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画像日記   〜都会に暮らすサイレント・マイノリティの発言

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2003/1/31

 前にも書きましたが、ここのところオフィス近くの行きつけのお店が何軒も閉店したので、新規開拓を目指して池袋西口を彷徨しています。最近は、飲食店も不況のようで、開店するお店も多いのですが、半年も経たずに閉店するお店が増えています。ちょっと美味しいお店を見つけても、すぐに閉店しちゃうのが悩みですね。
 で、今日の画像は、要町交差点近くにある「七輪焼本舗」です(A5301Tで撮影)。
 ここは、七輪の上でいろんなものを焼いて食べる…というシンプルなお店ですが、かなり美味しいので最近ちょくちょく行ってます。ちなみにこのお店は、くまさんに教えて頂きました。


 さてさて、友人がご飯が美味しく炊ける「炊飯器」を購入したいというので、いっしょにネットでいろいろと調べてみました。炊飯器というのは、同じ5合炊きでも、下は5千円から、高いものは5万円を超えるものまで、値段に10倍もの開きがあります。思うに、値段が高い炊飯器ほど美味しくご飯が炊けるはず。
 5万円の炊飯器っていうのは確かに高価だけど、パソコンやデジカメを買うことを考えればたいしたことはありません。炊飯器は毎日使うものですから、5万円で毎日美味しいご飯が食べられるのなら、買う意味はありそうです。
 でも、値段が高い炊飯器はなぜご飯が美味しく炊けるのか、イマイチよく判りません。それに、5万円の炊飯器で炊いたご飯は、5千の炊飯器で炊いたご飯の10倍美味しいのでしょうか?
 そんな疑問解消すべく、Webサイトでいろいろと調べてみました。

 で、その何万円もする高級炊飯器の「ご飯が美味しく炊ける原理」というのは、次のようなものです。

 まずは「三菱 炊飯ジャー、超音波艶炊き、スペシャルエクセレントタイプ」です。以下のような説明がありました。
 「…IH(電磁加熱)で生じる磁力線を超音波発生リングで部分的に遮断することで内釜に1秒間あたり約88,000回もの超音波振動が発生します。超音波で米粒を微振動させて、お米の表面の固いうまみ成分を溶かしていきます。超音波がお米の主成分であるでんぷん内の消化酵素(アミラーゼ)の働きを活性化。でんぷんをどんどん分解してブドウ糖量アップ…」
 …さっぱり理解できません。まず、「IH(電磁加熱)で生じる磁力線を超音波発生リングで部分的に遮断」…という部分が理解できません。それに、「超音波がお米の主成分であるでんぷん内の消化酵素(アミラーゼ)の働きを活性化。でんぷんをどんどん分解してブドウ糖量アップ」…という部分もわかりません。超音波がアミラーゼを活性化するのなら、ねずみ駆除用の超音波発生器を部屋に置いておくと、消化酵素の働きがよくなり、胃腸が健康になるのでしょうか?
 ネーミングもヘンです。「スペシャルエクセレントタイプ」って、ギャグのようですね。

 次に、「SANYO 可変圧力沸騰!おどり炊き!」には、次のようなコピーが書いてあります。
 「世界初!、圧力の力を驚異的な熱対流に変える、可変圧力沸騰!、1.2気圧の加圧と1気圧への減圧をくり返し、内釜内を大沸騰状態に…」
 …これまたよくわかりません。「圧力の力を驚異的な熱対流に変える」というのは、どういうことなのでしょう? これは本当に「世界初」の技術なのでしょうか?
 さらに「内釜内を大沸騰状態に」という部分もわかりません。沸騰というのは、沸点に達することを言いますが、「大沸騰」というのは、普通の「沸騰」とは何か違うのでしょうか?

 そして、「タイガー・ビタクラフトまる釜パワフルIH炊飯ジャー・JIV-G100」には、次のようなコピーが書いてあります。  「パワフルIHと真空断熱ふたでごはんが香り立つ、かまど剛火炊き。すぐれた熱拡散性で剛火をダイレクトに伝える全面5層構造と、熱を逃がしにくい『HK構造』の得厚まる釜、そして釜底の凸部が引き起こすWの対流でおいしく炊けます!」
 …わかりません。「熱を逃がしにくい『HK構造』の得厚まる釜」って何だか、想像がつきません。「HK構造」という言葉も聞いたことがありません。「Wの対流」ってのもわかりません。

 …どの商品の説明を読んでも、私の乏しい科学・化学の知識では理解できない、ご大層なコピーが並んでいます。科学的な裏付けがあるのかどうかも、よくわかりません。結局、5万円の炊飯器は「何故ご飯が美味しく炊けるのか?」については、判りませんでした。
 「こんな意味不明の商品宣伝コピーを書いてるヤツ、バカじゃないか?」…ってのが結論です。

