2011年07月21日

●真夜中に聴きたい50曲 (28)

(28)The RamonesRockaway Beach」(ラモーンズ:ロッカウェイ・ビーチ)

 私は昔、今は無きニューヨークのクラブ「CBGB」でラモーンズを、生で聴いたことがあります。この話をすると長くなるので別の機会に書きますが、ラモーンズは1974年に結成され(メジャーデビューは76年)、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、パティ・スミス、テレヴィジョンらと並んで、70年代の「ニューヨーク・パンク」ムーブメント」の中心となったバンドです。そして、90年代の半ばに解散するまで、息の長い活動を続けました。しかし、初期のアルバムはともかく、80年代以降はロックシーンの中であまり注目されるバンドではありませんでした。また、70年代のパンクシーンで活躍したとは言っても、現在に至るまでヴェルヴェット・アンダーグラウンドやルー・リードほどには高い評価を受けてはいないような気もします。

 ラモーンズは、ファーストアルバム「Ramones」(邦題:ラモーンズの激情)が最も有名でしょう。現在は「パンクの古典」扱いです。もう、あの単純で短い曲の繰り返しは、最初に聴いたときは「コレ何?」って感じで、けっこうインパクトがありました。ジャケットもかっこよかった。ファーストアルバム以外で記憶に残っているのは、フィル・スペクターがプロデュースした「End of the Century」です。ニューヨークパンクは好きですが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやパティ・スミスのような「内省的」な部分が感じられない分、ライブで楽しむならともかく、繰り返してレコードを聴くサウンドではないと感じたものです。

 さて、今回取り上げる「ロッカウェイ・ビーチ」という曲は、彼らの3枚目のアルバム「Rocket To Russia」に収録されています。このアルバムは、1、2枚目のアルバムとは異なり、けっこうメロディラインのはっきりした、いわゆるメロコア系の曲が多いかもしれません。で、なぜこの「ロッカウェイ・ビーチ」という曲を挙げたのかといえば、これはもう個人的な思い入れによるものです。

 私の2度目のニューヨーク在住は1982年から83年にかけて。特に1983年のニューヨークの夏は、猛暑だったのでよく覚えています。当時私は、レキシントンアべニュー23丁目にあるジョージ・ワシントン・ホテルという伝説の安ホテルに住んでいました。そのホテル、なんと部屋にエアコンがなかったのです。連日、昼間は最高気温が華氏110度近い日々が続く中、私は涼をとるために、毎日地下鉄に乗って海に出掛けました。BかDのラインに乗ってコニーアイランドへ行くこともありましたが、やっぱり好きだったのは、ロッカウェイ・ビーチです。マンハッタンのミッドタウンから地下鉄Aラインに乗って、クイーンズを縦断した終点が、大西洋に面したロッカウェイ・ビーチです。クイーンズの一番南、ジャマイカベイを挟んでJFKの対岸にあり、東から西へ突き出した砂洲のような半島です。半島の根元にあたる東の端は、もうロングビーチの海岸に連なっています。
 地下鉄のAラインは、ジャマイカベイの真ん中、つまり海の真ん中(地下ではなく地上の砂洲)を走っていく気持ちの良いラインで、ミッドタウンからは約1時間できれいなビーチの真ん中に着きます。砂浜で寝そべっていると、海に向かってJFKを離陸する飛行機がよく見えます。1時間に1回ぐらいは、轟音をたててコンコルドが飛び立っていきます。それをぼんやりと見ながら、泳いだり甲羅干しをしたりして一日中海岸で過ごしていました。

 ラモーンズの「ロッカウェイ・ビーチ」は、クイーズ生まれのメンバーが、自分たちがよく遊んだ海を歌った曲。その曲を聴くと、私もあのクソ暑かったマンハッタンで過ごした日々、ロッカウェイ・ビーチの海岸で過ごした気だるい昼下がりを思い出すのです。

2011年04月07日

●真夜中に聴きたい50曲 (27)

(27)The ByrdsHickory Wind」(ザ・バーズ:ヒッコリー・ウィンド)

 ロックの歴史を紐解く時、現在のロックの原型を1960年代のイギリスに求める見方は一般的です。まずは、アメリカで生まれたロックンロールを発展させる形で、アニマルズ、ザ・フー、キンクス、そしてビートルズやローリング・ストーンズなどが新しいロックサウンドを生み出しました。さらにブルースの影響を強く受けてブルースロック、ハードロックという分野のサウンドを確立したのがヤードバーズ、クリーム、ジェフ・ベック・グループ、そしてレッド・ツェッペリンらです。彼らをもってして、「現代ロックの主流の始まり」とする見方です。
 1960年代の終わり頃からロックを聴き始めた私自身も、概ねその通りだと思いますが、現代において主流となってるロック・ミュージックには、実はもうひとつのルーツがあります。それは、1960年代の半ばにアメリカで生まれたフォーク・ロックです。アメリカで60年代に隆盛を見たフォーク・ロックというジャンルでは、ボブ・ディラン、タートルズ、ママス&パパス、グラスルーツ、バッファロー・スプリングフィールドなどのミュージシャン、バンドが知られていますが、中でもこのジャンルの音楽の確立に最も貢献し、その後のアメリカン・ルーツ・ロック、カントリー・ロック、さらにはウェストコースト・ロックといったルーツロック系の流れを作ったバンドが「ザ・バーズ」です。ザ・バーズこそが、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングやイーグルスらへと続くアメリカン・ロック・サウンドのもうひとつの本流を生み出すにあたって、実は最も大きな役割を果たしたバンドの1つではなかったかと、私は思っています。

 ザ・バーズの結成が1964年で解散は1973年ですから、活躍した時期はほぼビートルズと重なります。そして、実際にビートルズの影響も大きく受けています。一部では「ビートルズとボブ・ディランをミックスしたサウンド」などといわれたりもしますが、実のところは、そんな単純なバンドではありません。特筆すべきは、そのメンバーです。結成時のオリジナルメンバーは、ロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビー、クリス・ヒルマン、マイケル・クラーク。1965年に「ミスター・タンブリンマン」が大ヒット。その後、サイケデリック・ロックやスペース・ロックといった当時のコンテンポラリーを目指した「迷サウンド」に走った時期がありますが、1968年にグラム・パーソンズが参加、ザ・バースはそのグラム・パーソンズのリードによってカントリーテイストに溢れたアルバム「ロデオの恋人(Sweetheart of the Rodeo)」を発表します。

 「ロデオの恋人」は、カントリー・ロックの傑作と言われる名アルバムです。そしてその中でも歴史に残る名曲として、後に多くのカントリー系ミュージシャンにも歌われたのがグラム・パーソンズが作り、自ら唄う「ヒッコリーウィンド」。むろん、リマスター版で、グラム・パーソンズの歌っているテイクを聴いてください。ゆったりとした心地よいサウンドと優しいパーソンズの声、美しいコーラスが心に染み入る曲です。

 さて、ザ・バーズですが、「ロデオの恋人」以降は、それほど大きなヒットアルバムを出すこともなく73年に解散します。60年代後半を通して時期によってサウンドも大きく異なるし、なんとなく掴み所がないバンドであることは確かです。しかし、在籍していたメンバーのその後の経緯を見れば、彼らがアメリカン・ロックの歴史にいかに大きな1ページを拓いたかがわかります。
 まず、グラム・パーソンズは「ロデオの恋人」発表直後に、クリス・ヒルマンと共にバーズを脱退、クラレンス・ホワイト、マイケル・クラークらとフライング・ブリトー・ブラザースを結成します。ちなみにフライング・ブリトー・ブラザースには、後にイーグルスを結成するバーニー・リードンも参加しました(このあたりの経緯は以前、グラム・パーソンズを取り上げた時にも書きました)。デヴィッド・クロスビーは、バーズ解散後にバッファロー・スプリングフィールドのメンバーらとともに、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングを結成します。クリス・ヒルマンは、フライング・ブリトー・ブラザーズの解散後にスティーヴン・スティルスとともにマナサスを結成。さらに1974年に、アル・パーキンス、リッチー・フューレイ、J.D.サウザーらとともにサウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドを結成します。

 いずれにしても、ザ・バーズというバンドがグラム・パーソンズと出会って生まれた「ロデオの恋人」というアルバムは、ロックの歴史に残る名盤であると同時に、私自身が大好きなアメリカン・ルーツミュージック系のロック・サウンドの原点とも言える1枚です。

2011年04月06日

●真夜中に聴きたい50曲 (26)

(26)Miranda LambertLove Your Memory」(ミランダ・ランバート:ラブ・ユア・メモリー)

 ミランダ・ランバートは1983年生まれですから、まだ27歳です。このシリーズでとりあげるミュージシャン、シンガーの中ではずば抜けて若いし、私の音楽遍歴との接点はまったくありません。しかし、数年前に偶然手にした彼女のアルバムは、まさに私の音楽の好みのツボにはまりました。まだ3枚しかアルバムを出していませんが、その3枚目のアルバム「Revolution」の中の「The House That Built Me」が、昨年末の第53回グラミー賞で「Best Female Country Vocal Performance」に輝き、彼女は晴れてグラミーシンガーの仲間入りをしました。

 今回取り上げた「Love Your Memory」という曲は、2005年に発売された事実上のデビューアルバム「Kerosene」に収録されている曲です。グラミーに輝いた「Revolution」もむろんいいのですが、何と言っても私は、ミランダ・ランバートというシンガーを初めて知ることになったアルバム「Kerosene」が好きなのです。このアルバム、数年前からもう何十回聴いたかわかりません。
 彼女のサウンドは、強いて言えばオルタナ・カントリーとかコンテンポラリー・カントリーというジャンルに属するのでしょうが、アメリカン・ルーツミュージックを根っこに持つ、ピュアなアメリカンポップスだと思っています。よく透る伸びやかな歌声ながら、曲によってはルシンダ・ウィリアムスを彷彿とさせるドスの効いたシャウトも聞かせてくれる、実に表現豊かなシンガーです。
 また、「Kerosene」というアルバムに参加しているミュージシャンも錚々たる顔ぶれで、ベテランギタリストのリチャード・ベネットや、昨今この手のアルバムには必ず顔を出すバディ・ミラーおじさんもボーカルで参加しています。「Kerosene」には、ロック志向の強い曲から、ピュアなブルーグラスまで多彩なサウンドが散りばめられていますが、今回選んだ「Love Your Memory」はアルバム最後のトラックで、しっとりとしたバラード調の恋の歌で、アコースティックギターの響きが美しい曲です。

 さて、ミランダ・ランバートと言えば、昨年発売されたロレッタ・リン(Loretta Lynn)へのトリビュート・アルバム「Coal Miner's Daughter: A Tribute to Loretta Lynn」の中の「Coal Miner’s Daughter」という曲で、シェリル・クロウ(Sheryl Crow)とともにロレッタ・リン本人と競演しています。このアルバムは、ルシンダ・ウィリアムスやスティーブ・アールなど様々なカントリーシンガーが参加した、なかなか聴き応えがあるアルバムです。

