2011年12月26日

●デニス・リッチーの死… 2011年

 今年も、まもなく終わろうとしています。2011年は激動の1年でした。いまだ事態が収束していない震災や原発事故、世界を見ればアラブ諸国で民主革命が相次ぎ、欧州は金融危機に見舞われました。そして個人的には、ある種の「流行作家」であったスティーブ・ジョブズの死よりも、UNIXとC言語の生みの親であり、70年代以降のコンピュータの世界に劇的な革新をもたらしたデニス・リッチーの死に、ひとつの時代の終わりを感じた年でもあります。UNIXとC言語が存在しなければiOSもAndroidも存在しなかった、という事実に、あらためて思いを馳せることになりました。デニス・リッチー、ブライアン・カーニハン共著の「プログラミング言語C」は、現在30代後半より上のプログラミング技術者なら、読んだことがない人はいないほどの定番テキストです。

 あらためて繰り返すまでもなく、デニス・リッチーはUNIXとC言語の開発者です。1967年にAT&Tベル研究所に入った彼は、1969年頃から、DECのミニコン上で走る独自OSの開発をスタートします。1971年頃にはアセンブラで書かれたUNIXの原型が完成し、さらに、これは1973年頃にはC言語に書き換えられて現在の形になります。
 デニス・リッチーは、ベル研入所直後からMULTICSプロジェクトに参加し、BCPL(Basic CPL)開発に携わります。その後、盟友ケン・トンプソンがBCPLからB言語を開発する作業に参加、そのB言語ベースに今度は自らが中心となってC言語を開発しました。

 1970年代以降のコンピュータと応用技術の発展史を俯瞰したとき、とてもではないけれど、「UNIXとC言語の開発者」と簡単に書き捨ててしまうことはできません。「UNIX」と「C言語」、もしこの2つが存在しなければ、現代のコンピュータとその関連システム、さらには応用製品、電子機器のほぼすべてが存在しないといっても過言ではありません。
 UNIXはもともとローコストで、多様なマシンを動作対象として想定していました。そして、UNIX上で多彩なシステム、ソフトウェアを動作させるように作られていました。この優れた設計思想があったからこそ、UNIXからは、これほどに多くのOSが派生したのです。UNIXから派生したOSは、現在動いているコンピュータシステム及び電子機器のオペレーティングシステムの中で、大きなシェアを占めています。FreeBSDをベースとするMacOSやiOSもUNIX系列です。Linuxから派生したAndroidもまたUNIX系列です。さらに面白いのは、Android用ソフトは基本的にJavaで開発し、iOS端末用ソフトはObjective-Cで開発します。JavaもObjective-CもC言語の子供達です。現在、社会やコミュニケーションのあり方を変える万能のツールのように言われているスマートフォンやタブレットの全ては、デニス・リッチーが開発した「UNIX」と「C言語」の上に存在しています。
 また、現代の社会システムやコンピュータ端末のアプリケーションを支えるクラウド・テクノロジーも、その多くをUNIXとその派生OSに依存しています。サーバー用OSのシェアを見れば、いまだに50%以上がUNIX系です。Googleが数十万台のLinuxサーバを接続してクラウドを構成していることは、よく知られています。サーバー用ソフトウェアも同じです。もしC言語がなかったら、perlもruby もpython も作られなかったでしょう。
 つまり、iPhoneもiPadもAndroidフォンもタブレットも、そしてこれら端末で利用するソフトウェアやGoogleなどのクラウド系サービスも、そのOSと開発言語のすべてがデニス・リッチーが成し遂げた仕事の上に成り立っているものです。

 デニス・リッチーが残した非常に印象深い言葉があります。「私がひそかに満足していることのひとつは、オープンソースの多くのものが、私が寄与したコードに基づいていることです…」(Cマガジン1999年10月号、「偉大なるプログラマからのメッセージ」)
 彼は自分の成し遂げた業績に驕ることなく「ひそかに満足」というささやかな心情を述べ、さらに「私が開発した」とは言わず「私が寄与した」と謙虚に語っています。
 起業することもなく、ライセンスを高値で売ることもせず、技術者としての人生の大半をベル研で過ごし、コンピュータ技術の発展に尽くしたデニス・リッチーは、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツらとは根本的な部分で異なる人間だったようです。

 現代のコンピュータ社会の発展に、計り知れないほど大きな貢献を果たしたデニス・リッチーですが、その死はひそやかでした。2011年10月12日、ニュージャージー州の自宅で1人亡くなっているのが友人によって発見されました。死亡したのは10月8日だったそうです。そして彼の死は、Google社のロブ・パイクによってGoogle+上で発表されました。享年70歳、ひとつの時代の終焉を感じさせる死でした。合掌…

2011年11月03日

●スティーブ・ジョブズとは何者だったのか? (3)

iPhoneのオリジナリティとiOSの将来性

 ところで、先に挙げた2011年7月のOS別シェアには、実は続きがあります。Windows。MacOSに次ぐのは以下のOSです。iOS 3.00%、Java ME 1.11%、Linux 0.91%、Android 0.81%という順です。iOSの伸長が目立ちます。
 近年のAppleの快進撃は、ジョブスがApple社に戻って以降のiOS搭載機器、すなわちiPod、iPhone、iPadの爆発的な売れ行きによるものです。そのiOS搭載機器はここ数年爆発的にシェアを伸ばしてきました。しかし、これはおそらく過渡期的な姿でしょう。今後も過去数年のようにiOS搭載機器が市場で伸びていくという保証はまったくありません。
 いずれにしても、2001年のiPod classic発売以降、とりわけ2007年のiPhone発売以降のビジネス展開については、「おみごと」と言うしかありません。しかし、iPhone発売から5年が経ち、iOSのビジネスモデルが持つ優位性は失われつつあります。

 まずはiPhoneの先駆となったiPodです。DAP(デジタルオーディオプレヤー)としてのiPodは、もともと目新しいガジェットではありません。市場で先行したのは言うまでもなくSONYのWALKMANであり、韓国メーカーの多彩な製品群でした。iTuneとの組み合わせによるビジネスモデルが当たりましたが、現在は1年ほど前からは好調な売り上げが復活したWalkmanと熾烈なシェア争いを繰り広げています。今後もiPodがDAPのデファクトスタンダードである保障はどこにもありません。

 現在、ジョブズの最大の功績として語られるiPhoneも同じです。今後は徐々に、市場における優位なポジションを失っていくでしょう。
 独自の操作性とアプリストアとの連携でNokiaやBlackBerryからスマートフォン市場でのシェアを奪ったiPhoneですが、1人勝ち状態の全盛期は終焉を迎えようとしています。既に現在はAndroidの方がシェアは大きく、しかも伸び率も高い状況です。米市場では2011年8月の全スマートフォン保有者のうち、Android搭載機の利用者が43%で、iPhoneは28%と2倍近い差がついています。AndoroidというOSの集合体で販売台数を比較するのではなく単一メーカー同士で比較しても、2011年の第三四半期にAppleはとうとうSAMUSUNGに販売台数で抜かれました。今後どこまでiPhoneが現在のシェアを維持できるかわからないし、Androidがさらにシェアを拡大してiPhoneのシェアは小さくなるというのが大方の予想です。

 ところで、スマートフォンの市場を先駆的に切り拓いてきた功績は、やはりNokiaやRIM(Blackberry)に帰するべきものです。そして、手のひらに乗る情報端末の小さな画面上にアイコンを並べるタッチパネル方式のUIは、PDA「Palm」あたりがずっと先駆です。私は初代iPhoneが登場する6年も前の2001年に「Palm m505」を使っていましたが、電話回線によるネット接続を除けば基本的にはUIも機能もiPhoneと同じでした。Palm以外にも似たようなUIを持つPDAはたくさんありました。携帯電話回線を装備したスマホでiPhoneとよく似たUIと言えば、タッチパネルを採用したMotorola製のFOMA「M1000」や「HTc Z」なども記憶に新しいところです。記憶に間違いがなければ、いずれの機種のiPhoneより古い時期に発売されています。
 これら先行製品に較べてiPhoneが格段に洗練された機能を備えていることは確かですが、CPU、メモリ、液晶、タッチパネル、CMOSカメラなど、PDAやスマートフォンを構成するキーデバイスの技術・性能や実装技術などが格段に進歩している状況で製品化された後発機器ですから、高機能を実現できて当たり前です。携帯電話機能部分の基本デバイスである、ベースバンドチップやアプリケーションチップなども1チップ化が進み、ここ数年格段に高機能化しています。
 そして、携帯電話回線上にパケット網を築いてアプリを提供するビジネスモデルなら、1999年にスタートしたiモードの方がかなり先行しています。

 タッチパネルを採用した先駆的なPDAといえば、1993年に発売されたAppleの「Newton」があります。手書き文字認識を採用するなどNewtonプロジェクトの先進性はあらためて言うまでもないことですが、このプロジェクトはジョブス追放後のスカリー社長時代に企画され、発売された端末です。Newtonは売れず、事業としては完全に失敗しましたが、PDAの将来性に注目した結果生まれたNewtonプロジェクトについては、これを強引に推し進めたスカリーの先見性が高く評価されるべきです。そしてNewtonプロジェクトは、後のiPod、iPhoneの母体となったものでもあります。後に、Appleがニュートンの発売を中止した後にNewtonプロジェクトを引き継いだニュートン社を、Appleに復帰したジョブスが吸収しました。さらに、iPodのOSを作成したPixo社にこのニュートンの開発メンバーがいたことは有名な話です。Newtonプロジェクトとも多少関連がありますが、1996年に発売されたPalm Pilotを見ていると、いまさらですがPalm OSの先進性とiOSとの類似性がよくわかります。

 さて、こうした事実をもって「iPhoneに独自技術がない」とか「iPhoneはパクリ」とか非難したいのではありません。そんなことは、実はどうでもいい話です。「ジョブズは何も発明しなかった」という言い方で、ジョブズの資質を貶める人がいますが、それもまた間違っています。

 iPhoneに限らず、この手の情報機器はすべてが多かれ少なかれ過去の技術資産とアイデアの蓄積の上に、「新製品」が生み出されてきました。トータルに技術が発展し、構成部品が高機能化する後発製品の方が先行製品よりも高機能、多機能なのは当然であり、また必然的に小型化が可能になるためデザインの自由度も高くなります。後発機器の方が高機能でデザイン性に優れているからと言って、別に特別なことではありません。そういう視点で見たとき、iPhoneが特に画期的な製品だとは思えないのです。
 余談ですが、同じことはノートPCでも言えます。Macファンは薄型・軽量のMacBook Airを絶賛しますが、例えば三菱電機が1997年に発売した超薄型・軽量のノートパソコン「Pedion」は、当時の技術水準では世界最高の製品でした。私は欲しかったけれど、高いのでパスしました。マグネシウム・ダイキャスト筐体を採用し、約15年前に当時のA4サイズノートパソコンで世界で最薄の18mm、最軽量の1.45kgを実現したPedionの製品コンセプト自体は、MacBook Airと全く同じであったと思います。あれから10年以上も経って構成部品の大幅な機能向上が実現したからこそMacBook Airという製品が実現したのです。

 ところで、誰がどう見てもAndoroidはiPhoneをかなりの部分で真似たことは確かです。しかし、それをもってジョブズが「AndoroidはiPhoneのアイデアを盗んだ」と激怒するのは、PDAやスマートフォンの製品化の歴史から見て非常に傲慢な態度であり、お門違いです。iPhoneも同じく、誰がどう見ても確実にPalmデバイスを真似ていますし、NokiaやRIMからもよいところをたくさん真似ています。iTuneのビジネスモデルも先行した数多くのビジネスを参考にしています。今回iPhone4SでスタートしたiCloudに至っては、Googleが始めたビジネスモデルをそっくり真似したものでしょう。でも私は、製品進化のため、ユーザの利益のためには、それはそれでよいと考えています。真似る、参考にする…ことの許容限度を決めるルールとして、不完全なルールながらも「特許」が一応存在することにも意味があります。

 iPadもまた、iPodやiPhoneと同じく製品形態や機能アイデア自体は特に目新しいものではありません。タッチパネルを採用した同形状のWindowsのストレートPCなら1990年代から存在しましたし、2000年代入ってからはNECや富士通なども、主に業務用途を想定して普通にWindows機ラインアップとして普通に販売していました。当時はまだ、CPUやメモリの基本性能が低く、タッチパネルのポイント検出技術も未熟、加えて高解像度液晶は高価で、高性能化すればバカ高い価格にならざるを得ませんでした。さらに、高速のネット接続はコストが高く、3GでのMbpsレベルのネット接続はまだ実現していませんでした。だからこそ、業務用途以外では売れなかったのです。iPadは、CPUやメモリなど基本部品や構成デバイスの高機能化、低価格化が進んだ時期とうまく重なって商品化されました。そして何よりも、3GやWi-Fiによる高速ネット接続が低コストで実現する時期に商品化されたことで、コンテンツ配信が可能になり、タブレットPCにビジネス用途以外の使い途ができたのです。
 iPadもiPhoneと同じくアプリマーケットとの相乗効果で販売台数を伸ばしてきました。しかし今後は、iPadもiPhoneと同じく続々と登場しつつある高性能・低価格のAndroidタブレットとの競争の中で、iPhoneと同じく当面は徐々にシェアを下げていくでしょう。
 タブレット市場は2011年の上半期まではiPadの一人勝ちとなっていますが、下半期に入ってAndroidタブレットの販売が急伸しています。2011年第3四半期のタブレット市場シェアはApple iOSが1,110万台の出荷でシェア66.6%と依然として圧倒的にダントツ。Androidは450万台の出荷台数でシェア26.9%に留まっています。しかしAndroidタブレットは、前年同期の2.3%から十倍以上にシェア伸ばしています。2012年以降は、既にネットブックを利用しているライトユーザーの多くがタブレットへの買い替えを進めると見られています。タブレット市場は今後数年の内に大きく変化し、市場は何倍もの規模へと拡大していくでしょう。その今後拡大する市場の中で、iPadの優位性は徐々に薄れ、低価格のAndroidタブレットが大きなシェアを獲得していくはずです。
 そういえば先日Amazonが発表したAndroidタブレット「Kindle Fire」は199ドルという価格で、Android標準機能の他に、Amazonが持つ豊富なコンテンツが簡単に利用できることから、アメリカ国内に限定すれば単一機種でiPadを上回る販売数を予想する関係者も多いようです。レノボも2万円を切るAndroidタブレットを発売しました。iPadビジネスは、iPhoneビジネスと同様に、現在確実に曲がり角に来ています。
 アプリマーケットを含むビジネスモデルとしてのiOS機器は、確かにここ数年間、著しい成功を収めましたが、これが今後も持続するかどうかは全くわかりません。今後ともiPhoneやiPadがデザイン、操作性、ビジネスモデル等で市場に大きな影響力を与えていくことは確実ですが、シェアは落としていくでしょう。そして、それはかつてAppleのパソコンが辿った道と重なります。

 さらに、今後AndoroidがiOSに比して確実に市場シェアを高めていくと予想される理由があります。先日、こんな製品発表がありました。「カシオ計算機は20日、OSとしてAndroid2.2を採用し、アプリによって顧客/売上/予約管理などの機能を拡張できる店舗支援端末『VX-100』を発表した。同社製アプリのほか、対応アプリを開発できるソフトウェア開発キットも用意する…」(マイコミジャーナル 2011/10/20)
 こうした業務用機器へのOS搭載は、現時点ではiOSではあり得ない方向性です。iPadに専用アプリを入れて業務に活用する…といった使い方はすでに始まっていますが、あくまでiPadというAppleが用意したプラットフォームを使うことが前提です。iOSを搭載した業務用機器…は現在のAppleのビジネスモデルでは絶対にあり得ません。一方で、Andoroidは広範囲に搭載製品市場が拡大する可能性を秘めています。

ジョブズの「理念」について思うこと

 ジョブスは「世の中を変える、人々の生活スタイルを変える」という理念を持って製品作りをしてきた…のだそうです。しかし、MacやiPhone、iPadのビジネスモデルを見ていると、人々の生活スタイルを本気で変えようとしたとは、到底思えません。
 世の中を変えるためには、「誰もが、安く、製品やサービスを甘受できる」ようにしなければなりません。そのためには「競争原理が働くこと」が絶対に必要です。しかし、ジョブスがiPhone、iPadのビジネスモデルで目指していたのは、「競争原理を排除すること」でした。Apple社は、特許、しかも製品機能の本質とは無関係の特許までを振りかざして競争相手を威嚇・排除し、自社が唯一のサプライヤーとなることで、利益を確保しようとしています。

 現在のiOS機器とAndoroid搭載機器の関係は、1980年代のMacintoshとIBM-PCの関係と、非常によく似ています。
 「スマートフォンが世界を変える」「タブレットPCが世界を変える」ためには、発展途上の貧しい国の人々も含めて世界中の誰もが製品を購入でき、サービスを受けられる方向で普及する必要があります。例えそれが先のことであっても、少なくともそうした方向性を持ち続けるべきです。イメージや本質的機能とはあまり関係のない付加価値で高値で販売して利益を確保するiPhone、iPadのビジネスモデルでは、それができるとは思いません。おそらくその役割を担うのは、現時点ですら100ドル以下のスマホ、100ドル以下のタブレットを量産することが可能なAndroidのビジネスモデルです。
 iPhone、iPadをビジネスの中核に据えるAppleがいちばん恐れているのは、機能面で差がない製品を量産し始めたAndroid陣営と「価格競争」を強いられることです。だから、iPhoneとiPadは「価格以外の付加価値」を強力にアピールする以外にありません。iPhoneとiPadは、「値下げできない」製品です。例え量産によって値下げが可能になったとしても、値下げしてしまえばAndroid機との差別化をアピールできなくなるからです。Apple製品は「Cool」であるために、高い価格を維持せざるを得ません。

 「iPadがコンピュータを誰でも簡単に使えるものにした」と言っている人は、自分の所得、または、先進国の経済水準を基準に考えているような気がします。「誰でも」の中に、「本当に貧しい世界の人々」のことは入っていません。おそらくジョブズもそういう考えを持つ人だったのでしょう。だからこそ、製品からサービスまでを自社で完結し、あらゆる形で莫大な利益を吸い上げる「iOSビジネス」の仕組みを推進したのです。
 私はコンピュータが好きです。コンピュータには未来を変える力があると思っています。だからこそ、アフリカやインドの貧しい子供たちにも、等しくコンピュータが普及して欲しいと願っています。

 冒頭で紹介したBlogに「…Macintosh互換機は当時こそ選択肢が増えてありがたいという気持ちが強かったのですが、これはあるまじき姿であったと言わざるを得ません。Appleの哲学と美学はまさにハードとソフトの融合から生まれていた」…と書かれています。確かにMacは互換機戦略を失敗したし、近年のiOSの快進撃はクローズドな環境にこだわったから実現しました。しかし、これは「哲学」や「美学」などといったきれいごとからそうなったのではではないでしょう。きっちりと「利益」を確保するための、必然的な結論であったのだと思います。それはかつて、PC互換機のように、絶対的な出荷台数を確保できなかったMacintoshがとらざるを得なかったプロセスで、Apple社が身をもって学んだ販売方法であったはずです。iOS搭載機器は、かつてのMacintoshとは異なり、高価であるにも関わらず絶対的な出荷台数とシェアを獲得しました。その結果が、近年のApple社のすざまじい利益と時価総額の高騰を生んでいます。

 ubuntuを始めとするフリーLinuxの愛用者でもある私は、以前から「GNU」の理念が拡大することに大きな期待を掛けています。オープンソース=無償とは限りませんが、やはり低コストでOSやアプリを供給できるし、それ以上に多くの開発者とユーザが力をあわせて「よりよいもの」を作っていく姿勢とプロセスは貴重です。OSもアプリも使い方を限定すれば、極限の高機能を追う必要はありません。むしろ安価でそこそこの機能を持つ端末を広範囲に普及させる…方が、社会変革に役立つ場面が多いはずです。
 余談ですが、OS Ⅹ以降のMacOS、そしてiOSのベースに使われたオープンソースOS「Darwin」は、ずっと遡れば部分的にはFree BSDがベースとなっています。DarwinもFree BSDもフリーソフトウェアとしてソースコードと共に無償で公開されており、全世界のボランティアのプログラマの手によって開発が進められているものです。意地の悪い言い方をすれば、Apple社は、開発理念から言えば金儲けからもっとも遠いところにあったはずのオープンソースOSを金儲けに利用した…という見方だって出来なくはありません(カーネルのかなりの部分にLinuxを利用しているAndroidも似たようなものですが…)。こうした経緯を見ていると、リーナス・トーバルズが、いかに高い理念と理想をもっていたかが想起されます。そう、ジョブズと較べても…

 ところで、近年の、ジョブズ成功の要因は何でしょうか? パソコン分野で失敗したはずのAppleが、ジョブス復帰後に、こうまで大きな利益を上げることができたのは何故でしょうか? そこにこそ、ジョブズの真髄、経営者のとしてのジョブスの才能、そして本当のジョブズの理念があるように思います。
 一言で言えば、ジョブズ復帰後のApple社の方針、すなわちジョブスの方針は「信者を増やす」ことにあったのだと思います。「信者」という言葉にひっかかるものがあるのなら、「盲目的なAppleファンを増やす」と言い換えてもよいかもしれません。そのためにジョブズは、「カリスマ」を演じました。「演じる」という言い方は間違いかもしれません。エキセントリックで自我が肥大し、他人の目を意識しないジョブズには、もともと「カリスマ」になる素質があったし、Apple社はそうしたジョブズの存在の「広告塔」としての価値をよく心得ていたはずです。
 Apple社は、同社の全てのプロダクツ、とりわけMac、そしてiPod、iPhone、iPadについて、デザイン、機能、サービスをひっくるめて「Cool」と、無条件で受け入れて賛美するユーザ、「コアユーザ」を作り出すためのイメージ戦略に全力を挙げました。そしてそれは、間違いなく成功しました。
 特にこのイメージ戦略に見事に乗ったのは、iPodやiPhoneからApple社のプロダクツを使い始めた層です。
 例えば68000系Macの時代からのユーザであれば、Macを礼賛するにしても、たいていは私のようにMac以外のパソコンを使った経験を持っているはずです。だから、他社のパソコンと比較する術を持っています。iPhoneについても同じで、iPhone登場以前からPDAやスマートフォンを使っているユーザであれば、冷静にiPhoneの機能について判断できます。しかし、iPodとiPhoneのヒット以降、DAPはiPod、スマホはiPhone、タブレットデバイスはiPad、PCはMacbook Air…しか使ったことがないというユーザが増えました。こうしたコアユーザは、確実にApple社のプロダクツを買い支え続け、同社が提供するサービスにお金を遣い続けます。こうしたユーザ層を確実に増やし続けたことこそが、ここ数年のApple社の莫大な利益を生み出しました。いや、見事なものです。

 アップルは、マスコミも味方につけました。「アップル番記者の罪と罰」…という記事を読めば、アップルのイメージ戦略の片棒を担いだマスコミの実態がよくわかります。

 ジョブズが亡くなった日、TVのニュース番組を見ていたら、まだ大学生ぐらいの若い男性が、ジョブズの死を悲しんで本当にTVカメラの前で涙を流して泣いていました。その男性は「iPhoneとiPadで人生が変わった、ジョブズが自分の人生を変えてくれた、憧れの人だった…」と話しながら泣いていました。私は非常に違和感を持ったのですが、そんな不思議なユーザを産み出したことこそが、ジョブズの才能であったのだと思います。

 私は別にAppleのプロダクツが嫌いというわけではありません。iPhoneもiPodも使っていますし、仕事場にはMacもあります。しかし機能が同じであれば、どちらが面白いかと言えば、いろいろといじって楽しめないiPhoneよりも、USBやHDMI等の汎用I/Fを備え、簡単にrootを取って自由にカスタマイズできるAndroid機の方が絶対に楽しいというタイプです。「整然」としたiPhoneの世界よりも、「混沌」としたAndroidの世界が好きです。これは、「与えられる」よりも「自分の手で何かをやる」方が楽しい…という感覚に通じるものがあります。iPhoneの世界は、Appleに全てを与えられる世界…という感覚があります。

 ところで、私の会社では現在、受託でも自社でもiPhone用アプリの開発・販売を行っています。自社でアプリを販売しているとよくわかるのですが、同じアプリをiPhone向けとAndroid向けに販売すると、確実にiPhone向けが売れます。Androidの方が普及台数が増えつつあるにもかかわらず、iPhone向けアプリの方が市場が大きいのが実感できます。しかも、かなり差があります。要するに、iPhoneユーザの方が「確実にアプリ、コンテンツにお金を遣う」のです。
 さらにiPhone向けアプリの方が、「何が売れるか」「どうすれば売れるか」を、コンセプトしやすい。Androidのユーザ層は、あまりに雑然としていて、嗜好や消費傾向が掴みにくいのと較べ、iPhoneユーザの嗜好や消費傾向は、とてもわかりやすい。経験値として実感しています。

 私は、2004/8/30の日記で、次のようなことを書きました。この文を自分の日記に引用するのは2回目です。でも、あえてここで繰り返します。



 …Macユーザの第一の特徴が「インテリで所得が高め」だってのはよく知られているところ。アメリカのマーケット調査会社によって「Macユーザは Windowsユーザと比べて高所得で高学歴」という調査結果がしっかりと提示されています。でMacユーザは、この「インテリで高所得」に加えて「心情的反体制または自称オルタナティブ」であり、さらに「『文化』という言葉に弱い」という特徴を持つことは確実です。「Windowsのような体制派とは違う」という点にアイデンティティを見い出し、さらに「新しい文化の担い手」なんて言葉を聞くと、もう無条件で喜ぶタイプ。これって、マーケティングを考える立場からすると、「もっとも乗せやすい」ユーザ層ということになります。単純なミーハー層は流行に対する好みがどう転ぶかわからないし、ガチガチの保守派は逆に複雑なマーケティング手法を応用する余地が少ない。自らを革新的と考え、自分は流行に左右されないと自認している層こそが、実はもっとも「マーケティング手法を使って恣意的に流行を与えやすい」層であると言えます…

 まあ最近では、iPod、iPhoneがあまりに普及したので、さすがにiOS関連プロダクツのユーザ層には多様性が出はじめています。わけもわからず単にかっこいいからといってiPadを購入し、何に使っていいのかわからない…なんてユーザもいるようです。しかし確信犯的なiOSプロダクツユーザ層の基本的な消費傾向は、未だに大きく変わってはいません。
 ジョブズ復帰以降のApple社は、意識してこうした確信犯ユーザ層を作り出し、なおかつ自ら作り出したユーザ層に対して、効果的にたマーケティングを行うことで、莫大な利益を得てきたわけです。こんなやり方を成功させるなど、驚嘆すべきことです。ジョブズが、天才的な経営者であったと感心する所以です。


この項、終わり…

●スティーブ・ジョブズとは何者だったのか? (2)

Apple社の失敗

 ジョブスというよりも、彼が設立したApple社は、コンピュータの世界に、どんな「大きな変革」を起こしたのでしょうか。

 1980年代半ばまで、天才ウォズニアックが作り出したAppleⅡは、パーソナルコンピュータの代名詞でした。当時のパソコンシェアの正確な統計が手許にないのですが、1970年代の後半から1980年代初頭、パーソナルコンピュータのシェアでAppleは世界を大きくリードしていたことは確かです。この時点では、間違いなくApple社は、コンピュータ世界の変革者でした。Apple Ⅱは当初はオープンアーキテクチャであり、互換機も数多く登場しました。私の記憶にある1980年の時点の全米パソコン市場では、まだシェアトップはAppleです。ちなみに当時のシェア2位はコモドール、3位がタンディ・ラジオシャックだったはずです。
 しかし、1981年にIBMがオープンアーキテクチャを採用したIBM PCを世に出します。このIBM PC用に開発されたOS、MS-DOSを搭載し、インテルのCPUが採用されていました。このIBM PCは、発売とほぼ同時にいきなりパソコン市場でトップシェアを獲得します(1983年頃に500ドルで買える「コモドール64」が爆発的に売れてシェアを獲得した時期がありましたが…)。この時期に、まずはAppleⅡが売り上げを大きく落とし始めました。
 このあたりから、ジョブスが率いるAppleは迷走し始めます。AppleⅡの次機種AppleⅢで失敗したAppleは、IBM PCとコンパックなどの互換機に対抗するために満を持してLisaを投入、これがAppleⅢに続いて失敗に終わります。次いで1984年にマッキントッシュを投入してIBM PCに対抗しますが、結果的にAppleはPC互換機群に敗退してパソコン業界でのシェアをさらに大きく減らしました。
 当初MS-DOSを搭載したIBM PC(PC互換機)には、やがてWindowsというOSが載せられ、特にWindows95以降は、互換機が爆発的に普及しました。一方で、販売方針で迷走したあげく事実上パソコン市場でのシェア争いを放棄したマッキントッシュとMacOSは、その後さらにWindowsに水を空けられ、シェアの差は現在に至るまで詰まっていません。
 参考までに、2011年7月のOS別シェアは、Windows 87.60%、Mac 5.61%です。この数字を見れば「MacはWindows陣営の敵ですらない」というのが現実です。現在のシェアを、1970年代後半から1980年代初頭に至るパソコン市場でAppleが勝ち取っていたトップシェアと、現在の悲惨なシェア状況を比較すれば、Apple社はOSを含むパソコンビジネスを失敗した…と言う結論が自然に出てきます。Appleとマイクロソフトの両社は、ジョブス死後の現在でもよく比較されますが、パソコンビジネスにおける勝者、それも圧倒的な勝者は、客観的に見れば間違いなくマイクロソフトの方です。

 ご存知の通り、ジョブズはAppleの創業者ではありますが、群を抜いた技術者ではありません。AppleⅡもマッキントッシュも、そのシステムの全てをほぼ1人で開発したのは天才ウォズニアックです。そして、ガレージメーカーであった初期のAppleに投資して法人化し「企業」として船出させたのはマイク・マークラでした。むろん、AppleⅡ及びマッキントッシュの設計思想と販売方針にジョブスのアイデアが色濃く反映されたのは間違いありませんし、特にAppleⅡの開発・販売に絶大なる貢献をしたジョブスの功績は、讃えられるべきものです。
 しかし、AppleⅡが失速した1980年以降、AppleⅢ、Lisa、そしてMacintoshへと移行する過程においてもジョブズは大きな役割を果たしました。この時期ジョブスのApple社における影響力を大きいものと考えれば考えるほど、現在のWindows圧倒的優位の状況を見れば、AppleⅡ失速後のジョブズの経営方針が「間違っていた」という話になります。ジョブスはMacintoshとLisaの開発部門であるスーパーマイクロ部門の責任者であり、マッキントッシュプロジェクトもスタート直後からジョブスが前面に立って製造・販売の指揮をとりました。追放以前のジョブスが立てたマッキントッシュの販売計画は、学生や教育機関向けの大幅割引販売で一定の販売実績を上げた他は、基本的に無残な結果に終わっています。
 さらにジョブズは、Apple退社後に立ち上げたNeXT Computerでも、主力製品であるワークステーションのコストパフォーマンスの低さから、販売実績を上げることは出来ませんでした。ただ、NeXT Computer時代に開発したOPENSTEPについては、その後MacOS Xとなって現在のMacに引き継がれています。
 こうした事実を見れば、ジョブスに「時代の変化を見抜く目がなかった」、またジョブスが「パソコン市場の基本的な方向性を予測できなかった」…という評価を与えざるを得ません。

 ところで、ジョブズに対する評価のひとつとして、彼がコンピュータを「ビジネスの道具」から「創造するための道具」に変えた…という言説もよく見られます。しかし、少なくとも初期のAppleⅡは、趣味やゲームのユーザ以外は、あくまでビジネスや科学計算の道具として売れました。特に大学や研究機関によく売れたのです。第一、70年代のAppleⅡのCPU能力、画像処理能力では、クリエイターが仕事で使うにはちょっと無理がありました。初期のAppleⅡには、ワープロやプレゼン資料作成用途すらありませんでした。かろうじて表計算ソフトが一般の人でも利用していたぐらいです(80年頃には「AppleWorks」というオフィスソフトがありました)。
 ジョブズがAppleⅡをコンセプトした時点、またはlisa、Macintoshをコンセプトした時点で、「創造するためのパソコン」をイメージしていたわけではありません。むしろジョブスが在職していた当時、Macの初期の販売戦略は、当初はビジネス分野で普及し始めたIBM PCをライバルに想定したものです。また、落ち込んだMacの販売をてこ入れするために、マイクロソフトのビル・ゲイツに「Microsoft Office」のMac対応版の販売を依頼したのは他ならぬジョブス自身です。
 MacintoshがDTPやデザインのプラットフォームとしてクリエーターの間に普及したのは、パソコンの最大の市場であるビジネス用途分野をIBM PCとMS-DOS/Windowsに奪われ、結果的には苦し紛れにニッチな分野での普及を図った経緯によるものです。加えて、クリエイターというユーザカテゴリーが、Appleのイメージ戦略のターゲットになりやすかったためでもあります。そして、マッキントッシュがDTPやデザインのプラットフォームとして普及していった時期は、ジョブズがAppleを退職していたスカリー社長時代であり、このあたりの販売戦略には事実上ジョブスは関わっていません。

パーソナルコンピュータ普及の功績

 誰かがジョブス追悼文の中で書いていたように、「コンピュータは20世紀最大の発明のひとつ」だと、私も思います。特に「パーソナルコンピュータ」は、社会の仕組みや個人の生活のあり方まで変えてしまう、そんな存在だと感じていました。パーソナルコンピュータの製品化の歴史、普及の歴史において、特に70年代にAppleが果たした役割は非常に大きいことは、紛れもない事実です。AppleⅡは、「パーソナルコンピュータのあるべき姿」を私たちに提示し、日常生活の中に普通にパーソナルコンピュータが存在する未来を予感させてくれた製品のひとつでした。
 しかし、残念なことに70年代におけるパーソナルコンピュータは、まだまだ「社会を劇的に変える」ほどには普及をしていませんでした。そしてその絶対的機能も不足していました。AppleⅡがパソコン市場でトップシェアであった70年代は、パーソナルコンピュータがいずれ社会を変革する原動力になるだろうと、ジョブスを始めとする多くの人が確信してはいましたが、現実には誰でも買えるほど安価な製品ではなかったし、ビジネス現場で実務に使えるようなアプリケーションもほとんど存在していませんでした。
 こうして見ると、パーソナルコンピュータが「社会の発展」や「社会の仕組みの変化」に大きな役割を果たし始めたのは、一気に普及が進んだ80年代です。

 パーソナルコンピュータがこれほど身近になった21世紀の現在だからこそあらためて思うのですが、パーソナルコンピュータの存在と機能が世界を変えたのだとしたら、それは「世界中に広く普及した」からです。
 そして歴史的に見れば、「パーソナルコンピュータを世界に広く普及させた功績」は、Apple社よりも、パーソナルコンピュータを一気に安価なものにするきっかけを作った「IBM PC」という製品とその開発チームの方がずっと大きいと思います。パーソナルコンピュータを安価に提供して「個人でも低所得の新興国ユーザでも使えるようにした」ことが、本当のイノベーションです。事実、「パーソナルコンピュータ」という言葉は、IBM PC互換機そのものを意味する言葉として社会に広まりました。
 1981年に発売されたIBM PCは、早期参入実現のために市場で入手可能な部品だけで構成され、周辺機器の普及のためにオープンアーキテクチャとして回路図やBIOSのソースコードを各社に公開しました。さらに、主力のオペレーティングシステムであるPC DOSを「MS-DOS」の名称でマイクロソフトから各社にOEM供給する事を認めたため、誰もが簡単にパソコン製造・販売ビジネスに参入することを可能にしました。このビジネスモデルこそが、パソコンを一気に低価格化する原動力となりました。今日、台湾や中国のメーカーが低価格PCを量産し、それが発展途上国も含めて世界中に普及しているのは、やはりIBM-PCの優れたオープンアーキテクチャ設計思想のおかげです。

 翻って、1980年代半ば以降のApple社はこのIBM PCとは全く逆の道、すなわちクローズドなアーキテクチャのMacを「ブランド力とイメージ」で高く売る…という道をひた走りました。現在のiOS機器と同じです。一時期、苦し紛れに互換機戦略をとったものの成功せず、販売戦略は迷走を続けました。
 1990年代から2000年代前半にかけては、MacintoshはWindows機と比較してバカ高い価格設定でした。本体価格だけでなくメモリなど内部の増設・交換用パーツから周辺機器に至るまで、非常に高価でした。高価なものを売るために、とりわけイメージ戦略を重要視しました。その結果「利益の確保」という面では「一定の成功」は収めましたが、実際の普及ベースでは、Windows95以降はWindows陣営に大きく水をあけられることになったのです。

 そして、こうした考え方の延長線で見れば、今後タブレットデバイスも含めて安価なコンピュータの普及により大きな役割を果たすのは、特注部品、特殊なI/Fやコネクタを多用するiOS搭載製品ではなく、汎用部品と汎用I/Fで構成されるAndoroid搭載製品である…という結論が容易に見えてきます。

 Macを礼賛する人の多くは、Macの独特なユーザインタフェースと操作性を絶賛し、一度Macを使ったら絶対にWindowsの世界には戻れない…などと言います。UIは感覚的な問題が大きく良否判断は個人差がありますので、どう感じるのも自由です。ただ私は、Windows登場以前に長い間「無機質なMS-DOSのUI」と「遊び心があるMacのアイコンベースのUI」を併用してきました。そして、DOSがWindowsに変わってからも、MacintoshとWindows機を併用して毎日の仕事をこなしてきました。しかし、どの時代でも別にどちらのUIが優れているかなどと特に考えることもなく、必要に応じて普通に両者を併用してきました。
 実際にMacの独自のUIと操作性が、本当にそこまで万人にとって優れたもの、とりわけDOSに対する優越性があったのなら、少なくともMS-DOSの時代に、MacintoshはIBM PCとその互換機を圧倒していたはずです。日本市場で見ても、PC9800シリーズは完全にMacにとって代わられていたでしょう。しかしそうはならなかった…、どころか結果は逆だった、というのが事実です。ましてやアイコンベースのUIを採用したWindwsの登場以降は、MacintoshはWindowsに全く太刀打ちできませんでした。それが、現在のOS別シェア、すなわち「Windows 87.60%、Mac 5.61%」などという数字につながっています。厳然たる事実として、Macintoshは売れていないのです。過去にも、Windows機と拮抗するほど売れた時期は一度もありませんでした。
 だいたいUIなんてものは、慣れの問題が大きく、実際はどれも大差がありません。MacもWindowsも大差ないばかりか、最近はLinuxだって似たようなものです。私は現在、Ubuntu11.04を使っていますが、これも非常によくできたUIです。初期のLinuxのX Windowとは比較になりません。結局、キータッチベースのUIだろうと、アイコンとマウス操作をベースとしたUIだろうと、マウスが1ボタンだろうと2ボタンだろうと、画面タッチ型のUIだろうと、慣れれば何でも同じです。そして言うまでもないことですが、アイコンとマウスで操作するUIも画面タッチ型のUIも、Apple社が最初に開発したというわけではありません。

スティーブ・ジョブズとは何者だったのか? (3)へ続く…

●スティーブ・ジョブズとは何者だったのか? (1)

 Apple創業者のスティーブ・ジョブズが死去して、1ヶ月近く経ちました。依然として、リアル社会でもネット上でも、ジョブズの死を惜しみ、嘆き、業績を称える声が溢れています。自伝ははつばいされるやいなやベストセラーとなり、書店には自伝以外にも「ジョブスの言葉」「ジョブズの教え」的な書籍が山積みになっています。
 米カリフォルニア州は、10月16日を「スティーブ・ジョブズの日」とすることに決めたそうです。パロアルトでクリントン元米大統領ら著名人が多数出席してスティーブ・ジョブズ氏を偲ぶ追悼式典が行われた…とのニュースもありました。

 CNET Japanブログで「スティーブ・ジョブズからの贈り物」という一文を見つけたので、その一部を引用させて頂きます。
「…AppleはSteve Jobsの類い希な情熱と信念によって導かれてきました。それは決して儲けるためではなく、人々の生活をより豊かにするべく全身全霊をかけて行われたことです」
「…Jobsの思想と業績は、あらゆる所に影響を及ぼしています。もし彼がいなかったら、Androidやタブレットは今の形にはならず、音楽配信システムはどれも鳴かず飛ばずだったでしょう。もちろんMacも無いのだから、PCがどのように進化していたのか想像すらつきません」

 現在のApple社の利益と株式の時価総額を見る限り、復帰後のスティ-ブ・ジョブズが「図抜けて優秀な経営者」であったことは疑いようがありません。しかしそのジョブズは、「金儲けではなく、人々の生活をより豊かにするべく全身全霊をかけて行なった人」なのでしょうか? ジョブズがいなければ「Androidやタブレットは今の形にはならなかった」のでしょうか? 「MacはPCの進化に大きな影響を与えた」のでしょうか?
 さらには、彼の生前・死後を問わず多くの人が口を揃えて言うように、ジョブズは「IT業界のイノベーター」だったのでしょうか? ジョブズにはIT技術と人間の関わり方について本当に「未来が見えていた」のでしょううか? ジョブズは常に製品に対する「明確なビジョン」を持っていたのでしょうか? ジョブズは我々に「コンピュータの本質」を教えてくれたのでしょうか? そしてジョブスは「世界を変えた天才」だったのでしょうか?

