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2009年02月17日

●K-mとR10

 旧マニュアルレンズで撮ることの面白さから、しばらくの間毎日のようにPENTAX K100Dを持ち歩いていましたが、やはり普段持つメッセンジャーバッグに入れて歩くには、デジタル一眼レフの中では小さめと言われるK100Dでも大き過ぎ。それで年末に、同じPENTAXのK-mを購入しました。現在は、このK-mにスナップ用のDA21㎜ F3.2をつけて、別にA50㎜F2を持ち、時々付け替えて街撮りを楽しんでいます。手持ちのマニュアルの50㎜レンズなら、本当はM50㎜F1.4の方が面白いのですが、A50㎜F2よりも重くて大きいこと、さらに、DA21㎜と交換したときにMF/AFの切り替えが面倒なので、AFポジションのままで撮れるA50㎜F2を持ち歩いている次第。A50㎜F2は、PENTAXのマニュアル標準レンズの中では最も安物のレンズですが、F4まで絞ってやればそれなりに気持ちのよい描写。また、DA21㎜とA50㎜なら、35㎜換算で32㎜と75㎜という、「広角過ぎない広角」と「使いやすい中望遠」という焦点距離の組み合わせで、日常持ち歩くにはうってつけ。K-mはK100Dと違って、マニュアルフォーカス時のスーパーインポーズが無いのが不満ですが、まあそこそこ見やすいファインダーだし、慣れればどうってことありません。何よりも、ボディが小さいわりにホールド感がいいのが気に入りました。
 以前から、「海外旅行などには絶対に重いデジタル一眼レフを持っていかない」と宣言していた私ですが、K-m+DA21㎜なら海外に持って行ってもいいかも…と思わせるほど、軽快なスナップ撮影ができます。

 その海外旅行時には、初代GRDを愛用しているという話を前に書きましたが、最近同じリコーのR10を入手しました。まあ、ほぼ2万円ジャストという値段の安さに惹かれて購入したわけなんですが、これが、画質はともかく予想外に使い勝手が悪いので驚きました。まず、なんといってもAFが遅過ぎます。単焦点のGRDのように軽快に撮影が出来ません。また、背面の液晶が大き過ぎて、グリップがよくない。GRDのように片手でしっかりとホールドできません。とりあえずマイメニュー登録で、焦点を2.5mに固定するスナップモードにし、さらにステップズームに設定、そしてAuto-Hiという高感度Auto設定にしてみたところ、やっと夕暮れの街角や屋内を含むスナップに多少使えそうな感じにはなりました。しかし、片手撮影時のグリップのしにくさはいかんともしがたいですね。ともかく、ストラップを手に巻きつけていないと、落っことしそうになります。これなら、いまだに海外旅行時のスナップ用サブ機として愛用しているCOOLPIX P50の方がはるかに使いやすい。このR10は、まあもう少し普段持ち歩いて使ってみることにしましょう。

 今年に入って、ニコン、キヤノン、カシオなどのデジカメメーカーが相次いで今期営業益の下方修正を発表し、加えて各社が2009年の世界デジカメ市場が2008年に比べて大幅に落ち込むとの予想をしています。昨年秋頃までは実売3万円を越えていたR10の2万円という価格への下落具合が示すように、コンパクトデジカメの単価下落によるメーカーの収益悪化は昨年から言われていましたが、コンパクト機の利益率低下を補って余りあるほど売れていたデジタル一眼レフも、今年は相当な販売の落ち込みが避けられないようです。

 まあ、世界経済がここまで落ち込み、発展途上国では生活レベルが飢餓線上にある人間が何億人も増加し、デカップリング理論とやらの根拠となったBRICs諸国の経済成長も大幅な減速を余儀なくされ、欧米や日本などの経済先進国の惨状はいわずもがなで、確かにこんな時代にデジカメやらAV機器やらを、新製品が出たからといって次々に買い換える人間がいなくなるのも当たり前かも。

 かつて経済学を齧ったレベルの私が断言するのも何ですが、現在の経済状況は「世界大恐慌」以外のなにものでもありません。しかも今回の恐慌は、そう簡単に抜け出せるような性質のものではないと思います。多くの経済評論家や政治家が「この不況は2~3年で脱却できる」みたいな言い方をしますが、そんなわけはない。アメリカが「グリーン・ニューディール」で立ち直れるとは思えないし、ましてや日本が環境関連投資で経済を活性化できるとは思えない。あのトヨタが、「エコ替え」などと消費者をバカにしているとしか思えないフレーズでクルマの買い替えを煽ってましたが、経済的に厳しくなれば「エコ」を理由にしたって消費財は売れないのが当たり前です。
 おそらく世界中で、今後数年、いや長ければ10年間近くは経済が大きく減速した状況が続くでしょう。失業者が急増しつつある日本の経済状況を見ていても、今が最悪なのではなく、これから最悪の時代へと突き進んでいくことは確実です。2009年のGDPが2008年より数十パーセント落ち込むことは十分に考えられ、今から半年後、つまり今年の秋頃には上場企業の整理・倒産が数十社に及び、さらに何十万人もの失業者、場合によっては数百万人単位の失業者が街に溢れる状況もありそうです。日経平均株価が5000円を割る状況が、常態となるかもしれません。しかも、そんな時代がこれから何年続くかわからないのが現実です。

 こんな時代にもかかわらず、この国の人間は、老いも若きも、そして責任ある立場の人から子供まで、全ての人が「考えることをやめてしまった」という「一億総思考停止状態」が続いています。このままだと、経済が立ち直る前に、政治家は国民を戦争へと導く可能性もあると、本気で思ってしまいます。経済的苦境に陥った国民の目を悪政から逸らし、社会不安の要因となる失業者を効率的に救済し、償還不能な国債を含む天文学的な国家の借金をチャラにするために、「戦争」の誘惑に駆られる政治家が登場しても、何の不思議もありません。大恐慌が国家主義と戦争を生む…、かつて世界が辿った道です。

 こうした状況下で思い出すのが、ニュルンベルグ裁判で戦犯として裁かれたナチスのヘルマン・ゲーリングが戦争について述べた、有名な次の言葉。

 「…もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰って来る位しかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じ事です。政策を決めるのはその国の指導者です。そして国民は常に指導者の言いなりになるように仕向けられます。
 …反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単です。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国を更なる危険に曝す。このやり方はどんな国でも有効ですよ。」

 この国の未来は暗いなぁ…と感じる今日この頃。