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2009年08月19日

●アルバムベスト10(ミュージックマガジン創刊40周年)

 ミュージックマガジンが創刊40周年を記念して、過去40年間の全ジャンルのアルバムの中からベスト200を発表しました。そうちベスト10は以下のアルバムになっています。

1. Beatles: Abbey Road
2. Neil Young: After the Gold Rush
3. Talking Heads: Remain in Light
4. Sly & the Family Stone: There's a Riot Goin' On
5. Fela & Afrika 70: Zombie
6. The Rolling Stones: Let It Bleed
7. The Band: The Band
8. Bob Dylan: Blood on the Tracks
9. Television: Marquee Moon
10. John Lennon/Plastic Ono Band

 個人的な好みと必ずしも合っていないアルバムもありますが、それにしてもかなり興味深い選択です。ビートルズに関心がない私としては、1位と10位はどうでもいい。強いて言えば、6位のストーンズもどうでもいい。でも、2位の「After the Gold Rush」は決して嫌いではないアルバムだし(二ールヤングにはもっといいアルバムがあります)、7位にザ・バンドが入っているのもいい。8位のディランは当然ですが、ディランよりも上にバンドが来ているのがいいですね。そして何よりも感慨深いのは、3位と9位に「パンク」が入っていることです。特にTelevisionの「Marquee Moon」がベスト200の中の9位に入ったことには、ちょっと驚きました。

 以前、このサイトでも書いたことがありますが(ロック遺産 ~ニューヨーク CBGB編)、私は「ニューヨーク・パンク」がかなり好きで(ビートニクスに大きな影響を受けていたからです)、70年代の後半、そして80年代の初め頃とニューヨークのCBGBに入り浸っていた時期があります。80年代の初めには、既にある種の観光地化していて、バワリーにある店の前に時折市内巡りの観光バスが留まっていたこともありますが、それでも当時のバワリー一帯の雰囲気、そしてCBGBの持つ独特の雰囲気には惹かれるものがありました。店がなくなる直前の2000年の冬に最後に友人達と訪れた時には、バワリー一帯もきれいになり、CBGB地下フロアの扉が壊れたトイレだけが妙に昔懐かしい感じだったのを覚えています。

2009年08月07日

●格安パソコンを2台購入

 私が自宅と2ヶ所のオフィスでそれぞれ仕事に使っていた3台のPC(いずれもCeleron D 320~340程度のマシン)が、ここのところ一斉に不調になってきました。で、今回はまず2台を新規に購入した次第。私の場合、仕事で使うPCはハイスペックマシンは不要。なんといっても、仕事の9割が文章を書くこと、プレゼン資料を作ること。だからWord、Excel、PowerPointの3つのソフトがサクサク動けばよいわけです。で、オフィス用に購入したのは、DELLのvostro220Sというチープなマシン。CPUはE5200でビデオは当然オンボード、HDDだけは500GBにBTOでアップして、19インチのモニタ付きで約5万円という代物。むろんOSはWindowsXPで、今回はXP proへのダウングレードです。Winndows7へのアップグレード権付きですが、まだ当面はXPを使い続ける予定です。

 自宅用も同レベルのDELLのマシンにしようと思いましたが、それも芸がない。久しぶりに自作しようかとも考えましたが、5万円以下のパーツ代でと計算すると、たいしたマシンはできません。たまたまパーツを買おうと見ていたアキバのfaithのサイトで、CPU:Athlon X2 5050e、メモリ:PC6400 DDR2 4GB、ビデオカード:nVIDIA GeForce 9500GT 512MB、HDD:500GB、ドライブ: DVDスーパーマルチ、11-in-1 カードリーダ…という組み合わせに、400W電源のケース、さらにOSがXP Home Editinへのダウングレード付きという完成品を4万円台で見つけ、これをパーツ購入で自作してもほぼ同じ価格になると考えて、購入してしまいました。Athlon X2 5050eなら、将来Windows7にしてもVT機能を持っているのでXP仮想モードが使えます。自宅のマシンは、たまにデジカメ画像のRAW現像やDVDのリッピングなどもするので、まあ、ちょうどいいスペックですね。AMDを搭載したマシンを使うのはホント久しぶり。10年くらい前には、AMD K6-2-300あたりを使ったマシンをやたらとたくさん作り、オーバークロックなどをしていた記憶がありますが、あの頃以来のAMDマシンということになります。

