WS30の世界はオルタナティブ・デジカメサイト。デジカメ、MPEG-4動画、PCの話題、サブカル系の駄文コンテンツをどうぞ…
「バカチョンカメラ」は差別用語か?

 「バカチョンカメラ」というのは果たして差別用語でしょうか?
 実は私はそう思っていなかったのですが、この問題についてちょっと考察してみましょう。


■「バカ」と「チョン」

 まず「バカチョン」(ばかちょん)という言葉は「バカ」と「チョン」に分けられます。「バカ」=「馬鹿」は差別用語ではありません。
 ここで「馬鹿」の語源について書いていると長くなるので省略しますが、要するに馬鹿というのは当て字で、語源はサンスクリットの moha で「愚か」を意味する言葉です。
 問題は「チョン」の方です。

■「チョン」の意味

 「チョン」は「朝鮮」または「朝鮮人」を意味する差別用語…という説を唱える人がいます。確かに、そのように使われる例を知っています。朝鮮高校のことを侮蔑的な意味を込めて「チョンコウ」などと言うのを聞いたことがあります。私の学生時代にはなかった言葉ですが、東京に出てきてから何度も聞きました。
 実は「バカチョン」という形で「バカ」と組み合わせて使う「チョン」は、朝鮮とは無関係で、これまた「愚か」を意味する「チョン」です。
 「チョン」が古くから「愚か」を意味する言葉として使われてきた証拠としては、明治3年(1870年)に発刊された「西洋道中膝栗毛」があります。「西洋道中膝栗毛」の中には「ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと…」という表現があり、「ばか」「のろま」と並列して「ちょん」が書かれています(この話は有名で「バカチョン」に関する論考では必ず引用されます)。明治初期のこの時代に、既に「バカチョン」という言葉が確実に存在したのです。
 ちなみに三省堂の大辞林で「ちょん」の意味を検索すると、いくつかの意味が示される中に、…〔俗語〕一人前以下であること。「ばかだの、―だの、野呂間だのと/西洋道中膝栗毛(魯文)」…との説明があります。

 この「西洋道中膝栗毛」が刊行された1870〜76年と言うのは、日韓併合以前であり、庶民の間にまだ朝鮮を蔑視する風潮はありません。ちなみに、定期的に「朝鮮通信使」が訪れていた江戸時代後期までは、朝鮮は「尊敬すべき先進文化国家」のイメージはあっても、蔑視する人はいませんでした。

 余談ですが、朝鮮出兵を最も強硬に主張したのは西郷隆盛ですね。まあ、西郷に限らず福沢諭吉にも強いアジア蔑視の思想があるところを見ると、西欧文明に必死で追いつこうとした明治の「政治家」や「文化人」達が、最初に日本以外のアジアを蔑視する思想を広めたようです。

※「西洋道中膝栗毛」は、福沢諭吉「西洋事情」のパロディとして、当時人気の戯作者である仮名垣魯文と總生寛によって書かれた。

■もう1つの説

 「チョン」を、独身者を意味する「チョンガー」の「チョン」だという説もあります。
 「チョンガー」は朝鮮語で「総角」と表記し、これは独身男性の俗称です(成人前の独身男性の髪型…を意味する)。昭和50年代に、単身赴任者が札幌に多かったので、「札幌の独身男子」ということから、「札チョン(サッチョン)族」という言葉がで流行しました。この時期はちょうど、「バカチョンカメラ」という言葉が一般的に使われだした時期と重なります。

■日本人の朝鮮観

 日本人の朝鮮観…、私はどのあたりに「標準」があるのかよくわかりません。昔から在日の友人や仕事仲間がいたし、IT関連の仕事で韓国のビジネスマンに会う機会も多く、「韓国や北朝鮮という国、朝鮮半島に住む人々が、日本人一般からどのように見られているか」…ということについて、あまり真剣に考えたことはありませんでした。
 しかし、2ちゃんねるのいくつかのスレなどを見ていると、拉致問題の渦中にある北朝鮮はともかく、韓国人や朝鮮民族に対して意味不明の反感を持っている人はけっこういるようだし、それ以上に韓国と日本の歴史や韓国の現在について知らない人が多いのが不思議です。

 それにしても、「朝鮮半島に住む人々を意味もなく悪く言う」…って、実に不思議な話です。ここでは、日韓併合以降の日本による侵略の歴史については長くなるので触れないことにしますが、江戸時代以降の日韓交流史について、私の拙い歴史的知識で見てみましょう。
 日本は江戸時代までは、朝鮮という国に対して基本的には「敬う態度」を執っていました。特に「学者」「知識人」は、朝鮮の文化に対して深い尊敬の念を抱いている人が多かったのは確かです。
 鎖国をしていた江戸時代に日本が交易していた外国は長崎出島のオランダだけだと思っている人もいるようですが、江戸時代を通して朝鮮とも交易していました。「朝鮮通信使」について、簡単な解説を、作家の杉洋子さんのサイトから引用しておきます。

