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短編小説 火星の記憶
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東京湾の異常事態
平成三年夏、東京湾では時ならぬタコの豊漁が続いた。
湾岸地域の埋め立て、開発が進み、首都圏への江戸前の新鮮な魚の供給源となっていた東京湾の漁業が大幅な撤退を余儀なくされて久しい。しかし、工場廃液による湾の汚染がピークを極めた昭和四十年代と較べて、湾岸の工業地帯では公害対策や廃液対策が進み、昭和六十年代以降の海は多少なりともきれいになりつつあった。こうした中わずかに残った東京湾岸の漁師は、それなりに復活した沿岸漁業によってさまざまな近海魚を東京都民の食卓へと送り込んでいた。もっとも、スズキ、ボラなど東京湾で捕れる魚の一部は、江戸前の高級魚として料亭以外ではめったにお目にかかれないものではあったが…。
タコも"江戸前"とつけば高級品だ。台湾や韓国から大量に輸入されるタコは、比較的安い海産物として、酢ダコからたこやきまでどこの家庭でも馴染みが深い。しかし東京湾で捕れたタコは、ふつうは高級な寿司屋や料亭でしか口にすることはできない。
この"江戸前のタコ"が、平成三年の春頃から突然大豊漁となった。
横浜近辺で漁を続けるタコツボ漁の漁師が、捕っても捕っても捕りきれないほどの豊漁が続き、湾内で営業する釣り宿は急遽タコ釣り専門の乗合船を仕立て、どっと東京湾に繰り出した。このタコ釣り乗合船では連日の大漁が続き、これまで釣りに縁の無かったサラリーマンが、半日で何十ぱいものタコを釣り上げた。雑誌やTV番組などが、この"東京湾の突然のタコの大豊漁"をこぞってとりあげた。
平成四年に入って、この東京湾のタコの異常発生は終わりを告げた。秋が深まった頃からタコはぱったりと釣れなくなり、タコツボ漁の漁師の水揚げもほぼ以前の水準に戻ることになる。
謎の金属板
さて、このタコ異常発生の話題が落ち着いた平成四年の春先、NHKが「東京湾でいま異常が起きている!」という、ドキュメンタリー特番を放映した。番組自体は、タコの異常発生とその顛末を検証することが目的ではなく、ここ数年東京湾に起きた様々な変化や生物の異常発生をレポートしてその原因を探る主旨のものであったが、番組の中ではダイバーが東京湾に潜り、タコが異常発生したあたりの海底をつぶさに水中カメラで撮影した。
この海底シーンで、一瞬だが何か妙な模様の入った土器板とも金属板ともつかない板が、何枚かヘドロの中に半分潜った状態で沈んでいるシーンがTVに映し出された。普通に見ている視聴者の大半は全く気がつかずに見過ごしたシーンだったが、この一瞬映し出された模様の入った板に、首を傾げた男がいた。
縞模様と運河
男はある大学の助手で20代半ば、文化人類学を専攻していた。この日、自宅のマンションでたまたまNHKのドキュメンタリーをぼんやりと見ていたところ、この海底シーンで映し出された板の模様に強い既視感を覚えたのだ。しかし、男はその日論文の執筆で疲れていたこともあって、そのままベッドに入ってしまった。
翌日、いつもの通り研究室へ出勤し博士号取得のための論文にとりかかった。夕方近く、資料調べに疲れた彼は何とはなしに研究室の誰かが置いていったSF雑誌をパラパラとめくった。その本は「二十世紀のSF作家が描いた宇宙」という何かの雑誌の別冊特集で、そこにはジュール・ベルヌからアイザック・アシモフ、レイ・ブラッドベリ、そしてウイリアム・ギブスンまで、古今の様々なSF作家が描いた宇宙観や宇宙像が面白おかしく集められていた。文化人類学を専攻する男は、こうしたSF作家の描く宇宙について、まんざらバカにしたものでもないと日頃思っていたこともあって、既に知っていることが大半とは言え、熱心に本のページを繰っていった。