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画像日記   〜都会に暮らすサイレント・マイノリティの発言

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2005/5/28

カオマンガイ屋 「ジェーイー」


 仕事で時々バンコクに出かけるのですが、タイフードはそれほど好きではありません。
私はタイ料理で広く使われるパクチー(コリアンダー)とレモングラスの香りが嫌いなのです。ナンプラーの香りは特に嫌いじゃないけど、大好きってわけでもありません。トムヤムクンなんかは全くダメですね。タイカレーもあまり好きじゃありません。
 まあ、それでも郷に入れば郷に従え…で、バンコクに滞在中、たいてい晩メシはタイ料理で済ませています。屋台はほとんど利用しませんが、屋外で食べられるこじんまりしたフードコート風のレストランなどで、風に吹かれてビールを飲みながら食べることが多い。香辛料の強い料理は避け、各種の「カオパッ」や「パッタイ」を中心に、ガイヤーン(タイ風焼き鳥)やコームーヤーン(豚肉の炙り焼)などを適当にオーダーし、ビアシンを飲んでれば、まあ満足です。

 そのタイ料理があまり好きではない私が、唯一と言ってもよいほど好きなタイ料理が、カオマンガイです。カオマンガイというのは中国の「海南鶏飯」をルーツとする「蒸し鶏乗せご飯」ですが、シンプルな料理ながら、お店によってスタイルはいろいろ。鶏肉の量やご飯の炊き方、タレの味などで微妙な味の違いがあります。
 カオマンガイ好きの日本人は多いらしく、BTSのトンロー駅近くの屋台「OKカオマンガイ」とか、プラトゥーナム交差点そばにあるピンクの制服のカオマンガイ屋、サヤームのチュラ大のブックストアの対面にあるカオマンガイ屋など、バンコク市内の有名店は雑誌やWeb、Blogなどで広く紹介されています。

 そんな中で、Webでは全く紹介されたことのない、とっておきのカオマンガイ屋を1軒、紹介したいと思います。むろんバンコク市内です。
 お店の名前は「ジェーイー」で、何でもバンコク市内ではかなり有名なんだそうですが、なぜかWebで検索してもその名前は出てきません。
 場所は、上手く説明できません。チャイナタウン(ヤワラー)の北の外れの方で、泥棒市場(ナコンカセム市場)のさらに2〜3Km北方になります。ファランポーン駅からタクシーにでも乗れば、カオサン、王宮方面へ抜けるジャカパット・ディポン通り(南の方はヴォラチャック通りと呼びます)を北に向かい、センセーブ運河を渡るちょっと前(ジャカパット・ディポン通りとバムルン・ムアン通りの角)あたりになります。カオマンガイ屋としては老舗で、古くからバンコクに住んでいる人には割とよく知られた店だそうですから、誰か地元の人に聞いてみると教えてくれるかもしれません。

 ともかく、「JE」なんて英語で書かれた看板はありません。タイ語で「カオマンガイ ジェーイー」と表記した小さな赤い看板が歩道に出ているだけです。営業時間は早朝から午後2時までですから、夜食べに行っても閉まっています。
 お店の間口は狭く、いわゆる「ウナギの寝床」のように奥の深い店です。店の中に入ると、両側に4人掛けのテーブルがずらっと並んでいます。壁のメニューなどは見かけませんでしたが、どうせカオマンガイしかないようです。

 午前11時頃に訪れましたが、店は満員。場所柄か中国系のお客さんが多いです。みんな、一心不乱にカオマンガイを食べていました。

 で肝心のカオマンガイですが、珍しく骨付き肉を使っています。厚手の骨付き肉をぶつ切りにしたものがご飯の上に乗っています。スープで炊いたご飯は、よい香りがします。いちばん特徴的なのがタレで、これは濃くて甘いもの。辛味はほとんどありません。あとは、パクチー入りのスープが付きます。
 肉は柔らかいながらも歯応えがあり、美味しいですね。タレをたっぷりかけて食べると、ご飯にも滲み込んで実に美味しい。私が過去に食べたカオマンガイの中では、1〜2を争う味だと思いました。

