WS30 の世界        

 
HOME
Mail
   
旧ファイル
6/19〜7/19日分
旧ファイル
5/23〜6/18日分
旧ファイル
4/19〜5/22日分
旧ファイル
3/18〜4/18日分
旧ファイル
2/13〜3/16日分

私的画像日記 〜デジカメとともに暮らす日々の記録

 

8/19 銀座をお散歩しましょう。今日の画像は全てeggyで撮影したものです。最近また、eggyをよく持ち歩いています。

まずは、シャネルのお店のウィンドウです。個人的には、この手のブランド品とは全く関係のない人生を送っていますが…


続いて、並木通りを歩きます。昔は名画座があったんだけど、なくなりました。でも、ここは好きな通りです。


カルティエのウィンドウです。オシャレな(何がオシャレかは別にして…)女性が出入りしていました。やっぱり自分の人生とはなんの関係も興味もありません。


これが数寄屋橋近くに登場したエルメスのウィンドウです。先月オープンして以来、すっかり銀座の新名所になりました。今日も、入り口に向かって数百メートルの行列ができており、入場制限を行っていました。しかし、「バーキン」でしたっけ?百万円以上するハンドバッグって、その価値がよく理解できません。


最後に、「日本一よく当たる」ことで有名な、数寄屋橋交差点の宝くじ売り場です。年末ジャンボの発売日には、日本中から買いに来るそうです。

8/17

 日記特別編 「ホントの話 その2」

8/16

 日記特別編 「ホントの話…」

    今日は私の誕生日です…

8/15  夏風邪をひきました。熱、喉の腫れ、鼻水と3拍子揃ったけっこうひどい状況です。普通はカゼぐらいで医者にはいかないのですが、仕事が多忙な折でもあり、今回はお昼休みにオフィスの近くの病院へ行って診察を受けてきました。ひととおり診察をした医者には、「十分な休息と睡眠をとるように」と言われました。「十分な休息と睡眠が取れるくらいなら医者になんか来ねえよ…」と思ったのですが、あえて口には出さず、おとなしく帰ってきました。帰りに薬局で院外処方の薬を受け取りましたが、そこでもまた薬剤師から「ゆっくり休養をとると早く直りますよ」と言われました。思わず「うるせぇ!そんなことわかっとるわい」と言いそうになりましたが、おとなしく薬を受け取ってきました。
 この暑い中でカゼをひいて不愉快なので、多少気が立っているかもしれません。よくないですね。穏やかにいきましょう…

 昨夜、某大手広告代理店に勤めている女性と話をしていたら、営業職の彼女はIBMのノートPC「ThinkPad 1620」を毎日持って歩いているとのこと。確か1.5Kgはあると思いますが、すごい体力だと思って感心しました。私はとてもじゃないけどノートPCを毎日持ち歩く気にはなれません。国内外の出張時以外には、絶対にノートPCを持ち歩くのはイヤです。以前、リブレットなら持ち歩くかと思って使ってみたのですが、900gのリブレット50でも重くてメゲました。前にも書いたけど、WindowsCE機やPalmなどPDAの類は、いろいろ使ってみたけど全てダメ。結局現在は、PCに着信するメールを転送して出先で読むためにiモードを使っているだけです。
 こんな状況にも関わらず、新しいノートPCの購入が秒読みに入りました。現在使っている「ThinkPad 240」に特に不満があるわけではないのですが、定期的に新製品が欲しくなるのは、しょうがないことです。
 ノートPCを購入するにあたっては、SONYとNEC製品を除外すること、重量が軽いほどよいこと以外に、あまり選択基準はありません。B5ノートなんて、どのメーカの製品でも性能面で大差はありません。CPUがCeleron600MHzでもPentiumV600MHzでも気にならないし、液晶サイズが10.4インチでも11.3インチでもOKです。レガシーI/Fなんか特に必要ないし、LANポートと海外で使うためのモデムと、USBが1ポートついていればOKです。HDDは20GBあれば多過ぎるぐらい。
 一応「ThikPad S30」が第一候補ですが、世界最薄というSHARPの「Mebius PC-MT1」にもちょっと食指が動いています。

 あー、今日は体調が悪いせいか、意味のない文をダラダラと書いているなぁ。もうやめます。

  今日の画像は、その病院で処方してもらった薬です(WS30で撮影)。あー、これもひどい画像ですね。透明のビニールの袋が光って、何が写っているのかよくわかりませんね。
 要するに、大量の薬だってことを見て頂きたかったのです。今、小泉内閣による「改革」のテーマの中に「医療費の抑制」も入っていますよね。たかがカゼをひいたぐらいで、5種類の薬を出すのだから、全医療費に占める薬価の割合はとてつもなく大きいのでしょう。製薬会社はめちゃくちゃに儲かってますね。その製薬会社には厚生官僚が大量に天下りしてるのだから、薬価の抑制なんて無理でしょうね…。
8/14  今朝、通勤電車に乗っていたら、キリンチューハイ「氷結果汁」の広告がドアのところに貼ってありました。その広告が…なんと3D写真なのです。私は、うれしくなっちゃいました。3D写真と言えば、子供の頃にお菓子のオマケに入っていた3Dのシールが好きで、よく集めた思い出があります。
 「3D好き」は大人になっても変わらず、一時期はホログラムに凝ったことがありました。
 ホログラムと言えば、10年ほど前までニューヨークのSOHOの一角に「ホログラム・ミュジアム」というのがありました。今はなくなっちゃいましたけど、Canal stのすぐ近くだったように記憶しています。その美術館ではレーザーを使ったホログラム制作の実演なんかをやっていました。

 立体視については、近年様々な方法の研究が進んでおり、中でもパソコンで表示する動画の立体視については、液晶シャッターを使ったり、ディスプレイ前面に液晶シャッター取り付けてそれを偏光メガネで見たりとか…、様々なハイテクを使った方式が実用化されています。しかし、こうした本格的な立体視はひとまず置いておいて、ここではもっと原始的でノスタルジックな「裸眼で見る3D写真」について考察してみましょう。私はこの「原始的な3D写真」というヤツが大好きなのです。