朝鮮通信使
 李氏朝鮮の国王が武家政権に派遣した使節。室町時代、倭寇の跳梁を抑え安定した貿易体制を築く狙いだった。 とくに江戸時代の通信使が知られる。一行は400〜500人ほど。中国の情報を得たり徳川幕府の国際的な地位を確認する政治的な意義のほか、随行した儒学者、医師、画家らとの交歓で文化面でも多大な影響を受けた。江戸との道中の交流も盛んで、通信使にちなむ祭りや地名が各地に残っている。ただ往復、滞在中の接待で日本側の財政負担がかさんだことなどから、1811年、対馬で迎えたのが最後になった。


 「滞在中の接待で財政負担がかさんだ…」とあるように、朝鮮からの使節は歴代の幕府によって手厚くもてなされたわけです。朝鮮通信使の宿泊した宿には、近隣の文化人や学者が争って押しかけ、書画を見せたり意見を交換したりした…との記録が残っています。
 むろん、知識人の間では朝鮮は「学ぶ対象」の国家でした。特に江戸時代の学問の主流はと言えば、朱子学(儒学)であり、文化的には「中国は親の国であり、朝鮮は兄の国である」…とするのが当時の学者や文化人の通念であったといえるでしょう。江戸時代の日本人は、今日では想像もできないほど朝鮮とその文化に畏敬の念と親近感を抱いていたのです。

 日韓関係の雲行きが少し怪しくなるのは、幕末からです。幕末には「儒学に対抗する学問」としての「国学」が隆盛を見ました。特に幕末の尊皇攘夷の思想は「古来からの日本文化を優位」とみなす一種の中華思想であり、それが討幕運動と結びついたという経緯があります。従って、明治に入ってすぐに「征韓論」が台頭した裏側には、幕末の尊皇攘夷の思想の影響を大きく受けた志士たちが明治の元勲となって国を引っ張った…という背景もあるでしょう。
 とはいえ、幕末の段階ではまだ「朝鮮を日本より下に見る」という思想はありませんでした。第一、国学といえども儒学の影響を強く受けていたましたし、尊皇攘夷の考え方を持つ志士や学者達の中には、完全に儒学をもとにした主張を展開した人も多かったのです。例えば水戸藩の藤田幽谷、東湖の父子は朱子学に基づいて、大義名分、君臣上下の別を説いて尊皇論から攘夷論を展開しました。

 日韓関係の風向きが大きく変わったのは、明治維新後です。当時の李朝末期の朝鮮は、大院君の施政下で幕末の日本を上回るような強硬な鎖国・外国人排斥の政策をとっていました。朝鮮より先に開国して近代化に成功した明治政府は江戸幕府の政策を一変させ、維新後の早い段階で経済的な利権獲得を目的とした朝鮮の侵略的支配を目論みました。さらに明治政府高官内での派閥争いや権力闘争が顕著になる中で、政府高官の一部が外征論によって不平士族の不満を転嫁する政策を打ち出しました。征韓論は、内政問題を外交問題に転嫁して内政に対する国民の不平不満を逸らそうとする現在でも多くの国で見られる政治手法だったわけです。明治政府は鎖国をしている朝鮮にむりやり開国を迫り、1875年には江華島事件を起こしました。朝鮮の領海に侵入した軍艦「雲揚号」に向かって朝鮮側が発砲したことを口実に、江華島砲台を占領し、民家を焼き払って軍民35名を殺害したのです。さらにこの事件を利用して、不平等な「日朝修好条規」を押し付けました。幕末に欧米列強が日本に対して行った帝国主義的侵略を、そのまま立場を変えて朝鮮に対して行ったわけです。また、この行動は当時の米・英政府にも支持されました。
 確かに、日本進出時の当時の朝鮮は大院君の施政を含めて内政上の多くの問題を抱えていましたが、だからと言って他国が軍事介入・干渉して植民地化してもよい…という理屈は成り立ちません。さらに、欧米列強が軍事力を背景にアジア各地で植民地政策をとっていましたが、日本がそれに追随する理由もありません。誰がどんな理屈をつけようと、間違いなく日本は、軍事力を背景に朝鮮半島を植民地化したのです。
 その後、朝鮮覇権を巡る清との勢力争い、日清戦争、閔妃暗殺等を経て植民地支配を強めていった経緯は、歴史の教科書に書いてある通りです。
 いずれにしても、この時代(明治初期)を境に「朝鮮半島に住む人々を一段低く見る」風潮が一般化しました。朝鮮の植民地化を企図した明治政府の政策として、「朝鮮蔑視」の思想が広まり、大新聞の論説などもこれに同調したものとなっていきました。