 黙って注文すると出てくる標準的なカオマンガイは、30バーツ。むろん肉は増量することが出来ます。それと、英語は全く通じません。タイ語で「肉を多くして欲しい」という言葉を覚えてから行きましょう。

 こちらが店構え。看板の文字は「カオマンガイ ジェーイー」と読みます。

     

 中はこんな感じ。

        

 そして、これがジェーイーのカオマンガイです。




 ついでに、エンポリウムのフードコートで食べられるカオマンガイの写真も掲載しておきます。




 ここからは、オマケの話。
 タイのスイーツ(お菓子)が、最近日本でも流行りはじめているそうです。そんなタイのお菓子の中で、私が好きなのは「カオラム」です。カオラムとは竹筒の中に小豆、ココナッツミルクで甘く味付けしたもち米を入れて、長時間蒸して作る料理。日本の」「ういろうに近い…と言うと語弊がありますが、控えめな甘さともっちりした食感は、私のような和菓子好きをも魅了します。このカオラム、バンコク近郊のナコンパトムという古都の名物で、私も実際に行ってカオラム名人のオークライさんが作ったものを食べたことがあります。

 そのカオラム、バンコク市内ではあまり見かけませんが、プラトゥーナム市場の中などで売っているのを見たことがあります。
 先日バンコクの路上で、天秤棒を担いでカオラムを売っているオバサンを見かけたので、思わず買ってしまいました。
 竹筒の長さは30pほど、直径は3〜4pと、小振りなカオラムです。たいへん美味しく頂きました。

        


2005/5/24

 週末を挟んで海外出張でした。かの国はメチャクチャに暑くて、その暑い中をネクタイを締めて仕事で走り回り、すごく疲れました。

 60年前から続く談合、悪質です。こちらの記事にあるように、「大規模な談合を数十年にわたって続けた、90年代初めに流出資料がもとで恐喝を受けて談合組織を解散したが数年後に名称を変えて再開した、過去に他分野の談合で公取委の行政処分を受けた社が複数ある」…という経緯を見ても、もう何の罪悪感もない連中。しかも、「社のトップ、組織の元メンバー 15年前在籍、汚れ役が出世」と、談合をやっているのは全社的な意志。石川島播磨重工業、横河ブリッジ、三菱重工業、新日本製鉄、三井造船…など、日本のトップ企業がこの有様。全くモラルのかけらも無い「クソ」のようなヤツらです。

 で、今朝の朝日新聞を読んでいたら面白い記事が掲載さていました。石川島播磨の社員が、「ずっと前からやっているのに何で今さら摘発されるのか、あの土光さんが社長だった時代にもやっていたのに」…とコメントしていたんです。あの土光さん…といえば、元石川島播磨重工業の土光敏夫です。「土光時代から続いていた」…というこの社員のコメントを深読みすれば、要するに「土光氏も認めていた」ってことですよね。あの経団連会長を務め、臨調を率い、「無私の人・土光」と言われた、経営の神様です。「清貧の人」としても有名。でも、裏ではこうやって「税金を平然と盗んでいた」ということ。
 私は、誤解を恐れずに言えば「社会主義が嫌い」ですから、健全な資本主義に基づく自由競争を阻害する「談合」なんてものは、不愉快極まりない。今回の談合発覚については、本気で「ふざけるな!」と思ってます。純粋な税金泥棒であり、参加した企業を潰すのはむろん、全ての関係者を過去に遡って摘発し、重罪で一生刑務所から出られないようにすべきでしょう。

 でも、今回の談合が何十年も続いた経緯を見るにつけ、日本という国は「資本主義向きではない」…とつくづく思ってしまいます。「DANGO」なる言葉は、「日本的な反資本主義的行為」を表す言葉として、海外でも有名。まあ、何につけても「根回し・話し合い」を美徳とし、「競争」を出来る限り排除する…という日本のビジネス風土、コミュニケーション文化がそのまま形になったのが「談合」ってわけです。以前も書いたように、国家が関与する富の分配率(40%以上)は、いまや日本は中国よりも高い。要するに、ある面で日本は立派な社会主義国なんですが、今回の談合はまさに「政治家、官僚、企業経営者が了解した上で税金を配分する」…という、日本的システムが公然と機能している様を見せてくれます。独禁法なんて、あくまで「建前としての法律」で、これは公然とソープランドが営業を認められている状況での「売春禁止法」と同じです。

