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2011年04月14日

●徒然なるままに脱出ルートを考える

 福島原発については、日々事態が悪化するように感じます。少なくとも明るい兆しはありません。ここ数日大きな余震も多いし、破局的事態が起こる可能性は減っていません。そんな中で日々眠り、食べ、遊び、そして仕事をしています。まあ自分は年も年ですから、何が起こってもジタバタしない…と言い切れればいいのですが、なにぶん往生際の悪い性格な上に、こんなくだらない「人災」で苦しんだり死んだりするのも癪です。というわけで、大規模な水蒸気爆発や水素爆発など、一気に首都圏にまで放射線被害が及ぶような事態に至った際には、ジタバタと逃げようと考え、いろいろと算段をしています。保険関係、登記関係等の書類、貴重品、オフィスのデータをバックアップしたポータブルHDD、それに若干の着替え、非常食等がグレゴリーの25Lのバッグにまとめてあります。
 私の場合は名古屋に実家があるので、まずは何とか名古屋まで辿りつき、そこで少し事態の推移を見守る余裕があれば、状況を見極めた上で必要に応じてアメリカかアジアへと海外脱出をしようと考えています。国際線のチケット取得もそのうち困難になりそうなので、とりあえずバンコク発券の1年間オープンチケットでもネットで買っておこうかと考えている次第。

 さて、まず名古屋へ脱出すると言っても、その名古屋までどうやって辿り付くか…です。電車に乗れれば、それがベストですが、仮に大規模爆発や余震による原子炉の致命的損傷等のニュースが報道されれば、その瞬間に東海道新幹線の切符を購入することは不可能になるでしょう。飛行機も無理でしょう。
 新幹線がダメなら、普通電車を乗り継ぐという手もあります。東海道線なら、熱海行き、浜松行き、大垣行きと普通電車を乗り継げば、なんとかたどり着けるかもしれませんが、これとて乗れる保証はありません。同様に長野新幹線や中央線も乗車は難しいでしょう。そこで、人があまり乗らない路線を乗り継いで西へ向かうことを考えるとよいかもしれません。例えば、自宅は練馬なので、西武線または東武線に乗り、JRの八高線に乗り換えます。そして高崎まで行ってそこで信越本線に乗り換える…というルートなら、長野県に入れる可能性があります。同じように、一般の人がダイレクトに西へ向かうのを尻目に、京浜東北線や高崎線を使って北へ向かい、迂回して中部、関西地方へ向かう手もありあそうです。
 そして次に家人と一緒にクルマで脱出する方法もあります。我が家のクルマは、現在満タンのガソリンが47リットル入っています。燃費のいい小型車なので、地方道中心に走れば多少渋滞に巻き込まれてもほぼ10km/lは走るでしょう。そうなると無給油で450kmは行けます。東海道沿いはむろん、長野や新潟を回っても名古屋まで十分に辿りつける計算です。
 問題は、西へ向かうのにどのルートを使うかです。東名、名神、関越の3つの高速道路は絶対に不可能でしょう。むろん、一般国道もR1やR20、R246などダイレクトに西へ向かう道は避難するクルマが殺到して渋滞で身動きが取れなくなるのは必須です。また、R17からR18に入って碓氷峠を越えるルートもクルマが殺到しそうです。
 そこでまず考えたのが、自宅がある練馬起点では使いやすいR254で藤岡、下仁田経由で内山峠を越えて佐久へ抜ける道。しかし、これはけっこうメジャーな道なので、動けなくなる可能性が高いかもしれません。群馬と長野の県境にある峠としては、内山峠の南に田口峠(県道下仁田・臼田線)があり、これはちょっと有望ですが、下仁田まではR254を走る必要があるので、あくまで内山峠のエスケープルート的な位置づけになるでしょう。
 県境をちょっと南下すると長野県道108号に繋がる余地峠がありますが、これは自動車通行不可です。
 それより南にある群馬と長野の県境にある峠は、大上林道で大上峠を越える道、そして割とメジャーなR299の十国峠越え、県道124号のぶどう峠越えがあり、いずれもクルマで通行が可能です。ぶどう峠の南に中之沢峠がありますが、これは確か自動車の通行は不可ですね。さらに南に下れば中津川林道で三国峠というコースがあります。ここは大部分が未舗装だし道幅も狭いので危険です。
 これまでに挙げた中では、十石峠もかなり悪路なので、大上峠越えか、ぶどう峠越えがよさそうです。これなら練馬の自宅から秩父あたりまで間道と裏道で渋滞を避けて行けるので、主要国道を使わないでいいメリットがあります。
 あとは山梨県へ抜ける道もあります。青梅街道から大菩薩峠がポピュラーですが、これはメジャーなルートなので混みそうです。むしろ秩父からR140で雁坂峠を越えて甲府に抜ける方がクルマが少なそうな気がします。
 まあ、こんな風にシミュレーションしていますが、1人であれば車ではなくスーパーカブを使うので、確実にたどり着ける自信はあります。また、歩いてもたいしたことはありません。1日40kmは楽に歩けるので、西武秩父あたりまで電車に乗れば、あとは1~2日で長野県に出られるでしょうし、そこからはまた鉄道が使えるはずです。

