« 2010年08月 | メイン | 2010年10月 »

2010年09月27日

●校歌の話

 twitterでも絶賛し、「2010年新書のベスト5に入る」と断言できる、中公新書「歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ」(渡辺裕)を読んでいて、その中の「第5章 校歌をめぐるコンテクストの変容」という部分を読んで、ふと自分の小・中・高校時代の校歌を思い出しました。
 第5章の内容はといえば、近代国家形成のための「国民歌謡」として位置づけられた校歌が、当初は国民の国家や地域への帰属意識を高めるために使われ、戦時期には国威発揚的な歌詞と旋律が蔓延し、戦後は戦後で労働運動やサークル運動の影響を受けるなど、まさに時代と共に校歌のコンテクストが変容していくプロセスが記述されており、校歌王・山田耕作の話なども含めて、非常に興味深いものでした。
 ところで、私が入った大学の校歌、応援歌ともに戦前に制定された曲ですが、小・中・高校はいずれも戦後制定された校歌(高校のルーツは明治に遡るそうですが)ですので、それなりに自分が生きてきた時代の雰囲気を残したものです。中でも私が通った高校の校歌は、妙に軽快で素直な曲で、在学中から「あまり校歌らしくない」と思っていました。
 このblogではあまり個人情報を書きたくないのですが、私の出身高校の校歌はこちらです。作詞:勝承夫、作曲:平井康三郎…とあります。この母校の校歌を作った平井康三郎という作曲家はけっこう著名な人で、文部省唱歌もたくさん作っており、特に有名なのが「山は白銀 朝日を浴びて~」で始まる「スキー」という曲。私も小学校の音楽の時間に歌いました。
 で、問題はこの文部省唱歌「スキー」(知らない方はこちらでお聞き下さい)が、その母校の校歌にそっくりだということです。いやどれくらい似ているかというと、メロディ、リズム、テンポを併せた曲調全体で見ると、ほぼ「盗作」に近いぐらい似ています。細かくメロディを追ってみても、相当に類似の旋律が使われていますね。
 「歌う国民」を読んだ今になって思うのですが、私が通った高校の「妙に明るい校歌らしくない校歌」は、太平洋戦争敗戦後のホンの一時期続いた暗い時代が終わり、まさに将来への希望に満ちた日本を国民的なアイデンティティとして確立せんと国民歌謡作りに邁進した作曲家、作詞家によって作られたものであったわけです。
 ところで、この平井康三郎という作曲家は、全国の小・中・高校の校歌をおそらく100曲以上は手がけています。ネットで検索すると出てくるわ出てくるわ、東京の公立小・中・高校だけで20曲以上見つかりました。しかも、母校の校歌と同じく「作詞:勝承夫、作曲:平井康三郎」というのが全国には非常に多いのです。そうなると、実は詩も曲調もそっくり似た校歌が、全国にたくさんあるということになりそうです。また、曲だけを見れば、母校と同じく「スキー」そっくりの曲の校歌だって、あちこちにあるのでしょうね。

2010年09月15日

●もっとWi-Fiを!

 予約しておいた新型iPod touchは出荷が9月末になりそうです。iOS4.1を搭載したこのiPod touch、巷間では「poor man’s iPhone4」と呼ばれているそうで、まったくその通りに違いありません。しかしカメラとGPS関係の機能差を除けば、iPhone4とほぼ完全に同等の機能を使える上、逆説的ではありますが、3G回線に縛られない分、通信料金やらキャリアの2年縛りやらを気にせずにかえって気楽に使えます。私のように、ドコモ回線につながるWi-Fiルーターを使っていれば、どこでも接続できますし、この手のモバイルWi-Fiルーターなど使わなくても、自宅と街中のWi-Fiアクセスポイントを利用するだけで十分だという人も多いでしょう。
 それにしても、私が最近思うのは、もっと大量の公衆アクセスポイントを設置しWi-Fi網を本気で拡大・普及させようという事業者が、なぜ登場しないのか…という疑問です。

