカーの好き嫌いに関係なく、あまり愉快な状況ではありません。ワールドカップというイベントへの各方面からの莫大な投資を回収するためには、ワールドカップのコンテンツとしての価値を出来る限り上げざるを得ないマスメディアの立場は理解できますし、盛り上げるのも宣伝するのも大いにやって下さい。でも、「これ一色」になるのは面白くありません。
 さらに、ワールドカップ一色状態に対する不快感を募らせているのが、各TV局のサッカー専門キャスターやサッカー好き芸能人の存在。一部のサッカー専門キャスターなど、ニュース番組中、サッカーの話題を盛り上げようと絶叫に近いしゃべり方を続けます。ああ、もういいや…って感じ。サッカー教のアジテーターたらんとする意気込みはわかりますが、私の感性には合いません。

 話は変わりますが、TVで絶叫するサッカーアジテーターは嫌いでも、基本的に「アジテーター」っていう存在は嫌いじゃありません。どんな世界にもアジテーターはいますが、最もわかりやすい存在として「政治の世界のアジテーター」がいます。最近フランスやオランダの総選挙で話題になった極右政党の党首などは、まさにこのアジテータータイプが多いですね。必ずしも粗野なイメージではなく、大衆に対しては人あたりがよいイメージも大切にします。それでいて、いざとなると煽動的な言辞も辞さないし、インテリに対しては適度な恐怖心も煽る…といういくつかの顔を使い分けます。こうした欧州の右翼政党の党首を見ていると、日本の右寄りなアジテーターというのは、あまりうまくはない感じ。「ゴー宣」の小林よしのりや藤岡信勝などは言ってることがあまり面白くありません。彼らよりは某東京都知事などの方がアジテーターとしての素質があるようには思います。

 こうした政治的な部分も含めて、「アジテーター」という言葉で真っ先に思い出されるのは、谷川雁という詩人です。
 谷川雁というのは、1960年代に「総資本対総労働」といわれた三井三池闘争が終焉を告げた後、筑豊の中小炭鉱である大正鉱業で「大正行動隊」を組織して、最後の炭鉱闘争を担った男です。1960年代後半の全共闘運動や労働運動にも思想家として大きな影響を与えました。
 彼はその代表的な著作である「工作者宣言」の中で、自らの存在について「…大衆に向っては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者…」と書いています。これって、現代の欧州の極右政党の党首なんかにもぴったりと当てはまる言葉ですよね。

 この谷川雁、革命家というか社会運動家としては、その変革への基盤をあくまで「社会の最底辺層」に置きました。当時、既に萌芽しつつあった「市民主義」には徹底的に反発したのです。しかし、高度経済成長によって生活水準の平均化が進んだ日本では「社会の最底辺層」などは社会変革の基盤とはなり得ません。革命家としての谷川雁は、既に70年代には有効なものではありませんでした。にも関わらず、70年代においても谷川雁には厚い支持が集まったのです。70年代は、日本の左翼運動が敗退・後退していくプロセスでした。その中で「…状況論からすれば、自立とはまず後退戦における内的闘争のイデエである…」と言い切った谷川雁は、「滅びゆく左翼」の心の拠り所となった部分があったのです。
 いずれにしても1995年に死んだ谷川雁は、1960年代において、いや戦後の日本における最大のアジテーターでした。私がそう思うのは、彼の「理論」ではなく彼の紡ぎ出す「美しい言葉」によってです。谷川雁は、「ほんとうの詩人」でした。
 私は残念ながら、谷川雁の影響を同時代に受けた人間ではありません。既に彼の存在が忘れられ始めた頃に、彼の著作を手にしました。しかし、高校時代に「…おれは村を知り 道を知り 灰色の時を知った…」で始まる「或る光栄」という詩を読んだ時には、なんとも不思議な気持ちになったものです。散りばめられたメタファと極限の様式美に彩られた鮮烈な言葉の羅列には、「この世で最も美しいアジテーション」という感想を持ちました。彼の「思想」ではなく「言葉の力」に大きな影響を受けました。「こんな美しい言葉を書いてみたい…」「こんな美しい言葉で他者を煽動してみたい」…と真剣に考えたものです。

