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「正義」と「文明」のダブルスタンダード    2001/10/30

 アメリカで起きた同時多発テロ事件のその後の経緯を見ていて、なんとなく感じたことを書きます。デジカメサイトでのこんな話には飽きたという方は、読まないで下さい(笑)。



■無限の正義作戦…?

 「アメリカの正義」「民主主義vsテロリスト」という言葉が連日のようにニュースになっています。今日のニュースによれば、航空機100機が空爆に備えて中東一帯に緊急展開をはじめとのことですが、国防総省は今回の軍事計画を「無限の正義作戦」と名付けています。「無限の正義」ですか…うーん…
 今回やろうとしている「正義の戦争」については、アメリカの市民の大半が支持をしているようです。繰り返し放送されるWTC崩壊跡地の悲惨な捜索現場、親・兄弟・知人を失った人の悲嘆にくれる姿の中継…アメリカの市民が報復に賛同するのも無理はありません。
 こういった状況を踏まえてもなお、アメリカが振り回す「正義」に対して多少ならず疑問を感じています。「テロは悪」それは間違いないことです。そのテロと戦うのは「正義」、それも認めます。しかし、アメリカが今回の報復を正義というのなら、アメリカという国にとっての正義の基準には、「ダブルスタンダード」があるように感じています。

 第二次大戦後、アメリカほど戦争を行った国はあまり多くはありません。回数、規模ともに世界の国の中ではトップクラスです。特に冷戦時代には、世界各地で民族的独立を妨げる側に回りました。  例えば、第二次大戦後にアメリカが関わった最大の戦争であるベトナム戦争を振り返ってみて、「アメリカの正義」なるものはほとんど感じられません。「社会主義vs自由主義」という図式は、あくまで支援国家同士の対立の図式に過ぎません。ベトナムの人々にとっては、フランスの植民地支配から独立するための戦いであったに過ぎず、それに対してアメリカが介入してきただけのことです。
 ベトナム戦争においてアメリカは「北爆」を実施し、雨あられのように爆弾を投下しました。ベトナム戦争でアメリカ軍が南北両ベトナムの破壊に使った爆弾の総量は200万トンに達し、第二次世界大戦でのヨーロッパと太平洋の両地区に落とされた全爆弾の量をはるかに上回るものです。しかも、酸素不足によって塹壕の中の兵士の命を奪うナパーム弾や、子爆弾をばら撒くことで人体を殺傷することを目的としたパイナップル爆弾など、核を除くありとあらゆる種類の爆弾をばら撒きました。加えて広範囲にダイオキシンを散布する枯葉作戦まで実施しています。

 「もし」という仮定は無意味ですが、ベトナム戦争時に北爆下のハノイにCNNの現場クルーがいて、爆弾で破壊される家屋や炎上・倒壊する家屋の下敷きになって死んでいくハノイ市民を全米に現場中継していたら、アメリカの国民は自らの国家が行っていることを「正義」と判断したでしょうか?
 日常生活を送っている市民が死ぬのは悲惨なことです。今回はそれがたまたまアメリカの国民であったわけです。しかし、アメリカは過去に何度も「日常生活を送っている市民」を殺戮したことがあります。北爆時のハノイ爆撃などはまさにその際たるものでしょう。理由はどうあれ、つい先だっては、バグダッドという大都市を巡航ミサイルで攻撃しています。

■イスラエルとパレスチナ

 一方的な戦争行為で被害を受けたので、それに対しては報復攻撃を行う権利も義務もある…というのが、現在のアメリカの論理です。アメリカは犯人はウサマ・ビンラディンというテロリストとほぼ断定し、テロリストを匿う国家もテロリストと同じ…という理屈で、イスラム原理主義に基づくタリバーンが支配するアフガニスタンという国を地上から消そうとしています。
 一方的に戦争行為で攻撃を受けた場合、相手国に対して報復攻撃をする権利がある…というのであれば、それまで平和に住んでいた土地をイスラエルに戦争行為で奪われたパレスチナの住民には、イスラエルという国を地上から抹殺する権利があるはずです。
 むろん誰でも知っている話ですが、あらためてイスラエル建国の歴史に触れてみます。