 知っている範囲での、コンピュータ業界におけるジョブズの軌跡、創立以降のApple社の発展経緯を見る限り、私はけっしてそうは思えません。

 むろん、ガレージメーカーからスタートしたApple社創立の経緯は、夢のある素晴らしい物語でした。そこで生み出され70年代末にアメリカのパソコン市場を席巻したたAppleⅡ、この物語の中でジョブスが果たした役割は、まさにパーソナルコンピュータ史上に輝くものでした。
 そして1997年のApple復帰後に限定すれば、ジョブズが優秀な会社経営者であったことは事実です。「晩年のジョブス」が、カリスマ的な経営手腕を見せたことは間違いありません。
 一方で、AppleⅡの販売が失速し始めた1980年頃から、Appleを離れるまでの1990年代半ばまでの彼の企業経営はかなり行き当たりばったりであったように思うし、彼の影響下でAppleという会社が作り出したプロダクトと企業の発展経緯を見る限り、ジョブスはもともとコンピュータの将来に対して夢は持っていても、「確固たる見通し」なんてものは持っていなかったように感じています。

 今、世の中には様々な「ジョブズ語録」が公開されています。「公認」の自伝も出版されました。ジョブスが言葉で語ったとされる「夢」や「理想」「理念」、それはそれで立派なものかもしれません。しかし、ジョブズが興したAppleという会社がコンピュータの発展の中で果たした役割、AppleⅡから昨今のiOS搭載製品に至るまでのApple社のプロダクツとビジネスモデルを見ると、私にはジョブスの語る言葉がずいぶんと色褪せて聞こえてしまうのです。

 今回発売された自伝の中で、ジョブズは「私は、Androidを叩き潰すつもりだ。Androidは(AppleのiOSから技術を)盗んだ製品だからだ。そのためなら核戦争だっていとわない。この不正を正すのに必要であるなら、人生最後の日々をすべて使っても、銀行にあるAppleの400億ドルをすべてつぎ込んでもかまわない」…と語っていたそうですが、こうなるともう「傲慢」としか感じられません。
 また同じ自伝の中で、「ビル(ゲイツ)は基本的に想像力がなく、何も発明してこなかった。だから、テクノロジーより慈善活動をやっている今の方が心地良いのだと思う」と発言。さらに、「彼は臆面もなく、他人のアイデアを盗み取った」とこき下ろした…とのことです。私は、ジョブスが、ビル・ゲイツと比較してそれほど優れたビジネスリーダーであったとも思えません。また、ジョブズはいったい何を「発明」したのか、今ひとつわかりません。

 さて、別にスティーブ・ジョブズという人物の悪口を書きたいわけではありません。むしろ、ジョブスというほぼ同時代に生きた人間の死に、自分というちっぽけな人間の生きてきた道を重ねて、ある種の感慨、共感の気持ちを強く持っています。多少なりともコンピュータや通信の世界に関わってきた人間として、ジョブズの功績は高く評価しています。ジョブズ賛辞が溢れる中で、ジョブズ追悼の意を込めて、ここは私とAppleとの個人的な関わりについて、そして私にとってのジョブズ、または私の中でのAppleという企業の位置づけを確認するためにも、少し長い話を書いてみたいと思います。
 こんなひどい文章、誰かに読んでもらいたから書くのではありません。だから、考えをまとめずに思いつくままに書きます。ちょっと長いし、とりとめもない文になるでしょう。また、記憶だけに頼って書いていくので、事実関係や年代表記、前後関係、商品名表記等にいくつもの誤りがあるでしょう。気が向けば、読み直してきちんとした文章に直すかもしれないし、このまま放っておくかもしれません…

1970~80年代頃のこと

 アマチュア無線が好きだった私は、1970年代の初め頃からから「コンピュータ」「マイコン」という存在に魅了されてきました。むろん技術者としてではなく、あくまで「ただのユーザ」としてです。高校の3年の頃、よく読んでいたアマチュア無線雑誌に掲載されるマイコン関連の記事に強い興味を覚えましたが、当時は値段も高く、マイコン関連製品には手が出ませんでした(大学時代に発売されたTK-80ですら8万円以上だった…)。実際にパソコンを買ったのは、自分である程度お金を稼げるようになってからです。最初は1979年に発売されたPC8001(15~6万円?)を購入、その後1980年代前半までは国内外の様々な8ビット機をいろいろと買い込んでは遊びました。当時私は20代の半ば頃ですから、遅れてきたパソコン少年(?)だったわけです。もっとも「PC8001」を買った年にはバイク(ヤマハ「SR400」)も買ったので、ローンで首が回らなくなった記憶があります。
 遊び以外の用途では、PC8801とプリンタ、そして外付けの8インチFDDを購入して、ワープロソフト「JET-8801A」で、自宅で仕事の原稿書きに活用していた時期もありました。ニューヨークと東京を行ったりきたりしていた頃ですから、1982~3年でしょう。

 一方で1984年に独立して現在の会社を設立してからは、あらゆる業務にNECのPC9800シリーズを導入して使い始めました。1984年から約10年間で、9800シリーズとその互換機を何十台購入したのか記憶に無いほどです。Windowsは2.0から使いましたが、その後Windows3.0から仕事でDOS/V機(PC-AT互換機)を本格的に使い始めました。TCP/IPが実装されたWindows95以降は9800シリーズから完全に離れてDOS/V機を大量に導入してきました。また、80年代に入って最初はP2Pでのパソコン間通信、その後80年代半ばからパソコン通信ネット、90年代に入ってすぐの頃からインターネットをフルに活用してきました。ここまでは、私の世代の人間としてはごく普通の体験だと思います。

 そんな私は、1980年代の後半から90年代の半ば頃にかけて、仕事でAppleという会社、そしてMacintoshというPCとかなり深い関わりを持った時期があります。それのみならず、「マック・エバンジェリスト」として、またパソコンDTPの普及のために、Macintoshの素晴らしさ、Apple社の企業文化の素晴らしさを各所で伝道師のように説いて回ったものでした。

 AppleⅡの時代には、あくまで個人で使う「お遊びパソコンの1つ」に過ぎなかったのですが、確か1985~6年頃に、たまたま仕事上の必要から当時のAppleの総代理店であったキヤノン販売がMacintosh 512Kに日本語ROMを搭載して売り出した「DynaMac」を会社で購入したのが、Apple社のコンピュータとのビジネス現場での出会いです。その後、コンサルの仕事をきっかけに、日本の某システム開発会社が有名なMac用DTPソフトの日本語化を進めるプロジェクトに関係し、さらに大手電機メーカーのMacintosh用アミューズメントソフトの開発プロジェクトに関わりました。Macintoshとレーザーディスクを組み合わせたインタラクティブソフトの開発にも関わりました。
 そんな経緯から1988年の1月、サンフランシスコで開催されたMACWORLD Expoを初めて訪れました。以後、Macintoshの世界にどっぷりと嵌りました。Plus、SE、SE30、Ⅱ、Ⅱfx、Cx、Ciあたりまでの時期は、受託の仕事だけでなく、社内にソフトウェア開発部門を立ち上げ、Macintosh用ソフトの開発に自社で直接携わり、Apple社のオフィシャル・デベロッパーとして周辺機器のドライバの開発なども行ないました。1988年以降、1990年代半ばまで毎年のように8月のボストン、1月にサンフランシスコで行なわれるMACWORLD Expoに出張し、Appleの本社を訪れたりしたのも、今となっては懐かしい思い出です。
 ちなみに、Macintosh以外にも68000系のビジュアルシェルPCは個人的な趣味で購入し、1980年代後半には、Atari「520ST」、AMIGA「1000/2000」、シャープ「X68000」などを購入したことを思い出します。

 なぜ私は、一時期とは言え、これほどMacintoshに夢中になったのか? Macintoshの伝道師まで務めたのか? 答えは簡単です。そして、おそらく同世代の他の人と同じです。MacintoshやAtariなど1980年代半ば頃までの68000系のビジュアルシェルPCには、「オルタナティブな匂い」があったからです。
 Appleが創業した1970年代前半は、「パーソナルコンピュータ」それ自体がオルタナティブな存在でした。よく言われることですが、ジョブス、ウォズらがAppleという会社を作った背景には、もともと西海岸のカウンターカルチャーが存在したように私も感じていました。世界で最初にグラフィックUIとマウスオペレーションを実現した「Alt」で知られるパロアルト研究所の運営形態や一時期ジョブスが勤めていたAtari創業の背景にも、根っこには同じカルチャーがあったのしょう。遡れば、1968年を前後して世界的に高揚した「異議申し立て運動」、すなわちアメリカの公民権運動、ベトナム反戦運動、パリ5月革命、文化大革命、世界中で連動した学生運動…に始まり、そこから派生して西海岸で生まれたたヒッピーカルチャー、アシッド・カルチャー(ドラッグ文化)…、それらの残滓、残り香のようなものです。ジョブス自身が、そうした文化に影響されていたことは、自身の口から語られています。
 70年代に生まれたApple2だけでなく、80年代のMacintoshにも、まだそうした「カウンターカルチャーの香り」が残っていたからこそ、「マックを売りまくった『フリーセックス』ヒッピー・コミューンの歴史」…、こんな話も出てきたのでしょう。そして私もまた同じでした。
 Macintoshというパソコンには、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーの雰囲気、サンフランシスコを舞台に活躍したグレイトフル・デッドやジェファ-ソン・エアプレイン、アルバート・キング、ジョニ・ミッチェルらのサウンド、フィルモア・ウェスト(オーディトリアム)やウィンターランド・ボールルームの歴史に共通する「懐かしい匂い」が残っているように思いました。

 一方で、私が現在の会社を興した1980年代半ばから1990年代半ばにかけての10年間は、日本ではPC9800シリーズが絶対のシェアをとっていました。PC-9801F3が発売ざれた1984年のNECの国内パソコン市場シェアは約50%、1985年にはNECのシェアは約90%ぐらいはあったと思います。そのPC9800は、誰もが知る通り非常にクローズドなパソコンでした。バスなどの規格も固有のもので、周辺機器も増設機器もほぼすべてが98専用の製品を必要とした、ある意味で面白くもなんともないPCでした。PC9800に席巻された日本のパソコン市場は、新しいコンセプトのパソコンが生まれない、閉塞の時代を迎えていました。

 そのPC9800と較べて、初期の68000系Macは新鮮でした。例えばゲーム。Macのゲームで私が今も思い出すのは、「puppylove」です。これは1985~6年頃のパッケージだったと思いますが、犬に芸を教えながら育ててコンクールに出す…という内容で、一種の「育てゲー」です。当時の日本には存在しない雰囲気を持つゲームでした。「Vintage Mac Museum」というサイトに画面キャプチャーがありますが、モノクロモニタに映るpuppyloveの画面が非常に懐かしく思い出されます。当初、犬小屋の形をしたパッケージで売られていました。また、同じサイトにキャプチャーがありましたが、「ALICE CATCHR」も個人的には懐かしいソフトです。当時のゲームパッケージ、今も大事にとってあります。
 ゲームではありませんが、ビデオメディアと組み合わせたインタラクティブソフトにも面白いものがたくさんありました。「ミミ号の冒険」なんかは、今でも記憶に残っています。

 私自身、1980年代の後半頃からは、仕事で毎年のようにサンフランシスコを訪れていました。80年代の終わり頃からは、前述したようなMacの仕事に関わった関係で毎年1月にサンフランシスコで開催されるMacWorldExpoにも行くようになりました。当時のMACWORLD Expoの会場は、珍しい周辺機器を展示していたり、ユーザが中古のパーツや周辺機器を売っていたり、お祭り騒ぎのようで楽しかった。会場では、あのSE30を専用のショルダーバックに入れて肩に掛けて歩いている人をよく見かけました。アメリカ人は体力があるなぁ…と感心したものです。当時、サンフランシスコの中心部、ポストストリートがマーケットストリートにぶつかるあたりに、ソフト・ショップのEgghead(今は実店舗がなくなった全米チェーン店)があって、そこでよくEDUCORPのMacintosh用フリーソフト(今で言うシェアウェア)の入ったフロッピーを大量に買ってきました。そういえばEggheadでは、当時でも発売後ずいぶん経つコモドール64のゲームソフトなんかもまだ売ってました。またサンフランシスコ出張時に、Amiga 500やtandy「TRS-80 Model 100」など日本で入手しにくいパソコン本体をソフトとともに購入して、手荷物で日本に持ち込んだりもしました。
 余談ですが、1月にサンフランシスコを訪れると、ちょうど冬物のバーゲンシーズンにあたります。BARTに乗ってシスコ郊外のバークレーに出掛け、駅を降りてUNIVERSITY.AveをUCLAの反対側、サンフランシスコ湾の方へ下っていくと、右側にTHE NORTH FACEの巨大なファクトリー・アウトレットが、次いでさらに海に近いところにSierra Designsのファクトリー・アウトレットがありました。毎年、大量に買い物をしたのも懐かしい思い出です。Sierra Designsの定番の60/40マウンテンパーカが、ちょっと傷ありで100ドル前後で買えたのですから…

 取引先企業の研究所があったパロアルトやサニーベイルに、カルトレインに乗ってのんびりと行ったこともあります。また、シカゴなど東海岸からサンフランシスコへ移動中の飛行機が、サンフランシスコ湾に向かって高度を下げていく時、Appleの本社の上空を飛びます。そのとき、Apple本社の屋上に大きなリンゴの絵、初期のカラフルなAppleのロゴが見えると、わくわくしたものです。
 ともかく、当時のMacを始めとする68000系のビジュアルシェルPCとそのアプリケーション群には、日本で主流であったPC9800にはない、新鮮な雰囲気と自由な発想があったように思います。

 さらに私がMacに強く惹かれた理由のひとつに、DTPシステムの存在があります。MacがもたらしたパソコンDTPは、まさに「出版民主主義の実現」という言葉がふさわしいものでした。莫大な手間と機械とコストを必要とした組版をPC上で実現できたのですから…

 そんなMacとそれを取り巻く文化に対する期待と憧れが、次第に薄れていくのには、それほど長い時間を必要としませんでした。それはMacintoshが、あまりにもクローズドな世界へと閉じていったからです。オープンアーキテクチャの安価なDOS/V機が急速普及していく中で、いつまでたってもMacは増設パーツも周辺機器もバカ高く、IEEE1394(FireWire)とSCSIにこだわるなどI/Fまで特殊な路線が続いていました。そんなMacintoshへの関心は、徐々に失われていきました。Macは「イメージだけで売る高価なパソコン」と感じるようになってきたのです。

 実際に、Macは非常に価格が高かった記憶があります。1984年のMacintosh 512Kの本体価格が90万円、1988年に買ったMacintoshⅡの本体価格は70万円、純正モニタなど周辺機器を入れてメモリを増設したら120万円を超えました。1990年にDTP用に購入したMacintoshⅡciは、本体価格が140~150万円、Apple LaserWriter NTX-ⅡJは120万円、フォント入りHDDが20万円、純正CD-ROMドライブが20万円…と一式で300万円を超えました。今から考えるとバカバカしいほどの値段です。1990年頃のPC9800も高かったのですが、互換機(386マシン)なら上位機で平均で50~70万円程度でしたから、毎年のMacの複数台導入は経営面にも非常に負担になった記憶があります。

 80年代に入ってからオルタナティブカルチャーが衰退しアメリカの社会が変質していく過程と同じような過程を辿り、80年代半ばからAppleやAtariを含む西海岸コンピュータ文化の変質が始まりました。パーソナルコンピュータの機能面の劇的な進化に対応するように、パーソナルコンピュータとその周辺からオルタナティブなカルチャーが失われていったのです。90年代に入ると、シリコンバレーを含むベイエリアのコンピュータ産業はますます商業化、資本の集約化が進み、一方ではApple、サンマイクロ、シスコの成功に倣って一攫千金を狙うベンチャー企業が急増し始めました。文化から産業へ、夢から拝金へ…これが、パーソナルコンピュータを巡る基本的な流れとして90年代に定着しました。90年代の半ばには、ネットスケープ、Yahooが相次いで設立され、ネットビジネスの時代が始まります。
 むろんこうした見方は私の個人的な感想であり、もっと別の見方もあるでしょう。いずれしても、私がMacに対する興味を失っていったのは、まさにこの時期です。

 逆に、PC互換機陣営には圧倒的な勢いがありました。1990年にWindows3.0が登場しました。OSとしての完成度は、2.0までのWindowsをはるかに超えて、使いやすいものになっていました。1991年に試験的にIBM PC、すなわちDOS/V機を購入し、PC9800と比較併用する状況になりました。Windows3.0まではまだNEC版も使いましたが、さらにOSとしての完成度が高まった3.1の日本語(マイクロソフト版)が発売された1993年には仕事で使うDOS/V機(PC-AT互換機)を本格的に大量導入し、事実上社内でPC9800の利用をやめることにしました。安価で高性能なPCを自由に内外のメーカーから機種を選択して調達できる環境になったのです。486マシンが普及し始めたこの頃には、秋葉原には安価なショップブランドのPCを売る店、自作用のパーツショップが急激に増加し、コストパフォーマンスが高いPCをいくらでも簡単に調達できるようになっていました。
 こうした時期、つまり1990年代の半ばには、値段がバカ高い上、クローズドなMac環境にかなり嫌気が差してきており、Macintoshより安価でオープンなDOS/V機の環境でDTPを実現したいと考え、いくつかのメーカーのプロジェクトに参加もしました。

 いずれにしても、こんな感じで一時期のMacintoshに入れあげた私から見て、現在のMac、そしてMacだけでなく、iPod、iPhone、iPadを含めたApple社の全てのプロダクトは、全く魅力がありません。理由は簡単です。あまりにも「クローズドな世界」だからです。


スティーブ・ジョブズとは何者だったのか? (2)へ続く…

2011年09月28日

●Galaxy S2を海外で使う

 日常生活に手放せないツールとなりつつあるGalaxy S2について、どうでもいい小ネタ話を2つ書きます。

 まずはGalaxy S2のカメラ機能についてですが、これが画質も機能も予想外に優秀で驚いています。iPhone4のカメラと較べて、画質も機能も一段上です。まあ、数年前のコンデジのエントリー機と同等レベルと言ってもいいでしょう。発色はけっこう素直だし、ダイナミックレンジもそこそこ、推定30ミリ程度の広角寄りの画角も使いやすいし、マクロも悪くありません。
 Galaxy S2のカメラ機能については、ネット上にこんなレビュー記事があり、ここでほとんど言い尽くされているのですが、個人的にもコンデジ専用機並みにレスポンスが速い点がいちばん気に入りました。要するに、電源さえ入っていれば、サッと取り出してサッと撮れます。カメラ画面に常時表示しておくショートカット用の機能アイコンをカスタマイズできますから、これを使って露出補正もISO感度変更も一発です。さらに、GPSをONにしておけば(普段はバッテリーライフの問題でOFFにしていることがあります)、後述するように海外旅行などで撮った写真を、位置情報付きで記録できます。暗所撮影機能も、かなり優秀な部類に入るでしょう。私はあまり使いませんが、フルHD動画もいい画質です。
 なお、シャッター音を消せないので(root化で消す方法がありますがまだ実施していません)、飲食店などでの撮影には不向きな場面もあります。また、店内画像などをtwitterでアップする際、画像の容量を減らすために標準カメラの画素を変更するのも面倒。こんな時、私は「タテヨコカメラ」という無音カメラのアプリを使っています。使いやすくて、気にってます。

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 私のようなデジカメ好きでなければ、Galaxy S2があれば日常記録用に持ち歩くコンデジは不要…と言い切っても良いレベルです。今後普及するスマホに全てこのレベルのカメラ機能が搭載されれば、普及タイプのコンパクトデジカメの売れ行きに大きな影響を与えることは確実です。

 ところで、9月上旬の海外出張時に、SIMロックを解除したGalaxy S2を持参して、主にタイでプリペイドのNet SIMを利用してみました。タイでは、3Gと2GのNet SIMを入手できます。3Gは高速接続が出来るのですが、バンコクですら3G接続できるエリアはけっして広くありません。ましてや地方都市では3Gはほとんど普及していません。一方で2Gのデータ通信速度は最大128kbps(GSM-EDGE方式)程度が多く、動画の視聴やデータ量の多いホームページ閲覧などには適しませんが、メールの送受信やツイッター、テキストベースのニュース閲覧程度なら問題はありません。

 タイでは30時間ネット接続できるプリペイドの「Net SIM」が、100バーツ(260円)以下で入手可能です。2Gのデータ通信は、パケット量ではなく通信時間単位でデータ課金を行う仕組みが一般的です。こうした「Net SIM」は、通話用のSIMと同様に、空港の携帯電話ショップや、街中のコンビニ、携帯電話ショップ等で購入して、SIMロックを解除したスマートホンに挿し、現地で普通に使うことができます。30時間のSIMなら、1週間程度の滞在期間中に、毎日数時間ネットに接続できます。

 私はホテル近くのセブンイレブンで買った69バーツ(約190円)のAISのNet SIMと、99バーツ(約260円)のTlueの3G+WiFiのNet SIM(通話不可)を交互にGalaxy S2に挿して、約1週間の出張期間に毎日、メール送受信、Twitter投稿、ニュースサイト閲覧等に使いました。2Gでの接続ながら、Twitterでは写真添付も問題なく、サイト閲覧もそこそこ快適に利用できました。バンコク市内はむろん、バンコクから150kmほど離れた仕事先の工業団地がある地方都市でも、問題なくネットに接続できました。
 バンコクはWi-Fi環境もほぼ東京並みですから、ホテルやカフェなどでは普通にWi-Fi接続で使えます。Wi-Fi接続とうまく併用すれば、2Gの128~384kbpsで十分です。

 なお、通信時間単位でデータ課金を行う仕組みのプリペイドSIMを利用する場合は、課金を止めたい時(つまり使わない時)は、通信・接続そのものをスマートホン側の設定でオフにするか、スマートホンの電源を切っておく必要があります。
 また、3G回線に対応した高速通信型「Net SIM」も、試しに使ってみました、タイの場合だと価格が200バーツ(500)程度で、最大1カ月間、1Gバイト分まで利用できる…といった設定になっています。

 そして、これは重要な情報ですが、ドコモ版のGalaxy S2の場合、SIMロックを解除しても海外のSIMでテザリングは使えません(root化しておけば使えるように設定できます)。海外でスムーズにスマホでテザリングをしたければ、現地で安価なSIMロックフリーのテザリング機能付きスマートフォンを購入した方がいいでしょう。

2011年08月31日

●非常に使いやすい「Galaxy S2」

 Galaxy S2は本当に使いやすい端末です。CP/コンテンツ開発という仕事柄、スマートフォンはwindows mobile端末、Blackberry、iPhoneと一通り使ってきました。Androidは、初代のXperiaに始まり、IS01、IS03、IS05、MEDIAS WPなどいろいろと使ってみましたが、機能やUI、操作性、使い勝手などあらゆる面でiPhoneに1日の長があると感じ、事実自分でもここ1年はiPhoneを日常的に使ってきました。ところが、GALAXY S2を使うようになってから、iPhoneを全く使わなくなりました。高速CPUと大容量メモリによる動作のサクサク感、マルチタッチ操作を含むユーザインタフェース、ディスプレイの視認性、カメラの性能など、どの点でもiPhone4と遜色がないか、GALAXY S2の方が上回っています。
 また、ここへ来てAndroidのアプリが急速に充実しつつあり、iPhoneアプリと機能面で遜色がない実用アプリが大量にラインアップされつつあるのも追い風です。

 あと操作性やUI面でiPhone4と同等ならば、回線のつながりやすさでドコモはストレスが溜まりません。ソフトバンク回線は特に屋内環境使ってられません。都内でも、飲み屋なんかで使えないところが多過ぎます。テザリングも簡単で、私はWi-Fiルーターを持ち歩くのをやめてしまいました。
 また、Android端末はWindowsPCやLinuxPCとの親和性が高いのも魅力。オープンな情報処理環境で簡単に使えます。汎用のUSBケーブルで接続すればそのままデバイスとして認識され、ファイルを直接見られます。ソフト無しでPCとのファイル転送が可能です。だから画像からドキュメント、動画まで様々なファイル形式のビュアーとして使うのには非常に便利です。MicroSDなど汎用外部メモリが使えるのも非常に便利です。私は32GBのMicroSDを挿し、内臓メモリの16GBと併せて外部メモリの容量に全く不満はありません。
 さらには内臓バッテリーを簡単に交換できるので、iPhoneのように外部電源を持ち歩かなくとも、充電した予備バッテリーを2~3個持ち歩けば問題は解決です。加えて、GALAXY S2はSIMロック解除ができるので海外、特に出張先に多いGSM圏でプリペイドSIMを挿してそのまま使えます。むろん私の周囲ではSIMロックフリー版のiPhoneをドコモ回線で使っているユーザもいますが、かなり高くつきます。GALAXY S2ならSIMロックフリー版が3万円台で普通に購入できます。ちなみにGalaxy S2はroot化も簡単です。
 こうなると、いちいちiTunesを起動して専用ケーブルを接続しないと何も出来ないし、インターフェースが特殊で何をやるにも全て専用の周辺機器を必要とするクローズドな端末であるiPhoneなど、面倒臭くて使ってられません。

 私は昔から、携帯用のPC、そして各種PDAに代表される小型の情報端末が異常に好きです。ミニPCは、IBM「PalmTop PC110」、東芝「Libretto」シリーズ、NEC「mobio」等々、PDAに類する端末としてはシャープ「Zaurus」、NEC「モバイルギア」、ドコモ「シグマリオン」、カシオ「カシオペア」、HP「iPAQ」等々、さらには、スマートフォンでは「FOMA M1000」や「W-ZERO3」など、実に1980年代後半あたりから、ありとあらゆる小型端末、携帯端末を使ってきました。
 そして、3G回線を使うスマートフォンが普及した最近では、これまでこれらの小型情報端末でやってきたことの多くをスマートフォンでやろうと、いろいろと試みてきました。3GS以降のiPhoneは、過去に使ってきた携帯型情報端末に連なる端末として非常に良く出来ていると思ったのですが、Galaxy S2を使ってみて考えが変わりました。やはり携帯端末は、できるだけオープンな規格の範囲で使える方がいい。そして処理速度が速い方がいいと思った次第です。
 Galaxy S2に不満が無いわけではありません。例えば、音質は全然ダメでDAP代わりには使う気がしません。でも、当面は日常生活の中でGalaxy S2を手離せそうにありません。

2011年06月22日

●ラオス、メコン川への24時間ミニトリップ

 6月初旬、クアラルンプール、バンコクへの1週間の出張があり、その出張の合間、土曜日の午後から日曜日の夕方まで、約24時間の短い休暇が取れました。その短い時間を利用して、メコン川を見に行こうと思い立ちました。
 で、選んだのはタイ東北部の町、ナコンパノム。メコン川西岸に位置するナコンパノムは、対岸のラオスの町ターケークに船で渡れる場所です。
 簡単に行けるところで、川を船で渡って国境を越えられる場所というのは、世界的に見てもあまり多くはありません。アジアやヨーロッパなど「川が国境」という場所は非常に多いけれど、イミグレーションがあるような都市、町にはたいてい橋が架かっていて、外国人は陸路でしか通れないケースがほとんど。船で渡れるのは、普通は地元民だけです。
 タイ-ラオス国境もたいていは陸路。ノンカイからビエンチャン方面へ行く場合も、国境越えは陸路。ナコンパノムの南のムクダハンも、友好橋が完成してからは外国人は陸路でしかラオスへ行けなくなりました。知っている範囲では、タイ北部のいわゆるゴールデントライアングル地域のチェンコーンからラオスのラオス国境の町フェイサーイ間が確か船で国境を越えられると思いますが、ここは24時間では往復できません。
 今回行ったナコンパノムも、現在町の北部にメコン川に架かる橋を建設中です。ちなみに、Wikipediaの「ターケーク郡」を読むと、「現地の人用に国境ゲートがあり、船でメコン川対岸のナコーンパノムに渡ることができる。旅行者は渡ることはできない。2009年より、ナコーンパノムとの間で第3タイ=ラオス友好橋の建設が行われている。完成の予定は約3年後である」と記述してありますが、この「旅行者は渡ることはできない」は間違いです。現時点では外国人でも船で国境を越えられるし、ラオスは日本人は短期間の滞在なら数年前からノービザです。そして、まもなく橋が完成すれば、外国人は船での国境越えが出来なくなるはず。ナコンパノムからメコン川を船で渡って国境を越える…、これが最後のチャンスです。

 そのナコンパノム、バンコクからは飛行機で行けますが、1日1便だけ。ドンムアン利用のLCC「ノックエア」の便です。前日、金曜日の午後にネットで予約しました。ノックエアと言えば相変わらず冗談のような鳥の顔の機体デザイン。とてもタイ航空の子会社とは思えません。で、仕事が終わった土曜日の夕方、小さなデイパック1つに1泊分の着替えとデジカメを入れて、タクシーでドンムアン空港へ向かいました。かつて国際線でよく降り立ったドンムアンは、スワンナプーム完成後は国内便専用空港ですが、やっぱり便利だし非常に懐かしい感じ。
 搭乗したノックエアの機体は双発のプロペラ機、ATR 72です。小さなプロペラ機に乗るのは久しぶりですが、離陸後の旋回で機体がぐっと傾くところが、けっこう気持ちよくて好きです。ノックエアは座席番号が予約されるし、1時間半のフライトでも軽食が出るのが、他のLCCよりちょっとハイクラスです。
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 さて、1時間半のフライトで、無事ナコンパノムの空港に到着。約20kmある川沿いの町までどうやって行こうかと考えていたら、リムジンサービスがあり、乗合のミニバンでホテルまで50バーツでした。
 ホテルはメコン川のほとりに立つ、ナコンパノム・リバービューホテル。ナコンパノムでは最大で唯一の近代的ホテルです。ゲストハウスや小さいツーリスト用ホテルに泊まるのは面倒だったので、事実上ここしか選択肢がありませんでした。前日に電話で予約しておいた、リバービューの5階角部屋に通されました(翌日のレイトチェックアウト料金込みで約2500バーツ)。広い部屋の窓から見えるのは、息を呑むような夕暮れのメコン川。対岸のターケークの町の背後には中国の桂林のような石灰岩の奇峰が連なり、不思議な光景です。

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 その夜は、近くのレストランで食事でもしようと考えていたのですが、ホテル近辺には何も店がありません。で、ホテルのスタッフに聞いたら、南へ10分ほど歩いたところに川沿いのレストランがあると…。そこへ行きました。メコンの川原にせり出した桟敷のような席に座り、どっぷり日暮れた暗いメコンの川面と対岸のラオスの点々とした明かりを眺めながら、正体不明の焼き魚とガイヤーン(鳥の炭火焼)でビール。小雨が降る中、自分以外に客もいない、静かなイサーンの夜が過ぎていきます。その夜は、早々とホテルに帰って寝ました。

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 翌朝、早起きしてホテルで朝食を摂り、朝8時にラオス行きの船着場へ向かいます。雨季なのに、この日は運良く快晴でした。ホテルからトゥクトゥクに乗って川沿いに10分ほど走ると、イミグレーションです。

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 ここで、まずはタイの出国手続きを済ませ、川に面したイミグレーションの建物の裏手から急な階段を下りると、そこが船着場。

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 泊まっていた渡し舟は30人乗りぐらいで、料金は60バーツ。乗船者はパスポート不要で普段着で行き来するラオス人とタイ人以外に、ベトナム人が多い。ナコンパノムはベトナム国境まで150kmしかないため、陸路ラオスを横断してタイまで買出しに来るベトナム人が多いのです。ターケークのバスターミナルからは、ベトナムのハノイやビン、ダナンへ行くバスが1日何本も出ています。

 このあたりのメコンの川幅は約1km、対岸のラオスの船着場がよく見えます。いったん上流に大きく迂回した船は10分ほどで対岸の船着場に到着。

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 手すりもない急な階段を恐る恐る登ると、そこがラオスのイミグレーション。入出国カードを渡され、記入して入国手数料とともに軍服姿の係員に渡すと、入国目的と滞在期間を聞かれ、今日中に戻ってくると言うと、パスポートに簡単に入国スタンプを押してくれました。女性の入国係官が、パスポートの私の名前を声に出して読んでいたのが面白かった。で、晴れてラオスに入国です。事前に何も調べず、ガイドブックも読まずに来たので、本当に入国できるかどうかちょっと不安でしたが、簡単に船でラオスに入国できました。

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 こうして朝のターケークの町に着いたのですが、地図もなく町の概要もわかりません。前々夜にバンコクのホテルでネットで調べた時には、ターケークは数軒のゲストハウスがあるだけの小さな町で、ほぼどこへでも歩ける…とあったので、まあなんとかなるだろうと、イミグレ近くに一軒だけあった小さなお店で、アイスコーヒーを飲みながら、メコン川を眺めてしばし休憩。歩くには暑過ぎるので、イミグレ横の小さな広場に集まっているトゥクトゥクのうちの1台と、町を見物したいから1~2時間乗せてくれと交渉すると、結局「50バーツ」で話がつきました。ターケークではラオスのお金だけでなく、バーツやドルも使えます。タイのAISのSIMを挿した携帯電話もそのまま使えます。

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 いちおう舗装してあるメインストリートは、家も商店もまばら。道端で牛が草を食んでます。まずは町の中心部、郡のオフィスがある一帯へ行きます。辺りは少し街並みがにぎやかで、ぶらぶらしながら写真を撮り、次に市場へ行きます。数百軒は店があろうかという大きな市場は、売っているものも珍しくて非常に面白く、ちまきなどを買い食いしながら、1時間近くも見て回ってしまいました。

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 ターケークでは、英語は全く通じませんが、タイ語はOKです。市場を出て、その後トゥクトゥクに街中をぐるっと回ってもらい、お昼近くにイミグレ付近へと戻ってきました。メコン川沿いに南へちょっと散歩して、正午過ぎにはイミグレでラオスを出国、渡し舟に乗ってナコンパノムへと戻ってきました。

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 ナコンパノムの町を散歩してホテルへ戻り、夕方にはチェックアウトをして空港へ。無事バンコク・ドンムアン空港へと帰着しました。

 たった24時間のミニトリップでしたが、大河メコンの印象的な夕暮れと朝焼け、牛やヤギが草を食む赤茶けたラオスの大地を堪能し、短時間ながらとても満足した旅になりました。
 ちなみに、ターケーク郡があるカムムアン県には東南アジア有数のカルスト地形が広がり、大きな鍾乳洞などがあるので、機会があればまた別ルートでゆっくりと行きます。

2011年05月18日

●首都圏の汚染

 ひどいことになりました。人生の先が読めません。前にも書きましたが「まさか自分が生きているうちに、こんな事態を見ることになろうとは…」という気持ちが、ますます強くなってきました。

 大げさな話でもなく、むろん危険を煽るための話でもなく、常識的に考えれば、時間の問題で東京を含む首都圏は人が安心して住める場所ではなくなりそうです。いや現時点でも既に、東京は赤ちゃん、小さい子供のいる家庭が安心して住める場所ではありません。
 ようやく文部科学省が公開したWSPEEDI情報によれば、関東・静岡・山梨のほぼすべての地域が、チェルノブイリの汚染区分でいう「第3区分(放射線管理エリア)」に入っている可能性があります。
 いまや、東京の放射能汚染による危険度は、福島県と大差がないと考えています。WSPEEDI情報によって、また福島第一から約300km離れた神奈川県南足柄の茶葉から高濃度のセシウムが検出されたことによって、多くの人が首都圏の土壌も相当に汚染しているという事実を知ったでしょう。住民のパニックと経済活動の停滞を恐れる東京都は、公式な土壌の線量測定を行なっていませんが、民間団体・研究機関の調査では、東京都内各所の土壌から高濃度の放射性物質が検出され続けています。ジョージア大学のダラス教授の調査では、江東区豊洲で福島県郡山市の数値よりも高い線量を計測しています。近畿大の調査では江東区で放射性セシウムの濃度が1㎡あたり3千ベクレルを超えていた…との報道もありました。
 さらにその上、福島第1原発からは今なお毎日「154テラベクレル」の放射性物質が放出され続けており(海に放出される汚染水を除いても)、「放射能ダダ漏れ」に関しては事態収拾の見通しは全く立っていません。東電の工程表など誰も信じておらず、今後数年間に渡って放射性物質の放出が続くことはほぼ確実です。今後、この広範囲な土壌汚染は日を追って濃度が高まるわけで、1年後に東京を含む首都圏が「人の住める場所」であるかどうかの予測すらつきません。むろんこれは、今後福島第一原発で水蒸気爆発や再臨界などの破局的な事態が起こらない前提での話であり、そうした事故が起こる可能性に加えて、余震・台風等による原子炉や格納容器の更なる破損の可能性もあるわけです。事態の推移次第では、ヨウ素やセシウム以外にも有害な放射性物資が拡散するかもしれません。これらを考え合わせれば、今、福島原発からわずか200kmしか離れていない首都圏に住み続けている方がおかしい…のかと、真剣に考えてしまいます。

 首都圏が人が住めなくなるほど汚染される…ことの衝撃は、日本という国の存在の根幹を揺るがすものです。東京都市圏(一都三県)のGDPは、日本全体のGDPの1/3以上に達します。
 ただ、今後首都圏が、仮にチェルノブイリ「第2区分(移住可能エリア)」レベルの汚染状態になったしても、実際には人は住み続けるでしょう。また政府のメンツもあって、首都の移転は当面はないでしょう。東京や横浜、千葉市やさいたま市の人口が急激に減るとは考えられません。市街地の一部が既にチェルノブイリ「第1区分(強制移住エリア)」に相当する汚染に見舞われている福島市や伊達市、郡山市ですら、大半の人が「避難」や「移住」を躊躇っています。これは何も、多くの人が政府や御用学者による「安全キャンペーン」に騙されているから…というわけではなく、誰もが、避難や移住をすると「食べていけなくなる」からであることは間違いありません。仮に、「安全キャンペーン」を信じる人がいたとしても、それは「食べていくためには避難できない、だからこの程度の放射能なら安全であると信じたい」…という意識が働くからでしょう。

 しかし、今後、首都圏がチェルノブイリ「第2区分」程度に汚染されるとなると、例え首都圏から離脱・移住する人間が少数に留まったとしても、経済的には非常に大きなダメージを受けます。
 まずは、土地取引の事実上ストップと地価の暴落です。日本全体の地価合計の半分近くを占める首都圏の地価の暴落によって、メガバンクを含む金融機関は決定的なダメージを受けるでしょう。資金繰りがつかなくなった企業の設備投資も止まります。むろん、汚染を嫌う企業の首都圏脱出が相次ぐでしょう。首都圏から関東北部にある生産拠点の海外移転も加速します。全ての外資系企業は、事実上首都圏から撤退していきます。こうした動きが、さらなる経済の停滞を招き、首都圏の商業、サービス業は壊滅的な打撃を受けるでしょう。特に中小・零細企業や飲食業などは、大半が経営が立ち行かなくなるはずです。生活のために避難を留まったはずの人々が、結果的に生活できなくなるケースが増えてくるはずです。そして、福島原発により近いエリアからの人口流入が相次ぎ、経済の停滞と失業者の急増に伴って東京の一部がスラム化するなど、一気に治安が悪化する可能性もあります。将来に対する不安感の増大が、治安の悪化に拍車をかけるかもしれません。そして、こうした状況の中で発行し続ける国債が紙切れになり、円が暴落し、ハイパーインフレが起こる可能性すらも否定できません。
 こうした事態に対して、国が、政府が、何らかの有効な手立てを打てるとは思えません。政府や官僚が無能だから…という理由以上に、おそらくは日本という国の現在の「国力」、すなわち「経済力」が、こうした事態に対応できる力を持っていない…と思うからです。「日本人には耐える力がある」「日本には底力がある」と国を信じている人もいるでしょうが、何事にも「限度」があり、今回の事態は「国力の限度を越えた」と理解しています。