 私の場合、現時点で確保している公衆Wi-Fiアクセス手段は3つです。まずは契約している既存サービスはNTT東日本のフレッツ・スポット、ソフトバンクのYahooBBです。さらにfonルーターを公開する形で使っていますので、全国のfonアクセスポイントと、fonが提携するライブドアのアクセスポイントを利用できます。この3種のアクセス手段を確保していることで、まあ主要なJRや地下鉄駅、さらにはチェーン系のファーストフード店のほぼ全部、そして東京なら山手線の内側のほぼ全域で(部分エリアですが)Wi-Fiアクセスが可能です。しかし、現実的に「いつでも、どこでも」Wi-Fiを使おうと思うと、これだけでは不足です。

 例えば私のオフィスがある池袋程度の規模の街ならば、繁華街の範囲は約2Km四方で、その面積は4平方キロメートルです。この範囲の50m四方のグリッドを設定し、各グリッドに1つのアクセスポイントを設置していけば、ほぼ繁華街全域で利用できる計算になります。4平方キロメートルは4000000㎡、50m四方は2500㎡、これを割れば合計1600のアクセスポイントでほぼ池袋の繁華街全域をカバーできるわけです。むろん、建物の影や建物の中など、グリッド内の全ての場所で使えるわけではないことは十分に承知の上です。しかし、あらかじめ十分にアクセスポイントの設置場所を計算すれば、路上を含めて相当広い範囲でWi-Fi利用が可能になることは確かです。こうしたやり方で、次々と全国の主要駅周辺や繁華街をWi-Fiネットワークで塗り潰していく形でサービスを提供することは、容易なはずです。

 一方で、街全体をカバーする広域公衆Wi-Fi網の整備計画は、2005年頃に米国のサンフランシスコやフィラデルフィア、シカゴなどで相次いで計画され、いずれも短期間で計画が頓挫した経緯があります。
 また日本でも、商用の公衆Wi-Fi網については現行サービスプロバイダ以外にも、かつて多くの事業者が参入し、そして採算ベースに乗らずに撤退していきました。現行の事業者も、より大規模なAP整備計画を持っていたにも関わらず、採算上の問題からエリアの拡大に踏み切れないでいます。
 米国でも、日本でも、Wi-Fi公衆網の普及が中途半端な状態になっているのは、採算性の問題です。まず、3G並みにアクセス不可エリアを無くすためには予想以上に多くのアクセスポイントが必要なこと、課金システムの構築に費用が掛かること、高額課金を是とするユーザが少ないこと…などから、投資に見合う採算が取れないということです。その結果、公衆Wi-Fi網の整備が2007年頃までの状態で事実上頭打ちになっているというわけです。

 しかし、2005~2006年あたりと2010年現在とは、実は状況は大きく異なります。言うまでも無く、iPhone、Androidに代表される急激なWi-Fi搭載スマートフォンの普及と、今後進むであろうタブレットデバイスの普及です。現在多くのスマートフォンユーザは、接続環境さえあれば3GではなくWi-Fiで繋ぎたいと考えています。何も3G並みのエリアを確保しなくとも、先に挙げたような主要な繁華街やビジネス街で路上も含めて、今よりももうちょっと広い範囲でWi-Fiが使えるのなら、それなりにお金を払っても良い…と考える私のようなスマートフォンユーザは多いでしょう。また、今よりもうちょっと広範囲でWi-Fiが使えるのなら、新型iPod touchなどを使って3G契約なしでスマートフォンを使う…というユーザも増えるはずです。さらに、音声通話もIPベースで…と考えれば、人口カバー率50%程度のWi-Fiネットワークが提供されれば、月額2000円程度のお金を払うユーザは相当数出てくるでしょう。