 話は変わりますが、ロレッタ・リンと言えば、彼女の生涯を描いた「Coal Miner’s Daughter」という伝記映画があります、邦題が「歌えロレッタ愛のために」で、これはちょっとしらけるのですが、非常にいい映画です。映画の中でロレッタ・リンを演じたシシー・スペイセクは、この映画で1980年に第53回アカデミー賞の主演女優賞を受賞しました。ロレッタの夫を演じているのが、あのトミー・リー・ジョーンズ、そしてザ・バンドの、あのレヴォン・ヘルムが出演しているのも特筆モノです。妙な邦題に惑わされることなく、機会があればぜひ見て頂きたい、とてもいい映画です。

2010年11月04日

●真夜中に聴きたい50曲 (25)

(25)Grateful DeadRipple」(グレイトフル・デッド:さざ波)

 私がサンフランシスコを初めて訪れたのは、東海岸と較べるとかなり遅い時期で、1983年のことです。冬の早朝の空港に到着した私は、とりあえずチェックイン予定のユニオンスクエア近くポストストリート沿いにある小さなホテルに荷物を預け、街歩きに出ました。そして、真っ先にバスに乗って向かったのが、ヘイト・アシュベリー(Haight Ashburry)です。そうです、私にとっては、ヘイト・アシュベリー、フィルモア・ウェスト、そしてUCバークレー校の3ヶ所が、サンフランシスコを代表する…、すなわち1960年代のアメリカ文化を象徴する、あこがれの「聖地」だったのです。
 ヘイト・アシュベリーは、ゴールデン・ゲート・パークの東端から程近い場所にあります。ヘイト・ストリートとアシュベリー・ストリートの交差点を中心とした一帯は、もともとヴィクトリア朝時代に上流階層の住宅地として発展した地区で、今でも当時の優雅なヴィクトリア・ハウスが残っています。私が訪れた頃には交差点近くにかつてグレイトフル・デッドが住んでいたビクトリア・ハウスがそのまま残されていました。また、90年代にニルヴァーナが訪れた診療所(漂白という曲のきっかけになった)なんかもありました。当時から、グレイトフル・デッドのTシャツなどもあちこちで売っており、私も小さなデッドベアを買った記憶があります。
 ヘイト・アシュベリーを取り巻く文化については、既にたくさんの人が書いているので、あえてここで詳しく書きませんが、ベトナム反戦運動、公民権運動の高まりを背景に登場した、ラブ・ジェネレーション、フラワー・チルドレン、後にヒッピーと呼ばれる人たちが作り出した文化です。1960年代後半のヘイト・アシュベリーには、LSDやマリファナなどドラッグ文化の中心地で、同時にここでは新しい音楽も生まれました。そんな時代に登場して、若者たちの支持をもっとも集めたバンドが、ジェリー・ガルシア(Jerry Garcia)が率いたグレイトフル・デッドでした。

 アメリカ最高のライブバンドとして知られるグレイトフル・デッドについても、ここで詳しくは触れません。日本にもデッドヘッズと呼ばれる熱狂的なファンが多く、私が書くまでもなくネット上にはデッドについての様々な情報が溢れています。いずれにしても、1965年に結成されたグレイトフル・デッドのサウンドは、60年代にはアシッド・カルチャー(ドラッグ文化)の象徴としてサイケデリック・ロックなどとも呼ばれましたが、実際には初期の頃から、カントリーやフォークなどアメリカン・ルーツミュージックの影響を受けたかなり多面性を持つ曲を提供していました。また、ジェリー・ガルシアはデヴィッド・クロスビーとの関係が強く、CSN&Yのアルバム「Déjà vu」のレコーディングに参加するなどしています。
 1995年のジェリー・ガルシアの死で終わったグレイトフル・デッドですが、いまだに世界中に多くのファンを持つバンドであり、彼らがロック音楽史上に巨大な足跡を残したことは間違いありません。

 私は、微妙な世代のズレもあって熱狂的なデッド・ヘッズではありませんが、それでも彼らのアルバムは何枚も持っています。今回紹介する「Ripple」は、1970年に発売された「American Beauty」に収録されています。このアルバムには、ライブで見せるサイケデリックな演奏とは異なる穏やかな雰囲気の名曲が詰まっていて大好きです。有名なグレイトフル・デッドのオリジナル曲の歌詞の解説サイトから、「Ripple」の歌詞を解説したページをリンクしておきます。

2010年11月02日

●真夜中に聴きたい50曲 (24)

(24)Lynyrd SkynyrdSaturday Night Special」(レーナード・スキナード:サタディ・ナイト・スペシャル)

 ソフトな曲が続いたので、ここら辺でヘヴィでストレートなロックで、自分に「カツ」を入れてみようと思います。

 ルーツ系のロックが好きで、オールマンやザ・バンド、CCRあたりが好きな私ですから、サザンロックの雄などとも呼ばれるレーナード・スキナードが嫌いなはずはありません。しかし、すごく好きか…と問われると、実はそれほど好きなバンドでもありません。アルバムは3枚持っているだけだし、そのアルバムもあまり聴く機会がありません。レーナード・スキナードは、サウンドとして全く洗練されていないし、その「洗練されていなさ」「荒削りさ」があまりに意図的な感じがして(アル・クーパーが緻密に計算したサウンドでしょう…)、何となくピンと来ないバンドです。偏見を承知で言えば、例えばオールマンやザ・バンドの持つ繊細さが感じられません。だから、別に嫌いではないけどあまり興味が無い…というのが個人的なレーナード・スキナードに対するスタンスです。もう1つは、レーナード・スキナードのデビューは1973年、全盛期は1970年代の半ばからメンバーが事故死する1977年までであり、オールマンやザ・バンド、CCRよりかなり後の世代のバンドです。自分がいちばん洋楽の影響を受けた中学校高学年から高校時代前半あたりにはまだ話題になっていないバンドだったし、20代後半以降から真剣に多様な音源を漁り始めたルーツミュージック系のサウンドとも多少ズレていたため、あまり聴く機会がなかったこともあります。

 まあ、そんなことはどっちでもいいのですが、レーナード・スキナードのサウンドがある種非常に「懐かしい音」であることは確かです。そして今回紹介する「Saturday Night Special」は、サザンロックなどという後付けのジャンルを超えて、「70年代のロック」の持つ本質的な「シンプル」で「ピュア」なロックサウンドと、時代のメッセージを伝えてくれるロックの原点のような曲で、けっこうお気に入りです。
 「Saturday Night Special」は、75年に発売されたサード・アルバム「Nuthin' Fancy」に収録されています。アル・クーパーによるプロデュースから離れたこのアルバムは、全体的にストレートでヘヴィな雰囲気を持っており、サウンドもドライブ感溢れるものになっています。名曲「Free Bird」が収録されたデビューアルバム、演出されたニール・ヤングとの確執で知られる有名なセカンドアルバムと較べても、この「Nuthin' Fancy」は個人的にかなり気に入っています。
 このアルバムの1曲目に収録されて、ヒットしたのが「Saturday Night Special」。Saturday Night Specialとは、当時(現在も)アメリカに広く出回っていた「品質の悪い安物の銃」のことです。アメリカでは土曜日の夜に犯罪者によって粗悪な拳銃が密造されたり犯罪に使われたりしたことから、この言葉が使われるようになりました。そして、この「Saturday Night Special」という曲には、安直に銃を手に入れて犯罪に走ることに対する警鐘のようなメッセージが込められています。しかし、だからといってメッセージを噛み締めながらじっくりと聴く曲では全くありません。個人的には、この曲が流行った当時の自分や社会状況を思い起こしながら、懐かしいサウンドに浸るために、時々聴きたくなる曲…なんです。

2010年10月29日

●真夜中に聴きたい50曲 (23)

(23)Robert PlantFalling in Love Again」(ロバート・プラント:フォーリン・ラブ・アゲイン)

 ロバート・プラントは、前々回の(21)でもアリソン・クラウスとのデュエットアルバム「RAISING SAND」で取り上げたじゃないか…と言われそうですが、前々回はアリソン・クラウスの方を書きたかったので、今回はロバート・プラントについて書いてみたいと思います。
 「RAISING SAND」でグラミーを取ったプラントですが、その後も着々とルーツ・ミュージック系の独自路線への歩みを強め、今年(2010年)にリリースしたのが、アルバム「Band of Joy」です。このアルバムを本人と共にプロデュースしたのは、あのバディ・ミラー。オルタナ・カントリーというジャンルでは、いまや絶対的な実力を持つ看板ミュージシャンでもあります。むろん、アルバム中ではギターも弾いています。

 この「Band of Joy」というアルバムを聴くと、プラントは、今やアメリカンミュージックの魂とも言えるカントリー、フォーク、そしてソウルを完全に自家薬籠中の物とし、実に伸び伸びと自然体で歌っています。「Band of Joy」ではしっかりと「ロック」してはいますが、ZEP時代のハードロックとは決別した…と言ってもよいでしょう。
 アルバムはほとんどがカバー曲です。どの曲も素晴らしいけど、中でも個人的に気に入ったのは今回紹介する曲「Falling in Love Again」です。

 これまでに紹介した曲、ミュージシャンを見ればわかるとおり、私はアメリカン・ルーツ・ミュージック系のロックが大好きです。そしてアメリカンロックのルーツとしては、やはり主にブルース、カントリー、ヒルビリー、フォーク系といった音楽に目を向けてきました。中でも、グラム・パーソンズが先鞭を付けたカントリー系のロックに、特に注目してきました。しかし、今回紹介するプラントが歌う「Falling in Love Again」や、以前紹介したパティ・グリフィンが歌う「Up to the Mountain」などを聞くにつれて、アメリカン・ルーツ・ミュージックのもう1つの大きな要素である「ソウル・ミュージック」に目を向けるようになりました。

 「Falling in Love Again」はソウルグループ「The Kelly Brothers」が1966年にレコーディングした曲。まさに、クラシック・ソウルです。The Kelly Brothersが歌っている原曲をYoutubeで見つけて(http://www.youtube.com/watch?v=kN8o2e6l9FQ)聞いてみましたが、実にいい曲。そしてロバート・プラントの歌も、ソウルフルなテイストでは、原曲に負けていません。ハイキーなボイスと独特の軽妙な歌唱は、まるで黒人が歌う本物のソウルです。いや、参りました。長年に渡る音楽界への貢献が認められて英王室からナイトに叙任されたイングランド生まれのロバート・プラントは、今やすっかりアメリカ人になってしまったようです。

