ここはオルタナティブ・デジカメサイト。デジカメとMPEG-4動画の話、サブカル系の駄文コンテンツをどうぞ…
HOME

WS30 & SLIM
 ◆WS30の魅力
 ◆VGAカメラで遊ぶ
 ◆WS30の使用感
 ◆WS30 SLIMの特徴
 ◆WS30の画質
 ◆WS30の動画
 ◆WS30マクロ撮影
 ◆WS30購入の前に!
Digital Camera
 ◆デジカメ購入指南
 ◆デジカメ遍歴
MPEG-4
 ◆MPEG-4動画で遊ぶ
 ◆MPEG-4の魅力
 ◆VN-EZ5で遊ぶ
 ◆VN-EZ5で遊ぶ 2
 ◆VN-EZ3で遊ぶ
 eggyで遊ぶ
 eggyで遊ぶ 2
 eggyで遊ぶ 3
 D-snapの使用感
 D-snapの画質
 ◆携帯でMPEG-4
 ◆MPEG-4勉強部屋
Diary & BBS
 私的画像日記
 ◆動画・静止画 掲示板
 ◆意見交換 掲示板
 ◆About Me
 ◆Link
 ◆Mail
2月14日の日記内容に対する思わぬ反響    2002/20/22

 日記の内容に関して、ちょっとひっかかる反響がありました。まだ考えがまとまっていない部分もありますし、長くなりますが、私見を述べさせて頂きます。

 2/14の日記で某宗教(?)団体に所属している方のサイトのURLを書いたところ、それを読んだ方からメールを頂きました。その内容は次のようなものです。

 「…私の兄の友人は、1995年3月20日にたまたま地下鉄に乗合わせ、幸い命には別状がなかったものの、心因性の後遺症に苦しんでおります。知人の命に別状がなかったとはいえ、亡くなった方やその遺族の方、いまだに後遺症に苦しんでおられる方もおられ、そうした方々の心情を思えば、軽々しくホームページを紹介するようなことをして欲しくないと思います…」

 きちんと住所と本名を書かれた上でのメールなので、その内容に関しては留意する必要があると考えました(私がサイト上でメールの内容を公開することには同意を頂いています。ただし相手が何をするかわからなくて怖いので、名前は公開しないで欲しいとのことでした)。

 私は、メールを頂いた方に対しては、以下のように返答しました。
 「私も命を亡くされた方に対する心からの哀悼の意、ご遺族の方や後遺症に苦しむ方に対する ご同情の意は強く持っています。また、人名を軽視した愚かな行為に対して怒りを覚えます。ただし、貴方と怒りを共有することはできません。当事者ではない私が、貴方の直接的な怒りを「理解できる」と言えばウソになります。しかし今回のメールの趣旨はよく理解しましたし、またこうして私にメールを送る貴方の気持ちも深く理解します。
 ただ、私は書いた日記を削除はしません。日記を再読して頂ければわかるとおり、私はその団体の考え方に賛同してURLを書いたわけではありません。私は、『ネット上で何かを表現する』ことについては、原則として自由でありたいと考えています。極論で例えれば、ヒトラーの「我が闘争」はユダヤ人の犠牲者の心情を考えれば、絶対に掲載してはいけない内容でしょう。しかしファシズムを批判するために『わが闘争』を引用することは許されると思います。今回のURL表記も、批判が目的ではないとは言え、ネット上での私の自己表現の1つです。ネット上での表現の自由について、ご理解ください」
…という趣旨のメールを返しました。

 私はこの事件については、現在の教団サイトをはじめ、被害者関連サイトや、村上春樹「約束された場所で―underground」などを読み、一通りの興味と知識を持っています。その上で、事件の被害者に対する自分のスタンスは、それなりにまとまった考え方として説明をさせて頂きました。

 ところで2/14の日記では、私は某団体を批判したわけではなく、「茶化した」に過ぎません。某団体は私にとって批判の対象ですらありません。凶暴なサリン事件の例を出すまでもなく「意味も動機も不明の行動」をとる団体や構成員を、論理的に批判することは不可能です。精神を病んでいる可能性が高いと思いますが、そうだとすれば彼らは「論理的批判の対象」ではなく「治療の対象」でしょう。