 汚染範囲が拡大するにつれて、北海道を除いて関東以北、東北までの広範囲なエリアで、農・畜産・漁業は壊滅するでしょう。デタラメに基準値を緩めて国民に無理に汚染野菜や汚染肉、汚染魚を食べさせている現状も、まもなく行き詰ります。放射性物質が降り積もった土地で農業を再生できるような「土壌の徐染」が本当に可能なのかよくわかりませんが、少なくとも10年単位で、北関東、南東北での農・畜産業は不可能になります。ここでも大量の失業者が生まれ、これはむろん、東電や国が所得保障、生活保障できる範囲を遥かに超えるでしょう。

 一時は、真剣に東京離脱を考えていた私ですが、今はこの汚染された地に可能な限り踏み留まって、行く末を見てやろうとも思い始めました。何だか「一時期繁栄を誇った文明の末路を見届ける」といった心境です。まあ、自分は放射能に対する感受性がかなり低くなった年齢だからこそ、こんなことが言えるのかも知れません。また、可能な限り内部被爆を避ける手立てを尽くすつもりですし、この年齢でも本当に危険になったと判断したときは、国に殉じるつもりは全くありません。ただ、千葉県北部の、かなり高い線量が検出された「ホットスポット」にある公立病院で小児科医師として働く長男は、当面は今の職場で勤め続けるとのことで、心配しています。また、原発から南西90kmにある家人の実家でも深刻な土壌汚染が進んでおり、特に中学生の従姪の健康が心配です。

2011年04月14日

●徒然なるままに脱出ルートを考える

 福島原発については、日々事態が悪化するように感じます。少なくとも明るい兆しはありません。ここ数日大きな余震も多いし、破局的事態が起こる可能性は減っていません。そんな中で日々眠り、食べ、遊び、そして仕事をしています。まあ自分は年も年ですから、何が起こってもジタバタしない…と言い切れればいいのですが、なにぶん往生際の悪い性格な上に、こんなくだらない「人災」で苦しんだり死んだりするのも癪です。というわけで、大規模な水蒸気爆発や水素爆発など、一気に首都圏にまで放射線被害が及ぶような事態に至った際には、ジタバタと逃げようと考え、いろいろと算段をしています。保険関係、登記関係等の書類、貴重品、オフィスのデータをバックアップしたポータブルHDD、それに若干の着替え、非常食等がグレゴリーの25Lのバッグにまとめてあります。
 私の場合は名古屋に実家があるので、まずは何とか名古屋まで辿りつき、そこで少し事態の推移を見守る余裕があれば、状況を見極めた上で必要に応じてアメリカかアジアへと海外脱出をしようと考えています。国際線のチケット取得もそのうち困難になりそうなので、とりあえずバンコク発券の1年間オープンチケットでもネットで買っておこうかと考えている次第。

 さて、まず名古屋へ脱出すると言っても、その名古屋までどうやって辿り付くか…です。電車に乗れれば、それがベストですが、仮に大規模爆発や余震による原子炉の致命的損傷等のニュースが報道されれば、その瞬間に東海道新幹線の切符を購入することは不可能になるでしょう。飛行機も無理でしょう。
 新幹線がダメなら、普通電車を乗り継ぐという手もあります。東海道線なら、熱海行き、浜松行き、大垣行きと普通電車を乗り継げば、なんとかたどり着けるかもしれませんが、これとて乗れる保証はありません。同様に長野新幹線や中央線も乗車は難しいでしょう。そこで、人があまり乗らない路線を乗り継いで西へ向かうことを考えるとよいかもしれません。例えば、自宅は練馬なので、西武線または東武線に乗り、JRの八高線に乗り換えます。そして高崎まで行ってそこで信越本線に乗り換える…というルートなら、長野県に入れる可能性があります。同じように、一般の人がダイレクトに西へ向かうのを尻目に、京浜東北線や高崎線を使って北へ向かい、迂回して中部、関西地方へ向かう手もありあそうです。
 そして次に家人と一緒にクルマで脱出する方法もあります。我が家のクルマは、現在満タンのガソリンが47リットル入っています。燃費のいい小型車なので、地方道中心に走れば多少渋滞に巻き込まれてもほぼ10km/lは走るでしょう。そうなると無給油で450kmは行けます。東海道沿いはむろん、長野や新潟を回っても名古屋まで十分に辿りつける計算です。
 問題は、西へ向かうのにどのルートを使うかです。東名、名神、関越の3つの高速道路は絶対に不可能でしょう。むろん、一般国道もR1やR20、R246などダイレクトに西へ向かう道は避難するクルマが殺到して渋滞で身動きが取れなくなるのは必須です。また、R17からR18に入って碓氷峠を越えるルートもクルマが殺到しそうです。
 そこでまず考えたのが、自宅がある練馬起点では使いやすいR254で藤岡、下仁田経由で内山峠を越えて佐久へ抜ける道。しかし、これはけっこうメジャーな道なので、動けなくなる可能性が高いかもしれません。群馬と長野の県境にある峠としては、内山峠の南に田口峠(県道下仁田・臼田線)があり、これはちょっと有望ですが、下仁田まではR254を走る必要があるので、あくまで内山峠のエスケープルート的な位置づけになるでしょう。
 県境をちょっと南下すると長野県道108号に繋がる余地峠がありますが、これは自動車通行不可です。
 それより南にある群馬と長野の県境にある峠は、大上林道で大上峠を越える道、そして割とメジャーなR299の十国峠越え、県道124号のぶどう峠越えがあり、いずれもクルマで通行が可能です。ぶどう峠の南に中之沢峠がありますが、これは確か自動車の通行は不可ですね。さらに南に下れば中津川林道で三国峠というコースがあります。ここは大部分が未舗装だし道幅も狭いので危険です。
 これまでに挙げた中では、十石峠もかなり悪路なので、大上峠越えか、ぶどう峠越えがよさそうです。これなら練馬の自宅から秩父あたりまで間道と裏道で渋滞を避けて行けるので、主要国道を使わないでいいメリットがあります。
 あとは山梨県へ抜ける道もあります。青梅街道から大菩薩峠がポピュラーですが、これはメジャーなルートなので混みそうです。むしろ秩父からR140で雁坂峠を越えて甲府に抜ける方がクルマが少なそうな気がします。
 まあ、こんな風にシミュレーションしていますが、1人であれば車ではなくスーパーカブを使うので、確実にたどり着ける自信はあります。また、歩いてもたいしたことはありません。1日40kmは楽に歩けるので、西武秩父あたりまで電車に乗れば、あとは1~2日で長野県に出られるでしょうし、そこからはまた鉄道が使えるはずです。

2011年03月31日

●漠然とした不安

 間引き運転の通勤電車は今日も満員でしたが、待たされても混んでいても誰も文句を言わず、サラリーマンやOLが黙々と職場に通っています。職場では1日中FMラジオを聴いていますが、番組のパーソナリティが殊更に「元気に」とか「明るく」を連発しています。聴いていると、かえって暗い気持ちになります。まあ、東京は全体的に重苦しい沈黙に覆われているような気がします。あえて最悪の事態を考えないようにしているのでしょう。不安を持つ人々は、精一杯自制心を働かせて、日常生活を維持しているのでしょう。
 昨日明らかになった千葉県八千代市の浄水場の汚染隠しに代表されるように、政府もお役所も全ての情報をリアルタイムで公開する気は全く無いようです。私たちは、何が不安だと言って、情報を全て得られないことがいちばん不安なのです。買い占め、買いだめをするな…と言っても、政府やお役所が八千代市のような情報隠しをやっている限り、絶対に無理です。基準値以下であっても福島県や茨城県、千葉県産の野菜を全く食べない人が多いことを「風評被害」だといって怒る人がいますが、見当違いです。実は汚染されているのにそれを発表していない、意図的に全ての産地の土壌や野菜を検査していない…と誰もが疑心暗鬼になっているから、安全を見越して食べないだけのことです。
 食品から検出される放射能の安全基準値、水道水の安全基準値を、原発事故後に1桁書き換えたことを、今や誰もが知っています。政府がこんなデタラメをやっているから、誰も野菜を食べなくなるし、メネラルウォーターを買い占めたりするのです。

 また、常にネットで情報を収集し、移動中もスマートフォンを離さず、twitterをはじめとするソーシャルメディアを駆使して有益な情報を交換している「情報強者」なんて、実はホンの一握りの人間の話です。年配者を中心にネット環境とは無縁の人間もたくさんいるし、若くて携帯電話やスマートフォンを所有してSNSで遊んでいる人であっても、実は「情報弱者」の方が多いことは誰でも知っている通りです。社会階層という言い方が差別的だと非難を受けるのならば、「情報社会階層」なるものが存在することは、まったく周知の事実です。その情報社会階層で低いところに位置する人間、すなわち「情報リテラシーが低い人間」が、実は社会の大半を占めているのが現実です。そういった階層に属する人たちが、水やトイレットペーパー、ガソリンなどを買い占めすることを、情報リテラシーが高い人間、または自分で高いと思っている人間が、上から目線で批判しているのをTwitter上などで見かけると、ムカつきます。情報リテラシーが低い上に、政府やお役所からまともな情報を得られなければ、不安になって自己防衛の行動に走るのは当然です。

 実際のところ、いくら放射能を不安に思ったところで、東京脱出なんて大半の人にとっては不可能です。いや東京どころか、福島原発から50km~60km圏に住む100万人以上の人々だって、大半が自主避難なんてできないでしょう。仕事のこともあるし、子供の学校のこともある、何よりもお金の問題があります。住んでいる場所から長期間離脱できる人は、よほどお金に余裕がある人か、住む場所に関係なく仕事ができる「高いスキルを持つ自由業」「特殊技能を持つ人」ぐらいでしょう。世間の90%以上の人は、住む場所を簡単に離れることはできません。

 さて、原発の事態は深刻です。専門家も全く先が見えない状態です。大量の放射性物質が大規模に拡散する破局的な事態が起こるのか起こらないのか、どうすれば事態が収拾へ向かうのか、また事態の収拾に何年かかるのか、誰もわからないのが現実です。今回の事故とその後の経緯は、人類が初めて経験するものです。
 例え破局的な事態を回避できたとしても、当面の間、少なくとも数ヶ月以上は「放射能ダダ漏れ」状態が続きます。ダダ漏れ状態が年単位で続くかもしれません。いくら「直ちに健康に影響が無い」とはいえ、累積して浴びる放射線の量は、今後も徐々に増えていくのです。被災地の近くだけでなく、関東一円に済む数千万人の人々の間で、不安感は今後さらに増幅していくでしょう。外出や遊びを控える人が増える中、経営的に立ち行かなく飲食店や、倒産する中小企業も増加するでしょう。被災地でなくとも、収入が減る人、収入が途絶える人がどんどん多くなってくるでしょう。景気後退もあって、将来の生活に対する不安感は、今後日本中に広く蔓延するはずです。

 今はまだ、震災からあまり間が無い時期でもあり、震災の被災者を思いやる気持ちも強いので、誰もが黙々と日々の不安に耐えて生活しています。停電に文句を言う人もほとんどいません。
 しかし、震災から日が経つにつれて、震災のショックも薄らぎ、さらに避難所などに暮らす悲惨な被災者の状況も、多くの人にとって「日常のニュース」と感じるようになってくるでしょう。そうなった時が怖いのです。この東京を覆っている重苦しい不安感が、どのような形で放出されるのか、非常に気になります。
 原発が破局的な事態を迎える以前に、社会不安から何かが起こる…、私はそんな恐れを抱いています。既に被災地での犯罪の多発が報告されていますが、東京を含む関東圏の治安も、今後悪化するかもしれません。
 そして私は、こうした心配が杞憂で終わることを、心底望んでいます。

2011年03月22日

●普段どおりの生活

 依然として情報が不足しています。私が政府に要求したいことは基本的に、CNICのこちらのページに書かれていることと同じです。そして、twitterでも書きましたが、フランス、ノルウェーなど海外の気象関係機関が放射性物質の飛散シミュレーションを公開しているのに、日本政府が緊急時環境線量情報予測システム(SPEEDI)のシミュレーション結果を公開しないのは実に不可解です。

 東京・練馬区に住み、毎日池袋のオフィスに通っている私は、当然ながら現在の状況では、まだ東京から避難するつもりはありません。東京でも昨日来、数日前の3倍程度の放射線量が計測されていますが、まだ健康に大きな害をもたらすレベルではありません。クライアント企業との連絡も今のところ通常通りですし、特にキャンセルされた仕事も無い以上、仕事を続ける義務があります。自分の家庭でも、特に買い占めや買い溜めもしていません(スーパカブだけはガソリン4.5リットル満タンにしておきました)。
 ただ、今後、福島第一原発で核燃料の溶融(メルトダウン)、大規模な爆発、使用済み燃料プールからの放射能大量放出…といった事態に至り、東京上空に大量の放射性物質が降り注ぐという状況が予測される場合には、当然ながら東京から脱出することになります。こうした事態がいつ訪れるかわからないので、準備だけでもしておこうと考え、いくつかのことを実行しています。
 まずは、仕事関係です。私の仕事は基本的にネット環境があればどこでもできるのですが、社内のメイン端末内の大量のデータをポータブルHDDにバックアップして持ち出せるようにしています。また、ノートPCへのデータ移行も進めており、基本的には2台のノートPCと数台のポータブルHDDを持ち出せば、日本中どこでも仕事ができるように準備しています。
 クライアントのシステムを預かっているサーバーは、富山のデータセンターと東京のデータセンターに分散されています。当然全てがRAID構成で、さらに別のHDDにもバックアップする形になっています。しかし、特に東京データセンター分は、長時間大規模停電も含めて今後何が起こるかわからないので、オフラインのバックアップを作ろうとダウンロード作業も始めました。

 個人的には、移動中でも飲んでいる時でもリアルタイムで情報を得られ、家族も含めて誰とでも連絡を取れるように、バッグの中に複数の端末を入れて持ち歩いています。具体的には、ドコモ回線のWiFiルーター、iPod Tuch、au回線のIS05、ドコモのガラケーの3種類と、外部充電装置を持ち歩いています。先日の震災直後の徒歩帰宅体験以来、バッグも持ち歩きやすいようにKELTYの18リットルのデイパックに変えた他、靴もロックポートのウォーキングシューズを履くようにしています。デイパックの中には、バンドエイド、抗生物質、傷薬を入れ、さらにラジオ、LEDライト、予備電池、GERBARの小さなナイフも入れています。

 さあて、こんな生活がいつまで続くのでしょう。でも、毎晩飲むのはやめません。新刊書を買って読むのもやめません。できるだけ普段どおりに生活し、消費して、経済の活性化に少しでも貢献しようという気持ちは変わりません。

2011年03月18日

●震災後の日常雑感 その2

 ネット上の情報だけでなく、様々な企業(電力会社や原発製造関連企業も含め)に勤める人間や医師などの個人的な交友関係からも、可能な限り情報を集めていますが、現時点はまだ自分自身がどの段階でどんな行動をとるべきか判断できません。昨日以降の北風が強まる状況の中では、さすがに不安な気持ちも強まってきます。また、今朝のニュースで流れた「6400本の使用済み燃料」の話も含めて、情報がきちんと出てこない状況には苛立ちます。「この程度の放射線なら健康に害が無い」という言葉よりも、「その量をどれくらい長期的に浴び続けると健康に害が出るのか」、そして「現在の対処方法が上手くいって事態が収束したとき、どの範囲の人が、どの程度の期間、どの程度の放射能を浴びるのか」、さらには「現在の対処方法がうまくいかなかったときはどうなるのか」「妊婦や子供への影響はどうか」…といった本当に知りたい情報は、公的には全く流されません。
 こうなると、200km以上離れた東京に住んでいる自分自身の話は置いておくとしても、ほぼ50km圏にある郡山市や福島市、二本松市、ほぼ100km圏に入る会津若松市、喜多方市、そして政令指定都市である仙台市、山形市、米沢市あたりに住む人々、さらには東京と較べればかなり原発に近い150km以内にある水戸市や宇都宮市あたりに住む人たちですら、情報不足による不安と苛立ちが募っていると考えられます。
 多くの欧米系メディアの論調は、事故の現況から見て20Km圏の避難では不十分、最低でも半径50Km、半径100kmといった圏内の住民は避難すべき…が主流です。では、なぜ政府は50kmあたりまでの避難計画を実施しないのでしょうか。政府も、アドバイスする専門家も、最悪の事態を想定しても20km圏で安全だと考えているわけではないでしょう。できればもっと広範囲に避難を進めた方がよいとわかっているかもしれません。
 しかし、原発災害の際の避難対象地域は、現行の国の指針では、基本的に原発から半径10km圏内を想定しているとのことなので、政府にも東電にも今回の事故の規模自体が想定外で、実は半径20km圏以上、ましてや50km、100kmの避難計画などは、もともと存在しなかった可能性があります。さらに、50Km圏なら100万人、100km圏なら250万人の人が避難することになるわけで、そもそも現在の政府の能力では、移動手段も他県への受け入れ態勢も構築することが不可能な事態なのかもしれません。加えて、100km圏には、震災、津波の避難者がたくさんいます。避難所や被災地にはまだ食料も燃料も十分に届いていないというのに、そうした人たちを含めての大規模避難計画を立てることは、今の政府の行政能力では不可能のようにも感じます。
 どうも私たちは、根本的な行政能力、そして危機管理面での能力が大きく欠如した不幸な国に生まれてしまったようです。別に民主党が政権党でなくても同じだってでしょう。ここで政府や東電を批判・非難しても別に事態がどうなるわけでもないので、こうなると「自己責任」と「助け合い」によって国民が自らの命を救うしか道はありません。
 東京でも自己判断で避難を始める人が増えててきました。西へ向かう新幹線や飛行機はほぼ満席状態だそうです。今後は、国が新幹線や飛行機の座席販売を管理し、妊婦や子供の避難を優先する手法をとる必要があるかもしれません。
 オフィス近くの100円ショップの店頭で、箱に山積みした状態で放射能除けのビニールカッパを販売していました。あまりに凄惨な津波被害の光景に加えて、近所で放射能除けのビニールカッパを売っている光景を、自分が生きているうちに見ることになるとは思ってもいませんでした。

2011年03月15日

●震災後の日常雑感

 まずは、震災、津波の被害者の方にお悔やみを申し上げます。さらに、まだ瓦礫の中に生存者がいて、低下する気温の中で生命の灯火をかろうじて持ちこたえているかもしれないと思うと、やりきれません。自衛隊、消防団、海外からの救助隊、自らが被災者でありながら救助に参加している人々…、皆さんの努力には頭が下がりますが、本当にやきもきしてしまいます。
 三陸海岸は、私が最も好きな土地のひとつです。かつて何度も日記に書いたように、週末ごとにバイクでツーリングをしていた若い頃の私が、ロングツーリングに最もよく行ったのが三陸海岸でした。仙台から国道45号線を北上し、北山崎や田老などの北三陸から八戸に至るコースは、十数回は行っています。あの柳田國男「清光館哀史」で書かれた小子内あたりに見られるような、何でもない普通の三陸海岸の光景が、たまらなく好きでした。その三陸海岸に住む人々を襲い、気仙沼、大船渡、陸前高田、宮古、久慈といった都市から、名も無い海岸の集落、そして浄土が浜や北山崎の絶景に至るまで、人の営みと美しい風景を根こそぎ破壊した今回の津波は、言葉で言い表せないほど悲しい出来事です。

 そして、数日来情報が錯綜している原発事故については、東京に住む私たちも被害者になる可能性ができてきました。家人の実家が茨城県北部の福島県との県境にあり、福島第一原発からの距離は90km余りです。また千葉県北部の公立病院では、研修医の息子が小児科病棟で働いています。いまだ過酷な状況に置かれている被災者のことを思いやると同時に、そうした身内のことが気にならないといえばウソになります。
 確かに徒に不安を煽るのはよくないことでしょう。しかし、もし今の私に被爆被害の影響が大きい幼い子供がいたら、現時点で東海地方にある自分の実家へ非難させることを考えたでしょう。200kmを越えて重大な被爆被害が拡がったチェルノブイリの被災範囲を見ても、東京も含めて関東一円がかなり危険な状況にあることは間違いありません。ましてや先に挙げた家人の実家がある茨城県北部や、津波被災地でもある大都市の仙台あたりは、福島第一原発からの距離がわずか100km以下です。今後の事故の推移や風向き次第では、数十万人単位で生命に関わる大量の被爆者が出る可能性は十分にあります。
 今回の事故については、どう考えても情報が少な過ぎます。現場の状況、各地の放射能のモニタリング値、風向きとそれによる影響の被爆シミュレーション結果など、正確な生の情報がリアルタイムで欲しいと思っているのは、私だけではないでしょう。特に再臨界を起こす可能性と、起きた場合の被爆シミュレーション結果を、できるだけ早い段階で公表して欲しいものです。
 また、TVを見ていると、被災者に平気でマイクを突きつけるレポーターや、記者会見などで東電職員に怒号や罵声を浴びせる記者など、マスコミの粗暴で不快な振る舞いが目立ちます。確かに事実は知りたいですが、こんな時こそ粗野で無神経な振る舞いはやめて欲しいものです。

 そして、何できない自分はといえば、twitterにも何度も書いたように、できるだけ普通の日常生活を送ろうと考えています。普通に仕事をやり、仕事が終われば飲みに行き、好きな音楽を聴き、友人と語らい、そして通販で買い物をする…といった日常生活です。過剰な「自粛」はしませんし、友人知人と飲んで語ることが「不謹慎」だとも思いません。むろん、買占め、買い溜めもしません。ヨウ素とセシウムが検出されたという東京の空の下で、今夜も飲みに行く予定です。
 どうか、現場で作業する方々の不眠不休の努力と危険を顧みない勇気の結果として、再臨界という最悪の自体が避けられますように…

2011年01月26日

●8,200円のデジカメ

 オリンパス「XZ-1」、「どうしても使ってみたい」という気持ちに負け、購入予約してしまいました。ちょっと安くなるまで待とうと思ったのですが、物欲に負けました。発売日が楽しみといえば楽しみなんですが、一方で立て続けにボディを2台も買って旧レンズで遊んでいるGF1やら、相変わらず主に国内外の出張・旅行時に持ち歩いているGRD3やらの出番との兼ね合いはどうなるのか、ちょっと心配でもあります。

 で、今回はこの「XZ-1」の話ではありません。ハイエンド機の「XZ-1」については、発売後にあらゆるマニアユーザがレビューを書くでしょうから、私などが書くようなことはありません。
 今回私が紹介したいデジカメは、型落ち機種のSONY「DSC-W350」です。これ、先日買い物のためにオフィス近くの家電量販店に立ち寄ったら、10,500円でポイント22%で売っていたので思わず買っちゃいました。ちょうどポイント分でその時買おうと思っていたモノが買えたので、実質8,200円で購入できた激安デジカメです。8,200円といったらトイデジカメの値段で、別に画質云々で文句を言うようなものでもないし、何よりも名刺サイズと撮影時重量117gは魅力です。かつて愛用したSONYの超小型デジカメ「DSC-U30」でさえ、本体重量89g、単四2本を含む撮影時重量は約123gですから、「DSC-W350」の方が軽いわけです。これで、1410万画素のCCD、26mmからの4倍ズームに、光学式手ぶれ補正がついているのですから、まったくもってデジカメの機能進化は恐ろしい。先日、CASIOの「Z2000」を12,000円台で購入した時にも思ったのですが、型落ちとは言えこの機能の「DSC-W350」が8,200円で買えるのでは、メーカーや販売店の収益を心配してしまいます。
 「DSC-W350」はちょうど1年前に発売された機種。発売後数ヶ月は実売価格が1万円台後半ぐらいだったでしょうか。まあエントリークラスというよりはちょっと上の機種だったと思います。機能だけでなく、ボディもそれなりにしっかりとした作りでチープ感はありません。そして、中級機以上は裏面照射型CMOSセンサーばかりになった昨今、個人的にはCCD搭載機としての魅力もあります。

 さて「DSC-W350」を購入して4日間、毎日ポケットに入れて持ち歩いて、いろいろと撮影してみました。それが、けっこう使い勝手がいいんです。小さいが故にグリップにちょっと難がある他、シャッターの感触が今ひとつ、起動時間とメディア記録時間が1呼吸分遅く感じるのですが、それ以外には操作性に特に不満はありません。画質も満足です。むろん、「実質8,200円で買ったカメラにしては」…という前提付きですが。プログラムオートで撮る晴天の屋外では、まあ素直に写ります。特に派手な色でもなく、発色も自然です。人物撮影も、肌の色など悪くない。悪条件のノンストロボの室内撮影や夜景なども、あまり破綻することがありません。特に夜景は、よく撮れます。夜景は、シーンモードを使わなくてもプログラムオートで十分です。ISO感度オート設定でも割と感度低めで撮れるのがいいですね。
 また、画素が非常に小さい1410万画素のCCDにしては、画像にギスギスした感じがありません。撮影画像を等倍で見ても(こういう見方は嫌いですが)細部がのっぺりとつぶれた感じがなく、けっこうナチュラルな画像処理が施されています。同じ1400万画素の「Z2000」の画像処理よりは、好感が持てます。しつこく繰り返しますが、「実質8,200円で買ったカメラにしては」とても自然でよい画質です。文句はありません。

 結論として、この値段なら「DSC-W350」は実にいいデジカメです。サイズと重量で見れば、かつて使ったカメラでこれに匹敵するのはCASIOの名機、固定焦点の「EX-S20」ぐらいでしょう。このズバ抜けて優れた携帯性は、カバンを持たないで街歩きをする海外旅行時などには非常に魅力的です。夜景を含む街角スナップなら、これだけ写れば十分です。実は私、この値段で買えるうちに、もう1台買っておこうかと思っています。
 ホント、チープなカメラを使うのは楽しいです。

 「DSC-W350」で撮った、夜景画像のサンプルを掲載しておきます。

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2011年01月07日

●クリエイティブ「ZEN Touch2」

 年末にクリエイティブメディアの3.2型液晶搭載のDAP「ZEN Touch2」を購入しました。直販サイト限定販売のGPS搭載8GBモデル「ZN-T2G8G-BK」です。Androidは2.1です。
 普段、Wi-FiルーターでiPod TouchとSC-01Bを使っているので、ZEN Touch2も持ち歩いて、ネット接続しながらしばらく使ってみました。といっても、Web閲覧、メール送受信、Twitterがメインですが…。ちなみに、何か変わったツイッタークライアントを使ってみようと思い、大和ハウス工業が提供している、家を模した「デスクトップジーヴォ」を入れてみました。写真のアップもしやすいし、それなりに使えます。

 で、「ZEN Touch2」を2週間ほど使ってみた感想は、次のようなものです。

・起動に時間が掛かり過ぎる。
・抵抗膜方式のタッチパネルは、けっして使いよくない。
・特にタッチパネルでの文字入力がストレス。
・Android Marketに直接行けないのが面倒。
・DAPとしては、音質も悪くないし使い勝手もまあまあ。ただしキビキビとは動かない。
・抵抗膜のせいか、動画再生時など画質が悪い。画面が少し霞んで見える。

 けっこう使えるのが、搭載している200万画素のカメラ。CMOSカメラでけっして写りがよいわけではないんですが、極端にビビッドな発色でまさにトイデジっぽい写り。これがけっこう面白いかも。撮影中に動かすと、例の「グニャッ」とした写真も撮れます。「ZEN Touch2」で撮った画像を上げておきます。

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 結論ですが、「ZEN Touch2」はわざわざ購入するような端末ではありません。情報端末としても音楽プレヤーとしても、いずれも機能が中途半端です。まあ、人柱になったということで、満足するしかないでしょう。

 ところで、12月に声帯ポリープの手術を受けましたが、その後、喉の調子、声の調子はまだ完全に戻っていません。発声がちょっとつらく感じる時がありますし、声もかすれます。まあ、元に戻るにはそれなりに時間が掛かるのでしょう。気長に養生するとします。

2010年10月22日

●GF1+Pentaxレンズ

 PK-m4/3マウントアダプタを使って、GF1+Pentaxレンズの組み合わせで遊んでいます。

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 上の写真は、M50mm F1.4をつけた状態。Pentaxはフランジバックが長いので、当然アダプタも厚めになります。このアダプタにM50mm F1.4をつけるとさすがにバランスはよくありません。しかし、けっこうキレのある画像を撮ることができます。撮影画像を載せておきます。

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2010年10月11日

●いつのまにかGF1が2台に…

 中途半端なフォーサーズにもミラーレスにも特に興味もなく、ここまで個人的には手を出さずに来ましたが、この夏になってパンケーキキットで4万円ちょっととあまりに激安化したGF1を購入してみて、けっこうハマっています。
 何よりも、背面のダイヤルを使った露出補正、そしてfnキーに割り当てた暗部補正を瞬時にコントロールできること。さらに、背面ダイヤルでプログラムシフトを変更できるので、基本的にPモードだけで8割方撮影できます。後2割はAモードです。日常の撮影は、どんなシチュエーションでもよく写る20㎜ F1.71本で十分。付けっ放しで裸でカバンに入れておけるので、快適にスナップできます。モデルチェンジ末期の製品とは言え、非常に使いやすい完成度の高いカメラだと認識を新たにしました。
 パンケーキでスナップを撮るだけで終わればよかったのですが、手持ちのレンズで遊んでみたくて、PK-m4/3マウントアダプタを購入しました。これはPentaxマウント用アダプタですから、50mm F1.4やF1.7、135㎜ F3.5などを付けて遊んでいます。さらに先日、CY-m4/3というコンタックスマウント用アダプタを発注しました。まだ手許に届いていませんが、これは手持ちのTessar45mm F2.8を使おうと思ったから。この有名なパンケーキ、もともとはYASHICA FX-3というボディについたままで友人から譲り受けたもの。あまりGF1につけた話を聞かないし、けっこうサマになりそうだとも思い、マウントアダプタを発注した次第です。
 さて、GF1話はまだ続きがあります。最近では、取材や商品撮影にも手軽なGF1をよく使うようになり、そうなるととりあえず標準ズームの14-45mm F3.5-5.6も買っておいた方が便利だと考えました。でもこのレンズ、安いとは言え25000円ぐらいします。そう思っていたら標準レンズ付きキットが45000円程度で買えるじゃないですか。これを買えば、予備のボディが2万円で手に入ることになります。…というわけでGF1の標準レンズ付きキットを購入してしまい、その結果GF1ボディが2台になりました。後は、仕事でさらに活用するためにLEICA DG MACRO45mm/F2.8を購入予定です。

2010年09月27日

●校歌の話

 twitterでも絶賛し、「2010年新書のベスト5に入る」と断言できる、中公新書「歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ」(渡辺裕)を読んでいて、その中の「第5章 校歌をめぐるコンテクストの変容」という部分を読んで、ふと自分の小・中・高校時代の校歌を思い出しました。
 第5章の内容はといえば、近代国家形成のための「国民歌謡」として位置づけられた校歌が、当初は国民の国家や地域への帰属意識を高めるために使われ、戦時期には国威発揚的な歌詞と旋律が蔓延し、戦後は戦後で労働運動やサークル運動の影響を受けるなど、まさに時代と共に校歌のコンテクストが変容していくプロセスが記述されており、校歌王・山田耕作の話なども含めて、非常に興味深いものでした。
 ところで、私が入った大学の校歌、応援歌ともに戦前に制定された曲ですが、小・中・高校はいずれも戦後制定された校歌(高校のルーツは明治に遡るそうですが)ですので、それなりに自分が生きてきた時代の雰囲気を残したものです。中でも私が通った高校の校歌は、妙に軽快で素直な曲で、在学中から「あまり校歌らしくない」と思っていました。
 このblogではあまり個人情報を書きたくないのですが、私の出身高校の校歌はこちらです。作詞:勝承夫、作曲:平井康三郎…とあります。この母校の校歌を作った平井康三郎という作曲家はけっこう著名な人で、文部省唱歌もたくさん作っており、特に有名なのが「山は白銀 朝日を浴びて~」で始まる「スキー」という曲。私も小学校の音楽の時間に歌いました。
 で、問題はこの文部省唱歌「スキー」(知らない方はこちらでお聞き下さい)が、その母校の校歌にそっくりだということです。いやどれくらい似ているかというと、メロディ、リズム、テンポを併せた曲調全体で見ると、ほぼ「盗作」に近いぐらい似ています。細かくメロディを追ってみても、相当に類似の旋律が使われていますね。
 「歌う国民」を読んだ今になって思うのですが、私が通った高校の「妙に明るい校歌らしくない校歌」は、太平洋戦争敗戦後のホンの一時期続いた暗い時代が終わり、まさに将来への希望に満ちた日本を国民的なアイデンティティとして確立せんと国民歌謡作りに邁進した作曲家、作詞家によって作られたものであったわけです。
 ところで、この平井康三郎という作曲家は、全国の小・中・高校の校歌をおそらく100曲以上は手がけています。ネットで検索すると出てくるわ出てくるわ、東京の公立小・中・高校だけで20曲以上見つかりました。しかも、母校の校歌と同じく「作詞:勝承夫、作曲:平井康三郎」というのが全国には非常に多いのです。そうなると、実は詩も曲調もそっくり似た校歌が、全国にたくさんあるということになりそうです。また、曲だけを見れば、母校と同じく「スキー」そっくりの曲の校歌だって、あちこちにあるのでしょうね。

2010年09月15日

●もっとWi-Fiを!

 予約しておいた新型iPod touchは出荷が9月末になりそうです。iOS4.1を搭載したこのiPod touch、巷間では「poor man’s iPhone4」と呼ばれているそうで、まったくその通りに違いありません。しかしカメラとGPS関係の機能差を除けば、iPhone4とほぼ完全に同等の機能を使える上、逆説的ではありますが、3G回線に縛られない分、通信料金やらキャリアの2年縛りやらを気にせずにかえって気楽に使えます。私のように、ドコモ回線につながるWi-Fiルーターを使っていれば、どこでも接続できますし、この手のモバイルWi-Fiルーターなど使わなくても、自宅と街中のWi-Fiアクセスポイントを利用するだけで十分だという人も多いでしょう。
 それにしても、私が最近思うのは、もっと大量の公衆アクセスポイントを設置しWi-Fi網を本気で拡大・普及させようという事業者が、なぜ登場しないのか…という疑問です。

 私の場合、現時点で確保している公衆Wi-Fiアクセス手段は3つです。まずは契約している既存サービスはNTT東日本のフレッツ・スポット、ソフトバンクのYahooBBです。さらにfonルーターを公開する形で使っていますので、全国のfonアクセスポイントと、fonが提携するライブドアのアクセスポイントを利用できます。この3種のアクセス手段を確保していることで、まあ主要なJRや地下鉄駅、さらにはチェーン系のファーストフード店のほぼ全部、そして東京なら山手線の内側のほぼ全域で(部分エリアですが)Wi-Fiアクセスが可能です。しかし、現実的に「いつでも、どこでも」Wi-Fiを使おうと思うと、これだけでは不足です。

 例えば私のオフィスがある池袋程度の規模の街ならば、繁華街の範囲は約2Km四方で、その面積は4平方キロメートルです。この範囲の50m四方のグリッドを設定し、各グリッドに1つのアクセスポイントを設置していけば、ほぼ繁華街全域で利用できる計算になります。4平方キロメートルは4000000㎡、50m四方は2500㎡、これを割れば合計1600のアクセスポイントでほぼ池袋の繁華街全域をカバーできるわけです。むろん、建物の影や建物の中など、グリッド内の全ての場所で使えるわけではないことは十分に承知の上です。しかし、あらかじめ十分にアクセスポイントの設置場所を計算すれば、路上を含めて相当広い範囲でWi-Fi利用が可能になることは確かです。こうしたやり方で、次々と全国の主要駅周辺や繁華街をWi-Fiネットワークで塗り潰していく形でサービスを提供することは、容易なはずです。

 一方で、街全体をカバーする広域公衆Wi-Fi網の整備計画は、2005年頃に米国のサンフランシスコやフィラデルフィア、シカゴなどで相次いで計画され、いずれも短期間で計画が頓挫した経緯があります。
 また日本でも、商用の公衆Wi-Fi網については現行サービスプロバイダ以外にも、かつて多くの事業者が参入し、そして採算ベースに乗らずに撤退していきました。現行の事業者も、より大規模なAP整備計画を持っていたにも関わらず、採算上の問題からエリアの拡大に踏み切れないでいます。
 米国でも、日本でも、Wi-Fi公衆網の普及が中途半端な状態になっているのは、採算性の問題です。まず、3G並みにアクセス不可エリアを無くすためには予想以上に多くのアクセスポイントが必要なこと、課金システムの構築に費用が掛かること、高額課金を是とするユーザが少ないこと…などから、投資に見合う採算が取れないということです。その結果、公衆Wi-Fi網の整備が2007年頃までの状態で事実上頭打ちになっているというわけです。

 しかし、2005~2006年あたりと2010年現在とは、実は状況は大きく異なります。言うまでも無く、iPhone、Androidに代表される急激なWi-Fi搭載スマートフォンの普及と、今後進むであろうタブレットデバイスの普及です。現在多くのスマートフォンユーザは、接続環境さえあれば3GではなくWi-Fiで繋ぎたいと考えています。何も3G並みのエリアを確保しなくとも、先に挙げたような主要な繁華街やビジネス街で路上も含めて、今よりももうちょっと広い範囲でWi-Fiが使えるのなら、それなりにお金を払っても良い…と考える私のようなスマートフォンユーザは多いでしょう。また、今よりもうちょっと広範囲でWi-Fiが使えるのなら、新型iPod touchなどを使って3G契約なしでスマートフォンを使う…というユーザも増えるはずです。さらに、音声通話もIPベースで…と考えれば、人口カバー率50%程度のWi-Fiネットワークが提供されれば、月額2000円程度のお金を払うユーザは相当数出てくるでしょう。

 加えて、Wimaxなど3.5G、3.9G、4Gと比較して、Wi-Fiが「こなれた技術」であることを忘れてはいけません。Wi-Fiは、最も低コストで無線基地局(AP)ネットワークを構築でき、低コストで安定した性能でしかも極限まで小型化された送受信モジュールを調達することができます。
 Wi-Fiなら、PC、スマートフォン、タブレットデバイス、携帯ゲーム機、そしてデジカメやSDカードに至るまで、どんな機器にでも簡単かつ安価に機能を付加することができます。IEEE 802.11a/b/g/nなどの相互接続性の認定を行っているWi-Fi Allianceによれば、認定を取得した機器は2009年に5億台を越えているとのこと。現在のスマートフォン普及の速度を考えれば、今後は年間1億台ペースでWi-Fi搭載端末は増えていくでしょう。これだけ莫大な数の端末が存在するのですから、ビジネスモデルによっては広域Wi-Fiネットワークサービスを提供しても採算可能なビジネスモデルは存在するはずです。一定エリア内でWimax網を整備するよりも、Wi-Fiメッシュを整備する方が、基地局インフラから端末まで含めた全システムの合計コストは安いはずです。

 特に、先に挙げた「音声通話もIPベースで」という話は、今後のネットワークビジネスの鍵となるはずです。アップルやAmazonに限らず、携帯電話キャリアの動向に依存せずに、端末販売、コンテンツ販売のビジネスを展開したい企業は多いはず。例えそこに「音声通話」へのニーズが加わっても、無線LANネットワークとIPベースの音声通話技術があれば、別に携帯電話キャリアと提携する必要はないからです。

 いずれせよ、もっと大量の公衆アクセスポイントを設置しWi-Fi網を本気で拡大・普及させようという事業者が登場することを切に願う次第です。

2010年09月07日

●バカ教師

 「都立練馬高校でプールの給水バルブの設定を間違えて水を出しすぎ、7月下旬からの約1カ月間に不要な流水が推定約6600立方メートルあったと発表した。必要な量の10倍の水を流し、水道代が510万円分、よけいにかかった。」…という昨夜のニュース。

各メディアに掲載された学校側のコメントは、次の通り。

「水温を下げて藻の発生を防ぐためだったが、バルブを調節せず水道メーターも確認しなかった。」

「毎日水道使用量をチェックしていたが、これまでの使用量との比較をしないため気づかなかった」

「顧問の女性教諭(39)は給水量が多いことに薄々気づいていたようだが、給水栓の管理は男性体育教諭の役割だったため、バルブを少し閉めただけで、給水を止めなかったという」