2003/1/30

 「万引き中3死亡事故で嫌がらせ電話、書店閉店へ?」…という記事を読みましたが、これはひどい話です。書店の店長の行動は全く正しいし、私がこの店長の立場なら同じ行動を取ります。電車に轢かれたのは、逃げた中学生が悪い…としか言いようがありません。こんなことで嫌がらせの電話を掛けるアホな市民がたくさんいると思うと、悲しくなります。

 サイト内でインプレッションを掲載したauの携帯電話「A5301T」を解約しました。デジカメとして使うだけなら、SDカードを搭載しているので「電話契約」は不要です。データ通信ができないとGPSで遊べないのが難点ですが、GPSの利用料金は高過ぎます。…ってことで「A5301 T」は、「携帯電話型デジカメ」となりました。
 …で、次はやっぱりSDカード付きのJフォンの「J-SH52」でも使ってみようかと思ってます。むろん「31万画素CCD搭載デジカメ」としてです。

 サーバー移転を機にサイトデザインを変更しています(無理やり理由を作ってます…笑)。現時点では最終的なデザインを決めていませんし、作業途中なので統一性がなく、お見苦しい点やリンク切れなどがあるかもしれませんが、ご容赦下さい。私にWebサイトのデザインセンスがない点は、十分にわかっています。
 …って、考えてみればサイトをどう変更しようとデザインが半端だろうと、管理者である私の勝手です。別に誰の許可を得る必要もないし、謝る必要もありませんね(笑)。

2003/1/29

 インプレスから「インターネットマガジンがリニューアル」というメールが来たので読んでいたら、インターネットマガジンの「1994年創刊号 PDF復刻版のダウンロードができる」と書いてあり、こちらで読んでみました。
 なかなか面白かったのですが、それとともに国内でのインターネットの本格的な普及の歴史は「わずか9年」であり、私のような中年にとっては「つい最近のこと」だと思い、ちょっと可笑しくなりました。

 私の世代には、インターネットの前に、長いパソコン通信の歴史がある人が多いはずです。私もかなり昔からパソコン通信にハマっており、そのせいでインターネットなんて「ごく最近」という感じがします。
 私がパソコン通信を始めたのは、1985年頃です。思えば、もう18年も前の話です。最初は300bpsのテレフォンカプラで、確かPC9801用の「C・TERM」というソフトを使って、「Xモデム」とか「Zモデム」といったプロトコルで、ピアツーピアでデータ通信に使っていました。
 その後、1987年頃にNIFTY-Serveのサービス開始とともに、会員になりました。ほどなくコンピューサーブ経由で米国と通信が可能になりましたね。「草の根ネット」が隆盛を極めたのもこの頃です。当時のアクセスポイントは300bpsと1200bpsだったと思います。1987年頃、エプソンの1200bpsのモデムが、5〜6万円はしました。

 インターネットの最初はあまり記憶にありません。Windows3.1の時代に始めたので、確か1993年か1994年頃です。当時はMacintoshとWindows3.1を使っていましたが、Windows3.1には標準でTCP/IPがサポートされていなかったので、インターネットに接続するためにはサードパーティのTCP/IPソフトをインストールする必要がありました。その上で、「MOZAIC」とか「chameleon」などのブラウザを使いました。最初に使ったプロバイダはアスキー・インターネットだったと思います。
 本格的にインターネットを始めた年ははっきり覚えており、これは1995年です。この年、Windows98が発売され、晴れてTCP/IPがサポートされました。プロバイダも増え始め、前述したアスキー・インターネット以外に、リムネット、IIJ、BEKKOAMEなどが宣伝を始めていましたが、私はA当時設立されたばかりで圧倒的に接続料が安かった3Webに加入しました。最初に「ホームページ」なるものを作ってみたのも、1996〜7年頃です。モデムも1996年頃には14.4Kbps〜28.8Kbpsにまで速度がアップしており、ずいぶん使いやすかったのを覚えています。

 でも、わずか6年前にインターネットに28.8Kbpsでアクセスしていたり、わずか3年前に月額3万円以上するOCNエコノミーで128Kbpsでアクセスしていたことを思えば、ADSLの8Mbpsなんて夢のような話ですし、光ファイバーの数十Mbpsに至っては冗談ののようなとてつもないスピードです。
 反面、インターネット上で見られるコンテンツを見ていると、3年前と較べて情報量は増えましたが質的にはあまり進化していない…とも感じます。確かにブロードバンド向けの高画質動画コンテンツなども増えていますが、その大半はお金を出してまで見たいような代物ではありません。日常的にアクセスするネット上のコンテンツの多くは、何だか時代の進歩、インフラの進歩とは無縁の代物が多いような気がします。人気のある日記サイトやニュースサイト、そして2ちゃんねるのようなコミュニケーションサイトなどを見ていると、人間が「本当に面白いと思うこと」は、実は「ブロードバンド」などとは無関係なのかもしれない…とあらためて思う次第です。

 ところで、「画像日記に画像がない」状況が続いています。最近あまりデジカメを使っていません。心を入れ替えて、せっせと女の子でも撮るようにします(笑)