 さて小学生・中学生の頃から本が大好きだった私は、山のように本を読んだ挙句、結局のところ誰からも「思想的な影響」を受けることなく、社会人になったわけです(笑)。従って、個人的な行動規範の上では政治的な部分には全く関心も興味もなく、むろん右も左も無関係です。残念ながら「ボランティア」というレベルですら、社会との関わりは持っていません。選挙にもほとんど行きません(数年に1回、気まぐれで投票します)。世界の恵まれない子供達のため…とか、世界平和のため…とか、環境をよくするため…とか、様々な理由で社会と関わる行動を自らに課している人間にとって、私のような人間は「許せない存在」かもしれません(笑)。
 でも、アジテーターになろう…と考えて行動したことは何度もあります。何をアジテーションしたかって? そのうちに気が向いたら、別の場所にでも書いてみたいと思います。

 今日は、サッカーの話から始まって、デジカメサイトらしからぬ妙な話へと展開しました。いわゆる「筆が滑った」、というか「キーボードを叩く指が滑った」…みたいです(笑)。


※データベースから谷川雁の経歴を引用しておきます。

谷川 雁 (たにがわ・がん)

詩人、評論家。1923年熊本県水俣に生まれる。
1945年東大社会学科卒。戦時中、8ヵ月の軍隊生活中、3度営倉に入れられる。戦後『西日本新聞社』に記者として入社。日本共産党に入党し、労働争議を指導し解雇される。結核のため帰郷、60年安保闘争を機に離党。54年、第1詩集『大地の商人』を刊行。第2詩集『天山』(56年)で詩語の上で象徴主義的な暗喩を極限まで推し進め、『定本谷川雁詩集』(60年)を刊行後、「時間の王は死んだ」として、詩作の絶筆を宣言。53 年には長野県柏原へ、58年には福岡県中間市に移住し、森崎和江、上野英信らと雑誌『サークル村』を創刊、評論の道に入る。50年代末の三井三池闘争に加わり、大正炭鉱を拠点に精力的に活動した。
評論集『原点が存在する』(58年)、『工作者宣言』(59年)などで新左翼陣営に思想的影響を与えた。61年吉本隆明、村上一郎とともに同人雑誌『試行』を創刊。65年に上京し、言語教育の会社を興したり、子どもたちを対象にした言語教育グループ「十代の会」を主宰したり、宮沢賢治を中心に児童文化活動にも取組んだ。95年2月23日死去。

2002/6/12

 カジュアルウェアで、シャツをパンツの中に入れる…という着方が非常に嫌いです。スーツ着用時以外で、普通のカジュアルシャツやポロシャツをパンツやスラックスの中に入れて、ちゃんとベルトをしている男を見ると、ゾッとします。でもこの話って、若い女の子が「嫌いなオジサンのタイプ」って話をする時には、必ず出る意見ですよね。私はけっして若い女性に阿っているわけではありません(若い女性に好かれたいとは日々思っていますが…笑)。私が嫌いなのは、「体が締め付けられる感覚」なんです。
 私は身長が171p、体重が50Kgちょっとしかない痩せっぽちなのですが、昔から体にフィットした服を全く受け付けません。ウェストは、ちゃんと測ると30インチぐらいなのですが、カジュアルパンツを購入する時には1サイズか2サイズ大き目めのものを買って、腰まで落として履いています。シャツもアメリカンサイズのMが基本ですから、日本のサイズだとLになります。幸い手と足だけはひょろっと長いので、袖丈に関してはLで問題はありません。スーツだってアメリカントラッドが好きで、これはウェストが絞ってなくてゆったりと着られるからです。ウェストを絞ったジャケットは絶対に着ません。スーツを着てネクタイをする時、ボタンダウンのシャツの一番上のボタンは留めません。むろん、ボクサータイプの緩い下着しか履きません。要するに、全身ダボダボのだらしないスタイルが好きなのです。こうした「ダボダボ好き」の傾向は、年をとるに従って強くなってきました。この点だけをとっても、私はサラリーマンには向きません。
 ファッションというか、身に着けるモノに関するクセや好みって、人によっていろいろあると思います。例えば、私は「緑色」の服が嫌いです。アーミーグリーンは許容範囲ですが、明るい緑の服は他人が着ているのを見るのも嫌です。私は、エナメルっぽい光った靴が大嫌いです。ネクタイの結び目が太いのは、とても気持ちが悪いですね。プレーンノットで小さく締めるのが好きです。私は腕時計を右手にはめます(最近は腕時計をしない時も多いのですが…)。左手に腕時計は落ち着きません…。

