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2009年06月30日

●FinePix「F200EXR」の夜景スナップ能力

 200EXRは、おそらく自分がかつて使ったことがあるコンパクトデジカメの中で、最も手持ち夜景スナップ撮影に適した機種でしょう。例えばここ1~2年間の間に私自身が購入して使い込んだコンデジ、ニコンCOOLPIX5000、P50、P80、リコーGRD、GRDⅡ、R10、PANASONICのDMC-FX150…といった製品とは、夜景スナップの性能に関しては明らかに一線を画します。

 私は、基本的に「じっくりと構えて撮る」という使い方をしません。ケース無しの裸でポケットに入れておいて、ちょっと立ちどまり、サッとカメラを取り出して一瞬でシャッターを切る…というスナップ撮影が基本です。これは、主に治安に不安がある海外で撮影するときの習慣からくるものですが、こうした使い方をするためには、オートでの撮影が基本です。
 前回の投稿でも書いたように、200EXRで、EXRモードで高感度低ノイズ優先の「SN」を選択しISO感度の上限を800に設定しておけば、夜の街中でどんな被写体を狙っても、ほぼ100%に近い確率で、「それなりに見られる画像」を撮ることができます。
 下の画像は、昨夜、新大久保の駅前で一瞬立ち止まって手持ちでシャッターを押したものです。

Dscf0085s.jpg

 これで、「SN」モード(600万画素)、ISO400、F3.3、1/110秒、マルチ測光によるオート撮影です。むろん、一切補正はしていません。きちんと構えて撮ったわけではないのに、元画像では道路の向こう側のお店の看板を拡大しても十分に解像していますし、ビル壁面の電飾の無い看板の文字も、中央右上の交差点名表示の文字も十分に読めます。簡単にこのレベルの画像が撮れるのなら、海外旅行で夜の街を散歩しながら、手際よくスナップ撮影することが可能です。

 私は最新のコンパクトデジカメを多機種使った経験があるわけではありませんが、この200EXRの夜景スナップ能力は、現行のすべてのコンデジの中でも、おそらく最高レベルだろうと思う次第です。

2009年06月29日

●FinePix「F200EXR」他…

 以前書いたように、リコー「R10」のレスポンスの遅さと夜景・室内スナップの弱さに閉口して、使う気を無くし、新たにFinePix「F200EXR」を購入して使っています。
 まだじっくりと使い込むところまではいっていませんが、暗所のスナップについては、まあほぼ期待通りの性能を発揮してくれています。夜景スナップや暗めの室内のノンストロボ撮影では、EXRモードの中の高感度低ノイズ優先の「SN」がほぼ満足いく撮影結果を出してくれています。私の場合、「SN」のISO感度の上限を800に設定していますが、居酒屋やレストラン内でのスナップなら、ほぼ100発100中で「使える画像」を撮ることができます。
 ただ、昼間の風景などを中心として使おうと思っていた一般的なオート撮影では、ともかくダイナミックレンジを上げる方向、ISO感度を上げる方向にシフトしてしまうので、さすがに使いづらく、プログラムモードにしてISO感度の上限設定を下げて使っているのが現状。
 ホールド感は決してよいとは言えませんが、かと言って、当初予想していたよりは悪くもない…というのが現時点の感想。動作の機敏さや撮影レスポンスについては、まあまあといったところです。来週の海外出張に持って行って使ってみるつもりです。ともかく、もっと使い込んだところで、気が向いたらさらに詳しく報告します。

 話は全く変わりますが、私が愛読しているblog「地下生活者の手遊び」の6/23の投稿「表象は読み解くことができない」を読んでいたら、ある論争の中で、鮎川信夫の名前が出てきたので、ちょっと気になりました。

 まあ、エントリーの内容や前後の論争の中身は当該Blogを読んで頂くとして、現代詩文庫から出ている鮎川信夫の詩集は高校時代に読んでけっこういろいろと考え込まされた記憶があります。当時の自分が何をどう考えたかについては、ここでウダウダと書くつもりはありません。ただ、何十年かぶりに鮎川信夫の名を目にし、しかもBlogの内容を読んだら、条件反射的に今は亡き谷川雁の、次の詩を思い浮かべました。