2011年04月07日

●真夜中に聴きたい50曲 (27)

(27)The ByrdsHickory Wind」(ザ・バーズ:ヒッコリー・ウィンド)

 ロックの歴史を紐解く時、現在のロックの原型を1960年代のイギリスに求める見方は一般的です。まずは、アメリカで生まれたロックンロールを発展させる形で、アニマルズ、ザ・フー、キンクス、そしてビートルズやローリング・ストーンズなどが新しいロックサウンドを生み出しました。さらにブルースの影響を強く受けてブルースロック、ハードロックという分野のサウンドを確立したのがヤードバーズ、クリーム、ジェフ・ベック・グループ、そしてレッド・ツェッペリンらです。彼らをもってして、「現代ロックの主流の始まり」とする見方です。
 1960年代の終わり頃からロックを聴き始めた私自身も、概ねその通りだと思いますが、現代において主流となってるロック・ミュージックには、実はもうひとつのルーツがあります。それは、1960年代の半ばにアメリカで生まれたフォーク・ロックです。アメリカで60年代に隆盛を見たフォーク・ロックというジャンルでは、ボブ・ディラン、タートルズ、ママス&パパス、グラスルーツ、バッファロー・スプリングフィールドなどのミュージシャン、バンドが知られていますが、中でもこのジャンルの音楽の確立に最も貢献し、その後のアメリカン・ルーツ・ロック、カントリー・ロック、さらにはウェストコースト・ロックといったルーツロック系の流れを作ったバンドが「ザ・バーズ」です。ザ・バーズこそが、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングやイーグルスらへと続くアメリカン・ロック・サウンドのもうひとつの本流を生み出すにあたって、実は最も大きな役割を果たしたバンドの1つではなかったかと、私は思っています。

 ザ・バーズの結成が1964年で解散は1973年ですから、活躍した時期はほぼビートルズと重なります。そして、実際にビートルズの影響も大きく受けています。一部では「ビートルズとボブ・ディランをミックスしたサウンド」などといわれたりもしますが、実のところは、そんな単純なバンドではありません。特筆すべきは、そのメンバーです。結成時のオリジナルメンバーは、ロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビー、クリス・ヒルマン、マイケル・クラーク。1965年に「ミスター・タンブリンマン」が大ヒット。その後、サイケデリック・ロックやスペース・ロックといった当時のコンテンポラリーを目指した「迷サウンド」に走った時期がありますが、1968年にグラム・パーソンズが参加、ザ・バースはそのグラム・パーソンズのリードによってカントリーテイストに溢れたアルバム「ロデオの恋人(Sweetheart of the Rodeo)」を発表します。

 「ロデオの恋人」は、カントリー・ロックの傑作と言われる名アルバムです。そしてその中でも歴史に残る名曲として、後に多くのカントリー系ミュージシャンにも歌われたのがグラム・パーソンズが作り、自ら唄う「ヒッコリーウィンド」。むろん、リマスター版で、グラム・パーソンズの歌っているテイクを聴いてください。ゆったりとした心地よいサウンドと優しいパーソンズの声、美しいコーラスが心に染み入る曲です。