 イスラエルは、1948年5月14日に建国されました。
 第一次世界大戦において、イギリス政府はユダヤ人に対して「連合国を支援すればパレスチナにユダヤ国家を再建する」という約束を盛り込んだ「バルフォア宣言」を発しました。イギリスというのは無茶苦茶な国で、アラブ人側とも「フセイン・マクマホン書簡」を取り交わし、アラブ人国家建設を約束しています(かの有名な「アラビアのロレンス」に率いられたベドウィンはゲリラ戦でトルコを苦しめました)。結局、第一次大戦後にはユダヤ国家、アラブ国家を作るとした両者に対する約束は反故にされ、パレスチナはイギリス、フランスの植民地となりました。この段階では、パレスチナにおいてはユダヤ人とアラブ人は、特に争うこともなく共存していました。
 第二次世界大戦中、ナチスドイツやソ連邦(ロシア)内で史上類を見ないほどの悲惨な民族的迫害を受けたユダヤ人達は、大戦後に「シオニズム」運動を強行し始めました。むろん、ユダヤ人の受けた迫害や虐殺の経緯を考えれば、「無理もない」との感じも受けます。しかし、だからといって、既に何千年も平和な暮らしを続けているアラブ人が住むパレスチナを武力で奪ってもよい…ということにはなりません。
 広範囲なシオニズム運動を受けて、1947年11月に国連総会においてパレスチナ分割決議が出されました。これは、イギリスの統治下にあったパレスチナ地方にアラブとユダヤ両国家を創設し、エルサレムは国際管理下に置く…という内容のものです。しかし、全世界から帰国したユダヤ人によってイスラエルの建国は強引になされました。建国直後の第一次中東戦争の結果、イスラエルは領土を1.5倍に広げ、多くのパレスチナ人達は自らの土地を追われました。そして第三次中東戦争の結果、イスラエルがさらに広範囲な占領地を確保してそれを手放さず、現在に至ってもなお占領地に入植者を送り込んでいるわけです。

 いきなり戦争を仕掛けられ、住んでいる土地を追われ、虐殺されたアラブ人の運命は、今回のアメリカで起きたテロ事件と比較すべくもない、規模が大きい残酷な話です。
 ユダヤ人がパレスチナの地を武力で手に入れた根拠というのは、つまり「2000年前にはパレスチナはユダヤ人の土地であった」「旧約聖書には『神は必ずイスラエルの地に帰す』と書かれている」…という、およそ理解し難い2つの論理なのです。

 繰り返しますが、「一方的な戦争行為で攻撃を受けた場合、相手国に対して報復攻撃をする権利がある…」というのであれば、それまで平和に住んでいた土地をイスラエルに戦争行為で奪われたパレスチナの住民には、イスラエルという国を地上から抹殺する権利があるはずです。今回のテロ攻撃に対するアラブの人々の複雑な反応には、これらの歴史的な経緯が前提にあります。

■イスラムは前近代的か?

 アメリカに限らず日本を含む西欧文明圏のメディアでは、イスラム教、中でも原理主義的なタリバーン政権やウサマ・ビンラディン氏に間する情報が、様々な形で流れています。
 その中に、ウサマ・ビンラディン氏が反米的立場を取るようになった理由という雑誌記事がありました。もともと親米とまでは行かなくとも、特に米国には敵対していなかったラディン氏が反米の立場を鮮明にしたのは、湾岸戦争がきっかけだったそうです。彼は湾岸戦争時に、米軍を中心とした多国籍軍がイスラム教の聖地サウジに駐留した時に強い反感を覚えたそうです。中でも女性兵士がTシャツにショートパンツという肌も露な姿で歩き回っているところを見て、聖地が汚されたと強く感じたのだそうです。
 この話を紹介した後に、「女性兵士のTシャツ姿を聖地への冒?とするのは前近代的で異常な考え方」…のようなコメントがありました。
 御存知の通りイスラム教では、女性が肌を露出することは禁じられています。逆に西欧文明下にある多くの市民にとっては「Tシャツなど薄着を着て歩いている女性」というのは、「女性のファッションやライフスタイルの自由」の象徴です。西欧社会においては、女性の肌の露出度が上がることは、女性の解放と地位向上の証でした。従ってTシャツ姿の女性を「教義に反する」として禁ずるイスラムの教えは「野蛮で前近代的」だと考えるのでしょう。
 ところが、アマゾンの奥地に住むインディオや西イリアンに住む原住民などの一部は、女性が上半身裸で胸も露に生活しています。西欧の文明国では「裸で生活しているなんて野蛮で前近代的」と感じるでしょう。
 これって何かおかしくないですか? 女性が肌を見せないことを教義とするイスラムの教えは前近代的、女性が裸で生活するインディオも前近代的、Tシャツを着ているのは近代的ライフスタイルの証…という妙な論理が成立します。要するに、「前近代的」かどうかを女性の肌の露出の程度で判断するとなると、西欧文明は「ダブルスタンダード」を適用していることになります。

