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Books & Magazine

 本と雑誌、活字メディアが好きです。好きというよりも、私は「活字中毒者」であり、本と雑誌に囲まれて毎日生活しています。


■ミニコミ紙・誌   2001/12/29

 東京の練馬区には「光が丘」という巨大な団地があります(私の自宅の近くです)。この団地には「光が丘新聞」というタブロイド版の無料紙が配布されています。発行は月2回、発行部数は約4万部とのことですが、無料紙なので地域の広告を取ることで経営が成り立っているわけです。それにしても、こうした無料紙が存続できる状況ってなんとなく不思議です。仮に経営者が1人で全てをやったとしても、タブロイド版8ページの新聞を取材、リライト、編集、デザインするコスト、4万部印刷する費用と配布(配布は1人じゃ無理)コストを考え、さらに事務所の家賃と経営者の最低限の収入を考えると、毎号かなりの広告料を取らなければ成り立たないはずです。タブロイド版で8ページの地域新聞で、果たして毎号50万円以上の広告費が取れるのでしょうか? 一度経営者に話を聞いてみたい気がします。
 1970年代の頃、ミニコミ誌・紙のブームだったことがあり、ちょっとした地域コミュニティでは必ずミニコミ誌が作られていました。70年代に発刊されていたミニコミ誌の多くは消えていきましたが、けっして全滅したわけではありません。インターネット時代に入って地域性の強いミニコミ誌はなくなったかと思いきや、現在でも「情報誌」に名前を借りて、けっこうたくさん発行されています。例えば私のオフィスがある池袋でも3〜4種の無料情報誌が発行されており、飲食店のレジ付近などに置いてあって簡単に入手できます。

 ところで、印刷メディアの中でも書籍や専門雑誌等については、まだまだインターネットメディアに対する絶対的な優位性を確保しています。しかし地域性の高い情報誌の場合は、情報の鮮度や伝達手段から見て、絶対にネットメディアの方が優位のような気がします。特に最近では、iモードなどのブラウザフォンを使った情報メディアなどが情報の受け手にとっても使いやすいような気がします。にもかかわらずこうした地域ミニコミ誌がたくさん発刊されてている事実には、再度注目すべきだと考えます。
 というのも、これだけの数のミニコミ誌が発刊されているということは、それが経営的に成り立っている・ニいうことでもあるわけです。むろん、発刊主体が大手スポンサー企業であるケースも多いでしょう。それでも、お金が出ていることに変わりはありません。
 それに較べて、インターネットのサイトの運営は、ひところよりも難しくなってきています。大手広告代理店に勤務する私の親しい友人によると、一時期出稿が殺到したインターネット広告の落ち込みは激しく、最近ではかなり大きなポータルサイトでも全く広告が集まらない状況にあるそうです。要するに、例え1日のアクセス数が数万あったとしても、広告出稿を当てにして独立系サイトを運営することなどは事実上不可能に近い状況との話です。

 要するに、インターネットというメディアに対して、「印刷メディア」はまだまだいくつかの点でアドバンテージを持っているということす。ここでそのアドバンテージの内容について詳しく挙げることはしませんが、個人的な感想としては、今後10年経っても20年経っても、書籍や雑誌はおろかミニコミ系の情報誌だってなくなることは絶対にないでしょう。実は、私はこうした状況を喜んでいます。
 ここ数年間、自分でWebサイトを作ったり、自分のオフィスで仕事としてWebサイトの構築を受託しているうちに、私は何か「個人の印刷メディア」を作ってみたくなりました。印刷された情報誌を個人ベースで発刊してみたいという強い欲求があります。

■曇りなき正義   2001/12/3

 ジョージ・P・ぺレケーノスの新シリーズが刊行されました。「曇りなき正義」です。ニック・ステファノス、ピート・カラスなどワシントンのギリシャ移民社会を描いた前シリーズがあまりにもよかったので、期待半分、不安半分で読んでみたけど、これがまあ絶品でした。  黒人差別というミステリーにはちょっと重いテーマに対して、正面切ってぶつかっています。カッコいい主人公の黒人探偵はともかく、コンビを組む元白人警官の心の動きが上手く描写されています。自分が「差別」していることを知っていながら、人間らしくあろうとする生き様が、実に自然です。しかし、ぺレケーノスという作家は、トマス・クックらと並んでミステリーを「小説」の域に高めた功労者ですね。