2003/1/28

 文科省の「トップ30大学」構想に対して批判が集まっています。今日のニュースでも、一部の文化人が共同で「政府の大学改革は文化の破壊だ」…などと反対声明を出していました。
 実績のある大学に補助金を優先的に配分する…というこの構想の骨子については、私は一概に反対とは言えない部分があります。むろん、「誰がどう選ぶのか」という部分でも「国立、しかも旧帝大中心に予算が配分されそうだ」という部分でも、馬鹿げたところはありますが、少なくとも「税金を使った大学に対する助成」に関しては、もっとしっかりと差をつけてもよいと思います。で、どこで差をつけるか…と言えば、やはりその大学の「教育レベルの高さ」でしょう。
 先日センター試験が行われました。ニュースによれば平均得点は50%台後半とのことですが、基本的にセンター試験が「高校の授業で習った範囲」での出題(異論はありますが)であるにも関わらず、正答率が50%前後の人間が「大学に行く」ということの無意味さ…をつくづくと感じます。得点分布で見れば、40%程度の得点の人間から上は90%を超える得点の人間までいるわけで、私などは感覚的に「80%以上程度の得点の人間だけが行くところ」が「大学」であってもよいと考えます。
 現在の大学は、基本的に「学力に関わりなく誰でも入れるところ」に、限りなく近づいています。実際に一部の大学では「高校程度の学力がない」人間が大量に入学し、高校の先生や予備校の先生が大学で補習授業するケースも増えてきました。私の友人が教えている某私立大学の学生の中には、中学校程度の基礎学力すらない人間もたくさんいるとのことです。

 だから、こういう「中学・高校レベルの基礎学力がない人間でも行ける大学」を、「無くしてしまえ!」と言っているわけではありません。そういう「高校で習うべき教科の再履修」をやってくれるような「教育の場」があってもよいと思います。でも、そういう「教育の場」に対する助成は、一切中止すべきです。

 さて、現状を踏まえて、「大学は学力に関係なく誰もが行って学ぶところ」と定義しても、別に構わないとは思います。しかし、「教育レベルに関係なく全ての大学にあまねく税金を注ぎ込む」…というのは、どう考えてもヘンです。私は、国家が教育に使うお金の総額を減らせ…とは言っていません。国民全体の学力を底上げしたいのなら、中学、高校レベルの教育現場にもっと金を注ぎ込めばよいのです。少人数クラスでもマンツーマンでも、何でもたればよいのです。その上で、一定以上の学力を持った人間だけが行ける「教育の場」としての大学をもう一度定義し直し、そこに集中して「高度な学問・研究のための助成」を行えばよいと思います。
 むろん、「学生の学力レベルが低い大学」に対する助成をストップすれば、結果的にそうした大学の多くはつぶれるか、または学費を10倍ぐらいに値上げする必要があるでしょう。それでよいと思います。中学・高校レベルの基礎学力がなくても「名前だけの大学」に行きたい人間は、高いお金を払ってでも行けばよいと考えます。

 以前私は、こんな文章を書きました。
 「……誤解を受ける可能性を承知で過激な表現をすれば、『頭が悪い』という人は『足が悪い』人と同じように考えられるべきです。実際のところ私は足が悪いのですが、だからといってそれが理由で『人間としてのレベルが低い』などとは思っていません。頭が悪い人も同じです。何らかの理由があって知能が劣る人は、たんたんと事実を受け入れればよいのです。知能などというものは、たくさんある人間の能力の1つに過ぎないのです……」

 大学を、「学問をする場所」「高校のレベルを大きく上回る高度な教育をする場所」と定義するならば、そこには「頭を使うことが得意」「平均よりもはるかに頭が良い」人間だけが行く場所にすればよいと思います。それは別に、人間を「頭の良し悪し」や「偏差値」で差別することにはなりません。

2003/1/27

 オフィスの近くに「某有名ラーメン店」があります。私は週に1回ほど、ここでラーメンを食べるのですが、注文するのは必ず「つけ麺」です(ここのラーメンはあまり好きではありません)。いわゆる「あつもり」というヤツです。だいたいは、「メンマつけ麺」か「味玉つけ麺」を注文し、ランチ時は同じ値段で麺1玉か2玉かを選ぶことができます。私は、あまりたくさん食べる方ではないので、いつも「麺1玉」で注文します。
 なかなかの人気店で、お昼休み前後は満席なのですが、私がいつも行くのは午後1時半頃、空いているので職人さんが目の前で調理しているところが見える正面のカウンターに座ります。
 で、話はここからです。週に1回、多い時で2回程度しか行かない私は、なぜかいつもカウンターの中にいる店長に顔を覚えられ、「常連」になってしまいました。別に、店長と話をしたわけではありません。私は昼食時に店の人と話しなんかするのは面倒なので、いつも無愛想に注文して、後は黙って食べてます。でも、常連扱いされるようになってからは、何かとサービスをされます。普通に「メンマつけ麺」を頼むと、やたらと大量のメンマが載っていたり、「ハイ、サービスです」と言われて小さいお皿いっぱいの山盛りのメンマが付いてきたり、「ハイ、チャーシューのサービスです」と言われてバカでかいチャーシューがもう1枚載っていたり…
 つけ麺を食べ終わった後には、必ずつけ汁をスープを割ってくれるのですが、この前なんかは、新しいスープをわざわざ作ってくれました。