 ところで、2/14の日記に対してはもう1つのささやかな反響がありました。私が引用したサイトの中の管理者(某団体構成員)の日記に、私が書いた日記内容が逆に引用されて、ちょっとした感想が述べられていたのです(昨日気がつきました)。「…言っていること微妙に食い違っている」…と書かれていたのには、かなり笑いました(もともと私のサイト内は矛盾だらけですが…)。
 要するに、日記の中で私はバレンタインデーを批判するヒンズー教徒に「敬意を払うべき」と書きながら、某団体に対しては「イカれた」と書いたのが矛盾しているというのでしょう(違うかも…笑)。
 いえ、矛盾していません。理由は簡単です。某団体は、宗教ではないからです。まあ、こう思っているのは私だけではなく、「地下鉄サリン事件」や「松本某の言動」を見た日本中の人間が同じように思っているはずです…

 なぜ某団体を「宗教団体」と思わないか…を書く前に、まず宗教に対する私の考えを、少し書いておこうと思います。
 私は全ての「宗教」が嫌いです。人が宗教を信じることを「誤り」だとすら考えています。人類社会に宗教は必要がないのでは…とも思います(むろん共産主義とは無関係です)。詳しい理由は長くなるので省きますが、1つだけ、そう考えるに至った動機を書いておきます。
 インドを長期間旅行した時に、いろいろな人間とその毎日の営みを見ました。ベナレスで巡礼をする無数の人々、ガンガーで沐浴する人々の心情を理解した…、などと安易なことは言いません。しかし、インド各地のスラムで下層カーストの人々が想像を絶するような貧しい生活を送っているところを見て、また至るところで悲惨な幼児労働の現場を見て、「人間の尊厳はどこへ行ったのか」と絶望的な気持ちになりました。またそうした状況の中で、絶望的なな貧困生活を送っている人々自身の口から「前世の生まれ変わりだから仕方がない」というヒンズーの教えに基づく価値観を披露された時、人間をこうした境遇に貶めて、それを合理化してしまう宗教の教義なるものの存在を「許せない」と思いました。この「ヒンズーの輪廻の教え」は、社会階層の底辺にいる存在が、その状況を当たり前のこと…として精神的に受け入れるように「促す」役目をもっています。「輪廻」などという言葉は、インドでは軽々しく口に出すことはできません。「生活の規範としての宗教」とはこんなものか、と思いました。
 世界でイスラムに次ぐ信者を持つキリスト教、中でも世界の政治や経済に大きな影響を持つカトリックも、私にとってはネガティブなイメージが強い宗教です。当然でしょう。歴史上、カトリック教徒ほど「宗教を理由とした戦争」「異教徒に対する殺戮」「異端に対する殺戮」を行った宗教はありません。彼らが宗教の名のもとに殺した人間の数は、多過ぎて数千万なのか数億なのかよくわからないほどです。中世ヨーロッパにおける度重なる宗教戦争でいったいどれだけの人間が死んだか、神職者が大航海時代以降の植民地支配の尖兵となって、世界でどれだけの文化を破壊したか…については、歴史の教科書を読むまでもありません。

 さて、自分自身が宗教というものに対してこうした考えを持ちながら、なおかつ「宗教には敬意を払うべき」と考えている理由を述べます。
 宗教は国家や施政者が支配の道具に使っている…という考え方があります。歴史上、そうした事例があることも確かです。しかし、私はそうした一面だけで物事を見る気にはなりません。イスラム諸国におけるイスラム教、インドにおけるヒンズー、そして韓国における儒教など、宗教と文化の深い関わりは、われわれの想像をはるかに越える部分があります。イスラム国にはそれほど行った経験があるわけではないのですが、インドネシアやマレーシア、パキスタン、バングラデシュなどに滞在した経験から言えば、文化というよりも、生活の規範、国家の規範としてのイスラムが占める位置は、やはり長い歴史に支えられたものです。それを「自分達のライフスタイルを基準とする合理性」だけで判断するのは、やはり誤りでしょう。そんなわけで、ヒンズー教に関する体験を含む様々な理由によって嫌いになった宗教でも、その歴史的背景、文化的背景に対して「敬意を払おう」と思っているのです。