 さて、ザ・バーズですが、「ロデオの恋人」以降は、それほど大きなヒットアルバムを出すこともなく73年に解散します。60年代後半を通して時期によってサウンドも大きく異なるし、なんとなく掴み所がないバンドであることは確かです。しかし、在籍していたメンバーのその後の経緯を見れば、彼らがアメリカン・ロックの歴史にいかに大きな1ページを拓いたかがわかります。
 まず、グラム・パーソンズは「ロデオの恋人」発表直後に、クリス・ヒルマンと共にバーズを脱退、クラレンス・ホワイト、マイケル・クラークらとフライング・ブリトー・ブラザースを結成します。ちなみにフライング・ブリトー・ブラザースには、後にイーグルスを結成するバーニー・リードンも参加しました(このあたりの経緯は以前、グラム・パーソンズを取り上げた時にも書きました)。デヴィッド・クロスビーは、バーズ解散後にバッファロー・スプリングフィールドのメンバーらとともに、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングを結成します。クリス・ヒルマンは、フライング・ブリトー・ブラザーズの解散後にスティーヴン・スティルスとともにマナサスを結成。さらに1974年に、アル・パーキンス、リッチー・フューレイ、J.D.サウザーらとともにサウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドを結成します。

 いずれにしても、ザ・バーズというバンドがグラム・パーソンズと出会って生まれた「ロデオの恋人」というアルバムは、ロックの歴史に残る名盤であると同時に、私自身が大好きなアメリカン・ルーツミュージック系のロック・サウンドの原点とも言える1枚です。

2011年04月06日

●真夜中に聴きたい50曲 (26)

(26)Miranda LambertLove Your Memory」(ミランダ・ランバート:ラブ・ユア・メモリー)

 ミランダ・ランバートは1983年生まれですから、まだ27歳です。このシリーズでとりあげるミュージシャン、シンガーの中ではずば抜けて若いし、私の音楽遍歴との接点はまったくありません。しかし、数年前に偶然手にした彼女のアルバムは、まさに私の音楽の好みのツボにはまりました。まだ3枚しかアルバムを出していませんが、その3枚目のアルバム「Revolution」の中の「The House That Built Me」が、昨年末の第53回グラミー賞で「Best Female Country Vocal Performance」に輝き、彼女は晴れてグラミーシンガーの仲間入りをしました。

 今回取り上げた「Love Your Memory」という曲は、2005年に発売された事実上のデビューアルバム「Kerosene」に収録されている曲です。グラミーに輝いた「Revolution」もむろんいいのですが、何と言っても私は、ミランダ・ランバートというシンガーを初めて知ることになったアルバム「Kerosene」が好きなのです。このアルバム、数年前からもう何十回聴いたかわかりません。
 彼女のサウンドは、強いて言えばオルタナ・カントリーとかコンテンポラリー・カントリーというジャンルに属するのでしょうが、アメリカン・ルーツミュージックを根っこに持つ、ピュアなアメリカンポップスだと思っています。よく透る伸びやかな歌声ながら、曲によってはルシンダ・ウィリアムスを彷彿とさせるドスの効いたシャウトも聞かせてくれる、実に表現豊かなシンガーです。
 また、「Kerosene」というアルバムに参加しているミュージシャンも錚々たる顔ぶれで、ベテランギタリストのリチャード・ベネットや、昨今この手のアルバムには必ず顔を出すバディ・ミラーおじさんもボーカルで参加しています。「Kerosene」には、ロック志向の強い曲から、ピュアなブルーグラスまで多彩なサウンドが散りばめられていますが、今回選んだ「Love Your Memory」はアルバム最後のトラックで、しっとりとしたバラード調の恋の歌で、アコースティックギターの響きが美しい曲です。

 さて、ミランダ・ランバートと言えば、昨年発売されたロレッタ・リン(Loretta Lynn)へのトリビュート・アルバム「Coal Miner's Daughter: A Tribute to Loretta Lynn」の中の「Coal Miner’s Daughter」という曲で、シェリル・クロウ(Sheryl Crow)とともにロレッタ・リン本人と競演しています。このアルバムは、ルシンダ・ウィリアムスやスティーブ・アールなど様々なカントリーシンガーが参加した、なかなか聴き応えがあるアルバムです。

 話は変わりますが、ロレッタ・リンと言えば、彼女の生涯を描いた「Coal Miner’s Daughter」という伝記映画があります、邦題が「歌えロレッタ愛のために」で、これはちょっとしらけるのですが、非常にいい映画です。映画の中でロレッタ・リンを演じたシシー・スペイセクは、この映画で1980年に第53回アカデミー賞の主演女優賞を受賞しました。ロレッタの夫を演じているのが、あのトミー・リー・ジョーンズ、そしてザ・バンドの、あのレヴォン・ヘルムが出演しているのも特筆モノです。妙な邦題に惑わされることなく、機会があればぜひ見て頂きたい、とてもいい映画です。