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VANILA FUDGE 「YOU KEEP ME HANGING ON」   2003/7/24

 最近TVでよく見るブリヂストン「REGNO」のCFには、VANILA FUDGE(ヴァニラ・ファッジ)の「YOU KEEP ME HANGING ON」という曲が使われています。もっとも原曲ではなくアレンジ版なのが残念ですが…
 ヴァニラ・ファッジの「YOU KEEP ME HANGING ON」は、特に個人的に好きな曲というわけではありません。しかし、紛れもなく1960年代を代表するロックの名曲です。古くは、日本のGS(グループサウンズ)なんかも、多くのグループがカバーしていました。過去に何度もTVCFに使われています。記憶にあるものでは、確か日産が「180SX」のCMに使っていました。
 私は、この曲が流行った時代にリアルタイムで青春時代を送ったわけではないのですが、中学校に入って聴く始めたAMラジオの深夜放送では時々この曲が放送され、聴くたびになんとなく高揚するような気分を味わった記憶があります。


■ヴァニラ・ファッジ

 ヴァニラ・ファッジというグループのサウンドは、一応「ハードロック」のジャンルに入るのかもしれませんが、ソウルっぽいブラックミュージックが底流にあり、さらにそこには「サイケデリック」な空気が流れています。
 むろん、ヴァニラ・ファッジは代表的なサイケデリック・バンドではありません。しかし、ロックの源流の1つでもあるソウルミュージックにサイケデリックな雰囲気を融合させたそのサウンドは、ある意味で「その後のロックの原型を作った」という先駆的な部分を強く感じるのです。またヴァニラ・ファッジには、ベースのティム・ボガート(Tim Bogert)とドラムのカーマイン・アピス(Carmine Appice)という天才的なミュージシャンが在籍し、彼らの活動は一時期グループを組んだジェフ・ベックなどを通して、その後のブリティッシュ・ロックの発展に大きな影響を与えました。
 現在の私が、ヴァニラ・ファッジというグループ、そして「YOU KEEP ME HANGING ON」という曲に特別な想いを抱くのは、この曲が「ロックの底流」「サイケデリックというサブカルチャーの影響」…といった部分を象徴している曲の1つであるからでしょう。

 「サイケデリック」という言葉は、ある年代(40代以上?)の人には高い認知度を持っていると思いますが、「何か派手な色遣いのアウトローなファッションやアート」…程度の認識の方も多いでしょう。実際に、60年代末から70年代にかけての日本では、「サイケ」という言葉は異様なファッションや理解し難い音楽…といった表象的な現象として流行ったようです。また、逆に50代でサイケデリックムーブメントが高揚した時代に詳しい方でも「ドラッグカルチャー」の部分だけが強調されて、「特殊なロックミュージシャンなどが影響を受けただけの異端的なカルチャー」というイメージを持つ方も多いかもしれません。
 私にとって「サイケデリック」とは、もっと精神性が強く、深い部分で「人の生き方」に関わった文化であり、「サブカルチャー」とは言え、音楽を中心にその後のカルチャー本流にも深く影響を与えたものと認識しています。

■サイケデリックとは

 面倒な話はさて置き、せっかく「YOU KEEP ME HANGING ON」の話から入ったのですから、音楽分野でのサイケデリックについて、少し語ってみましょう。

 検索エンジン「goo」の「goo音楽」のジャンル別検索には「サイケデリック」という言葉の説明として、次のように書いてあります。

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 「ブリティッシュ・インヴェージョン」と称されたイギリスのビート・バンドたちが全米チャートを席巻した一方で、アメリカン・フォークの放つメッセージもまたユース・カルチャーにおいて絶大な影響力をもっていた。そう、60年代においての「音楽」とは、人々の「意識改革」に作用するほど大きな影響力をもったものだったのだ。そのような空気のなか多くのバンドたちは、ロックンロールにありがちな「女/車/セックス」というテーマから脱して、徐々に「愛/社会問題/ドラッグ」――といった事象に目を向けていった。そして、この流れの中から発生し、急速に若者層に支持されはじめたのが「サイケデリック・サウンド」である。 ミュージシャンたちは夢幻的で時間を超越するようなサウンドに執心し、ひんぱんに登場するインプロヴィゼーション(即興演奏)には、フリー・ジャズのフィーリングも感じられた。またこの時期、インド音楽に傾倒しサイケデリック音楽に深みを与えたアーティストたちの存在も見逃せないだろう。バーズのロジャー・マッギンが「霧の8マイル」で見せたオープニングギターの調べ、ビートルズのジョージ・ハリスンが多用したシタールなどがその好例である。
 そして、いまさら言うまでもないが、ドラッグ体験から生み出されたシュールな歌詞や音階の複雑さなどが、このジャンルを飛躍させたのは紛れもない事実である。
 このサイケデリック・サウンドは、ムーグなどの電子楽器を使ってドリーミィな世界を呈示するアップルズ・イン・ステレオやクリエイティヴなノイズ・ポップバンドとして名高いザ・フレーミング・リップスらに脈々と受け継がれている。
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 さらに「HINE's Treasure House」という私のお気に入りの非常に優れたロック情報サイトでは、その中の「ロック用語集」でこんな説明をしています。