 さて、朝鮮(現代の韓国・北朝鮮)という国は、古代からの日本との関係における歴史的経緯を客観的に見れば、「日本に多くの文化や学問を伝え、国のあり方に多大な影響を与えた国」です。日本に文化を伝えた国だからといって必要以上に卑屈になって接する必要はありませんが、逆に「韓国に対して差別的な言辞を吐く」というのは、全くのお門違いです。
 第二次大戦後に限って言えば、韓国が経済的・産業的な部分で日本より遅れていた時代はありましたが、現在では既に経済力でも拮抗している…と言ってよいでしょう。第一、戦後の一時期に韓国が経済的に遅れた原因は、長きに渡る日本の侵略的支配と文化破壊が大きな原因の1つですし、第二次戦争後に東西両陣営の大国同士の対立が噴出した朝鮮戦争の犠牲になったせいでもあります。
 現在では、GNPこそ日本を下回っていますが、一部のハイテク分野や自動車産業等において日本と互角またはそれ以上の技術力を発揮しています。大画面液晶の生産では既に韓国が世界一なのは、よく知られるところ。半導体生産でも、日本を上回っています。また、渋谷の最先端ファッションビル「109」のブティックで「カリスマ店員」によって売られている服の大半が、韓国デザイナーの手によるものだ…ということは、知らない人が多いかもしれません。今、日本の若い女性のファッションは、韓国からの買い付けによって成り立っているのです。

 余談ですが、一般的に「朝鮮から日本に伝わった」「韓国が本場」などと思われていて、実は逆に日本から朝鮮半島に伝わったものもあります。その代表的なものは「焼肉」です。七輪の上で肉を焼いてそれをタレにつけて食べる…という焼肉は、戦後の大阪が発祥です。最初に出した店の名前もわかっています。こうした形の「焼肉」という調理法、食事法は、日本から伝わるまで、韓国にはありませんでした。この話は、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞のダブル受賞作品、野村進「コリアン世界の旅」に書いてあります。戦後の日韓関係を知る上で非常に役立つ面白い本なので、ぜひ読んでみて下さい。
 また、韓国料理に欠かせない「トウガラシ」は中南米が原産で、それがヨーロッパ人を通して日本に伝わり、さらに江戸時代に朝鮮に伝わった…というのが定説です(これは「朝鮮から日本に伝わった」「ほぼ同時期に伝わった」などの異説もあります)。

■差別は内なる意識

 さて、私は「バカチョン」という言葉を差別用語だとは思っていません。というよりも、考えてもみなかったことです。私は朝鮮または朝鮮人を意味する言葉として、生まれてから一度も「チョン」を使ったことがないのです(差別なんて考えたことがないのであたりまえです)。また自分の周りにも「チョン」という言葉を使う人がいないため、全く差別用語として考えていませんでした。朝鮮という国に対しては、「日本文化の源流」という意味での一定の敬意はあっても、侮蔑的に考えるなど想像もつきません。
 こうした立場に立って考えれば、「バカチョン」を差別用語と断定する人は、「チョン」という言葉から「朝鮮」を連想するか、実際に差別的に使った経験を持つからでしょう。
 とどのつまりは、差別とは自らの「内なる声」の問題です。差別ということが最初から頭にない人にとっては「差別用語」というもの自体が存在しないのです。
 逆に「差別用語狩り」に熱心な人ほど、過剰に差別を意識していることになります。「めくら判」とか「片手落ち」という言葉を差別用語だと騒ぐ人は、私にはよく理解できません。これらは差別用語ではありません。身障者の私が言っているのですから、間違いありません。
 でも、差別問題で話題になった「ちびくろサンボ」については、私は差別的な部分を多少感じます。異論のある方も多いでしょうが、この問題については別の機会に触れることにします。

■現実に不快に思っている人がいれば…

   しかし、私自身に差別意識がなく、しかも語源的に見て差別用語とは無関係であっても、現実に「バカチョンカメラ」という言葉を聞くと差別されたと感じる朝鮮生まれの人がいれば、それは結果的に「差別用語」になります。
 差別というのは、「差別される側がどう感じているか」が最も重要です。まして朝鮮という国、そして朝鮮民族に対して19世紀末からの日本人が行ってきた、植民地支配と差別の歴史は絶対に拭い去ることはできません。その朝鮮の人が「バカチョン」を差別用語と感じるのであれば、絶対に使ってはいけない言葉です。そこで、実際に朝鮮の人に聞いてみることにしました。私は、比較的親しい知人に韓国籍の人がいます。マスコミ関係の仕事についていて、来日数年目で日本語はかなりネイティブに話す人です。差別問題にもきちんと発言する人です。その彼に「バカチョンカメラ」と言う言葉をどう思うか聞いてみました。
 彼はキョトンとしていました。何が差別なのかよくわからないとのことでした。彼は「バカでも、チョンでも」という日本語の言い回しを知っており、これは「慣用句」だと思っていたそうです。