 日本人の一部は口を極めて「共産党の一党独裁」のような国家を非難しますが、じゃあ日本の統治システムていったい何なんでしょう。少なくとも自由競争に基づく資本主義国家ではありません。

 マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を引用するまでもなく、自由競争は「モラル」の前提なくしては成り立ちません。モラル以外にも「ノーブレス・オブリージュ」も重要です。成功者が社会奉仕活動に精を出し、貧しい者に対して多額の寄付金を出す…というのは、欧米では当たり前のこと。むろん私は「プロテスタンティズムの倫理」も、「ノーブレス・オブリージュ」のようなスタンスも大嫌いですが、どちらにしても自由競争にあたっては「健全なモラル」が必要なのは当然です。ともかく「資本主義的モラル」という概念が身についていない日本という国には、資本主義は合いません。

 そういえばあのビル・トッテンが、かつてこんな発言をしているのを見つけました。「…日本は談合や社内失業の容認などで、弱い立場の人間を保護し、能力が平均以下の人でも幸せに暮らせる社会をつくり上げてきた。しかも、生産性はアメリカの 1.3倍であり、技術力は高く、寿命は世界一長く、乳児死亡率も非常に低い。日本はどの基準をとってみても、「良い社会」なのである…」という言葉は、多くの日本人の心情を代弁したものでしょう。まあ、「談合」とは「社会救済システム」の一種だと思えば、私のような立場での談合批判は、肩透かしを食っちゃいます。
 今回の談合摘発、やってることが半端す。この際、日本では「談合は美徳」という方向で、いっそ独禁法や公正取引委員会の廃止を決めたらどうでしょう。どうせ談合は無くなるわけないんだから、その方がすっきりすると思いますよ。

2005/5/19

 こちらの記事を読んで興味をひいたのは、「…暴走族が"高齢化"する背景の一つに、昭和五十年代後半に製造された名車とされるオートバイや車の愛好家が、ツーリングなどを目的に各地で結成した『旧車会(きゆうしやかい)』の存在が指摘されている」…という部分です。
 私は旧車は好きですが、この手の「サークル」が大嫌いですから、「旧車会」なるもののの実態はよく知りません。でも、ツーリングなどを目的に結成された正統派ライダーのグループであっても、集団で走ればやはり競って飛ばしたりするんでしょうね。バイクに乗らない人から見れば、やってることは暴走族と変わらないのかもしれません。
 それに、いわゆる「正統派ライダー」なんてものと「暴走族」との違いって、「バイク乗りのメンタリティ」という部分では、意外と小さいのかもしれない…とも思いました。