 「立花隆先生、かなりヘンですよ −教養のない東大生からの挑戦状」という本はかなり気に入りました。立花隆って人は頭は悪くないとは思います。でも、オカルト的な部分とか、妙な論理の飛躍とか、いわゆる「危ない部分」があることは、かなり以前から気になっていました。この本はかなり明快に、そうした部分を明るみに出しています。立花隆という名前は、それ自体がブランド化していますよね。なんと言うか「知のブランド」です。筑紫哲也なんかが、立花隆ブランド化の張本人の1人でしょう。まあ、彼への個人的評価はともかく、この本に対する彼の反論が非常に楽しみです。論理的な反論を期待します。

■藤森栄一   2001/11/12

 昨夜、NHKの番組「日本人はるかな旅〜イネ、知られざる1万年の旅」という番組を見ていました。この番組については前にもコメントしたことがあります。なんとなく面白いので、時間があれば見るようにしている番組です。
 今回の話は「稲作の起源」についてでした。要するに「近年の研究によって縄文時代に既に稲作が行われていたことが確実になった」という話です。確かに現在25〜30歳ぐらいまでの人は、学校の歴史の時間に「稲作が始まったのは弥生時代」と教えられているはずです。
 でも私は、狩猟・採取の時代といわれる縄文時代に既に農耕が行われており、しかも稲作があった可能性が高いという「縄文農耕論」について、高校生の頃に何冊もの本を読んだことがあります。なかでも印象に残っているのは藤森栄一という考古学者の著作です。

 藤森栄一は1911年に生まれ、1973年に没した諏訪市生まれの在野の考古学者です。諏訪考古学研究所を設立し、多くの若い研究者を育成しました。著書に「かもしかみち」「心の灯」「縄文農耕」「古道」などがあります。井戸尻遺跡を始めとする信州の縄文遺跡群を丹念に調査した彼は「縄文時代に農耕があった」との確信を深め、当時の学界の定説に対抗して大胆に縄文農耕論を主張します。しかし、学歴に恵まれず考古学会の亜流であった彼の説は、はほとんど取り上げられることなく、最後まで「在野の」という冠詞が離れなかった学者に留まったのです。
 しかし彼の著作は、八ヶ岳、北八ヶ岳、霧が峰、蓼科高原などを舞台にしたロマンあふれるエッセイとして、多くの人に支持されました。考古学マニアに支持されたというのではなく、普通の読書家や旅や山が好きな人たちに支持されたのです。私もそうでした。高校時代から山登りが好きで、しかも八ヶ岳が好きだった私は、藤森栄一の著作の一説を思い出しながら、北八ヶ岳一帯を歩き回ったものです。かれは、「南アルプスを正面に望むこんな雄大な風景を見ていた縄文人は、想像力が豊かで遊びの心を持った人々だったに違いない・vと書いています。古代の人を単なる歴史上の存在として認識するだけでなく、ものを考え、豊かな感情を持った我々と同じような「人間」として捉える藤森栄一の考え方は非常に好きでした。また、「かもしかみち」の冒頭の一文である、「深山の奥には今も野獣たちの歩む人知れぬ路がある。ただひたすら高きへと高きへと、それは人々の知らぬけはしい路である。私の考古学の仕事はちょうどそうした、かもしかみちにも似ている。」という文は、今でもよく覚えています。

 20年近く彼の著作を読んでいなかったのですが、先日書店で彼の著作「古道」が文庫本として新刊になっているのを見つけ、久し振りに読んでみました。北八ヶ岳を1人で歩いた高校時代が思い出されて、なんとも懐かしかった。
 縄文農耕論は彼の存命中には認められることがありませんでしたが、その後三内丸山遺跡などの発掘によって、教科書は大幅に書き換えられることになりました。