と、あるページでふと手を止めた。そこは、ジュール・ベルヌをはじめ十九世紀から二十世紀初頭のSF作家が宇宙を描く際の最大のモチーフとなった「火星」について書かれたページであり、そこには当時の望遠鏡で見た火星の表面の縞模様の写真があった。そしてその縞模様が多くの学者に「運河」もしくは「運河の痕跡」と考えられていたというコメントとともに、その運河を作った生物であるところの、頭が大きく足がたくさんある異様な姿の"火星人"の想像図のイラストがあった。
男は思い出した。NHKのドキュメンタリー番組の中で海底に沈む板に描かれていた模様は、まさにこの火星の"運河"の模様そっくりだった。そして、番組の中では、その板のあった海底はタコが大量発生した場所だと説明していた。
タコそっくりの火星人、そして火星の運河の地図・・・・・・、男の頭の中で何かがはじけた。
男はすぐに、友人に片端から連絡した。そして、数日後にそのNHKのドキュメンタリー番組をビデオで録画していた人間をみつけ、それを借りてくると問題のシーンをもう一度見直した。例の雑誌を手にしながら、ビデオを静止画にしてもう一度よく観察した。海底の板の模様は確かに、火星の運河の地図そっくりであった。この事実を確認した男は、今度はNHKに連絡した。やっとのことで番組を制作したスタッフの一人の名前を聞き出すと、無理に約束を取り付け、早速会いに出かけた。取材の状況、そして撮影した場所、特に例のタコ大量発生現場である海底シーンの細かい撮影場所を聞いた。
そこは、川崎の沖合い約二キロの地点だった。
川崎沖
男には、少しだがダイビングの経験があった。学生時代、友人と二〜三度沖縄へ出かけた時、ダイビングのライセンスを取ったのだ。ともかく、男はすぐに問題の海底へ潜る決意をした。自分の考えを他人に話せば、まず間違いなく頭がおかしくなったと思われる。自分の考えを確かめるためには、何が何でも自分で問題の板を拾ってくる必要があった。幸いなことに、問題の海底は、深さ十メートル前後と浅い。これならば初心者の自分にでも潜れそうである。
男は、ダイビングスクールを経営している知人の協力を取り付け、約二週間かけて周到に準備したあと、手伝ってくれるスタッフを伴って、川崎沖にボートを出した。男は手伝ってくれるスタッフに、専攻の文化人類学や考古学の研究のために海底の岩石のサンプルを採取する、と適当な口実を話した。
四月の海は冷たかった。借り物のドライスーツを着込んでいるが、そう長くは持ちそうにない。視界は二〜三メートル。比較的きれいになったとはいうものの、やはり東京湾である。そして水深五メートルを過ぎたあたりから、急に薄暗くなった。いっしょに潜ってくれることになった、ダイビングスクールのインストラクターの姿は、すぐそばにいるはずなのにほとんど見えない。
水中ライトを点灯した。眼の前を大きな魚が横切った。ゆっくりと海底に近づいた。
這った姿勢で、つぶさに海底を見ていく。ヘドロが堆積している。そのドロの上を、ときどきハゼのような小魚やエビなどが動く。しかし、生物は少ない。
海底は広くてとりとめがない。目印になるものがない。例の模様入りの板を必死に探すが、見つかりそうにない。既に二十分を過ぎて身体が冷たくなってきていた。酸素も残り少ない。諦めていったん浮上しようとしたその時、半分ヘドロに埋まった見覚えのある板がチラッと見えたような気がした。いっしょに潜っていた男が早く浮上しろと合図をしている。それを無視した男は、板に向かって近づいた。
板に手をかけ、「確かにこれだ、この模様だ、火星の運河だ」と思った瞬間、男はふっと気が遠くなった。 急に周囲が暗くなった。
ムー大陸の秘密