 私もバイク乗りですから、少なくとも「交通法規に眼をつぶっても飛ばしたい」という気持ちだけは、わからないでもない。また、ある程度年をとったライダーの「昔取った杵柄」を見せたいって気持ちも、よくわかるのです。
 バイク好きなら、スピードやテクニックを自慢したことがない…という人は、まずいないでしょう。少なくとも、私の周囲にはいません。自他ともに認める「正統派ライダー」だって同じ。いや逆に、正統派ライダーの方が、「自分は暴走族とは違って、こっと高度なコーナーテクニックを持っている」と自負していたりするものです。
 私自身は、基本的に街乗りがあまり好きではなく、そして集団走行も嫌いでソロツーリングばかりしていた人間ですが、それでも見知らぬライダーとコーナーを抜ける速さを競った経験は数限りなくあります。特に高性能のバイクを購入した直後なんかは、かなり意識して他車と競いました。昔なら、例えばYAMAHA「RZ250」とかSUZUKI「RG250γ」なんかを買った直後です。こうした「走り屋御用達系」のバイクでツーリングに出かけると、1日のうちに必ず何回かは必ず「競争」をしたものです。ほとんど無意識にやってたところが、今考えると怖い話です。
 また、別に「速いバイク」に乗ってなくても、例えば「SR500」のようなシングルバイクやオフロード車に乗っているときでも、コーナーが続く峠道ではどうしてもアクセルを開けたくなるのが、ライダーの習性です。北海道や東北で直線道路が続くような場所になると、逆にスピードを出さずにのんびり走りたくなくなるのですから、「ライダーの性(さが)」ってヤツは、始末が悪い。
 まだ「ローリング族」なんて言葉が無い1970年代、自称「正統派ライダー」コーナーを抜ける速さを競ったのは、やはり東京近郊では、奥多摩有料道路、狭山湖畔、大垂水峠あたりで、関東近郊ではむろん箱根の七曲や碓氷峠の旧道、妙義スカイライン、赤城山や筑波の有料道路など、その後「ローリング族」が出没したのと同じような場所でした。私も、こうした場所をよく走りました。現在は、こうした道路のいくつかは「二輪車通行規制」がかけられてますが、結局私たちの世代がやってたことは、その後の「ローリング族」と大差が無かったのかもしれない…と、今になってつくづく思います。

 1960年代までのバイクは、サスペンションやブレーキがプアーだったので、無理なスピードでコーナーを抜けるとすぐに転倒したりしました。コーナーの途中でブレーキをかけようものなら、タイヤがあっという間にグリップを失ってすっ飛んだりしたものです。
 しかし、1970年代の後半あたりから、バイクの性能は飛躍的に向上しました。例えばドラムブレーキの時代は、前後輪のブレーキをバランスよくかけてやらないと、急激な減速は無理でした。コーナーでは、入る前に減速し、加速しながら抜けるのが鉄則でした。ところが、フロントがディスクブレーキになり、さらにダブルディスクになった頃から、ブレーキの制動力は飛躍的に高くなりました。ブレーキ性能の向上に合わせるように、サスペンションもよくなりました。この頃から、コーナーの途中でかなり傾いている状態でフルブレーキングをかけても、バイクは持ち堪えるようになりました。また、フロントサスの性能向上によって、前後輪のブレーキをバランスよくかけなくとも、フロントだけでも十分に制動でき、制動時の急激な重心の移動をサスが吸収してくれるようになりました。私なんかは、ある時期から、街中ではリアブレーキをほとんど使わなくなったものです。

 …で、コーナーでの競争が面白かったのは、今考えると「サスペンションやブレーキがプアーだった」時代のバイクに乗っていた頃です。

2005/5/16

 あまりの多忙さに、日記をサボってました。もう死にそう…

 …で久々に、Nikon「COOLPIX7600」の私的レビュー 〜700万画素のコンパクトデジカメ入門機…というコンテンツを追加しました。気が向いたらお読み下さい。