2009年08月06日

●裏面照射型CMOS「Exmor R」

 「ソニー、世界初の裏面照射CMOS搭載デジタルカメラ」…、かねてより噂があったこの製品の登場が各所で話題となっています。採用された裏面照射型CMOS「Exmor R」は従来比約2倍の感度を持つとされており、手持ち夜景スナップが可能…を謳っている以上、夜景スナップが好きな私は強い興味を持たざるを得ません。
 裏面照射(または背面照射)によってイメージセンサの高感度化を図る…というアイデアは、古くからあり、高価な産業用、医療用、天体観測用、科学実験用等向けのイメージセンサとしてはかなり以前から実用化され、実際に多くの機器に使われていました(英国e2vテクノロジーズ社の背面照射CCD、「EM-CCD」などはよく知られており、他に浜松ホトニクスなども同様のCCDを供給しています)。そしてここ数年は、世界中で多くのイメージセンサメーカーが、裏面照射型CMOSのコンシューマ向け製品の開発に取り組んできたものです。
 裏面CMOS採用のデジカメの話も、昨年あたりから一部で盛り上がっており、Panasonicが次期高画質コンデジ向けに最初に採用するという噂などもありましたが、やはり先にビデオカメラで採用したソニーが最初に商品化したようです。
 裏面照射型イメージセンサの原理については、こちらのサイトがいちばんわかりやすいでしょう。

 さて、夜景スナップが好きでそれゆえにF200EXRを絶賛する私ですが、夜景スナップが好きとは言いながらも、結局日常のスナップ用として最もよく使っているデジカメは、いまだに初代GRDです。GRDをかなり使い込んだ後でGRDⅡを購入しましたが、そのGRDⅡよりも初代GRDを持ち歩くことの方が多いのです。
 私は初代GRDでフラットに撮った画像が非常に好きです。あくまで感覚的なものですが、GRDⅡの画像と比較すると、ノイズ処理が行き届いていない分、初代GRDの方が自然な画像が得られる印象があります。言い方を変えれば、GRDのノイズは私にとって「好ましいノイズ」です。GRDは、多少光量が不足する場面でもISO200あたりで撮影すれば、GRDⅡで同じ感度で撮影した場合よりもナチュラルな画像が得られるような気がします。相当にノイズが増えるISO400でも、私はノイズリダクションがしっかり利いたGRDⅡの画像よりも、明らかにノイズが多いGRDの画像の方が自然で好ましく感じます。言ってみれば「風情のあるノイズ」です。だからというわけではありませんが、今回発表されたGRDⅢにもいまひとつ食指が動きません。
 現時点で、そんなGRDに対してひとつだけ不満があるとすれば、それは28mmという画角で撮るスナップに飽きてきたことです。どうも、ここへ来て原点回帰というと大げさですが、35mmから40mmぐらいの画角のスナップ写真の方がうまく風景を切り出せるような気がするのです。もともと昔銀塩一眼で写真を撮っていた頃は、35mmの短焦点レンズが非常に好きでした。28mm というのは、当時は「作画意図を持って使う広角」でした。GRDの28mm単焦点のディストーションがちょっとクドく感じてきたのは、そういった経験的な背景もあるのかもしれません。
 そういう意味では大口径40mm単焦点のシグマDP2に魅力を感じるのですが、いかんせんポケットに入れて持ち歩くには大き過ぎるし、動作も敏捷ではありません。ズームは要りませんから、どこかが小型軽量で40mm前後の単焦点レンズを搭載した高画質コンパクトデジカメを発売してくれないかなぁ…と、切に願う今日この頃です。

 それにしても、この期に及んでGRDⅡよりも初代GRDで撮る画像の方が好きだと言っている自分の感覚は、実のところ他人にはうまく伝えられません。「いや、GRDⅡの画質の方が圧倒的にいい」と言われれば、論理的に反論することができません。ただ、「画質」に「絶対的な尺度」を持ち込むこと自体に無理があると言わざるを得ないのです。
 デジカメを語る上で「画質原理主義」というのがあっても、別によいとは思います。しかし一方で、このサイト内で昔から何度も書いているように、人間の目の機能(分解能や色認識)の限界、脳による画像認識機能の曖昧さ、そしてなにより人間が持つ目の機能や画像認識機能の個体差(個人差)が極めて大きいことなどから考えれば、画質原理主義には虚しい部分がありまず。加えて、人間の美意識たるや千差万別でありますから、結局デジカメの画質評価なんてものは、相対的、個人的な評価にならざるを得ないと考える次第です。

