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2010年03月29日

●池袋と中野

 約5年間過ごした中野のオフィスを引き払い、常駐オフィスを馴染み深い池袋に戻しました。なんだか、転任先から本社に戻ってきたサラリーマンのようです。なんと言っても池袋という街は、25年近くもオフィスを置いていたところ。非常にしっくりときます。
 この5年間を振り返ってみて、「中野」と「池袋」という2つの街のカルチャーの違いを、嫌というほど思い知らされました。結論から先に言えば、中野のカルチャーは生理的に肌に合わず、池袋のカルチャーの方が脳にも体にも馴染みます。中野という街の性格を一口で言えば、「すかしている」(すましている、気取っている…の意)に近いでしょうか? 例えば安い立ち飲み屋、モツ焼き屋あたりでも、クリエーター系のカタカナ職業の人やカタカナ職業に憧れる学生あたりが、喧々諤々と文化論を戦わしている…というイメージ。それに加えて、住宅街に近いところには、ちょっと所得高めの住人向けの気取った自然食レストラン、エスニックレストランなども混在しています。昨今サブカルの殿堂となった感のある「中野ブロードウェイ」も、こうした「文化好き人種」にとっては程よいスパイスとなっているようです。ともかくお隣の高円寺や阿佐ヶ谷、荻窪などと同じく、「中央線文化」の中心地であり、そうした部分に誇りを持っている人種が「好んで住んでいる」街です。中野は、一見雑然とした街のようで、「本質的な部分で多様性がない街」…だと思いました。で、結局ダメでした。街の雰囲気にも、住宅街にあったオフィス近辺のロハスな住民層にも、そして安い立ち飲み屋で喧々諤々と文化論を語る人種にも、そして中央線文化とやらにも、最後まで肌が合いませんでした。

 中野に較べると、池袋という街は「混沌」の一語で言い表せます。特に、私が好きな西口から北口にかけての一体は、いまや「アジア」です。「チャイナタウン」と呼ばれる北口は、横浜の中華街よりも高い密度で中国人経緯の店が立ち並び、加えて、韓国人、ベトナム人、タイ人、ネパール人、バングラデシュ人、インド人などの小規模なコミュニティもあって、アジアの雰囲気がいっぱいです。新大久保から大久保にかけての一帯もアジアの雰囲気が強い場所ですが、池袋はもっと統一感がない「雑然」さに満ちています。池袋1丁目から2丁目あたりは、立ち並ぶエスニック料理と居酒屋、スナックに小料理屋の狭間に風俗店やらラブホテルが点在し、何とも言えない猥雑でまとまりのない街が出来ています。この街に棲息する人種も、多様です。外国人がたくさんいます。何を生業にしているのかわからないような怪しい人間が、たくさんいます。普通のサラリーマンもたくさんいます。この街の雰囲気、そして中野にはない多様性、私は大好きです。
 現在の暫定オフィスは、数年前から個人事務所的に使っていたマンションの1室で、同じ西口でも、ちょっと目白駅寄りの閑静な住宅街にあります。私が好きな池袋1丁目から2丁目あたりへ行くには、徒歩で5~10分ぐらいかかりますが、毎晩仕事が終わると繰り出しては、いろんなお店で飲んでます。

2010年03月23日

●真夜中に聴きたい50曲 (19)

(19)Steve EarleI'm Nothin' Without You」(スティーヴ・アール:I'm Nothin' Without You)

 何度も書いているように、私が好きなミュージシャンの大半は70年代から活躍していたシンガーやグループが多いのですが、例外的に90年代以降に初めて聴いてファンになったミュージシャンもいます。その一人が、いまやオルタナ・カントリーの重鎮として知られるスティーヴ・アールです。

 1986年にデビューしたスティーヴ・アール、名作と評価が高い88年発表の3rdアルバム「Copperhead Road」など、90年までに4枚のアルバムをリリースしましたが、ドラッグが原因で逮捕、収監されます。そして彼は、出所直後の1995年に「Train A Comin'」で再出発しました。今回ピックアップした「I'm Nothin' Without You」は、この「Train A Comin'」に収録されています。
 この「Train A Comin'」というアンプラグドな雰囲気を持つアルバムには、エミルー・ハリスがアルバム「WreckingBall」でカバーした名曲「Goodbye」が含まれており、この曲は以前エミルー・ハリスのところで紹介しました。そして、今回ピックアップした曲「I'm Nothin' Without You」は、同じアルバムの中の「Rivers Of Babylon」とともに、エミルー・ハリスがコーラスで参加しています。エミルー・ハリスはその後、「El Corazón」や「The Mountain」など、スティーヴ・アールの多くのアルバムに参加しています。オルタナ・カントリーの世界での、二人の絆がわかります。
 もっともスティーヴ・アールの音楽をオルタナ・カントリーという言葉で括ってしまうのは抵抗があります。全般的にカントリーの影響が強いものは当然ですが、バリバリのロック・サウンドもしっかりと聴かせてくれるし、「Goodbye」のようなフォークの影響が強いアコースティックでシンプルなメロディも持ち味です。ちなみに、「Train A Comin'」は、96年のグラミー賞の「Best Contemporary Folk Album」部門でノミネートされています。