2005/5/11

 「米英メディアの報道によると、警備会社がイラク各地に派遣している民間人は約2万人。昨年6月のイラクへの主権移譲前後と比べても5000人近く増えたことになる。9200人の駐留英軍をしのぎ、13万8000人の米軍に次ぐ『第2の勢力』といえるほどに膨らんだ」(朝日新聞)
 いや、まったくもって「民間企業が戦争を受託する」時代になったことを痛感するとともに、知識としてはこうした状況を知っていた私でも、こうした会社に日本人が籍を置いていたという現実を見せられることで、「戦争受託ビジネス」が繁栄することの深刻さを、あらためて思い知らされます。
 さすがに今回拘束された斎藤昭彦さんの場合、「自己責任」以外の言葉が出てきません。これは、生き方、というよりも職業選択の問題であり、この職業に伴うリスクが」現実のものになった…ということですね。ある意味で「究極の自己責任」が求められる職業でしょう。職業選択の自由…という視点で見る限り、斎藤さんの職業選択は、他人がとやかく言うところではありません。ただ「兵士」を職業として選択する人のメンタリティというのは、いまひとつ理解しにくい部分があります。言い換えれば「戦場での戦闘行為」を行うことで報酬をもらうわけで、そこに「倫理」はどのように関係してくるのでしょうか。こちらの本によれば、傭兵は「お金のため」にやるのではなく「強くあること」「仲間の信頼を得ること」そして「自分を誇ること」…を理想として戦っているのだそうです。さらには、正義感も人一倍強いとのこと。…うーん、理解できません。
 マスコミの報道を見ても、批判でも賞賛でもなく「困惑」に近い雰囲気が読み取れます。これは「戦争をビジネスにする」ことに対して「生理的な嫌悪感」を持つ人が多いからかもしれません。自ら進んで「傭兵」という職業を選択する人に対して、どんな感想を言えばいいのか、私のような人間だけでなく、マスコミに席を置く人たちもまた、戸惑いがあるようです。
 気になるのは、ジュネーブ条約第1追加議定書の第47条「傭兵」という項に、「傭兵は、戦闘員である権利又は捕虜となる権利を有しない」と書かれているらしいことです(こちらを参照)。斎藤さんが、この傭兵に該当するのならば、ジュネーブ条約で保護されない、「どんな扱いを受けても文句を言えない」立場ということになります。
 ところで、こちらに書かれている通り、「…近代国家になる前の国家では、戦争は傭兵(職業軍人)どうしが行うもので、一般民衆は破壊の被害を受けることはあっても直接の当事者ではなかった。ところがフランス革命などを機に近代の国民国家システムが作られ、人々は民主主義という制度のもとに参政権を与えられる半面、国家を愛する義務を負い、税金を払い、戦時には徴兵に応じる『国民』となっていった。これは王侯貴族など国家の支配者にとっては、国民を自発的に国家に協力させ、傭兵に莫大な金を払わなくても、愛国心を煽る教育(洗脳)だけで一般国民を献身的な兵士に変える画期的な方法だった」…わけです。
 つまり、「人道的」(…という言葉が適切かどうかわかりませんが)に見れば、「自ら戦う意志を持った人だけが戦闘行為の当事者となる」ところの「傭兵制度」の方が、「徴兵制」よりも理に適っている…という見方が出来るわけです。むろん、職業軍人制度であっても、貧困やその他の理由で、嫌々ながらも「兵士」を職業として選択せざるを得ない人もいるでしょう。ただ、例えそうであっても、「兵士になる、ならない」の自由度が残された社会の方が、基本的には「よい社会」であるようには思います。
 現在の日本は、「幸いにも」と言ってもよいでしょうが、「職業軍人」という制度を選択しています。しかし、いつ何時「…国家の支配者にとっては、国民を自発的に国家に協力させ、傭兵に莫大な金を払わなくても、愛国心を煽る教育(洗脳)だけで一般国民を献身的な兵士に変える画期的な方法」…であるところの「徴兵制度」「国民皆兵制度」へと移行するか、予断を許しません。  何だか、本当に先の見えない時代になりつつあるようです。

2005/5/7

 先日のニュースで、「聖徳太子の偽札計2千枚が見つかった」という事件がありました。旧一万円札に描かれている聖徳太子の肖像画は、歴史の教科書にも登場するなじみ深いものです。昭和5年の百円兌換券以降、度々貨幣・紙幣の肖像モデルとなっている有名な聖徳太子の肖像画、これが聖徳太子の肖像画だとは全く証明もされていないし誰も信じていないにも関わらず、なぜか誰もが知っているという不思議な絵です。
 そういえばちょっと前に、大山誠一「聖徳太子と日本人 …天皇制とともに生まれた聖徳太子像」(角川文庫ソフィア)を読了しました。大山誠一氏の著書は「聖徳太子の真実」(平凡社)を始め何冊も読んだのですが、今回は文庫本になったこと、そして聖徳太子が実在しないことの検証よりも「実在しなかった聖徳太子を日本人はなぜ崇拝し信仰の対象としたのか」という疑問に対する答を重視する内容だったこともあって、再読してみたものです。既に「聖徳太子の真実」等を読んでいるので、聖徳太子を「作り上げられた人物」とする部分の主張に目新しいものは無かったのですが、文庫版で加筆された「聖徳太子と天皇制、聖徳太子と皇国史観」を語っている部分については、興味深く読みました。