谷川雁「毛沢東」

いなずまが愛している丘
夜明けのかめに
あおじろい水をくむ
そのかおは岩石のようだ
かれの背になだれているもの
死刑場の雪の美しさ
きょうという日をみたし
熔岩のなやみをみたし
あすはまだ深みで鳴っているが
同志毛のみみはじっと垂れている
ひとつのこだまが投身する
村のかなしい人達のさけびが
そして老いぼれた木と縄が
かすかなあらしを汲みあげるとき
ひとすじの苦しい光のように
同志毛は立っている

 ちなみに、私は別に毛沢東のファンではありません…

2009年06月09日

●今池の名画座?

 仕事で高田馬場へ行くたびに、なんとか時間を作って、駅前の書店、芳林堂に立ち寄ります。私が20年以上もほぼ毎日通った池袋西口の芳林堂書店が閉店してもう数年経ちますが、代わりに池袋で寄る書店といえば東武の8Fの旭屋か西武のLIBLOで、どちらもイマイチ使い勝手がよくないので不満です。やはり、書籍の配列から品揃えまで、かつての芳林堂には到底敵いません。その今は無き池袋店ほどではないにせよ、高田馬場の芳林堂もかなりよい書店です。特に新刊や文庫、新書を並べている3Fの売り場は楽しい。社会学系の書籍に強いだけあって、文庫・新書、そしてブックレットを一緒にしてテーマ別に並べていて、各テーマ別のコーナーを回っているだけで、関連書籍をまとめ買いしてしまいます。

 書店の話を書いていて、ふと思い出したのですが、私が名古屋で過ごした中学・高校時代にもっともよく行った書店は、かつて桜山にあった日進堂書店です。だいぶ前に閉店しましたが、私は高校の帰りなど、毎日のように日進堂に寄って立ち読みしていたものです。当時は岩波新書が150円、岩波文庫が星1つ50円の時代です。

 話は飛びますが、名古屋の街も、昔とはずいぶん変わってしまいました。年に1度行くか行かないかなので、詳しくは知りませんが、瑞穂区にある自宅の近くも大きく変わりました。
 こんな私にも「青春時代」(笑)がありまして、まあ、特に高校時代は、青春真っ盛り(?)。で、その青春時代の大半を私が過ごしたのは、桜山交差点を中心とするごく狭い一帯です。高校に近い桜山のあたりは、主に友人と過ごしたエリアですが、そう言えばもう1箇所、1人でよく行ったのが今池です。今池って、もう20年以上も行ったことがないのだけれど、現在はどうなっているんでしょう。

 高校3年の頃、私は必死で受験勉強をしておりました。進路指導の教師が名古屋の某国立大学または某公立大学を受験しろと言うので、そんな自転車で通えるような大学には絶対に行きたくはなかった私は、何とか東京の大学に受かって家を出るために、それはもうけっこう必死で勉強したものです。そんな受験勉強中の私は、勉強に行き詰ると自転車で15分ほど走って今池まで行き、名画座で1人映画を見たものです。
 現在もその名画座があるのかどうか知りませんが、当時は封切りから4~5年以上経った渋い洋画をよくやっており、手当たり次第に見たものです。例えば覚えているのは、フランス映画の「Z(ゼット)」とレイモンド・ラブロックが主演した「ガラスの部屋」の2本立て…なんて、ああ、どちらも、今でも内容を覚えています。ガラスの部屋のテーマ音楽は懐かしいなぁ…
 それで、映画を見た後は、同じ建物の2F(…だったと思うけど)にある「ウニタ書房」に行って、ちょっと政治向きの本など立ち読みしたりして…。「ウニタ」はいまでもあるのでしょうか?
それにしても、週に2回ぐらい映画館に通っていた時期もあったのだから、あれでよく大学に受かったものです。まあ、確かに必死で勉強した時間もありましたが…

 いや、実につまらない話を書いてしまいました。こんな話は東京の人にはわかるわけがない。でも、こうしてちょっと思い出してみると、青春時代を過ごした名古屋のことをほとんど忘れていることに愕然とします。ホントに断片的にしか覚えていない。まあ、人生の約2/3を東京で生活しているのだから当たり前ですね。