 「Train A Comin'」に続いて翌96年に出した「I Feel Alright」も好きなアルバムです。収録されている「You're Still Standing There」では、やはり私が好きな女性シンガー、ルシンダ・ウィリアムスとの息の合ったデュエットを聴くことができます。そして97年の「El Corazón」では、本格的なアメリカン・ルーツロックのサウンドを聴かせてくれます。「Taneytown」あたりを聞いていると、これはザ・バンドか…なんて思っちゃいます。

2010年03月17日

●真夜中に聴きたい50曲 (18)

(18)Harry NilssonEverybody's Talkin」(ハリー・ニルソン:うわさの男)

 いわずと知れた、映画「真夜中のカーボーイ」の主題歌として1969年に大ヒットした曲です。フォークシンガー、フレッド・ニールの曲のカバーで、歌詞といい曲調といい大好きなのですが、この曲が非常に好きなのは、曲自体の良さ云々よりも、やはり「真夜中のカーボーイ」という映画を思い起こすからでしょう。
 「真夜中のカーボーイ」という映画に対する想い、また高校時代に見たこの映画が自分の人生にどんな影響を与えたかについては、数年前にこちら(2004年10月8日/11日)に詳しく書いたので、ここでは繰り返しません。ともかく、私がアメリカという国に強い興味を抱き、その後70年代と80年代にニューヨークに住むきっかけとなった映画の1つであることは確かです。

 この曲を作ったフレッド・ニールは、アメリカのフォーク・シーンでは有名なシンガーです。昨日の日記にボブ・ディランの恋人だったスーズ・ロトロの回想録「グリニッチヴィレッジの青春」について書きましたが、ここに書かれている1950年代末から1960年のグリニッチヴィレッジのフォーク・ソング復興運動の中で、重要な役割を果たしたシンガーでもあります。ボブ・ディランに多きな影響を与えただけでなく、CSN&Yのスティーヴン・スティルスやデビッド・クロスビーなど多くのフォークロックシンガーにも影響を与え、スティーヴン・スティルスは、自分のアルバムの中でEverybody's Talkinをカバーしています。

 何でも、「真夜中のカーボーイ」の主題歌にこの曲が決まったのは偶然だったとのことですが、自分の中でこの曲は、映画の内容とあまりにも一体化しています。「真夜中のカーボーイ」という映画を思い浮かべると、グレイハウンド・バスに乗るジョン・ボイドの姿とバックに流れるこの「うわさの男」が条件反射のように思い出されてしまいます。ハリー・ニルソンの軽妙な歌い方が、よくマッチしています。

 「真夜中のカーボーイ」で使われた曲と言えば、ジョン・バリーが作ったメインテーマ「Midnight Cowboy」も忘れられません。Ferrante & Teicherが演奏するこの曲の哀愁を帯びた旋律は、映像全般を流れる雰囲気にぴったり合っています。

2010年03月16日

●グリニッチヴィレッジの青春

 10年近く愛用していたノースフェースの小振りのデイパックがなんとなく汚くなってきたので、新しいデイパックを入手しました。買ったのはKELTYの「NIGHT HAWK」で、18リットルの小型バッグです。3気室に分かれているので大きいものは入らないけど、背中のパッドの気室側部分に大型のジッパーポケットがついていて、ここにはA4の書類でもネットブックでも入ります。上部のコンパートメントには、文具などのガジェットが整理できるようなポケットもついているし、普段使いにちょうどよいサイズ。
 ところでKELTYと言えば、私の世代には非常に懐かしいブランドです。デイパックの元祖メーカーの1つとして、70年代のライフスタイルの大きな影響を与えた「Made in U.S.A. Catalog」なんかでも紹介されていました。それ以上に、個人的な思い出があります。高校時代に山に登っていた私にとって、KELTYの「Tioga/タイオガ」というフレームザックは憧れの的でした。当時大型ザックの主流であったキスリングとは雲泥の差のカッコよさです。タイオガは、当時でも4万円近くしたと思います。大学に入った頃、どうしてもパックフレームが欲しくてエバニューだったかの安いのを買ったのですが、たまたま帰省時に中学時代の友人と御嶽山に登る話になり、駅で待ち合わせた彼が持っていたのがタイオガでした。うらやましかったし、悔しかった。ただ、タイオガは確か80リットル以上の容量があり、2泊3日の御嶽山行にはどう見ても大き過ぎたと思います。
 その友人も、雪の鈴鹿・藤原岳で遭難し、20代で逝ってしまいました。もう1人、同じ中学からの友人も、歯科医として活躍していた40代初めにガンで逝き、私は大切な友人を2人失っています。