 さて、こうした視点で見た時に、日本の某教団はどうでしょうか? あの団体にはこうした歴史や文化の背景などなにもありません。松本某という1人の凶暴な男が、そのイカれた頭の中で適当に創り出した「教義」なるものが全てを支配していたに過ぎません。そこには「文化」のカケラもありません。私が日記で紹介したサイトや「教団」のサイトを見ても、論理性という面では多少なりとももっともなことが並べ立てられていますが、多面的な仏教という宗教を部分的につまみ食いしたような教義らしきものが並んでいるだけです。
 私は文化的な背景を持つ「宗教」に関しては、宗教に関する自分の感情とは別に、一定の敬意を払う必要があると考えています。しかし、某団体は「宗教」ですらありません。あれをもって宗教と呼ぶのなら、みんなで川原に転がっている石っころを信じる団体を作っても宗教団体です。
 繰り返しますが、某団体は私にとって批判の対象ですらありません。凶暴なサリン事件の例を出すまでもなく「意味も動機も不明の行動」をとる団体や構成員を、論理的に批判することは不可能です。だから「茶化した」のです。
 もっとも、私がURLをリンクしたサイトの管理者は、個人的に見るとちょっと面白いコンテンツを書いています。公式ページよりはよほど面白い。コンテンツを読む限り、十分なインテリジェンス(もしかすると私よりも…笑)を備えているとは推察できます。だからといって、某団体構成員であることを公言しているのですから、彼らの過去の行動の経緯から見て、冒頭のメールに書かれているような批判を浴びることは当然です。私にとっても、「茶化す」以上の論評を加える気には到底なれません。

 しかし、こういう話を書いてくると、Webサイトの中での発言やコンテンツに対する自分のスタンスをはっきりさせておく必要があるかもしれません。
 例えばサイト内の「私的画像日記」では、基本的に「適当な話」を書いています。事実と異なることは書きませんが、本音が30%、遊びが70%です。日記の内容を全て真正面に受け取られると困りますが(…そんな方はいないと思いますが)、かといって「本音」が入っていないわけでもありません。当然ながら「自分が書いたことに全く無責任」でいられるとも思っていません。
 このサイトは現在、正確ではありませんがトップページで毎日400〜600アクセス、1200〜1600前後のPVといったところです。私はサイトのアクセス数を増やそうという意思は全くありません。「ミニコミ」としては、現在の状況でちょうどよいぐらいです。でも、こんな形でささやかな表現の場、個人的なエンターテイメントの場を持っていられることは、楽しいことです。こんな少ないアクセス数のサイトですが、それでも「不特定多数(小数)の他者が読むメディア」であることには変わりありません。
 私は、ここで自分が書いたことに対して、それが誰かを傷つけたのであれば謝罪し、正当な事由があれば内容を削除・訂正する必要があると考えています。批判されれば、答える必要があると思っています。HNで運営する個人Webサイトだから、「言いたい放題」「書きたい放題」でいいなどとは、全く思っていません。人は自分の考えを言葉として口に出した瞬間から、「発言に対する責任」が生まれます。言葉は「メディア」です。音声にした瞬間にメディアになります。ましてや、視聴者が少数とは言え、Webサイトはメディアです。これが、私の基本的なスタンスです。

 …こんな話を書いたからと言って、Webサイトの公開なんてものを、さほど大げさなことだとは考えていません。今回、たまたま深刻な内容のメールを頂いたことによって、ちゃんと対応しなければならなくなっただけのことであり、サイト内での発言に対する基本的なスタンスは「適当に、楽しく…」です。
 Webサイトは、エンターテイメントです。今後も「自分が楽しければいい」を基本に、「ごく少数の他人にも楽しんで頂ける」ことをちょっとだけ考え、気が向くところまでサイトを続ける予定です。

 そういえば、昨日このサイトを見られた同世代の方から「内容に共感する部分がある」という、とてもうれしいメールを頂きました。でも逆に、「自分の持っているデジカメの悪口を書くな」といった憂鬱な内容のメールを頂くことも時々あります。共感でも批判でも構いません。こうした状況の全てを含めて、Webサイトは楽しいものです。


Email Webmaster if your incur problems.• Copyright © 2001 yama. ALL RIGHTS RESERVED. Since 2001.1.22
※ 当サイトは Internet Explorerでご覧下さい。