 それにしても、このアルバムをプロデュースしたバディ・ミラーもすごい。アルバム全体の雰囲気は、「RAISING SAND」よりも好きです。ロバートプラントはアルバムタイトルと同じBand of Joyというグループでライブツアーをやっており、バディ・ミラーがギターを弾き、パティ・グリフィンも参加しているとのことですから、ぜひ見に行きたいものです。

 しかし、ロバート・プラントがこうなってくると、もうジミー・ペイジと組んでZEPをやる気はないかもしれませんね。プラントはもともと、ZEP時代から実はフォーキーな曲やカントリーっぽい歌が好きだったと、何かで読んだことがあります。また、Band of Joyというのは、プラントがレッド・ツェッペリン結成前の1966年にジョン・ボーナムらと組んだバンドの名前です。プラントは、60歳を過ぎて自分の原点に帰りつつあるのかもしれません。

2010年10月27日

●真夜中に聴きたい50曲 (22)

(22) Glen CampbellWichita Lineman」(グレン・キャンベル:ウィチタ・ラインマン)

 グレン・キャンベルが歌う「ウィチタ・ラインマン」という曲を初めて聞いたのは、ちょうど中学生になって深夜放送を聴き始めた頃。ラジオから流れてくるイントロ部の独特の哀愁を帯びたメロディ、転調をうまく使ったちょっとドラマチックな曲の展開…、まあ言葉で書くとうまく説明できないのですが、要するにある種「日本人好み」のメロディラインにすっかりやられてしまい、いつも口ずさんでいました。
 グレン・キャンベルという歌手が特に好きなわけではなく(別に嫌いでもないけど)、実はまともにアルバムを聞いたことがありません。考えてみれば、グレン・キャンベルの歌で、この曲以外に知っているのは「恋はフェニックス」ぐらい。
 第一、グレン・キャンベルは昔からレコード店では「カントリー」の棚にある歌手なのに、全然カントリーっぽくない不思議な歌手。後から知ったのですが、アーカンソー生まれの彼は、プロを目指してロサンジェルスに出てきて最初はスタジオミュージシャンとして働き、一時期はビーチ・ボーイズでブライアン・ウィルソンの代役を務めていたらしい。その後ソロデビューして、1967年には「恋はフェニックス」でグラミー賞の最優秀男性歌手部門を含む2部門、「ジェントル・オン・マイ・マインド」で最優秀カントリー男性歌手部門など2部門を受賞、翌1968年には彼のレコードがグラミー賞「最優秀録音賞」受賞、そして1969年には「ウィチタ・ラインマン」が全米3位の大ヒットとなり、一躍スターになりました。でも、60年代末から70年代初めにかけての大スターでもあり、現在はカントリーの殿堂入りをしているほどの人なのに、ある意味で「特徴がない、印象が薄い」歌手でもあります。
 一方で、この「ウィチタ・ラインマン」や「恋はフェニックス」を作ったジミー・ウエッブ(Jimmy Webb)は、私の世代にはけっこう馴染みのある人。60年代から70年代にかけてサイモン&ガーファンクルやフィフス・ディメンションに曲を提供していたアメリカン・ポッポス界の名ソングライターです。

 「ウィチタ・ラインマン」のラインマンとは、電話線の保守・管理をする人。歌の内容は、中西部のウィチタ(おそらくカンザス州のウィチタのことだと思います)の郊外の荒涼とした土地をクルマを走らせながら休みもなく毎日仕事に明け暮れ、いつもそんな自分の話を聞いてくれる恋人がいればいいなぁと思っている…というちょっと物悲しい話。そんな歌詞の内容と曲調、そしてグレン・キャンベルの淡々とした歌唱がよくマッチしています。とても「アメリカっぽい」曲でもあります。

 この「ウィチタ・ラインマン」という曲は、私にとっては何だか、音の悪い真空管式のAMラジオで毎晩必死に深夜放送を聴き、洋楽というものに初めて触れた古い昔を思い出す、とても懐かしい曲なんです。私がまだ、成績優秀な「いい子」だった時代です(笑)。高校に入ってからは、しっかり落ちこぼれ、その後ヤクザな人生を歩むことになりましたから…
 いずれにしても、「ウィチタ・ラインマン」は大好きな曲です。いつも持ち歩いているWalkmanには、数百枚のアルバムが入っていますが、グレン・キャンベルの歌はこの「ウィチタ・ラインマン」1曲だけ。でも時々夜中に聴いています。

2010年10月26日

●真夜中に聴きたい50曲 (21)

(21) Robert Plant&Alison KraussKilling the Blues」(ロバート・プラント&アリソン・クラウス:キリング・ザ・ブルース)

 いや、まったくもって70年代にヒットしたロリー・サリー(Rowland Salley:確かマリア・マルダーと一時期結婚していたはず)の名曲「Killing the Blues」を、ZEPのロバート・プラント、そしてカントリーの新女王、アリソン・クラウスのデュエットで聴けるとは思いもしませんでした。しかも、いいんです、このデュエットが。ハイトーンは代わらないもののちょっとしゃがれ声になったプラントの渋い歌唱と、どこまでも美しく、しかも抑制されたアリソン・クラウスの声とがよくマッチし、独特の穏やかな雰囲気を醸し出しています。個人的には、「泣ける」と言ってよいほど素敵な音楽です。

 ロバート・プラントとアリソン・クラウスによるコラボレーション・アルバム「RAISING SAND」は、2007年に発売された時に、日本でもかなり話題になりました。とは言え、このアルバムに注目した人の大半は、「あの」「ZEPの」…という冠詞付きで、ロバート・プラントがこんな「ゆるい」アルバムを出した…ということに注目したのではないかと思います。まあ、日本ではアリソン・クラウスという女性シンガー(26回ものグラミー受賞歴があるのに!)を知らない人も多いだろうし、それに較べてZEPのロバート・プラントはあまりに有名ですし、プラントのファンというよりもZEPのファンが非常に多いことは言うまでもありません。一方で、アリソン・クラウスのファンにとっては、彼女が本来持っているテイストの延長上にあるサウンドとして、「RAISING SAND」というアルバムを抵抗なく受け入れたと思います。事実、私がそうでした。

 実は、私はアリソン・クラウスが大好きです。先に「カントリーの新女王」などと書きましたが、実際にはもっと幅の広い音楽的バックボーンを持つシンガーです。むろん彼女は、カントリー、ブルーグラスをコンテンポラリーなアレンジで歌い、従来のカントリーファンの裾野をさらに広げたとして高く評価されています。美人で、美声で、フィドルの名手でもあり、まさに大衆に受ける要素を持った現代の歌姫です。一方で彼女は、カントリーという限られたジャンルに留まることなく、ルーツ・ミュジック全般の要素を背景に、とりわけカントリーミュージックにロックやR&Bのビートを取り入れることで、大きな支持を得てきました。このアリソン・クラウスの「ロック・テイスト」は、「RAISING SAND」というアルバム全体を聴けばよくわかります。さらに、Alison Krauss & Union Station名義の2002年のアルバム「Live」を聞けば、このロック的な部分が、かなり先鋭的に出ていることがわかるでしょう。

2010年10月25日

●真夜中に聴きたい50曲 (20)

(20)Patty GriffinUp to the Mountain(MLK Song)」(パティ・グリフィン:Up to the Mountain)

 パティ・グリフィンは、最近は多くのシンガーにカバーされ、グラミーにもノミネートされるなど、アメリカでは高い評価を得ている実力派の女性シンガーです。私が好きな、エミルー・ハリスやルシンダ・ウィリアムスなどと並んでオルタナ・カントリージャンルのシンガーとして知られていますが、アコースティックな曲が多いのでフォーク系シンガーと思っている人も多いかもしれません。ジャンルなんてどうでもいいのですが、まあ広義の「ルーツ・ミュージック系」に分類すれば間違いのないところです。第一、彼女のアルバムは未だに日本版が出ていないはずで、これほどの実力派シンガーにも関わらず日本ではあまり知られていません。

 パティ・グリフィンは1964年生まれです。年齢から見ればかなり古くから活躍していてもよさそうですが、音楽シーンに登場したのは、事実上90年代半ば以降です。ファーストアルバム「Living With Ghosts」の発売は1996年ですから、これはもうかなり遅咲きのシンガーですね。私は、1999年に発売されたJulie Millerのアルバム「Broken Things」や2000年に発売されたEmmylou Harrisの「Red Dirt Girl」のコーラスに参加しているということで名前を知りましたが、実際に彼女のアルバムを聞いたのはさらに後の話で、実は2004年の「Impossible Dream」が最初です。その後、「Living With Ghosts」も購入して、とりあえず彼女の動向に注目していました。

 そんな実力派の彼女が、2007年に出したアルバム「Children Running Through」は、聴いて衝撃を受けました。個人的に今世紀に入って新しく聴いた数百枚のアルバムの中でも、おそらく十指に入る素晴らしいサウンドに溢れた完成度の高いアルバムだったからです。

 今回紹介するのは、その「Children Running Through」に収められている「Up to the Mountain」という曲です。この曲は、タイトルに「MLK Song」というカッコ書きがあります。そうです、あのマルチン・ルーサー・キング(Martin Luther King, Jr)が1968年の暗殺直前にメンフィスのメイソン・テンプルで行った演説の中の「I've Been to the Mountaintop(私は山頂に達した)」という言葉を題材にした曲なのです。
 アメリカン・ルーツ・ミュージックに根ざした、イアン・マクレガンのピアノで始まるシンプルで深みのあるサウンド、そしてまるで「祈る」ような彼女の歌声は、曲の題材もあって何だか黒人シンガーが歌うソウルのようにも聞こえてきます。真夜中にヘッドフォンで大音量で聴いていると、歌の世界に完全に引き込まれてしまい、今自分が何をしているのか、自分の存在そのものが無になるような状態に陥ってしまう…そんな「歌力」を秘めた素晴らしい曲です。

 この「Up to the Mountain」だけでなく、「Children Running Through」というアルバムは、パティ・グリフィンのずば抜けた歌唱力、表現力を味わえるだけでなく、ロック、カントリー、フォーク、ソウルなどのジャンルを越えたアメリカン・ルーツ・ミュージックの本質のようなものが溢れており、この種の音楽が好きな人なら必聴とも言えるものに仕上がっています。先に触れたピアノのイアン・マクレガン(Ian McLagan)を始め、参加しているミュージシャンも素晴らしく、「Trapeze」という曲ではボーカルでエミルー・ハリスが参加しています。

2010年03月23日

●真夜中に聴きたい50曲 (19)

(19)Steve EarleI'm Nothin' Without You」(スティーヴ・アール:I'm Nothin' Without You)

 何度も書いているように、私が好きなミュージシャンの大半は70年代から活躍していたシンガーやグループが多いのですが、例外的に90年代以降に初めて聴いてファンになったミュージシャンもいます。その一人が、いまやオルタナ・カントリーの重鎮として知られるスティーヴ・アールです。