 この話、「ラーメン屋の常連になって、いろいろとサービスされるとうれしい」…ということが書きたかったのではありません。「いろいろとサービスされるのはうれしいけど、実は困る」…という話なんです。

 ラーメン屋でオーダーする時は、食べる量や具のバランスなどを考えて、自分が一番食べたいものを注文するわけです。メンマを山盛りにされても、そんなにメンマを食べたいわけではありません。また、ここのチャーシューは大きいので、1枚追加されても別にそんなにたくさんチャーシューを食べたくないのです。つけ汁を割ったスープも、1口か2口飲みたいだけなのに、わざわざ作ってもらったら、全部飲み干さないと悪い気がします。要するに、私はわりと小食なので、量をサービスされても困ることの方が多いのです。それに、麺の量と具のバランスがとれなくなるのも嫌です。

 それにしても困ったことになりました。この店のつけ麺は好物なので、定期的に食べに行きたいのですが、またいろいろとサービスされると思うと憂鬱です。そう考えると食べに行くのが億劫になります。かと言って、せっかくサービスしてくれるのに、行かないのも申し訳ありません。
 それにしても、なぜこんなことで思い悩まなければいけないのか…、ヘンな話です。

2003/1/25

 TVで有名人やスポーツ選手などのインタビュー時の受け答えを聞いていると、「…的には」で始まる言葉をやたらと使う人が多いですね。中でも、何か心境を聞かれたときに、「気持ち的には…」とか「自分的には…」と答える人が多いことが、すごく気になります。

 「的」を大辞林で検索すると、次のように書かれています。

 (1)名詞およびそれに準ずる語に付いて、形容動詞の語幹をつくる。
 (ア)主に物や人を表す名詞に付いて、それそのものではないが、それに似た性質をもっていることを表す。
   …のよう。…ふう。「百科事典―な知識」「スーパーマン―な働き」「母親―な存在」
 (イ)主に抽象的な事柄を表す漢語に付いて、その状態にあることを表す。
   「印象―な光景」「積極―に行動する」「定期―な検診」
 (ウ)物事の分野・方面などを表す漢語に付いて、その観点や側面から見て、という意を表す。上(じよう)。
  「学問―に間違っている」「事務―な配慮」
   〔(ア)〜(イ)は、もと中国、宋・元の俗語で「の」の意味を表す助辞であったものを、
   明治以降、英語の -tic を有する形容詞の訳語に用いたことに始まる〕


 「的」は、一般的に名詞の後に付けて「…的」と使われます。「…的」の後に「な」を付け、さらに後ろに名詞や動詞を付けて「…的な○○」と使う例が一般的です。
 「的」の後に「には」を付けで「…的には」と使う事例はあまり多くはないのですが、それでも「基本的には…」「大局的には…」などは、慣用的な用法として、不自然ではありません。

 しかしこの「的」が、「私的には…」「オレ的には…」「自分的には…」などと使われると、意味がさっぱりわかりません。「自分的」って何でしょう?
 そんな、意味不明の「的」の使い方の中で、もっとも意味不明で不愉快なのが、「気持ち的には…」という言葉です。
 プロ野球の選手などに「今年の抱負は?」と聞くと、「気持ち的には3割打つことをを目標にしたいですね」…みたいな答え方をする人が多いのです。この前は、政治家が「気持ち的には…」で始まる受け答えをしていました。
 「…と思います」とか「自分の気持ちは…です」とか、なぜ正しい語法で答えないのでしょうか。誰が、いつ、「気持ち的には…」で始まる、妙な話し方を教えたのでしょう。学校でしょうか?

 私は、言葉の変化、特に話し言葉の変化はほぼ無条件に認める方向です。時代とともに言葉が変化することに全く異存はないのですが、そんな私でも「気持ち的には…」という意味不明の使い方は許容できません。

 そう言えば、この「…的には」という使い方、文語にも入ってきています。パソコン雑誌などでも、「スペック的には…」という使い方をするライターが増えてきました。自分は使うつもりはないのですが、そのうちに普遍的に認められる表現になっていくかもしれません。