 ちょっと話が逸れました。いずれにしても「物質文明」とほぼ同義語である西欧の文化とイスラム文化は、価値基準そのものが違います。女性の問題から人間のとるべき道に至るまで、コーランの教えは、ある意味で物質文明や資本主義的な競争社会に対するアンチテーゼを含んでいます。私はイスラム文化について非常に詳しいわけではないので、これ以上のコメントは避けますが、「イスラム=前近代的」という単純な問題でないことは確かです。

■キリスト教的なもの

 キリスト教もまた原理主義的な部分では、精神性を非常に大切にします。
 前にも書きましたが、キリスト教というのは歴史的な経緯を見る限り、本質的に「好戦的で残酷」な宗教です。キリストの教えは違うかもしれませんが、中世以降のバチカンは、異教徒や異端に対して残虐の極みを尽くしてきました。ローマ法王が「平和」を口にする時、私は皮肉な目で見ざるを得ません。アジアも、アフリカも、南米も、住民がキリスト教徒ではないというだけで「未開」の烙印を押され、植民地的な征服の立派な理由となったのです。15〜16世紀の大航海時代に始まるスペインやポルトガル、そしてそれに続いたオランダやイギリスなどの植民地政策は、キリスト教の布教と完全に一体化したものでした。
 つまり、近代におけるアフリカやアジアの多くの戦争や紛争の要因となった植民地政策は、キリスト信仰が作り出したものでもあるのです。
 南米のポトシでは、スペイン人が原住民を銀山での過酷な労働に追いやりながら、産出した銀から生み出される巨万の富を使って壮麗な教会や宗教建築物を作りました。現在では紳士のように振舞うイギリス人は、スペイン船に対する海賊行為によって国力を高めて、全世界に進出しました。人間の体に非常に悪い影響を与えることを知りながら中国人に大量のアヘンを売りつけ、それを焼き払った中国に対してアヘン戦争を仕掛けて領土を略奪しました。アヘン戦争は、歴史上、最も非道な戦争行為の1つです。

 こうした過去の話をしてもしょうがない…という方も多いかもしれません。別に昔はこうだったから…という論理は、私も好きではありません。しかし、キリスト教という宗教の本質を語る上では、歴史的な経緯をきちんと知っておく必要があるでしょう。さらに、イスラエルが簒奪したパレスチナの土地に固執して、周辺のアラブ諸国と戦争状態にあるのは、過去も過去、なんと2000年も前の話が拠りどころなのです。

■個人的な考え

   私は右翼でも左翼でもありませんし、むろん政治的に支持する党派や団体もありません。  私はアメリカが好きであるにも関わらず、また今回のテロ事件の被害者やその家族に対して心から哀悼の意をもっているにもかかわらず、「アメリカは罰を受けた、いい気味だ」というアラブの人々の心情とその背景にある歴史を理解できます。
 私はアメリカという国で暮らしたこともあり、アメリカという国は好きです。アメリカではひどい人種差別も体験しましたが、その人種差別に対して命がけで反対し闘う人が存在するのもまたアメリカという国なのです。
 だからこそ、多様な意見と立場を許容するアメリカという国が、「報復」という1つの方向に固まっていくのは非常に怖いのです。
 現在もなお、イスラム教徒やアラブ人に対する攻撃がアメリカ各所で続いています。アメリカのハッカーグループの一部が、アラブやイスラム系サイトに片っ端から攻撃をかけ、イランの内務省のサーバーやアフガニスタンの首相官邸のWebサイトの機能がマヒしたなどというニュースも入ってきています。
 確かに、ニューヨークでは反戦集会が行われたり、ブッシュ大統領がイスラムセンターのモスクを訪問してアラブ系アメリカ人の社会貢献を称えるなどの、良心的な行動もニュースとなってきています。でも、圧倒的に世論の多数が同じ方向を向くというのは、何かアメリカらしくない…、そんな感じを受けるのです。

 今回もまた宗教に関して多少コメントしましたが、私はキリスト教であれイスラム教であれ、宗教の教義には全く個人的な興味はありません。もっと正確に言うならば、宗教は好きではありません。私は祈ったり信じたりすることで心の平安を求める必要性を感じていません。ましてや原理的主義的な考え方は、その対象が宗教であっても他の思想であっても、まったく受け入れられません。ありとらゆる思想は時代とともに変化する方が自然であり、「いついかなる場合でも」という原理原則など世の中に存在しないと考えています。

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