 1986年にデビューしたスティーヴ・アール、名作と評価が高い88年発表の3rdアルバム「Copperhead Road」など、90年までに4枚のアルバムをリリースしましたが、ドラッグが原因で逮捕、収監されます。そして彼は、出所直後の1995年に「Train A Comin'」で再出発しました。今回ピックアップした「I'm Nothin' Without You」は、この「Train A Comin'」に収録されています。
 この「Train A Comin'」というアンプラグドな雰囲気を持つアルバムには、エミルー・ハリスがアルバム「WreckingBall」でカバーした名曲「Goodbye」が含まれており、この曲は以前エミルー・ハリスのところで紹介しました。そして、今回ピックアップした曲「I'm Nothin' Without You」は、同じアルバムの中の「Rivers Of Babylon」とともに、エミルー・ハリスがコーラスで参加しています。エミルー・ハリスはその後、「El Corazón」や「The Mountain」など、スティーヴ・アールの多くのアルバムに参加しています。オルタナ・カントリーの世界での、二人の絆がわかります。
 もっともスティーヴ・アールの音楽をオルタナ・カントリーという言葉で括ってしまうのは抵抗があります。全般的にカントリーの影響が強いものは当然ですが、バリバリのロック・サウンドもしっかりと聴かせてくれるし、「Goodbye」のようなフォークの影響が強いアコースティックでシンプルなメロディも持ち味です。ちなみに、「Train A Comin'」は、96年のグラミー賞の「Best Contemporary Folk Album」部門でノミネートされています。

 「Train A Comin'」に続いて翌96年に出した「I Feel Alright」も好きなアルバムです。収録されている「You're Still Standing There」では、やはり私が好きな女性シンガー、ルシンダ・ウィリアムスとの息の合ったデュエットを聴くことができます。そして97年の「El Corazón」では、本格的なアメリカン・ルーツロックのサウンドを聴かせてくれます。「Taneytown」あたりを聞いていると、これはザ・バンドか…なんて思っちゃいます。

2010年03月17日

●真夜中に聴きたい50曲 (18)

(18)Harry NilssonEverybody's Talkin」(ハリー・ニルソン:うわさの男)

 いわずと知れた、映画「真夜中のカーボーイ」の主題歌として1969年に大ヒットした曲です。フォークシンガー、フレッド・ニールの曲のカバーで、歌詞といい曲調といい大好きなのですが、この曲が非常に好きなのは、曲自体の良さ云々よりも、やはり「真夜中のカーボーイ」という映画を思い起こすからでしょう。
 「真夜中のカーボーイ」という映画に対する想い、また高校時代に見たこの映画が自分の人生にどんな影響を与えたかについては、数年前にこちら(2004年10月8日/11日)に詳しく書いたので、ここでは繰り返しません。ともかく、私がアメリカという国に強い興味を抱き、その後70年代と80年代にニューヨークに住むきっかけとなった映画の1つであることは確かです。

 この曲を作ったフレッド・ニールは、アメリカのフォーク・シーンでは有名なシンガーです。昨日の日記にボブ・ディランの恋人だったスーズ・ロトロの回想録「グリニッチヴィレッジの青春」について書きましたが、ここに書かれている1950年代末から1960年のグリニッチヴィレッジのフォーク・ソング復興運動の中で、重要な役割を果たしたシンガーでもあります。ボブ・ディランに多きな影響を与えただけでなく、CSN&Yのスティーヴン・スティルスやデビッド・クロスビーなど多くのフォークロックシンガーにも影響を与え、スティーヴン・スティルスは、自分のアルバムの中でEverybody's Talkinをカバーしています。

 何でも、「真夜中のカーボーイ」の主題歌にこの曲が決まったのは偶然だったとのことですが、自分の中でこの曲は、映画の内容とあまりにも一体化しています。「真夜中のカーボーイ」という映画を思い浮かべると、グレイハウンド・バスに乗るジョン・ボイドの姿とバックに流れるこの「うわさの男」が条件反射のように思い出されてしまいます。ハリー・ニルソンの軽妙な歌い方が、よくマッチしています。

 「真夜中のカーボーイ」で使われた曲と言えば、ジョン・バリーが作ったメインテーマ「Midnight Cowboy」も忘れられません。Ferrante & Teicherが演奏するこの曲の哀愁を帯びた旋律は、映像全般を流れる雰囲気にぴったり合っています。

2010年03月09日

●真夜中に聴きたい50曲 (17)

(17)The BandIt Makes No Difference」(ザ・バンド:同じことさ!)

 ザ・バンドの曲で最高の1曲を…とか、いちばん好きな曲を…などと言われても、とても挙げることはできません。むろん、最高のアルバムを…と問われても答えることができません。それほどに私はザ・バンドが好きだし、高校時代以降、入手可能な彼らの音源の全てを何十年間も繰り返し聴き続けています。そんな彼らの曲の中で、「1人で真夜中に聴く曲」として最もふさわしいのがこの「It Makes No Difference」と思った次第であり、そしてこの「It Makes No Difference」が収録されているアルバム「Northern Lights Southern Cross」(邦題:南十字星)は、彼らのアルバムの中では「1人で真夜中に聴く」にはもっともふさわしいのではないかと思う次第です。

 1975年に発表された「南十字星」は、翌1976年にライヴ活動を停止するザ・バンドの「現役最後のアルバム」と呼んでもよいもので、全曲をロビー・ロバートソンが書いています。私は、ザ・バンド解散の経緯の中でロビー・ロバートソンが果たしたネガティブなやり方は好きではないし、その後ソロになってからのロビー・ロバートソンが明らかに精彩を欠いていたことも、なんとなく解散の経緯との関連で考え、ザ・バンドのメンバーの中で、彼のことだけはどうしても好きになれません。でも「Northern Lights Southern Cross」は、傑作と言われる1968年の「Music From Big Pink」や1969年の「The Band」など初期のアルバムとはまた違った意味で素晴らしい出来で、ザ・バンドの代表作の1つだと言ってもよいと思います。このアルバムには、レボン・ヘルムを除く他のメンバー全員が「カナダ人」でありながらアメリカのルーツ・ロックを追いかけ続けてきた彼らのアイデンティティ(のようなもの)の告白が含まれており、曲にも歌詞にも漂泊の人生が持つ悲しみや人との出会いの暖かさ…といった、心に沁みる人生の機微が織り込まれているからでしょう。

 今回挙げた「It Makes No Difference」は、哀切を感じる名曲です。ザ・バンドの曲の中で名曲というだけでなく、個人的にはロックの名曲だと思っています。なんと言ってもリック・ダンコのボーカルが素晴らしい。ザ・バンドのボーカルとしては個人的にはリチャード・マニュエルがいちばん好きなのですが、失恋の歌とも言える「It Makes No Difference」では、感情を込めて唄うリック・ダンコの声がせつなく熱い思いをうまく伝えています。

 同じアルバムの中で、そのリチャード・マニュエルが歌っている「Acadian  Driftwood」(アケイディアの流木)も深く印象に残る曲です。Acadian(アケイディアン)は、古く北米東部大西洋岸(米メイン州東部とカナダのノバスコシア州)に入植したフランス人の子孫で、北米領土を争う英仏の戦争の中で故郷を追われ、世界各地に散りました。その一部はルイジアナ地方に逃れて定住し「ケイジャン」の祖となりました。独自の文化とアイデンティティを持ちながらも漂泊の民となったAcadianを唄ったこの「Acadian  Driftwood」という曲は、貧しい移民の子孫として育ったカナダからアメリカ南部に移ったロビー・ロバートソン自身、ひいてはカナダ人であるザ・バンドのメンバーの人生と様々な想いが込められ、それをリチャード・マニュエルが哀切を込めて唄う素敵な曲となっています。

2010年01月05日

●真夜中に聴きたい50曲 (16)

(16)Ry CooderThere's a Bright Side Somewhere」(ライ・クーダー:どこかに素晴らしい場所が…)

 私は猫が好きです。20代の後半、バイク事故で大腿骨を複雑骨折して家でリハビリをしていた頃に拾ってきた雑種の雌猫「ニャン」は、21年も生きて大往生しました。本当は今も猫を飼いたいけれど、また20年以上生きるかも…と思うと、その時の自分の年を考えて怖くて飼えないのが実情です。
 街を歩いていても、ノラ猫を見かけると、手を出しながら近づいたり、写真を撮ったりしてしまいます。そして、冬の陽だまりで、気持ちよさそうに寝そべっている野良猫を見ていると、ついつい口ずさんでしまうのが、ライ・クーダーの曲「There's a Bright Side Somewhere」です。

 この曲は、Ry Cooderが2007年に発表したアルバム「My Name Is Buddy」に収録されています。アルバムの中では、猫のバディが主人公です。バディがネズミのフレディとともに第二次大戦前後の古き良き時代のアメリカ各地を旅しながら、当時の社会の様々な社会状況を見聞し、体験していくという、コンセプチュアルな構成になっています。そして、当時のアメリカの状況をつぶさに表した歌が、結果的に「アメリカの今」を鋭く抉る視点となっているところが、ライ・クーダーの狙いなのでしょう。全17曲の長いアルバムですが、カントリー、フォーク、ゴスペル、そしてライ・クーダーお得意のテックス・メックスなど、バラエティに富んだ曲が並び、最後まで飽きさせません。そして、アルバム最後の曲が「There's a Bright Side Somewhere」です。「どこかに素晴らしい場所が…」というタイトルそのものの曲で、これを聴くと私は何だか少し暖かい気持ちに包まれます。

 この「My Name Is Buddy」というアルバムは、けっして嫌いではないもの、ライ・クーダーのアルバムとして冷静に見れば、手放しで褒めるわけにはいきません。コンセプチュアルゆえに「あざとい」部分や「お手軽」な部分が鼻につきます。カントリー、フォーク、ゴスペル、テックス・メックスなどライ・クーダーが過去に手がけてきた音楽をこれぞとばかりに並べてみただけ…という気がしないでもありません。
 ライ・クーダーには「Chicken Skin Music」や「Buena Vista Social Club」など、キラ星のような名盤が数多くあります。とりわけ「Chicken Skin Music」は、個人的には「無人島へ1枚だけ持っていくアルバム」を考えた時にかなり上位に来るほど大好きなアルバムだし、70年代から聴き込んで音楽的にも高く評価しています。そうした名盤と比べると、「My Name Is Buddy」のコンセプトの安直さは、ちょっと引いてしまう部分がないでもありません。

 とは言え、猫好きの私は「My Name Is Buddy」というアルバムのジャケットに大きく描かれた、ふてぶてしい「バディ」の顔と姿が大好きだし、このアルバムを最初の曲からずっと聴いた最後に「There's a Bright Side Somewhere」を聴いて、ほんわりと暖かい気持ちなるのが大好きです。

2009年12月29日

●真夜中に聴きたい50曲 (15)

