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「共生」を声高に主張する人達の胡散臭さ    2002/3/13

■よど号ハイジャック犯達の言葉

 ここ数日のニュースで、「よど号ハイジャック犯」達が日本の女子学生をヨーロッパで拉致していたという話…が話題になっています。しかし報道の内容は、優れたノンフィクションである高沢皓司の「宿命」に書かれていた通りの話で、特に目新しいものではありません。「宿命」が刊行されたのは1998年です。従って、現在報道されている内容は2年以上も前から誰もが知っていたことです。現在証言している八尾恵氏の立場や行動についても詳細に書かれています。なぜ、今になってこんなに話題になるのか、不思議な話です。
 …こんな話を書こうと思ったのではありません。本題に入ります。

 このニュースがきっかけで、なんとなく「よど号」でWebサイトを検索してみたら、「かりの会」というハイジャックグループのメンバーが運営しているホームページを見つけました。サイト内では、別に面白くもなんともない主張が繰り返されています。メンバーの1人で、最近タイで偽ドルを使った容疑で逮捕されて日本に強制送還された田中義三が、こんなことを言っていました。
 「…21世紀の人間的理念は異端や少数意見を頭から無視・排除するのではなく各自各様の考え方、見解を互いに徹底的に尊重し深く理解し合う姿勢や立場から出発することが大前提です。そして、五大陸のどのような川の流れをも全て包み込む大海の如き、この地球をすっぽりと覆う大空の如く、無限の広さ深さをもった理念として、人類が悠久な歴史のなかで蓄積した思想精神的営みを踏まえたような理念として創造していかねばならないと主張します…」

 要するに彼は、資本主義の崩壊を語った上で、来るべき新しい時代を「人間による人間のための時代」と、主張しているわけです。
 彼らの母体であった共産同赤軍派がかつて主張した「世界同時革命」「武装蜂起」は、いったいどこへ行ったんだ?…と突っ込みたくなるようなソフトな論調ですね(笑)。

■船井幸雄というカルト

 話は飛びますが、先日書店の店頭で船井幸雄「断末魔の資本主義」という本が山積みになっていたので、パラパラと読んでみました。むろん、購入したわけではありません。立ち読みをしただけです。内容を一言で言うと、「資本主義は当然の摂理で崩壊しかかっている。エコや共生を理念に新しい社会と経済の仕組みを作らなけれればならない」…というものです。分厚い本ですが、ここで要約した「一言」以上のことは何も書いてありません。本1冊分の原稿にしては全く中身のないもので、紙資源の無駄遣いを感じるような代物でした。
 そういえば、ちょっと前に船井幸雄の「エヴァへの道」という本がベストセラーになった時に、わけのわからない物理学の理論を展開して「太陽の表面温度は摂氏25度」と真面目に断言していたのは、かなり笑いました(ここに面白い反論があります)。しかし、船井幸雄の著作が次々と発刊され、それが全て「かなりの部数が売れている」という現状を見ると、笑ってばかりもいられない気がします。また、相変わらず船井幸雄に心酔する経営者も多いようです。
 話が逸れましたが、この船井幸雄が一貫して述べている理念「資本主義の崩壊→共生社会の実現」ってヤツ、よど号グループの田中義三の主張とそっくりですね。怪しげなカルト主義者も古典的な左翼も、その主張することが同じってのは妙な話です。

■胡散臭いゾ!

 今回はたまたま、よど号事件に関するニュースを聞き、船井幸雄の著書を立ち読みしたので、この妙な共通点がひっかかったのですが、考えてみると、同じような論理は昨今至るところに転がっています。
 で、あえて全部を挙げることはしませんが、現在の日本において、いや世界において最も主流となっている人類社会の未来についてのキーワードが「共生」や「エコ」というわけです。言葉としては「相互理解」「地球的発想」「文明の融和」「自然の叡智」など、いろいろともっともらしく変わりますが、全て同じ意味で使われます。どれも非常に「耳障りのよい言葉」です。言ってみれば、こういったキーワードさえ主張しておけば、万人が納得するというわけです。
 この「世界共通理論」を、ちょっと整理してみましょう。


景気が悪くなったり、貧富の差が大きくなったり、戦争・紛争が起こったりする


現行の資本主義経済の行き詰まりや、行き過ぎた競争原理への疑問などを指摘する


人間性の重視や、エコロジー的な発想の必要性を訴える


「共生」を理念とする、新しい社会の再構築を主張する


 …というわけで、味噌もクソもこのロジックを振りかざすことになりました。

 まずは宗教家です。池田大作も大川隆法も、そしてアレフに至るまで、同じようなことを言っています。政治家もそうですね、典型的な保守系リベラルの理念、そして社民党あたりの理念はこの線に近いものです。経済学者も、先見性を誇示する企業経営者も、そしてマスコミも同じです。企業も同じ。自動車メーカーや家電メーカーの企業理念には、必ずこれに近い論調が含まれています。
 あとは、立場によってこうした論理にちょっと味付けをするのです。宗教家は、ここに釈迦の経典やキリストの言葉などを都合よく引用し、経済学者はIT技術の進歩が共生社会を作るとでも言えば、イッパシの主張が出来上がるわけです。TV局なら、東南アジアの辺境に住む少数民族のコミュニティなどを適当なタレントにルポさせた特番でも作って、「現代社会に生きる私たちが失った人間らしい生活がここにある」…というナレーションでも入れれば、一丁上がりです。

■結局…

 ここまで書いてみて、私は自分が何を言いたいのかよくわからなくなりました(笑)。

 いずれにしても私は、こうした「もっともらしい」論理を振りかざされると、「それがどうした」と言いたくなるのです。耳障りのよい言葉を並べられると、直感的に胡散臭さを感じるのです。
 まず率直に思うのは、「そんなの当たり前だろ」ってこと。自然や異文化との共生なんて、別に立派な理念でもなんでもありません。次にたいていの場合は、その理念を現実の社会の仕組みに反映させる具体的な方法論がないか、または甚だ説得力に欠く方法論しか述べられていない例が多いという点です。現実の経済の仕組みや国家間のお金の流れ、グローバル化する企業活動、そして現実に社会で収入を得るために働いているわれわれがどうなるのか、どうあるべきなのか…という点には、全く触れていない例が多いですね。
 はっきりと言ってしまえば、理念ではパレスチナ問題もアフガニスタンの問題も解決はしません。理念を高く掲げた企業でも、売上が減れば倒産します。高い理念と理想を掲げてライフスタイルを設定しても、勤務先の企業が倒産すれば、食べていかれなくなることだってあります。
 人類は、基本的にはいかなる経済体制であろうと、労働し、生産し、生産物を分配し、資源を消費して生きていかなければなりません。経済の仕組みが資本主義であろうと社会主義であろうと同じです。むろん、少数の「生産せずに分配だけ受ける」人がいるかもしれませんが、大半の人は労働という形で生産活動に従事する必要があります。
 どうも、立派な理念を声高に叫ぶ人ほど、現実の社会の仕組み、すなわち食べていくための仕組みに込みこまれて生きている個人がどうすべきか…という疑問に対して、具体的な回答を与えてくれないような気がします。

 耳障りがよい言葉を羅列した「社会論」「経済論」「人生論」が氾濫している世の中です。こうしたことを書いているのは、「一見立派な」人たちが多い。でも、それが宗教家であろうと、経済学者であろうと、政治家であろうと、私はひたすらに胡散臭さを感じています。


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