 …こんな他人の服装の好みの話を聞いても、ちっとも面白くないですよね…やめます(笑)

 今日はナンシー関氏の訃報を聞きました。彼女の消しゴム版画は非常にオリジナリティが高く、また週刊文春に連載されていた「テレビ消灯時間」でのタレント評、番組評には、時折非常に鋭いセンスを感じました。部分的には自分と似た感性を持っている人だと思っていました。惜しい方を亡くしたと思います。合掌…

2002/6/11

 ワールドカップ、日本が決勝リーグ進出を賭けて戦う相手はチュニジアですが、このチュニジアチームのことを「カルタゴの鷲」と呼ぶのだそうです。カルタゴと言えば、言うまでもなく地中海の覇権を巡ってローマを相手に3度にわたるポエニ戦争を戦い、滅んだフェニキア人の都市国家ですね。私が小学校の頃に「読書感想文全国コンクール推薦図書」というのがあり(今でもあるかも…)、確か小学校の6年生だったか、「ハンニバルの象使い」という本を読んで以降、カルタゴという言葉は、象のイメージとともに頭の中に焼き付けられました(笑)。
 後に調べたら、この本の正確なタイトルは「ハンニバルの象つかい」(ハンス・バウマン作、大塚勇三訳)というもので、岩波書店から刊行されています。児童文学の名著としてよく知られているそうですから、少年時代に読んだことがある人も多いかもしれません。
 ポエニ戦争と言えば、ハンニバルが象を連れた軍団を率いてアルプスを越えてローマに進入、カンネーの戦いで大勝した第二次ポエニ戦争の経緯だけがよく知られていますが、私は何かの本で第三次ポエニ戦争について詳しく読んで、かなり感銘を受けたことがあります。負けるとわかっている戦いに全市民を挙げて立ち上がったカルタゴが、城壁内の女性や子供を含む市民全員が虐殺され尽くすまで戦う話で、私はカルタゴと言うと、この第三次ポエニ戦争の炎の中での大虐殺シーンが思い浮かぶのです。
 さて、塩野七生の「ローマ人の物語」がちょっとしたブームになっています。ハードカバーの刊行が終了したと思ったら、文庫シリーズの刊行が始まりました、まあ、「ローマ人の物語ブーム」というよりも、塩野七生という作家自体がここ数年はある種のブームになっているといってもよいかもしれません。ちょっとした知識人で、塩野七生を絶賛する人が多いことは事実です。以前ある雑誌で見た国会議員に対するアンケートの中で、「感銘を受けた本」という項目で塩野七生を挙げている議員がけっこういたのを覚えています。でも、この前ある雑誌の書評欄を見ていたら、「本当の知識人の間では塩野七生のローマ人の物語をけなし、ギボンを持ち上げるのが流行り…」という一文があり、これにはかなり笑いました。しかし「塩野七生をけなしてギボンを評価する」…感覚って、なんとなくわからないでもありません。大衆歴史ブームの頂点にいるといってもよい塩野七生を批判し、あまり読む人がいないエドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を褒めるということは、「自分は大衆歴史本読者などではない本格的な知識人だぞ」とアピールするよい機会になる…、と考える人がいても不思議ではありません。私自身も、ここまでブームになると、塩野七生が面白い…という話はあまり言わなくなる方ですから…(笑)。
 もっとも塩野七生は、個人的に嫌いではありません。ハードカバーで中央公論社から発刊された「海の都の物語」を読んだのは、もう20年以上前のことだと思いますが、内容から装丁まで実によい本だと思いました。中世のヨーロッパ史というのはあまり面白くないのですが、ベネチアの盛衰を描いた「海の都の物語」は、キリスト教とイスラム教が覇を競う地中海世界やベネチアの政治構造や社会状況を生き生きと描いていて新鮮でした。
 中世ヨーロッパ史というのは、ちょっと本を読んでみようと思っても、大衆書か極端な学術書かのどちらかしかなく、手頃な面白い本が少ないことは確かです。講談社現代新書にけっこう手頃な本が多く、「ハプスブルク家」「オスマンVSヨーロッパ」「聖なる王権ブルボン家」「ローマ法王の権力と戦い」…あたりは、ヒマつぶしによいかもしれません。あとは、白水社の文庫クセジュの中にも手軽で面白い本があります。