(15)Maria MuldaurThe Work Song」(マリア・マルダー:ザ・ワーク・ソング)

 池袋の西口に、行きつけの小さなロック・バーがあります。友人達と小料理屋で飲んで騒いだ後、年末が近いのに何となく閑散とした街を1人でフラフラと歩いてその店にたどり着いた私は、カウンターでマスター相手にバカ話をしていました。客がフッと途切れた深夜になって、マスターがおもむろにターンテーブルに載せたレコードから聴こえてきたのがこの曲です。思わず会話をやめて、マリア・マルダーの声にじっと耳を傾けてしまい、1人で勝手にいい気持ちになってしまいました。

 「The Work Song」は、マリア・マルダーの73年のソロデビューアルバム「Maria Muldaur」(邦題:オールド・タイム・レディ)の中の1曲です。カナダ出身のケイト・マクギャリクルの曲で、少なからず感傷的なメロディと郷愁をそそる歌詞が何とも言えません。彼女の独特の繊細な歌声をバックコーラスが盛り上げ、感傷的ながらも暖かい、とてもノスタルジックな雰囲気の曲に仕上がっています。

 そしてこの「The Work Song」を含む「Maria Muldaur」は、出色のアルバムです。大ヒット曲となった「Midnight at the Oasis」をはじめ、ドリー・パートンの「My Tennessee Mountain Home」など、非常に良い選曲。バック・ミュージシャンも豪華です。ライ・クーダーやドクター・ジョンが参加していると言えば、推して知るべしです。全体としてはルーツ系の「アメリカン・ミュージック」としか言いようがないのですが、ロック、カントリー、ブルーグラス、ディキシー、ブルース、ジャグ、フォーク、ジャズなど様々な音楽の要素が溶け合ったこのアルバムは、この手の音楽が好きな人なら泣けるほど味がある構成で仕上がっています。かく言う私も、アナログ盤の頃から散々聴き込み、CD、そしてMP3音源の時代になっても、日々手放せないアルバムの1枚です。

 「The Work Song」は、まさに、真夜中に聴くと胸にじっと染み入る1曲です。

2009年11月30日

●真夜中に聴きたい50曲 (14)

(14)Bob DylanOne More Cup of Coffee」(ボブ・ディラン:コーヒーをもう一杯)

 「Desire(欲望)」はディランのアルバムの中で最高のセールスを記録していますし、その「Desire」に収録された「One More Cup of Coffee」は、「風に吹かれて」や「時代は変る」「ライク・ア・ローリング・ストーン」などメッセージ性が高い初期の数々の名曲を除けば、彼の作品の中では最もよく知られている曲の1つでもあります。アルバムは日本でもけっこう売れましたし、「One More Cup of Coffee」もよくラジオでかかってました。

 むろん、まだ大学紛争の余波が多少は残る1970年代に高校生活を送った私ですから、初期のディランの曲には強い思い入れがあるし、中学生の頃に初めて手にしたギターで「風に吹かれて」や「ミスター・タンブリンマン」などを唄った世代でもあります。しかし、メッセージとしてディランの曲、ディランの歩んだ道に深い興味を持つのとは別に、シンプルに「音楽」「楽曲」としてディランを聴いてみれば、アル・クーパー、マイク・ブルームフィールドらが参加した「追憶のハイウェイ61」とともに、この「Desire」というアルバムに非常に大きな魅力を感じるのは私だけではないでしょう。

 ところで、「Desire」の中では、他に「One More Cup of Coffee」以外にもう1曲「Mozambique」が好きなのですが、いずれの曲も言わずと知れたエミルー・ハリスのコーラスつきです。まあ、エミルー・ハリスが大好きなことは何度も書いていますし、前回書いたグラム・パーソンズを読んで頂ければわかるとおり、私はエミルー・ハリスというシンガーは、彼女自身が非常に優れたシンガーであると同時に、競演することによって他のシンガーのよい部分を引き出す力を持っている…と強く感じるのです。そして、この「One More Cup of Coffee」という曲、ひいては「Desire」というアルバムは、エミルー・ハリスの透明感がある歌声とスカーレット・リヴェラが弾くエキゾチックなバイオリンが、ディランのメッセージ性の強い声と歌詞を適度に中和し、結果的に異なる要素と音が複雑に調和したとても心地よいアルバムに仕上がってるのだと感じています。

 まあ勝手なことを書きましたが、やっぱりディランのアルバムを聴くとなると、初期のアルバムを聴くことの方が圧倒的に多いのも事実。初期の曲で好きな曲と言えば、例えば「Positively 4th Street」などで、これを真夜中に1人で聴いていると少し感傷的になっている自分がいます。

2009年11月27日

●真夜中に聴きたい50曲 (13)

(13)Gram ParsonsLove Hurts」(グラム・パーソンズ:ラブ・ハーツ)

 グラム・パーソンズのソロ2枚目のアルバム「Grievous Angel」から、あの名曲「Love Hurts」です。「Love Hurts」という曲は多くのミュージシャンが歌っており、曲自体は特に名曲だとも思わないのですが、このグラム・パーソンズとエミルー・ハリスがデュエットで歌う「Love Hurts」は、間違いなく永遠の名曲です。

 個人的に言えば、グラム・パーソンズについて語りだすと、いくら単語を費やしても語り尽くせない程の思い入れがあります(普段は誰にも語りませんけど…)。一般的には「カントリーロックの始祖」といった形容詞がつけられることが多い彼ですが、私はグラム・パーソンズの音楽は、「カントリーロック」などというジャンルで簡単に括られるようなものだとは思っていません。私が好きな「アメリカの音楽」、本来の意味での「ルーツ・ロック」そのものを具現化した音楽であり、そんな理屈抜きに、聴いていると非常に心地よい音楽なのです。

 グラム・パーソンズというミュージシャンについて熱く語る人の多くは、彼の死後に自分が好きな何らかの音楽ジャンルの系統を辿っていくことで「結果的に彼に辿りついた」という後追いの形で知る人が多いのですが、かく言う私も同じです。高校時代にザ・バーズがけっこう好きだった私は、「ロデオの恋人」をよく聴き、ザ・バーズのメンバーとしてのグラム・パーソンズの名前は知っていました。しかし、1974年に彼がLAのモーテルで酒とドラッグの過剰摂取で死んだことも知らなかったし(棺桶が盗まれて遺体が砂漠の真ん中で焼かれるというミステリアスな話)、その後クリス・ヒルマン(前に取り上げたSTEPHEN STILLSのアルバム「MANASSAS」にも参加しています)らと共にフライング・ブリトー・ブラザース(The Flying Burrito Brothers:イーグルスを途中で脱退するバーニー・リードンも参加していました。またアル・パーキンスも参加しています)というバンドを作ったことも、さらに脱退後に2枚のソロアルバムを出したことも知りませんでした。1970年代の終わり頃、東京で働きながら、結婚もして少し生活が落ち着いてきて、休日ごとにバイクで走り回る中、いろいろな音楽雑誌を読んだりレコードを買ったりする中で、グラム・パーソンズの死の経緯と彼がその後のロックシーンに与えた影響を知ったわけです。

 しかし、その後1980年代、90年代、そして現代に至るまで、グラム・パーソンズは、音楽シーンでさほど大きく話題になるミュージシャンではありませんでした。しかし、この80年代以降の時期に私は、彼が最初にニューヨークで結成したバンド、International Submarine Band(ここにもバーニー・リードンがいました)時代のアルバムから、The Flying Burrito Brothers時代の名盤「黄金の城」(The Gilded Palace of Sin)とそれに続くセカンドアルバム、そしてソロになってからの「GP」「Grievous Angel」など、入手可能な彼の音源の全てを入手して聴き続け、心地よいサウンドと甘い彼の声に、もうどっぷりはまって抜け出せなくなった次第です。
 それにしても、その後のウェストコースト・ロック(こんなジャンル分けはヘンかも)の流れを見るにつけ、グラム・パーソンズの影響がいかに大きいかがわかりますし、このあたりの詳しい経緯は、私以外の人がたくさん書いています。

 今回取り上げた「Love Hurts」は、事実上彼自身が発掘した新人女性シンガーであり当時公然たる愛人でもあったエミルー・ハリスとの情感溢れるデュエットが何とも言えず心をくすぐります。
 前に私はエミルー・ハリスのアルバム「Wrecking ball」に衝撃を受けたと書きましたが、この「Wrecking ball」以前は、彼女はグラム・パーソンズの影響から全く抜けきれていなかったわけです。いや、影響どころか、グラム・パーソンズの敷いたレールの上を走ってきたのがエミルー・ハリスという歌手の実体だったのでしょう。しかしラノワがプロデュースした「Wrecking ball」によって、初めて彼女は「グラム・パーソンズの呪縛」から逃れることができ、一皮むけた…と、個人的に思った次第です。

 さて、グラム・パーソンズ、エミルー・ハリスという大好きな2人に対する思い入れを除いて純粋にグラム・パーソンズの曲から選ぶのなら、「Love Hurts」以外にもっとよい曲がたくさんあります。特に私が好きなのはThe Flying Burrito Brothers時代の曲で、アルバムThe Gilded Palace of Sinの中の「Dark End of the Street」などは今でも必ず月に数回は聴くほど、愛聴しています。

2009年11月19日

●真夜中に聴きたい50曲 (12)

(12)Al Kooper&Stephen Stills&Mike BloomfieldAlbert's Shuffle」(アル・クーパー&スティーヴン・スティルス&マイク・ブルームフィールド:アルバートのシャッフル)

 アル・クーパー、スティーヴン・スティルス、マイク・ブルームフィールドと言えば、あの名アルバム「Super Session」です。このアルバムの素晴らしさやセッションの経緯などについては、多くの人が語っているので、私が個人的に付け加えることもありません。

 さて、「Albert's Shuffle」はリマスター盤で聴くべきです(現在はリマスター盤しか購入できないと思いますが…)。リマスター盤には2002年にリミックスされた「Albert's Shuffle」が、ボーナストラックとして収められており、これが何とも素晴らしい。デジタル技術を駆使したリミックスによって、40年前の録音が、指が弦を擦る音やギタリストの息遣いまで聴こえるような臨場感溢れる演奏として再現されています。私は古い演奏は何でもリミックスすればいいとはけっして思いませんが、この「Albert's Shuffle」に限っては、昨今のデジタル技術がもたらした恩恵にため息が出てしまいます。

 リミックス版で聴く「Albert's Shuffle」のマイク・ブルームフィールドの名演奏は、あくまで本物の「ブルース」ではないものの、ある種陶酔するようなギター演奏の真髄を楽しむことができます。まさに「真夜中に聴く曲」として、ぴったりです。それにしても、「Super Session」全体を聴いて、これがとても40年前の演奏だとは思えません。時代を超えて、いい音楽はいい…と素直に思わされてしまうアルバムです。

