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2010年11月04日

●真夜中に聴きたい50曲 (25)

(25)Grateful DeadRipple」(グレイトフル・デッド:さざ波)

 私がサンフランシスコを初めて訪れたのは、東海岸と較べるとかなり遅い時期で、1983年のことです。冬の早朝の空港に到着した私は、とりあえずチェックイン予定のユニオンスクエア近くポストストリート沿いにある小さなホテルに荷物を預け、街歩きに出ました。そして、真っ先にバスに乗って向かったのが、ヘイト・アシュベリー(Haight Ashburry)です。そうです、私にとっては、ヘイト・アシュベリー、フィルモア・ウェスト、そしてUCバークレー校の3ヶ所が、サンフランシスコを代表する…、すなわち1960年代のアメリカ文化を象徴する、あこがれの「聖地」だったのです。
 ヘイト・アシュベリーは、ゴールデン・ゲート・パークの東端から程近い場所にあります。ヘイト・ストリートとアシュベリー・ストリートの交差点を中心とした一帯は、もともとヴィクトリア朝時代に上流階層の住宅地として発展した地区で、今でも当時の優雅なヴィクトリア・ハウスが残っています。私が訪れた頃には交差点近くにかつてグレイトフル・デッドが住んでいたビクトリア・ハウスがそのまま残されていました。また、90年代にニルヴァーナが訪れた診療所(漂白という曲のきっかけになった)なんかもありました。当時から、グレイトフル・デッドのTシャツなどもあちこちで売っており、私も小さなデッドベアを買った記憶があります。
 ヘイト・アシュベリーを取り巻く文化については、既にたくさんの人が書いているので、あえてここで詳しく書きませんが、ベトナム反戦運動、公民権運動の高まりを背景に登場した、ラブ・ジェネレーション、フラワー・チルドレン、後にヒッピーと呼ばれる人たちが作り出した文化です。1960年代後半のヘイト・アシュベリーには、LSDやマリファナなどドラッグ文化の中心地で、同時にここでは新しい音楽も生まれました。そんな時代に登場して、若者たちの支持をもっとも集めたバンドが、ジェリー・ガルシア(Jerry Garcia)が率いたグレイトフル・デッドでした。

 アメリカ最高のライブバンドとして知られるグレイトフル・デッドについても、ここで詳しくは触れません。日本にもデッドヘッズと呼ばれる熱狂的なファンが多く、私が書くまでもなくネット上にはデッドについての様々な情報が溢れています。いずれにしても、1965年に結成されたグレイトフル・デッドのサウンドは、60年代にはアシッド・カルチャー(ドラッグ文化)の象徴としてサイケデリック・ロックなどとも呼ばれましたが、実際には初期の頃から、カントリーやフォークなどアメリカン・ルーツミュージックの影響を受けたかなり多面性を持つ曲を提供していました。また、ジェリー・ガルシアはデヴィッド・クロスビーとの関係が強く、CSN&Yのアルバム「Déjà vu」のレコーディングに参加するなどしています。
 1995年のジェリー・ガルシアの死で終わったグレイトフル・デッドですが、いまだに世界中に多くのファンを持つバンドであり、彼らがロック音楽史上に巨大な足跡を残したことは間違いありません。

 私は、微妙な世代のズレもあって熱狂的なデッド・ヘッズではありませんが、それでも彼らのアルバムは何枚も持っています。今回紹介する「Ripple」は、1970年に発売された「American Beauty」に収録されています。このアルバムには、ライブで見せるサイケデリックな演奏とは異なる穏やかな雰囲気の名曲が詰まっていて大好きです。有名なグレイトフル・デッドのオリジナル曲の歌詞の解説サイトから、「Ripple」の歌詞を解説したページをリンクしておきます。

2010年11月02日

●真夜中に聴きたい50曲 (24)

(24)Lynyrd SkynyrdSaturday Night Special」(レーナード・スキナード:サタディ・ナイト・スペシャル)

 ソフトな曲が続いたので、ここら辺でヘヴィでストレートなロックで、自分に「カツ」を入れてみようと思います。

 ルーツ系のロックが好きで、オールマンやザ・バンド、CCRあたりが好きな私ですから、サザンロックの雄などとも呼ばれるレーナード・スキナードが嫌いなはずはありません。しかし、すごく好きか…と問われると、実はそれほど好きなバンドでもありません。アルバムは3枚持っているだけだし、そのアルバムもあまり聴く機会がありません。レーナード・スキナードは、サウンドとして全く洗練されていないし、その「洗練されていなさ」「荒削りさ」があまりに意図的な感じがして(アル・クーパーが緻密に計算したサウンドでしょう…)、何となくピンと来ないバンドです。偏見を承知で言えば、例えばオールマンやザ・バンドの持つ繊細さが感じられません。だから、別に嫌いではないけどあまり興味が無い…というのが個人的なレーナード・スキナードに対するスタンスです。もう1つは、レーナード・スキナードのデビューは1973年、全盛期は1970年代の半ばからメンバーが事故死する1977年までであり、オールマンやザ・バンド、CCRよりかなり後の世代のバンドです。自分がいちばん洋楽の影響を受けた中学校高学年から高校時代前半あたりにはまだ話題になっていないバンドだったし、20代後半以降から真剣に多様な音源を漁り始めたルーツミュージック系のサウンドとも多少ズレていたため、あまり聴く機会がなかったこともあります。

 まあ、そんなことはどっちでもいいのですが、レーナード・スキナードのサウンドがある種非常に「懐かしい音」であることは確かです。そして今回紹介する「Saturday Night Special」は、サザンロックなどという後付けのジャンルを超えて、「70年代のロック」の持つ本質的な「シンプル」で「ピュア」なロックサウンドと、時代のメッセージを伝えてくれるロックの原点のような曲で、けっこうお気に入りです。
 「Saturday Night Special」は、75年に発売されたサード・アルバム「Nuthin' Fancy」に収録されています。アル・クーパーによるプロデュースから離れたこのアルバムは、全体的にストレートでヘヴィな雰囲気を持っており、サウンドもドライブ感溢れるものになっています。名曲「Free Bird」が収録されたデビューアルバム、演出されたニール・ヤングとの確執で知られる有名なセカンドアルバムと較べても、この「Nuthin' Fancy」は個人的にかなり気に入っています。
 このアルバムの1曲目に収録されて、ヒットしたのが「Saturday Night Special」。Saturday Night Specialとは、当時(現在も)アメリカに広く出回っていた「品質の悪い安物の銃」のことです。アメリカでは土曜日の夜に犯罪者によって粗悪な拳銃が密造されたり犯罪に使われたりしたことから、この言葉が使われるようになりました。そして、この「Saturday Night Special」という曲には、安直に銃を手に入れて犯罪に走ることに対する警鐘のようなメッセージが込められています。しかし、だからといってメッセージを噛み締めながらじっくりと聴く曲では全くありません。個人的には、この曲が流行った当時の自分や社会状況を思い起こしながら、懐かしいサウンドに浸るために、時々聴きたくなる曲…なんです。