 もう1つ、懐かしい…という話です。河出書房新社から発売された「グリニッチヴィレッジの青春(スージー・ロトロ)」を読みました。60年代、ボブ・ディランの恋人だったスーズ・ロトロの回想録です。スーズ・ロトロといえば、ディランのアルバム「フリーホイーリン」のジャケットの写真があまりにも有名です。特に目新しい話や衝撃的な暴露話はありませんが、それでも60年代のヴィレッジの雰囲気が絵や写真を見るように伝わってきて、なんとも言えない気持ちなりました。私はこの本で書かれた時代から15年ほど経った70年代の半ばにハウストンの南側に住んでいたことがあります。当時はまだ、この本で描写されている60年代のグリニッチヴィッジからイーストヴィレッジ、アルファベットアベニューあたりやハウストン通り周辺の雰囲気はまだ色濃く残っていました。アルファベットアベニュー周辺などは、80年代に入ってから急速に治安が悪くなりましたが、70年代はまだユダヤ人街として独特の雰囲気を持っていました。
 ディランに代表される当時の音楽やアートに関する思い入れ、さらには個人的なニューヨークに対する思い入れなどが入り混じり、いろんな意味で懐かしく、興味深い本でした。

2010年03月09日

●真夜中に聴きたい50曲 (17)

(17)The BandIt Makes No Difference」(ザ・バンド:同じことさ!)

 ザ・バンドの曲で最高の1曲を…とか、いちばん好きな曲を…などと言われても、とても挙げることはできません。むろん、最高のアルバムを…と問われても答えることができません。それほどに私はザ・バンドが好きだし、高校時代以降、入手可能な彼らの音源の全てを何十年間も繰り返し聴き続けています。そんな彼らの曲の中で、「1人で真夜中に聴く曲」として最もふさわしいのがこの「It Makes No Difference」と思った次第であり、そしてこの「It Makes No Difference」が収録されているアルバム「Northern Lights Southern Cross」(邦題:南十字星)は、彼らのアルバムの中では「1人で真夜中に聴く」にはもっともふさわしいのではないかと思う次第です。

 1975年に発表された「南十字星」は、翌1976年にライヴ活動を停止するザ・バンドの「現役最後のアルバム」と呼んでもよいもので、全曲をロビー・ロバートソンが書いています。私は、ザ・バンド解散の経緯の中でロビー・ロバートソンが果たしたネガティブなやり方は好きではないし、その後ソロになってからのロビー・ロバートソンが明らかに精彩を欠いていたことも、なんとなく解散の経緯との関連で考え、ザ・バンドのメンバーの中で、彼のことだけはどうしても好きになれません。でも「Northern Lights Southern Cross」は、傑作と言われる1968年の「Music From Big Pink」や1969年の「The Band」など初期のアルバムとはまた違った意味で素晴らしい出来で、ザ・バンドの代表作の1つだと言ってもよいと思います。このアルバムには、レボン・ヘルムを除く他のメンバー全員が「カナダ人」でありながらアメリカのルーツ・ロックを追いかけ続けてきた彼らのアイデンティティ(のようなもの)の告白が含まれており、曲にも歌詞にも漂泊の人生が持つ悲しみや人との出会いの暖かさ…といった、心に沁みる人生の機微が織り込まれているからでしょう。

 今回挙げた「It Makes No Difference」は、哀切を感じる名曲です。ザ・バンドの曲の中で名曲というだけでなく、個人的にはロックの名曲だと思っています。なんと言ってもリック・ダンコのボーカルが素晴らしい。ザ・バンドのボーカルとしては個人的にはリチャード・マニュエルがいちばん好きなのですが、失恋の歌とも言える「It Makes No Difference」では、感情を込めて唄うリック・ダンコの声がせつなく熱い思いをうまく伝えています。

 同じアルバムの中で、そのリチャード・マニュエルが歌っている「Acadian  Driftwood」(アケイディアの流木)も深く印象に残る曲です。Acadian(アケイディアン)は、古く北米東部大西洋岸(米メイン州東部とカナダのノバスコシア州)に入植したフランス人の子孫で、北米領土を争う英仏の戦争の中で故郷を追われ、世界各地に散りました。その一部はルイジアナ地方に逃れて定住し「ケイジャン」の祖となりました。独自の文化とアイデンティティを持ちながらも漂泊の民となったAcadianを唄ったこの「Acadian  Driftwood」という曲は、貧しい移民の子孫として育ったカナダからアメリカ南部に移ったロビー・ロバートソン自身、ひいてはカナダ人であるザ・バンドのメンバーの人生と様々な想いが込められ、それをリチャード・マニュエルが哀切を込めて唄う素敵な曲となっています。