2009年11月18日

●真夜中に聴きたい50曲 (11)

(11) Lucinda WilliamsI Lost It」(ルシンダ・ウィリアムス:I Lost It)

 女性シンガーの曲が続きましたが、もう1人続けて女性シンガーソングライターの曲をピックアップします。
 今回取り上げたルシンダ・ウィリアムスは、日本では何故か「玄人筋の評価だけが高い」シンガーです。アメリカでは、現代最高の女性シンガーソングライター…に近いほどの高い評価を受け、広く大衆から支持されてグラミー賞も受賞しているにもかかわらず、日本ではあまり知られていない上、音楽好きの間で語られることもかなり稀な存在です(私の周囲の話だけかも…)。

 それはそうとして、今回紹介する「I Lost It」はルシンダ・ウィリアムス自身が作った曲で、彼女のいろいろなアルバムの中で歌われていますが、私が好きなのは「Car Wheels on a Gravel Road」に収録された「I Lost It」です。
 (9)のエミルー・ハリスの「Goodbye」のところで触れたスティーブ・アールも参加している「Car Wheels on a Gravel Road」は、個人的には文句なしに彼女の最高のアルバムで、厚みのあるサウンドは、土臭いアメリカン・ルーツロック、サザンロックとして聴いても、非常に良い雰囲気を出しています。ただ、個人的な好みで言えば、独特の鼻にかかった声と歌い方がくどい感じがする時もあるので、「Car Wheels on a Gravel Road」の中でもっともストレートに歌っている「I Lost It」が私の好みというわけです。フルボリュームで聴くと、とても気持ちがいい曲です。

 「Car Wheels on a Gravel Road」以降、彼女は「Essence」「World Without Tears」と、次々ヒットアルバムを出し、アメリカの音楽界で頂上へと上り詰めていきます。そして最近では「WEST」などがけっこういい味を出してはいますが、私は「Car Wheels on a Gravel Road」以上に惹かれるアルバムはありません。
 むしろ私は、「Car Wheels on a Gravel Road」以前、セカンドアルバムの「HAPPY WOMAN BLUES」が好きです。このアルバムは1980年に発売された彼女の2枚目のアルバムですが、このアルバムで初めて彼女のオリジナル曲として「I Lost It」が収録されています。ここでは「Car Wheels on a Gravel Road」に収録された「I Lost It」とは全く違う楽曲と言ってもよいぐらい、カントリータッチの軽妙な曲調で歌われているのですが、これはこれで悪くありません。それにしても「HAPPY WOMAN BLUES」のアルバムジャケットのルシンダ・ウィリアムスの写真、すごく可愛いくて好きです。

2009年11月17日

●真夜中に聴きたい50曲 (10)

(10) Joni MitchellBoth Sides Now」(ジョニ・ミッチェル:青春の光と影)

 1967年にジュディ・コリンズが発表したアルバム「Wild flowers」に収録された曲「Both Sides Now」は、1969年に映画「青春の光と影」(原題:Changes)の主題歌となり大ヒットしました。この曲はご存知のとおりジョニ・ミッチェルの曲で、彼女のデビューアルバム「Song to a Seagull」に続いて1969年に発表された「Clouds」に収められています。

 ジョニ・ミッチェルの初期のアルバムには、「Clouds」以外にも、名曲「The Circle Game」が収録された「Ladies of the Canyon」やより内省的な色合いが濃い「Blue」などなど多くの名アルバムが存在しますが、個人的には「Chelsea Morning」や「Both Sides Now」が収録されている「Clouds」が一番好きです。そして今回、その「Clouds」の中でも「Both Sides Now」を取り上げるのは、やはり私の世代特有の「青春の感傷」が含まれていることは間違いありません。
 「Both Sides Now」は、歌詞も含めた曲自体の素晴らしさもさることながら、アメリカの公民権運動、世界各地で盛り上がったベトナム反戦運動や学生運動の嵐の中で、誰もが自分自身のあり方、自分と社会の関わり方を考え続けた「あの時代の空気」を最もよく反映させている曲の1つであり、当時ジョーン・バエズやボブ・ディラン、そしてCSN&Yなどが歌う直接的な反戦歌などよりも、もっと深いところで何かを語りかけてくれる曲であったことが、ピックアップの理由になっています。

 そんな小難しい話は別にしても、ジョニ・ミッチェルというシンガーの素晴らしさは、簡単に語り尽くせるレベルではありません。ロックシンガー(あえて言います)としては非常に特異な存在で、孤高のミュージシャンと言ってもよいと思います。そして、前回取り上げたエミルー・ハリスと同様に、ジョニ・ミッチェルもまた、年を経るとともに独特の深みを増してきたシンガーです。1969年から2007年にかけてグラミー賞を9回受賞しているという事実も、彼女が世代を超えて支持されていることの確かな証です。初期のシンプルな弾き語りのスタイルに始まり、ジャズやフュージョンを取り入れた70年代、最先端のコンピュータミュージックの技法を取り入れた80年代以降、そして原点に回帰するようにシンプルな音楽に戻りつつある近年に至るまで、ジョニ・ミッチェルの音楽のスタイルに変化はあっても、魂のミュージシャンとしての本質は何ら変わりません。ギタリストとしての彼女のテクニックも、依然として素晴らしいものがあります。

2009年11月09日

●真夜中に聴きたい50曲 (9)

(9) Emmylou Harrisgoodbye」(エミルー・ハリス:グッドバイ)

 「goodbye」は、1995年に発売された彼女のアルバム、「Wrecking ball」に収録されています。
 私は、エミルー・ハリスというシンガーを70年代から知っていましたが、真剣にアルバム全曲を聴いたのは1980年代に発売された「Cimarron」からです。「Cimarron」を聴いてから、遡ってそれ以前のアルバムを片っ端から聴きこみ、彼女の本格的なファンになった次第です。しかし、95年に発売された「Wrecking ball」というアルバムは、それまでの彼女のアルバムとは全く異なったものでした。聴き終えた後で、本当に打ちのめされるほどの感動を覚えました。あのU2のプロデュースで知られるダニエル・ラノワがプロデュースしたこのアルバムで、エミルー・ハリスは、それまでの「フォーク、カントリー系シンガー」とは全く異なる顔を見せてくれただけでなく、それまで誰も試みなかった新しいサウンドで、ロックミュージッシャンとしての1つの完成した形を見せてくれたのです。
 いかにもラノワのサウンドらしい、際立つエレキギター、太く響くベースとバスドラム、切れ味のいいアコースティックギター、そしてプログレッシブロックと言ってもよい独特のシンセライクな響き…、そこに若い頃のような透き通った高音を響かせるのではなく、高い音程がかすれて、まるで祈るようなエミルー・ハリスの声が重なり、極上のサウンドを紡ぎだしています。個人的には90年代最高のロックアルバムの1枚と言ってもよいと思います。

 「Wrecking ball」は、もう1つ別の意味でも、私の音楽遍歴の中では感慨深く重要なアルバムです。私が好きな音楽は、基本的に一番多感な頃に聴いた60年代後半から70年代の音楽です。その結果、オールマン・ブラザーズ、ニール・ヤングとCSN&Y、ボブ・ディラン、グレートフル・デッド、ジャニス・ジョプリン、ザ・バンド、ジョニー・ミッチェルなど、60、70年代に好きだった同じミュージシャンの曲ばかりを、90年代になっても聴き続けていました。ところが、90年代の半ばに「Wrecking ball」を聴いて、今度はそれぞれの曲を書いたルシンダ・ウィリアムスや、ギリアン・ウェルチ、スティーブ・アールなどを聴き込み、さらにラノワがプロデュースしたU2のアルバムなども聴くことになり、その結果、より幅広い音楽に注目するようになった部分があります。

 そして、今回紹介した「goodbye」は、あの放浪のシンガー、スティーブ・アール(Steve Earle)の曲。歌詞も最高で、同じアルバムの中の「Orphan Girl」や「Blackhawk」などとともに、あらゆる音楽のジャンルを超えて私の最も好きな曲の1つです。
 ちなみにYouTubeの中に、スティーブ・アールとエミルー・ハリスの2人がこの「goodbye」をデュエットしている動画(http://www.youtube.com/watch?v=Rr2IY8q687I)があります。こちらも泣けるので、ぜひ聴いてみて下さい。

 ちなみにエミルー・ハリスは、「Wrecking ball」以降、「Spyboy」「Red Dirt Girl」や最新の「All I Intended to Be」など次々と素晴らしいアルバムを出しています。声質が少し変わっても、若い頃よりもうんと素敵になった彼女を見ていると、人間は年を取るのも悪くない…と本気で思えてくるから不思議です。

2009年08月19日

●アルバムベスト10(ミュージックマガジン創刊40周年)

 ミュージックマガジンが創刊40周年を記念して、過去40年間の全ジャンルのアルバムの中からベスト200を発表しました。そうちベスト10は以下のアルバムになっています。

1. Beatles: Abbey Road
2. Neil Young: After the Gold Rush
3. Talking Heads: Remain in Light
4. Sly & the Family Stone: There's a Riot Goin' On
5. Fela & Afrika 70: Zombie
6. The Rolling Stones: Let It Bleed
7. The Band: The Band
8. Bob Dylan: Blood on the Tracks
9. Television: Marquee Moon
10. John Lennon/Plastic Ono Band

 個人的な好みと必ずしも合っていないアルバムもありますが、それにしてもかなり興味深い選択です。ビートルズに関心がない私としては、1位と10位はどうでもいい。強いて言えば、6位のストーンズもどうでもいい。でも、2位の「After the Gold Rush」は決して嫌いではないアルバムだし(二ールヤングにはもっといいアルバムがあります)、7位にザ・バンドが入っているのもいい。8位のディランは当然ですが、ディランよりも上にバンドが来ているのがいいですね。そして何よりも感慨深いのは、3位と9位に「パンク」が入っていることです。特にTelevisionの「Marquee Moon」がベスト200の中の9位に入ったことには、ちょっと驚きました。

 以前、このサイトでも書いたことがありますが(ロック遺産 ~ニューヨーク CBGB編)、私は「ニューヨーク・パンク」がかなり好きで(ビートニクスに大きな影響を受けていたからです)、70年代の後半、そして80年代の初め頃とニューヨークのCBGBに入り浸っていた時期があります。80年代の初めには、既にある種の観光地化していて、バワリーにある店の前に時折市内巡りの観光バスが留まっていたこともありますが、それでも当時のバワリー一帯の雰囲気、そしてCBGBの持つ独特の雰囲気には惹かれるものがありました。店がなくなる直前の2000年の冬に最後に友人達と訪れた時には、バワリー一帯もきれいになり、CBGB地下フロアの扉が壊れたトイレだけが妙に昔懐かしい感じだったのを覚えています。

2009年07月29日

●真夜中に聴きたい50曲 (8)