 これは以前、友人で都内の某女子大の文学部で教鞭をとる講師に聞いた話ですが、「聖徳太子虚構説」は、「虚構説と実在説のどちらが正しいか」なんてこと検証する以前の問題として、一般的な歴史研究者(特に政治的な立場や学会での立場と無関係な)の間では、もう議論の余地などない「事実」として認知されているとのことです。彼自身も含めて、大学の授業では「聖徳太子は実在しない」または「実在しない可能性は高い」と教える教員が増えつつあるそうです。彼の専門は古代史ではなく平安時代の文学関係なのですが、彼のような専門ではない研究者が見るからこそ、ここら辺の話はかえってよく見えるとのことで、学問的には非常に単純な話なんだそうです。要するに「存在が証明されない」状況であれば当然「存在しない」とすべきであり、さらに「疑義が大きい」または「疑義がある」というだけで、「存在を否定する」方の結論を支持する方が正しい学問的態度とのことです。そういう見方をする限り、資料自体がほとんどなく検証しにくい飛鳥時代の話で、しかも聖徳太子の存在を否定する多くの論拠の中に「無視できない」ものが数多くある以上、存在自体を否定するのが正しい学問的態度と言えるのだそうです。「疑わしきものは排除すべき」というのが基本だそうです。
 歴史上の事実の有無については、それが時代を遡れば遡るほど「疑う余地のないほど絶対的な証明」が必要であり、ある歴史的な事実に対してその存在を肯定する資料と否定する資料の両方があり、両資料の真偽について学問的な決着がついていない場合、その段階では「否定する資料」の存在を重く見なければならない…ということだそうです。「事実があった」と判断するためには厳格な証拠が必要ですが、「事実がなかった」と判断するには1つでも疑わしい点を指摘すれば済む…というのが「科学としての歴史学」とのこと。まあ私も以前、田中 英道「聖徳太子虚構説を排す」(PHP研究所)という本を読んでみましたが、とてもじゃないけど「聖徳太子の真実」と拮抗するような反論はなく、「存在の事実があった」と判断するための厳格な証拠…は書かれていませんでした。東京国立博物館名誉館員で元青山学院文学部教授の石田尚豊氏の実在説は、「反大山説」としては拮抗する部分もありますが、やはり「存在の事実があった」と判断するための厳格な証拠…は提示されていません。
 実のところ私は、聖徳太子という人物が存在しようがしまいが、そんな議論自体どうでもいい…と思ってます。歴史上には存在や業績が「作られた人物」なんていくらでもいるし、どうせ日本書紀以外に資料がない時代のことなど、何が正しいかなんて正確に検証のしようがありません。ただ、そんな立場で読んでみても大山誠一氏の不在説はまともな考証の結果だと思うし、律令国家の形成過程で聖徳太子なる人物が作られた理由もまた納得がいくものです。逆に太子の実在を強く唱えて反論する側(例えばこちらこちら)は、「…歴史を人間の学問として捉えようとしない社会科学偏重、あるいは社会科学信仰のような思いこみがまず前提になって天才・卓越した人物というのは歴史上存在するはずがないのだ、という天才・英雄を否定する心の持ち方が前提になっている」…なんて意味不明のこと言ってないで、実証面でもう少し頑張って頂きたいものです。