 笑えないなぁ。こいつら本当に、救いようがないバカ。「毎日水道使用量をチェックしていたが、これまでの使用量との比較をしないため気づかなかった」…に至っては、オマエはサル以下の知能しかないのか、と言ってやりましょう。まあ、関係者による弁償は当然ですが、それ以上に大きな問題があります。
 こんな無責任でバカな「先生」達に教えられている高校生はかわいそうです。…ってか、無責任なバカが教えるんだから、結果的に無責任でバカな生徒にしかならないはず。今の高等教育の現場って、こんなものなんだ…

2010年09月02日

●誰もが、もっと自由に本を出版すべき

 書籍化されてさらに有名になった、たぬきちの「リストラなう」日記に、「無名人が本を出すには?」というエントリーが掲載されていました。私も自著を何冊も出しているし、書籍のリライトや編集、さらには出版のプロデュースなどを生業にしていた時期があります。そうした経験から見ても、架空のインタビュー形式になっているその内容自体に異論はありません。でも、ここには肝心なことが書かれていません。要するに、本は出版社など通さなくても「勝手に出版できる」という事実です。無名人であろうと有名人であろうと、本を出版するのは実に簡単だという現実です。

 これまでに何度もここに書いてきたように、電子出版ならば、自分で書籍を書いて、それをただPDF化するだけで売ることができます。あらかじめ断っておきますが、これはアメリカでamazonが行っているKindleのようなビジネスモデルが存在しなくても、個人で勝手に電子出版をしてしまえる…という話です。
 さて、PDF化するとは言っても、同じPDFでもコピー防止のフォーマットなどを採用すると多少面倒なことにはなりますが、そんなフォーマットを使う必要はありません。とりあえずは市販ソフトを使って標準PDF化するだけでよろしい。そしてPDFファイルをサイトに置き、ダウンロードさせてダウンロードに対して課金すればいいだけです。
 ちなみに、特にコピー防止機構にこだわらないのなら、PDF以外のフォーマットでも別に構いません。HTMLファイルで配布しても構いません。また、図やイラストなどを使わないテキストだけの小説なら、テキストファイルで配布してもいいのです。

 とは言え、図版やイラストなど画像情報のハンドリングや検索機能等を含めて考えるならば、やはりPDFが優れています。そして今、PDFが読める手頃な端末が世の中に溢れています。パソコンや、Windows搭載タブレットなどは当然PDFreader、PDFviewerです。その他、PDFviewer機能を搭載した端末としては、話題のiPADやKindleDXがあります。意外と知られていないのですが、DR1000Sも日本語PDFが読めます。そしてGood Readerを使えばiPhoneでもPDFが読めるし、標準的なAndroid端末ならBeamReader PDF Viewerを使って、たいていのPDFファイルは読めます。さらに、国産ガラケーの中にも、ドコモのSH900iを始めPDFリーダーが搭載されている機種があることはあまり知られていません。要するに、世の中でよく使われている携帯型端末の大半でPDFを読むことができます。加えて、今年の秋ごろからは、android、Windows併せて数十種のタブレット端末が市場に投入されそうです。

 しかし、Amazon-Kindleのようなビジネスモデルを使わず、コピー防止機能も無いファイルフォーマットで、パソコンサイトから有料でテキストコンテンツを販売する…なんてビジネスモデルが本当に成り立つのか、本当に売れるのか?…と、疑わしく思っている人は多いかもしれません。しかし、主にパソコンで読むためのテキストをこうした形で販売する試みは、実はかなり以前から広く行われており、しかもジャンルによっては一定の成功を収めていたのです。
 このやり方で、昔からけっこう売れていたのは、「エロ小説」とやはりエロ系の「同人小説」です。同人系サイトなどは、銀行振込みという古典的で面倒な決済手段しかなくても、それなりに利益を出していたところがありました。官能小説系出版社などは、実は最も早い段階で電子出版を成功させていたのですが、こうした事実はあまり知られていません。そして、エロ系のコンテンツが売れるのなら、エロ以外のコンテンツだって売れるのです。

 Webサイトからの決済方法についても、様々な仕掛けを利用することができます。ネットで調べればすぐにわかることなので、細かい方法はここには書きませんが、個人サイトでもクレジットカード決済機能を導入することは可能です。その他、でじたる書房のような、個人による電子出版を仲介してくれる仕組みもあります。むろん、iPhene用アプリを自分で作れるのなら、iPhene用アプリとして出版するのもアリでしょう。

 私は「本が売れない」とは思っていません。確かに出版の売上げは落ちているし、前のエントリーでも書いたように「大学生が本を読まない」なんてこともあるのでしょうが、それでも「読む人は読む」のです。逆に言えば、昔も今も、本なんて物は「全体の2割の人間が、8割の本を読む」という世界であることに変わりはありません。そして、普段はあまり本を読まない8割の人間だって、安くて面白そうな本があれば、飛びついてくる可能性は十分にあります。
 自分で書いて自分のサイトで売る電子出版は、1冊100円の本を売ることができるのです。1冊3万字程度で定価100円の本を次々書いて50種出版し、仮にそれぞれが100部ずつ売れれば、合計5000部、50万円の売上げです。こんなささやかなビジネスモデルでも、個人でなら可能です。
 わが国でも、amazonのように個人が出版しやすい電子出版のビジネスモデルが登場するのは、そう遠い将来のことではないでしょう。しかし、それまで待たなくとも、そしてどんな無名人でも、明日にでも本を出版することができるのです。

2010年08月24日

●メディアの「危機耐性」

 Twitterではつまらない本だと感想を書いた光文社新書「街場のメディア論」(内田樹)を読んでいたら、ラジオというメディアが優れているのは「危機耐性」が高いから…と書いてありました。「送受信共に大掛かりな設備がいらない」という点がその理由ですが、これには私もまったく賛成です。中でも、小出力でも長距離伝播特性に優れた「中波放送」は、特に危機耐性が高いメディアと言えます。
 実際に、太平洋戦争中の日本で連合国側のラジオ放送を聴いて大本営発表のウソを知っていた日本人は多いし、今の北朝鮮の人民がこっそりと西側の情報を知ろうと思ったら、少ない部品で組みたてられる中波ラジオで知ることが出来るし…等々、ともかく、非常に安価で簡単な構造の受信機で「情報を受ける」ことが出来る点は、危機管理メディアとしては大きなメリットになります。TV放送などは、ラジオに較べれば送受信のシステムが複雑ですし、高コストであり、危機耐性が高いとは言えません。
 一見、様々な局面で使えそうな携帯電話システムなんかは、非常に危機耐性が低いメディアと言えます。携帯電話なんてものは、ちょっと停電になっで基地局への給電が止まったら使えなくなるし、それ以前にテロなどで基幹インフラシステムが破壊されたら、簡単に再興することは不可能です。無線なら、アマチュア無線の方がはるかに危機耐性が高いのは言うまでもありません。

 で、その中波ラジオ放送ですが、受信の方はコイルとダイオードとバリコンだけのゲルマニウムラジオで受信できるほど簡単ですが、実は送信システムの方も非常にシンプルです。
 私は、小学校の高学年になった頃、親に買ってもらった「子供の科学」に掲載されていたμ同調コイルを使ったゲルマニウムラジオを自作したのが始まりで、中学生の頃にはラジオ製作に没頭しました。今は廃刊になった誠文堂新光社「初歩のラジオ」やラジオ技術社「ラジオの製作」などを見ながら、1石ラジオ、単球ラジオ、3球スーパーなどを次々と作りましたが、そんなラジオ工作の中に「単球AMワイヤレスマイク」がありました(こちらの記事のようなヤツ)。要するに「中波送信機」です。こうした単球AMワイヤレスマイクを何台か作ったことがありますが、部品数も少なくごく簡単に作れるのに、前述した記事中にあるようにコイルとバリコンで同調を取りきちんとしたアンテナを繋ぐと、これがけっこう飛ぶんです。確実に電波法違反です。要するに中波の放送局なんてものは、こんな簡単に作れるものです。
 むろん、現時点で中波ワイヤレスマイクを作るのなら増幅には真空管ではなくICを使えばいいし、発信部分は中波のラジオに使う局部発振回路用のコイルなどを流用して、非常に少ない部品と簡単な回路で出来てしまいます。

 仮に、地球上にエイリアンが攻撃してきて、地球上のあちこちの辺境地域に少数の人類が残された…といった状況を想定します。あらゆるインフラが破壊され先端的な通信手段が何も使えない状態、さらに電子部品のような物資がほとんどない状態で、互いに連絡を取り合うため、また地域内に生き残った住民に連絡するためには、おそらく中波放送を利用するのがベストでしょう。

 中波送信機とは無関係ですが、こんな工作記事も、非常に興味深いですね。

2010年08月17日

●トヨタ電子制御に欠陥なし…?

 「トヨタ電子制御に欠陥なし」 それでも「シロ」と言わない米メディア
…というニュースがありました。確かに調査結果ではトヨタに非がなかったようですし、アメリカの官民挙げてのトヨタ叩きもひどいものです。ただし、だからといってETCS誤動作問題が本当に「完全にシロ」かどうかは、個人的には怪しいものだと思っています。

 私は、トヨタのETCSに限らず「エンジンの電子制御」を根本的に信頼していません。当たり前の話ですが、コンピュータは「誤動作」をゼロにすることはできません。ソフトウェアのバグもゼロにすることはできません。むろん、限りなくゼロに近づけることは可能だし、適切なフェイルセーフ機能を搭載すれば、誤動作による「暴走」のような事態は理論上は防げるわけですが、あくまで「理論上」であり、それでもなおかつ「100%安全」はあり得ないと思っています。

 私は、クルマのエンジンの電子制御の歴史についてはあまり詳しくはないのですが、長い間バイクには乗ってきたので、点火システムがポイントから電子制御に変わる、ちょうど変わり目の時期を知っています。エンジンの電子制御は、点火タイミングのフルトランジスタ化、そして一種の電子点火制御システムであるCDI(PEI)から始まったと理解しています。
 昔は一般的だったポイント点火の原理は、概ね次のようなものです。まず、エンジンの回転カムが回転して、ポイントの電極を開けたり閉じたりします。この開閉によりバッテリーからコイルの一次側に12V(バイクの場合6Vもあります)の電圧が掛かります。これを昇圧して2次コイル高圧電流を発生させ、ローターによって各気筒に切り替えて各気筒のプラグに流れて点火する…というものです。
 この方式ではカムの機械的動作が点火タイミングを制御しているため、エンジンの回転数が高速になると点火タイミングにズレが生じやすくなります。また、ポイントの電極の劣化(磨耗)によっても点火タイミングにズレが生じます。
 このポイント点火が、マグネットとセンサを使って点火タイミングを制御するCDIシステムへと代わっていったのは、バイクの場合は、確か1960年代の後半あたりから…と記憶しています(記憶だけ書いているので正確ではありませんが…)。1970年頃のカワサキ「マッハⅢ(H1)」はCDI点火だったので、このあたりがバイクへのCDI点火採用のハシリでしょう。個人的には、初めて電子点火を採用したバイクを自分で買ったのは、1975~6年頃に購入した1972年型のスズキ「ハスラー250」で、このオフロードバイクがPEI点火だったのを覚えています。
 私は、この電子点火への移行を、当時不安に感じました。ポイント点火の場合、ポイントを磨く、カムを調整する…ということは目で見ながら自分やれたのに、CDIになったら点火システムはブラックボックスになってしまったからです。バイクなんてものは、エンジンを含めていったん全ての部品をバラバラにしてまた組み立てられるぐらい「単純」で「冗長性」がある乗り物だからこそ、安心して乗れた…のだと思います。それが、CDIが普及し始めた頃から、なんとなく「素人には手が出せない」部分が増えていき、それが逆に不安につながったように思います。
 さてその後、バイクにも大型車の一部に電子制御式燃料噴射装置が採用され始めた頃、確かカワサキの大型バイクだったと思いますが、交差点にある信号機の制御システムからの漏れ電波で電子制御式燃料噴射装置が誤動作する…という問題が騒がれたことがあります。停止中のバイクが突然エンジンの回転数が上がったとか、走り出そうとしたら暴走したとか…そんな事件がありました。

 さて、クルマのエンジン電子制御ですが、過去数十年間で「ブレーキとアクセルの踏み間違い」とされてきた事故のうち、何パーセントかは、おそらくAT車ならオートマの暴走、さらには電子制御の誤動作等が原因ではなかったかと、私は疑っています。
 自動車メーカーにとっては、電子制御の誤動作の存在を認めることは死活問題です。おそらく世界中の自動車メーカーは、多大な努力を払ってエンジン電子制御の問題点を隠そうとしてきたでしょう。まあ、それはそれでよいとしても、最初の話に戻りますが、コンピュータを含めて「電子回路」なるものは、一定の頻度で誤動作を起こすものだと考える方が自然です。ましてや、けっこう複雑なソフトウェアで制御されている昨今の自動車は、長年ソフト会社をやってきた私から見て、ソフト部分で何も問題が起こらない方が不自然だと感じてしまいます。

2010年08月05日

●大学生の半分が本を読まない…

 ちょっと前の中日新聞のコラムに「もったいない」…という記事がありました。2chで「学生の約半分が、まったく本を読まない。 もう完全に日本終わってるな…」というスレが盛り上がっていたので、ドアブロ(vol.011)によって今日になって知った次第です。
 このコラムのデータは金沢大の学生相手の調査結果だそうですが、金沢大と言えば、国立大学の中でも「難関」と言ってもよい大学。要するに、かなり入学偏差値の高い大学です、ここで「偏差値」という指標を出すのも批判の対象になるかもしれませんが、まあぶっちゃけた話、「偏差値の高い大学の学生ほど本を読む」と言い切っても大きな間違いではないでしょう。そうなると、日本の大学生の中で、金沢大学よりも偏差値の低い大学に通う学生が、少なく見積もって70%以上でしょうから、実際には「大学生の半分以上は、まったく本を読まない」と言っても間違いなさそうです。
 あまりにもヒドイ話で、悲しくなりますが、だいたい本を読まなくても大学生としてやっていける…というのが間違っています。ここでは、リベラル・アーツ教育の重要性なんて話を書くつもりはないのですが、少なくとも「教養がない大学生」という言葉は、矛盾の塊でしょう。大学生こそは、高い教養を身に着けているべきですし、教養のない人間が大学生でいられるべきではありません。

 そこで、これもかなり前のネタですが、「米・コロンビア大学の1~2年生必修コアカリキュラムは『西洋古典常識』徹底履修 毎週古典文学・思想の課題図書を読み、議論し、レポートを書く」…という「天漢日乗」さんの書かれた記事を思い出しました。

 まずは、以下のリンク先をお読み下さい。

コロンビア大学のコア・カリキュラム(1)
コロンビア大学のコア・カリキュラム(2)
コロンビア大学のコア・カリキュラム(3)

 ちょっと長いけれど、以下に「天漢日乗」さんの書かれた記事を引用させてもらいま



 …まず、コロンビア大学の1年生が文系・理系問わず履修する必修の文学を読むコースの課題作品。2コマぶっ続けの授業で、これは前期第七週までの分。
 ホメロス『イリアス』『オデッセイ』、サッフォーの詩編、デメテル讃歌、『ギルガメッシュ叙事詩』、ヘロドトス『歴史』(抜粋)、アイスキュロス『オレステイア』、ソフォクレス『オイディプス』、エウリピデス『メディア』、トゥキュディデス『戦史』…とここで中間試験。この後はアリストファネス『女の平和』、プラトン『饗宴』、旧約聖書「創世記」「ヨブ記」、新約聖書「ルカによる福音書」「ヤコブによる福音書」…、このあと、評論を行って、前期末試験。
後期はウェルギリウス『アエイネス』から始まって、最後はヴァージニア・ウルフの『燈台へ』で終わる。試験が中間と期末の2回あり、当然「すべての課題図書を読了」してないとダメなのであり、なおかつ試験とは別に8~10枚のレポート提出が半期で3回あるということなので、授業を受ける方も大変だが、これを22人クラスで開講しているという。adawhoさんによれば45人の教員がコアカリキュラム1科目にかかりっきりになる計算である。なおかつコアカリキュラムを担当すると、教員やPDにはボーナスが与えられるシステムなので、コアカリキュラム担当教員になりたいヒトは多いんだとか。全学共通科目だから自分の担当したクラスの平均点という数字で講義や指導がちゃんと出来ているかどうかが客観的に出てきてしまうわけで、教員にとっても気が抜けない。
 思想コースは2年間、全員必修で、いま見た文学以上の密度で授業が進む。こちらは週2回授業がある。扱う思想書は、プラトン『国家』、アリストテレス『ニコマコス倫理学』、旧約聖書「出エジプト記」「イザヤ書」「コヘレトの言葉」、新約聖書「マタイによる福音書」「ローマ人への手紙」「ガラテヤ人への手紙」、コーラン、トマス・アキナス(抜粋)、ガザーリー『迷いから救うもの』…、で最初の中間試験。この後はマキャベリ『君主論』から前期の後半授業が始まる、といった具合。


 さて、このカリキュラムをどう評価してよいのかわかりませんし、ここで選択されている古典の種類に異論のある向きもあるかもしれませんが、ともかく「大学生には教養が必要」…という大学側の強い意思が伝わってくることだけは確かです。

 先日行われた参院選では、「日本再生」を唱える政党や政治家が、やたらと多かったように記憶しています。私個人は、日本の将来はかなり暗いと、とっくに諦めているのですが、もし日本にもまだ「再生」の余地が残っているとすれば、「若年層の教育レベルを上げる」以外に効果的な方法はないはず(優秀な外国人移民を受け入れる…というのもありますが)。
 経済や文化の「再生」は、「人」「人材」があってこそ実現するのです。現在のように、「大学」たるものが何も本を読まなくても卒業できる状況では、人材の育成など夢のまた夢。さらに大学に限らず、中学、高校も含めて「バカを量産する教育」をやっていては、この国の将来に「没落」しかないのは自明です。

2010年07月26日

●au「IS01」 …PDAの系譜

 デジタルガジェット好きな私は、まだスマートフォンが登場する以前から、古くは「PDA」、最近ではネット接続機能が付いて「MID」などと呼ばれる携帯情報端末が好きで、様々な製品を使ってきました。また、個人的には「持ち歩けるコンピュータ」が大好きで、いわゆる「ハンドヘルドPC」を、8bitコンピュータ時代から購入してきました。
 私が最初に購入したハンドヘルド機は1982年に信州精器(現在のエプソン)から発売された「HC-20」で、まあ重量が1.7kgもあったので、後の「Pocket PC」と呼ばれる製品群とはコンセプトが違います。それでもその後、NEC「PC8201」(京セラのOEMでTandy TRS-80 model 100と同じ)や、キヤノン「X-07」NECの「PC-2001」(仕事で使えるマシンではありません)などを次々と買い込んだものです。
 PDAと呼ばれるマシンの最初はソニー「PalmTop」だと思うのですが、これは手を出しませんでした。また、その時代に主流となった製品、話題になったマシンには手を出さないという「へそまがり」な習性から、リナザウ、Palm、CLE…の御三家は使っていません。一方で、NEC「モバイルギア」やドコモ「シグマリオン」、そしてPocket PCでは、カシオペア(CASSIOPEIA)をかなり使い込んだし、その後はコンパックのiPAQなどを使いました(HP iPAQ rx4240は現在でも愛用)。また、小型のPCとしては、1995年に発売された日本IBMの「PalmTop PC110」で遊び、そして96年に発売された東芝の「Libretto」は、20、50、100までは使いました。1990年台末頃には、海外出張にもLibrettoを持っていったものです。あと、安値に釣られてNEC MOBIO(NX)を買ったけど、これはあまり使わなかった記憶があります。
 そんな過去に使った数ある携帯情報端末の中で、最高傑作は何かというと、個人的には「モバギ」、すなわちNEC「モバイルギア」を推したいところです。それもWindowsCE2.0端末になってからのMobile GearⅡシリーズではなく、初期のMC-MK11やMK32あたりの製品が最高でした。DOS化の話は別にしても、約500gの重量で携帯しやすい形状、起動の早さは出色で、単3電池2本で長時間駆動しました。16.5mmピッチのキーボードを搭載しており、ともかく文字入力がしやすいことが特徴です。キータッチの感触についても非常に優れており、長文テキストの入力も苦になりませんでした。私は、最近「ポメラ」が発売された時、テクスト入力マシンとしてのモバイルギアとの比較を思いついたぐらいです。

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 前置きが長くなりましたが、今回購入したau「IS01」は、シャープ製のandroid端末です。小さいながらフルキーボードを搭載し、5インチで960×480dotの液晶ディスプレイを備えています。赤外線通信機能やBluetooth、MicroSDスロット、USBなど拡張性やI/Fも十分で、スマートフォンというよりも「MID」であり、また過去に使ってきた「PDA」の系譜に連なるデバイスと言えます。まもなく、ほぼ同機能のシャープ製端末「LYNX SH-10B」がドコモから登場しますが、あえて今回auの「IS01」を購入したのには理由があります。それは「デビュー割」で月々1050円OFFになるので、通信料金の基本料がほぼ0円になるということ。つまり、SIM無しで動作する「IS01」を、SIMを抜いてWi-Fi端末として利用すれば、本体価格36500円の割賦金額のみで維持できるということ。さらに、既に1台au端末を使っていれば、もう1台の通信料金が毎月千円ちょっと安くなり、結果としてほぼ24回分割払いの金額とほぼ同じ金額が毎月割引されることになり、事実上IS01が「タダ」で入手できることになるのです。こうなると、買わない手はありません。

 さて、まずは簡単なインプレッションです。
 私が購入したIS01は「黒」ですが、マットな表面を持つ筐体は、誰かが言ったように「メガネケース」にみえなくもありません。重量は227g、「DS Lite」とほぼ同じサイズで、片手で持つことができます。画面サイズと解像度の関係はマッチしており、ブラウザもメールもtwitterクライアントの利用も、かなり快適です。一応、標準搭載されているオリジナルのgmailクライアントもtwitterクライアントも、まあまあ使えます。文字入力は、標準搭載のFEPに慣れるのに少し時間はかかるものの、端末をデスクに置いた状態なら両手で入力が可能。両手で持って、2本の親指で入力することも可能です。標準搭載のメモ帳とAndroid Marketからダウンロードしたテキストエディターを使ってみましたが、けっこう快適にメモができます。
 驚いたのは、ワンセグTVの感度。他のワンセグケータイでは見られない部屋でも十分に見ることが出来ます。むろん、SIM抜きでも動作するので、ワンセグTVとしてだけでも十分に高機能です。さらに、使って面白かったのが標準搭載の「名刺リーダー」です。名前や住所、電話番号、肩書きなど、一瞬でぼ完全に読み取りますし、これはけっこう実用的です。さらに、電子辞書機能(明鏡国語辞典MX、ジーニアス英和辞典MX、ジーニアス和英辞典MX、カタカナ新語辞典 スペリング辞典、百科事典etc.)が入っているのも、ポイントが高いですね。
 とりあえず、標準搭載の機能で一通り遊んでみた後、Android Marketから、Opera-mini、青空文庫ビュアー、日本語テキストエディタ、ファイラーなどをダウンロードしました。さらに2chブラウザのTuboroid、twitterクライアントのtwicca(β版)あたりをインストールしてみました。
 赤外線通信機能やBluetoothなどはまだ使っていません。これからしばらく毎日持ち歩いて使ってみて、さらにアプリもインストールして、また続きを報告します。あ、そうだ、適当なケースを探さなくちゃ…

2010年07月20日

●iPADとネットブック

 最近iPADとネットブックを比較する記事をよく見掛けます。例えばネットブックの市場はiPADに食われつつある…とか、ネットブックを購入するよりもiPADの購入を勧める…といった記事です。
 時々ネットを見て、メールやSNS、Twitterでやり取りをして、あとはYouTubeの動画を見たりゲームで遊んだり…といった使い方なら、ネットブックとiPADは競合します。そうした目的でネットブックを購入しようとする人は、確かにiPADという選択肢があると思います。しかし、仕事を含めてハードにコンピュータを使うのなら、個人的にはiPADは話にならない端末です。用途によってはまったく使い物にならないということです。一方で、目的によってはiPADの方がすぐれている部分もあります。まあ、用途、利用目的がまったく異なるiPADとネットブックを比較すること自体がナンセンスということでしょうか。
 ネットブックでしか出来ないこともあれば、iPADでしかできないこともあります。しかし確実に言えることは、iPADで出来ることは概ねネットブックできますが、ネットブックで出来ることの全てがiPADで出来るわけではありません。いちばん簡単な話では、iPADはプリント出力ができないし、有線LANにも接続できません。

 私は現在、iPADもネットブックも両方使っています。ただ、iPADの方はあくまでiPAD向けコンテンツ開発のために仕事で利用しているだけで、仕事もプライベートも含めた日常ユースにはネットブックを使っています。
 ちなみに私は、国内外の出張にはネットブックを持っていくこのが普通です。ネットブックよりも軽量で高性能のノートPCもたくさんありますが、私の用途では別にネットブックで十分に用が足りるし、落としても壊しても損害が少ないので、ネットブックを持ち歩くことが多いわけです。しかし私は、こうした出張にiPADを持っていくことは絶対にないでしょう。

 私の仕事は、基本的にWordで大量の文章を書くこと、PowerPointで企画書やレポートを作成すること…で成り立っています。こうした仕事はiPADではまずうまく処理できないし、多くのビジネスマンが同じような状況にあることは推測できます。
 一方で、先に述べたように、時々ネットを見てメールやSNS、Twitterでやり取りをして、あとはYouTubeの動画を見たりゲームで遊んだり…といった使い方なら、iPADは若干重過ぎるとは思いますが、ほぼ文句の無い使いやすい端末です。ビジネス分野での利用についても、店舗や医療現場等での情報プレゼン用途などには、タブレット形状でタッチデバイスであるiPADの方が使いやすいことは確実です。趣味用途だけではなく、こうした部分でのビジネス用途でのiPADの将来性は十分に感じています。いや、それをわかっているからこそ、仕事ではiPAD向けのコンテンツ開発をスタートしたわけです。例えば、現在私は、iPADをレセプトコンピュータとして使えないかと、真剣に考えています。
 しかし、iPADのソフトウェアキーボードで長時間文字入力をすることは無理ですし、iPADに専用キーボードを併せて持ち歩くのなら、その使い勝手はむろん重量と体積もバカバカしいものになってしまいます。結局、長時間文字入力を基本とする仕事、さらにはPowerPoint やExcelを駆使する仕事では、ネットブックしか選択肢に入らないことも絶対的な事実です。こういう仕事のスタイルは古い…というひともいるかもしれませんが、日本の多くの企業では、未だOfficeソフトの利用が主流であることも事実です。
 また、iPADには、有線LANやメモリカードスロットなど、ネットブックには必ず装備されているI/Fが装備されていません。確かにWi-Fiが普及した現在、有線LANポートなどいまやレガシーインタフェースだとの声もありますが、海外のホテルなどで有線LANしかないケースは未だ多いし、わざわざWi-Fiに変換して接続するのは面倒です。メモリカードスロットも同じで、私のように海外出張時にデジカメを多用し、撮影画像をサクっとPCにバックアップしたいと言うニーズがあるので、カードスロットがあった方が楽です。

 そして何よりも、どんな用途にも一通り使えるものの処理能力に限界がある低機能のネットブックは、自分なりに改良して使いこなす楽しみがあります。様々なフリーソフトを入れたり、必要に応じてメモリやHDDを増設したり、自分が使いやすいハードウェアデバイスに仕上げていく楽しみがあります。これは、iPADに様々なアプリを入れていくこととは、ちょっと意味が異なります。iPADは、基本的な使い方は、メーカーがコンセプトで謳いあげている通りです。どんなアプリを入れようと、できないことはできないし、逆にメーカーが狙うコンセプトから逸脱する情報処理デバイスにはなりません。そういった意味では、iPADをハードウェアデバイスとしてみた場合、「コンセプトや用途を押し付けられている」…という窮屈さを感じます。

 今回の文で言いたかったことは、ネットブックとiPADの優劣ではなく、2つのデバイスを比較することの無意味さです。しかし個人的には、iPADが醸し出す「コンセプトを押し付けられている」という窮屈さ…は、どうにも好きではありません。こういう人は、世の中にけっこう多いと思っています。

2010年07月19日

●無印良品の「厚手テープ使いショルダー」

 毎日カバンに大量のガジェットを持ち歩いている私。カバンの内容物は日によって違うのですが、毎日ほぼ確実に持ち歩いているモノは、概ね以下の通り。携帯2台(P09-AとSC-01B)、コンデジ1台(その日の気分で機種は変わります)、SANYO「ICR-PS502RM」、Walkman「NW-S745」、小型の電子辞書、ポケットラジオ…と、以上の必需品に加えて最近はKindle2を持ち歩いていますし、日によってはノートPCが加わります。さらに文庫または新書が最低3冊は入っている他、メモ帳やら名刺入れやら筆記用具やら財布やらも加えて、パソコンを持たない日でも概ね2~2.5Kgの内容物を入れたカバンを持ち歩いているわけです。
 持ち歩くバッグも、その時の気分で時々変えるのですが、ここ2ヶ月ぐらいは、3月に買ったKELTYのデイパック「NIGHT HAWK」ばかり使ってました。ただ、本質的にはショルダーバッグが好きで、これは昔からTIMBUK2のメッセンジャーに決めています。クラシックメッセンジャーのSかラップトップメッセンジャーのSを、いちばんよく使います。毎日2Kg前後の重量を持ち歩いていると、ショルダーバッグは必ず、ベルトと本体をつなぐ部分が壊れてきます。かつてポーターのバッグを良く使っていた頃、何度も本体とベルトの接合部の金具が壊れて修理する羽目になったし、デザインが好きなManhattan Portageのメッセンジャーも、2Kg以上の内容物を毎日持ち歩くのには適しません。それで、ともかく頑丈なTIMBUK2を使うことに決めていました。
 さて、そんな私ですがここ1週間ほど、今までまったく使ったことのないチープなバッグを使っています。それは、友人から勧められたもので、無印良品の「厚手テープ使いショルダー(黒)」というヤツ。なんと2580円という激安価格のキャンパス地のバッグです。名称どおり、底部からサイドのマチ部分までぐるっと縫い付けられた厚地のテープがそのままショルダーベルトになっているので、相当重量のあるものを入れても大丈夫そう。実際にネットブックを含めて3Kg以上の荷物を入れても、しっかりと保持しています。内部に3つのポケット(1つはファスナー付き)、外部にも2つのポケットがついており、肩からかけるとトートバッグのような形状で、出し入れもしやすく使いやすいのが気に入りました。大判の雑誌も余裕で入るサイズです。問題は、キャンパス地でできているので、TIMBUK2のような防水機能がないこと。強い雨の日には、あまり使いたくありません。でも、今のところけっこう大量の内容物を入れて毎日持ち歩いても問題ありません。いままで使ったことのないチープなバッグですか、普段使いにしばらく使い続けてみようと思っています。

2010年07月14日

●近況報告(誰に?)

 それにしても、体がボロボロです。ここまで体調が酷いと、逆に笑ってしまいます。もう5年以上前から定期的に観察を続けていた喉のポリープ(声門ポリープ)は、発声困難がひどくなったこともあって、ついに手術待ったなしの状況になりました。嫌だ嫌だと断っていたのですが、次回の診察時には、いつ手術するかの返事をしなくてはなりません。そして、海外出張から帰ってきたとたん、背中と腕の激痛に悩まされています。10日ほど前から首筋を伸ばすと、腕と背中の神経が激しく痛むのです。あまりの痛みに病院へ行ったら、頚椎がどうたらこうたら…で、手術はしないにしても神経ブロックなどの治療に入るそうです。そして、バイク事故の古傷である膝関節も痛みがひどく歩行が困難です。どうやら膝の関節の損傷が酷くなったようで、来週にでも整形外科に行って来るつもりです。
 で、こんなに体調が悪いにもかかわらず、酒量は増える一方。ほとんど毎日、「飲んだくれ」の状態。一昨夜は、夜8時頃に飲み始めて日にちが変わるまで飲み続け、昨夜も池袋で飲んだ後、練馬でまた飲み、どう考えても連日飲み過ぎ。私は、若い頃にはあまりお酒を飲む方ではなかったのですが、ここ10年ほどはかなり酒量が増え、基本的には365日ほぼ毎日飲んでいる状態です。
 なんだか、人生に対して多少投げやりになっているぶぶんがるのかもしれません。ただし、悪い意味での投げやりではなく、もう十分に生きたし楽しく遊んだので、病気で死ぬのも飲み過ぎて死ぬのも別に怖くない…といった心境です。思えば、ここまで好き勝手に生きて、やりたいことをやって、しかもこの年まで一応メシを食ってこられたのだから、周囲に感謝し、満足すべき人生であったということです。こんなデタラメ人間の周囲にいた人間は、さぞ迷惑だったでしょう。
 ただ、今のところ、すぐには死にそうにはありません。あそこが痛い、ここが調子が悪い…などと言っている人間に限って、妙に長生きし、周囲の人間に迷惑をかけ続けるものです。ああ、自分もそうなるのかもしれません。遊び過ぎた罰で、貧乏で寝たきりになって、とってもつらい老後を送ることになるかもしれません。

 ああ、くだらないことを書いてる…

2010年07月08日

●街撮りスナップカメラとしての「EX-Z2000」

 暇を見てEX-Z2000で遊んでいます。毎日持ち歩いて手当たり次第に撮影していますが、操作性にも慣れて、なかなか良いカメラだとわかってきました。CASIOというブランドは、高画質にこだわる一家言あるカメラ好きには忌避される傾向にありますが、こうして使ってみると、ブランドイメージだけで判断するのはよくないということが、よくわかります。

 さて、私のスタイルでは非常に撮る機会が多いノンストロボの夜景や室内撮影も、EX-Z2000は基本的にOKです。普通のオート、プレミアオート、ベストショットの夜景モードと、いろいろ撮り較べてみましたが、結果にあまり大きな差は感じません。広角側で撮ればF2.8、ISOは400~500、1/30~1/60あたりです。もう少し暗いところでも、すごく効くわけではないけどそこそこには働く手ぶれ補正のおかげで、1/15秒くらいまでは、ほぼ手持ちで問題なく撮影可能。そして、ISO400までならノイズも少なく、ISO800の画像でも、多少のっぺりしてはくるものの十分に使えます。

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 5センチまで近づけるスーパーマクロも試して見ましたが、風で揺れる小さな花の雌しべの先の花粉がわかるほどです。悪くありません。

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 結論として、このカメラ、なかなか使い勝手が良いスナップカメラです。マニアックなレベルで多くを望まなければ、画質にも大きな不満はありません。小型・軽量で起動も速いし、普段ポケットに入れて持ち歩くには好適です、特に海外旅行時の街歩きなどに持っていれば、昼夜共に十分に使えると思います。
 それにしても、これだけの機能を持ち、様々なシチュエーションで十分によく写るつデジカメが、トイデジと大差の無い1万円台前半で買えるという事実には納得できません。消費者から見て安いのは喜ばしいことでしょうが、ここまでデフレ気味の値段では、逆にわが国の製造業の行く末が心配になってきます。

 ところで、スナップ用に使うなると、私の場合は「ケース無しで裸でポケットに入れて持ち歩く」のが基本です。海外などでは、これが最も安全な使い方でもあります。私は「液晶保護シート」なるものが嫌いで、デジタル一眼レフなんかには絶対に貼らないのですが、ケース無しで裸でポケットに入れて持ち歩くとなれば、貼るべきでしょう。EX-Z2000には、100円ショップで売っているDsi用の保護シートがほぼぴったりサイズでした。
 そして、滑りやすいボディにも対策を施します。こんな時に私が使うのは、東急ハンズで買った「スベリ止めシート サンストップ」なる製品。裏がシールになっている薄い合成ゴムのシートで30センチ四方ぐらいのシートが300円程度で買えます。これを適当なサイズに切って、カメラの前面と背面の指が掛かる部分に張れば、滑り止め効果はバッチリ。私が買ったEX-Z2000は黒なので、2×3cmほどの黒いすべり止めシートを前面に、最長辺が1cmほどの3角形のシートを背面の液晶モニタ右側の最上部に貼りました。結果、すべり止め効果はバッチリです。

 EX-Z2000は、サイズ、重量、起動時間、速写性、屋内外の画質、バッテリー駆動時間…等々を考えると、かなり理想に近いスナップカメラかもしれません。

2010年07月06日

●CASIO「EX-Z2000」を購入

 コンパクトデジカメ、CASIO「EX-Z2000」を購入しました。このデジカメを購入した理由は、小型・軽量のデジカメが欲しかったからです。ここのところGRD、F200EXR、F70EXR…と、いずれも高画質ではあってもコンデジにしては少し大きめの機種ばかり持ち歩いていたので、バッテリー込みで100g台前半の小さいデジカメが欲しいなと思ったからです。それともうひとつ、「安かった」というのも大きな理由です。今回購入した「EX-Z2000」は、なんと12000円台で買えました。今年の2月に発売されたばかりの現行機種で、1410万画素CCD、プレミアムオート、動画合成機能「ダイナミックフォト」も搭載、さらにHD動画も撮影できるという製品です。CASIOのコンデジとしては、主力機種の1つと言ってもよい製品。4月頃までは量販店で2万円台半ばで売られていたのです。それが何故かここへ来て急に値下がりをし、13000円以下になったので、思わず買ってしまいました。いったい、なぜここまで安くなるのかわかりませんが、この機種がこの値段ではメーカーも気の毒です。
 思えばCASIOのデジカメは、200万画素、固定焦点の小型軽量デジカメの名機「EX-S2」以来です(これは今でも時々使っています)。

 早速撮影してみました。とりあえず、プレミアムオート(上)と普通のオート(下)での撮影画像を確認しました。

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 ご覧の通り、特に可もなく不可も無い絵作りです。元画像で見ると、1410万画素もあるにしては、それほど解像感が高いわけではないし、パソコンのディスプレイで確認すると、実際に細部の諧調はけっこうつぶれ気味かも。まあ、このカメラの目的・用途から見れば、特に気になるほどの問題ではありません。
 評価するために適当な被写体と撮影条件でのテストではないので、プレミアムオートの効果については特に評価しません。ただ、明暗の差がある同じシーンを両モードで撮影してみると、普通のオートよりもプレミアムオートの方が暗部の諧調を再現し、ダイナミックレンジが広がる感じ。
 また、オフィスの近辺を撮った限りでは、普通のオート、プレミアムオートともに、少し人工的な絵になる感じがしました。だからといって不快になるほど、実際の風景の再現性が低いわけでもないし、発色もけっこう自然な感じに落ち着いています。レンジ感もありますし、破綻の少ない画像です。いずれにしても、これがトイデジと大差のない12000円台のカメラだと思えば、画質についてはまったく文句はありません。小型軽量を活かして、メモ機として重宝しそうです。
 いちばん気になったのは、グリップ。引っ掛かりがないので、撮影中に落としそうで怖いです。前面の指が掛かる部分にゴムか何かを貼るなど、少し改造を考えた方がいいかもしれません。あとは、全体的にもう少し動作が速いといいのだけれど…

 この「EX-Z2000」、バッテリーが580枚持つのもいいですね。1日で数百カットを撮影する海外旅行時などでも、一度充電したら確実に丸1日は持つでしょう。次回の海外出張には、ぜひ持参したいと思います。
 ちょっと思ったのは、この「EX-Z2000」の1410万画素というのは、数十台はある私の手持ちのデジカメの中では、3台のデジタル一眼レフも含めて、最大の画素数だってことです。CCDは、1/2.3型ですから、かつてよく誰かさんが非難していた、いわゆる「極小画素」の極みってヤツですね。なんとなく、笑っちゃいます。さすがに、この画素数は必要がないことは確かです。
 ともかく、値段から見れば十分な画質と機能です。持ちにくいデザイン形状は納得できませんが、サイズや重量には満足、バッテリーの持ちもOK。操作性は、しょせんは「慣れ」の問題です。あとは夜間撮影にそこそこの能力を発揮してくれることを期待しましょう。しばらく、持ち歩いてみます。

2010年06月30日

●Kindle2を本格的に使ってみました

 Kindle2を購入しました。昨年末に現物を見たときからいつ購入しようか考えていたのですが、アマゾンのアメリカで189ドルに値下げしたのを機会に、購入した次第です。