 さて、歴史書というジャンルには入りませんが、私は平凡社の東洋文庫が大好きです。中でも特に古い地誌や紀行、探検記が好きで、マルコ・ポーロの「東方見聞録」をはじめ、ヘルマン「楼蘭」、玄奘「大唐西域記」、ラジミール・アルセーニエフ「デルスウ・ウザーラ」、イッポリット・デシデリ「チベットの報告」、イブン・バットゥータ「大旅行記」、T.H.ローレンス「知恵の七柱」などが原典で読めるのですから、もうたまらないですね。もっとも内容への期待とは裏腹に、昔「大唐西域記」をまともに読み出したら眠くなりましたが…(笑)

 それにしても「読書」というヤツは、日常生活に飽きた自分を手軽に別世界へと運んでくれるので、個人的には実に便利な「ストレス解消法」です。

 話は変わって、今日の画像は世界で初めてMPEG-4に対応したハードウェアデコーダカード、バーテックスリンクの「REALmagic XCARD」です(COOLPIX2500で撮影)。
 面白い製品なんですが、MPEG-4はWindows Mediaや標準ASF形式には対応しておらず、DiVXのみの対応となっています。従って、eggyやD-snapで撮影した動画の再生には使えません。実際に使ってみたところ、DiVX5.0でエンコードした動画は、ソフトウェアプレヤーでの再生よりもずっとスムーズかつ高画質で再生できました。MPEG-4の他に、DVD、MPEG-1/2、VideoCD、Super VideoCDの再生に対応し、コンポーネント出力によってTVで高画質再生ができ、リモコンもついているので、動画再生の機会が多い人には面白い製品かもしれません。

2002/6/10

 「冷やしたぬき」の季節となり、先週は池袋西口劇場通りの「伊那」(立ち食いそばの名店です)で冷やしたぬききそばを2回、要町の「伊那」で冷やしたぬきうどんを1回…と、合計3回も昼食に冷やしたぬきを食べました。そして、今日の昼食も劇場通りの「伊那」で冷やしたぬきうどんです。私に会ってみたい方は、夏場は午後の1時前後に伊那に行けば、かなりの確率で会えるはず(笑)。それほどに、「伊那」の冷やしたぬきはうまいですね。
 冷やし中華も好きなのですが、池袋の冷やし中華なら、北口の老舗ラーメン店「流星」がうまいですね。この店、最近ではラーメン激戦区となった池袋地区では全く話題に上らない忘れられた存在ですが、なぜかここの冷やし中華だけは非常にうまいと思います。

 リドリー・ピアスンの「炎の記憶」(角川文庫)を読了しました。「毎日ミステリーを1冊」を目標にしていますが、本書ほどの内容となると、さすがに「通勤時間+お昼休みのカフェ」という1時間程度では読了しません。結局、昨日の外出時の地下鉄往復と合わせて2時間以上かけての読了となりました。ピアスンは、「深層海流」以来シアトルを舞台にした傑作ミステリーを書き続けており、私はかなりのファンであることを自認しています。「炎の記憶」はボールト&ダフネシリーズの第4作にあたり、彼の最高傑作に近いとも感じました。前作の「異物混入」もよかったのですが、今回の作品はボールドの内面がより深く描かれていたこと、主要な脇役であるベンという少年の存在が実にうまく描かれており、従来作にも増して重厚なミステリーに仕上がっていました。
 火災を題材にしたミステリーと言えば、火災生命査定人ジャック・ウェイドが活躍するドン・ウェインズロウ「カリフォルニアの炎」があります。この作品も昨年発刊されたミステリーの中では1、2を争う傑作ですが、これらの作品を読んでいると、「火災」というものが、ある種「人の心を惹きつける」存在であることがわかります。「放火魔の気持ちがわかる」というと言い過ぎでしょうが、少なくとも大きな火災を放心したように見つめる野次馬の気持ちた火遊び走る子供の気持ちなどはよくわかります。
 個人的にも「爆発」や「火」に興味がないかったわけではなく、小さい頃は人並みに火遊びもしましたし、爆竹や2B弾に熱中した時代もあります。