 加えて、Wimaxなど3.5G、3.9G、4Gと比較して、Wi-Fiが「こなれた技術」であることを忘れてはいけません。Wi-Fiは、最も低コストで無線基地局(AP)ネットワークを構築でき、低コストで安定した性能でしかも極限まで小型化された送受信モジュールを調達することができます。
 Wi-Fiなら、PC、スマートフォン、タブレットデバイス、携帯ゲーム機、そしてデジカメやSDカードに至るまで、どんな機器にでも簡単かつ安価に機能を付加することができます。IEEE 802.11a/b/g/nなどの相互接続性の認定を行っているWi-Fi Allianceによれば、認定を取得した機器は2009年に5億台を越えているとのこと。現在のスマートフォン普及の速度を考えれば、今後は年間1億台ペースでWi-Fi搭載端末は増えていくでしょう。これだけ莫大な数の端末が存在するのですから、ビジネスモデルによっては広域Wi-Fiネットワークサービスを提供しても採算可能なビジネスモデルは存在するはずです。一定エリア内でWimax網を整備するよりも、Wi-Fiメッシュを整備する方が、基地局インフラから端末まで含めた全システムの合計コストは安いはずです。

 特に、先に挙げた「音声通話もIPベースで」という話は、今後のネットワークビジネスの鍵となるはずです。アップルやAmazonに限らず、携帯電話キャリアの動向に依存せずに、端末販売、コンテンツ販売のビジネスを展開したい企業は多いはず。例えそこに「音声通話」へのニーズが加わっても、無線LANネットワークとIPベースの音声通話技術があれば、別に携帯電話キャリアと提携する必要はないからです。

 いずれせよ、もっと大量の公衆アクセスポイントを設置しWi-Fi網を本気で拡大・普及させようという事業者が登場することを切に願う次第です。

2010年09月07日

●バカ教師

 「都立練馬高校でプールの給水バルブの設定を間違えて水を出しすぎ、7月下旬からの約1カ月間に不要な流水が推定約6600立方メートルあったと発表した。必要な量の10倍の水を流し、水道代が510万円分、よけいにかかった。」…という昨夜のニュース。

各メディアに掲載された学校側のコメントは、次の通り。

「水温を下げて藻の発生を防ぐためだったが、バルブを調節せず水道メーターも確認しなかった。」

「毎日水道使用量をチェックしていたが、これまでの使用量との比較をしないため気づかなかった」

「顧問の女性教諭(39)は給水量が多いことに薄々気づいていたようだが、給水栓の管理は男性体育教諭の役割だったため、バルブを少し閉めただけで、給水を止めなかったという」

 笑えないなぁ。こいつら本当に、救いようがないバカ。「毎日水道使用量をチェックしていたが、これまでの使用量との比較をしないため気づかなかった」…に至っては、オマエはサル以下の知能しかないのか、と言ってやりましょう。まあ、関係者による弁償は当然ですが、それ以上に大きな問題があります。
 こんな無責任でバカな「先生」達に教えられている高校生はかわいそうです。…ってか、無責任なバカが教えるんだから、結果的に無責任でバカな生徒にしかならないはず。今の高等教育の現場って、こんなものなんだ…

2010年09月02日

●誰もが、もっと自由に本を出版すべき

 書籍化されてさらに有名になった、たぬきちの「リストラなう」日記に、「無名人が本を出すには?」というエントリーが掲載されていました。私も自著を何冊も出しているし、書籍のリライトや編集、さらには出版のプロデュースなどを生業にしていた時期があります。そうした経験から見ても、架空のインタビュー形式になっているその内容自体に異論はありません。でも、ここには肝心なことが書かれていません。要するに、本は出版社など通さなくても「勝手に出版できる」という事実です。無名人であろうと有名人であろうと、本を出版するのは実に簡単だという現実です。