2003/1/24

 あいかわらず文庫本の新刊を買い漁る日常ですが、最近ますます気が短くなってきました。…というのも、読み出して10分、そうですね30ページほど読んで面白くないと、そこで一瞬で最終ページまで走り読みし…結末を読んで、もう次の本に移ります。ともかく壮絶な「読み捨て」の様相を呈してきました。ここ十年ほどは1日2冊ペースで買い込んでいたのが、昨年の秋ぐらいから購入量が「2日で5冊」ぐらいに増えています。1ヶ月で100冊弱のペースでしょうか…、うち1/3はほとんど読まれずに部屋の隅に積み上げられていきます。
 前から書いているように、読むのは翻訳モノのミステリーとエンターテイメント小説が中心ですが、面白そうな新刊の発行が追いつかないので、最近は国内作家のエンターテイメント作品の新刊も、以前よりよく読みます。でも、私がこの日記に書く「書評もどき」も、翻訳ミステリーの話が多いはずです。国内作家のミステリーで「これはいい」という作品にはメッタにお目にかかりません。
 西村京太郎や赤川次郎のような駄作多産型ベストセラー作家の作品は手にも取りませんがが、概ね文庫・新書で新刊として発刊される作品の大半は書店の店頭で、パラパラと眺め、そのうちの何冊かは買い込みます。

 それにしても国内のミステリー作家としての力量となると、高村薫が一頭地抜けています。一頭地抜けている…なんて表現は生易しいかもしれません。比肩し得る作家がいない…というのが実情でしょう。
 ミステリー作家というよりも、「エンターテイメント作家」という括りかたをするなら、宮部みゆきや大沢在昌あたりも読めないこともないですが、高村薫が見せる「細部を緻密に描き」しかも「人間の心の襞を抉る」という豪腕振りを読んだ後では、宮部みゆきも大沢在昌も「適当にお茶を濁して書いている」という感が否めません。
 現時点で、かろうじて高村薫に追随する力量を見せているのは佐々木譲、真保裕一、貫井徳郎あたりでしょうか。その次ぐらいに、藤原伊織や逢坂剛が来る…といったところでしょう。
 島田荘司は癖が強すぎ(…とは言え全作品を読んでるところが悲しい)、京極夏彦は技巧に走り過ぎ、その他、綾辻行人に始まり、折原一、有栖川有栖、二階堂黎人、歌野晶午、法月綸太郎、森博嗣、西澤保彦…と続く新本格派の連中が書く本は、もううんざりです。一応どの作家も数作品は読んでいますが、最近ではまず手に取ることはありません。
 もともと中学生時代に創元推理文庫を読み漁ることで始まった私のミステリーライフ、やはり最初はエラリー・クイーンやヴァン・ダイン、クロフツなど「謎解き」を中心に楽しんでいました。特に、ヴァン・ダインの「ファイロ・ヴァンス」シリーズが大好きでした。こんな私ですから、自分が高校生ぐらいの時に「新本格派」にめぐり合っていたら夢中で読んでいたかもしれません。しかし、「スレッからしの読み手」に成り果てた現在では、到底彼らの「本格」と称する作品を読む気がしません。でも、笠井潔だけはけっこう読むかなぁ…
 とは言え、国内作家の作品でも、たまに収穫もあります。面白くもなんともないミステリーを書く作家だと思っていたのに、意外な力量を見せたのが東野圭吾で、「白夜行」は無条件で面白かった。この手の作品で言えば、最近では戸梶圭太を絶賛したいですね。「闇の楽園」や「溺れる魚」あたりに登場する人物の、なんとも言えない「悪意」がたまりません。これらに匹敵する作品となると、鳴海章の「俺は鰯」「真夜中のダリア」あたりぐらいかなぁ…
 で、国産ミステリーの最高傑作を1冊挙げよ…となると、これは以前も書いたとおり、高橋治「自白の構図」(文春文庫)です。この本については、以前こちらに感想を書きました。
 要するに私は「ミステリーが好き」なのではなく「小説が好き」なようです。