 そういえば、「2B弾」なんて、35歳以下の人は知らないかもしれません。危険ということで学校で禁止されていましたが、水中でも爆発するなど非常に面白い花火であったことを覚えています。こちらの写真が2B弾です。その2B弾の歴史について、こんなホームページがありました。

2002/6/7

 某東京都知事が、またまた物議を醸す発言をしたようです。「中国はパテントを盗む国、WTOに入る資格はない」…というものです。
 某東京都知事といえば、先日の「…犯人も挙がったが推測通り中国人犯罪者同士の報復のためだったそうな。しかしこうした民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れが無しとはしまい…」という発言、DNAという言葉は人種差別の根本に関わる部分です。これは、ヨーロッパの多くの国なら「犯罪」として処罰の対象になる発言ですね。どうも、今回の「中国はパテントを盗む国…」という発言も、前回の差別発言の延長線上にあるようです。

 さて、差別だの右翼だのというデジカメサイトに馴染まない話題は置いておき、ここでは冒頭の「中国はパテントを盗む国」…という発言について、少し考えてみましょう。
 日本は、さんざんパテントを盗んでここまで経済成長してきた国です。…というよりも日本は、つい20年ほど前までは、「パテントを盗む」という行為の意味さえ知らなかったと言っても過言ではないでしょう。
 例えば、最近中国製コピーが話題となっている工業製品といえば、バイクでしょう。東南アジアへ行くと、日本製スクーターのコピー商品が幅を利かせており、「ONDA」とか「HANDA」とか「YAMAHO」とか、日本メーカーと紛らわしいロゴのバイクが人気です。
 このコピーバイクに関して、先日、面白いニュースがありました。本田技研が自社のコピーバイクを作っていた中国の企業の「技術力」を認めて現地生産の合弁会社を設立した…という話です。つまり、あまりにコピー製品の出来がよいので、自社の製品の製造を任せることにした、というわけですね。
 この話があった後で、たまたま本田技研の方とお話をする機会がありました。「コピーメーカーを合弁対象にするというのは、ずいぶん思い切ったやり方ですねぇ」と話を向けたところ、その方はこうおっしゃいました。「中国のコピーバイクメーカーについては、相当に高度な製造技術を持っていると感心しています」「私たちの会社も草創期にはずいぶん海外の二輪車をコピーしたものです。コピー技術あっての現在の本田です…」。
 私はこのホンダの姿勢にはかなり感心、何とも実におおらかなよい話だと思いました。
 その通りです。二輪車を見れば、日本の二輪車工業の発展の歴史は、まさにコピーの歴史でした。戦後の名車の1つで浅間レースで活躍したYAMAHA「YA-1」は、ドイツの二輪車メーカーであるDKWのバイクをフルコピーしたものでした。まさに完全なコピーだったのです。当時は大東精機「DSK A-25」というBMWのフルコピー車もありましたし、かく言うホンダの名車「ドリーム」は、ドイツのNSUのコピーであったことも知られています。いずれも、現在の中国のコピーメーカーがやっているのと同じように、バイクを分解しては精密に測り、型を取って、そっくりのバイクを製造していたわけです。
 二輪車だけではありません。カメラなども海外製品をコピーすることで技術を発展させてきました。レンジファインダーカメラの時代、ニコンやキヤノンがライカのフルコピーに近い製品を作っていたことは、マニアならずとも有名です。
 現在でこそ、本田技研、ヤマハ発動機、日本光学、キヤノンなどは、日本を代表するトップメーカーです。しかしこれらの会社は、海外の製品をコピーすることで高い技術を身につけて現在に至っているのです。他の工業製品の多くも、明治期以来の「長いコピーの「歴史」によってその生産技術を発展させてきたわけです。
 私の専門領域(?)であるコンピュータ技術の分野でも、日本のメーカーはずいぶんコピーをしています。特にソフトウェアはひどく、アプリケーションソフトからOSに至るまで、海外、特にアメリカが作ったもののアイデアを平然と利用してきました。いまや、日本が世界の大国となったコンピュータゲームなどもそうです。「ドラクエ」に代表されるロールプレイングゲームの概念は、「イース」や「ウィザードリィ」などがアメリカで作られたのが最初です。ドラクエは「イース」や「ウィザードリィ」の基本的なアイデアを真似たものであることは、ゲームマニア知らない人はいないでしょう。
 さらにもう1点指摘しておけば、中国は世界のコピー商品大国かもしれませんが、そのコピー商品をコピーと知りながら大量に購入している最大の国の1つに日本があります。コピーブランド商品を平然と購入する日本人に、「他社のパテントを大事にする」という意識があるとは思えないし、コピーを作る国を批判する資格などないと思うのですが…。
 某東京都知事の発言を見ていると、こうした日本産業の歴史的背景についての知識の有無は別にして、「心の狭い人」という感じがします。差別主義者とか右翼であるとかいう評価以前に、「他者を批判することしかできない、狭量でつまらない男」という感じですね。
 コピー商品によって被害にあっている企業や個人の立場を考えれば、コピー商品は絶対に許すべきではないでしょう。知的所有権が非常に重要なものであることは十分承知しています。しかし、経済がまだ発展段階にある中国を貶めるような恣意的な発言には、ひっかかるものを感じます。