 それはそうと、この聖徳太子が実在するか虚構なのかという話の中でもっとも興味深いのは、今回読了した「聖徳太子と日本人」でも取り上げていた「実在しなかった聖徳太子を日本人はなぜ崇拝し信仰の対象としたのか」という部分です。そして「一般的な歴学者の間では聖徳太子不在が定説になっている」にもかかわらず、義務教育や高校の歴史教科書で、後世適当に作られたものと判っている「十七条の憲法」が実在しない聖徳太子の功績だなどと、いまもって書かれ続けている理由です。
 で、この問題に対する「聖徳太子と日本人」の結論を簡単に言ってしまえば、「まずは天皇制を構築し維持するために聖徳太子像が必要であった」…ということ。そして、明治以降成立した皇国史観で「高天原・天孫降臨・万世一系という記紀の神話を利用して天皇の神格化を図る」ために、記紀の記述の誤謬や疑問点は無視され、聖徳太子神話はいっそう補強された…ということです。さらに現在に至ってもなお皇国史観の影響を受けた歴史学者が多いゆえに、声高に聖徳太子不在を唱える人が少ないばかりか、誰もがこの問題に触れないようにしている…ということだそうです。
 そんなものかなぁ…とは思いますが、「史観」なんてものによって「事実の有無や内容」が変わったのではたまったもんじゃありません。「とりあえず疑ってみる」というのは少なくとも、「科学」を目指す人間にとっては当然のことだし、科学は政治的な立場や歴史観なんてものとは無縁のはず。歴史を科学と言い切るのもなんですが、事実は1つでしょう。となれば、「事実」は知りたいし、事実がはっきりしない理由が「史観」の相違から来るものだとすれば、こんなくだないことはありません。事実を知りたいという気持ちを、「社会科学偏重」とか「社会科学信仰」などと言われたのではたまりません。私は「天皇制は存続すべき」「跡継ぎは男子に」…と思ってる人間ですが、だからといって別に日本書紀が全て正しいなんて思っちゃいません。

 聖徳太子が「造られたもの」であってもいっこうに構わないし、それが「天皇制」の構築・維持のためにであってもよいのですが、ただ、現在もなお聖徳太子が「実在するように語られ続けている」理由として「皇国史観の影響」を挙げられると、それはそれで私は違和感を持ちます。
 聖徳太子の実在説を声高に主張する人は、確かに日本書紀を拠り所として天皇は万世一系だと主張する人と同じ層で、要するに皇国史観を是とする人が多い。そして、大山氏のように聖徳太子虚構説を主張する人はアンチ皇国史観の学者が多い…それは確かです。しかし、聖徳太子の存在をごく普通に信じている一般の多数の人は、別に皇国史観を持つ人ばかりではありません。むしろ、「皇国史観」とか「万世一系」なんて言葉は知らない人たちでしょう。むろん、こうして大多数の人が聖徳太子の存在を信じるに至ったのは中学・高校の教科書に書いてあったからですが、だからといって誰もが「誤った皇国史観を刷り込まれた」なんてわけではないでしょう。
 聖徳太子信仰には、何かもっと「自然な感情」があるように思います。まあ、日本人に限らず、どの国の人でもたいていは偉人だの英雄だのが好きなんです。聖徳太子は、古代史では最大の偉人の1人。10人の言葉を同時に聞き分けられるスーパーマンでもあります。知と徳を備え、当時日本より遥かに文化・文明が進んでいた中国や朝鮮半島の国々と対等に外交を行った…などとされているので、これはもう普遍的に人気が出そうなキャラクター。例え実在しなくても、とりあえず「いたことにしたい」気持ちは、わからなくはありません。