 これまでに何度もここに書いてきたように、電子出版ならば、自分で書籍を書いて、それをただPDF化するだけで売ることができます。あらかじめ断っておきますが、これはアメリカでamazonが行っているKindleのようなビジネスモデルが存在しなくても、個人で勝手に電子出版をしてしまえる…という話です。
 さて、PDF化するとは言っても、同じPDFでもコピー防止のフォーマットなどを採用すると多少面倒なことにはなりますが、そんなフォーマットを使う必要はありません。とりあえずは市販ソフトを使って標準PDF化するだけでよろしい。そしてPDFファイルをサイトに置き、ダウンロードさせてダウンロードに対して課金すればいいだけです。
 ちなみに、特にコピー防止機構にこだわらないのなら、PDF以外のフォーマットでも別に構いません。HTMLファイルで配布しても構いません。また、図やイラストなどを使わないテキストだけの小説なら、テキストファイルで配布してもいいのです。

 とは言え、図版やイラストなど画像情報のハンドリングや検索機能等を含めて考えるならば、やはりPDFが優れています。そして今、PDFが読める手頃な端末が世の中に溢れています。パソコンや、Windows搭載タブレットなどは当然PDFreader、PDFviewerです。その他、PDFviewer機能を搭載した端末としては、話題のiPADやKindleDXがあります。意外と知られていないのですが、DR1000Sも日本語PDFが読めます。そしてGood Readerを使えばiPhoneでもPDFが読めるし、標準的なAndroid端末ならBeamReader PDF Viewerを使って、たいていのPDFファイルは読めます。さらに、国産ガラケーの中にも、ドコモのSH900iを始めPDFリーダーが搭載されている機種があることはあまり知られていません。要するに、世の中でよく使われている携帯型端末の大半でPDFを読むことができます。加えて、今年の秋ごろからは、android、Windows併せて数十種のタブレット端末が市場に投入されそうです。

 しかし、Amazon-Kindleのようなビジネスモデルを使わず、コピー防止機能も無いファイルフォーマットで、パソコンサイトから有料でテキストコンテンツを販売する…なんてビジネスモデルが本当に成り立つのか、本当に売れるのか?…と、疑わしく思っている人は多いかもしれません。しかし、主にパソコンで読むためのテキストをこうした形で販売する試みは、実はかなり以前から広く行われており、しかもジャンルによっては一定の成功を収めていたのです。
 このやり方で、昔からけっこう売れていたのは、「エロ小説」とやはりエロ系の「同人小説」です。同人系サイトなどは、銀行振込みという古典的で面倒な決済手段しかなくても、それなりに利益を出していたところがありました。官能小説系出版社などは、実は最も早い段階で電子出版を成功させていたのですが、こうした事実はあまり知られていません。そして、エロ系のコンテンツが売れるのなら、エロ以外のコンテンツだって売れるのです。

 Webサイトからの決済方法についても、様々な仕掛けを利用することができます。ネットで調べればすぐにわかることなので、細かい方法はここには書きませんが、個人サイトでもクレジットカード決済機能を導入することは可能です。その他、でじたる書房のような、個人による電子出版を仲介してくれる仕組みもあります。むろん、iPhene用アプリを自分で作れるのなら、iPhene用アプリとして出版するのもアリでしょう。

 私は「本が売れない」とは思っていません。確かに出版の売上げは落ちているし、前のエントリーでも書いたように「大学生が本を読まない」なんてこともあるのでしょうが、それでも「読む人は読む」のです。逆に言えば、昔も今も、本なんて物は「全体の2割の人間が、8割の本を読む」という世界であることに変わりはありません。そして、普段はあまり本を読まない8割の人間だって、安くて面白そうな本があれば、飛びついてくる可能性は十分にあります。
 自分で書いて自分のサイトで売る電子出版は、1冊100円の本を売ることができるのです。1冊3万字程度で定価100円の本を次々書いて50種出版し、仮にそれぞれが100部ずつ売れれば、合計5000部、50万円の売上げです。こんなささやかなビジネスモデルでも、個人でなら可能です。
 わが国でも、amazonのように個人が出版しやすい電子出版のビジネスモデルが登場するのは、そう遠い将来のことではないでしょう。しかし、それまで待たなくとも、そしてどんな無名人でも、明日にでも本を出版することができるのです。