 結論としては、個人的には「バカチョン」と言う言葉を聞いて差別だと感じる朝鮮出身者が1人でもいたら、私は即刻この言葉を使うことをやめます。
 ある言葉が「差別用語かどうか」は、言葉を発する方ではなく、言葉を受ける側によって判断されるべきだと考えるからです。
    
後日談    2002/2/19

 バカチョンカメラの「バカチョン」は、やはり使うべきではありません。
 バカチョンという言葉に関して、自分では「チョン」という言葉を差別用語として使ったことがない…という理由、さらには韓国国籍の知人に聞いたら「バカチョンカメラ」を差別用語とは思わない…と言われたことなどもあって、私は「差別用語ではないのでは?」と書きました。
 で、この発言を全面的に撤回します。これは数日前に在日二世の大学生達と話した結果です。彼らは大阪の出身者で、小中学生の頃から何度も侮蔑的に「チョン」と言われたそうです。私が小学校から高校までを過ごした名古屋では、私の知る範囲では朝鮮人を「チョン」と呼ぶ習慣はありませんでした。朝鮮人に対して差別的な言動はたくさん見ましたが、「チョウセン」と呼称して差別していました。高校時代には同級生に朝鮮国籍の友人がいましたが、誰かが「チョン」と言った記憶はありません。
 しかし、これはどうも私の周囲の限られた世界での話だったようで、朝鮮人を侮蔑する言葉としての「チョン」は予想外に拡がっているようです。それを指摘された私は、「バカチョンカメラ」という言葉について、あらためて彼らに聞いてみたところ、はっきりと「不快な言葉」と認識すると言いました。やはり「チョン」という言葉と「バカ」という言葉が結びついているということで、非常に馬鹿にされた感じになる…と言うのです。
 さらに、現時点で「2ちゃんねる」などの大規模掲示板上で、朝鮮民族・国家に対して侮蔑的な意味で「チョン」という言葉が多用されている事実も確認しました。実にひどい状況です。
 バカチョンカメラの「バカチョン」が、その語源から見ると差別とは無関係だったことは事実でしょう。また私自身が個人的にバカチョンの「チョン」と「朝鮮人」を結びつけられなかったことも事実です。しかし、現在においては差別用語になり得るということがはっきりとわかりました。また、差別されていると感じる人がたくさんいることも判りました。そう判った以上、語源など問題ではありません。「バカチョン」は差別用語と断定します。従って、今後当サイト内では「バカチョン」という言葉は絶対に使用しません。
 また「チョン」が、いつ頃から、またどんな経緯で朝鮮民族差別の言葉として使われるようになったかを、いずれきちんと調べてみるつもりです。

 私は、職業柄「言葉の使い方」には人より多少敏感な方です(それにしては「このサイト内の文章はヒドイ」と言われそうです…笑)。「書くこと」や「読むこと」にこだわりを持つ多くの人と同じく、十把一絡げの「言葉狩り」は好きではありません。だから、何でもかんでも差別用語と決め付けたくはありません。出来る限り、その言葉が持つ文化的な背景を考えたいとは思っています。「メクラ判を押す」とか「片手落ち」などという言葉は、差別用語として校正段階で削除されますが、これらの言葉を差別用語と決め付けることについては心情的に抵抗があります。
 かといって、こうした言葉を「日本語文化の伝統」を理由に「差別用語ではない」「言葉狩りはいけない」と、あまりに強く主張する人に対しても素直に納得できない部分があります。文化的な背景を重視することは必要でも、あまり伝統にこだわり過ぎるのもおかしいと思うからです。言葉(言語表現)は、時代とともに変化するものだ…と理解しています。「言葉の伝統」を大切にするからといって、現代において上代文学に出てくるような言葉を後生大事に使い続ける理由はありません。同様に伝統を理由に「誰かが不快に感じる」言葉を使い続ける必要もありません。言葉というのは、時代の変化を受け入れながらナチュラルに変化していくべきものでしょう。
 例えば「食べれる」などという「ら抜き言葉」は、生理的に嫌いです。文の中では絶対に使いません。にも関わらず、自分でも話し言葉の中では自然に使っていたりするから恐ろしい。既に、ら抜き言葉は標準的な日本語表現の1つとなったといってもよいし、それを認めてもいます。
 言葉に関しては、敏感でありたいと思う反面、時代の流れや文化の変遷に対して「自然」であることも大切だと考えています。

Email Webmaster if your incur problems.• Copyright © 2001 yama. ALL RIGHTS RESERVED. Since 2001.1.22
※ 当サイトは Internet Explorer6.0 に最適化されています。