2009年08月04日

●オーガニック食品の栄養的優秀性

 ホメオパシーが正規の医学教育を受けたはずの医師まで巻き込んである種のブームとなり、そのホメオパシーと表裏一体とも言える「マクロビオティック」もブームの真っ最中。まあ、「マクロビオティック」なんて言葉を知らない人達の間でも「有機農法」だの「オーガニック野菜」だのは、「健康によい食品」として広く認知が進んでいます。背景には、先般の農薬入り中国ギョーザ事件によって「安全な食品」への関心が異常に高まったこともありますが、「有機野菜」「無農薬野菜」の存在について、農水省が有機JASの認定基準を作るなどある種の「お墨付き」を与えている…という情況もあります。

 ところでその「マクロビオティック」、個人的には、いみじくも地下猫氏がホメオパシーを「カルト」として論考したのと同じく、「マクロビオティック」もカルトの匂いふんぷんという感じで受け止めています。
 桜沢如一に始まる「マクロビオティック」信奉者や推進団体の多くが、単なる食生活改善運動や健康運動に止まることなく、独特の世界観や宇宙観に基づいて「地球生命体論」に基づく「自然環境との共生」や「環境保護」などを強く主張している様を見るにつけ、肌がザワザワするような不気味な感触を覚えているのは私だけではないでしょう。
 特に嫌なのが、ホメオパシーとかマクロビオティックを信じてライフスタイルに取り込む人間の多くが「インテリ層」であること。「インテリ層」という言葉は定義しづらいのですが、要するに一定の学歴や社会的地位を持ち、社会の平均水準以上の教養レベルを備える(…と自身が思い込んでいる)階層を指します。こうした「自称中の上」階層の一部は、食生活や健康問題、環境問題に対する自覚という点で、平気で自分の子供にマクドナルドで食事」を摂らせ子供を車の中に放置して長時間パチンコに興じるいわゆるDQN層(相対的に所得や学歴、社会的地位も低い)と、明確な対立関係にあります。でも、思うに社会に対して害をなすという面では、前者の方が始末が悪いケースがけっこう多いかも。まあ、そんな話はどっちでもいいけど…

 こうした昨今の状況の中で、「オーガニック(有機)食品に栄養的優秀性みとめず」…という面白いニュースを見つけました。
 これは「50年に及ぶ文献のシステミック・レビューで、オーガニック製品は栄養的に優れているというエビデンスは見いだせなかったという報告が、The American Journal of Clinical Nutrition誌に掲載された…というのです。

 このblog主である医師のinternalmedicine先生の手による元論文の訳によれば、

・52000論文から、152(農産物137、家畜製品25)を検討クライテリアに合致するとして検討、だが、十分な質に到達してたものはわずか55のみ。
・通常の農産物は有意に窒素濃度を含む。
・オーガニック製品農産物は有意に鈴・高濃度のtitratable activityを有した。
・8つの農産物の栄養カテゴリーの間に差異のエビデンス無し。
・質の低い研究群の解析で、家畜製品について、栄養成分に、オーガニックと通常の製品の差異のエビデンス無し。

 …とのことです。

 もっとも、オーガニック食品に「栄養面の優秀性がない」と立証されたとしても、マクロビオティック信者は動じることはないはずです。現代医学とともに現代栄養学をもあっさりと否定する彼らにとって、「現代科学」の見地から栄養面の優秀性なしと断定されても、何も関係がないと考えるでしょう。特にカルト的マクロビオティック信者にとって、オーガニック食品を摂取することは「心と体、そして自然環境のバランスをとる」的な理由付けで十分でしょうから。私のように毎晩安い居酒屋や立ち飲み屋でオーガニックとは無縁の不健康な肴をつまみながらホッピーを飲んでいる人間などは、きっと唾棄すべき食生活を送っているバカヤロウだと考えているに違いありません。ああ、世の中にはお付き合いしたくない面倒くさい人間がたくさんいます。もっとも、先方でも同じように思っているでしょうけど…

2009年08月03日

●知識鉱脈 ~価値ある著作物と価値の無い著作物

 本好きな私ですが、根本的なところで「電子Book」というヤツで本を読む気がしません。でも、先日来報道されている「米で100万冊以上無料に ソニー電子書籍端末」というニュースを読むと、買ってもいいかな…という気になります。
 また、今回のソニーの電子書籍端末「Sony Reader」のディスプレイがどのようなものかは知りませんが、ソニーは2004年に国内市場に投入した電子書籍用リーダー「LIBRIe(リブリエ)」で、米E Ink Corp.製のFEDを採用した経緯があるので、今回の端末も同じFEDでしょう。私はamazonの「Kindle」については、機会があって実際の端末を手にとってみたことがありますが、ディスプレイとして採用されている「E Ink」は想像していたよりもずっと読みやすいのに感心しました。「E Ink」は、基本原理は一般的なFEDと同じ電気泳動方式のディスプレイです。FED(Field Emission Display)は、「LIBRIe」や「Kindle」に限らず昔からいろいろな端末への応用例があるのですが、最新の「E Ink」を見ると近年非常に視認性や応答速度が進歩していることがわかります。