 日記特別編「3D写真の話」に続く…

8/13  先週末から、自宅のインターネット接続が不調です。自宅から自分のホームページにアクセスできません。Webアクセスだけでなく、FTPも接続できないのです。ところが、自分のホームページを置いてあるアメリカのサーバーだけにアクセス出来ないのであって、他のサイトには全てアクセスできるのです。最初はサーバーが落ちているのかと思いましたが、オフィスからはアクセスできるし、他の皆さんも掲示板などに書き込みをされています。そうすると、私の自宅からだけ、しかも自分のホームページを置いてあるサーバーにアクセスできないわけです。
 私は自宅ではプロバイダにAT&Tを使い、フレッツISDNでアクセスしています。こうなると疑うべきは、自分のプロバイダかフレッツISDNです。特定のアドレスにだけアクセスできないという症状は、他のプロバイダでも時々発生します。オフィスで利用している専用線、OCNエコノミーは、一時広範囲にcomドメインの一部にアクセスできなくなったことがありました。とりあえず、AT&Tのサポートにメールを出しておきましたが、どうなることでしょうか? そんなわけで、この3日間、まともにサイトのメンテナンスが出来ませんでした。自宅からは日記もアップできないし、掲示板への返答もできない状態が続いているのです。解決するまで当面は、夜間のレスポンスが不可能な状態が続きます。

 そういえば、前にこの日記で「高校野球の有名監督が人生論を説教するのが嫌い」って話を書きましたが、人間はちょっと有名になるとみんな講演や著作などで「人生論」や「教育論」をブチたがります。引退したスポーツ選手や、売れなくなった芸能人、政治家などで講演でメシを食っている人間は多いですね。有名人というだけで講演を依頼する方も悪いのでしょうが、脱税で捕まりそうな野村沙知代の教育論やヤク中の息子を育てた三田佳子の教育論など聴いて、いったいどうなるのでしょう? 何でもデヴィ婦人とやらも、講演でひっぱりだこなんだそうです。悪い冗談としか思えません。でもまあ、こんな人たちが教育論を展開する程度ならかわいいものです。
 「教育論」に目覚めた有名人の中で、そのまま「他人を教え導く」方向に突っ走る人もいます。例の「戸塚ヨットスクール」の戸塚宏氏などは、確か唯のヨットマンだったはず。何を思ったか、独自の教育論を実践し始めたわけですね。別にここで戸塚宏氏の実践的教育手法「脳幹トレーニング」の是非を問うつもりはありません。でも先日某雑誌を読んでいたら戸塚宏氏の支持者が「…戸塚宏を有罪にすれば、日本は酒鬼薔薇聖斗やバスジャック少年や宅間守を真人間に変える方法を知る、唯一の人間を失うことになります。教育改革の道を照らす一条の光を失うのです」…なんて書いていたのには、正直言って唖然としました。
 さて、私の見るところ第二の戸塚宏になりそうなのが、先日参議院議員になった大仁田厚氏です。彼が、ある雑誌上で淘々と教育論を展開しているのを読みましたが、感想は…差し控えましょう。
 競技分野を問わず有名スポーツ選手が引退後に教育方面に走ることは多いですね。「スポーツと教育」は、何か関係があるのでしょうか? 私の個人的な交友と体験の範囲では、スポーツを熱心にやることと「人格形成」とは何の関係もなさそうです。確率論的にも、「スポーツを熱心にやった人は、人格的に優れている」ということは無いはず(統計はないのでしょうが)。全国制覇を何度もした有名な大学ラグビー部が集団レイプ事件を起こしたり、同じく全国でもトップクラスの大学剣道部が集団リンチ事件を起こしたり…、こんな事件は枚挙に暇がありません。あるスポーツで有名になった大学の職員をやっている友人によると、そのスポーツ部は大学の経営に大きく寄与しているので、年中起こる部員の不祥事をもみ消すのが、大学職員の重要な仕事になっているそうです。スポーツを熱心にやっていると優れた人格が形成される…というわけではなさそうです。
 そうすると、何故世の中の多くの人が「スポーツ選手」や「スポーツ指導者」に「教育者」であることを求めるのでしょうか? 不思議です。

 今日の画像は、愛用のFinePix4900zです(DC3800で撮影)。まあ、仕事で使う分には特に問題のないカメラですが、条件によっては合焦しにくいケースがあること、バッテリーう寿命が短いこと…など気に入らない部分もあります。でも最近は、このFinePix4900zの出番が減りつつあり、代わりにちょっとした仕事でDSC-MZ1を使うケースが多くなってきました。
 とは言うものの、本格的な仕事用にはマニュアル機能の完備したデジカメが必要です。「D1H」を買おうかどうか、ちょっと迷っているところです。
8/9  セレモニーがひどく嫌いです。「入学式」「卒業式」「結婚式」「開会式」…など、つまり「式」と名の付くものは全て嫌いです。どんなセレモニーでも、それををやる意味っていうのがよくわからないのです。
 セレモニーの意味って何でしょう?「気持を新たにする」とか「人生の節目に区切りをつける」とか「記念となる日を長く記憶に留める」とか、別に普通の記憶力と感性を持つ人間だったらセレモニーなんかやらなくても、自然にそうするようなことばかり。まさに全てのセレモニーは、時間とお金の無駄遣いだと思っています。
 ところで私は、数年前に中学校時代から非常に仲がよかった友人が亡くなりました。その時には当然葬儀が行われたのですが、私は葬儀に出席するのがひどく嫌でした。式などに出なくても、彼のことを一生忘れるはずはありません。「なぜ他人の弔辞など聞かなくちゃならんのか」と真剣に出席を悩んだものでした。ついでに私は「墓参り」なんてのも嫌いです。墓や仏壇に手を合わせても、亡くなった友人や知人が帰ってくるわけではありません。亡くなった人に対する想いは、人それぞれ心の中、記憶の中にあるものです。
 ところが、世の中には「セレモニー好き」な人がいます。私の親戚にも一人いて、親類の結婚式だの法事だのとなると何かと仕切りたがるのです。セレモニーも嫌いですが、こうした「セレモニー好き人間」はもっと嫌いです。
 さっきラジオのニュースで「第56回 長崎原爆忌」の式典の話題をやっていしまた。原爆が落ちた日を記憶に留めるため、世界の平和を願うために、なぜあんな式典をやらなくちゃいけないのか全く理解できません。原水禁関係の団体やら政府・自治体の代表者が延々と挨拶を読み上げるのを炎天下で聞いていると、核兵器はなくなるのでしょうか?
 ついでに言わせてもらえば、市民団体がよくやる「ダイ・イン」とか「人間の輪」なんて行動も意味不明です。あんなことをやることに何の意味があるんだろう…。

 まあ、セレモニー嫌いとは言っても、親類の結婚式やら取引先の社屋落成式なんてのがあると、しょうがないから顔を出したりもします。つまり、人生を円滑に暮らしていくための「妥協」的な行動ではありますが…。要するに小心者なのです(笑)。

