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写真を撮れないシチュエーション

 私は「死体」を発見したことがあります。学生時代ですから、もうずいぶん前、私は1人でバックパッカースタイルで四国を貧乏旅行をしていました。金毘羅神社で知られる香川県をウロウロしている時に、とある農業用の大きなタメ池に浮かんでいる水死体を発見したのです。


■死体を発見!

 たまたまタメ池の近くで野宿していた私は、早朝にこのタメ池の周辺を散策にでかけました。確か、朝の6時前くらいだったと思います。
 私は、岸から15mぐらい離れたところに何か人間のようなものが浮いているのを見つけました。周囲を見回すと釣りをしているオジサンがいました。オジサンの位置からは葦の陰になって何も見えなかったのです。それで、その人のところに近づいて「人間のようなものが浮いているので見てください」と言ったのです。
 それから後は大変でした。そのオジサンが近所の自宅に駆け戻って警察に電話をかけ、すぐに到着した警察によって水死体が引き上げられました。第一発見者の私は、かなり長時間に渡って警察に事情を聞かれたのです。旅の途中だったので、ずいぶん面倒なことになりました。結局、死因は自殺らしいとのことでしたが…

■デジカメを持っていたら?

  当時はデジカメなんてものはなく、カメラすら持っていませんでした。今のようにデジカメを持っていたら、その時の私は死体の写真を撮っただろうか?…ということを考えます。こればかりは、デジカメを持った状態でそういったシチュエーション出会ってみないとわかりません。
 なぜこんな話を書いたのかと言うと、それは先日新宿で発生した44人の死者を出す火災に関係しています。火事のあった当日に「2ちゃんねる」のニュース速報スレを読んでいたら、出火後数時間経った時には、野次馬の中にデジカメをもった人間が大量に現れたといいます。実際に現場から運び出される被災者をデジカメで撮った画像が、あちこちのスレにたくさんアップされていました。
 つまり、火事のニュース、しかも大惨事であるというニュースを聞いたとたん、デジカメでそれを撮影しようと現場に走った人間がたくさんいるわけです。考えてみれば、これってすごい話ですよね。

■惨事の写真

  たまたま事件や事故の現場に居合わせた場合、そしてその事件や事故が「人が怪我をするとか死ぬとかいう惨事」だった場合、デジカメを持っていても自分はその現場の写真は撮れないだろうと思います。さらに、基本的には同じ理由で、道端で寝ているホームレスの人とかを見かけると、なぜか写真撮影をしてはいけないと思うのです。
 そして、冒頭の死体発見のケースです。確かに死体は抗議をしません。しかし、死体の背後には人間関係があり、その人の死を悲しんでいる人がいるはずです。だから、その時にデジカメを持っていても、きっと撮影できなかったでしょう。でも、なぜそんな気持ちになるのでしょうか?
 偶然出会った事故や惨事の折に、デジカメで写真を撮ることは正しいか?…といった疑問、質問をしているのではありません。倫理的な問題を考えているわけでもありません。
 私が、なぜこうしたシチューエーションの写真を撮れないのか、自分自身の気持ちを考えてみました。

■「ネガティブな自分」は撮られたくない

 ともかく被写体の背後に不幸が感じられるケース、または不幸が存在する可能性のあるケースにおいては、原則としてシャッターを押さないようにしてしまいます。
 人間は自ら望まないケースで被写体になることがあります。自分は、写真を撮ることが好きにも関わらず、逆に自分自身が被写体になることは非常に少ない人間です。こうした自分でも、写真に撮られてもよい場合と絶対に写真に撮られたく場合とがあります。では、自分が絶対に写真を撮られたくないケースってどんな場合でしょうか? まずは、みっともない格好をしているなどの外観に関わる理由があります。さらに、他人に見られたくない人間と会っているケースや、他人に知られたくない場所に出入りしている場面などが考えられます。
 そしてもう1つ、自分が「すごく困ったシチュエーション」にあったり、自分が非常に悲しい時だったり、非常に苦しい時だったり…、つまり感情面でネガティブな状況の自分を撮られたくないという気持ちが非常に強くあります。感情面でネガティブになっている自分を撮られたくないということは、他人もきっと同じでしょう。悲しんでいる人、痛がっている人、つらい思いをしている人…の写真は取れません。例えば、交通事故の現場で足を骨折して苦しんでいる人の写真は、撮ってはいけないと思ってしまうのです。

 世の中には「社会派フォトグファー」という人たちが存在します。海外のスラムの生活を記録した写真集や、路上生活者だけを集めた「ドキュメンタリー写真集」も発行されています。それはそれで意義のあることかもしれません。でも私は社会派のフォトグラファーではないし、報道写真家でもありません。あまり深い理由もなく、毎日デジカメを持って歩いているだけです。
 そんな私は、「自分が写真を撮られたくないシチュエーション」と同じ状況にある他人の写真は撮りません。


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