2003/1/23

 ちょっと前の記事なんですが、「クローンノートPC市場で躍進する台湾メーカー」というコラムは面白いですね。
 「…紫色をテーマカラーとしている人気ブランドVのオールインワンタイプは、Intel CPU搭載機はASUSTeK製で、AMD CPUはQuanta(廣達)製。このほか、N社はArima(華宇)、F社はWistron(緯創)、SH社はMitac(神達)といったメーカーで生産代行をしている…」…これって、SONYを始め、NEC、富士通、シャープのノートPCの話です。日本ビクターのInterlinkのような超小型・軽量マシンもASUSTeKのOEMというのだから驚きです。デスクトップPCは6〜7年前からOEMが当たり前ですが、ノートも国内生産は壊滅しつつあります。だからどうした!…って話じゃないですが、VAIOノートもInterlink もOEM製品だってのは、まだまだ知らない人が多いかもです。
 「サンフランシスコ市当局、『セグウェイ』の歩道走行を禁止」…という記事、かなり納得です。個人的には解禁して欲しいですが、「重量約36キログラムで時速20キロ」となると歩行者にぶつかった場合、その衝撃は「大怪我必至」って感じです。反射神経が鈍い人も乗るでしょうから、当面は規制せざるを得ないでしょうね。
 ところで、「Webのフレームに特許?」という記事には驚きました。以前、「ハイパーリンク特許訴訟、あっけない幕切れ」…という顛末があったので、今回も大丈夫だとは思いますが、フレームに特許が認められたらやっかいです。もっとも、この「WS30の世界」というサイトはフレームを使っていません。私はどちらかというとフレームを使ったサイトが好きではないのでです。
 このサイト…と言えば、そういえば昨日で開設2周年を迎えました。飽きっぽい私が2年間も同じことをやり続けるなんて、これはもう奇跡に近い。それにしても、2年も続いている理由の1つは「テキストコンテンツ」が中心であることですね。駄文書きは私の「習性」のようなもので、苦にならないのです。
 それと「首尾一貫した主張をしよう」とか「サイトポリシーに忠実にやっていこう」なんて、全く考えていない「いいかげんさ」も長続きの理由かもしれません。私には、確固たる信念…というものがないので、気楽に思い付きを書けます。
 考えてみれば、何につけても「信念を持つ人」ってエライですね。私は、「人生はいかに生きるべきか」というような大きな問題から「どんなデジカメがいいか」という些細な問題に至るまで、あらゆる事象や命題に対して全く信念を持たずに生きています。  このサイトに書いていることだって、「ホントにそうだろうか?」と、自分で書いたことを自分で疑う始末。そりゃそうですよね。「人生」やら「世界観」やらに関する信念がない人間に、デジカメに関する信念なんてあるはずがないですよね。…というわけで、サイト内に書いてあることは、概ね管理人の「気まぐれ」「思い付き」程度のことと考えて下さい(笑)

2003/1/22

 2001年10月にアルテック、三洋電機、ペンタックスの3社で、リユース可能なデジタルカメラ「撮ってもEG」を共同開発し、コンビニエンスストアで、1980円(24枚プリント代込み)でテスト販売を行った…という経緯については、覚えておられる方も多いでしょう。私は、この「撮ってもEG」を実際に購入した顛末を、「画質は悪く、使い勝手もダメ…撮ってもEG」というインプレッションで報告しました。
 画質はひどいものだったし、何よりもビジネスモデルとして成立しない点を指摘し、成立し得るビジネスモデルとして「とりあえあずはもう少し高機能のデジカメを用意し、いちいち身分証明書をコピーした上で会員カードを発行し、その上で会員にレンタルする形で貸し出せばよい…」と書きました。

 最近になって、あの「撮ってもEG」のビジネスについて誰も話題にしなくなった…と思ったら、実はアルテック、三洋電機、ペンタックスの3社が「ギア・ヌーヴ株式会社」という新会社を設立して、新しいビジネスをい始めていました。それはこちらです。

 ギア・ヌーヴは、新たに通信機能付きデジタルカメラ「現場でEG」を開発し、建設業や不動産業など、事業者向けに月決めでレンタルするビジネスを開始する…、ということです。
 まあ、個人にレンタルする仕組みを作るのは面倒でも、事業者向けなら身元確認にもあまり手間を取られず、現実的です。
 で、この「現場でEG」というのが、「有効画素数31万画素、電源ON/OFF、シャッター、ストロボON/OFF、画像送信だけのシンプルな機能のデジタルカメラ」というのですから、まあ基本的には「撮ってもEG」と同じです。違うのは、レンズの画角が28ミリと広角であること、そしてCFスロットを備えPHSデータ通信カードで撮影データを伝送できる点です。つまり、現場で撮影した画像をすぐに本社なりに伝送できることを「ウリ」にしているわけです。
 アイデアは輪からいないでもないのですが、これは既にカメラ付きの携帯電話を遣って同じアプリケーションを展開している事例が多い他、次世代携帯電話システムが最大の業務用アプリケーションと位置づけている分野でもあり、完全にバッティングします。携帯電話よりは容易に「送信ボタンを押すだけの簡単操作」でサーバーに伝送できる点をセールスポイントにしていますが、携帯電話の画像送信に慣れた最近のユーザーは、携帯電話を使うシステムの操作性の方がかえって馴染みやすいような気がします。またPHSデータ通信は、次世代携帯電話と較べて伝送速度が速いわけではありません。さらに、「サーバー」を使うクローズドな仕組みは一見便利なようで、ユーザーの自由なシステム構築を妨げます。伝送された画像をどのように利用するか…という問題も含めて、私なら既存の携帯電話の「メール添付」型の方が使いやすいですね。
 そして最大の問題は、なぜ「31万画素なのか」という点です。携帯電話のカメラですら35万画素のCCDが使われる時代に、「現場でEG」がわざわざ31万画素の撮像素子を使うのか、その理由がわかりません。それに、まさかまたしてもCMOSではないでしょうね(撮像素子の種類は発表していません)。「撮ってもEG」同じ画質なら、私のカメラ付き携帯電話「A5301T」よりも画質は悪いですね。それじゃあ興醒めです。
 これで、月額2000〜3000円のサービス料金を想定しているそうですから、結局のところ、このギア・ヌーヴの始めたビジネスは、現時点ではあまり魅力的なものではありません。
 ただし、この「現場でEG」が28ミリの広角レンズを採用している…という点だけは興味しんしんです。28ミリの単焦点レンズを搭載した普及クラスデジカメは、未だに存在しません。この「28ミリ」部分への興味だけからですが、「現場でEG」でちょっと試写してみたいですね。