 本日の得体の知れない画像は…、灰皿です(WS30で撮影)。  真ん中に突き立っているのは、怪しいものではありません。実は、シアトルの「スペース・ニードル」です。ホラ、映画「メン・イン・ブラック」の中で「宇宙船の隠し場所」にされた、あの建物です。スペース・ニードルは、1962年にシアトルで世界万国博覧会が開催された際に建設・公開されたタワーで、高さは約180 メートル、展望台からはシアトルのダウンタウンが一望できます。要するにこの灰皿は、中心部にスペース・ニードルが立っている灰皿なのです。むろん、シアトルでスペース・ニードルに上ったときに、展望台の土産物屋で購入しました。言ってみれば、「最も低俗なみやげ物」ですね(笑)。
 むろん、こんなくだらないものを他人へのお土産には絶対に買ってきません。というか、私は国内外を問わず「他人への旅行のおみやげは買わない」主義なのです。他人からももらうこともありません。お土産なんて、たいていはもらってうれしいものはありませんから…。
8/8  今日はeggy動画「夏休み編」です。
 まずは、「カブトムシの決闘シーン」をどうぞ。


 次に、「かっぱえびせんを食べる猫」です。一応飼い猫なんですが、何故か怯えています。


 そして「巣にかかったアリを食べるクモ」の様子です。eggyはマクロで動画が撮影できないので、はっきりとわかりませんね。


 ちなみに、これらの映像にチラッと声が入りますが、別に私の家族ではありません。
 私は、基本的に「アットホーム」な写真や映像は苦手です。…というよりも、家族やプライバシーをテーマにする画像や映像は、可能な限り公開しないことを原則にしています。というのは、他人が見ることを前庭に公開するホームページというメディアは、虚実ないまぜにして創った方が、「作品」としての完成度が高まる…という不埒な考えを持っているからです。なんというか、プライバシーを題材にするのは「安易な作品創り」という感覚があります。
 やっぱり、「ある程度のプライバシーとある程度の虚構」を混在させて、なんとなく作者の本音を散りばめる…ぐらいがちょうどよいのでは…
8/6  世の中には不思議な生き方をしている人間がいます(…と言うほど大げさな話ではありませんが…)。
 それは土曜日の深夜のことでした。池袋東口のパルコの前に、手書きの詩をコピーしてホッチキスで綴った「詩集」を売っている若者が座り込んでいました。友人と歩いていた私は、少しお酒が入っていたこともあり、詩集を手にとってパラパラとページをめくってみました。まあ、はっきり言ってお世辞にも上手いとは言えない非常に稚拙な詩であり、まるで小中学生が書いたような内容です。詩集は20ページぐらいで、1冊1,000円だそうです。
 「こうして売るのは、週に3〜4回、特に場所を決めず都内のあちこちで売っている」とのこと。どれくらい売れるのか聞いてみたところ、「多いときには1ヶ月で30冊ぐらい。少ない時には1冊も売れないこともある。平均すれば1ヶ月で7〜8冊程度」…とのことです。酔っ払いがよく買ってくれるとのこと。  普段は何をやっているのか?と聞いたら、「仕事はしていない。毎日詩を書いている」というのです。でも1ヶ月に1万円にも満たない売上げでは食べていけないでしょう?と聞いたところ、「友人の家に居候している。月に1万円もあれば食べていける」というのです。聞くところによると、TVもないし新聞も読まないのでニュースは知らないし、世の中のことには興味はない。仕事をする気は全くない。自分を見つめて生きていくのが落ち着く…とのことです。
 一見して学生風で最初はかなり若いと思ったのですが、よく見るとかなり年齢は上で、20代の後半から30才前後のようです。30才になって(推定ですが…)、友人の家に居候し、毎日詩を書いて、月に1万円前後の収入を得て生活している…、これはもう浮世離れしているとしか言いようがありません。

 この「詩人」の生き方を非難するつもりはありません。特に疑問を感じることなくこういった生活がおくれる人は、ある意味で非常に幸せな人です。かと言って、うらやましいとも思いません。「人間と社会との関わり方」には実にいろいろな形があるものだと、あらためて思い知らされているだけです。
 考えてみれば、自分は20代の半ばにフリーランスとして独立して以降、非常に忙しい人生を送ってきました。遊ぶ時には遊びましたが、それも仕事の合間を縫って休みを取り、ギリギリのスケジュールで遊んでいたわけです。道端で詩集を売る生活がしたいとは思いませんが、でも、これまでの生き方とは全く違った人生を歩みたくなる今日この頃です。

 今日の画像は、最近お気に入りの「カード型CD-R」です(WS30で撮影)。
 完全に長方形のカード型CD-Rもありますが、これは8センチCD-Rの2辺をカットした変形カード型です。52MBと容量は少ないのですが、ちょっとしたデータをバックアップして持ち歩くには、非常に便利です。1枚が70円程度とちょっと高いのがタマに傷。どなたか、このカード型CD-Rを安く売っている店をご存じないでしょうか?
8/5  ここのところ「欲しい!」と思うデジカメがあまりなかったのですが、久々に気になる製品が登場しました。旭光学工業(Pentax)の海外向け新製品「EI-100」です(こちらこちらの記事を参照してください)。
 原色系130万画CCDを搭載する単焦点カメラで、F2.8と割と明るいレンズを搭載しています。何よりも気に入ったのは、銀塩コンパクトを髣髴とさせるオーソドックスでグリップのよさそうなデザインと、レンズが中心部にある点です。またモード変更は上部のダイヤルボタンを利用するのもいいですね。
190gと200gを切る軽量、そしてコンパクトフラッシュの採用、露出補正を持つ点など、スナップカメラとして非常に使いやすそうなスペックです。唯一気にいらないのは単三4本を使う点ですが、その点を除けば個人的にはほぼ理想に近いデジカメです。非常に欲しい製品ですね。国内販売の可能性があるかどうか知りませんが、私はこのままのスペックで販売されることを強く希望します。

 さて、今日はeggyの動画を2本。神宮球場のナイター風景です。
 まずは、まだ明るさが残っている夕暮れ時のグラウンド風景。ビールを売るアルバイトが、元気にスタンドの階段を上り降りしています。風に吹かれて飲むビールがとても美味しいですね。


 こちらは、回が進んで夜もふけてきたところ。やっぱりビールが美味しいのです。勝ち負けを気にせず、ナイターを楽しみましょう。 


8/3 うっ…、胃が痛い。
すごく痛い。 何も悪い物食べてないのに…
今日は、もう寝よう…
8/2  「兵庫県明石市の歩道橋で花火見物客ら165人が死傷した事故で、花火大会の主催者側の同市の幹部と警備会社の担当者が事故直後、『茶髪の若者が暴れたことが事故原因ということにしよう』などと口裏合わせをし、その通りの発表をしていたことが2日、県警捜査本部の調べで分かった…」
 これは、あまりにもひどい話です。「茶髪の若者」に対する世の中の偏見を利用しようとした、非常に卑劣な行為ですよね。私は、こういう大人達が生理的に大嫌いです。クソヤロー達ですね。「茶髪の若者が暴れた」とか言えば世の中の大半が納得するだろうと考えた明石市の幹部らもフザケていますが、現実に納得した人間も多かったという世の中全般にはびこる偏見にも腹立たしい思いがします。もしかすると、文部省あたりが主導した「茶髪禁止法案」なんてのが国会に上程されたら、法案が通るかもしれません。