「ふっふっふ、とうとう気づいた人間が現われたか」、どこからともなく声が聞こえた。
その声で意識を戻した男は、おそるおそる眼を開けた。彼は海底に横たわっていた。あまり知覚がない。男はゆっくり首を上げると、ぼんやりとあたりを見回した。驚いたことに何も生物のいないはずのヘドロのつもった海底に、タコが大量にうごめいていた。男は、何千匹ものタコに取り囲まれていたのだ。
「そうだ、お前が気づいた通り我われは火星人だ。今から二十万年ほど前に地球にやって来た。我われは、かつて火星で高度な文明を誇っていた。土木建築から外宇宙航海まで、いまの地球とは比較にならないほど科学技術が発達していた。あの運河を惑星上の交通路として作ったのも我われの先祖だ。」
「しかし、気候の変化によって惑星上の水が徐々に減りはじめた。水が無ければ生きられない水中生物の我われ火星人は、水の豊富な星への移住を決意した。それがこの地球だ。」
「地球に来た当初は、高度な文明を維持していた。あのムー大陸、そしてアトランティス大陸に栄えた地球古代文明を滅ぼしたのは我われの先祖なのだ。その時のムーの記憶が後世に伝わり、火星人の姿がタコに似ているという、実は真実に限りなく近い伝説となったのだろう。」
「しかし、地球の海水が我われの体質に合わなかった。我われ火星人は、徐々に退化し高度な文明を失っていった。地球人はいつの頃からか我われを"タコ"と呼び、時には食糧にさえなった。数少ない優秀な種だけを何世代にもわたってなんとか維持し、我われは地球征服の機会を狙っていたのだ。」
「いよいよその時が来た。かつて火星上に高度な文明を築いていた時代のシンボルであるあの運河の地図を彫った板を掲げて、東京湾に終結したのだ。我われの最初の狙いは地球上で最大の都市の一つである東京だ。」
「お前にはもう死んでもらう。最後にひとついい事を教えてやろう。日本人の食べ物で"たこやき"というのがあるだろう。実はあれは、かつての我々火星人の保育装置の姿が伝わったものだ。生まれたばかりの火星人の小さな子供を十人ほどそれぞれ丸い保育装置に包んでまとめておいた姿がムー大陸の人々に記憶され、その遠い記憶がムーの子孫である日本人に伝わって、あのような食べ物を作りだしたのだろう。たしかに、ムー大陸の地球人はその保育装置を見ていたはずだ。」
「さあ、そろそろじゃま者には消えてもらおう。」
正面で話をしていたタコの足の一本から、何か光線のようなものが男の顔に向かって放たれた。その光線を受けた男は、すっと気が遠くなった。意識が暗い淵に沈んでいった。
エピローグ
気がつくと男はボートの上に横たわっていた。心配そうな顔がいくつも彼をのぞき込んでいる。どうやら、水の冷たさと酸素が切れかかったのとで、海中で意識を失ったらしい。一緒に潜ったインストラクターに助けられたのだ。
「タコ・・・・」と言いかけた男は、思い直すと口を閉ざした。手に持っていたはずの板はなかった。
あれは、幻想だったのか。
それから十年後、男はあれからすぐに研究者として大学に残ることをあきらめ、ある私立高校の社会科の教師になっていた。昔、東京湾の川崎沖に潜ったことは、遠い記憶となっていた。職場で知り合った同僚の女性と結婚して、子供はもう小学生である。
ある夏の日曜日の夕方、子供といっしょに近所の神社の縁日に出かけた。
いっとき、いろいろな夜店をひやかしたあと、ふと「たこやき」の屋台が目に留まった。子供にせがまれるままたこやきを買って、いっしょに歩きながら食べはじめた。
最初のたこやきを口に入れようと、つまようじを突き刺した時「グゥッ」という小さなうめき声が聞こえた。
その瞬間、あの川崎沖の海底での出来事が、はっきりと男の脳裏によみがえった。
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