 …この与太話は、ここらへんで止めときましょう。天皇制だの史観だのについて書くと、こちらにその気がなくても、妙なメールがたくさんきたりしますから…

2005/5/6

 今回のJR西日本の脱線事故、その後マスコミから主にJR西日本の企業体質に関連した問題が大量に報道されていますが、マスコミ報道全体を見ているとなんとなく異常にも感じます。
 先日以降、事故車両に乗り合わせたJR運転士が救助活動をしなかったこと、上司に報告したら出勤しろと言われたこと、さらには天王寺車掌区の職員が懇親会と称して事故当日にボーリング大会を開催し、さらに大事故と判明した後でも二次会で飲んでいたこと…など、JRの企業体質を疑うような事実が次々と出てきています。
 しかしながら、昨夜この事故関連のTVニュースを見ていたら、嫌な光景を見ました。この懇親会について記者会見場でJR西日本の幹部社員が説明をしているときに、ある記者が「オマエらもういいよ、社長を出せ!」とやくざな口調で大声を上げていたのです。この後、社長が呼び出され、未明の会見が始まりましたが、記者からは質問というよりも非難の声に近いものが投げかけられるばかりでした。
 私は尊大な口調で大声を出す記者を見て、「オマエどこの記者か知らないけど、いったい何様?」…と思っちゃいました。これは雪印事件の時も同じですが、この手の事件が起きる度に、スケープゴートをいたぶるように代表者や責任者をマスコミの記者やレポーターが小突き回すのは、見ていて気持ちのよいものではありません。今回の事件でも、JR西日本の社長の移動する先々でマスコミ陣が取り囲み、女性レポーターのヒステリックな非難の声や、謝罪するしかないような門きり型の質問、尊大な口調での質問、そして「被害者家族の心情」を楯にとっての罵声などを浴びせている様子は、JRの対応の是非を超えて不愉快に思う部分があります。

 実際、ここへきて問題は「企業体質」に絞られてきたようです。でも、非難を浴びせているマスコミ各社を含め、JR西日本の企業体質を堂々と批判できるような立派な企業なんて、本当にあるのでしょうか。「ボウリング 疑問の社員『言いづらかった』…」という記事を読んで思ったのですが、こういう形で上司に遠慮する…なんて、こんな体質はどこの会社でも同じでしょう。私が知っている某都市銀行なんて、「上司の言うこと絶対服従」「密告奨励」で、その体質はJR西日本よりもっとひどい。
 そういえば、利益第一、安全第二を呼びかけた「支社長方針」なるものが流出して、マスコミで話題なっています。これなんて、ある意味で当たり前の企業姿勢を本音で主張したものに過ぎません。安全第一でなくてはならない…のは当然ですが、コスト削減と利益追求を同時に行っていかなきゃならないのは、どんな企業でも同じでしょう。確かに「安全第一」といえば聞こえはいいのでしょうが、企業の存続が問われるような赤字状態では「安全への投資」をすることさえ不可能です。特にJRは、民営化にあたって累積赤字を事実上税金で肩代わりしたこともあって、旧国鉄の親方日の丸体質を一掃してサービスを追及して利益を確保するように強く注文を付けたのは、納税者である国民の側じゃなかったでしたっけ。確か最初は動労が民営化に強く抵抗し、その後動労が当局と妥協した後、今度は国労が民営化に徹底的に抵抗しました。国労が民営化に抵抗したときの最大の主張が、「民営化されれば利益追求第一になる。それでは安全な運行は保障できない」…だったはず。現在、マスコミや世論が唱えている「安全第一」「利益優先への非難」は、当時の組合の主張と同じです。あの頃、民営化に抵抗する組合を「親方日の丸」「甘え」などと非難していたのは、誰でしたっけ。
 結局JRは、長い国鉄時代を通して、無節操な資本投下で行った無駄な鉄道建設事業によって政治家の票集めに利用され、さらには無理矢理国鉄に毎年1兆円以上の金を借りさせて膨大な赤字を作らされました。こうした事態を招いたのは、結局のところ「新幹線誘致」などに熱狂した国民の責任です。その当時からの国鉄問題が尾を引いている結果が、現在のJRの現場と管理職の乖離状態です。
 そして、今朝通勤途上でも見たように、発車のアナウンスの中で締まりかけの扉に無理矢理腕を突っ込むサラリーマンやオバチャンなどは、なくなりそうもありません。分刻みでダイヤ通りに走る電車を要求しているのは、鉄道利用者である私達じゃないですか。
 どちらにしても、たかが事故発生時にボーリングをやっていたことが発覚したぐらいで、鬼の首でも取ったように非難するマスコミの態度は、見苦しいことこの上ないですね。今回露呈したJRの「企業体質」とやらを正面きって非難できるのは、被害者本人とその家族だけのはずです。

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