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 開封後jはまず充電。そして最初にやったことは、setting画面で、ファームのバージョンを確認すること。2.5が出回っていると聞いていましたが、2.3.3ということで一安心。日本語化(フォントはっく)が簡単に出来るということです。まずは、こちらのページに感謝です。
 日本語化をした後は、念のため「ChainLP」もインストール。そして、「青キンDirect」さんから青空文庫を片っ端からダウンロード。中高生時代に読んで面白かった作品やら、まだ読んでいない作品やらを、片っ端からダウンロードして、とりあえず100冊分ほど入れました。フォントサイズ中を選ぶと、ほぼ活字が大き目の文庫本という感じ。もうこれだけで、Kindle2を購入した代金の「元はとった」という感じです。現時点でKindle2で読める新刊書がほとんど無いことは承知の上(pdfタイプの書籍が多少ありますが…)、青空文庫利用の古典専門文庫集…としての利用だけで、とりあえず十分です。さらに、長時間駆動する「モバイルPDFリーダー」としては十分に実用的です。

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 以前、はじめてkindle2に触れたときの印象を、この日記で次のように書きました。

 「…300g弱の重量の端末の中に1500冊の書籍(ただし英文)が入り、1回の充電で2週間バッテリーが持つことを知って、その利便性に非常に大きな魅力を感じます。Kindle2の290gという重さは、ちょっと厚めの文庫本1冊の重量です。私は普段カバンの中に、必ず文庫本を数冊は放り込んでいます。たった300gの端末1台に、1.4GBのストレージなら日本語書籍でも数百冊は入るでしょうから、これを一度に持ち運べるのは大変魅力的です。海外出張などに持って行ければ、こんな便利なことはありません。最新の雑誌などもダウンロードして読めれば、空港などでも退屈せずに済むというものです。kindle2に使われている電子ペーパー、E Ink社のディスプレイは表示速度に多少の難はあるものの、適度なコントラストで目に優しく、とても読みやすい、まさに紙のようなディスプレイ。確かに、速い速度でパラパラとページをめくりながら読む「速読」には向きませんが、普通の速度で読んでいく分には、問題の無い性能です。これなら、長時間書籍のように読んでも疲れない…と直感的に思いました。…」

 本格的に使い始めてみての感想も、以前書いた上記の通りです。今後、国内外の出張には、必ず持っていくでしょう。古典文学の文庫本を数百冊入れて、290gですよ。1週間の出張なら充電も不要なんです。こんな便利な端末はないでしょう。
 電子書籍端末としては、iPADには何の魅力も感じません。魅力を感じないどころか、iPADで長時間本を読むことは、現実には不可能です。自発光型のディスプレイは長時間見続けると目が疲れるし、重過ぎて好きな姿勢で読書できません。

 いちおうkindle2の表示で気になる部分も挙げておきます。まずは、表示速度が遅いことに起因する問題ですが、ページを送り、次のページが表示される瞬間、バックと文字の白黒が反転した状態になることです。これはとても気になります。そしてもう1つは、ページ送り速度の遅さゆえに「走り読み」ができないことで、やはり不便に感じます。

 そして、あらかじめ知ってはいても、実際にKindle2を使ってみると驚くことがあります。それは、米国で採用している「無料でデータ通信」というビジネスモデルが、そのまま日本でも可能だということです。電源投入後すぐに、本当に3Gでつながった時にはやはり驚きました。W-CDMAのSIMが入っており、日本国内ではドコモ、ソフトバンクの2社がローミングしているようですが、通信料はamazon持ちです。しかも世界中で同じように使えるのですから、驚きです(サービスエリアはこちら)。ちなみにGmailも読めるので、メールの着信及び内容確認は可能です。

 電子書籍端末には絶対に必要な条件があります。端末が軽量であること、省電力でバッテリー駆動時間が長いこと、長時間読んで目が疲れないこと…この3つです。Kindle2はこの条件を満たしていますが、iPADは論外です。それに、Kindle2はたった189ドルで、3Gの通信費が無料です。
 日本の出版社のみなさん、Kindle2でもソニーのReaderでも構いませんが、軽量・反射型ディスプレイ搭載端末に対応した「本物の電子書籍ビジネス」を、早く立ち上げてください。

2010年06月18日

●GARMIN「nuvi205」

 先日買ったGARMIN「nuvi205」、15,000円は本当に安い買い物、1年前は25,000円はしたのに…。これ、ともかく面白いです。走行軌跡がGoogle Earth、Google Mapに表示できるのが秀逸です。とりあえず、PCでダウンロードした全国オービスマップを入れて、我が家の愛車に取り付けてみました。衛星の捕捉は問題なし、反応もいい。シンプルな表示は見やすいし、カーナビとしての実用度は何の問題もありません。
 軽量だし、海外MAPも使えるので海外旅行でも使ってみたいのですが、バッテリーの持続時間が4時間はきつい。でもネットで情報を探していたら、デジカメ用リチウムイオン電池交換可能な形に改造した人がいました。私もやってみるつもり。カシミールとの連携もできるとのことで、登山にも使えます。ほんと、2GBのメモリ内蔵でmicroSDスロットが使え、PCとUSBでつなげば自由にファイル操作ができる…こんなポータブルナビが15,000円って…、いい時代になりました。
 それにしても先日買った怪しいAndroid端末 EKEN「M001」といい、安いオモチャばっかり増えて困ります。

2010年06月14日

●本が崩れる、本に埋もれる…

 唐突ですが、いまさらGARMINのPND(ナビ)、「nuvi205」を買いました。15000円とメチャ安くなったので、ちょうどいいオモチャになるかと…。クルマでも使ってみるけど、海外にも持って行ってみるつもりです。

 話は変わって…
 「本が崩れる」(文春新書)という草森紳一のエッセイ集があります。以前タイトルに惹かれて購入したところ、蔵書談義が語られているのは前半の少しだけで、読んでちょっとがっかりしました。手許にその本が無いので内容は記憶によるものですが、それでも、風呂に入っていると積み上げた蔵書がドサッと崩れる音がする話とか、小型TVが徐々に本に埋まっていって見えなくなってしまう話、本の上に置いた帽子がすぐに埋まってしまう話など、とても他人ごととは思えず、面白かった記憶があります。
 さて、私が自宅でくつろいでいるときには、壁に並べて設置した2台のTV(24型と40型)を正面にして、1人がけのソファに座っています。たいては2台のTVで別々の番組をつけておき(音声は1台だけ)、ソファに座って本を読んでいる次第。読む本は、ソファの右側の壁面の本棚から取るか、周囲に積み上げてある本の山から取るか…といったところ。だいたい、新しく買った本は周囲の床に積み上げておくので、そこから読みたい本を掘り出す形が普通です。で、そのソファの周囲の足元に積み上げてある本の山の1つがこの写真です。

book_s.jpg

 この山は、ソファの右前方、すなわち右手の本棚の前辺りに積まれている山で、この山のおかげで本棚の下の3段に入っている本は、出し入れが出来ないデッドストックになっています。この写真で見る山は、主に文庫本と新書から成っており、今写真で勘定してみると1本の高さは約30~35冊(高さ60センチぐらい)、それが15本ほど固まって出来ているので、この山全体で約500冊というところ。こんな山が、周囲に3つあるので、床の上の手の届くところに約1500冊ぐらいの本が積まれている次第。普段いる部屋は壁一面分だけしか本棚を置いていないのですが、その本棚に収まっている本が、おそらく1500~2000冊ぐらい。手の届くところにある本は、大体こんなものです。
 で、草森紳一ではないけれど、私もこうした床の上に出来る本の山の上に、買ってきた雑誌や貰ったパンフ類はむろん、テレビやDVDレコーダーのリモコン、帽子だのカバンだの、たまに聞くラジオや無線機、そしてデジカメなんてものまでを無頓着に置くので、それらがいつのまにか本に埋まってしまうこともしばしば。特にAV機器のリモコン(全部で8つ)がよくなるなるのが痛い。そして、本が崩れてくることもしょっちゅうあります。
 私は本好きの人様がどうやって本を整理しているのか知りませんが、自分自身は増え続ける本はもうどうしようもない、手のうちようがない感じ。このままの現状でいこうかと思っています。今のマンションに本が入らなくなったら、転居するだけ。まあ、オフィスの方にも膨大な本が置いてあるので、オフィス兼物置…の方を拡張する手もあります。

2010年06月11日

●欲しいデジカメがない…

 ホントに、私はデジカメを買わなくなりました。以前も書いたように、ここ約1年間は、F200EXRとF70EXRの2台を中心に、時々GRD2を持ち出すという感じで使っていますが、新製品ウォッチは続けていても、この2台を決定的に上回るようなスペック、魅力のあるカメラが商品化されません。評判の高かった一部機種、例えばリコーCX3とキヤノンS90は短期間使う機会がありましたが、別に欲しいとは思いませんでした。
 昨今流行りのミラーレス一眼にも魅力を感じません。仕事も含めてちゃんと撮るなら普通のデジイチを使いますし、日常使ったり旅行に持っていくにはミラーレス一眼と言えども大き過ぎます。コンデジの2倍以上の重量とサイズのカメラを、毎日使うカバンに入れておく気にはなれません。リコーのGXRは少しだけ食指が動きましたが、いちばん使いたい50mmF2.5をつけた状態で420gを超えるとなると、ミラーレス一眼と大差ない重量です。私が毎日持ち歩くカメラ、海外旅行にもって行きたいカメラの重量の上限は、200gがメドです。
 思えば、この「WS30の世界」というサイトは、2001年からもう9年間も書き続けており、トイデジからスタートして、いろいろなデジカメを追っかけてきました。それが2008年~2009年頃になって普及価格帯のコンデジに1000万画素素子の採用が定着し、画像処理エンジンの完成度も飛躍的に高まり、一方で撮像素子にはブレークスルーといえるほどの劇的な機能向上はなく、もとよりレンズを含む光学系はずっと昔から決定的な進歩が無い状況にあって、画質向上をメインとする普及価格帯~中上位価格帯のコンデジの基本機能の高度化はほぼ頭打ちになった…、と言えるのかもしれません。コストに糸目をつけずに、細かい部分で徹底的に高画質を追求すれば話は別でしょうが、実売で2~3万円前後のデジカメは、いまやどの機種を買ってもそこそこの性能が得られ、裏を返せばどれを買っても大差がないという状況です。
 基本機能以外の撮影機能では超高速連写やフルHD動画撮影、それ以外の付加機能ではGPSの搭載や無線LAN機能の搭載に始まり、プロジェクター機能3D撮影機能などいろいろな高付加価値化の試みがなされていますが、これらの機能に対する評価は、まあ個人的な好みとニーズの領域です。結局「日常記録用カメラ」として使うには、いまや実売価格が1万円台の半ばの機種でも、そう大きな不満はないでしょう。そして、それ以上に携帯電話やスマートフォンに搭載されるカメラの基本機能の向上が、エントリークラスから普及価格帯のデジカメの存在意義さえ、危うくしようとしています。私自身も、最近はスマートフォンのカメラを使う頻度が最も高い状況にあります。
 メーカーさんにお願いをしたいのですが、こんな私がすぐに欲しくなるような魅力的なコンデジ、200g以下の小型・軽量・高性能コンデジを、ぜひとも商品化して下さい。

2010年06月07日

●SC-01Bの内蔵カメラ

 SC-01Bの内蔵カメラ、実はかなり画質がいいと思います。同じCMOSの300万画素の内蔵カメラを持つiPhone3GSで撮影した画像と比較すると、SC-01Bの方が発色はナチュラルだし、見かけ上の解像感も高いと思います。
 何より差がつくのは、暗所での撮影です。SC-01Bの内蔵カメラは、暗所での撮影に非常に強く、暗いバーの中などで撮影してもそこそこに写ります。iPhone3GSは、暗いバーの中などでは、まともに撮れません。マクロ撮影もSC-01Bの方が強いと思います。
 twitterを日記代わりに使っている私は、よく飲食店内の画像をアップしますが、SC-01Bのカメラは重宝します。

 以下の画像はSC-01Bで撮影した画像ですが、日常のメモ的な記録に十分に使える画質です。シャッター音を非常に小さくしているので、どこでも遠慮なく撮ることができます。

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2010年06月03日

●Dickies874

 以前私は、普段着としてタカヤ商事という作業服メーカーのGRANCISCOブランドのカーゴパンツを愛用している…と書いたことがあります。それは今でも変わらないのですが、カーゴパンツに飽きてくると着たくなるボトムが、Dickiesのワークパンツ、874です。このDickies874は、近所のジーンズショップでは5000円ちょっとするのですが、うまくネットショップで安売りしていると、3000円以下で買えるので、カーキやモスグリーン、ネイビーなどお気に入りの色を安い時にまとめ買いしておき、主に春から初秋頃まで気が向くと着用している次第です。Dickies874は、股上の深さやワタリ部分のゆとり、サイドポケットの深さが異なるタイプが2種類あります。詳しくは知りませんが、おそらくアメリカ企画のものと日本企画のものの違いだと思います。個人的には股上が深くてワタリにゆとりが大きいタイプが好きですが、このタイプが買えるネットショップはごく限られています。Dickies874は、ゆったりはけて、軽くて丈夫、畳んでもかさ張らないし、洗って乾くのも速いので、GRANCISCOのカーゴパンツと同じく、海外旅行に持っていくには最適です。

2010年06月02日

●DEGEN「DE1123」

 またラジオを購入しました。DEGENの「DE1123(2GB)」です。楽天の某ショップで4980円。ワールド無線では7500円ですし、eBayでも50ドル前後なので、かなりお買い得だと言えます。そんなにラジオばかりかってどうするんだ…と言う声が聞こえそうですが、ラジオが好きなんだからしょうがありません。
 ほぼ機能が同等ながらDE1125という上位機種があるんですが、こちらはリチウムイオン電池、1123の方は単4型電池3本で動作するので、使い勝手を考えると文句なしに1123に決まり。しかも単4のニッケル水素電池を使えば、本体に入れたままでUSB充電が可能です。
 まだ使い始めたばかりですがAM、FMの感度はまあまあです。短波は思ったよりもよく入ります。アンテナをなんとかすれば、BCL用途にも使えそう。DSPラジオらしい、バランスが取れた製品だと思います。録音機能については、ちょっと使ってみた限りでは、AMラジオのトーク番組を再現するには十分な音質。語学の学習にも使えるでしょう。
 それにしても、このDE1123と言い、以前購入して愛用しているRAD-S330N(DEGEN「DE108」)と言い、こうした面白いラジオ、特に短波ラジオをなぜ日本のメーカーは作らないのでしょう…

2010年05月29日

●iPADを使ってみました…

 昨夜、初めてiPADをじっくりとイジリ倒しました。基本機能は「でかいiPhone」そのものであり特筆する部分はありませんが、サイズと重量のバランスは思ったよりも使いやすいし、画面の視認性や、画面サイズが大きくなったことによるタッチ操作のしやすさ、縦横表示の切り替えなども含めて、見やすく、使いやすいタブレットデバイスだと思います。特にiPhoneユーザであれば、そのまま普通に移行することができるでしょう。
 また、注目したいのは、これまでiPhoneユーザではなかった、初めてタブレットデバイスを使うユーザ層です。画面サイズが大きくなったことによる表示情報量の増加とタッチ操作のしやすさを考えれば、むしろiPhoneよりも、誰にとっても使いやすいデバイスです。
 ただし、電子書籍端末としては、視認性・操作性は問題なくても、大き過ぎるし重過ぎるので、使う気にはなりません。電車の中でつり革につかまって立ち読みするのはつらいし、寝転がって手持ちで読むのもつらい。これも予想通りです。

 今年度の国内出荷予測が50万台程度と、ちょっと市場が小さいのが気になるところですが、ビジネスターゲットとしては面白いので、早速私の会社でもiPAD対応コンテンツの開発をスタートさせました。iPhone用アプリと基本的な方向性は同じですが、たまたま私の会社では医療用ソフトなども作っているので、そういった方面でもアプローチしてみたいと思っています。

 それにしても、iPADのコンセプトと機能については、先に書いたように特に目新しいものではありません。これまでにも、WindowsやlinuxなどのOSを採用したサイズ、重量、表示解像度、そして機能がiPADとほぼ同等のネットワーク対応のタブレットデバイスが何種も商品化されてきました。でも、はっきり言って過去にタブレットデバイスで市場的に成功したものはありません。その中で、iPADが初めて市場で成功を収めつつあるわけですから、面白いものです。むろん、その理由は誰もがはっきりとわかっています。そして、iPADだけが成功した理由こそが、iPAD向けのコンテンツを創りやすい理由ですし、iPADを利用したビジネスモデルをコンセプトしやすい理由でもあります。

 基本的にiPhoneユーザ、iPADユーザは、その特徴を次のように考えることができます。
 …自分自身のことを「社会の動きに高感度」「感性に優れる」「高い社会性を持つ」…などと考える層が多く、しかも比較的高所得で、消費行動が活発、高学歴かそうでないにしても自分のことを頭がよいと自覚し、「エコ」とか「環境」といった言葉に敏感な層…、といったところでしょう。こうした層は、消費行動が読みやすく非常にマーケティングしやすいわけで、それに従ってコンテンツを展開していけばよいわけです。

 まあ、これまでにも書いてきたように、個人的にはiPADを使う予定は全くありませんし、興味もありません。仕事にも日常の情報行動にも、ネットブックの方がはるかに使いやすい。でもビジネスでは、iPADに、そしてむろんiPhoneにもAndroid系スマートフォンにも、しっかりと対応していくつもりです。
 そういえば昨日のエントリーで、「iPhoneやiPAD対応の電子書籍が、当面は自己啓発系やライフハック系などロクでもないものばかりになるのが嫌だ…」といったことを書きましたが、個人的にはこの手のコンテンツに全く興味がなくとも、ビジネスとしては十分に成り立つ…と考えています。だから、会社の方ではこうした「安易な電子書籍コンテンツ」にも注力していこうと思っています。個人の好みとビジネスは別物です。割り切って、楽して稼ぐことが肝要です。

 ところで、今日のエントリーを書いていたら、前にも似たようなことを書いた気がしたので調べてみました。
 もう5年以上前ですね、2004/8/30の日記で、次のようなことを書いていました。まったく私は進歩がないですね。



 …Macユーザの第一の特徴が「インテリで所得が高め」だってのはよく知られているところ。アメリカのマーケット調査会社によって「Macユーザは Windowsユーザと比べて高所得で高学歴」という調査結果がしっかりと提示されています。でMacユーザは、この「インテリで高所得」に加えて「心情 的反体制または自称オルタナティブ」であり、さらに「『文化』という言葉に弱い」という特徴を持つことは確実です。「Windowsのような体制派とは違 う」という点にアイデンティティを見い出し、さらに「新しい文化の担い手」なんて言葉を聞くと、もう無条件で喜ぶタイプ。これって、マーケティングを考える立場からすると、「もっとも乗せやすい」ユーザ層ということになります。単純なミーハー層は流行に対する好みがどう転ぶかわからないし、ガチガチの保守派は逆に複雑なマーケティング手法を応用する余地が少ない。自らを革新的と考え、自分は流行に左右されないと自認している層こそが、実はもっとも「マーケティング手法を使って恣意的に流行を与えやすい」層である…

2010年05月28日

●いまのところ、ロクな電子書籍がないけど…

 私は、電子出版に対して非常に大きな期待を抱いています。前回のエントリーでも書いたように、基本的には自分自身が電子出版の利便性を享受したいためですが、こうした期待とは別に、電子書籍プラットフォームの標準化進展に対して一抹の不安もあります。それは、著者が作品を直接販売できる…、つまり誰でも「著者」になれるし、誰でも「版元」になれるという…部分への不安です。

 そういえば、かつてDTPシステムが登場した時に「出版民主主義」という妙な言葉でもてはやされたことがありますが、実は電子書籍こそが本当の出版民主主義をもたらすわけで、事実amazon kindleによって個人が印税35%の電子書籍を出版できる状況が現実になっています。
 こうした状況を受けて、最近、電子出版、電子書籍を肯定・礼賛し、既存の出版事業への疑問を投げかける論評が増えてきています。こうした電子書籍と既存出版業界に対する典型的な問題提起はといえば、例えばこちらのようなものです。でも、ここで述べられている話の方向性は、私が望む電子書籍とはかなりベクトルが異なります。
 例えば、電子出版で先進的動きを見せ、それなりに実績を上げつつあるディスカヴァー21など、自己啓発本とビジネス書ばかりで、私が読みたいと思う本は1冊もありません。また、誰でも簡単に自分で作ったコンテンツを電子書籍として販売できるとなると、個人が持つちょっとしたノウハウやら、個人が撮影した写真集やら、ある種「個人Webサイトの電子書籍化」に近いものが氾濫するでしょう。どうでもいい啓発本、ハウツー本など、別の読みたくもない本、言わば情報エントロピーの低い「本」ばかりが溢れる可能性の方が高いような気がします。具体的に例を挙げるとは、日垣隆や小飼弾のような現在電子書籍で実績を挙げている著者の本など、私は別に読みたくもありません。

 昨日のエントリーで大手出版による電子書籍の刊行を望む…と書いたのは、私のような本好きは、電子書籍であってもやはり、きちんとした質の高い小説やドキュメントを読みたいからです。例えば、私が愛する翻訳ミステリー、S.J.ローザンの新作やマイクル・コナリーの新作を電子書籍で読みたいとなると、そこにはどうしても既存出版社の版権が必要になります。
 にもかかわらず、既存出版業界に挑戦する…なんて話で、勝間和代の啓発本みたいなどうでもよいコンテンツばかりが、有象無象の新興電子出版企業から書籍化されても、ちっともうれしくありません。実際にiPhone用のアプリの電子書籍ジャンルで現在読めるコンテンツなど、ロクなものがありません。

 そういえば昨日以降、ソニー、凸版、KDDI、朝日新聞の四社が電子書籍配信事業に関する事業企画会社を設立する…というニュースが話題になっています。これなど、講談社の他に小学館、集英社なども参加するようなので、かなり期待してしまいます。また、ソニーも現在欧米で展開している電子書籍端末「Reader」がE Inkを使った非常に読みやすく使いやすい端末なので、これをベースにした読みやすい電子書籍端末を国内向けにも提供しくれると、期待しています。

2010年05月26日

●大手出版社は、早く電子出版ビジネスを立ち上げろ!

 もういい加減に、電子出版ビジネスを本格的に展開して欲しい。例えば今日の私は、外出する用事があったので、電車の中で読むために文庫本を3冊と新書を1冊カバンに入れて出かけました。これはけっこう嵩張るし、重い。平均250gとしても、4冊で約1kg。これが290gのKindle2に全部入るわけだし、数百冊入れておけば、いつでもどこでも好きな本が読め、海外旅行にも大量の本を持って行ける。こんなにテクノロジーとネットワーク環境が進み、著作権保護技術も成熟しつつある世の中で、日本に住む「本好き」は、なぜ電子出版のメリットを享受できないのか、どう考えても不本意です。
 以前も書いたように、既存の出版社が電子出版に乗り出すには、権利関係など多くの問題があることは十分に承知しています。しかし、現行の出版契約をそのままにして、現行の「本」と同じ価格でダウンロードさせるのであれば、さしあたり経営上の大きな問題は生じないはず。とりあえずそれでいいんです。電子出版だからといって価格を下げなくてもいいし、著者との印税契約なんかもそのままでいい。困るのは、さしあたり書店と取次店ですが、産業の変革期にダメになるビジネスが出てくるのは、やむをえないことでしょう。第一、本好き、活字好きの私としては、電子出版ビジネスが進んだとしても「本」も無くさないで欲しい。書店で本を書う楽しみ、印刷された本を読む楽しみを手放す気はありません。ましてやお年寄りや子供は、従来の本の方が読みやすいでしょう。

 最後に、カラーの雑誌はiPADでもいいけど、「書籍」をiPADで読むのは勘弁して欲しい。あんな大きくて重い端末を持ち歩くのは嫌だし、長時間読んで目が疲れないという面では、バックライト付きのカラー液晶よりも、モノクロの反射型ディスプレイであるE-inkの方がずっといい。「ヘビーな読書好き」「本好き」の多くは、iPADで本を読むよりもKindleで本を読む方がしっくりと来るはずです。特に、文庫や新書はKindleで読みたいなぁ…

2010年05月25日

●ハングルの誕生 ~音から文字を創る

 野間秀樹「ハングルの誕生 音から文字を創る」(平凡社新書)を読了しました。読み終わって、少し興奮しています。いや、こんなに面白い本を読んだのは、久しぶりです。年に数百冊の本を買い、うち3冊に1冊は面白くないと途中で読み捨ててしまう、筋金入りのすれっからしの本読みである私が、「面白い」と絶賛するのです。過去10年間に読んだ本の中でも、5本の指に入るか、それ以上の面白さです。この感触を、誰かに伝えたくてたまりません。

 内容は…といえば、タイトルの通りです。ハングルという文字体系(訓民正音)が、いかにして15世紀の朝鮮王朝で創られたか…という、ただそれだけのシンプルな話ですが、上質のミステリーを読むように、ページをめくるのが待ちきれないようなスリリングな興奮を掻き立ててくれる物語になっています。
 ハングルがカタカナ、ひらがなと同じような表音文字であり、李氏朝鮮の第4代国王世宗によって創られたことは、むろん知っていました。独特の形は、子音と母音の字母を組み合わせたもので、非常に合理的かつコンセプチュアルに創られたことも知ってはいました。また、本書の序章で紹介されているように、インドネシアの少数民族がハングルを文字として採用した話も知っていました。しかし本書を読んで、そんな知識のレベルでは到底わからなかった「ハングル」という文字体系が持つ本質的なオリジナリティを知ることになりました。先に「ハングルがカタカナ、ひらがなと同じような表音文字」と書きましたが、「カタカナと同じ」という理解の仕方自体が間違っていることを知りました。

 第2章で、同じ漢字文化圏である日本語との対比でハングルが語られます。ハングル以前に存在した「口訣」は、万葉仮名のように漢字を借りた表記方法です。さらに「吏読」などは、高校の漢文の授業で返り点をつけて漢詩を読まされたわれわれには、非常に理解しやすい話です。言語が異なる他の国の文字に、自国の固有の発音体系をなんとか重ねようとする(著者は「レイヤー」と呼びます)手法は、アプローチの方法としては韓国も日本も同じです。「訓読」とは何か…が、あらためて理解できました。
 こうして、第1章、第2章までに語られるハングル誕生の背景は、第3章以降の具体的なハングルの創造プロセスへの言及部分に大きな期待を抱かせます。

 第3章以降の内容については、ここでは詳しく書きません。本書のもっとも面白い部分であり、これから読む人の興を削いでしまうからです。
 ともかく、「言語学」さらには「音声学」「音韻論」などというものが体系化されていなかった時代に、「音素」といった考え方がまだ知られていなかった時代に、どのようにして多様な「音」を体系化し、「文字」に置き換えていったのか、そこにどんな「合理」があったのか…、そのワクワクドキドキするようなプロセスは読んでいると興奮します。また「訓民正音」を創った世宗とそれを助ける若き秀才官僚たちの驚嘆すべき知的営為には、ただただ頭が下がります。これは、白紙の状態から「新しい文化」を創りだす試みと同時に、当時絶対視されていた中華世界からの文化的自立の試みでもありました。同時代の日本の知識人の動向、今も残る幾多の思想書や文学作品を見れば、これがいかに大変なことであったか、よくわかります。
 さらに、第6章 正音─ゲシュタルト(かたち)の変革…まで読むと、なぜ韓国で独自の金属活字印刷技術が発展したのかがよくわかります。また、短い最終章では、コンピュータによる言語処理とハングルが高い親和性を持つ理由がよく理解できます。

 この本には、「言語」そして「文字」の本質が散りばめられています。序で著者が断っているように、本書を読むにあたって言語学の知識などは不要でしょうが、私のように興味本位でもソシュールやヴィトゲンシュタイン、ロラン・バルトなどを読んだり、記号論の本を読んだり、吉本隆明「言語にとって美とは何か」、三浦つとむ「日本語はどういう言語か」なんて本を読んだことがある人間なら、さらに本書内容への興が増すかもしれません。また私は、たまたまコンピュータの全文検索システム関係の仕事に携わったことがあったので「分かち書き」や「形態素解析」といったことに馴染みがありました。パソコンの創世記にDTPシステムや文字フォントの開発に関わった経験があったことも、本書への興味を深くした原因かもしれません。しかし、そうした知識や経験の有無に関わらず、本書の面白さは変わらないはずです。わからない部分があれば、読み飛ばしても構いません。多少読み飛ばすぐらいでは、本書の面白さが損なわれることはないと思います。

 また、著者は非常に文章が上手いと思います。軽妙な語り口で、読みやすく、多少難しい内容をもうまく平易に説明しています。歴史、文化から言語学、記号論、音声学など多岐に渡る内容をうまくまとめ、飽きさせずに引っ張っていきます。また本全体の構成も含めて、著者だけでなく、優秀な編集者がいてこそ出来た本でしょう。編集者が膨大な作業と努力をした結果できた書物であることがよくわかります。
 これだけの内容の本を、誰でも読める安価な新書版で刊行したことにも、大きな意味を感じます。

 野間秀樹「ハングルの誕生 音から文字を創る」は、素晴らしい本です。面白い本です。言葉や文字に対して少しでも興味を持つ人には、絶対にお薦めできる本です。

 最後に、この本の紹介をするにあたって、ひとつだけ気になることを書いておきます。こういった紹介文を書くと、「ハングルを礼賛している」としてわけのわからない批判をする人が出てくる可能性があります。言いたいことはおわかりでしょうが、この本の面白さは「ネトウヨ」らの批判とは無関係です。他意のない単なる読後感想に、こんなくだらないことを書き添えなければならいことに、悲しみを覚えます。

2010年05月24日

●タイにおけるアンシャン・レジームの崩壊

 私などにえらそうなことを書く資格も知識もないことは十分承知の上で、タイの今後について、さらに書いてみたいと思います。

 前回、今後タイ社会が内乱状態になる可能性もある…とは書きましたが、私はタイという国が嫌いではありませんから、むろんそうなって欲しくはありません。事実、週末以降は各地の騒乱はとりあえず収まってきています。昨夜、スクンビットのトンロー近くに住む在タイの友人に連絡したところ、夜間の銃声なども聞こえず、概ね落ち着いてきているとのことでした。ボランティア市民も参加しての各所の跡片付け進み、まもなくBTSもMRTも正常運行に戻るとのことで、バンコク市民のとりあえず安堵する気持ちが伝わってきます。

 ただ、今回のUDDデモを武力鎮圧したことで、何かが解決したわけではありません。農村部と都市部の住民の間、そして都市部においてもスラムに住むような貧困層や東北部からの出稼ぎ農民と、もともと都市部に住む富裕層との間には、もはや埋められない溝が掘られてしまったように思います。いや、今回の騒動で埋められない溝ができたのではなく、もともとあった埋められない溝に、国民の全員が気付いてしまった…ということでしょう。アピシット政権は、今回のデモ騒動に対して社会階層間の融和策を打ち出していますが、小手先の融和策、例えば農村振興策や都市部の最低賃金の引き上げ…といった対策では、社会の本質的な矛盾に目を向け始めた農村部の住民や都市部の貧困層をごまかすことは不可能です。

 現状のタイ社会では、大企業の経営者はむろん、高級官僚から各種団体の幹部、軍や警察の幹部に至るまで、タイ社会で成功の要所となる社会ポジションや職業、またはうまみのある公職は、ほぼ独占的に旧貴族、富裕層の出身者が占めている…という現実があります。タイには相続税も固定資産税もないので、効率的に富を再分配するシステムもありません。そして既得権益を持つ層は、何が何でもそれを手放したくないのです。
 社会階層間の融和策を打ち出したアピシット政権ですが、彼らが本気で階層間の格差をなんとかしようと考えているとは、到底思えません。タイ社会で既得権益を持つ層は、単に既得権益を守りたいが故に下位の階層の社会進出を阻もうとしているだけでなく、下位の社会階層には正しい政治判断など無理だ…という強烈なエリート意識を持っています。農村部の住民が参加すると衆愚政治に陥る…と公言する、エリート層出身の政治家もたくさんいます。
 スワンナプーム空港占拠事件の折に明らかになったPAD(その構成員、支持母体や資金源については、他に詳しい解説が多いので割愛します)の主張は、タクシン元首相の影響力一掃…以外に、「下院議員の7割を任命制、3割を公選制とする」…という、近代民主主義の原則とは、およそ相容れないものでした。「責任ある選良(エリート)に主導される社会」こそが、PADに代表される、既存エリート層の主張なのです。

 さらにバンコクを中心とする都市部のエリート層の多くは、農村部の住民、特にイサーン地方の住民や出身者を、バカにします。バンコクには、イサーン地方の方言を話しているだけで、露骨に侮蔑の対象とするような人が非常に多いように思います。もともとタイ人は、ラオスやミャンマー、カンボジアなど、経済的に遅れた隣国をバカにする傾向があります。経済的優越感の裏返しというか、悪気はないのでしょうが、特にラオス人をバカにするケースは一般的で、「お前はラオス人のようだ」的な相手を侮蔑する常套句があるぐらいです。イサーン地方の文化や言葉はラオスのそれに似ているので、そうした部分を、特にバンコク市民がバカにする傾向があります。
 今回の]UDDデモにおいても、東北農村部の住民がバンコクで放火や略奪という形で暴れまわった背景には、そうした長年バカにされ続けてきたことによって鬱積したものがあったのかもしれません。

 ともかく、PADに代表される既存エリート層の多くが、「判断力が乏しい農村部の人間や教育レベルが低い貧困層には、平等に参政権を与えるべきではない」…と考えているわけで、そうした主張に対して、人口的に多数を占める下位社会階層の人々が黙って従っていたら、そちらの方がよほど不自然です。
 いまやタイでは大学進学率が30%を超えて、さらに伸びて続けています。この数字の中には、無試験で入学できる「オープン大学」(スクンビット・ソイ23にあるシーナカリンウィロート大学など)が含まれているとは言え、最近では「普通の家庭」や「農家」の子供が名門大学に進学するものも珍しいことではありません。第一、日本の大学もその半分、いや半分以上が事実上「無試験のオープン大学」です。現在のタイでは、地方都市でも、塾に通いながら一流大学を目指して受験勉強に励んでいる高校生も多くいるぐらいで、感覚的には1980年代から90年代初頭あたりの日本と同じです。こんな状況の中で、「責任ある選良(エリート)に主導される社会」…などという時代錯誤なPADの主張、すなわちタイの旧支配層の主張が、広くタイ社会全体から受け入れられるわけがありません。
 そういえば、UDDの指導者の1人に、「スラムの天使」として国際的に知られ、マグサイサイ賞を受賞している元上院議員のプラティープ・ウンソンタム氏がいます。今回の騒乱で、クロントイ地区のスラム住民を組織化した彼女にも逮捕状が出ているというニュースがありましたが、彼女の存在は、今回の騒乱が「階級闘争」であることの1つの証しでしょう。

 タイにおけるアンシャン・レジームの崩壊は、まさに始まったばかりです。

2010年05月20日

●終わりの始まり ~バンコクで起きた政治動乱

 私は、ここ7~8年、タイで事業を展開する日系企業との仕事で、必ず年に数回はバンコクを訪れています。特にここ数年、日本人、タイ人を問わず、在タイの知人もずいぶんと増えました。
 今回のバンコクの騒動、いや政治的動乱の要因と行方について、マスコミだけでなく、在タイの日本人や、ビジネス上のつながりからタイに詳しい日本人がたくさん、Blogなどでその原因や今後の見通しを書いていますが、わたしも思うところを書いてみたいと思います。これは、たまたま今日(20日)からのバンコク出張が中止になったこともあって、タイの政治状況が非常に気になるからでもあります。

 私が最初にバンコクを訪れたのは1980年頃ですが、当時はまだ、ちょっと裏道に入ると未舗装の道路も多く、埃っぽさと喧騒と猥雑さと活気にあふれた「エキゾチックなアジアの都市」でした。しかし、今世紀に入ってから頻繁に訪問するバンコクは、急速な経済発展の中で、市域内に次々と大型ショッピングモールが開設され、また高層コンドミニアムの建設ラッシュ、BTS、地下鉄など公共交通機関の開通などもあって、急速に、東京、香港、シンガポール、クアラルンプールなど他のアジアの大都市と同じような「近代都市の顔」へと変貌して行きました。何よりも、他のアジアの大都市と同じくグローバリズムの洗礼を受ける中で、西欧系のブランドショップが立ち並び、中心部のどの街角にもマクドナルドなどのファストフードと、「スタバ」かスタバもどきのカフェが開店している状況は、東京の街とほとんど変わりません。
 一方で、バンコクの中心部からちょっと北の戦勝記念塔付近や、ちょっと東のスクンビットやエカマイ周辺へ行けば、おしゃれな飲食店などと混在する形で、あちこちで屋台街や安食堂が繁盛し、また大通りを1本入った狭いソイや裏道を覗けば、庶民の暮らし、猥雑な生活空間をもしっかりと見ることができます。大ホテルに滞在する短期ツアー観光客でも、無理せず安全に行動できる範囲で、利便性の高い近代都市と、懐かしくエキゾチックなアジアの都市…という2つの顔を簡単に体験できるバンコクは、多くの人が魅了されるのも無理はありません。

 さて、こうした短期滞在でバンコクに惹かれ、リピーターとなる人たちの多くが、タイという国に対して、「微笑みの国」「癒しの国」というイメージを持ち、さらにはタイに暮らす人々を「穏やかな国民性」「ホスピタリティを大切にする国民」…といったイメージで見るようになります。確かにその通りの部分もありますが、私が知るタイという国、そしてタイ人の平均的なメンタリティを見ると、こうした「穏やか」というイメージはあくまで一面に過ぎません。少なくとも、日本人の平均よりは、タイ人の方がはるかに「熱くなりやすい」ということは、タイに長く住んでいる人、タイ人のメンタリティをよく知る人なら、誰もが言うことです。
 そして、もう一つあまり知られていないのが、タイは「銃社会」であるということです。タイの新聞の社会面を見ていると、「痴情のもつれで喧嘩をした相手を射殺した」とか、「浮気した亭主を妻が射殺した」…といった記事をよく見かけます。銃を使った強盗時間も頻繁に起こります。タイ社会には、日本となどとは比較にならないほど銃が蔓延しており、実際に誰でも安く入手することができます。これほど銃が蔓延し、しかもしょっちゅう銃が使われていることは、タイを「穏やかな社会」などと思い込んでいる人には、想像ができないかもしれません。
 さらにタイ人は、「面子(メンツ)」にこだわる人がかなり多いと思います。表面的には中国人やベトナム人ほどメンツにこだわらないように見えますが、実は自分が「馬鹿にされた」とか「なめられた」と感じると、顔色を変える人が非常に多いかもしれません。
 これらの事実を併せた結論は、タイ人は、すくなくとも日本人と較べると、ずっと「激しやすい」国民であり、「怒れば、黙っていないで行動する」国民です。「じっと耐える」という言葉は、タイ人には似合いません。

 今回の政治的動乱の要因を、政治的には「社会階層(階級)間の闘争」、及び「下位・農村部社会階層の一部を利用した、上位階層間の権力闘争」…と見るのは常識です。ニューズウィークの記事にあったように「…泥沼化にもかかわらず、タクシンを追放したエリート層が後悔している様子はない。彼らにとって、タクシンはポピュリストのデマゴーグ(大衆迎合主義の扇動政治家)だった。タクシンは無教養な農村貧困層の大衆を操って権力を握った。第2のウゴ・チャベスになっていたかもしれない、というのが彼らの見解だ…」ということでしょう。一方で、同じ記事に「…農村の有権者を政治に参加させることで、タクシンは都市のエリート層の権力に対するチェック機能をつくり出した。タクシン政権は民主主義を実現したが国は分裂させた、というのは正しくない。分裂させたからこそ、民主主義的だったのだ」…とあるように、タクシンが立憲君主制のもとで特権階級のエリート層だけが利益を享受できる仕組みになっていたタイ社会に、一定の民主主義的な成果をもたらしたことも事実です。タクシンに、自らの権力のために、膨大な数の下位・農村部社会階層を利用した…側面があったとしても、タクシン政権下で現実に一定の経済力と政治的発言力を得ることになった下位・農村部社会階層は、タクシンの思惑すら超えたところで、政治的に目覚めた「主張する社会階層」へと変貌しつつあるように思います。

 また、今回のUDDの行動を「行き過ぎ」とし、「タクシンが暴力行為と社会分裂を扇動している」…と見る人は多いと思います。しかし、国際政治の常識から見る限り、行動の正当性はタクシン及びUDD側にあります。2006年9月の軍事クーデターでタクシンが追放され、2008年に起きたPADによるスワンナプーム空港不法占拠と憲法裁判所がタクシン派の与党「国民の力党」に解党を命じたことで、タクシン派は、不当な手段で政権を失いました。すくなくとも「選挙」によって選ばれた政権を軍事クーデー等で打倒した結果できた現在のアピシット政権は、選挙の審判を受けていません。「民主主義の原則」から見れば、いまなおタクシン派が政権を担っているべきですし、もっと厄介なことは、現在選挙を行ったとしても、やはりタクシン派が多数を占める可能性は高い…ということです。