 ギア・ヌーヴさん、よければ「現場でEG」を私にお貸し下さい。テストして差し上げます(笑)。31万画素の撮像素子がCMOSではなくCCDであり、しかもキレのよい28ミリレンズを搭載しているのなら、意外と優れたお散歩カメラになる可能性だってあります。

2003/1/21

 Microsoftは米国で独占禁止法違反で訴えられていますが、Macintoshの日本国内での販売状況だって、独禁法違反を疑いたくなるほどエグイ感じがします。Macintoshの値段というのは、基本的にどこで買っても大差がありません。最新のiMACにしてもPowerBookにしても、家電量販店や大手パソコン店の価格は完全に横並び。Macintoshストアでの購入価格とほぼ同じの上、ポイントも2%しか付かないのが普通です。不思議な話です。価格comなんかでたまに安い店があっても、ちょっと購入をためらうような得体の知れない店が多く、しかも在庫がないケースがほとんどです。先日、たまたま必要があってMacintosh「iBOOK(M8860J/A)」を購入しました。PowerPC G3 700MHzですから、既にスペック的には古いものですが、このマシンですらどこで買っても価格は横並びでした。
 それに、MacintoshでPhotoShopやIllustratorあたりをまともに動かそうと思うと、最低でもメモリは512MBは必要です。Macintoshのボリュームゾーン機種が標準搭載メモリ128MBで販売しているのは、ユーザーをバカにしています。Macintoshは増設メモリの値段が高いため、実質メモリ代を2〜3万円プラスする必要があります。
 PowerBookにしてもiBookにしても、ノート型のコンセプトが皆同じなのも気に入らない。2Kg以上あってお世辞にも軽いとは言えず、およそモバイル用途には不向きです。おまけに、揃いも揃ってPCMCIAカードスロットを搭載していない。USB2.0の搭載も遅れています。IEEE1394については対応する周辺機器が非常に少なく、汎用性が低いので勘弁して欲しい。
 他の周辺機器でも、Macintosh用は高過ぎます。内蔵HDDやビデオカードなどが自分で交換しにくいのも難点です。
 Macintoshのデザインも最近はヒドイですね。現在のMacintoshのデザインは、「Windows機に対するアンチテーゼ」としか感じません。私は、iMACのお碗型デザインにもあきれましたが、他のハイエンドG4だって、オートだって全部が妙にガキっぽいデザインです。Macintoshのデザインに多様性がないことは、互換機がないことの典型的な弊害です。今回買ったiBookだって、真っ白の半透明のノートPCなんて、女子高生ならともかく中高年ユーザーには非常に使いにくいもの。私は人目でPCを使うときには「目立たないこと」が第一ですから、こんな白いPCは絶対に人前で使う気にはなれません。
 そしてユーザーインタフェースもひどい。WindowsもMeあたりから画面がゴチャゴチャしてきて非常に嫌いですが、Macintoshも似たようなもの。画面下にズラッと並ぶ子供じみたアイコンを見ていると、非常にウザイです。起動に時間がかかるのも相変わらず。せっかく「アンチWindows」で行くのなら、もうちっとシンプルでマシなデザインにして欲しいですね。
 かつて、日本国内でビジネスにパソコンを使おうと思えば、PC98かMacintoshか…しか選択肢がなかった時代に、Macintoshは実に新鮮でした。それが、最近のMacintoshは高い・ダサイ・使いにくいの3拍子揃っています。

 こんな話を書いているからと言って、私がよくある「Macintosh Vs Windows」の図式の中での「アンチMacintosh派」だなんて、ステレオタイプに思わないで下さい。Macintoshに関しては、以前も書いたように、私自身が熱烈な「Macintoshエバンジェリスト」であった時代があります。周囲のあらゆる人間にMacintoshを勧め、オフィスをMacintoshで埋め、自らもMacintoshのヘビーユーザーであっただけでなく、自分の会社でMacintosh用のソフト開発までやりました。特にDTPに関しては、今なおMacintoshを使い続けています。筐体デザインだって、昔のMacintoshは好きでした。SE30のデザインは大好きでしたし、CXやCIあたりもシンプルで実にいいと思っていました。