 まあ、「他人と違った格好をしているヤツはロクなヤツじゃない」という、非常に日本的な風土と共同体意識が根底にあるわけですが、どうもこれは昨日書いた「高校野球が嫌い」という話に合い通じるものがあります。多くの人のイメージの中では、「茶髪の若者」というのは「甲子園球児」の対極の位置にあります。「甲子園球児」があるべき健全な若者の姿であり、「茶髪」は不良少年の姿なのでしょう。  先だって、プロ野球のどこかの球団で「茶髪禁止令」を出したところがありました。笑っちゃいましたね。髪の色を染めるといえば、NBAのシカゴ・ブルズのロッドマンを思い出します。髪を七色に染めたロッドマンが颯爽とリバウンドをもぎ取る姿は、カッコよかったですね。プロのスポーツ選手が髪をどんな色に染めようと、何か問題があるのでしょうか。でも、プロ野球選手に対する茶髪禁止令を、「茶髪を不快に思う大人が圧倒的に多い」という現状と照らし合わせると、球団のイメージアップのためにはやむを得ない措置と考えることもできますね。あーやだ。

 結局この国では、私のような「社会人の大人」は、とりあえずスーツを着ていればまともに見えるんでしょうね。私なんか仕事柄、スーツを着ることなど月に2〜3回です。普段はジーンズにTシャツ、綿パンにボタンダウン、スニーカーを履いてデイパック背負った格好で毎日オフィスに通勤しているわけです。もし、電車の中などでケンカにでも巻き込まれて、相手がスーツを着た人間だったら、警察は相手の言うことの方を信用するでしょうね。
 「他人と違った格好をしているヤツはロクなヤツじゃない」という見方を「非常に日本的な…」と書きましたが、むろん「他人と違う格好をしているだけで偏見の目で見られる国」は日本だけではありません。イランやアフガニスタンのようなイスラム原理主義国家はそうでしょうし、朝鮮民主主義人民共和国やイラクのような全体主義的な国家もそうでしょう。ただ、こうした国と同じだからといって自慢できることではありません。
 移民で構成されるアメリカやヨーロッパの多くの国では、肌の色はむろん、髪の色や眼の色が違うのは当たり前、また背景となる文化や宗教が異なればファッションも異なるということが当然のように認知されています。私は、思想うや主義主張はともかく、個人の趣味や嗜好が大切にされる社会で生きていきたいなぁ。
 あー、妙なことに怒ってしまいました。

 今日の画像は小田急線の「世田谷代田駅」です(DSC-MZ1で撮影)。
 環七のすぐ横にあるこの駅は、なんとなく寂しい駅です。隣は下北沢駅ですから、若者達で毎日賑わっています。でも、この世田谷代田駅は、昼間は乗降客も少なく無人駅のよう。でも、なんとなくホッとする、昼下がりの駅構内の風景です。
8/1  夏の甲子園大会の季節になりました。唐突ですが、私は高校野球が嫌いです。高校生が野球をやることが嫌いな訳ではなく、全国高校野球大会とその背景にある「文化」が嫌いなのです。こんなことを書くと、「ふざけたヤローだ」と思う方も多いかもしれません。

 まず、全員が揃って頭を丸坊主にしている高校生を見ると非常に気持が悪い。先日ニュースで話題なったPL学園野球部の寮における暴行事件のように、先輩・後輩の関係で当然のように理不尽がまかり通る体育会系文化への嫌悪感も非常に大きい。監督など高校野球指導者と称する人間が、偉そうに人生論や精神論を説くのも気持悪い。監督が部員を鉄建制裁するのは、単なる理不尽な暴行。エラーした選手や敗戦投手など、やたらに泣くのも気持悪いなぁ。涙を美談にするアナウンサーや解説者も嫌いです。甲子園に出場した母校の応援に学校や家族・地域をあげて応援に繰り出す人々も嫌い。だってそんな街に住んでて「オレは応援にいかない」なんて言ったら、村八分になりそうです…。

   そして極めつけが、中継放送でアナウンサーや解説者が連呼する「高校生らしい」という言葉。そして「青春」という言葉。私のように、学校サボってバイクに乗ったり、プチ家出し放浪してたヤツは高校生らしくないのでしょうか? パンクロックが好きで耳に安全ピン刺してバンドやってるのは青春ではないのでしょうか? 湘南海岸で真っ黒になってサーフィンに興じる高校生は、甲子園を目指して汗を流す少年よりも、価値が低い生き方なのでしょうか?
 要するに、甲子園を目指す高校野球選手を取り巻く人々や、高校球児への賛美を繰り返すメディアなど、ステレオタイプな「高校生らしさ」の象徴として甲子園大会を喧伝する「文化」が、生理的に我慢がならないのです。

 甲子園大会を頂点とする高校野球を取り巻く文化は、「自分達の好みのタイプに若者を型に嵌めたい大人や社会の思惑」、「上に立つ人間への絶対的な服従」、「極端な地域性や共同体意識」…などが鼻につく、ある意味で非常に日本的なものです。夏の甲子園の季節になると、これが一つの「価値観」として広くプロバガンダされる…そんな感じを受けます。
 なんとなく、夏の甲子園の季節に「高校野球が嫌い」「負けて泣くのは気持悪い」とか言ったら、袋叩きにされそうな雰囲気です。「高校生」とか「青春時代」とか言う言葉には、多様な生き方や価値観が含まれているはずです。社会的な存在としての人間は皆異なる価値観を持っている方がいい、多様な在り方こそが人が人たる所以のような気がするのですが…

 誤解のないように言っておきますが、私は高校野球が嫌いだからといって、スポーツに打ち込む若者の存在を貶めるつもりは全くありません。第一、私は野球が好きです。特に小学生の頃は、野球大好き少年でした。父親が社会人野球をやっていたので、小学校に上がる頃から軟式野球ボールでキャッチボールをしていました。野球だけではなくスポーツ全般が好きです。今でも、アウトドアスポーツは何でも好きです。
 しかし、スポーツが好きということと、特定のスポーツを取り巻く文化的な背景が嫌いということは矛盾しません。スポーツが好きな私は、夏の高校野球全国大会が嫌いです。