2002/6/6

 「盗まれたワールドカップ」というノンフィクションの中で、FIFA、特に元会長であるアベランジェと「電通」の密接で不透明な関係が暴露されていましたが、電通に限らず各国の巨大メディアグループとスポーツ利権の関わりには、何か胡散臭い部分がたくさんあります。
 こうした昨今のスポーツ利権の構造を考えてみると、結局は「スポーツはコンテンツである」…という一言に集約されます。例えば「ワールドカップ」はサッカーの国別チーム世界一を決めるトーナメントでもありますが、それ以上にオリンピックと並ぶ最大の「スポーツ・コンテンツ」というわけです。放送コンテンツであることはむろん、直接観戦したり、関連するパッケージメディアや書籍を購入したり、広範囲に使いまわすことが可能なコンテンツというわけですね。これだけの収入をもたらすコンテンツを作り上げるためには、膨大な作業工程が必要となり、あらゆる面でお金が動くのは当然でしょう。
 コンテンツという属性以外にスポーツが資本主義的なマーケットである所以は、用具、ウェアなど周辺のグッズの販売…と考えるのが自然な気がしますが、実はそうではありません。スポーツが巨大なマーケットである最大の理由は、「税金の投入先」であるからです。

 私は「スポーツ」という言葉に、ある種の胡散臭さを感じるのですが、それはこうしたメディアがらみの利権の問題に対してではありません。むしろ、「国家とスポーツ」の関わりに胡散臭さを感じています。
 国や自治体がスポーツ振興に使う予算、いったい年間いくらぐらいになるかご存知ですか? 正確に調べることはなかなか困難ですが、こちらを読むと、政府出資の「スポーツ振興基金」が約300億円…となっています。しかし、実態はこんなものではありません。各自治体が個別にスポーツ振興予算を組んでいる他、教育関連予算」「公共事業関連予算」など多岐に渡る分野で、間接的にスポーツ関連予算が使われているからです。例えば「箱モノ」と呼ばれる無意味な公共建築物の多くがスポーツ施設です。
 こうした予算を全て合計すると、5千億円を超える税金がスポーツ関係予算として使われている…という試算もあります。このあたりの話については、こちらのサイトで、なかなか面白い考察がされています。

 ところで、こちらを読むと、次のような意見が述べられています。
 「…そもそも、スポーツ振興は、現代の国家にとって重要な仕事のひとつであると、私は思っています。強い軍隊をつくるためではありません。肉体的にも精神的にも健康を保つために、スポーツは大きな役割を果たすからです。もちろん、そうした役割を果たすのは、スポーツだけでなく、各種の芸術や芸能、文学など、多岐にわたっており、人間は、それぞれの好みや特性に応じてこれらのものと関り、自分自身の人生を豊かなものにしていく努力をしています。しかしそのなかでも、スポーツは、数多くの人がそこから豊かさを汲み上げることのできるものであり、とくに肉体が成長する時期の青少年にとっては、非常に重要な役割を果たします。そのスポーツの効用を、望む人がふさわしい形で享受できるようにすることは、現代国家に課せられた重要な使命だと思うのです。とすれば、「スポーツ振興」は、まず国家予算をあてて行わなければならないものであると思います…」