(8)Jethro TullLocomotive Breath」(ジェスロ・タル:ロコモティブ・ブレス) 

 最初からアメリカの音楽ばかりが続いていますが、これは無理も無い話。私の世代でロックが好きとなると、やはりアメリカの音楽の影響が大きくなるのはやむを得ません。とは言え、中学生の頃から、ツェッペリンやクリーム、ジェフ・ベックなどに代表されるブリティッシュロックにも大きな影響を受けたことも確かです。一方で、ビートルズとローリング・ストーンズには、ほとんど興味がありませんが…

 さて、今回の紹介するジェスロ・タルは、イギリス出身のロック・バンドです。強いてジャンル分けすれば「プログレッシブ」に近いのでしょうが、キング・クリムゾンやイエス、ELPやピンク・フロイドといった代表的なプログレッシブ・ロックのバンドに共通するサウンドとは、かなりテイストが異なる楽曲が多いかもしれません。ブルース・ロックの一面も持っていますし、アコースティックで叙情的な曲もたくさんあります。
 ジェスロ・タルと言えば、イアン・アンダーソンが超絶的なテクニックで奏でるフルートが印象的ですが、ロックミュージックとフルートという楽器の組み合わせは、非常に珍しいものです。他にマンドリンやオルガンなど多彩な楽器を駆使したバラエティ豊かなサウンドを聞かせてくれます。
 ジェスロ・タルのデビューは1968年で、ビートルズやストーンズが後期とは言えまだ活躍していた時代でもあり、ツェッペリンは全盛期でした。ディープ・パープルが結成された年でもあります。そんな初期のロック全盛時代にあって、ジェスロ・タルの存在感は独特のものでした。他のロックバンドに類を見ないサウンドのオリジナリティは当時から高い評価を受け、瞬く間に世界的な人気バンドとなります。

 まあ、ジェスロ・タルが熱狂的に好きなわけではないのですが、もともとプログレッシブ・ロックが好きなこと、そして高校時代に聞いてそのサウンド非常に印象に残ったバンドであることなどから、彼らの曲の中には何曲か好きな曲があります。
 そして、彼らの曲の中で個人的に最も印象的で好きな曲が、今回紹介する「Locomotive Breath」(ロコモティブ・ブレス)です。1971年にリリースされた4枚目のアルバム「AQUALUNG」(アクアラング)に収録されました。「蒸気機関車のあえぎ」と訳されるこの曲は、力強いリズムと覚えやすいメロディライン、そしてフルートのソロと、ともかく印象的な曲です。そしてこの曲は、彼らのライブの定番ともなっています。
 ちなみにアルバム「AQUALUNG」は、翌1972年にリリースされた「THICK AS A BRICK(ジェラルドの汚れなき世界)」とともに、彼らの最高傑作の1つでしょう。Bonus Trackには、彼らの代表作である「Living in the Past」や「Bouree」などの名作が含まれています。

2009年07月26日

●真夜中に聴きたい50曲 (7)

(7)Pete SeegerI’ve been working on the railroad」(ピート・シーガー:線路は続くよどこまでも)

 私の父は、非常に真面目なサラリーマンではありましたが、音楽に関してはちょっと変わった趣味を持っている人間で、私がまだ小学校に上がる前の小さい頃、自宅で自己流でバイオリンを弾いていました。私はまだ小さかったから、別に不自然には思わなかったのですが、長じてから「誰にも習わず自己流でバイオリンを練習する」…という行為がかなり変わっていることを知りました。父は、何かの楽器の専門教育を受けたことがないにもかかわらず、いろんな楽器が好きで、ギターとかフルートとか突然楽器を買ってくるのです。しばらく遊んで飽きると子供、つまり私と妹に下げ渡されました。そんな父が、私が小学校3~4年の頃に突然買ってきたのがアコーディオンです。当時私はYAMAHA音楽教室などに長く通っており、ある程度ピアノが弾けたので、アコーディオンも右手の鍵盤部分の演奏にはすぐに慣れました。ただ、左手のベースボタンでコード押さえるのはなかなか難しく、そんな私が最初にアコーディオンでコード付きで弾けるようになった曲が、今回紹介する「線路は続くよどこまでも」であります。

 「I’ve been working on the railroad:線路は続くよどこまでも」は、アメリカの民謡、フォークソングであり、もともとは労働歌、すなわち「レールロードワークソング」として広まった曲です。Wikipediaによれば、

…原曲は、1863年から始まった大陸横断鉄道建設に携わったアイルランド系の工夫達によって歌われ始めたもので、線路工夫の過酷な労働を歌った民謡・労働歌の一つである。1955年に日本でも『線路の仕事』の題名で比較的忠実に紹介された。この曲が日本で大いに広まったのは、『線路は続くよどこまでも』としてである。『線路は続くよどこまでも』は1962年にNHK『みんなのうた』の中で紹介されて以降、ホームソング、童謡として愛唱されるようになった。フォークダンスのひとつである…

そして、歌詞の成り立ちについては次のような興味深い話が紹介されています。

…『線路は続くよどこまでも』の作詞者は、佐木敏であり、これは『みんなのうた』の二代目のディレクターであった後藤田純生のペンネームである。しかし、作詞は氏の単独作業によるものではなく、「ノッポさん」こと高見映による原案を元に、当時の番組スタッフの共同作業により作り上げられた…

 さて、ピート・シーガーが歌う「線路は続くよどこまでも」は1962年に録音されたアルバム「Children's Concert At Town Hall」に収録されています。このアルバム、タイトル通り、ピーートシーガーが子供の他に開いたコンサートのライブです。この「I’ve been working on the railroad」や「Michael Row The Boat Ashore:漕げよマイケル」など、誰も知っているフォークソングを、曲によっては子供たちと合唱しながら歌っているアルバムで、ほのぼのとした心温まる雰囲気のアルバムです。ここではピート・シーガーについて特に説明しませんが、反戦歌を歌うピート・シーガーよりも、「I’ve been working on the railroad」を歌うピート・シーガーの方が、私は好きです。

2009年07月25日

●真夜中に聴きたい50曲 (6)

(6)Leon RussellA Song For You」(レオン・ラッセル:ア・ソング・フォー・ユー)

 レオン・ラッセルは、70年代に一世を風靡した「スワンプ・ロック」の代表的なミュージシャンです。スワンプ(swamp)とは湿地や沼地を意味し、転じてアメリカ南部の湿地帯を指す言葉として使われています。私は既に書いたオールマンをはじめ、ザ・バンド、CCR、マーシャル・タッカー・バンドなど、俗にサザン・ロックとして括られるサウンドが大好きなんですが、この「サザン・ロック」と「スワンプ・ロック」は、かなりテイストが近い部分があります。事実、レオン・ラッセルのサウンドはブルースやソウルミュージックの影響を強く受けていますが、サザンロックの大御所であるザ・バンドのメンバーがカナダ出身であるのと同じく、レオン・ラッセルも南部とは無関係なLA出身です。ソロデビュー前は、ジョー・コッカーらとともにイギリスで活動していました。
 さて、「スワンプ・ロック」と「サザン・ロック」のテイストに似ている部分があるとは言っても、レオン・ラッセルのサウンドはあくまで独特なもの。彼の持つオリジナリティを最もよく現しているのが、1971年にリリースされたレオン・ラッセルのソロ第2作の「レオン・ラッセル・アンド・ザ・シェルター・ピープル」。サザン・ロックをベースにしながらも、よりポップでメロディを重視したサウンドの曲が並んでいます。

 で、今回挙げた「A Song For You」は、音楽ファンなら知らない人のいないレオン・ラッセルの代表曲とも言える名曲で、1970年に発売されたファースト・アルバムに収録されています。このファーストアルバムには、ジョージ・ハリスンやエリック・クラプトンも参加しており、70年代のロックシーンに全体に大きな影響を与えたもの。
 「A Song For You」はカーペンターズやレイ・チャールズなどがカヴァーしており、特にカーペンターズ版でこの曲を知った人は多いかもしれません。でもやはり、「A Song For You」はレオン・ラッセルのあの「ダミ声」で聞いてこそ味があります。そしてこの曲もまた、私が好きな「古きよき時代のアメリカ」の光景を思い浮かべる曲です。

2009年07月24日

●真夜中に聴きたい50曲 (5)

(5)Carly SimonYou Are My Sunshine」(カーリー・サイモン:ユー・アー・マイ・サンシャイン)

 さて、今回紹介する曲は、先に紹介したニール・ヤングやオールマン・ブラザーズ・バンドのように、そのミュージシャン自体が好きなので、1曲選べといわれてもどの曲を選んだらいいか迷う…というパターンではありません。私はカーリー・サイモンというシンガーを別に好きなわけではなく、むろんアルバムも1枚も持っていません。にもかかわらず、カーリー・サイモンが歌う「ユー・アー・マイ・サンシャイン」は大好きです。これは、言わばある種の「化学反応」のようなもので、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」という曲が大好きなわけでもなく、カーリー・サイモンというシンガーが大好きなわけでもないのに、「カーリー・サイモンが歌うユー・アー・マイ・サンシャイン」は特別の曲になってしまったわけです。

 カーリー・サイモンと言えば、私たちの世代にとっては1972年の大ヒット曲「うつろな愛(You're So Vain)」のイメージが余りにも強いシンガーです。まあ、彼女はある時代に非常に高い人気を誇った女性ポップスシンガーで、「うつろな愛」以外にも、「007 私を愛したスパイ」の主題歌 「Nobody Does It Better」など数多くのヒット曲があり、さらに私生活においてもジェームス・テイラーと結婚(後に離婚)するなど、アメリカでは現在も高い知名度とそれなりの人気を保っているシンガーです。
 で、曲の方ですが「ユー・アー・マイ・サンシャイン」は、1940年頃に当時売れないカントリーシンガーであったジミー・デイビスによってレコーディングされた歌。その後ジミー・デイビスがルイジアナ州知事になった経緯もあって、1977年にルイジアナ州の州歌となっています。「ユー・アー・マイ・サンシャイン」が有名になったのは、当時有名なカントリー歌手、ジーン・オートリーやポップシンガーのビング・クロスビーがレコーディングしてヒットしたからです。その後「ユー・アー・マイ・サンシャイン」をレコーディングしたシンガーは多く、第二次大戦義にはレイ・チャールズやアレサ・フランクリンなどが歌ってヒットしました。いまや誰もが知るアメリカのポピュラーソングです。
 you are my sunshine my only sunshine
 You make me happy  when skies are gray
…で始まる歌詞は、明るい恋の曲のようですが、実はトーチ・ソング(torch song)で、要するに「ユー・アー・マイ・サンシャイン」は失恋の歌です。これを知った上で、カーリー・サイモンが歌う「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を聞いてみてください。これが、何とも言えずいいんです。ちなみに「Into White」という2007年にリリースされたアルバムに収められています。