 今日の画像は、DSC-MZ1で撮影した渋谷の街です。
 望遠側で撮影したのですが、MZ1の100ミリ前後の中望遠でもそれなりに圧縮効果のある画像が得られます。公開はできないのですが、MZ1の望遠側でポートレートを何枚か撮影してみたところ、背景がボケるところまではいかなくても、それなりに中望遠らしい絵になりました。広角側のスナップばかり使うのではなく、しばらくポートレートを撮影してみようと思っています。
7/30
  日記特別編 「デジカメのグリップ  
    
7/29  イヤなことが多い世の中です…

 今日の午後、地下鉄の御成門駅で3台しかない切符の自動販売機のうち2台が故障、1台しかない販売機に買う人がずらっと並んで、ちっとも切符が買えない。平日の都心の地下鉄駅で切符買うのに5分も並ぶとは…

 朝、J-PRESSのダブルのブレザーを着ようとしたら、ボタンが1つ取れかかっていました。急いでいたのでそのまま着てきたら、案の定、外出先でポロリと…。おかげで半日ブレザーを手に持って歩くハメになりました。

 パソコンのマウスを交換したら調子が悪い。どこが悪いというのじゃないけれど、非常に使いにくいのです。しかもこのマウス、この1ヶ月で3台目です。買うもの買うもの、みんな調子が悪い。あー肩が凝る。

 今読んでるミステリーが全く面白くない。早川文庫「追放者」(ホセ・ラツール)って本だけど、帯でローレンス・ブロックが絶賛してるから買ったのに…。何が「ノワール小説の新境地」だ!。あと80ページほど残ってるけど、もう読むのやめます。ここまで読んで損をしました。

 世界水泳大会の古館伊知郎の中継アナウンスはなんとかならないでしょうか…。解説者による日本選手に対する過剰な応援も不快です。

 TVと言えば、昨夜はどのチャンネルにしても全部が参院選の開票速報です。こんなもん、NHKの他に民放1局ぐらいやってりゃ十分です。7局が同じ内容の放送するなんて…アホちゃうか。しかも、タレント候補が喜色満面でしゃべってるシーンばっかり。結局、有線でCNN見てました。

 夕べ、好物の「鯵の南蛮漬け」をつまみにビールを飲んでいたら、最後の一匹を友人に食べられました。私が食べたかったのに…。

 昨日エディバウアーのお店に行ったら、2週間前に6,900円で買ったシャツがバーゲンで2,900円になっていました。あー、気分悪い。

 DSC-MZIのズームを長焦点側にすると、暗いところでは非常にフォーカスが合いにくい。イライラします。


 さて、今日の画像は「夕暮れの新宿高層ビル街」です(DSC-MZ1で撮影)。DSC-MZ1は、普段あまり持ち歩かないのですが、昨日、今日とカバンに入れてせっせと街中を撮影しています。あらためてよく写るデジカメだとは思いますが、スナップカメラとしては使いにくい部分もあります。どうも、サッと取り出してパッと撮る…って感じにはなれませんね…
7/28  土曜日だと言うのに朝から仕事です。それでも、夕方6時ちょっと前のまだ明るいうちに仕事を終えて、オフィスを出ました。
 ふと見ると、歩道に懐かしいバイクが停めてあります。YAMAHA「MR50」、これは確か1975年頃に発売されたバイクです。80年代の始め頃に乗っていた記憶が…。2ストの50cc、モノクロスサスペンションを装備、メーターは120Km/hまであって、90Km/hぐらいは楽に出ました。思わず1枚撮影します(以下、全てeggyで撮影)。


なんとなく、近くの小さなホテルのバーへ。カウンターでビールを1杯飲みます。


道路に面したバーのガラス窓から見る外は、こんなに明るいんですよ。


さらに、ガラスの内側のネオンサインがガラスの映り込む様子を1枚撮影しました。


その後は、池袋の東口でちょっとお買物です。胸にポケットの付いたTシャツを探したんだけど、気に入ったのが見つかりません。書店に入って文庫本を2冊購入、帰宅しました。
7/27  地球温暖化の影響なのかヒートアイランド現象なのか知りませんが、それにしても暑い夏です。
 さて、すごく暑い日には「本を読む」「映画を見る」といった1日の過ごし方もまた一興です。というわけで、今週末は暇を見つけて映画を見ることにしましょう。映画といえば「スターウォーズ」や「ジュラシックパーク」などの娯楽作品もいいけれど、やっぱりここは腰を据えて、一癖ある映画にチャレンジしましょう。私の好きな映画のキーワードは、「青春映画」と「ロードムービー」です。  まずは、青春映画から…。数ある青春映画の中で私が好きなのはこんな作品です。
 「セントエルモス・ファイアー」(青春映画不朽の名作)、「炎のランナー」(テーマミュージックが聞こえてくると)、ストリート・オブ・ファイアー」(シカゴの街が好きなので…)、「グリニッジビレッジの青春」(この映画を見て渡米したようなもの)、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(朝焼けの中のブルックリン・ブリッジが印象的)、「タクシー・ドライバー」(これは青春映画かな?)…、他にもいっぱいありますが、キリがないですね。
 ロードムービーは、やっぱりアメリカ大陸を旅する映画に限ります。というわけで、こんな作品が好きです。
 「イージーライダー」(説明不要。ザ・バンドの「ウェイト」は最高の曲)、「スケアクロウ」(この頃のジーン・ハックマンはいいなぁ)、「真夜中のカーボーイ」(グレイハウンドのバスからマンハッタンの摩天楼が見える冒頭のシーンがGood!)、「ハリーとトント」(老人と猫の旅。ラストシーンは最高)、「明日に向かって撃て!」(ニューシネマの代表作ですね)、「Year of the Horse」(ニール・ヤングとクレージー・ホースのツアー物語。ライブの映像が素晴らしい)…、こちらも好きな作品を挙げていったらキリがないですね。

 そういえば、苗場で「FUJI ROCK FESTIVAL '01」が始まりました。明日(7月28日)には、そのニール・ヤングとクレージー・ホースが登場します。ニールヤングは、CSN&Yの時代からの大ファンなので、見に行きたいなぁ。おまけに同じ日にNYパンクの女王、パティ・スミスも登場するのです…。パテイ・スミスと言えば、ニューヨークのクラブ「CBGB」で実際に彼女のステージを見たことがあります。彼女の存在それ自体が、70年代のサブカルチャーですよね。あー、仕事が忙しくなければ絶対に聴きに行くのに…。