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 精神科医のH・オズモンドが、LSD(1943年スイスの製薬会社によって発見された合成幻覚剤)の大量投与を人格解放療法だとして考案し、これをサイケデリック・セラピーと名付けたのが語源。1963年LSDの虜になってしまった名門ハーバード大学の心理学助手、ティモシー・メアリーは大学を追放され、メキシコにサイケデリック研究センターが建てると、自らサイケデリック運動の教祖として芸術家達へ想像力を高める薬としてLSDを薦めた。しだいにそこへヒッピー達が集まるようになり、あっという間に若者の間にLSDとサイケデリック運動が広まっていった。60年代後半、このヒッピー発祥の地サンフランシスコを中心に、サイケデリック文化は全米を席巻する。アシッド・サウンド、サイケデリック・ロック(アシッド・ロック)もこの時生まれ、相互関連のない複数のモチーフが脈絡なく現れたり、音を異常に歪めたり増幅したりした。また歌詞も内的で破壊的で色彩的、時には意味不明な状態であった。
 サイケデリック文化の1つとして、ヒッピー/フラワームーブメントがあるが、当時のロックの世界もサウンドのみならず、レコードジャケットなどにもその影響が残されている。また、この時代の真っ只中に開催された、伝説のウッドストックフェスティバルはヒッピー達とロック・アーチスト達の最も象徴的なサイケの祭典であった。
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※無断引用しましたので、問題があれば削除します。

 アメリカのサイケデリックサウンドといえば、上記文中にある「ザ・バーズ」や「ザ・ママス&パパス」など、ウェストコーストサウンド系のグループにも、その影響がみられます。しかし、アシッド・ロックとして知られるのは、やはり、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジェファーソン・エアプレイン…といったグループでしょう。

 サイケデリック文化は、パリ5月革命、アメリカの公民権運動やベトナム反戦運動、中国の文化大革命、日本の全共闘運動など、60年代末から70年代にかけて世界に吹き荒れた、「異議申し立て運動」と深い関わりを持っています。
 しかし、この点に言及すると何十枚も書いてしまいそうなので、また別の機会に触れたいと思っています。

■ロックの定義

 私は、サイケデリック文化は「ロックがロックらしく成長するためのフィルターの役割」を果たした…のだと思っています。

 私は個人的には、「音楽様式としてのロック」…例えば「ブルース(4拍子の2拍目と4拍目にインパクトがある)から派生したオフビート音楽」…のような定義を、全く認めていません。そんな定義を認めるならば、日本の歌謡曲シーンで売れているJ-POPというジャンルの音楽、つまり「クソのような自称ロックグループ」の曲も全てロックになってしまいます。

 私はロックとは「サブカルチャーの産物」だと認識しています。こうした文化的な定義は、ロックという音楽の特徴を考える上で最も重要な問題の1つだと考えます。
 ロックは「個人の精神」ではなく「時代の精神」が生み出した音楽でした。つまり、誕生に必然性があったわけです。また、ロックという音楽が大衆に支持されるに至った背景には、ある時代の文化が育んだ社会現象が存在したと考えられます。
 そしてもう1つ重要なロックの定義に「普遍性」があります。時代を超えた普遍性を持つものだけが「ロック」というジャンルに加えられます。従って、ロックという音楽には「時代区分による良し悪し」は存在しません。つまり、「70年代のロックがよかった」といった言い方はあり得ません。ある時代が生み出したサブカルチャーの表現としてのロックは、そのサブカルチャーの内容によって異なったメッセージ性を持つと思うからです。だから、「70年代のロックが最高」、「いや60年代のロックこそが最高」…というのはバカげた主張です。80年代にも、90年代も、そして21世紀に入った現在でもロックは存在します。ただし、ロックが存在するのは「既成の文化に対するカウンターカルチャー」が存在する場所に限られます。

 こうした「ロックという音楽の文化的な定義」を考えると、サイケデリック文化が持つ「優れてオルタナティブな性向」は、ロックの誕生から完成へのプロセスの中でも、大きな役割を果たした…と考えざるを得ません。

■サイケデリックサウンドの影響

 サイケデリックサウンドの影響を受けたロックミュージシャンの系譜を見ると、まさに「ロックの王道」であることがわかります。
 ザ・バーズ、ザ・ママス&パパスなどのウェストコーストサウンド系のグループ、そして、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジェファーソン・エアプレイン…といったグループがロック史上に与えた影響については、私が語るまでもありません。
 さらには、冒頭で触れたヴァニラ・ファッジのティム・ボガートとカーマイン・アピスがジェフ・ベックとセッションを行ったこと。かれらの影響を受けたブリティッシュ・ロックグループといえば、クリーム、レッド・ツェッペリンなどについても、私には特に語ることはありません。まさに「ロック」そのものの歴史です。