 さて、UDDによる市域中心部の占拠は終結したものの、一夜明けた今なお、UDDの一部メンバーによる市内各地での散発的な示威運動、破壊活動は続いています。特に現政権派の財閥や有力者が関係している商業施設や銀行などを標的とした放火・破壊活動が行われています。騒乱は地方にも拡大し、ウドンタニでは5000人規模のUDDの集会が行われ、放火・破壊活動も行われているとのことです。
 タクシンは「軍事制圧は、民衆を怒らせゲリラにする」と発言しましたが、まさにその通りだと思います。現政権にダメージを与えるのなら、大人数で示威活動をするよりも、ゲリラ的に全国で治安を混乱させた方が効果的です。タクシンの立場に立ってみれば、2006年に戦車や装甲車を使ったクーデターで追われたわけですから、その戦車や装甲車と戦うためには、正規戦でなくゲリラ戦でいった方が効果的…と考える方が自然ですし、タクシン自身が実際にそうした行動を指示する意思はあると考えるべきです。
 タクシン派が自衛と騒乱惹起のために溜め込んだ武器と訓練した戦闘集団は、確かに軍隊との正規戦になれば取るに足らないものですが、ゲリラ戦に使うのなら、タイ軍はてこずるし、到底鎮圧は不可能です。私は、今後タイは「半内乱状態」に陥る可能性が十分にある…と考えます。

 こうした客観的な状況に加えて、先に挙げた「タイ人の気質」の問題もあります。「主張する社会階層」へと変貌した下位・農村部社会階層は、ここで簡単に引き下がることはないでしょう。日本人でも、タイで本格的にビジネスをやってみればすぐわかりますが、タイは特権階級による「コネ社会」です。政治家や弁護士、軍や警察の関係者へのコネがなければ、どんなビジネスもうまくいきません。こうした社会を「徐々に変革」していくことは、歴史的に見ても非常に難しく、あまり前例がないことです。特権階級が支配する社会は、一気にひっくり返すことでのみ、変革を実現します。

 そして、タイ人の間では本格的に議論することはタブーとされていますが、この問題は最終的には王室の問題へと行き着くはずです。長い目で見れば、タイは立憲君主制から共和制への移行プロセスを辿らざるを得ないかもしれません。今回、プミポン国王が「黙っていた」のは、マスコミが伝えるように「病気」や「高齢」が理由ではなく、皇室とその周辺が、タイ社会の中で密やかに醸成され始めた、こうした微妙な空気を感じ取っているからでしょう。
 私は、かつて在タイのある人から、タイの王室とその関係者が日本の天皇家・皇室のあり方に強い関心を持ち、熱心に研究していると聞いたことがあります。タイ王室は、共和制移行後の王室のあり方として、日本の皇室のあり方を参考にしようとしている可能性があるかもしれません。

2010年05月12日

●日常雑記 ~「赤い鼻」マスターに合掌

 昨夜は、祈祷師のびびこさんと、他に友人2人、合わせて4人で池袋西口ときわ通り奥の「木々家(はやしや)」へ。いつ食べても、この店のやきとんは絶品です。で、その席で友人のK氏から衝撃的な情報を聞きました。それは、「赤い鼻」のマスターが亡くなった…というもの。何でも10日に葬儀が行われたとのことです。早速、古くからの池袋飲み仲間のKさんやSさんに電話で連絡したところ、皆さん絶句。「木々家」の後で立ち寄ったバー「FREE FLOW RANCH」のマスターも昨夜知ったそうで、非常に驚きかつ残念がっていました。

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 「赤い鼻」というのは、知る人ぞ知る、西口の沖縄料理店。「知る人ぞ知る」という表現にはかなり深い意味があり、料理が美味しい名店…というのとはちょっと違います。カウンターだけの小さなお店で、朝までやっているところから、まあ「2軒目の飲み屋」として使う人が多かったと思います。良くも悪くも沖縄出身の個性的なマスターの人柄に支えられていたお店でした。
 この「赤い鼻」というお店がある場所は、かなり目立たないところで、確か「赤い鼻」ができる前は、阪神大震災で被災して神戸から移転してきた「神戸ラーメン」のお店がありました。その神戸ラーメンが数年で閉店した後に開店したのが「赤い鼻」、だからもう10年以上になるはず。最初の頃はランチなどもやっていたお店でしたが、徐々に飲み屋化し、昨今は深夜の池袋を徘徊するコアな人たちに愛される特異な存在のお店になっていました。
 こんな、一般的には誰も知らない小さなお店のことをあえて書いたのは、愛すべき赤い鼻のマスターのことをWeb上に記録として残しておきたかったから。昨夜、「木々家」で飲んだ後にその「赤い鼻」の前を通ったら、電気が消えて真っ暗になっていました。ワタガラス豆腐や、酢でじっくり煮た鳥モモを食べながら、シーカーサーサワーを飲む、ゆったりとしたひと時…。あのカウンターで、もう飲めないと思うと実に寂しいです。

 ところで、祈祷師のびびこさん、本当に愉快な方です。そして、見掛けよりも(ゴメンナサイ)ずっと真面目で誠実な人。それにしても、今時「祈祷師」という肩書きで食べている人が存在するのは、やはり驚異。この不況の時代、精神的な拠り所を求める人はますます増えるでしょうが、がんばって欲しいものです。

 長く使っていたオリンパスのICレコーダーが壊れたので、買い換えました。どれにしようかと悩んだ挙句、購入したのはSANYO「ICR-PS502RM」。内蔵2GBに加えてMicroSDの4GBを入れて使い始めました。ズーム録音の感度が良好で音質もよく、気に入りました。もう少し使い込んだら、使用感など詳しく報告します。

 携帯電話の公式サイトでやっていたコンテンツをパクられました。うちの会社のコンテンツをそっくりパクってiPhone用アプリにして売っていたのです。とりあえずiTunesに連絡して、権利侵害申立を行いましたが、iPhone用アプリは非常に本数が多く、またあまり権利関係の審査が厳しくないので、一部でパクリが横行しているという話も聞きました。法的措置も取るつもりです。うちのコンテンツをパクったiPhone用アプリを販売するバカ会社はugatta と、Rakudoor(楽道)です。ugattaなる会社のHPを見たら、「経営理念:Fairness/公平性を重んじ…」とありますが、堂々と他社のコンテンツをパクって「Fairness」とはブラックジョークでしょう。本当にひどい話。

2010年05月11日

●twitterの使い途

 ちょっと前に、「twitterなんて、使っているのは、目立ちたがりの経営者と政治家と芸能人とヒマ人だけ…」なんて話がありましたが、実は私もそれに近い感触を持ってはいます。まあ、そこまでとは思わないにせよ、個人的にはあまり使い途がありません。最大のネックは「140文字」という制限で、私のような「饒舌」ならぬ「饒筆」な人間にとっては、ちょっと何かを書こうと思うと、全く字数が足りません。さらに、きちんと意見を述べるためには、やはり140文字では足りないことの方が多い。ビジネスでの利用た広告媒体としての利用も始まっていますが、いまのところそれほど重要なメディアとは考えていません。
 それに私は、「ソーシャルメディア」なるものの必要性が、個人的にはどうしてもわからない。社会的必要性については様々な意見があろうかとは思いますが、ともかく個人的には不要です。だいたい、見知らぬ人とコミュニケーションをとるのは非常に面倒。どの程度のコミュニケーション能力や知性を持っているのかわからない人間と、ネット上で議論をしたり交流したりするなんて、やってられません。ともかく、ビジネスもプライベートも含めて日常のコミュニケーションはメールと電話で十分。公に対して個人的な意思表示をするならWebサイトが有効だとは思います。私の場合はBlogシステムを使っていますが、コメントもトラックバックもオフにして使っているので、通常のWebサイトと使い方は同じです。CMS代わりにBlogシステムを使っているだけます。
 そんなわけで、twitterのアカウントを作って以降、何に使おうか考えてきたのですが、最近思いついたのが「読書記録」です。実際に10日ほど前から使ってみたら、これがけっこう便利です。私は、ところ構わず本を読み、しかも同時に何冊も併読し、電車の中やカフェの中など、どこで読了するのかわからない濫読生活を送っているので、通常の読書日記をつけようと思うと、その日に読み終わった本がどれで、読書中の本がどれで…といったことが、よくわからなくなり、面倒になってしまっていたのです。ところが、スマートフォンや携帯からも簡単に書き込みできるtwitterなら、読了と同時に、また読み始めると同時に、場所を問わず本のタイトルを記録しておけます。これって、意外と便利です。別に感想を書かなければ、140字でも十分なので、当分は備忘録代わりに、twitterで読書記録をつけていこうと思っています。

2010年04月28日

●アップルのネット通販規制

 ここ数日、アップルがネット通販規制に乗り出した件で、様々な憶測が飛び交っています(沢尻エリカの離婚についても様々な憶測が飛び交っていますが…笑)。まあ、アップルの場合は別に深い理由などなく、単に値引き販売を規制し、製品販路を完全にコントロール下に置くことで、製品イメージのアップと利益率の安定を狙っているというだけの話でしょう。
 アップルによる販売規制と言えば、あれは1980年代末頃だったと思いますが、行徳に本店があった安売り店「STEP」を思い出します。はっきりとは覚えていないのですが、確かSTEPが平行輸入品のMacintoshを廉価販売して、当時の正規代理店であったキヤノン販売との訴訟にまで発展しました。STEPで購入した平行輸入品のMacの修理をキヤノン販売が経営するゼロワンショップに持ち込むユーザが多かったために、キヤノン販売が業を煮やした…という話だったと思いますが、あのトラブルにもバックには、廉価販売を止めたいアップルの姿があったように感じました。

 私は仕事上でアップルとの関わりはかなり古く、私の会社は1980年代後半から90年代前半にかけての一時期、アップルの公式デベロッパーをやっており、Mac純正プリンタのドライバなどを開発していた他、Mac用のアミューズメント系のアプリも何本かリリースしたことがあります。当時、公式デベロッパーはMacを指定台数までは半額で購入することができました。それで、SE/30とかcx、ciなどを購入していたのですが、割り当てられた半額購入枠だけでは足りなくて、例のSTEPで安売り製品を購入したこともありました。当時、非正規品は日本語OS(漢字TALK)を別途購入しなければ日本語を使うことが出来なかったように記憶しています。
 iPHONEやiPodの爆発的なヒットで、今でこそアップルは飛ぶ鳥を落とす勢いですが、かつては日本国内市場の開拓が非常に難航していました。1990年当時、私の会社に、キヤノン販売でLisa関係のプログラムを開発していた…というスタッフが何人かいました。このアップルのLisa、斬新なコンセプトを持ったPCでしたが、正式な日本語対応をしないまま日本市場に投入するなど、当初のアップルは明らかにWバイト文字圏に冷淡なマーケティングを行っていました。他にもトラブルだらけだったLisaは、おそらく日本市場では数百台しか売れなかったと思いますが、私の会社には、そのうちの1台がありました。ともかくキヤノン販売はLisaから初期のMacの販売には苦労したと思います。そういえばキヤノン販売の前に、東レがアップルの代理店をやっていた時期がありましたね…。

 こうして30年にも渡る長い間、アップル社を見てきて感じるのは、アップルという企業は独善的なところが強く、ユーザニーズに合わせた商品を作るのではなく、自社の製品文化にユーザを合わせようとする部分が大きいという点です。マーケットインではなくプロダクトインといったところでしょうか。昨今では、そういう姿勢が逆に「文化を発信する企業」として評価されているのだから、面白いものです。ただ、今回のネット販売規制や、あちこちで対応の悪さが囁かれている製品不良時のトラブルへの対処などを見るにつけ、こうした傲慢ともいえる独善的な姿勢が、どこかで一般の消費者心理との決定的な乖離を生む可能性はあると思います。
 1980年代~90年代始め頃まで、あれほどMacとMacが生み出すカルチャーに入れ込んだ私が、昨今は必要がない限りMacを使わなくなり、また同様にiPHONEやiPodの「コンセプトの押し付けがましさ」が鬱陶しくて使わないのも、昔から変わらぬアップル社の傲慢な姿勢に多少嫌気がさしているからかもしれません。

2010年04月27日

●電子書籍、電子出版について思うこと

 これまでに何度も書いてきましたが、私は本が好きです。「本好き」を通り越して、「本」に埋もれてきた人生…と言ってもよいかもしれません。最近になって書籍購入に遣うお金は少なくなりつつありますが、それでも仕事の関係で会社に経費を請求する分も含めれば、毎月平均5~10万円、年間で100万円前後の書籍・雑誌を購入しています。基本的にはジャンルを問わない乱読ですが、特に好きなミステリーは文庫本の新刊を中心に、確実に週に3~5冊程度は読みますし、その他のジャンルの文庫や新書、ハードカバーを含めて、過去20年間以上、1日1冊以上のペースで本を読んできました。
 そして、一般的な本好きの例に漏れず、私は「装丁」や「文字組み」、「紙の匂い」といった「物理的な要素」を含めて「本が好き」です。初版本を集めるといったマニアックな趣味はないものの、基本的には印刷物としての書籍を愛しています。
 さらに私は、ライターとして書籍や雑誌のコンテンツを書く側でも仕事をしてきました。何冊かの著書もあります。さらに、編集の仕事にも携わった経験があります。読者として本が好きなだけでなく、本を作るプロセス、本を売るプロセスも含めて、現行の日本の「出版文化」「出版業界」「出版産業」を守りたいと強く思う人間です。

 くどいほどに言いますが、ともかく私は印刷物としての本や雑誌が好きだし、出版文化の隆盛を強く願う人間です。だからこそ、kindleやiPADの話題で盛り上がる昨今の電子書籍論議を聞くにつけ、非常に複雑な想いを抱いてきました。
 確かに私は、外に出ている時や打ち合わせなどで誰かと会っている時を除けば、オフィスの中ではほぼ1日中パソコンの前に座っています。仕事のために必要な日常的に得る情報の大半をパソコンから得ています。さらに私は昔からPDAを使ってきました。ともかく私は、PCの画面はむろん、PDAやMID、そしてスマートフォン等の画面で活字を読むことに抵抗は全くありません。にもかかわらず「本を読む」、特に「小説を読む」とか「優れたドキュメンタリー作品を読む」となると、これはもう「印刷された書籍で読む」のでなければ嫌だ、気分が乗らない…と長い間思い続けてきました。だから、どこか本質的な部分で、「電子書籍」には興味を惹かれなかったわけです。

 さてそんな私でも、近頃は電子書籍の流通と普及に、大きな期待をするようになりました。先日、たまたまKindle2の実物に触れる機会があり、300g弱の重量の端末の中に1500冊の書籍(ただし英文)が入り、1回の充電で2週間バッテリーが持つことを知って、その利便性に非常に大きな魅力を感じます。Kindle2の290gという重さは、ちょっと厚めの文庫本1冊の重量です。私は普段カバンの中に、必ず文庫本を数冊は放り込んでいます。たった300gの端末1台に、1.4GBのストレージなら日本語書籍でも数百冊は入るでしょうから、これを一度に持ち運べるのは大変魅力的です。海外出張などに持って行ければ、こんな便利なことはありません。最新の雑誌などもダウンロードして読めれば、空港などでも退屈せずに済むというものです。
 もう1点、私が電子書籍に惹かれつつあるのは、そのkindle2に使われている電子ペーパー、E Ink社のディスプレイを実際に見たからでもあります。表示速度に多少の難はあるものの、適度なコントラストで目に優しく、とても読みやすい、まさに「紙のような」ディスプレイでした。確かに、速い速度でパラパラとページをめくりながら読む「速読」には向きませんが、普通の速度で読んでいく分には、問題の無い性能です。これなら、長時間書籍のように読んでも疲れない…と直感的に思いました。
 私が最初に商用レベルの電気泳動ディスプレイ(In-plane Electrophoretic Display)に接したのは1980年代末頃ですが、当時マトリクス方式で大きな文字表示のPOP用途、数字中心の情報表示パネル等に使われようとしていたEPIDを思い出すと、現在のE Ink社のEPDは見違えるほど素晴らしいものです。今後、反応速度がより速くなって速読にも耐えるようになり、解像度がもう1段上がれば、私は電子書籍だけで満足して読書生活を送ることができるでしょう。

 電子書籍、電子出版の普及に様々な問題があるのは十分に承知しています。現行の出版物の複雑な権利関係をクリアするのは難しいでしょうし、著作権関係の法令の再整備も必要になりそうです。また、電子書籍端末の普及と電子書籍の流通が、既存の出版社、書店、そして新聞社の存続に致命的な影響を与えることは確実です。大手出版社によって日本電子書籍出版社協会が発足するなど、既存業界にも対応する動きが出ていますが、私の周囲を見る限り、全般的には「どうしてよいのかわからない」という業界関係者が多いのも事実です。
 ともかく、電子書籍だからといって無理に価格を安くする必要はありません。編集や版組みなども、まずは何か特別なことをやる必要はありません。当面は「印刷物」と同じ価格で、まったく同時に新刊を刊行する仕組みを早急に作って欲しいものです。書籍を購入するにあたって、電子書籍と紙の書籍のどちらを選択するか、読者の自由意志に任せる体制を作るだけでよいのです。出来る限り既存の出版の仕組みと文化を温存する形で、合理的な電子出版をスタートすることは、十分に可能なように思えるのですが…

2010年04月26日

●一瞬の夏 ~カシアス内藤

 昨夜、NHKのBShiで放映された「終わりなきファイト~伝説のボクサー カシアス内藤~」を見ました。見終わった後で、番組のエンドロールを見ながらしばし放心するほど、心を揺さぶられる番組でした。そして、本棚からずいぶん昔に読んだ沢木耕太郎「一瞬の夏」を探そうとして、膨大な本の山の中から見つけられるわけがないとすぐに諦め、明日にでも文庫本で買い直そうと考えながら眠りに就いた次第です。

 それにしても、30年近く前に読んだ「一瞬の夏」の、あのカシアス内藤が、中咽頭ガンを患っていることは知りませんでした。そして声を失っては後進の指導が出来ないと手術を拒否し、告知後の2005年に横浜で「E&J カシアス・ボクシングジム」を開いていることも知りませんでした(こちらの「ジムができるまでの長い旅」を読むと、ジム開設に当たっては沢木耕太郎やカメラマン内藤利朗らの有形無形の援助もあったようです)。さらに、彼には律樹という長男がいて、その内藤律樹が高校ボクシング選抜大会、高校総体、新潟国体のライト級で優勝して高校3冠を取り、将来有望なボクサーであることも知りませんでした。

 番組の中で、カシアス内藤は長男の律樹とともに、かつてカシアスから東洋チャンピオンのタイトルを奪い、その後何度も死闘を繰り返した韓国のボクサー柳済斗がソウルで開いているジムを訪れます。20数年ぶりに再開した柳済斗とカシアス内藤の互いに控えめな感情表現、初めて親しく食事をしながらカシアスがガンを患っていることを聞いて黙りこくってしまう柳済斗、そして翌日になってカシアスの長男の律樹に対して何かを思い詰めたように真剣に指導する柳済斗の姿…、どれも美しいシーンでした。

2010年04月21日

●さらにSC-01Bについて

 SC-01B、けっこう手放せなくなりつつあります。MS-IME+Opera10で日本語入力がうまくいかない件は、AtokHelperを入れることで解決しました。普段使っているP-09AのiMODEメールのアカウントについては「iモードnetモバイルアプリ」を使ってSC-01Bでプッシュ受信できるようにしました。こうなると、SC-01Bでプッシュ受信できるgmailを併せて、ビジネスも個人も日常的なコミュニケーションの全てをSC-01Bでこなすことが可能です。しかも、バッテリーについては、ブラウザやアプリをけっこう使っても、ほぼ確実に丸1日持ちます。あとは、SC-01Bでモバイルsuicaさえ使える様になれば、本当にP-09Aは不要です。近い将来、P-09AのSIMをこちらに移してSC-01Bを1台だけ持つ体制にしてもいいような気がしてきました。

 現在のiPhoneの普及状況や、発売されたばかりで好調に販売実績を上げているXperiaの動向などを見ていても、今後国内のスマートフォンの市場がどこまで伸びるか、まだ予断を許しません。日本では、まだまだ既存の高機能携帯端末へのニーズがかなり高い状況が続くとは思っています。それでも、iPhoneアプリビジネスに参入する企業や個人が周囲に増えてきている状況は、相当に気になります。私の会社では携帯の公式サイトのコンテンツプロバイダもやっているのですが、現在自社で提供しているコンテンツの一部を、実験的にandroidマーケットとWindows Marketplace for Mobileで展開しようと考えています。今のところiPhoneアプリに手を出す気はありません。むしろ、androidマーケットで一勝負してみようかと考えています。

2010年04月09日

●SC-01Bのその後

 SC-01Bで遊んでいます。その後、2chブラウザのq2chwm、青空文庫を読むためのAplio等をインストール。移動中の電車の中など、ヒマつぶしの手段が増えました。Evernote For Windows Mobileも入れましたが、利便性の検証はこれからです。
 使い始めたら、いろいろと問題もでてきます。WiFiと3Gの切り替えは、相変わらず面倒です。無線LANスポットを素早く検出して利用できないのは、ちょっとストレスが溜まります。トップに設定したウィジェット画面から接続切替設定できるようにしたので、当分これでやるしかないでしょう。そして、デフォルトブラウザに設定したOpera10は、表示は速いのですが時々日本語入力が出来なくなります。何が問題なのかわかりません。IEを使う気はしないので、次はNetFrontを試してみようかと思っています。
 使ってみて意外とよいと思ったのがカメラです。300万画素のCMOSカメラにしては画質はまあまあですし、AFが速く設定切り替えなどがキビキビと動作するので撮りやすい。そして普段使っている携帯電話(P-09A)のカメラとの決定的な違いは、デフォルトで「横位置」の画像が撮影できることです。あらためて、普通に横位置写真を撮れることの使いやすさを思い知らされました。
 私は普段持ってるバッグの中に、必ずデジカメを入れています。でも、カバンから出して撮る…という動作が面倒な時には、けっこうケータイのカメラを使います。今後はSC-01Bのカメラを使う機会が増えそうです。

 デジカメと言えば、ここのところ新しいデジカメを買っていません。ここ7~8年間は、だいたい年に3~4台は買っていたのですが、購入のペースが落ちてきています。普段使いのデジカメとしては、F200EXRの使い勝手が良過ぎて、その後の新製品に食指が動かない…というのもあります。ここのところ評判がよかったCanon「S90」もリコー「CX3」も全く欲しくありません。特にS90は友人が購入したのでちょっと借りて使ってみたのですが、グリップもイマイチだし魅力を感じませんでした。そういえば、今年に入ってから製品寿命末期のF70EXRを買い足しました。2月頃にAmazonで底値の15,000円台で販売されていたので、200EXRの予備バッテリー代わりも使えると思ってポチッと買ったのです。先日、海外出張に持って行きましたが、まだまだけっこう使えるカメラです。ちなみに、現在毎日背負っているデイパックに放り込んでいるデジカメは、このF70EXRです。

2010年04月05日

●ドコモ SC-01B

 スマートフォンを購入しました。ドコモの「SC-01B」です。iPhoneは嫌いなので最初から選択肢に入らず、Android端末のXperia SO-01Bはコンテンツ開発系の仕事で必要なので、近日中に会社で購入予定。で、世界シェアトップでも国内ではイマイチ不人気なBlack Berry Boldでも買おうかと思ったところに、ちょうどSC-01Bが発売されました。店頭で手に取ってみたら、けっこうキーが押しやすい。また私は、以前書いたようにWindows Mobile 5.0のPDAであるHPの「rx4240」を海外出張時も含めて愛用してきた関係で、Windows Mobile 6.5を採用するSC-01Bなら悩まずに使えそう。…というわけで、rx4240を引退させてSC-01Bを使うことにしました。

 購入直後に8GBのMicroSDを装着、使いにくいデフォルトのリボルバーメニューをoffに、そして真っ先にインストールしたソフトがSC-01B Customizerで、これを使ってメニュー画面を4列化、フォントを小さくするなどI/Fをカスタマイズ、FEPはMS-IMEにしました。次いで、GSFinder+W03でエクスプローラーを使いやすくします。ブラウザはデフォルトのIEがもっさりしていたのでOpera Mobile 10に変更。ツイッター用にはmoTweetをインストール。最後にGmailをプッシュ型で取れるようにサーバー設定して、とりあえず初期のカスタマイズは完了です。

 ところで、このSC-01Bの端末価格、ドコモショップで買うと2年縛りで2万円程度と安いものです。白ロムが4万円ちょっとで出回っていますから、まあ正規の端末価格は5万円前後ってことでしょう。これって高いのか安いのか…。CULVのモバイルノートPCが4万円台で買えるのですから、スマートフォンの5万円は「高い」って思う人の方が多いかもしれません。でも、よく考えてみれば、このサイズの端末の中に高周波系の無線モジュールだけでも、3G、GSM、WiFi、Bluetooth、そしてGPSと5種類も実装されています。よく干渉せずに安定動作させられるものです。客観的に、多機能・高機能と想像を絶する実装密度を考えれば、実はかなり安い気がするのは私だけではないでしょう。

 ちなみに液晶の320×320dotは微妙な解像度ですが、CPUはSamusung S3C6410 800MHzで、どのアプリもかなりサクサクと動きます。期待のQWERTYキーは、想像通りの使いよさ。キートップは非常に小さいのですが表面の立体化が具合よく、慣れるとあまりミスタッチもなく入力できます。さすがにMobile Officeを使ってこの画面でExcelのシートの編集をやろうとか、長文の文章を入力しようとは思いませんが、すくなくともメインで使っているPOPメールのアドレスを3つ統合しているGmailをほぼリアルタイムで受け取れるとなると、メール端末としては最高に実用的です。DivXが再生できるのでモバイルプレヤーとしても合格。あとはmoTweetsがけっこう使いやすいので、しばらくTweeter端末としても利用してみます。
 1週間ほど使ってみて、バッテリーの持ちがよいのが気に入りました。現時点で唯一の機能面の不満は、通信が排他という点。特に3GとWiFiが完全に排他なのはちょっと痛いかも。また、Bluetoothヘッドフォンで音楽を聴いていると3Gへは接続できない…なんてこともありそう。
 もうちょっと使い込んだところで、また報告します。

2010年03月29日

●池袋と中野

 約5年間過ごした中野のオフィスを引き払い、常駐オフィスを馴染み深い池袋に戻しました。なんだか、転任先から本社に戻ってきたサラリーマンのようです。なんと言っても池袋という街は、25年近くもオフィスを置いていたところ。非常にしっくりときます。
 この5年間を振り返ってみて、「中野」と「池袋」という2つの街のカルチャーの違いを、嫌というほど思い知らされました。結論から先に言えば、中野のカルチャーは生理的に肌に合わず、池袋のカルチャーの方が脳にも体にも馴染みます。中野という街の性格を一口で言えば、「すかしている」(すましている、気取っている…の意)に近いでしょうか? 例えば安い立ち飲み屋、モツ焼き屋あたりでも、クリエーター系のカタカナ職業の人やカタカナ職業に憧れる学生あたりが、喧々諤々と文化論を戦わしている…というイメージ。それに加えて、住宅街に近いところには、ちょっと所得高めの住人向けの気取った自然食レストラン、エスニックレストランなども混在しています。昨今サブカルの殿堂となった感のある「中野ブロードウェイ」も、こうした「文化好き人種」にとっては程よいスパイスとなっているようです。ともかくお隣の高円寺や阿佐ヶ谷、荻窪などと同じく、「中央線文化」の中心地であり、そうした部分に誇りを持っている人種が「好んで住んでいる」街です。中野は、一見雑然とした街のようで、「本質的な部分で多様性がない街」…だと思いました。で、結局ダメでした。街の雰囲気にも、住宅街にあったオフィス近辺のロハスな住民層にも、そして安い立ち飲み屋で喧々諤々と文化論を語る人種にも、そして中央線文化とやらにも、最後まで肌が合いませんでした。

 中野に較べると、池袋という街は「混沌」の一語で言い表せます。特に、私が好きな西口から北口にかけての一体は、いまや「アジア」です。「チャイナタウン」と呼ばれる北口は、横浜の中華街よりも高い密度で中国人経緯の店が立ち並び、加えて、韓国人、ベトナム人、タイ人、ネパール人、バングラデシュ人、インド人などの小規模なコミュニティもあって、アジアの雰囲気がいっぱいです。新大久保から大久保にかけての一帯もアジアの雰囲気が強い場所ですが、池袋はもっと統一感がない「雑然」さに満ちています。池袋1丁目から2丁目あたりは、立ち並ぶエスニック料理と居酒屋、スナックに小料理屋の狭間に風俗店やらラブホテルが点在し、何とも言えない猥雑でまとまりのない街が出来ています。この街に棲息する人種も、多様です。外国人がたくさんいます。何を生業にしているのかわからないような怪しい人間が、たくさんいます。普通のサラリーマンもたくさんいます。この街の雰囲気、そして中野にはない多様性、私は大好きです。
 現在の暫定オフィスは、数年前から個人事務所的に使っていたマンションの1室で、同じ西口でも、ちょっと目白駅寄りの閑静な住宅街にあります。私が好きな池袋1丁目から2丁目あたりへ行くには、徒歩で5~10分ぐらいかかりますが、毎晩仕事が終わると繰り出しては、いろんなお店で飲んでます。

2010年03月16日

●グリニッチヴィレッジの青春

 10年近く愛用していたノースフェースの小振りのデイパックがなんとなく汚くなってきたので、新しいデイパックを入手しました。買ったのはKELTYの「NIGHT HAWK」で、18リットルの小型バッグです。3気室に分かれているので大きいものは入らないけど、背中のパッドの気室側部分に大型のジッパーポケットがついていて、ここにはA4の書類でもネットブックでも入ります。上部のコンパートメントには、文具などのガジェットが整理できるようなポケットもついているし、普段使いにちょうどよいサイズ。
 ところでKELTYと言えば、私の世代には非常に懐かしいブランドです。デイパックの元祖メーカーの1つとして、70年代のライフスタイルの大きな影響を与えた「Made in U.S.A. Catalog」なんかでも紹介されていました。それ以上に、個人的な思い出があります。高校時代に山に登っていた私にとって、KELTYの「Tioga/タイオガ」というフレームザックは憧れの的でした。当時大型ザックの主流であったキスリングとは雲泥の差のカッコよさです。タイオガは、当時でも4万円近くしたと思います。大学に入った頃、どうしてもパックフレームが欲しくてエバニューだったかの安いのを買ったのですが、たまたま帰省時に中学時代の友人と御嶽山に登る話になり、駅で待ち合わせた彼が持っていたのがタイオガでした。うらやましかったし、悔しかった。ただ、タイオガは確か80リットル以上の容量があり、2泊3日の御嶽山行にはどう見ても大き過ぎたと思います。
 その友人も、雪の鈴鹿・藤原岳で遭難し、20代で逝ってしまいました。もう1人、同じ中学からの友人も、歯科医として活躍していた40代初めにガンで逝き、私は大切な友人を2人失っています。

 もう1つ、懐かしい…という話です。河出書房新社から発売された「グリニッチヴィレッジの青春(スージー・ロトロ)」を読みました。60年代、ボブ・ディランの恋人だったスーズ・ロトロの回想録です。スーズ・ロトロといえば、ディランのアルバム「フリーホイーリン」のジャケットの写真があまりにも有名です。特に目新しい話や衝撃的な暴露話はありませんが、それでも60年代のヴィレッジの雰囲気が絵や写真を見るように伝わってきて、なんとも言えない気持ちなりました。私はこの本で書かれた時代から15年ほど経った70年代の半ばにハウストンの南側に住んでいたことがあります。当時はまだ、この本で描写されている60年代のグリニッチヴィッジからイーストヴィレッジ、アルファベットアベニューあたりやハウストン通り周辺の雰囲気はまだ色濃く残っていました。アルファベットアベニュー周辺などは、80年代に入ってから急速に治安が悪くなりましたが、70年代はまだユダヤ人街として独特の雰囲気を持っていました。
 ディランに代表される当時の音楽やアートに関する思い入れ、さらには個人的なニューヨークに対する思い入れなどが入り混じり、いろんな意味で懐かしく、興味深い本でした。

2010年01月22日

●ポータブルワープロ

 先日購入したネットブック、AOD250-Bk18は毎日カバンに入れて持ち歩いています。バッグは、TIMBUK2のラップトップメッセンジャーのSです。このカバン内のPCスリーブは、AOD250-Bk18にほぼジャストフィット。PCスリーブが背中側にあるので、バッグが腰に当たると少し堅く感じるのが難と言えば難。でも、AOD250-Bk18とACアダプター(エレコムのACアダプタ用直結プラグ:3P・L型でACケーブル部分を軽量化)以外に、いつも持っている文庫本2~3冊、週刊誌、デジカメ、メモ帳と筆記道具…等を入れて、通勤にはちょうどよい大きさです。

 AOD250-Bk18は毎日1時間程度使っていますが、今のところ快調です。Windows7にも慣れてきました。I/Fや動作速度など細かい不満はありますが、出先でのネット接続によるメールチェックとWeb閲覧以外の主な用途が「ポータブルワープロ」ですから、手頃な画面解像度を含めた基本スペックには概ね満足しています。非力なCPUでも、YouTubeも十分に見られるし、フリーソフトのVLCメディアプレーヤーをインストールして、リッピングした映画DVDのISOファイルを鑑賞してみたら、きれいに再生します。これなら海外出張時のポータブルDVDプレヤー代わりに十分使えそう。別にCULV機でなくても、私の利用形態では十分です。

 それにしても、一応「物書き」を本業とする私は、「ポータブルワープロ」という商品にかなり昔から執着してきました。ポータブルコンピュータへのこだわりは、そのまま「ポータブルワープロ」への執着と同義だったわけです。
 そんな中で、自分がポータブルワープロとして使ったマシンとして今でも印象深いのが、1983年にNECが発売した「PC8201」です。これは世界的にヒットしたTandy「model100」の姉妹機で、京セラのOEM機。CPUは8ビットの「80C85」で重さ1.7kg、アルカリ単3電池4本で20時間弱動作しました。ワープロソフトとや表計算ソフトがプリインストールされていましたが、あまり実用的なワープロではなかったと思います。
 もう1台思い出すのが、1988年に発売されたEPSONのポータブルワープロ「Word bank NOTE」。単純なワープロ専用機ではなく、プリンタは搭載していない上、ターミナルとして使える通信機能を備えており、A4サイズで重さは1.2Kgと携帯に適したマシンです。むろんワープロ機能は優れていたので、本当に愛用しました。その後登場した「Word bank NOTE2」と併せて、3年間ぐらいはほぼ毎日持ち歩いていたと思います。

 90年代以降は、様々なラップトップコンピュータやノートPCを使いましたが、それら数々の携帯マシンの中でも、2008年以降に登場した安価なネットブックは、ポータブルワープロとしては非常に優れていると思っています。値段が安く、1Kg前後と軽く、サイズも小さく、そして何より安価なので、日常持ち歩いても海外などに持っていっても、盗まれたり壊れたりすることを気にせず使えます。
 ポータブルワープロとして普段持ち歩いて実用的に使える、AOD250-Bk18のようなPCが、3万円台半ばの値段で購入できるようになるなんて、いい時代になったものです。

2010年01月21日

●google日本語入力

 思えば、長年日本語ワープロと様々なFEPを使ってきました。1980年代初頭以前にはビジネスで数々のワープロ専用機を使い、個人的には8ビット機の環境であまり実用的ではないワープロソフトをいくつか試みました。1984年にPC9801M2を仕事場に導入して以降は、最初は「松」、一太郎の前身の「JS-Word」、その後長く「一太郎」を使ったので、FEPとしては「松茸」「ATOK」を中心に、「WX2」や「Katana」などいろいろなDOSのFEP、Mac環境では「ことえり」「EGBridge」なども使ってきました。それでも、ここ10年ほどはWindowsベースで仕事をすることが多く、ほぼMS-IMEだけを使い続けてきた状態です。
 私の場合、短い文節または単語単位で変換キーを押してしまうクセがあり、結果的にFEPによる変換能力の差はあまり感じないタイプです。そんな私ですが、今回興味本位でgoogle日本語入力を使ってみたところ、これまで使ってきた数々のFEPとは本質的な部分でかなり違うものだという印象を受けました。
 まず、google日本語入力は、事情に面白い変換候補を出します。例えば、「貸し遊具」と入力するために「かしゆ」まで打ったら、「かしゆか」「香椎由宇」と候補が出てきたのは驚きました。確かに、Perfumeは売れてますし、香椎由宇もCMなどに引っ張りだこです。また「安藤」と入力するために「あんど」まで入力したら、すかさず「アンドロイド」という変換候補が出てきました。さすがgoogleという感じで、おもわず苦笑いです。
 Webから動的に辞書を生成することで、新語や専門用語、芸能人の名前などを網羅的に収録しているとのことですが、ともかくこんなFEPは初めてです。ただ、全般的に変換精度はけけっこう高いと感じたし、2~3日間使ってみた感じでは十分に実用になると思いました。

2010年01月20日

●Twitterへの自動投稿

これは意味のないエントリーです。
Blogへのエントリーを自動的にTwitterに投稿するシステムを設定してみたので、テストのために投稿しました。

2010年01月12日

●Acer「AOD250-Bk18」

 先日買った激安のIdeaPad U350 29633DJに続いて、またオモチャを買ってしまいました。買ったのはAcerのネットブック「AOD250-Bk18」です。今も手許で活躍しているASUSのEeePC901Xに次いで、2代目のネットブックです。
 現時点で、本気で実用的に使うノートを買うのなら、Atom搭載機を買う必要は全くありません。好評の「AS1410」に代表されるCULVノートが5万円以下で買えるし、実用性は比較になりません。それでもなおネットブックに惹かれるのは、「機能に制限があるゆえの使いこなす楽しみ」があるからです。さらにもう1点、例えばAS1410は可搬可能な重量とは言っても、約1.4kgあります。今回購入したAOD250-Bk18は1.23kgと軽い上に、サイズも小さい。普段カバンに入れて負担無く持ち歩くには、やはりこのぐらいがギリギリでしょう。

 数あるネットブックの中で、今回AOD250-Bk18を購入した理由は、以下の点にあります。まず、1280×720dotという絶妙な解像度。10.1型モニタで1366×768は視認性が相当に厳しいとなると、1024×600からのグレードアップにはちょうどいい解像度です。次に、拡張性が高いこと。これは標準搭載されているI/Fのことではなく、裏ブタを開けるだけで簡単にHDDはメモリスロットにアクセスできる上、miniPCI-Eの空きスロットまであるのです。メモリ増設はむろん、HDDを大容量化するのも、SSDに換装するのも、話題のビデオカード、Crystal HDを増設するのも自由…という楽しさです。
 逆に弱点・欠点もあります。個人的に最大の問題は、OSがWindows7であることです。まあ、これは時期を見てHDDごと換装してXPに入れ替えればいいでしょう。今のところSSD換装は考えてはいませんが、現行の160GBのHDDを7200回転の320GBに換装する予定だからです。その他無線がIEEE801.11nをサポートしていないことも問題です。これもカードごと交換する手があります。

 今回の購入価格は、最安のAmazonで36,000円台です。奇しくも、U350 29633DJと同じ価格。2台併せて7万円ですから、PCも安くなったもの。で、一緒に2GBのメモリも買って、すぐに増設しちゃいました。とりあえずWindows7 Starterの状態で使ってみようと思い、少しでも動作を軽くするため画面をWinwos Clasicに変更、コントロールパネルからパフォーマンス優先に設定して、仕事用にOfficeXPをインストールしました。オフィス内のネットワークに接続して、普段使っている仕事関係のファイルをコピー。Firefox3.5を入れて、とりあえずは日常的に使えるマシンの一丁上がりです。Windows7 Starterは、想像していた以上に軽快に動作しています。この後、余っているSDカードを挿して、ReadyBoost機能を設定してみるつもり。このオモチャ、いじくりまわしてしばらく遊べそうです。