 この画像は「ニャン」という名の猫(WS30で撮影)です。私が飼っていたわけではありませんが、訳あって知人からよく預かっていた猫です。先日、20歳で死去しました。長寿の猫でした。聞くところによると、都会で飼われている猫の平均寿命は10歳ぐらいだそうです。猫の加齢表によると、2歳で人間の24歳、それ以降は猫の1年が人間の4年に相当するとか。長生きする猫でも15歳までには死ぬことが多いとのこと。だから20歳と言えば、人間の年齢にすると百歳以上。もう足腰が弱っていましたし、片一方の牙も折れていたんです。
 いろいろと長い付き合いだったので、ちょっと寂しいですね。
7/26  それにしても…、日常生活の中でこんなに「動画」を撮影することになるとは夢にも思いませんでした。第一世代の8ミリビデオカメラを購入して以降、小型化が進むカムコーダーを何台も購入しましたが、「日常的に持ち歩く」ことは、とうとうありませんでした。小型と言ってもポケットには入りませんし、重量もバッテリー込みで700g程度、とても持ち歩く気にはなりません。それと、撮影した画像をパソコンに収納しておけません(キャプチャなんて面倒です)。
 ところが、VN-EZ5やeggyを手にしてから、動画を撮ることがすっかり日常的行為になりました。毎日背中に背負っているデイパックには、必ずVN-EZ5かeggyを放り込んであります。撮りたいと思った時にすぐに動画が撮れる環境を、やっと手に入れました。回転寿司で回っている寿司を撮ったり、散歩中に出合った他人のお葬式を撮影したり、ゴミ箱を漁っているカラスを撮ったり…、もう何でも動画で記録できます。さらに、MPEG-4動画はパソコンに収納しておくのも、Webで公開するのも簡単です。自分の中にあった「動画」の概念をすっかり変えてくれました。SHARPさん、ありがとう(笑)。またMPEG-4動画の普及には、販売奨励金を出して低価格でeggyを乱売したNTTDoCoMoさんの功績も絶大なものがあります。
 ところで、本業の方でもMPEG-4関係の仕事がボチボチ入り始めました。携帯電話用のストリーミング動画配信サーバーの構築の話なんかが舞い込んで来るようになったのです。MPEG-4動画再生が可能な次世代携帯電話の普及は、非常に楽しみです。仕事とは関係なく、個人的に携帯電話向け動画番組を作って遊べそうですね。「個人放送局」の時代の到来です。
 MPRG-4オリジナル作品の方は、構想中ですがなかなか進みません。なんと言っても「1〜2分程度のシナリオ」って、けっこう難しいのです。コントじゃつまらないので、シリアスなドラマ仕立てにするつもりなんですが…。役者を頼んでいる知人からは、なかなかいい返事をもらえないし…。こうしてオリジナル作品の構想で悩むにつけ、forest48さんの「TINBOTWORLD」の素晴らしさとオリジナリティにあらためて感心する次第です。



 今日の画像は、またしても「居酒屋動画」です(VN-EZ5で撮影)。
 ここは最近池袋の西口に開店した「小銭や」という居酒屋。正確な店名は「レトロ居酒屋 有楽町ガード下 小銭や」です。飲み物は全て300円、食べ物は全て350円で、自販機で食券を購入する方式のお店です。地下にある穴倉のように狭い店内で、20人も入ればいっぱい。椅子はなんと「手作り」です。メチャメチャにチープだけれど、不思議な雰囲気のお店。「小銭や」のホームページはこちらです。

 今日は、新しい駄文を加えました。題して「こんなデジカメが欲しい!」です(笑)。

7/25
  日記特別編 「名古屋の話  
    
7/24  パソコンの価格が暴落しており、最近ではそこそこの機能のパソコンが39,800円で買えたりします。市販PCがこんなに安価になった現在、わざわざPCを自作する意味ってあるんでしょうか?
 何か最近は、「自作PCの黄昏」っていう感じを抱いています。むろん個人的な話ですが…
 思い起こせば、ちょうど5年くらい前です。Pentium133MHzクラスのパソコンが出回り始めた頃、PCの自作に目覚めました。自作を始めた最大の動機は「安い」こと。1996年当時のメーカー製の最高スペックのPCは、Pentium166MHz、32MBメモリ、2.1GBのHDDといった水準です。Pentium133MHzの安価なメーカー製マシン(Gateway等)は200,000円くらいでした。最も安価なショップブランドマシンは、DX-4の75〜100MHzを搭載していたように記憶しています。
 当時、仕事で必要としていたのは、Pentium133MHzクラスのマシン。これが、自作すると15万円以下でできたのです。というわけで、Pentium133MHzの自作からスタートし、その後Pentium166MHz、K6U-166MHz、K6U-200MHzクラスのマシンを大量に作りました。
 この頃作ったマシンは全てFSB66MHzのSocket7マザーです。2〜3年ほど前にいっせいに使えなくなってきたので、FSB66MHzでは最高クロックのK6U-300MHzにグレードアップしメモリも128MBまで増設しました。しかし、このクラスのマシンも今では使えなくなり、Linux機へと変貌しつつあります。

 ところで、現在、秋葉原や通販で簡単に購入できる標準的なパーツ(新品で特売品ではないもの)を使って安価に自作PCを作ると、マザーボード9000円(ビデオ/サウンドはオンボード)、HDD:9000円(20〜40GB)、CPU:5000円(700〜800MHz)、メモリ:2000円(128MB)、ケース:3000円、CD-ROM:1980円、FDD:1580円、マウス/キーボード:1500円…といった程度の構成になります。これを合計すると33,000円ぐらいですね。別に3Dゲームをバリバリやるわけではなく、仕事(プログラム開発とワープロ中心)で使うにはこのクラスのマシンで何ら支障はありません。非常に快適です。もし3Dゲームもやりたければ、GForceMXクラスのビデオカードの5000円を加えても38,000円ですよね。さらに、CD-Rとビデオキャプチャカードを加えてもプラス3〜40,000円ですから、まだ100,000円にはなりません。10,0000円も予算があれば、1GHz以上のCPUと80GB以上のHDD、256MB以上のメモリを搭載できちゃいます。
 でも、こうした標準的なパーツで構成するマシンは、市販製品とほとんど値段の差がなくなってきました。
 まずは、自作で33,000円と見積もったクラスの完成品マシンは、39,800円で買えてしまいます。自作で100,000円と見積もったマシンはプラス1〜20,000円で完成品を購入できます。さすがに有名メーカー品ではなくショップブランドマシンですが、私は下手なメーカー品よりもショップブランドの方が好きです。というのも、マザーボードの種類とか使っているパーツをはっきりと明示して売っていることが多いからです。しかも、たいていの場合はBTOでパーツを自由に選択できます。
 こうなると、組み立てる手間を考えると、「値段」とうメリットを考えて自作する意味はほとんどありません。

