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海外旅行の話

 海外旅行が好きです。時々は出張にも行きますし、また短い間ですが海外で生活した経験もあります。
 そこで自分の体験をもとにした海外旅行記や、海外旅行や海外の文化についての「雑感」などを思いつくままに書きます。


■東南アジアにて…   2001/70/20

 東南アジアを旅していると、当然ながら至る所でコロニアル的な光景に出会います。ここ数年の若い女性を中心としたベトナム旅行ブームも、ベトナムというきわめてアジア的な生活風土を残した国の風物と、各地にフランス人が残したコロニアル様式の文化との対比が魅力となっているのでしょう。
 旅行者にとっての東南アジアにおける大きな魅力のひとつには、ベトナムの例に限らずこのヨーロッパを強く感じさせるコロニアル様式の文化の存在があることは間違いありません。東南アジア各地で高い評価を得ているな高級ホテル群、例えばバンコクのオリエンタルホテル、シンガポールのラッフルズホテルなどは、まさにこのコロニアル的なものの象徴です。私も香港のペニンシュラホテルのティールームで優雅に午後のティーを飲んだことがありますが、確かに独特の雰囲気を醸し出していました。
 でも私は、東南アジアにおけるヨーロッパの香り、コロニアル文化を素直に楽しむ気にはどうしてもなれません。「植民地支配の爪跡」という露骨な言葉を使うつもりもありませんが、どことなくその存在に屈託を感じるのです。東南アジアが持つ「影」の部分、それは貧困であったり社会矛盾であったりするのですが、それを今に残るコロニアル的なものとの対比で見てしまうところに、私の屈託があるのでしょう。やはり東南アジアの「影」は、植民地支配の結果から生じたものが少なくありませんから…

 十数年前にはじめてインドを訪れた時、私は、インドへ旅行する多くの人がその魅力を口にする「東洋的、宗教的な魅力」を感じる前に、広大なスラム街の現実や幼い子供が過酷な労働を余儀なくされる国の現実に圧倒されたものでした。
 沈む夕日を背景にガンガー(ガンジス川)で沐浴するヒンズー教徒を眺めて「荘厳な雰囲気に打たれた」とか「なんともいえない東洋的な価値観に目覚めた」とか言う旅行者がいます。同じ風景を見た私は「カースト制度」「貧困」「幼児労働」などの言葉とともに、こうした形でヒンズーという宗教に人生の全てを捧げることで、「諦め」を余儀なくされる人々の悲しみのようなものを強く感じてしまいました。私にとって、インドの安宿で過ごした日々は、異なる文化への驚きや尊敬というものよりも、現実に見る人々の暮らしに対する感情を強く感じた日々でした。それは「怒り」とか「悲しみ」とか、様々な感情が混ざった複雑な感覚でした。  ネパールでは、働き続けて若くして老いていく地方の女性や、外国人のトレッキングツアーで重い荷物を担ぐ人々に出会い、バングラデシュのダッカではインドを上回る規模のスラムを見て、同じように複雑な思いを抱きました。
 バンコクでも同じです。1970年代の終り頃のバンコクは、まだ「カオサン」のような地域はなく、マレーシアホテル周辺の安宿がバックパッカーの溜まり場になっていました。その頃、知人に「ソイ・カーボーイ」へ連れて行ってもらったことがあります。ここは現在ではスクインビットの外れの寂れた歓楽街ですが、べトナム戦争の余韻が残る当時のソイ・カーボーイは、幼い女性を漁る白人で溢れかえっていました。この時に見た白人とアジア人の少女が抱き合っている光景が、私のバンコク体験の原点になっています。
 アンコールワットと言えば、クメール王朝の栄華を伝え、東南アジアの遺跡の中でもとりわけ光彩を放っています。しかし、そのアンコールから平然と仏像を持ち帰ろうとしたのが、ドゴール時代のフランスで文化行政を担ったあの偉大な「アンドレ・マルロー」であったことは象徴的です。そしてアンコールへの観光基地であるシェムリアップの街は、女性を買うためにやってきた旅行者が溢れかえっています。日本人旅行者も多いようです。東京での話ですが「シェムリアップでは2ドルで女が買える」と自慢げに話している大学生と会って、思わず絶句してしまいました。誤解を受けないようにお断りしておきますが、私は女性と遊ぶことは大好きですし、別にえらそうに「モラル」を説いているわけではありません。「不倫は文化だ」と言い放った俳優、石田某を非難するつもりは全くありません。でも、「2ドルで女が買える」と単純に喜ぶ人間のメンタリティは、なんとなく気に入らないのです。それが大学生であれば、なおのことです。
 こうした、私が東南アジアに抱く複雑な心情は、とても短い文章では書くことができません。いずれにしても、東南アジア各地で貧困や社会矛盾を見るにつけ、東南アジアにおけるコロニアル文化とは何か、ヨーロッパの文化とは何か…ということを強く感じてしまいます。

 私は海外旅行が好きですし海外生活の経験もありますが、実はヨーロッパには一度も行ったことがありません。これは10代の終り頃に感じた「ヨーロッパ的なものへの反発」が原点になっているのかもしれません。私にとっての「ヨーロッパ的なもの」の象徴には、民族主義、国家主義、植民地主義、そしてキリスト教などが含まれています。
 基本的にはアメリカが好きで、1週間程度の休暇が取れるとアメリカのどこかの都市でのんびりと過ごします。アメリカが好きな理由は、なかなか一口では言えません。人種差別では何度もひどい目にあっていますし、食べ物も不味いのですが、それでもおかつアメリカが好きな理由の1つに、「ヨーロッパ的な国家主義や民族主義を感じない」という点です。むろん、アメリカに国家主義がないと言っているわけではありません。ただ、ヨーロッパでは個々の人間の生き方の中に、「国家」や「民族」の意思があまりにも大きな位置を占めるように感じます。アメリカという国は極めて覇権主義的ではありますが、個々の人間と話していると、国家へのこだわりよりも個人へのこだわりの方が上回っていると感じるのです。ヨーロッパも個人主義ではひけをとりませんが、それでも「国家の伝統」や「民族の歴史」が、多くの人々の精神形成の中に重く澱んでいるように感じます。
 徒然にこんなことを書きながら、フランツ・ファノンの著作「地に呪われたる者」や「黒い皮膚・白い仮面」などをもう一度読み直してみたくなりました。


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