 到底、納得できかねる意見です。余計なお世話もいいところ。スポーツというのは「国家」が莫大な予算を費やして振興するものではありません。スポーツは、あくまで個人で楽しむものです。
 ところが、上記のような考えのもとで、スポーツ振興のために多くの公益法人が作られ、日本体育協会(体協)やJOCのような、たくさんの専従職員を抱える組織が莫大な予算を遣っています。その結果が、「必ず開催県が勝つ国体」や「誰も使わない田舎の巨大なスポーツ施設」「莫大な強化費を使って予選も通過しないオリンピック選手を育成する」…などのバカバカしい話となって具体化されています。こうした話はずいぶん以前から問題とされていながら、いっこうに是正される様子もありません。ともかく、税金を遣って「スポーツで食っている人間」が多過ぎるのです。こういう奴らに「スポーツは青少年の健全な心を育てる」などといって欲しくはありません。
 その「健全」という言葉がやたらにスポーツと結び付けられるのも、私は嫌いです。スポーツをやっている人間は健全で、アニメやゲームに熱中している人間は不健全…なのでしょうか? 私は健全じゃないスポーツマンの例も、健全なアニメファンの例も、身近なところで同じ数だけ挙げることができます。
 さらに、ワールドカップを見ていればわかるように「スポーツはナショナリズムと結びつく」というやっかいな問題もあります。ナチスがオリンピックをどのように国威発揚のために利用したか…といった例をいまさら持ち出す気はありませんが、スポーツ振興とナショナリズムの惹起が表裏一体の関係にあることは、やhり心のどこかで認識しておいた方がよい問題でしょう。私のように、別にオリンピックもワールドカップも高校野球も興味がない…という人間は、「非国民」扱いされかねません(笑)

2002/6/5

 日常生活の中でテレビを見るヒマはあまりないのですが、それでもテレビは好きです。たまたま数年前に自宅近くに高層ビルが建ち、自宅が視聴障害地域になったために無料でCATVが引かれました。それで現在は、CATVでいろいろな有料チャンネルを契約している状況です。個人的には、CNN、BBC、ディスカバリーチャンネルあたりは外せないところ。BSはベランダのアンテナでダイレクト受信も可能です。CATVを契約する以前は、ベランダにパラボラアンテナが林立(ちょっとおおげさかも…)していましたが、現在はBSアンテナだけです。
 そんなわけで、CS放送というのは不要だと思っていました。ところが、今回私はスカパー(SKY PerfecTV!)を契約しようと真剣に考えています。それは、毎週土曜日にスーパーチャンネルで放送されている「燃えよカンフー!」という番組が見たいからです。

 この「燃えよカンフー(原題:Kung Fu)」という番組は、1972〜75年にかけてアメリカのABCネットワークで放送されたTVシリーズで、吹き替え版は日本のTVで何回も放映されました。
 内容はと言えば、「カンフーの達人がアメリカの各地を放浪しながら様々な事件に遭遇し、悪人を倒して事件を解決していく」…という単純なものです。主役はデビッド・キャラダインで、詳しくはこちらをご覧下さい。

 デビッド・キャラダインが演ずる主人公のクワイ・チャン・ケインは、「哲学的で、東洋の神秘を感じさせるカンフーの達人」と言った役どころです。クワイ・チャン・ケインの行動やセリフには、アメリカ人の考える俗な意味での「東洋の神秘」のエッセンスのようなものが詰まっており、日本の禅や中国武術が混ざった妙な「東洋思想」が描かれています。まあ、このあたりは笑って見過ごせばよいこと。また、古典的西部劇の勧善懲悪スタイルが貫かれているところも、なんとなく面白い。でも、そんなことよりも私がこの番組を好きだったのは、シリーズ全体が一種の「アメリカン・ロードムービー」であった…という点です。
 話の舞台になるたのは、アメリカの中西部の田舎町が多かったと記憶しています。この「中西部の辺鄙な州域を旅する男を描く…」というのは、ある種典型的なアメリカン・ロードムービーのシチュエーションです。そしてアメリカン・ロードムービーといえば、私は「ホーボーズ・ララバイ(Hobo's Lullaby)」というエッセイで書いたように、「成功を夢見ながら大陸を彷徨う人々」「権力に屈せず、自由な生き方を選んだ人々」であるホーボーが全米を放浪した19世紀末から20世紀初めにかけてのアメリカを思い起こします。さらには、ジャック・ロンドンの「ザ・ロード」やジャック・ケルアックの「路上」などの大好きな現代アメリカ文学を思い起こすのです。
 その上、デビッド・キャラダインは「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」という大好きな映画に主演しており、この映画で描かれた放浪のシンガー、ウディ・ガスリーと「燃えよカンフー!」のクワイ・チャン・ケインのイメージがダブる…というオマケもあります。