 自作なら市販製品にないPCが出来るとは言っても、デュアルCPUのマシンだったり、最速のビデオカードと5.1chのサウンドをフィーチャしたゲーム専用マシンだったり、その程度しか思い付かなくなりました。一時期面白かったオーバークロックも、実用性を考えると長く使うマシンはできないし…。あとは「変なマシン」くらいかなぁ。例えば5インチベイ内蔵型の液晶ディスプレイを使ったサーバー機とか、思い切り妙な色と形のケースに組み込んでみるとか、可能な限り小さいマシンを作るとか…。でも、こうしたキワモノ的なPCを作ってもすぐに飽きがきますよね。
 ちなみに自作PCを「世界に1台しかないPCだから愛着がわく」という人もいますが、私はそういう愛着は特に感じません。また「組み立てる楽しみ」を言う人もいますが、標準的なパーツとケースを使うのならPCの組み立てなんて30分もかかりません。プラモデルよりも簡単だし、最近は部品の相性問題も少なく失敗することはまずありません。PC組み立ては特に楽しい作業とも思えません。
 じゃあ今、どんな理由ならPCを自作する意味があるのでしょうか。結局、何も思い付かなくなったのです。というわけで、自作PCを作る機会はこれからどんどん減っていくでしょう。

 今日の画像は「渋谷LOFT前」です(DSC-MZ1で撮影)。
 最近の渋谷は、一時期の「若者だけに媚びた街」から「大人も遊べる街」に戻りつつあります。気色悪いガングロもいなくなったし…。ガキ向けの店ばかりだったのが、裏通りを中心にちょっと落ち着けるスポットが急激に増えています。私のような世代でも落ち着いて飲んだり食べたりできる店がたくさんあります。麻布や広尾、六本木あたりほど気取った店ばかりでもないし…。でも、渋谷へ遊びに行く時は女の子連れの方がいいと思います…
7/23  時々「自分の趣味って何だろう?」と考えます。「趣味」という言葉の定義にもよりますが…
 まず、仕事以外で自分が最も好きな行為は旅です。でも私にとっての旅は、趣味ではなく「本能」に近いですね。だって、寝ることが好きな人でも「趣味は睡眠」とは言いません。また食べることが好きな人でも「食事が趣味」とは言いません。私のとっての旅は、食事や睡眠に近いものです。時間がある限りいつも移動していないと気がすまない…って、なんか一生移動し続ける渡り鳥かレミングみたいです。
 「移動する動物」で思い出しましたが,「GNU」ってご存知ですよね。フリーOSで有名なLinuxのカーネルなどを提供するために1984年に始まったプロジェクトです。この「GNU」とは、季節によって草を求めて移動し続ける牛科の動物で、一般的には「ヌー」という呼び名で知られています。Linuxのプロジェクトも自由と草を求める集団ということからGNU Projectと名付けられたそうです。
 話を趣味に戻して、旅の次に好きなのは「読書」です。本を読んでいる時間が非常に長いのですが、これまた趣味ではなく、単なる「活字中毒」に過ぎません。
 音楽も好きです。私は仕事中も音楽を流しっぱなしにしていますし、夜中に好きなCDをじっくりと聴くのも悪くありません。でもこれもまた趣味ではありません。なんとなく日常生活そのものって感じです。むろん、デジカメやパソコンは趣味ではありません。こうして考えると、自分の人生で声高に「趣味」と言えるのはバイクぐらいです。
 バイクは乗って走ることも好きですが、整備するのも、改造するのも、レストアするのも好きです。所有していること自体が好きですね。何故バイクに惹かれるのでしょうね…
 今頃になると北海道へ行きたくなります、バイクで…。ライダーにとって北海道は、ある種「特別の場所」だった時期があります。そう、ライダーの「聖地」でした。別に北海道の景色や風物が珍しいわけではありません。夏になるとなんとなく「バイクに乗っていかなくちゃ」という気分になったものです。毎年のように夏の北海道をツーリングしましたが、仕事で忙しい時には、往復にかかる時間を節約するために飛行機を使いました。よく利用したのは、全日空の「パレット」というスカイツーリングプランです。空輸する飛行機と同じ便に乗っていくので、到着後すぐに走り出すことができるので便利でした。
 でも、本当は東北自動車道をひたすら走って北海道へ向かうのが好きです。早朝東京の浦和インターに乗って、夕方には青森に着きます。青森からフェリーに乗って函館に入ると、もう夜10時過ぎになります。でもこの方が気分が出ますね。だいたい北海道で5〜7泊ぐらい予定が多かったですね。テントを持っていきますが、キャンプだけでツーリングを続けるのも面白くないので、シティホテルにもよく泊まりました。適当に組み合わせた方が私は楽しめます。
 北海道や東北にツーリングに行くと、だいたい毎日500〜700kmぐらい走ります。北海道ツーリングの場合、朝東京を発って1日目の夜は函館、2日目は札幌経由で留萌、3日前は宗谷岬経由で網走、4日目は知床、納沙布経由で根室、5日目には札幌と宿泊して、6日目には早朝函館から青森へ渡り、そのまま一気に東京に戻ってくる…こんなけっこうムチャなスケジュールで走りました。ホントにただただ走るだけのツーリングですが、それがまた楽しかったですね。

 バイクツーリングを過去形で語るのは寂しいことです。ここ数年は仕事が非常に忙しくなったこと、足の調子が悪いことなどもあって、ロングツーリングには行ってません。それどころか、ほとんどバイクには乗っていません。それと、短期間でも休みが取れると海外へ行っちゃうんですよ。まあ、そんな気分の時期なんでしょうね。そろそろ、バイクツーリングを復活させようかなぁ。

 今日の画像は「午後のお茶の時間」です(DC3800で撮影)。仕事の出先の喫茶店で午後のお茶を飲んだ時に撮影した、別に何の意味もない画像です。しかもこのコーヒーは高くて不味かったなぁ。

 そういえば、forest48さんのサイト「TINBOTWORLD」に「念力」という新作がアップされていました。必見!
7/21  今日もまた暑い1日でした。
 夕方にオフィスを出て、友人と待ち合わせ。まずはビールをということで、タイ料理店へ。池袋のタイ料理店「ビラブカウ」はこんなところです(eggy動画)。


 シンハービールを頼みました。ビールのおつまみは「揚げた卵のナントカ…」です。(こちらは静止画です)