■ベストセラー   2001/9/30

 書籍の売上げが落ちています。大手取次店の調査によると、ここ5年間で書籍の売上は5%以上も落ち込んだそうです。売上げが落ちているだけでなく、「まともな本が売れない時代」ということも聞きました。実際にYahooの今週のベストセラーを見ると、こんな感じです。

1.精霊流しさだまさし
2.プロジェクトX リーダーたちの言葉…今井彰
3.空が落ちる(上・下)…シドニー・シェルダン
4.KOiZUMi小泉純一郎写真集…鴨志田孝一
5.十二番目の天使…オグ・マンディーノ
6.六人の超音波科学者…坂本貢一訳
7.箸墓幻想…内田康夫
8.Passage安達祐実写真集…熊谷貫
9.「自分の木」の下で…大江健三郎
10.奇跡の法…大川隆法

 読書好きにとっては、このベストテンの各書籍は、ヒドイとしか言いようがありません。まともな著作物は、ほとんどありません。タレント本、宣伝で作ったベストセラー、レベルの低いミステリー、タレントの写真集、そして毎週必ずベストセラーに入るくだらない新興宗教の教祖の著作。
 まあ、「ハリーポッター シリーズ」や「チーズはどこに消えた」のようなレベルの低い童話を、いい年をした大人が読む時代ですから…。
 私が言うところの唐ワともな薄{とは、上質の情報が含まれている本です。書いた人間の知性や知恵や営みが、きちんと表現されている本です。別に文学書や難しい専門書である必要はありません。ミステリーなら「上質のミステリー」、写真集なら「上質の写真集」が読みたい、見たいのです。何が悲しくて、貴重な時間を使って新興宗教の教祖が書いた駄文(誰とは言いません)や、ゴストライターが書いたタレント本を読まなくちゃいけないんでしょうか。総理大臣の写真集に至っては、何をかいわんやです。小泉純一郎の写真集を見るぐらいなら、安達祐実の写真集の方がまだマシですよね。
 私は本が好きです。バイクも好きだし、女の子も好きだし、旅行も好きだし、デジカメも好きですが、何よりも本を読んでいる時間が好きです。仕事で読む本も入れれば、1日に起きている時間の10%以上は読書に費やし、趣味の本だけで年間平均5〜600冊の本を読みます。言ってみれば極めつけの活字中毒者です。
 こんな私にとって、書店の最も目立つところにある「新刊書コーナー」や「ベストセラーコーナー」に積み上げられている最近の本のタイトルは、見るだけで悪夢に近いものがあります。

 うわっ…、こんなこと書いたら「ハリーポッターのどこが悪い!」って抗議がくるかも! お前は生意気だって、苛められるかも! 小泉ファンのオバサンや、新興宗教の信者の方からも抗議されるでしょうね。別に構いませんけど…。

■島津疾る   2001/6/8

 「島津疾る」という池宮彰一郎の小説を読みました。私は、基本的に翻訳もののミステリーやアクション小説、あとはノンフィクションと現代小説ばかり読んでいますが、たまには歴史ものやベストセラー書も読むことがあります。池宮彰一郎は、以前「四十七人の刺客」などの著作を読んだこともあって、「島津疾る」が文庫本になったのを機に読んでみることにしたのです。
 この本は、昨年ハードカバーでベストセラーになったのでご存知の方も多いと思います。内容はといえば、慶長の役における泗川の戦いから関が原の合戦における歴史に残る撤退戦までの島津家の歴史と経緯を描いたもので、島津義弘の伝記といってもよい小説です。ベストセラーになったのは、島津義弘の領国経営の手腕に見られる優れた経済感覚と無類の戦術・戦略家という軍事的才能を描くことで、ビジネスマンが「人生の書」として読むことができるからでしょう。
 本の内容は島津義弘が本当にここまでの経済感覚を持っていたんだろうか? という疑問を感じるほどに、先見性のある人物として描かれているのがちょっと胡散臭い他は、概ね歴史ものとしては面白く読めました。面白かったからといって、この本を誰かに薦めたくてこんな話を書き出したわけではありません。