2010年01月08日

●Lenovo「IdeaPad U350 29633DJ」

 ちょっと前にLenovo「IdeaPad U350 29633DJ」というノートPCを購入しました。ほぼ底値に近い36,000円ちょっとの価格です。スペックはと言えば、液晶サイズが13.3インチ、CPUがCeleron 723、メモリが4GB、HDDが250GBで、重量が1.6Kgというシロモノ。一応、ハヤリのCULVノートですが、CULVとは言え、シングルコアのCeleron 723ですから、まあAtomよりはちょっとマシという程度です。それでも、Windows Vistaモデルということであちこちで叩き売りされ、ネット上ではかなり話題になっていた製品です。それにしても、このスペックでネットブック以下の36,000円は驚異的な安さでした。

 私と同じように面白半分に購入した人は多いらしく、先日の「元麻布春男の週刊PCホットライン」 でも紹介されていました。
 で、メモリだけはたっぷり4GBあるので、私も早速Windows7をインストール(こちらの続き記事と全く同じ)。結果は、起動時間が1分以上掛かるのが気に入らない他は、もっと動作がもたつくかと思ったら、そこそこ快適に動きます。さらに「Comfortable PC」というフリーソフトを使って、Windows7の余計な機能を削ぎ落とし、現時点では日常の作業(…と言ってもOfiiceソフトが動けばいいだけなんですが…)にはけっこう使えるマシンになっています。

 このマシン、1.6Kgとちょっと重いとは言え、HD液晶でほぼフルピッチのキーボードがついているので、出張時の作業用にはけっこう向いているのでは…と思ってます。特に個人的に最近増えているExcelの作業にはいいかもしれません。また、年をとって小さい字を長時間見ていると疲れるようになったので、横1366ドットに対して13.3インチの画面は助かります。これが、11.6インチだったら、けっこうキツいでしょう。また、本体サイズは筐体の投影面積は大きくても厚みはないので、可搬性もそれほど悪くありません(Timbuk2のラップトップメッセンジャーSサイズのPC用コンパートメントにギリギリで入らなかったのは計算違いでした)。ACアダプターのケーブルが重いのが難点ですが、これはエレコムの軽量アダプターに交換しました。
 しばらく、Windows7の状態で持ち歩いてみて、どうしても使いにくければWindowsXPをインストールし直そうと思っています。

2009年12月01日

●Walkman NW-S745

 毎日持ち歩くDAP(MP3プレヤー)ですが、ここ1年以上COWONのU5をメインに、クリエイティブのMOZAIC 16GBをサブに使ってきました。先月末にメインの機種をSONYのNW-S745(16GB)に換えました。深い理由はないのですが、SONY機も普通にドライバ無しでWindowsで認識しD&Dでファイルを放り込め、フォルダ単位の管理と再生ができるという点を評価したのと、あとはノイズキャンセリング機能を使ってみたかったのです。本当はデジタルアンプとデジタルノイズリダクションを搭載した上位機のA845を購入しようと思ったのですが、実物を見たら画面サイズが大き過ぎると感じたこと、そして内蔵バッテリーの再生時間がS745よりもかなり短いことなどから、とりあえずS745の方が使い勝手がよいと判断して買ってきました。

 で、使ってみて思ったよりも良かったのが、初めて体験したノイズキャンセリング機能です。私は通勤に都営大江戸線という、普通の地下鉄よりも小型でうるさい路線(リニアモーター方式だからです)に乗るため、カナル型イヤホンでもかなり音量を上げて聴いていました。それがS745でNC機能をオンにすると、普段の「轟音に近い騒音」が体感で90%ぐらいはカットされます。さらに驚いたのが、先日の海外出張に持っていった時の話です。飛行機の中でNC機能を使うと、あの低音で響き続ける飛行機独特の騒音が、ほとんど聞こえなくなるではありませんか。おかげでバンコクまでの往復の各6時間、その大半を音楽を聴いて過ごしました。適当な音量で真剣に聴くのもいいですが、小音量で音楽をかけておけば騒音は聞こえないし、とてもよく眠れるのです。
 ただ、このNC機能、高機能ゆえに周囲の気配を完全に消してしまうので、歩きながら使うのは絶対危険です。また、公共交通機関で使うときも、周囲の状況を判断して使った方がいいでしょう。

 S745は音質も悪くありません。標準搭載のヘッドホン使用で、NCを使わない設定なら、「COWON U5+フィリップス SHE9700」の組み合わせと比較しても、音質に遜色はありません。時々聴くFMチューナーの感度も良好。これで1万6千円ですから、非常にいい買い物をしました。今度はぜひ、デジタルアンプを搭載し、さらにNC効果が高いというデジタルNCも搭載しているA845を購入してみようと思います。

 それにしても、相変わらず曲の転送・管理にあのバカっぽいソフトiTUNESを必要とし、しかも音質がイマイチのiPODには全く興味なし。ただ現在、大部分が192Kbps、一部クラシックなどを320KbpsのMP4で収録しているので、16GBではなんとなく容量が不足気味。現時点でアルバム数で約170枚、曲数で約2200曲、それ以外にYouTubeからリッピングしたビデオクリップのMP4エンコード動画(それにしても、このこのソフトは非常に便利)を50曲分ほど入れているので、そろそろ16GBのメモリが一杯になりつつあります。だから、次はA846(32GB)にしようかとも思っているところ。ただしMOZAIC 16GBは使い続けます。なんと言っても、海外のホテルなどでスピーカー再生でBGMを楽しむのには非常に便利ですから…

2009年11月20日

●カニ島で遊ぶ

 先週は出張で1週間ほどバンコクに滞在していました。滞在中は多忙で、目新しい場所にはどこにも行けませんでしたが、行きつけのイサーン料理レストラン、クルア・ロムマイで絶品のガイヤーンとコームーヤーンを食べられたのが唯一の収穫です。

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 ところで、ほんの1ヶ月前、10月中旬にも海外に出かけていました。もっともこちらは遊びですが、3連休を利用して友人とマレーシアに行きました。1ヶ月も前の話ですが、ちょっと面白い話なので、経緯を書いておきます。

 今年の夏頃にたまたま池袋で友人5人でトルコ料理を食べながらワインをガブ飲みしていた時、突然、みんなでどこか海外へ美味しいものを食べに行こうという話になりました。誰かが「カニを食べたい」と言い出し、別の誰かから「そういえばマレーシアに、カニ料理で有名なカニ島というのがある」という話が出て、飲んだ勢いでその「カニ島(ケタム島)」へ行くことに決めたわけです。ちなみにこのカニ島、マレー語では「プラウ・ケタム」と言い、プラウは島、ケタムはカニの意です。
 みな多忙なので、連休を利用できる近場に限定されるのですが、ケタム島はクアラルンプールから電車で1時間、船で30分という行程で行けるので、これなら3日間の連休利用でもOKです。というわけで、顔ぶれは男3人、女2人の計5人。連休の前後の休日の取り方も違うし、皆旅行慣れしており現地までの行き方も好みが分かれるので、結局ケタム島へ行く日だけを決めて、その前日にクアラルンプールで現地集合という話になりました。ケタム島へ行く日は10月11日の日曜日。打ち合わせを兼ねた現地集合日は10月10日、夜7時30分にブキッ・ビンタン近くの有名な屋台街、アロー通りの「Jalan Alor」の大きな看板標識の前で…ということに決めました。
 関空発の前日夜行便を利用してバンコク経由で来た1名と当日マレーシア航空でやってきた4名は、無事アロー通りで合流し、屋台メシを食べながら翌日の日程を確認しました。

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 10月11日、午前11時にモノレールのブキッ・ビンタン駅に集合、まずはセントラル駅に向かいます。セントラル駅でKTMコミューターに乗り換え、終点のポートクランに向かいました。マレー半島の西海岸へ向かうローカル線に揺られて、約1時間でポートクランに到着。駅前のフェリー乗り場が工事中で300mほど移動したところにある船着場からケタム島行きのフェリーに乗り、中国人ばかりの乗客に混じって約40分で、マラッカ海峡に面したマングローブの島、ケタム島に到着しました。

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 ケタム島の桟橋から10分ほど歩くと、小規模なレストラン街があり、適当な店に落ち着いて、片っ端からカニ料理を注文、タイガービールを飲みながら2時間ほどカニ(日本のワタリガニに近い)やいろいろなシーフードを食べまくりました。勘定は5人で250リンギット程度、1人当たり50リンギット(1400円程度)でお腹いっぱいです。

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 そのまま夕方クアラルンプールに戻り、夜は有名なハッカ(客家)レストランで、皆でスティームボート(タイスキのような鍋料理)を囲みます。またしてもお腹いっぱいになるまで食べて飲んで、その日は終了。翌日は先に帰った1名を除く4名で早い時間から飲みまくり、翌12日の便で帰国しました。

 ただ、マレーシアに食べに行っただけの短い旅行でしたが、それぞれ勝手なスケジュールで現地集合の気楽な行程で、かなり面白く過ごせました。費用も飛行機代、宿泊費、食費等全部混みで1人当たり7万円程度に収まる安さ。マレーシアは何度も訪れていますが、ケタム島は初めてだったこともあり、近場ながら非常に興味深い旅行でもありました。

2009年09月24日

●日常

ちょっと前に自宅用とオフィス用にPCを2台新規購入した話を書きましたが、個人的にもう1台デスクトップPCが必要になりました。安いPCを購入しようと思いましたが、例え3万円でも新しく買うのはもったいない。そこで、オフィスで使っていないマシンを利用することに。で、探してみたらDimension「C521」というスリムタワーのマシンが使われずにオフィスの片隅に放ってあったので、それを使うことにしました。確か2006年頃に購入したマシンでAthlon 64 3800+という、今となっては非常にプアなCPU。購入の目的は開発したプログラムのVistaでの動作検証用だったので、Vistaがインストールされています。そこで、今回OSをXPに入れ替えて個人的な仕事用マシンとして使うにあたって、ちょっと増強することに。一応メモリは2GB入っていますから、XPでは十分。増強のポイントはHDDとビデオです。HDDは160GBだったので、500GBを4000円ちょっとで購入して換装。ビデオはLowProfileのPCI-E×16の拡張スロットが1つ空いていたので、玄人志向のGF8400GS LE256H/HSを3000円ちょっとで購入して取り付けました。スリムタワーのマシンなので電源容量に不安があるため、ファンレスのカードにしました。XPでOfficeソフト中心に使うのなら、とりあえずこれで十分なスペックでしょう。

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閑話休題。もう1ヶ月以上前の話ですが、話題の「鎌ベイアンプKRO SDA-1100」を購入して、毎日使っています。初代機は購入していなかったので、初めて使う鎌ベイアンプです。現在のオフィスでのBGM環境は、ソースがMP3プレヤーでFOSTEXのアンプ内臓モニタースピーカー「PM0.4PC」を使うか、またはカマデンのデジタルアンプ「RSDA202」+自作バスレフ(FE83)をCDプレヤーにつなぐか…です。で、試しにRSDA202の代わりにSDA-1100をつないで音を出してみました。この値段のアンプとしてはけっして悪くはないのですが、「RSDA202」と比べるとちょっと音が痩せている感じ。電解コンデンサの交換記事がネット上のあちこちに出ているので、暇があればやってみようと思います。

2009年08月06日

●裏面照射型CMOS「Exmor R」

 「ソニー、世界初の裏面照射CMOS搭載デジタルカメラ」…、かねてより噂があったこの製品の登場が各所で話題となっています。採用された裏面照射型CMOS「Exmor R」は従来比約2倍の感度を持つとされており、手持ち夜景スナップが可能…を謳っている以上、夜景スナップが好きな私は強い興味を持たざるを得ません。
 裏面照射(または背面照射)によってイメージセンサの高感度化を図る…というアイデアは、古くからあり、高価な産業用、医療用、天体観測用、科学実験用等向けのイメージセンサとしてはかなり以前から実用化され、実際に多くの機器に使われていました(英国e2vテクノロジーズ社の背面照射CCD、「EM-CCD」などはよく知られており、他に浜松ホトニクスなども同様のCCDを供給しています)。そしてここ数年は、世界中で多くのイメージセンサメーカーが、裏面照射型CMOSのコンシューマ向け製品の開発に取り組んできたものです。
 裏面CMOS採用のデジカメの話も、昨年あたりから一部で盛り上がっており、Panasonicが次期高画質コンデジ向けに最初に採用するという噂などもありましたが、やはり先にビデオカメラで採用したソニーが最初に商品化したようです。
 裏面照射型イメージセンサの原理については、こちらのサイトがいちばんわかりやすいでしょう。

 さて、夜景スナップが好きでそれゆえにF200EXRを絶賛する私ですが、夜景スナップが好きとは言いながらも、結局日常のスナップ用として最もよく使っているデジカメは、いまだに初代GRDです。GRDをかなり使い込んだ後でGRDⅡを購入しましたが、そのGRDⅡよりも初代GRDを持ち歩くことの方が多いのです。
 私は初代GRDでフラットに撮った画像が非常に好きです。あくまで感覚的なものですが、GRDⅡの画像と比較すると、ノイズ処理が行き届いていない分、初代GRDの方が自然な画像が得られる印象があります。言い方を変えれば、GRDのノイズは私にとって「好ましいノイズ」です。GRDは、多少光量が不足する場面でもISO200あたりで撮影すれば、GRDⅡで同じ感度で撮影した場合よりもナチュラルな画像が得られるような気がします。相当にノイズが増えるISO400でも、私はノイズリダクションがしっかり利いたGRDⅡの画像よりも、明らかにノイズが多いGRDの画像の方が自然で好ましく感じます。言ってみれば「風情のあるノイズ」です。だからというわけではありませんが、今回発表されたGRDⅢにもいまひとつ食指が動きません。
 現時点で、そんなGRDに対してひとつだけ不満があるとすれば、それは28mmという画角で撮るスナップに飽きてきたことです。どうも、ここへ来て原点回帰というと大げさですが、35mmから40mmぐらいの画角のスナップ写真の方がうまく風景を切り出せるような気がするのです。もともと昔銀塩一眼で写真を撮っていた頃は、35mmの短焦点レンズが非常に好きでした。28mm というのは、当時は「作画意図を持って使う広角」でした。GRDの28mm単焦点のディストーションがちょっとクドく感じてきたのは、そういった経験的な背景もあるのかもしれません。
 そういう意味では大口径40mm単焦点のシグマDP2に魅力を感じるのですが、いかんせんポケットに入れて持ち歩くには大き過ぎるし、動作も敏捷ではありません。ズームは要りませんから、どこかが小型軽量で40mm前後の単焦点レンズを搭載した高画質コンパクトデジカメを発売してくれないかなぁ…と、切に願う今日この頃です。

 それにしても、この期に及んでGRDⅡよりも初代GRDで撮る画像の方が好きだと言っている自分の感覚は、実のところ他人にはうまく伝えられません。「いや、GRDⅡの画質の方が圧倒的にいい」と言われれば、論理的に反論することができません。ただ、「画質」に「絶対的な尺度」を持ち込むこと自体に無理があると言わざるを得ないのです。
 デジカメを語る上で「画質原理主義」というのがあっても、別によいとは思います。しかし一方で、このサイト内で昔から何度も書いているように、人間の目の機能(分解能や色認識)の限界、脳による画像認識機能の曖昧さ、そしてなにより人間が持つ目の機能や画像認識機能の個体差(個人差)が極めて大きいことなどから考えれば、画質原理主義には虚しい部分がありまず。加えて、人間の美意識たるや千差万別でありますから、結局デジカメの画質評価なんてものは、相対的、個人的な評価にならざるを得ないと考える次第です。

2009年08月04日

●オーガニック食品の栄養的優秀性

 ホメオパシーが正規の医学教育を受けたはずの医師まで巻き込んである種のブームとなり、そのホメオパシーと表裏一体とも言える「マクロビオティック」もブームの真っ最中。まあ、「マクロビオティック」なんて言葉を知らない人達の間でも「有機農法」だの「オーガニック野菜」だのは、「健康によい食品」として広く認知が進んでいます。背景には、先般の農薬入り中国ギョーザ事件によって「安全な食品」への関心が異常に高まったこともありますが、「有機野菜」「無農薬野菜」の存在について、農水省が有機JASの認定基準を作るなどある種の「お墨付き」を与えている…という情況もあります。

 ところでその「マクロビオティック」、個人的には、いみじくも地下猫氏がホメオパシーを「カルト」として論考したのと同じく、「マクロビオティック」もカルトの匂いふんぷんという感じで受け止めています。
 桜沢如一に始まる「マクロビオティック」信奉者や推進団体の多くが、単なる食生活改善運動や健康運動に止まることなく、独特の世界観や宇宙観に基づいて「地球生命体論」に基づく「自然環境との共生」や「環境保護」などを強く主張している様を見るにつけ、肌がザワザワするような不気味な感触を覚えているのは私だけではないでしょう。
 特に嫌なのが、ホメオパシーとかマクロビオティックを信じてライフスタイルに取り込む人間の多くが「インテリ層」であること。「インテリ層」という言葉は定義しづらいのですが、要するに一定の学歴や社会的地位を持ち、社会の平均水準以上の教養レベルを備える(…と自身が思い込んでいる)階層を指します。こうした「自称中の上」階層の一部は、食生活や健康問題、環境問題に対する自覚という点で、平気で自分の子供にマクドナルドで食事」を摂らせ子供を車の中に放置して長時間パチンコに興じるいわゆるDQN層(相対的に所得や学歴、社会的地位も低い)と、明確な対立関係にあります。でも、思うに社会に対して害をなすという面では、前者の方が始末が悪いケースがけっこう多いかも。まあ、そんな話はどっちでもいいけど…

 こうした昨今の状況の中で、「オーガニック(有機)食品に栄養的優秀性みとめず」…という面白いニュースを見つけました。
 これは「50年に及ぶ文献のシステミック・レビューで、オーガニック製品は栄養的に優れているというエビデンスは見いだせなかったという報告が、The American Journal of Clinical Nutrition誌に掲載された…というのです。

 このblog主である医師のinternalmedicine先生の手による元論文の訳によれば、

・52000論文から、152(農産物137、家畜製品25)を検討クライテリアに合致するとして検討、だが、十分な質に到達してたものはわずか55のみ。
・通常の農産物は有意に窒素濃度を含む。
・オーガニック製品農産物は有意に鈴・高濃度のtitratable activityを有した。
・8つの農産物の栄養カテゴリーの間に差異のエビデンス無し。
・質の低い研究群の解析で、家畜製品について、栄養成分に、オーガニックと通常の製品の差異のエビデンス無し。

 …とのことです。

 もっとも、オーガニック食品に「栄養面の優秀性がない」と立証されたとしても、マクロビオティック信者は動じることはないはずです。現代医学とともに現代栄養学をもあっさりと否定する彼らにとって、「現代科学」の見地から栄養面の優秀性なしと断定されても、何も関係がないと考えるでしょう。特にカルト的マクロビオティック信者にとって、オーガニック食品を摂取することは「心と体、そして自然環境のバランスをとる」的な理由付けで十分でしょうから。私のように毎晩安い居酒屋や立ち飲み屋でオーガニックとは無縁の不健康な肴をつまみながらホッピーを飲んでいる人間などは、きっと唾棄すべき食生活を送っているバカヤロウだと考えているに違いありません。ああ、世の中にはお付き合いしたくない面倒くさい人間がたくさんいます。もっとも、先方でも同じように思っているでしょうけど…

2009年08月03日

●知識鉱脈 ~価値ある著作物と価値の無い著作物

 本好きな私ですが、根本的なところで「電子Book」というヤツで本を読む気がしません。でも、先日来報道されている「米で100万冊以上無料に ソニー電子書籍端末」というニュースを読むと、買ってもいいかな…という気になります。
 また、今回のソニーの電子書籍端末「Sony Reader」のディスプレイがどのようなものかは知りませんが、ソニーは2004年に国内市場に投入した電子書籍用リーダー「LIBRIe(リブリエ)」で、米E Ink Corp.製のFEDを採用した経緯があるので、今回の端末も同じFEDでしょう。私はamazonの「Kindle」については、機会があって実際の端末を手にとってみたことがありますが、ディスプレイとして採用されている「E Ink」は想像していたよりもずっと読みやすいのに感心しました。「E Ink」は、基本原理は一般的なFEDと同じ電気泳動方式のディスプレイです。FED(Field Emission Display)は、「LIBRIe」や「Kindle」に限らず昔からいろいろな端末への応用例があるのですが、最新の「E Ink」を見ると近年非常に視認性や応答速度が進歩していることがわかります。

 ただし、この著作権が切れたものを中心に100万冊以上の本が無料で読める…というのは、アメリカでの話。日本では、このような形で電子ブック向けコンテンツが無償で大量に提供される情況は当面訪れそうもありません。
 日本ではこれまで大手端末メーカーが手掛けた電子Bookビジネスが、今回アメリカ市場に参入するソニーを始めPanasonic、NECなど過去にことごとく失敗している上、電子Book用のフォーマット標準化が進まないこともあり、100万冊以上の書籍がタダで読める…といった情況には当面なりそうもありません。加えて、黒船とも言えるGoogleやAmazonの日本市場進出の動きに対応して、著作権問題も混迷している情況
 ともかく、日本語の壁に加えて著作権問題の壁もある日本では、電子Bookのマーケットの先行きはかなり不透明です。

 それにしても、ネット社会が進む中で「著作権」に関しては、もっと割り切った考え方は出来ないものでしょうか?
 だいたい私は、コピーライツとかオーサーシップなんてものについては、そんなに「ご大層なもの」だとは思っていません。むろん、なんでもコピーし放題、盗作し放題の無法地帯にしろといっているのではありませんが、著作権を強く主張する人間、特に「著者」によっては、著作権を主張する著作物の内容やオリジナリティが、「そんなに声高に権利を主張するほどご立派ではない」…というケースがたくさんあります。ちょっと過激な言い方をすれば、くだらない小説やくだらない論文、くだらない映像…といったものを作り出しておきながら、声高に著作権やらオーサーシップやらを訴えても、イマイチ説得力がありません。
 ちなみに、私自身も過去に何冊か著作を出し、雑誌などに記事を書いていますが、それらの内容を誰かに無許可で引用されようと、極論すれば内容を盗まれようと、さほど大きく騒ぎ立てるつもりはありません。これは書いたものの内容に自信が無いということではなく、ジャック・デリダを下敷きに内田樹がよく言っている「…私自身の書き物のほとんど全部は先人からの『受け売り』であり、私が用いている日本語はすべて先人たちが営々として構築したものをお借りしている。そのような作物に『知的所有権』を請求するようなことは、私にははばかられる」…というのと、ほとんど同じ感覚です。むろん、雑誌に書いたものについての原稿料は頂きますし、出版された書籍に関しては印税を頂きます。くれるというものは有難く頂戴してはいますが、1人のライターとしては著作権を声高に主張するほどオリジナリティの高い立派な文章を書いているという意識はありません。

 最近、いろいろな人が書いているBlogやら、デジカメ関係のサイトやらで、「このサイト内の文章や写真を無断で引用・流用することを固く禁じます」…といった著作権を主張するらしき注意書きが書かれています。でも、そういった注意書きを書いているサイトに限って、その大半はどうでもいいような内容の駄文とか自分で撮影した下手なデジカメの画像とか、そんな程度の内容しかありません。それが、ご大層に「著作権」を主張しているのを見ると、笑ってしまいます。
 私のこのサイトなんか、どうせ適当なことを書いているだけですし、駄文を引用されようと、中に掲載しているデジカメの写真を使われようと、よほど悪意を持ってやられるのでない限り、別にたいして気にもしません。

 ちなみに、私がネット社会における著作権に関して、「もっと緩く」してもよいと思う理由は、何もレッシグのクリエイティブ・コモンズの考え方に賛同しているからではなく、またジャック・デリダが好きだからというわけでもありません。

 ともかく、非常に乱暴な意見であることは承知の上で、私はまず「テキスト(テクスト)」形態の著作物に限り、ネット上での流通に関しては著作権の対価を大幅に安くするべき考えています。そしてもう1つ、「著作権料」には、対象となる著作物の「価値」によって、差をつけてもよいと思うのです。ただし、誰がその「価値」を決めるのか…という問題については、アイデアはありません。
 さらに、「電子コンテンツ完全なコピー防止」は不可能である…とも思っています。これには2つの意味があります。まず「たいていのコピー防止技術は破られる」…ということ。また、技術の粋を尽くしてほぼ完全なコピー防止、暗号化を実現したとしても、そうなると「使い勝手が非常に悪く」なり、また「効率が悪い」システムになってしまう可能性が高いのです。むろん、完全なコピー防止を実現するためには、非常にコストもかかります。加えて、こての規格統一にはかならず妙な利権団体が絡んでくるのも不快です。これらの問題点については、既に有名無実になりつつあるDVDのコピー防止や、官僚が主導したあまりにもバカバカしい「B-CAS」、独禁法問題に揺れる「JASRAC」などの例を見れば明らかです。

 コピー防止技術の応用に限界や問題があるから著作権問題を緩くすべきだ…という論法は本末転倒だということは十分に承知しています。しかし、ゲームソフトのように不正コピーによる業界の損害額が莫大なる例がある一方で、一定割合の不正コピーを「許容すべき損害」として、宣伝効果やクチコミ普及効果などのメリットの方を大きく見る業界やビジネスモデルも実際にたくさん存在することは事実です。また、P2Pによる映画等映像メディアの不正ダウンロードに関しては、業界が訴えるほど実損は大きくない…との計算例もあります。
 いずれにしてもネットでの流通を前提としたデジタル問題には、強硬な著作権者側も納得する「落としどころ」があるはずで、個人的には早くそうした方向に進んでもらいたいと思います。

 さて、ここからが本題です。先に、「著作権料」は対象となる著作物の「価値」によって差をつけてもよいと思う…と書きました。これに関連して、もう20年以上昔に読んだ、あるSF小説を思い出しました。この小説は、「情報」をエネルギーに使う近未来社会…をテーマにした物語です。エネルギーが枯渇しつつある近未来社会で、誰かが「情報を電力に変換する装置」を発明し、世の中にありふれる「情報」をエネルギーに変換する社会を実現する話です。
 面白いのは、この「情報を電力に変換する装置」は、「エントロピーの高い情報ほど大きなエネルギーを取り出せる」というのです。そして、いったんエネルギーに変換してしまうと、その情報は世の中から消えてしまうわけです。で、この小説のどこが記憶に残っているかというと、取り出せるエネルギーの大きさで、その情報の「価値」がわかる…という部分です。記憶が定かではないのですが、小説の中でこんなシーンが出てきました。古典経済学の名著(例えば「資本論」とか「国富論」)を電力に変換したら膨大なエネルギーを取り出せた。しかし、ある有名な大学の経済学の先生が書いた本をエネルギーに変換したら、ほんの少ししかエネルギーに変換できなかった。それで、その先生が「そんなバカな」と怒る…という部分です。
 オリジナリティがあって人類社会に高度に有用な情報を含む著作物は大きなエントロピーを持ち、引用がメインのオリジナリティがない著作物はエントロピーが低いためほとんどエネルギーを取り出せない…、つまりその「変換装置」で取り出せるエネルギーの大きさで、情報の価値がわかってしまうというわけです。確か小説の中では、自分の書いたものがほとんどエネルギーに変換されない大学の教授やら小説家やらが怒ったり、大きなエネルギーを取り出せるばかりに大事な古典名著が世の中から消えてしまう…というような悲喜こもごもが起こったはずです。(20年以上前に一度読んだ記憶だけで書いているので、多少内容は違うかもしれません)。いずれにしても、日本人のSF作家が書いたこの小説、「情報エントロピーを物理エネルギーに変換する」という発想のユニークさが常に記憶の片隅に残っていました。

 この小説の「キモ」は、「情報、特に文字情報が物理的エネルギー(電気)に変換できる装置」にあるのだと思いますが、私が最も関心を持ったのは、「文字情報が持つエネルギー量に差があり、その差は『情報の質』『オリジナリティ』による」…という部分です。で、話は最初の「著作権」に戻りますが、私は世の中にはテキスト、音楽、映像など「無意味な著作物」「価値の無い著作物」が溢れていると思っています。これは、誰もがネットで自分の意見を開陳でき、著作物を自由に発表できるようになったことの功罪の「罪」の部分だとも思えます。何だか、誰もが口を合わせて「著作権」「著作権」と騒いでいる情況の中で、「お前の書いたものは、コピーライツを主張するほどものじゃないだろう」と、言ってやりたくなることが増えてきました

 最後に、今回紹介した「情報を電力に変換する装置」をテーマにした小説のタイトルが全く思い出せなかったので、ネットで検索してみました。その結果、この小説は1979年に刊行された「知識鉱脈」(笹原雪彦/日刊工業新聞社)というタイトルであることがわかりました。詳細はこちらのサイトをご覧下さい。はっきり言って、小説としてはこのサイトで絶賛しているほど面白かった記憶はありませんが、テーマと着想はユニークです。

2009年07月28日

●「傾聴」→「チョー聴く」

 今朝NHKの「おはよう日本」を見ていたら、大学生の中退者増加が大学の経営上大きな問題になっており、大学側が対応に追われている…というニュースをやっていました。で、いかに中退者を得ださないようにするか…について、「嘉悦大学」という大学が実際に行っている対策を紹介していました。その内容に、私はかなり驚いた次第です。

 中退者対策の第一は、「居心地のよい学生サロン」の設置です。24時間オープンで仮眠もできるおしゃれなサロンで学生がくつろいでいました。
 次に紹介された対策は、「大学生に将来に対する目的意識を持たせるための必修授業」です。その授業では、明日から始まる夏休みのついて、「夏休みの目標」なるものを学生に書かせていました。教官とおぼしき先生が学生に向かって、「夏休みの目標を書くように優しく語り掛けている授業風景が映し出されていました。
 次いで、教授・教官が集まって、「いかに学生に授業や勉強に興味を持たせるか」について議論をしていました。そこでは「授業では難しい言葉や学術用語を使わないようにする」ことが議題となっていました。難しい学術用語を使うと、学生が授業や勉強に対する興味を失ってしまうというのです。さらに学生が理解できない難しい言葉の例としてコミュニケーション系授業で必須の「傾聴」という言葉が提示され、それをどのように簡単な言葉に言い換えるか…が話し合われていました。そこで提案されたのが「よく聴く」「しっかり聴く」で、続いて「チョー聴く」という提案があり、教官陣がいっせいに「それはいい!」と賛同していました。

 このニュース、見ていたら何だか絶望的な気分になりました。友人・知人に大学の教官が何人もいますし、自分自身も大学で講義した経験も何度もあります。今の大学生の「レベル」についてはある程度わかっているつもりです。それでも、大学の授業で真面目に「夏休みの目標」を書かせている光景は衝撃的です。小学校ならともかく、大学で学生に「夏休みの目標を立てさせる」というのは、あまりにも痛すぎて見ていられません。
 そして「学術用語を使わない授業」をしないと学生が授業に興味を失う…というのは、もう「大学」の存在意義に関わるほどバカバカしい話です。学術用語を使わずに学問を教えなければならない…というのは、教える側にとっては「学問を教えてはいけない」に等しいでしょう。また、学術用語を聞くと授業を受ける気を失う学生がいるとすれば、大学に入学したこと自体が間違いなのです。
 「傾聴」の意味が理解できない大学生がいるという事実、そして「傾聴」を「チョー聴く」と言い換えるべきだと教える側が真面目に議論しているに至っては、頭を抱えてしまいます。

 ここで、安易に「こんな教育機関は不要だ」…とまでは書きません。少なくとも勉強をしない学生に何とか勉強させよう、学問の楽しさを教えようと多大な努力をしている点では、この「嘉悦大学」の教育体制を評価すべきです。また、大学側の対策の効果によって、実際にその気になって学問の世界に興味を持つ学生がいるとすれば、その志はそれなりに立派なものです。日本という国の国民全体の教育レベルを底上げするためには、こうした教育機関も必要かもしれません。しかし、少なくとも「大学」というものの存在理由、存在意義を考えれば、この大学は「大学」として存在すべきではないし、「夏休みの目標を書け」と言われて疑問に思わない学生、「傾聴」の意味を理解できない学生は、一般的な意味での「大学生」であるべきではありません。そして、どうやら今の日本にはこの嘉悦大学と同等の「レベル」の教育を行っている「大学ではない大学」が、非常にたくさんあるようです。
 こうした多くの大学に対しては、アメリカの社会人向けコミュニティカレッジのように、通常の「学問を学ぶ大学」とは別枠の「義務教育を終了した人向けの生涯教育・職業教育のための学校」といった位置付けを考えるべきでしょう。このレベルの大学と「学問を学ぶ意欲を持ちそれに応えるだけの高度な教育を行う大学」とが、制度面、法律面で同じ位置づけにあるのはおかしいし、また同じレベルで補助金や助成金を出すのもおかしな話です。

2009年07月22日

●無謀な人生

 大雪山系、トムラウシ岳の登山ツアー客の遭難事故、自己責任という言葉を安易に使うのは嫌いですが、やはり登山は危険なもの。自分がどの程度の体力・脚力を持っているか、どの程度の登山技術を持っているかを正確に自己判断でき、登ろうとする山の情報を自分で集めることができる人だけに許される「危険な遊び」です。どんな装備が必要でどんなスケジュールなら歩けるか…を「自分自身で」判断できない人間が、登山をやってはいけません。また、服装や装備は「最悪の天候、最悪の事態」を想定して整えるもの。私の拙い登山経験から見ても、今回のツアーに参加した登山者達の経験と装備では、起こるべくして起こった事態のような気がします。中高年登山客を食い物にするツアー会社もどうかとは思いますが、自らの意思で登山ツアーに参加する・しないの選択をした上での遭難ゆえに、生き残った遭難者は、この時期のトムラウシ岳の最悪の天候情況を事前に想定せず、実際に起こった事態に対処できなかった自らの能力と責任をあらためて自覚すべきでしょう。むろん亡くなった方は大変お気の毒であり、冥福をお祈りします。

 しかし、アウトドアでの遊びに関しては、私自身、昔から相当な無茶・無謀なことをやってきており、実際に何度も危険な情況にも陥りました。他人の遭難事故に対してえらそうなことを言える立場ではありません。

 登山は、若い頃から結構危険な目にあっています。しかも、万全の準備で臨んだ北アルプスや南アルプスの高峰の登山ではなく、むしろ気軽に出掛けた日帰りや小屋泊まり1泊程度の山行で、意外と危ない情況に陥ったことが何度もあります。
 10代の終わり頃、早春3月初め頃の鈴鹿で御池岳日帰り登山の帰りに、半ば日が落ちて暗くなり始めた白船峠の下りで雪に降られ、危うく遭難しそうになったことがあります。30代の頃に行った春の八ヶ岳、1泊したオーレン小屋から根石岳へ登り、さらに天狗岳を目指していた時に、稜線で20メートル以上の強風と雪混じりの氷雨に遭い、動けなくなって岩陰で長時間の停滞を余儀なくされ、余りの寒さにこれまた危うく遭難しかかった単独行もありました。いずれも、好天ならばハイキング程度の初心者向けコースでの話ですが、季節と天候次第ではかなり危険な事態になるという実例です。

 登山だけではありません。バイクツーリングなんて、もう無茶苦茶なことをやりました。これは20代の話、当時友人からタダで貰った不動で10年落ちのHONDA「CL250」というオンボロバイクを自分でレストアし、調子を見るために日帰りで信州へ出掛けました。しかも、現在のカミさんを後ろに乗せたタンデムです。往きは国道20号ですからどうってことありません。帰りは何を思ったか、野辺山から川上村を通り、三国峠経由で中津川林道を通って秩父へ抜けて帰ってこようとしました。そして三国峠の頂に着いたのは夕方かなり遅い時間です。当時、既に中津川林道は夜間走行が禁止されていたはず。でも、無謀にも薄暮の林道を下り始めました。
 1969年製のCL250がどんなバイクか今の人達は知らないでしょうが、1980年頃の当時のバイクとの比較ですら、既にまともとは言えないサスとまともとは言えない操縦性のバイクであったはず。そんなバイクに不安定な2人乗りで、夜道のオフロードを下り始めたわけです。峠を下り始めるとすぐに真っ暗になりましたが、CL250のヘッドライトと言えば、せいぜい15Wぐらいでしょうか、まあ最近の原チャリよりも暗いライトです。路肩やカーブの情況もまともに見えない有様で、急勾配、急カーブが連続する狭い林道を走るのです。怖いことこの上ない。しかも、走行しているうちに、オフロード部分の真ん中あたりで、エンジンが止まってしまったのです。月明かりと手探りでプラグを交換してポイントを掃除し、舗装部分まで下って来たときには、もう夜の10時を回っていました。今思えば、よく夜間の林道で崖から落ちたりしなかったものだと思います。
 でも当時は、そんな話と似たり寄ったりの無茶なツーリングを、毎週のようにやっていたものです。厳冬期の1月に、路上の各所に除雪後の雪が残り日陰部分は完全に凍結し、延々と急コーナーが続く20号線の大菩薩峠超えを、SR500で走った時の怖さは今でも覚えています。また、1980年代に行った東北ツーリングの途中、下北半島を1周しようとした時の話。今とは違って大間岬から南はほぼ全て未舗装だった時代で、土砂降りの中、林道並みに荒れた未舗装路を単気筒のオンロード車にやはりタンデムで半日走り続けて、脇野沢を過ぎる頃にはハンドルを押さえる手の感覚がなくなってしまった時のことも覚えています。

 ともかく、登山もバイクツーリングも自己責任において行うべき「危険な遊び」であることは間違いありません。私はこの年齢になって、1つ間違えば現在は生きていなかったような無謀なことをやり続けた人生を、迷惑を掛けたであろう周囲の人間と社会に対して反省しています。でも一方で、現在もなおこうして生きている自分の人生を、「実に好き勝手に、面白おかしく生きてきたものだ」と身勝手にほくそえんでいる部分もあります。無茶をやって生き残った人生というのは、間違いなく「幸運」な人生です。今回の大雪山系の遭難事故で生還できた方々は、自らの「幸運」に感謝すべきでしょう。そして、不謹慎な言説ながら、無念にも亡くなった方の分まで人生を楽しむべきです。

2009年07月16日

●「F200EXR」を、さらに使ってみて…

 F200EXRの「手持ち夜景スナップ能力」はたいしたものです。今回海外出張に持って行き、暇を見て夜景中心に数百カット撮影してみましたが、かなりの確率で見られる画像が撮れました。

Dscf0215s.jpg

 この画像は、EXRのSNモードで最大ISO感度800の設定で撮った画像です。実際にはISO800、f3.3、1/28秒でシャッターが切れています。一瞬立ち止まってきちんと構えずに撮っても、画面の中に適当な光源があれば、この程度の画像を撮ることができます。拡大すると、背景の暗部の諧調なども結構しっかりと出ていて、F200EXRはまさにノンストロボ前提の夜間の街撮りスナップには個人的には理想に近いカメラということができます。
 記録目的の画像ならISO1600でも十分にいけますから、手ぶれのことを考えるとISO1600を上限にしても構わないのですが、まあ、記録ではなく鑑賞目的の画像ならISO800を上限設定にしておいた方が無難でしょう。

Dscf0149s.jpg

 夜景撮影能力が高い代わりに、AUTO設定で撮る昼間の画像は、それほど感心するものではありません。むろん、解像感、レンジ感はむろん、発色もけっして悪い画像ではないのですが、夜景スナップで撮れる画像があまりに素晴らしいだけに、私が勝手に期待し過ぎているということでしょう。
 昼間の撮影は、モードダイヤルを[P]または「AUTO」として、ISO感度の上限を400に設定、発色は[VELVIA]モードで撮影しています。しかし、撮れる画像は、例えばGRDやGRDⅡの絵と較べると、なんとなく「落ち着きのない絵」のように感じます。これは、別に[VELVIA]モードのせいではなく、標準の[PROVIA]モードで撮っても同じです。

 まあ、ともかくF200EXRは最近になく面白いカメラです。当初心配していたほどグリップも悪くないし、重要なタフさの問題も、今のところは裸でポケットに放り込んで持ち歩いていても大丈夫そうです。さらに使い込んでみるつもりです。