 ところで、こちらを見て初めて知ったのですが、「燃えよカンフー!」には、無名時代のハリソン・フォード、ジョディ・フォスター、そして「スタートレック」のウィリアム・シャトナーなどがゲスト出演しているとのことです。ますます、もう一度じっくりと見たくなりました。

2002/6/3

 普段の私が毎日持って歩くカバンと言えば、ManhattanPortageのDJバッグ、シェラデザインの小型のバックパック、EagleCreekのショルダーなどを、その日の気分と荷物の量で使い分けています。でも、フラリと街をお散歩する時には、もう少し小ぶりなバックが欲しいわけです。 私が街歩きの時に持って歩くものは、小型のデジカメ、文庫本1〜2冊、携帯電話、サングラス…といったところ。秋冬の時期は、ポケットの多いマウンテンパーカなどを着ているのでバッグは不要ですが、最近のように気温が上がってくると、ポケットには持ち物が入りきれません。一時はGregoryのヒップバックなどを使ってたのですが、イマイチ自分のファションと合いません。ウェストバッグというヤツは大嫌いですから絶対に使いたくありません。

 そんな私が、最近お気に入りのお散歩バッグが、Eddie Bauerのワンショルダーのバッグです(写真はWS30SLIMで撮影)。
 ワンショルダーのバッグってのは、本格的に使うタイプは「斜め掛け」を前提に作ってあり、右肩だけに引っ掛けることができません。ところがこのEddie Bauerのバッグは、ショルダーベルトの端をバッグの下部の右側、左側のどちらにでも取り付けることができるのです。つまり、斜め掛けをせずに右肩にでも左肩にでも掛けられます。こういうタイプのバッグ、意外と少ないのです。サイズも小さく、10リットルぐらいでしょうか…、小型のデイパックのそのまた半分ぐらいの容量なのです。縦長のデザインである点も好みに合っています。小型の実父ポケットが2つと、さらにメッシュのポケットがあります。
 お散歩グッズを全部入れても余裕があり、散歩の途中で本やシャツなどを買っても、入れておくことができます。値段も安く、確かEddie Bauerの店では4000円ぐらいで売っています。

 昨晩は、深夜ネットで調べ物をしていたのですが、ビールが飲みたくなったので何かツマミはないかとキッチンで冷蔵庫をゴソゴソと…。掲示板で読んだHIBIさんの書き込みを思い出し、ちょうどあった乾燥ワカメに土佐酢をかけ、ついでに冷蔵庫にあったカニカマを混ぜてみました。うまい!…というほどではありませんでしたが、まあそれなりにビールを美味しく頂きました。

2002/6/2

 「コンブ」の話です。スーパーなんかで売っている普通の昆布を買ってきて(別に高級品じゃなくても構いません)、それを適当な大きさに切ってオーブントースターで焼きましょう。時間にして2分ぐらいかなぁ…、トースターの窓から焼け具合を見ながら、ちょっと膨らんできたあたりでOK。「焼きコンブ」の出来上がりです。
 味は、最初からコンブに塩味がついているので、そのままでOKです。焼きたてを食べましょう。パリパリとした食感と塩味が、なんとも美味しいですよ。お茶を飲みながら食べると実によいのです。下手なお菓子を食べるよりもずっと美味しい。ビールのツマミにもバッチリです。
 まだ食べた事のない方は、是非お試しください。

 今日の画像は、池袋のアイリッシュパブです(COOLPIX2500で撮影)。
 ギネスでも飲もうと思って今日の夕方に入ったら、店内は外人でいっぱいでした。日本人は誰もいません。店内にはなぜか大きなイングランドの国旗が掲げてあり、ワールドカップの観戦にきたイングランドのサポーターが大騒ぎです。アイリッシュパブですから、本来ならアイルランドのサポーターの溜まり場になるはず。きっと昨日はアイルランド人でいっぱいだったのでしょうが、今日はイングランドのサポーターで埋め尽くされていました。



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