 タイ料理店を出て、本屋さんへ。道端で猫の集団を見つけました。eggyで撮影しようと近づくと…猫は怯えます(eggy動画)。


 子猫もこんな感じで、怯えて逃げてしまいました(eggy動画)。


7/20
東南アジアにて…

 東南アジアを旅していると、当然ながら至る所でコロニアル的な光景に出会います。ここ数年の若い女性を中心としたベトナム旅行ブームも、ベトナムというきわめてアジア的な生活風土を残した国の風物と、各地にフランス人が残したコロニアル様式の文化との対比が魅力となっているのでしょう。
 旅行者にとっての東南アジアにおける大きな魅力のひとつには、ベトナムの例に限らずこのヨーロッパを強く感じさせるコロニアル様式の文化の存在があることは間違いありません。東南アジア各地で高い評価を得ているな高級ホテル群、例えばバンコクのオリエンタルホテル、シンガポールのラッフルズホテルなどは、まさにこのコロニアル的なものの象徴です。私も香港のペニンシュラホテルのティールームで優雅に午後のティーを飲んだことがありますが、確かに独特の雰囲気を醸し出していました。
 でも私は、東南アジアにおけるヨーロッパの香り、コロニアル文化を素直に楽しむ気にはどうしてもなれません。「植民地支配の爪跡」という露骨な言葉を使うつもりもありませんが、どことなくその存在に屈託を感じるのです。東南アジアが持つ「影」の部分、それは貧困であったり社会矛盾であったりするのですが、それを今に残るコロニアル的なものとの対比で見てしまうところに、私の屈託があるのでしょう。やはり東南アジアの「影」は、植民地支配の結果から生じたものが少なくありませんから…

 十数年前にはじめてインドを訪れた時、私は、インドへ旅行する多くの人がその魅力を口にする「東洋的、宗教的な魅力」を感じる前に、広大なスラム街の現実や幼い子供が過酷な労働を余儀なくされる国の現実に圧倒されたものでした。
 沈む夕日を背景にガンガー(ガンジス川)で沐浴するヒンズー教徒を眺めて「荘厳な雰囲気に打たれた」とか「なんともいえない東洋的な価値観に目覚めた」とか言う旅行者がいます。同じ風景を見た私は「カースト制度」「貧困」「幼児労働」などの言葉とともに、こうした形でヒンズーという宗教に人生の全てを捧げることで、「諦め」を余儀なくされる人々の悲しみのようなものを強く感じてしまいました。私にとって、インドの安宿で過ごした日々は、異なる文化への驚きや尊敬というものよりも、現実に見る人々の暮らしに対する感情を強く感じた日々でした。それは「怒り」とか「悲しみ」とか、様々な感情が混ざった複雑な感覚でした。
 ネパールでは、働き続けて若くして老いていく地方の女性や、外国人のトレッキングツアーで重い荷物を担ぐ人々に出会い、バングラデシュのダッカではインドを上回る規模のスラムを見て、同じように複雑な思いを抱きました。
 バンコクでも同じです。1970年代の終り頃のバンコクは、まだ「カオサン」のような地域はなく、マレーシアホテル周辺の安宿がバックパッカーの溜まり場になっていました。その頃、知人に「ソイ・カーボーイ」へ連れて行ってもらったことがあります。ここは現在ではスクインビットの外れの寂れた歓楽街ですが、べトナム戦争の余韻が残る当時のソイ・カーボーイは、幼い女性を漁る白人で溢れかえっていました。この時に見た白人とアジア人の少女が抱き合っている光景が、私のバンコク体験の原点になっています。
 アンコールワットと言えば、クメール王朝の栄華を伝え、東南アジアの遺跡の中でもとりわけ光彩を放っています。しかし、そのアンコールから平然と仏像を持ち帰ろうとしたのが、ドゴール時代のフランスで文化行政を担ったあの偉大な「アンドレ・マルロー」であったことは象徴的です。そしてアンコールへの観光基地であるシェムリアップの街は、女性を買うためにやってきた旅行者が溢れかえっています。日本人旅行者も多いようです。東京での話ですが「シェムリアップでは2ドルで女が買える」と自慢げに話している大学生と会って、思わず絶句してしまいました。誤解を受けないようにお断りしておきますが、私は女性と遊ぶことは大好きですし、別にえらそうに「モラル」を説いているわけではありません。「不倫は文化だ」と言い放った俳優、石田某を非難するつもりは全くありません。でも、「2ドルで女が買える」と単純に喜ぶ人間のメンタリティは、なんとなく気に入らないのです。それが大学生であれば、なおのことです。
 こうした、私が東南アジアに抱く複雑な心情は、とても短い文章では書くことができません。いずれにしても、東南アジア各地で貧困や社会矛盾を見るにつけ、東南アジアにおけるコロニアル文化とは何か、ヨーロッパの文化とは何か…ということを強く感じてしまいます。

 私は海外旅行が好きですし海外生活の経験もありますが、実はヨーロッパには一度も行ったことがありません。これは10代の終り頃に感じた「ヨーロッパ的なものへの反発」が原点になっているのかもしれません。私にとっての「ヨーロッパ的なもの」の象徴には、民族主義、国家主義、植民地主義、そしてキリスト教などが含まれています。
 基本的にはアメリカが好きで、1週間程度の休暇が取れるとアメリカのどこかの都市でのんびりと過ごします。アメリカが好きな理由は、なかなか一口では言えません。人種差別では何度もひどい目にあっていますし、食べ物も不味いのですが、それでもおかつアメリカが好きな理由の1つに、「ヨーロッパ的な国家主義や民族主義を感じない」という点です。むろん、アメリカに国家主義がないと言っているわけではありません。ただ、ヨーロッパでは個々の人間の生き方の中に、「国家」や「民族」の意思があまりにも大きな位置を占めるように感じます。アメリカという国は極めて覇権主義的ではありますが、個々の人間と話していると、国家へのこだわりよりも個人へのこだわりの方が上回っていると感じるのです。ヨーロッパも個人主義ではひけをとりませんが、それでも「国家の伝統」や「民族の歴史」が、多くの人々の精神形成の中に重く澱んでいるように感じます。
 徒然にこんなことを書きながら、フランツ・ファノンの著作「地に呪われたる者」や「黒い皮膚・白い仮面」などをもう一度読み直してみたくなりました。

 うっ…、またしても与太話を書いてしまった…。

 今日の画像は、夏のミシガン湖です(DS-10で撮影)。つまらない東南アジアの与太話を書いたので、思い切り明るい夏のシカゴの画像を貼っておきます。確か前にもミシガン湖の別の画像をどこかで貼ったような気がしますが、こうも暑い日が続くとどうしても泳ぎたくなるのです。
 シカゴの街は、ダウンタウンから歩いて行けるところに海水浴場ならぬ湖水浴場があります。ミシガン湖の水はけっしてきれいではありませんが、江ノ島の海よりはきれいです。摩天楼が建ち並ぶビジネス街のすぐ横で泳ぐ気持はなんとも言えません。一泳ぎしたらホテルに帰ってお昼寝、多少涼しい夜になったらブルースを聴きにクラブ回り、そんなシカゴの夏は大好きです。