 ただし、この著作権が切れたものを中心に100万冊以上の本が無料で読める…というのは、アメリカでの話。日本では、このような形で電子ブック向けコンテンツが無償で大量に提供される情況は当面訪れそうもありません。
 日本ではこれまで大手端末メーカーが手掛けた電子Bookビジネスが、今回アメリカ市場に参入するソニーを始めPanasonic、NECなど過去にことごとく失敗している上、電子Book用のフォーマット標準化が進まないこともあり、100万冊以上の書籍がタダで読める…といった情況には当面なりそうもありません。加えて、黒船とも言えるGoogleやAmazonの日本市場進出の動きに対応して、著作権問題も混迷している情況
 ともかく、日本語の壁に加えて著作権問題の壁もある日本では、電子Bookのマーケットの先行きはかなり不透明です。

 それにしても、ネット社会が進む中で「著作権」に関しては、もっと割り切った考え方は出来ないものでしょうか?
 だいたい私は、コピーライツとかオーサーシップなんてものについては、そんなに「ご大層なもの」だとは思っていません。むろん、なんでもコピーし放題、盗作し放題の無法地帯にしろといっているのではありませんが、著作権を強く主張する人間、特に「著者」によっては、著作権を主張する著作物の内容やオリジナリティが、「そんなに声高に権利を主張するほどご立派ではない」…というケースがたくさんあります。ちょっと過激な言い方をすれば、くだらない小説やくだらない論文、くだらない映像…といったものを作り出しておきながら、声高に著作権やらオーサーシップやらを訴えても、イマイチ説得力がありません。
 ちなみに、私自身も過去に何冊か著作を出し、雑誌などに記事を書いていますが、それらの内容を誰かに無許可で引用されようと、極論すれば内容を盗まれようと、さほど大きく騒ぎ立てるつもりはありません。これは書いたものの内容に自信が無いということではなく、ジャック・デリダを下敷きに内田樹がよく言っている「…私自身の書き物のほとんど全部は先人からの『受け売り』であり、私が用いている日本語はすべて先人たちが営々として構築したものをお借りしている。そのような作物に『知的所有権』を請求するようなことは、私にははばかられる」…というのと、ほとんど同じ感覚です。むろん、雑誌に書いたものについての原稿料は頂きますし、出版された書籍に関しては印税を頂きます。くれるというものは有難く頂戴してはいますが、1人のライターとしては著作権を声高に主張するほどオリジナリティの高い立派な文章を書いているという意識はありません。

 最近、いろいろな人が書いているBlogやら、デジカメ関係のサイトやらで、「このサイト内の文章や写真を無断で引用・流用することを固く禁じます」…といった著作権を主張するらしき注意書きが書かれています。でも、そういった注意書きを書いているサイトに限って、その大半はどうでもいいような内容の駄文とか自分で撮影した下手なデジカメの画像とか、そんな程度の内容しかありません。それが、ご大層に「著作権」を主張しているのを見ると、笑ってしまいます。
 私のこのサイトなんか、どうせ適当なことを書いているだけですし、駄文を引用されようと、中に掲載しているデジカメの写真を使われようと、よほど悪意を持ってやられるのでない限り、別にたいして気にもしません。

 ちなみに、私がネット社会における著作権に関して、「もっと緩く」してもよいと思う理由は、何もレッシグのクリエイティブ・コモンズの考え方に賛同しているからではなく、またジャック・デリダが好きだからというわけでもありません。

 ともかく、非常に乱暴な意見であることは承知の上で、私はまず「テキスト(テクスト)」形態の著作物に限り、ネット上での流通に関しては著作権の対価を大幅に安くするべき考えています。そしてもう1つ、「著作権料」には、対象となる著作物の「価値」によって、差をつけてもよいと思うのです。ただし、誰がその「価値」を決めるのか…という問題については、アイデアはありません。
 さらに、「電子コンテンツ完全なコピー防止」は不可能である…とも思っています。これには2つの意味があります。まず「たいていのコピー防止技術は破られる」…ということ。また、技術の粋を尽くしてほぼ完全なコピー防止、暗号化を実現したとしても、そうなると「使い勝手が非常に悪く」なり、また「効率が悪い」システムになってしまう可能性が高いのです。むろん、完全なコピー防止を実現するためには、非常にコストもかかります。加えて、こての規格統一にはかならず妙な利権団体が絡んでくるのも不快です。これらの問題点については、既に有名無実になりつつあるDVDのコピー防止や、官僚が主導したあまりにもバカバカしい「B-CAS」、独禁法問題に揺れる「JASRAC」などの例を見れば明らかです。