2009年07月02日

●ベンのテーマ

 朝の通勤前の時間、私はいつもコーヒーを飲みながら、テレビで朝のワイドショーなどをボンヤリと見ているのですが、相変わらずマイケル・ジャクソンの話題ばかりです。テレビの追悼特集では彼の代表作であるスリラーやBADのビデオクリップばかり流されています。
 そのマイケル・ジャクソンですが、音楽史に残る偉大なエンタテイナーであったことはその通りだと思いますけど、別に彼の音楽が好きだったわけでもないし、さほど興味のあるミュージシャンではありませんでした。そんな私にとって記憶に残るマイケル・ジャクソンの曲は、たった1曲だけ。それは1972年にリリースされた「ベンのテーマ」です。ネズミがいっぱい出てくる一種のパニック映画だった「ベン」、そんな映画のテーマにしては、とても美しいメロディの曲で、声変わりする直前のマイケル・ジャクソンののびやかな声が忘れられません。詳しくは、こちらのサイトを読んでください。
 ところで、このサイトに、1972年12月の「TBSラジオ ポップス・ベストテン」が掲載されているのですが、1位が「トップ・オブ・ザ・ワールド」(カーペンターズ)、2位が「チルドレン・オブ・ザ・リヴォリューション」(T.レックス)、そして9位に「愛の休日」(ミッシェル・ポルナレフ)、10位に「クロコダイル・ロック」(エルトン・ジョン)など、懐かしい曲が並んでいて、思わずニヤッとしてしまいました。思えば、毎晩のようにラジオの深夜放送を聴いていた頃です。

2009年06月30日

●FinePix「F200EXR」の夜景スナップ能力

 200EXRは、おそらく自分がかつて使ったことがあるコンパクトデジカメの中で、最も手持ち夜景スナップ撮影に適した機種でしょう。例えばここ1~2年間の間に私自身が購入して使い込んだコンデジ、ニコンCOOLPIX5000、P50、P80、リコーGRD、GRDⅡ、R10、PANASONICのDMC-FX150…といった製品とは、夜景スナップの性能に関しては明らかに一線を画します。

 私は、基本的に「じっくりと構えて撮る」という使い方をしません。ケース無しの裸でポケットに入れておいて、ちょっと立ちどまり、サッとカメラを取り出して一瞬でシャッターを切る…というスナップ撮影が基本です。これは、主に治安に不安がある海外で撮影するときの習慣からくるものですが、こうした使い方をするためには、オートでの撮影が基本です。
 前回の投稿でも書いたように、200EXRで、EXRモードで高感度低ノイズ優先の「SN」を選択しISO感度の上限を800に設定しておけば、夜の街中でどんな被写体を狙っても、ほぼ100%に近い確率で、「それなりに見られる画像」を撮ることができます。
 下の画像は、昨夜、新大久保の駅前で一瞬立ち止まって手持ちでシャッターを押したものです。

Dscf0085s.jpg

 これで、「SN」モード(600万画素)、ISO400、F3.3、1/110秒、マルチ測光によるオート撮影です。むろん、一切補正はしていません。きちんと構えて撮ったわけではないのに、元画像では道路の向こう側のお店の看板を拡大しても十分に解像していますし、ビル壁面の電飾の無い看板の文字も、中央右上の交差点名表示の文字も十分に読めます。簡単にこのレベルの画像が撮れるのなら、海外旅行で夜の街を散歩しながら、手際よくスナップ撮影することが可能です。

 私は最新のコンパクトデジカメを多機種使った経験があるわけではありませんが、この200EXRの夜景スナップ能力は、現行のすべてのコンデジの中でも、おそらく最高レベルだろうと思う次第です。

2009年06月29日

●FinePix「F200EXR」他…

 以前書いたように、リコー「R10」のレスポンスの遅さと夜景・室内スナップの弱さに閉口して、使う気を無くし、新たにFinePix「F200EXR」を購入して使っています。
 まだじっくりと使い込むところまではいっていませんが、暗所のスナップについては、まあほぼ期待通りの性能を発揮してくれています。夜景スナップや暗めの室内のノンストロボ撮影では、EXRモードの中の高感度低ノイズ優先の「SN」がほぼ満足いく撮影結果を出してくれています。私の場合、「SN」のISO感度の上限を800に設定していますが、居酒屋やレストラン内でのスナップなら、ほぼ100発100中で「使える画像」を撮ることができます。
 ただ、昼間の風景などを中心として使おうと思っていた一般的なオート撮影では、ともかくダイナミックレンジを上げる方向、ISO感度を上げる方向にシフトしてしまうので、さすがに使いづらく、プログラムモードにしてISO感度の上限設定を下げて使っているのが現状。
 ホールド感は決してよいとは言えませんが、かと言って、当初予想していたよりは悪くもない…というのが現時点の感想。動作の機敏さや撮影レスポンスについては、まあまあといったところです。来週の海外出張に持って行って使ってみるつもりです。ともかく、もっと使い込んだところで、気が向いたらさらに詳しく報告します。

 話は全く変わりますが、私が愛読しているblog「地下生活者の手遊び」の6/23の投稿「表象は読み解くことができない」を読んでいたら、ある論争の中で、鮎川信夫の名前が出てきたので、ちょっと気になりました。

 まあ、エントリーの内容や前後の論争の中身は当該Blogを読んで頂くとして、現代詩文庫から出ている鮎川信夫の詩集は高校時代に読んでけっこういろいろと考え込まされた記憶があります。当時の自分が何をどう考えたかについては、ここでウダウダと書くつもりはありません。ただ、何十年かぶりに鮎川信夫の名を目にし、しかもBlogの内容を読んだら、条件反射的に今は亡き谷川雁の、次の詩を思い浮かべました。

谷川雁「毛沢東」

いなずまが愛している丘
夜明けのかめに
あおじろい水をくむ
そのかおは岩石のようだ
かれの背になだれているもの
死刑場の雪の美しさ
きょうという日をみたし
熔岩のなやみをみたし
あすはまだ深みで鳴っているが
同志毛のみみはじっと垂れている
ひとつのこだまが投身する
村のかなしい人達のさけびが
そして老いぼれた木と縄が
かすかなあらしを汲みあげるとき
ひとすじの苦しい光のように
同志毛は立っている

 ちなみに、私は別に毛沢東のファンではありません…

2009年05月28日

●GRANCISCOのカーゴパンツ

 ここ数年、春夏の普段着に、カーゴパンツを愛用しています。私は、秋冬は普段着としてコーデュロイのパンツをはいていることが多いのですが、春夏の時期は主にオーセンティックなコットンパンツを愛用していました。むろん、若い頃からアメトラの私ですから、ノータックで裾幅は狭めのダブルです。そんな私がここ数年、綿パンではなくカーゴパンツを愛用するようになりました。特に、海外旅行時などは、サイドポケットもしっかりと収納に役立ち、便利この上ないですね。カーゴパンツといっても、私のような中年世代に合うシルエットの製品は少なく、EddieBauerやEagleCreekなど、アウトドア系のブランドのパンツを適当に選んでいました。

 そんな私は、最近とてもはき心地がよい普段着用カーゴパンツを見つけました。それは、「グランシスコ(GRANCISCO)」というブランドで、ご存知の方も多いと思いますが、タカヤ商事という作業服メーカーが販売する純粋な作業服のブランドです。このグランシスコの綿100%のノータック・カーゴパンツは、いかにも作業ズボンという雰囲気のものではなく、デザインもシルエットも秀逸な上、生地の風合いもとてもよいので、気にいっています。しかも丈夫で安い。2000円台で購入できるのだから驚きです。春夏物なら「GC-S285」という品番の製品がいちばんのお気に入りで、数本をまとめ買いして一夏の間穿き回している状態。むろん、暑い国への海外出張時にも忘れず持って行きます。

2009年05月21日

●新インフルエンザについて思うこと…

 5月21日午後3時現在で、国内の感染者数は計277人とのことですが、そんなに少ないわけはないでしょう。実際には、国内で既に数千人の感染者がいるように思います。
 発熱外来以外の一般開業医での発熱患者の診療を開始した神戸市などでは、開業医らに対して、簡易検査で患者からA型インフルエンザの陽性反応が出た場合でも、詳細(PCR)検査をする市環境保健研究所に検体を送らないよう指示したそうです。要するに、検査がパンク状態にあるわけです。つまり、現時点で、感染者の総数把握は事実上不可能…と言った状態です。参考URL:http://med2008.blog40.fc2.com/blog-entry-844.html

 さらに関西以外の地域では、相変わらず渡航歴がない人のPCR検査はやっていません。
 私事ですが、私は11日の月曜日に定期検査のために慶応病院に行きました。入り口でアンケート用紙を配布しており、「過去10日以内に37.5度以上の体温になったことがあるか?」「過去10日以内に北米地域への渡航歴があるか?」という2つの質問に答える…というものです。ちなみに、私は風邪気味であり、37.3度の熱がありました。また、北米地域ではないですが、アジアから帰国して12日目の発熱でした。その旨を主治医に告げたところ、「じゃあ大丈夫ですね」の一言で、通常のインフルエンザの検査すらしませんでした。

 新型インフルエンザ患者の症例統計によれば、感染者の約20%程度は微熱以下の発熱に留まっているそうです。つまり私は、状況から見ても新インフルエンザに感染している可能性があるにもかかわらず、一定の条件に該当しない…という理由だけで、検査をしようとはしませんでした。

 私は、最初から一般開業医からの検査依頼を事実上受け付けていない関西以外の地域、特に関西地域と人の往来が多い東京では、相当数の感染者がいるものと思っています。

 もう1つ、今回の新インフルエンザのパンデミックによって、日本の経済が受けるダメージは、計り知れないものがあります。現時点でも、既に数兆円の経済損失があるというのですから、これが患者数が数千人とでもいうことになれば、さらに莫大な経済損失と国際的な信頼失墜につながります。そんな状況の中で、政府は感染者数を正確に把握して、それを公表したくはないでしょう。かなり意図的に、WHOに報告する感染者数を少なくしているような気がします。ただし、数字をいじる形ではなく、意図的に「詳細検査をしない状態」「検査できない状態」を作り出すことによって…です。

 ともかく、新インフルエンザいつ強毒性に変化するかわからない状況なのですから、私たち国民も、医療の最前線で起きている事実だけはきちんと把握しておいた方がよいと思われます。政府や厚労省の発表など聞いていても、狂乱状態のマスコミの報道を聞いても、医療現場で起こっている事実は絶対にわかりません。
 その点、ドクターが発信するBlogの中には、信頼できるものがたくさんあります。今回の新インフルエンザ騒動で、私は以下のような医師Blogに注目しています。
「新小児科医のつぶやき」
「勤務医 開業つれづれ日記・2」
「ぐり研ブログ」
「天漢日乗」

2009年05月07日

●JETSTREAMとPOWERTANK

 これは前にも書いたことがありますが、私は筆記道具が好きです。ライターという職業柄、以前は長時間原稿を書くためのシャープペンシルにかなりこだわり、特に書きやすい0.9mmのシャープを探し回った時期などもあります。ワープロ、パソコンで物を書く時代になってからは昔ほど筆記具へのこだわりはなくなりましたが、それでもやっぱり銀座の伊藤屋や西武百貨店のロフトなど大きな文具店の前を素通りすることはできず、あれやこれやといろんなものを買い込んでしまう習慣は続いています。
 キーボードで文字を書くようになってから、原稿書きのためのシャープペンシルの出番が減った代わりに、メモ用のボールペンが必需品となりました。手帳を持たない私は、いつもメモ帳を持っています。何年間もRHODIAのNo.11を使った挙句に、数年前にRHODIAのNo.11とそっくりなメモ帳を100円ショップで発見し、今は主に黄色い厚紙の表紙がついた升目入りの100円のメモ帳を愛用しています。
 で、ボールペンの話ですが、ここ10年以上も輸入品を含め様々なボールペンを使った結果、もっとも使いやすいボールペンは、安価なJETSTREAMとPOWERTANK(いずれも0.7)という結論になりました。どちらも三菱uniの製品で、またどちらも顔料系インクのボールペンです。私は筆圧が強いのでゲルインクのボールペンが嫌いなのですが、JETSTREAMとPOWERTANKの2つは顔料系インクにもかかわらず、非常に滑らかに書けるのが特徴です。またPOWERTANKは、ご存知の通りインクカートリッジ内に圧力を掛けてあるので、どんな場面でもかすれないし、飛行機の中などでも使いやすいという特徴があります。JETSTREAMは、ラバーボディータイプが特に使いやすく、黄色の全身ラバータイプを愛用しています。ともかくこの2種に関しては、RAMYのような定評がある高価なボールペンと比較しても、書きやすさで確実に上回ります。
 ところで、JETSTREAMもPOWERTANKも安価とは言え、普通は100円では買えません。銀座の伊藤屋や西武百貨店のロフトで買うと、JETSTREAMは廉価版で169円、ラバーボディータイプが269円という値段です。POWERTANKの方はキャップ型もノック型も廉価タイプで210円します。
 ところが最近、オフィスの近くの100円ショップでJETSTREAMの廉価版を100円で売っているのを見つけました。続いてダイソーでPOWERTANKのキャップ型も100円で売っているのを見つけ、私はうれしくてたまりません。結局どちらも大量にまとめ買いした結果、今後10年間はボールペンに困らないだけの在庫(?)を持つに至りました。
 もっとも、ボールペンを長期間保存することができるのかどうかはわかりません。インクが変質する可能性もあるでしょう。それで私は、周囲の人間にJETSTREAMとPOWERTANKを「これ書きいいよ」と言いながら、タダで配っている次第です。
 それにしても、三菱鉛筆というのは、よいメーカーです(別に回し者ではありません)。余談ですが、同じ三菱のJumpopという「短い軸がサイドノックで長くなる」というギミックを持つシャープペンシルも、妙に気に入ってます。別に使いやすいというわけではないのですが、あまり意味のないけれん味たっぷりの仕掛けが遊び心をくすぐります。

2009年04月16日

●Creative「Vado HD」

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 これはまあ、新しい「おもちゃ」と言ってもいいでしょう。Creative「Vado HD」です。個人的には、ずっと前にこのサイトで何度も取り上げたeggyの「今風バージョン」と言った感覚で使っています。つまり、いかにもビデオカメラっぽくない動画撮影カメラであり、HD動画(1280×720)の画質はかのeggyの画質とは比較になりません。
 使い始めて1ヶ月以上になりますが、ポケットに入るサイズ、シンプルな操作性と携帯電話で動画を撮る時のような気軽な撮影スタイルが面白く、毎日持ち歩いて、日常生活を片っ端から撮っています。
 内蔵しているソフトでYouTubeにアップできる他、簡単な動画編集も可能です。機能的には、本格的に編集したい人には不評なようですが、私としては十分です。
 8GBのメモリには、HD+クオリティで約2時間分記録できますが、1~3分程度の短い動画を大量に撮る私には十分な容量です。バッテリーの持続時間(約1時間)も問題ない上、デジカメ用のバッテリー「NP-60」を使えるとのことなので、ROWAあたりで安いバッテリーを購入する予定です。
 意外だったのは、思ったよりも暗い場所でもしっかりと撮影できること。毎晩転々と飲み歩いている居酒屋の情景などをさりげなく撮るにはもってこい。これなら海外でも面白く使えそうなので、来週予定している海外出張に持って行きます。

 ところで、ペットボトルのお茶「伊右衛門」のオマケについてきた巾着袋が、この「Vado HD」を持ち歩くのにぴったりでした。

 撮影した動画は、そのうちにアップします。

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2009年03月26日

●ポケットラジオ

 ラジオ好きの私が最近とてもお気に入りなのが、PLL方式のポケットラジオ「RAD-S330N」(AudioComm)です。2ヶ月ほど前に、気まぐれで5000円弱で通販で購入。このラジオ、あの有名な中国のラジオメーカーDEGEN社の「DE108」という製品のOEM製品です。最初は「ダサッ」と思ったデザインも、最近見慣れてきたせいか、けっこうかわいいと思うようになったから不思議です。適当な重量感と無骨な直方体デザインが、最近の日本製ラジオにはない独特の質実剛健な雰囲気を醸し出しています。
 AM、FMともに同クラスの日本製ポケットラジオと較べても、受信感度に遜色はないし、スピーカーの音質もこの手のポケットラジオにしてはまあまあ。先日はバンコク出張にも持って行き、現地で短波放送を聞きまくった上、タイマー機能を使って目覚まし時計代わりにも使いました(時計はデュアルクロック設定ができるのですが、メモリ1の方でしかタイマー機能は使えません)。いや、海外に短波ラジオを持って行く…というのも、ちょっと面白いですよ。
 で「RAD-S330N」ですが、SWの受信範囲が5.95-15.60MHzで5kHzステップ…というのがちょっと不満ですが、自宅マンションのベランダに出るか、ベランダに近い窓際なら、付属しているクリップ式のワイヤーアンテナを使って、夜間であればアジア各国の大出力の局が結構たくさん受信できます。AM、FM、SWともに各10局をメモリでき、これはもうこの手のラジオにしては十分。カバンの中でスイッチが入らないようにボタンロック機能があるのも○。内蔵アンテナがまっすぐ上にしか伸びないのが、いまのところ最も不満な点かも。
 このAudioComm「RAD-S330N」、大手家電量販店でも売ってますので、高感度ポケットラジオを購入予定の方は、ぜひ候補として検討してみてください。私は、最近愛用しているMP3プレヤー「ZEN MOZAIC」とともに、毎日カバンに入れて持ち歩いています。

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 そしてデジカメの方は、R10がとうとう「お蔵入り」。今は、富士の「F200EXR」を購入しようかどうか、かなり迷っているところ。で、その代わりというわけではありませが、連日のようにデジタル一眼レフを持ち歩いています。
 かつて「重いデジタル一眼レフは常用しない」と周囲の人間に断言していた私が、あっさり主旨変えをして持ち歩き始めたPENTAXの「K100D」と「K-m」。特にK100Dについては、今さらの感想ですが、やっぱりいいです。以前から持っていたのに、なぜもっと使わなかったのか、我ながら不思議です。小型ということに惹かれて昨年末に購入した同じPENTAX「k-m」も悪くはないけど、PENTAXの旧レンズで撮影するとなると、やっぱりスーパーインボーズのあるK100Dの方が、間違いなく使いやすい。結局「k-m」よりも「K100D」の方が、持ち歩く機会は多くなっています。
 それだけでなく、最近思うのは「K-100D」の画質の良さに対する再認識。K100Dで撮った画像は、600万という画素数以上に解像感があり、素直な発色とも相まって、とても気持ちのよいもの。使うレンズによる差やRAW現像時の設定を無視した自己チュー評価ですが、仕事で使っているニコンのD90よりも、フィルムっぽくってナチュラルな絵が撮れます。そして、最近K100Dを持って街撮り散歩をする時に主に使っているレンズは、A28mm F2.8とM50mm F1.4の2本。特に、APS-Cでは実質75mmになるM50mmF1.4は、その半端な画角も含めて、けっこう楽しいレンズです。昨今のデジタル一眼レフユーザに多い「明るい50mm」ブームに乗っているつもりは全くありませんが、軽量で明るい単焦点レンズは、散歩にはもってこいです。

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2008年11月08日

●EeePC 901X

 今日もデジタル・ガジェットの話。今回はパソコンです。9月に購入して、面白く使っているのが、あの「EeePC 901X」です。

 UMPCと呼ぶのかNetbookと呼ぶのか、この手のPCが流行る中、「イジる楽しさ」を考えれば、選択肢はおのずと「EeePC 901X」に決まり(実はMSIの「U100」とどっちを買おうかとかなり迷いました)。選択の決め手は、カタログスペック上とは言え、8.3時間というバッテリー駆動時間。ビックカメラのネットショップで20%ポイント付きの54800円と、実質4万円台前半だから、安いものです(このポイントでタイガーの新製品の電気ケトルを買いましたが、その話は後日…)。

 購入して即、誰もがやる「EeePC 901Xのお約束事」となっている簡単チューニングをしました。
 まずはメインメモリを2GBに増設(上海問屋で4000円弱)、うち512MBを「ERAM」というソフトを使ってRAMDISKに割り当てます。そしてTEMPファイルをRAMDISKに書き込む設定に。次に16GBのSDHCカード(これも上海問屋で4000円弱)を挿して、HITACHIのドライバソフトを使ってHDD化。さらに901用のタッチパッドのドライバをASUSのサイトからダウンロードしてインストール。…以上のように手を加えた上で、CドライブのWindowsの軽量化を図ります。MyDocumentをDドライブにしたり、使わないソフトをアンインストールしたり、不要なFontを削ったり、いろいろやってCドライブのSSDをなんとか2GB近くを空けます。これらのチューニング方法は、全てネット上に詳細な情報があります。
 そして、私の場合はDドライブにMicrosoft Office XP Proをインストール。これは外出先でWordで原稿を書いたり企画書を作ったり、いつものフォーマットで作成されたExcelのデータやPowerPointの企画書を確認したりするため。その他、FTPソフトやエディタ、メールソフト、画像ビュアーや動画プレヤーなど、個人的に必要なソフトを適当にインストールして、普通に使えるノートPCが一丁あがりです。そのうち、DドライブのSSDをさらに大容量化するかもしれませんが、今のところはこれで十分です。外付けの光学ドライブは、どうしても必要なときはLAN上のPCのドライブをネットワークドライブにして使うので、これも不要。
 Atom 270にメインメモリ2GBの組み合わせは、予想以上に軽快。Microsoft Officeもサクサク動きます。SSD12GBとSDHC16GB併せて合計28GBの外部記憶容量は、サブ機として使う限りは十分過ぎるほど。さらにいつも8GBのUSBメモリを2本持ち歩いているし、必要に応じてポータブルHDDを使えばいいので、オンラインストレージなんて面倒なものは不要です。
 キーピッチは、最初はすごく狭く感じましたが、慣れればワープロなどもけっこう普通に打てます。1024×600ドットの半端な画面も、Web閲覧や文書作成に使う限り、それほど違和感はありません。

 出先でのネットアクセスは、WiFiが基本。私の場合は、YahooBBとFonが頼り。私がいつも生息している池袋や中野なら、マクドナルドかルノアール、JR駅のBecksあたりでの利用がデフォルト。山手線の内側は、Fonと乗り入れているLivedoorのアクセスポイントがかなり使えます。

 こんな環境で、現在はEeePC 901Xを毎日カバンに入れて持ち歩いています。公称のバッテリー駆動時間は8.3時間ですが、時々ネットに繋ぐ程度であとはオフライン利用中心なら、正味で5時間半は持ちます。この駆動時間は、丸1日の外出ならACアダプターの携帯はほぼ不要ということ。ただ、ACアダプターを持ち歩かないとなると、逆に自宅用以外にオフィス用にもACアダプターが欲しくなります。そこで、Amazonで「POWERLINK MINI PLS12AS」を約2500円で購入しました。純正のACアダプターよりも熱くならないし、使い勝手もいいですね。実際に、海外(220V地域)でも問題なく使えました。

 ところで私の周囲(IT、広告、出版業界が多い)では、仕事でモバイルPCを持ち歩いている人の大半がThinkPad派かLetsnote派のどちらかに分かれます。IBMがLenovoになっても、モバイルタイプに関してはThinkPad支持派はかなり多い。上位モバイル機種に関しては独特のキータッチは健在、頑丈でトラブルが少なく、海外サポートも充実…といったイメージがあるからでしょう。Letsnoteは、やはり光学ドライブ搭載の軽量機種に人気があります。次いでVAIOと東芝が少数派で、富士通やNECはまず見かけることはなく、最近ではDELLやHPを持っている人の方が多いかも。あとは、ごく稀にAirMacを見かけるぐらい(かく言う私はヒネクレ者なので、NECの軽量B5ノート「LaVie Jシリーズ」を2代に渡って使ってますが…)。
 そんなわけで、会議の席上などで見ていても、性能の劣る安っぽいNetbookなんかを机の上に出す人は誰もいません。そんな中で、会議などで私がおもむろにEeePC 901Xを出すと、多くの人が興味深そうに「それって使えます?」なんて聞いてきます。まあ、どこかに「こいつ何を安物のノート使ってるんだ?」という侮蔑の眼差しを感じたりましますが、それがまた面白いので、わざと見せびらかして周囲の反応を楽しんでいる部分もあります。

 使える・使えないの実用性の判断は、どんな目的で使うか、どんなアプリを使うか…という前提があってのことですから、一概に答えようがありません。でも、私がモバイルPCを持ち歩く際の主な使用目的は、外出先で原稿や企画書の原案を書くこと。間違ってもこのEeePC 901Xでデジタル一眼レフで撮ったRAW画像を扱うことはないし、複雑な画像処理をするわけでもない、動画のエンコードをするわけでもありません。一方で、Word、Excelは十分に使えるし、会議の時には15ピンのD-subでプロジェクタに接続して、XGA画面でPowerPointでのプレゼンも可能です(1024×600画面でPowerPointの作成・編集はきついですが)。オフィスソフトの動作速度にも、チューニング後の外部記憶用メモリ量にも不満はないし、キーピッチと画面サイズは慣れの問題。実際に約2ヶ月間ほぼ毎日使ってみた感触では、私自身は普通に仕事に使えるノートPCだと認識しています。メセンジャーバッグに放り込んで毎日持ち歩くには、あと200g軽ければ…とは思いますが、バッテリー駆動時間を考えれば、まあ納得です。実売5万円以下のチープなマシン、しかもHDDを内蔵していないマシンでも、用途を絞ればここまで実用的に使えること自体が、とても面白いことです。

2008年11月07日

●高性能充電器を格安で購入

 このサイト、一度はWordPressでリニューアルしてみたのですが、どうもWordPressとサーバーの相性が悪く、やたら表示に時間がかかる状況を改善出来ませんでした。で、細かく原因を探るのも面倒なので、再度MovableTypeに戻してみました。

 K100Dを常用するようになってから、ニッケル水素電池eneloopをたくさん使うようになりました。とりあえず4本組みで3セット、12本を使いまわしています。となると、必要になるのは高性能充電器です。今のところ、eneloopとセット販売されているリフレッシュ機能のない安価な充電器を2台使っていますが、いくら継ぎ足し充電に強いeneloopといえども、そろそろメモリ効果も出る頃ですから、いったん放電してリフレッシュする必要がありそうです。

 放電機能付き充電器といえば、私は一昔前の「MAHA MH-C204F」を2台所有しており、ひと頃はよく使っていましたが、ここ2~3年でニッケル水素電池の容量が大幅にアップした今となっては、この製品の充電能力では不足です。そこで、最新の高性能充電器を購入することに決めました。まあ、簡単な放電器を自作して普通の充電器と併用する…という手もありますが、それも面倒です。
 Nexcell「NC-60FC」、JTT「My Charger View」、キムラタン「Quick Eco」など、最近ネットでよく話題になる放電機能のついた高性能充電器が何種類かあっていずれも興味を惹かれるのですが、性能の保証はなく購入を迷うところ。となると、大手メーカー製の無難な市販充電器になりますが、中でも最も評価が高いのは、やはりサンヨーの「NC-MR58」でしょう。この製品は、放電機能を持つだけでなく過放電防止機能もあり、しかも4本を個別に充電制御しています。2本だけなら急速充電も可能。単4電池が同時に2本しか充電できない点が惜しいものの、eneloopユーザである私が、まず選択すべき充電器かもしれません。
 しかし、問題があります。ケチなことを言うようですが、この「NC-MR58」はかなり高い。単三eneloop4本とセットになった「N-MR58TGS」が4000円以上はします。単体で買っても3000円以上です(機能から見て高いわけではありませんが…)。値段の問題以上に、高機能充電器の定番である「NC-MR58」を買うのでは、なんとなく面白くない。もともと「パチもん」が好きな私ですから、同じ4000円近く出すなら前述した「My Charger View」あたりを買ったほうが面白そうです。

 そこで私は考えました。ニッケル水素電池で圧倒的なシェアを持つサンヨーですから、各社に電池と同様に充電器もOEM供給しているに違いない、OEM品なら安く買えるのでは…と思ったわけです。ちょっと調べてみると、サンヨーは東芝、富士写真フィルム、日立マクセルなどに充電器をOEM供給しています。
 それだけ調べた上で、私はビックカメラ池袋店へと向かいました。まず、eneloopのコーナーへ行くと「N-MR58TGS」がeneloop 4本付きで4990円(ポイント10%)となっています。やはり高いですね。次に、他メーカーのニッケル水素電池コーナーへ行くと、ありました、日立マクセルのリフレッシュ機能つき充電器と大容量単3ニッケル水素電池(2500mA)4本のセットが…。こちらはなんと2130円(ポイント10%)という破格の安さ。そして、このセットに入っているマクセル「MC-4FMHA」という充電器は、おそらくサンヨー「NC-MR58」と同じもの。となると、こちらを買えば、2500mAの単3電池4本の価格(1000円以上は確実)を引けば、充電器単体の価格は約1000円以下ということになります。

 考えるまでもなく、私は日立マクセルの充電器セットを購入しました。購入後すぐにeneloopのリフレッシュ充電を行いましたが、まったく問題なし。ついでに、一般の充電器では充電不能状態にあった古いGPの1700mAの単3ニッケル水素電池を「MC-4FMHA」でリフレッシュ充電してみたところ、4本中3本が見事に生き返りました。いったん生き返ったGPの1700mAは、その後はリフレッシュ機能のない昔の充電器、パナソニック「BQ-370」でも充電できるようになったので、愛用している中国製BCLラジオ(DEGEN DE1102)用の電池として利用することにしました。
 いや、大手家電店で実売1000円で買えるマクセル「MC-4FMHA」は、放電機能の他に倍速充電や満充電維持機能も付き、本当にメチャお買い得な高機能充電器です。とりあえずは、いい買い物をして満足です。

 ところで、充電池と充電器については、「気の迷い」…という、私が大変に尊敬・信頼している、内容の濃い電池系の実験サイトがあります。ここを読んでいたら、前から気になっていたJTTのenelongというニッケル水素電池をテストしており、結果はなかなか性能がよさそうです。このenelong、中国製とは言え大手メーカーのGPの製品ですから、まあそこそこ信頼できそうです(GPはサンヨーと合弁会社を作っています)。今度同じJTTサイトで売っている「My Charger View」とセットでまとめ買いしてみようと思ってます。

2008年10月21日

●今さら、K100D…

 久しぶり(なんと1年ぶり)の日記ですが、これまた久しぶりにデジカメの話です。

 デジカメが趣味ってわけではないにもかかわらず、「デジタル・ガジェット好き」の延長で、2002年頃から毎年数台のデジカメを購入してきました。他人に譲ったものを除いて、現在も十数台のデジカメが手許にあります。
 そんな中で、ここ2年間ほどは常用するデジカメが決まってきました。まずは、海外出張・海外旅行時も含めて、コンパクトカメラを1台だけ持っていくシチュエーションなら、これはもうGRD(初代)に決まりです。一時、Coolpix P5000に浮気をしましたが、結局GRDに戻りました。1000万画素になったGRDⅡも発売されていますが、特に興味なし。800万画素の初代機で十分です。
 GRDは、手ぶらで歩くときにポケットに放り込んでおくには多少重くて大きいけれど、28mmの画角、操作性と画質のバランスは、もう自分の「眼」「手足」に近く、ここ2年間近くはGRD以外のデジカメを持って歩くことは考えられないくらい。いつでも取り出せるように裸に近い状態で普段持ちのメッセンジャーバッグに入れているので、外装も傷だらけになってきましたが、機能面ではトラブル知らず。充電済みの格安の互換予備バッテリー2個(rowa製:なんと2個で1140円)を加えた3個のバッテリーと2GBのSDカード(上海問屋の高速格安品をちゃんと認識)2枚持っていけば、1週間以内の海外旅行で街歩きをしながら1000枚ぐらい撮影するのに不自由はありません。充電器もストレージも持たずに行けます。ともかく、この初代GRDだけは、完全に使い潰すところまで使ってやろうと思っている次第。

 そして、最近けっこうよく使っているのが、デジタル一眼のPENTAX K100D。何をいまさら古いデジイチ…という感じですが、仕事以外ではデジタル一眼をまず使わない私が、ここのところK100Dを時々通勤や散歩に持ち歩いています。
 デジタル一眼は、仕事用にNikon D80をけっこう長く使っていて、つい先日D90を買い増したところ。一応仕事に必要なレンズ(…と言っても常用しているのは17-50mm/F2.8、18-200mm F3.5-5.6、24mm F2.8、Micro 60mm F2.8…の計4本だけです)が揃っていますが、このNikonのシステムを普段趣味で使うとか、散歩や旅行に持ち歩くことはまずありません。
 でも、以前どこかで書いたように、私は80年代にフリーライターをやっていた頃、取材用にPENTAXのカメラを使っていたせいで、当時のマニュアルレンズが何本かあり、それをデジイチで使ってみたかったこともあって、K100D-Sが発売されて旧に安くなった100Dのボディだけを、昨年夏に購入していました。で、M50mm/F1.4やF1.7なんかでしばらく遊んでいたのですが、すぐに飽きて、ここのところはお蔵入りしていました。

 ところが、半年くらい前でしょうか、デジカメ関係の掲示板をボンヤリ見ていたら、TAMRONの「17A」が銘玉だなんて話で盛り上がっていてビックリ。それで「17A」で検索したら、かなり前からいろんなところで絶賛されていたのに非常に驚きました。しかも、オークションなどでも人気のレンズだそうです。その17A(35-70mm/F3.5)という安物のズームレンズは、私も持っているだけでなく、個人的に非常に思い出深いレンズなのです。

 思い起こせば、1982年から83年にかけてニューヨークに滞在し、その後半年間ほどグレイハウンドバスで全米を回りながらあちこち撮影した時によく使ったのがTAMRONの17Aです。当時アメリカへ持っていたカメラはメインがPENTAXのMX、そして予備のボディに中古のME、レンズはM50mm/F1.4とM135mm/F3.5、そしてM28mm/F3.5の3本(フィルタ径を49mmで統一)、それに追加したのが当時発売されたばかりのTAMRONの17Aでした(ちなみにコンパクトカメラは、オリンパス「XA」を持っていきました)。当時はすごく貧乏だったので(今も貧乏かも…)安いレンズしか買えず、TAMRONの17Aと言えば3万円前後で買える最廉価版の標準ズームであり、まさに貧乏人向けのレンズでした。でも、アメリカに滞在中いちばん便利に使ったのがこの17Aでした。F値が通しで3.5であったことで、MXというマニュアルカメラでも、とても使いやすいズームでした。

 で、ネットで17Aが絶賛されているのを見て、昔の機材箱からこの17Aを探し出して(幸いカビもないし、ピント/ズームリンクの回転もスムーズ)、K100Dにつけて撮影してみました。そうしたら、これがけっこうイケるんです。まず、K100Dに付けたときの大きさ、鏡胴の太さ、そして重量のバランスがいい。ズームリングとピントリンクも、慣れているせいか実に回しやすい(純正レンズとは回転方向が逆ですが)。さらにこの17A、あらためてよく見れば、けっこう無骨でかっこいいデザインのレンズです。
 70mm側にしておけば、マット面でのピント合わせも、とても見やすいですね。M50mm/F1.4と較べても、ピントが合った時にマット面でスッと画像が浮かび上がってくる感じがはっきりしていて、ピントの山が掴みやすい。70mm側でピントを合わせたら、ズームリンクを回して画角を決め、後はお約束のAE-Lボタンを押して適正露出になるシャッター速度を計測、その後シャッター速度で露出補正をしてシャッターボタンを押す…という、K100Dでマニュアルレンズ撮影時の一連の動作も、慣れればけっこう素早くできます。2年以上前に発売された製品について今さらコメントするのもなんですが、このPENTAXの「ハイパーマニュアル」というか「実絞り測光」は実に便利な機能で、昔MEなどのAE機で日常的に絞り優先で撮影していた時と全く同じ感覚で、旧レンズで自然な撮影ができます。こうした機能を搭載したPENTAX技術陣の良心を感じます。私は「レンズの互換性」なんてものにはこだわらない方ですが、こうして旧いマニュアルレンズで遊べるカメラがあるのも、それはそれで楽しいですね。

 しかも17Aで撮影した画像も、悪くない。ネット上のあちこちで「銘玉」なんて絶賛されているほどのものか…とも正直思いますが、でも絞り開放からかなりシャープだし、F4まで一段絞れば、まあ文句のないシャープさ。シームレスで望遠側25cmまで寄れるマクロも使いやすいし、発色もナチュラル。私は、K100Dのキットレンズを持っていない…というか、PENTAXのデジタル専用レンズを持っていないので、それらとは比較できませんが、F5.6まで絞った画像なら、最近のレンズ、例えばD80に付けて仕事ではいちばんよく使っているTAMRONの大口径レンズ17-50mm/F2.8と較べても、シャープさに遜色はありません。開放~F4あたりのボケ具合も、けっこう素直です。昔の安レンズでこんなにきれいに撮れるのは、確かに楽しいかも。

 話は飛びますが、私は「純正レンズ」なんてどうでもいいと思っています。上述したTAMRON AF 17-50mm/F2.8なんかは実売4万円以下なのに、純正レンズにも負けないほどよく撮れる、非常にコストパフォーマンスが良いレンズだと思うのですが、仕事で使っているとTAMRONというだけで一段低く見る人もいます。でもTAMRONが、グループ企業のSONYをはじめ、NikonやPENTAXなど大手カメラメーカー向けに純正レンズを大量にOEM供給している事実は、よく知られていること。COSINAなんかも同じ。レンズなんてメーカー純正にこだわる必要はまったくありません。

 話は17Aに戻りますが、そんなわけで、K100D+17Aで構えた時のバランスの良さ、そしてピントリンクとズームリンクを回す…という懐かしい操作の楽しさ、35mm換算で約50-100mmという半端な焦点距離の面白さ…にちょっとハマった私は、今年の春頃から時々、17Aを付けっ放しのK100Dを外出時に持ち出すようになりました。50-100mmは、ボディ内手ぶれ補正の効果を実感できる焦点距離だし、街角スナップはむろん、猫撮りにも女の子のポートレート撮影にも、草花や虫などのマクロ撮影にも好適で、何でも撮れちゃいます。

 また、こうしてK100Dなんて二世代前の機種をあらためて使ってみると、レンジ感があって全体的に尖ったところのない素直な描写は捨てたもんじゃないし、印刷するわけではないので600万画素CCDの解像度にも別に不満はありません。
8GBのSD入れておけば、JPEGなら3000枚以上(999枚までしか表示されませんが…)、RAWでも700枚以上撮れます。バッテリーの持ちもいいし…。でも、単三のeneloopを4本入れたK100D本体+17Aの合計約1Kgの重量は、散歩に持ち歩くにはやっぱりちょっと重いかも。ボディがあと200g軽ければ…と思います。後はカメラ内RAW現像機能が欲しいなぁ。そうなると気になるのは、PENTAXの新しい小型軽量機「K-m」です。K-mにも実絞り測光機能が引き続き搭載されているようなので、もう1台PENTAXのボディを買ってもいいかも。私の場合、ファイダンー覗いて、ピントリンクを回して…という操作感を楽しんでいるわけだから、ライブビューもいらないですし…。

 そういえば昔、同じTAMRONの40A(35-135mm F/3.5-4.5)という、結局あまり使わなかった安いレンズも購入した記憶があるので、探してみようと思います。ただ、今回書いたTAMRONの17Aに限らず、ネットを見ていると旧いレンズを過大評価する向きがあるようですが、私は昔のマニュアルレンズにそこまでの思い入れもないし、本当の評価もわかりせん。そんなわけで、まあそのうちに飽きるかもしれませんが、当分はK100D+17Aの組み合わせで遊べそうです。近々、クアラルンプールへ行く予定があるので、持って行こうかなぁ。

2007年07月19日

●rx4240

 このところ、HPの「rx4240」で遊んでます。私はPDAでスケジュール管理をする趣味などないので、その手の機能はどうでもいい。使いたかったのは携帯用動画プレーヤーとしてです。
 まずは再生用ソフトとして「TCPMPを」インストール。動画の変換は「Spb Mobile」。DVDをQVGA、25fpsのステレオ音声に変換。1時間のビデオを変換すると約100MBになります。2GBのSDカードに、20本ほどの番組を入れられます。先日海外出張に行った時は、飛行機の中でずっと「ER」を見てました。これが画像もけっこうキレイで、じっくりと見られるんです。バッテリーもかなり持つし、端末のデザインもいい、操作性も悪くありません。思ったよりいい買い物でした。
 あとSkypeもインストールしました。オフィス近くのHotspot、マクドナルドで電話をかけてみましたが、バッチリでした。このrx4240については、また、詳しくレポートします。

 さて、このサイトのコンテンツについては、どうするのかまだ決めていません。これからは、本当に書きたいこと、つまり社会に対する本音を吐露していこうかと…。コメントを受け付ける気はまったくないですが…。 あと、考えているのはデジカメ系の旧コンテンツをどうするかってことです。全部消しちゃってもいいけど、とりあえずはしばらくメニューだけは残しておこうかと…

 サイトのデザインは、まだまだ試行錯誤中です。今入れてる3K2って言うテンプレート、カスタマイズが面倒だし、どうかなぁ…