 この本では、関が原で撤退のための劇的な戦いをすることで、島津家は西軍に加担したにもかかわらず、結果的に本領を安堵されるのです。その上で、島津義弘は長い戦いで疲弊した領国の経済を立て直すために、琉球を属領とすることを徳川家康に要求してそれを認められるわけです。この事実は、島津義弘の優れた経済感覚の証として書かれています。
 しかし、ちょっと待てと言いたいのです。琉球は当時は独立国家です。島津義弘は領民を労わる優れた領主として描かれていますが、琉球の人々が島津家の侵略と収奪によって、以後は塗炭の苦しみを味わったことにはまったく触れられていません。島津家は1441年に室町幕府の将軍義教から琉球を与えられていました。しかし、その後も琉球を独立国として認める関係は続き、島津と琉球の友好関係が続きました。実質的な支配関係に入ったのは、1609年に島津義弘が軍事的に侵攻して以降のことです。島津家の支配下にある琉球においては、中国との進貢貿易が行われましたが、琉球には何の利益ももたらさないものでした。
 歴史や人物の歴史的評価なんていうものは、どちらの側から見るかによって、全く異なるものになります。島津義弘は日本の優れた封建領主であったかもしれませんが、琉球の民衆にとっては単なる極悪非道の侵略者です。
 考えてみれば、同じ薩摩藩の明治の英傑である西郷隆盛もそうです。彼は、琉球だけでなく台湾をも侵略して属国にしようとした張本人です。ついでに朝鮮出兵も唱えましたね。「天は人の上に人を作らず」と言った福沢諭吉もアジアに対する蔑視はひどいものでした。

 そんなわけで、「島津疾る」という小説を読んで、いろんなことを考えてしまいました。

■バターはどこへ溶けた?   2001/6/3

 「チーズはどこへ消えた?」の版元である扶桑社が「バターはどこへ溶けた?」の道出版を訴える…という面白い話がありました。道出版の反論が奮っています。「扶桑社だって『動物占い』がベストセラーになった直後にパクリ本の『新動物占い』を出したじゃないか!…って反論なんですが、笑っちゃいますね。
 それよりも気になるのは「バターはどこへ溶けた?」みたいな本がベストセラーになる現在の「読書状況」ですね。人生の分岐点でどのように対応すればいいかヒントを与えてくれる本という触れ込みですが、実際にパラパラと読んでみたところ、はっきり言って幼稚な本ですね。こんなレベルの人生論でいい年したビジネスマンなんかが感銘を受けているようでは、どうも先が思いやられます。はっきり言って「知」の衰退を感じます。
 世の中には先人の残した、思想や哲学書、文学書がたくさんあります。そういったものを読んでその中から知恵を積み重ねるという行為が、できなくなった人が増えたようです。
 「葉っぱのフレディ」がベストセラーになった時にも思ったことですが、あえてこんな言い方をすれば「大人が童話や寓話を読んで感心する」ってのは、どうも頂けません。もっと知的なエントロピーの高い本を読んで欲しいと思います。

■自白の構図   2001/5/18

 唐突ですが、高橋治「自白の構図」(文春文庫)という推理小説が好きです。高橋治といえば「秘伝」で直木賞を受賞し、「星の衣」「風の盆恋歌」などの代表作がある純文学分野の作家です。その高橋治が推理小説分野に挑戦した第一作が「自白の構図」です。まあ、推理小説というよりは警察小説と呼ぶ方が正しいのですが、ともかく私は、読了したありとあらゆる国内の推理小説の中で最も好きな、そして最も優れていると考えている小説です。 日本の作家による優れた推理・警察小説と言えば、例えば高村薫の「マークスの山」「照柿」や「レディ・ジョーカー」などを挙げることができます。むろん、彼女の作品は「小説としての面白さ」という点では絶賛に値するのですが、高橋治の「自白の構図」はまた一味違います。
 まず文体がシンプルで美しい。さらに適切な長さのセンテンス、そして叙情的ではありながら必要以上の修飾語がまったくありません。主人公ろその周辺の人々など登場人物の造型はしっかりしていますが、これもストーリーの展開に邪魔になるようなエピソードなどを極力省いています。ともかく、日本語のお手本にしたいような文体で、たんたんと物語が進んでいきます。
 前にも書いたように、私は基本的には翻訳ミステリーのファンです。ジョージ・P・ペケレーノスやトマス・H・クック、ドン・ウィンズロウなどが好きと言えば、ミステリー好きの方なら好みの作品の傾向がおわかりになると思いますが、日本の作家はあまり読みません。特にトリックに重点を置く最近のミステリー作家は、あまり好きではありません。ミステリーと言えども、小説としての面白さが第一なのです。
 そんなミステリー好きな私にとって、高橋治の「自白の構図」は特別な作品です。神崎警部補を主人公とするシリーズとしては、「殺意の断崖」「美しき囮」と併せて全部で3作品ありますが、第一作の「自白の構図」がやっぱりお気に入りです。私は、一度読んだ小説を2度3度と読むことはまずありません。しかし、この「自白の構図」は10回は読み直しています。こんな小説が書けたらいいな・ニも思います。