 サイケデリック文化、サイケデリック・ロックは、70年代に入るとニューヨークパンクの誕生にも大きな影響を与えました。ニューヨークパンクの始まりは、60年代後半の「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」です。彼らのサウンドはウェスト・コーストのサイケデリックとは若干異なり、ヘロインの影響が大きく、退廃的・自虐的で、人間社会のタブーを丸裸に描いたものでした。しかし、アシッド・サウンドであることに変わりはなく、また実際に同時代のサイケデリック文化の影響は色濃く受けています。さらに、「アートと音楽との融合」という面でも、サイケデリック文化との類似性は高いものでした。この「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」から始まったサウンドが、テレヴィジョンやパティ・スミスに引き継がれ、ニューヨークパンクの花が開いたのです。
 また「ロンドンパンク」が流行り始めた70年代後半から80年代の初めにかけてのイギリスでは、60年代サイケデリック・サウンドを追求するグループが現れ、彼らは「ネオ・サイケデリック」と呼ばれました。

 さらにサイケデリックサウンドが大きな影響を与えた音楽ジャンルには、プログレッシブ・ロックがります。この手のサウンドのはしりで、しかもサイケデリック文化の影響を色濃く受けたグループとしては、「ザ・ムーディー・ブルース(The Moody Blues)」があります。この「サイケデリックの影響を受けた幻想的なプログレッシブサウンド」の誕生は、「プロコルハルム(Procol Harum)」や「キング・クリムゾン(King Crimson)」、そして幻想的なプログレッシブミュージックの雄である「ピンク・フロイド(Pink Floyd)」を生み出す力にもなりました。さらにその後、エマーソン・レイク&パーマー、イエス、ジェネシスなどのグループが活躍した経緯については、詳しく触れるまでもないでしょう。

 余談ですが、「アートと音楽の融合」という面を強調した言葉として、「アート・ロック(ART ROCK)」という音楽ジャンルを定義することもあります。これは70年代初めに、日本のレコード会社が使い始めた言葉らしいのですが、ジミ・ヘンドリックス、クリーム、ジャニス・ジョップリン、レッド・ツェッペリン、ヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライ、BS&T(ブラッド・スエット&ティアーズ)、シカゴ、アル・クーパー等…が一まとめにされました。これは何となく、商業主義的な匂いがする言葉です。無視してもよいと考えます。

■その後のヴァニラ・ファッジ

 さて話をヴァニラ・ファッジの「YOU KEEP ME HANGING ON」に戻しましょう。
 ヴァニラ・ファッジは、1967年にニューヨークの「フィルモア・イースト」でメジャーデビューしています(サンフランシスコの方ではありません)。
 同名の1枚目のアルバムに収録され、シングルカットされた「YOU KEEP ME HANGING ON」は、もともとモータウンのシュープリームスの曲。原曲はダイアナ・ロス率いるシュープリームスがビルボードチャート '66.11.19.から2週に渡って1位を記録した大ヒットナンバーです。「YOU KEEP ME HANGING ON」という彼らの1枚目のアルバムには、ビートルズの「涙の乗車券」「エリノア・リグビー」、ゾンビーズの「シーズ・ノットゼア」、シェールの「バン・バン」、パティ・ラベルの「フォー・ア・リトル・ホワイル」などカバー曲が多かったのですが、どれも「YOU KEEP ME HANGING ON」と同じくアレンジは抜群でした。
 また、彼らのデビュー曲として「YOU KEEP ME HANGING ON」のシングルがリリースされたのは1967年ですが、ヒットチャートに入ったのは1968年です。彼らの2枚目のアルバムのヒットと共に、1枚目のアルバムからシングルカットされた「YOU KEEP ME HANGING ON」がヒットしたわけです。その後ヴァニラ・ファッジは、実質3年間の活動期間を経て、70年には早々と解散してしまいました。
 コレは余談ですが、あのレッド・ツェッペリンのアメリカでの最初のライブは、1968年にデンバー・オーディトーリアム・アリーナで行われたヴァニラ・ファッジのコンサートの「前座バンド」としての演奏でした。
 解散後のヴァニラ・ファッジは、個々のメンバーに戻って活躍しました。中でもその実力が広く認められていたベースのティム・ボガート(Tim Bogert)とドラムのカーマイン・アピス(Appice)の2人は、後にカクタスというグループを結成して活動した後、ジェフ・ベックと「BB&A(ベック・ボガート&アピス)」というグループを組みました。ジェフ・ベックは、以前から自ら率いる伝説のバンド「ジェフ・ベック・グループ」にティムとアピスを入れたかったのですが、実現しなかったという経緯もあります。  さらに1999年には来日して、あのピンク・クラウドの「チャー」とともに、「CBA(チャー・ボガート&アピス)」として、コンサートを行いました(これは興醒めでした…)。

※この項の一部は上述の「HINE's Treasure House」を参照しました。


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