 コピー防止技術の応用に限界や問題があるから著作権問題を緩くすべきだ…という論法は本末転倒だということは十分に承知しています。しかし、ゲームソフトのように不正コピーによる業界の損害額が莫大なる例がある一方で、一定割合の不正コピーを「許容すべき損害」として、宣伝効果やクチコミ普及効果などのメリットの方を大きく見る業界やビジネスモデルも実際にたくさん存在することは事実です。また、P2Pによる映画等映像メディアの不正ダウンロードに関しては、業界が訴えるほど実損は大きくない…との計算例もあります。
 いずれにしてもネットでの流通を前提としたデジタル問題には、強硬な著作権者側も納得する「落としどころ」があるはずで、個人的には早くそうした方向に進んでもらいたいと思います。

 さて、ここからが本題です。先に、「著作権料」は対象となる著作物の「価値」によって差をつけてもよいと思う…と書きました。これに関連して、もう20年以上昔に読んだ、あるSF小説を思い出しました。この小説は、「情報」をエネルギーに使う近未来社会…をテーマにした物語です。エネルギーが枯渇しつつある近未来社会で、誰かが「情報を電力に変換する装置」を発明し、世の中にありふれる「情報」をエネルギーに変換する社会を実現する話です。
 面白いのは、この「情報を電力に変換する装置」は、「エントロピーの高い情報ほど大きなエネルギーを取り出せる」というのです。そして、いったんエネルギーに変換してしまうと、その情報は世の中から消えてしまうわけです。で、この小説のどこが記憶に残っているかというと、取り出せるエネルギーの大きさで、その情報の「価値」がわかる…という部分です。記憶が定かではないのですが、小説の中でこんなシーンが出てきました。古典経済学の名著(例えば「資本論」とか「国富論」)を電力に変換したら膨大なエネルギーを取り出せた。しかし、ある有名な大学の経済学の先生が書いた本をエネルギーに変換したら、ほんの少ししかエネルギーに変換できなかった。それで、その先生が「そんなバカな」と怒る…という部分です。
 オリジナリティがあって人類社会に高度に有用な情報を含む著作物は大きなエントロピーを持ち、引用がメインのオリジナリティがない著作物はエントロピーが低いためほとんどエネルギーを取り出せない…、つまりその「変換装置」で取り出せるエネルギーの大きさで、情報の価値がわかってしまうというわけです。確か小説の中では、自分の書いたものがほとんどエネルギーに変換されない大学の教授やら小説家やらが怒ったり、大きなエネルギーを取り出せるばかりに大事な古典名著が世の中から消えてしまう…というような悲喜こもごもが起こったはずです。(20年以上前に一度読んだ記憶だけで書いているので、多少内容は違うかもしれません)。いずれにしても、日本人のSF作家が書いたこの小説、「情報エントロピーを物理エネルギーに変換する」という発想のユニークさが常に記憶の片隅に残っていました。

 この小説の「キモ」は、「情報、特に文字情報が物理的エネルギー(電気)に変換できる装置」にあるのだと思いますが、私が最も関心を持ったのは、「文字情報が持つエネルギー量に差があり、その差は『情報の質』『オリジナリティ』による」…という部分です。で、話は最初の「著作権」に戻りますが、私は世の中にはテキスト、音楽、映像など「無意味な著作物」「価値の無い著作物」が溢れていると思っています。これは、誰もがネットで自分の意見を開陳でき、著作物を自由に発表できるようになったことの功罪の「罪」の部分だとも思えます。何だか、誰もが口を合わせて「著作権」「著作権」と騒いでいる情況の中で、「お前の書いたものは、コピーライツを主張するほどものじゃないだろう」と、言ってやりたくなることが増えてきました

 最後に、今回紹介した「情報を電力に変換する装置」をテーマにした小説のタイトルが全く思い出せなかったので、ネットで検索してみました。その結果、この小説は1979年に刊行された「知識鉱脈」(笹原雪彦/日刊工業新聞社)というタイトルであることがわかりました。詳細はこちらのサイトをご覧下さい。はっきり言って、小説としてはこのサイトで絶賛しているほど面白かった記憶はありませんが、テーマと着想はユニークです。