■写真集   2001/4/19

 写真は好きでも写真集や写真家にはさほど興味がありません。写真集は、ほとんど買ったことがないのです。むろん、優れた写真が事実を伝えたり感銘を与える力を持っていることはよくわかっています。しかし、芸術分野の写真集も報道分野の写真集も、なぜかあまり興味がないので購入したことはない。自分が活字人間だからでしょうか。そんな中で、以前ちょっとした仕事の関係で沢田教一について詳しく調べたことがあります。彼の写真集は非常に印象的なものでした。沢田教一については最近映画化されたのでご存知の方が多いと思いますが、UPIのカメラマンとしてベトナム戦争に従軍、「安全への逃避」という写真でピューリッツア賞を受賞し、その後取材中のカンボジアで亡くなった報道写真家です。
 それで、あれは1986〜7年頃だったと思います。故沢田教一の夫人である沢田サタさんが、故郷の青森県弘前市郊外の自宅で「グルメさわだ」というレストランをひっそりと開店していると聞きました。当時ちょくちょく東北にバイクツーリングに出かけていたのですが、たまたま友人の女性とツーリング中に弘前を通りがかった折に、そのレストランのことを思い出しました。弘前の交番や駅の観光案内所などで場所を聞いたのですが誰も知りません。そうなるとどうしても行ってみたくなり、東京の雑誌社に勤める知人に電話をかけて調べてもらいました。やっと沢田サタさんの電話番号がわかって電話をして、食事ができますか?と聞くと、「本当は今日は営業しないつもりだったんだけど、わざわざ東京から来たのならどうぞ」と言って頂きました。それでその夜、沢田サタさんのレストランに出かけたわけです。
 尋ねてみると、「グルメさわだ」は普通の一軒家でした。レストランっぽい外観は全くありません。案内されたのは、ごく普通の家の普通のダイニングルームでした。そこでサタ夫人と姪御さんによって、手作りの料理をいただくことになりました。サタさんが沢田教一とともに住んだアジア各地で覚えた料理とのことで、大変美味しくいただいたのを記憶しています。食事後には、沢田教一の写真集を見ながら、ベトナム戦争当時のいろいろな思い出や報道写真家という仕事について何時間も語って頂き、深夜に辞したのでした。

 そんなこともあって、沢田教一の写真集「戦場」や「泥まみれの死」は、私の本棚に入っています。写真が持つ「事実を伝える力」は、優れたノンフィクションに匹敵する、いやそれ以上のものがあると感じた写真集です。

 ところでノンフィクションと言えば、私はミステリーが大好きなのですが、時々ミステリーを越える「驚愕のノンフィクション」作品に出会うことがあります。実は、文庫化された高沢皓司「宿命」(新潮文庫)を読み直して、上質のノンフィクションの「凄み」を思い知らされました。この"よど号ハイジャック犯人のその後"を書いた本が、ハードカバーで刊行されたのは確か98年です。その時に読んだ感想と大きく変わるわけではありませんが、あらためて「事実を書くことの重さ」や「事実が持つ面白さ」を感じた次第です。


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