 私がこのカーリー・サイモンが歌う「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を知ったのは、ごく最近のこと。実は、アメリカのTVドラマ「コールドケース」によってです。シーズン4の第16話「ベビーベッド:The Good-Bye Room」で使われていました。まだアメリカで「未婚の母」が白い目で見られ、中絶もできなかった1964年の田舎町を舞台に、望まれない妊娠をした良家の女の子がこっそりと出産するために両親によって無理やり宗教施設に入れられて、生まれた子どもは養子に出される…という悲しくも切ない話ですが、このエピソードの中でカーリー・サイモンが歌う「ユー・アー・マイ・サンシャイン」は実に効果的に使われていました。今でも、ドラマの最終シーンの情景が目に浮かぶほどです。「コールドケース」のエピソードの中でも傑作の1つです。

2009年07月23日

●真夜中に聴きたい50曲 (4)

(4)STEPHEN STILLSJESUS GAVE LOVE AWAY FOR FREE」(スティーブン・スティルス:愛よりも自由を)

 私はCSN&Yが大好きですが、そのCSN&Yの中でスティーブン・スティルスがどのようなポジションにあったのか、スティーブン・スティルスが作ったバンドMANASSAS(マナサス)の演奏を聞くとよく理解できます。

 MANASSASというバンドは、2枚しかアルバムを残していません。「JESUS GAVE LOVE AWAY FOR FREE」が収録されているファーストアルバムは、1972年にリリースされました。発売時にはアナログ2枚組みのレコードで、バーズ出身のクリス・ヒルマンがマンドリンで参加するなど、一流のミュージシャンを集めてレコーディングされ、ロック、R&B、フォーク、ラテン、カントリー、ブルース等、様々な音楽のエッセンスを詰め込んだコンセプト・アルバムとなっています。片面ごとに「THE RAVEN」「THE WILDERNESS」「CONSIDER」「ROCK & ROLL IS HERE TO STAY」と4つのサブタイトルがついており、各面には同じ傾向の曲がまとめてあります。とは言え、全体としては格調の高いカントリー・ロックのアルバムとして芯の通った仕上がりとなっているのが素晴らしいですね。あくまで個人的評価ですが、1970年代後半以降のロックを中心とした音楽の方向性を示唆する作品が収められている、この時代を代表する珠玉のアルバムだと思います。

 「JESUS GAVE LOVE AWAY FOR FREE」は、アナログ版の1枚目のA面に収録されており、スティーブン・スティルスのボーカルとサビの部分のコーラスがとても美しい、カントリーテイストたっぷりの叙情的な曲。邦題としてつけられた「愛よりも自由を」というタイトルは興を殺ぎますが、ともかくいい曲です。

 どうでもよい話ですが、「MANASSAS」というのは実在するヴァージニア州の地名であり、南北戦争の激戦地としてよく知られています(こちらを参照)。スティーブン・スティルスは曲名や曲のモチーフに実際の地名を使うのが好きで、上述したアルバムの4つのサブタイトルは全て実在の地名です。

2009年07月21日

●真夜中に聴きたい50曲 (3)

(3) Neil YoungKeep On Rockin' In The Free World」(ニール・ヤング:キープ・オン・ロッキング・イン・ザ・フリー・ワールド)

 だいたい、ニール・ヤングの曲から1曲を選べ…というのが土台無理な話。1960年代のデビュー以来、60代になった現在に至るまで、ソロシンガーとしての活動はむろん、バッファロー・スプリングフィールド、CSN&Y、そしてクレージーホースとのセッションを含めてあらゆるジャンルの音楽に手を出し、公民権運動やベトナム戦争から9.11テロ事件に至るまで常にその時代に起きた歴史的な出来事へのメッセージを送りながら第一線を走り続けてきた彼には、時代を象徴する曲や傑作と言えるアルバムが山ほどあります。アルバムで言えば「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」や「ハーベスト」、曲では「オンリー・ラヴ」や「ハート・オブ・ゴールド」などをベストに挙げる人も多いでしょうが、あえて私は、彼のミュージシャンとしての真髄を示す象徴的な曲として「Keep On Rockin' In The Free World」を挙げたいと思います。

 この曲を収録した1989年のアルバム「Freedom」は、グランジのがベースの轟音・爆音系の曲と、ジャンル分類不能なオルタナティブ系の曲、リンダ・ロンシュタットとのデュエット曲から叙情的な曲までがバラエティ豊かに収録されていますが、その中で「Keep On Rockin' In The Free World」はといえば、ともかく「ロック」をしている…としか言いようがない曲。時代へのメッセージを発信し続けてきたニール・ヤングだからこそ、ストレートなサウンドと歌詞が、心に響きます。私はこの曲が大好きです。ニール・ヤングは、○○系とレッテルを貼るのは難しいミュージシャンですが、私としては、やはり永遠のロックシンガーとしての彼が好きですね。

 そういえば、マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」のエンディングテーマで、「Keep On Rockin' In The Free World」が使われていました。

 Keep on Rockin' in the Free World
 ロックし続けろ、ここは自由の国だ!

…と歌うニール・ヤングは、これからもずっと、過激なロックおやじでいて欲しいものです。

2009年07月17日

●真夜中に聴きたい50曲 (1)(2)

 私は音楽が好きです。で、誰も読む人がいないのを承知で、「私の好きな50曲」…という企画を勝手にやってみたいと思います。毎週1回、1曲づつ1年間に渡って書いていこうと決心しました。むろん、こんな決心など明日になれば忘れているかもしれないので、実際にこの企画が続くかどうかは、本人にもわかりません。
 ところで、「私の好きな50曲」というのもつまらないタイトルなので、毎晩就寝前に芋焼酎のお湯割りでもバーボンのロックでも好きなお酒を飲みながら聴いてみたい曲…ということで、「真夜中に聴きたい50曲」というタイトルにしてみます。

 ところで私は、このBlogにけっこう「ウソ」を書きます。ウソと言う言葉にはちょっと語弊があるかもしれませんが、少なくとも「脚色」はしています。脚色する理由は、簡単です。本当の自分をあからさまに見せたくないからです。例えば、私が毎日読んでいる本のタイトルを日記の形で公表していったとします。10冊や20冊の本を羅列したところで、私がどんな人間なのかはまず分からないでしょう。でも、私が1年間に読む本(概ね500冊ぐらい)を全部書いたとしましょう。そうなると、私がどんなことを考えているのか、どんなものに興味を持っているか…といった傾向がわかってしまいます。私としては、やっぱりそうなるのは嫌ですから、自分が読んでいることを世間に知られたくない書籍については、このblogには書きません。また、読んで面白くなかった本を「面白い」と書くことで、自分の「モノの考え方」をわからないようにする…なんて「ウソ」をつくわけです。

 で、音楽についいても同じ。自分が本当に好きな曲を連載すると、私の音楽の趣味が完全にわかってしまいます。それはちょっと…。だから今回は、「好きでもない曲」を入れる…という形のウソは書きませんが、「本当に好きな曲」を何曲か故意に落とす形で書くことになりそうです。

 では、今日から「真夜中に聴きたい50曲」を書き始めます。第1回ということで、今回は2曲を掲載します。ちなみに、1人(1バンド)については1曲しか紹介しません。


(1) The Allman Brothers BandMidnight Rider」(オールマン・ブラザーズ・バンド:ミッドナイト・ライダー)

 オールマン・ブラザーズ・バンドは、私が最も好きなバンドの1つであり、毎日持ち歩いている容量16GBのDAPには、常に彼らのアルバムが7~8枚は入っているはずです。彼らがどのようなバンドなのか、そして彼らのサウンドのどこがいいか…なんてことをここでウダウダと語る必要もないでしょう。とは言え、好きなアルバム、好きな曲が多過ぎて、「1つのバンドから1曲」というルールを決めなければ、私の好きな50曲の中で、オールマン・ブラザーズ・バンドの曲が10曲以上は入ってしまいそうです。
 今回挙げた「ミッドナイト・ライダー」は、1970年に発表された彼らの最初のヒットアルバム「Idlewild South(アイドルワイルド・サウス)」に収録されています。このアルバムには、「リヴァイヴァル」や「エリザベス・リードの追憶」などの初期の名曲がキラ星のごとく収録されていますが、その中で私が最も好きなのが、グレッグ・オールマンがソロでも発表した「ミッドナイト・ライダー」なのです。この曲のどこがいいのかうまく説明できませんが、「いかにもオールマン・ブラザーズ・バンドらしい」…というのが唯一の答えでしょうか。

 彼らの初期の曲では、「Melissa」も大好きです。これは、1972年に発表され、デュアンの追悼盤になってしまった「Eat A Peach」というアルバムに収められています。グレッグのけだるいボーカルがすごくいいですね。

 でも、結局彼らのアルバムの中でいちばん聞くのは、やっぱり「Live At Fillmore East」かもしれません。

(2)Tom WaitsOl' 55」(トム・ウェイツ:オール’55)

 「Ol' 55」は、誰もが知る名曲です。「酔いどれ詩人」などと呼ばれ、一部でマニア的というかカルト的な人気を持つトム・ウェイツですが、個人的には、このトム・ウェイツというシンガーソングライターが大好き…というわけではありません。独特の叙情的な歌詞も、それほどいいとは思いません。むろん、DAPに入れて日常的にアルバムを聞いているわけでもありません。
 また、1949年生まれのトム・ウェイツがもっとも活躍した時期は、彼が30代~40代であった80年代ですが、私の場合は、60年代後半から70年代前半にかけての曲に好きな曲、思い入れのある曲が多く、80年代に活躍したシンガーにはあまり思い入れのある人やグループがいないのです。にもかかわらず、「Ol' 55」だけは何故か好きなのです。
 まあ、単純に言ってしまえば、この曲を聴くとストレートに「アメリカの光景を思い浮かべる」から好きなのでしょう。
 「Ol' 55」は、1973年、彼が23才の時に発表されたトム・ウェイツのファースト・アルバム「Closing Time」に収録されています。このアルバムは、彼の評価が高まった30代以降のどのアルバムよりもよいアルバムで、私なんかよりもコアなトム・ウェイツファンの多くが彼の最高のアルバムと評価するのはよくわかります。

 ところで、「Ol' 55」というのはアメリカのハイウェイ「I-55」、いわゆるインターステート55号線のことで、確かセントルイスから北へ向かう道のはず(もしかすると間違っているかもしれません)。つまり「Ol' 55」は、私が大好きなアメリカ中西部の光景がそのままイメージ化された曲なのです。この曲を聴くと、貧乏な20代の頃、グレイアハウンドのバスに乗ってアメリカ大陸を放浪した時のことを鮮明に思い出します
 なお、ご存知の通り「Ol' 55」はその後1974年に、イーグルスがアルバム「オン・ザ・ボーダー」でカヴァーして話題になりました。