 パソコンなんて好きで使いやすいものを購入すればよいのですから、MacintoshOSを使おうとWindowsを使おうとLinuxを使おうと、そんなものは自由です。現在、MacintoshOSに較べてWindowsの方が優れたOSだなんて言うつもりは毛頭ありません。ただし、ハード環境に関しては、MacintoshよりもWindowsの方が優れています。Windows機には機能や部品構成の多様性、そしてデザインの多様性があり、それらを自由に選択できるだけでもWindows機の方がマシです。そしてWindowsのほぼ全てはLinux機として使えます。MacintoshもOSXがLinuxとは言っても、簡単にLinux標準ソフトが使えるわけではありません。

 iBookを購入して、そのデザインのチャチさと性能の悪さ、ビジネスパソコンとしての対性能比で見る値段の高さに怒りを感じ、思わずMacintoshに対して罵詈雑言をぶつけてしまいました(笑)。何か、見当違いのことを書いていたらご容赦を…

2003/1/20

 まずは写真を見て頂きますが、これは京都「出町ふたば」の豆大福です(CP2500で撮影)。河原町今出川を上がったところにあるこのお店では、「名代 豆餅」と呼んでいます。この豆餅は、当地でも絶大な人気を誇っており、行列の絶えない店としても知られています(こちらを参照)。
 普通は東京では買えないのですが、現在、新宿の伊勢丹で「京都店」をやっており、ここで「出町ふたば」が東京で初めて出店を出してこの豆餅を売っています。京都で何度も食べたことがある私は、この話を聞いて早速知人に頼んで「1時間並んで」買ってきてもらいました。それが、写真の豆大福です。
 で、お味の方ですが、「美味しい」の一言。こし餡は節度のある甘さで、皮の方は非常に上品、よい意味で求肥のような滑らかさです。むろん求肥は使われていません。私は、1個では足りなくて、思わず2個食べちゃいました。

 東京で豆大福と言えば、上野の「岡埜栄泉」と、護国寺の「群林堂」です。「岡埜栄泉」という名前の店は東京のあちこちにありますが、豆大福の本家は上野広小路松阪屋前にある「初租 岡埜栄泉総本舗」でしょうか。ここのは甘過ぎず、適度に上品な味です。
 個人的には護国寺の「群林堂」の豆大福が一番好きです。ともかく、甘さも十分なしっかりとした餡です。皮にはえんどう豆もいっぱい。なんというか、上品って感じではなく、いかにもこれが「豆大福」という存在感があります。1個120円と安いのもいいし、ボリューム感もありますね。

 私がお勧めする豆大福の隠れた名店は、京橋にある和菓子店の「桃六」です。創業140年の老舗なのですが、あまり雑誌等でも紹介されず、知らない人が多いかもしれません。ここの名物は「桃太郎団子」なんですが、豆大福も絶品です。近所のOLが並んで買ってたりします。

 サイトの方はDNS変更が行き渡ったので、どうやら落ち着きつつあります。まだ、一部のリンクが乱れますが、時間をかけて直していきます。また、「サイト内検索」で使っているプチナマズのCGI設定が終わっていませんが、これも本日中には設定できると思います。
 あとは、新しいCGIをいろいろなブラウザで確認する作業も残っています。これも、今しばらくお待ち下さい。

2003/1/18

 サーバー移転で非常に混乱しています。今回は、ドメインもそのまま移転するので、一咋日米国の旧サーバー管理会社にDNSサーバーの移転依頼を出しましたが、そこで混乱が発生しました。旧サーバー管理会社が、私からのDNS移転の依頼のメールが届くのとほぼ同じ時期に、サーバーの自社内移転を行ったのです。要するに、旧サーバーのIPアドレスを変えられちゃったのです。で、DNS移転通知の方は、いまのところまだ反映されていません。どう考えても複雑な状況になりました。
 現在、「WS30の世界」のコンテンツは、3つのサーバーに入っている状態です。HTMLコンテンツの方は、こうして複数のサーバーに入っていておも構わないのですが、問題はCGIです。このサイトでは、「Today's Watch」「動画・静止画掲示板」「意見交換掲示板」「アクセスカウンター」の4つのCGIが使われています。で、これはとりあえず移転予定の新サーバーに移行しました。しかし、まだDNSの移転は反映されていません。そこで、トップページのリンク先を、ドメイン名ではなくIPアドレスで記述しました。ただ、このサイトはフレームを使っていないので、全ページに掲示板へのリンクがあります。トップページ以外の掲示板へのリンクは、とりあえず旧掲示板へリンクし、そこに新掲示板への移転通知を表示する…という方法を取りました。また、旧掲示板へ直リンしていた方も、同じように旧掲示板へ飛び、そこの移転通知を見て頂くことになります。ただし、あと数日以内には、旧掲示板へのDNS名でのブックマークはそのまま新掲示板へのブックマークとして有効になります。
 本当は、新サーバーへの移行と同時にサイトデザインを一新するつもりでしたが、ゴタゴタが続いていているので、当分デザイン変更はしません。
 新しい「動画・静止画掲示板」は、以下のアドレスです。CGIも変更したので、もうトラブルはないと思います。気が向いたら、画像をアップしてやって下さい。

http://210.161.170.73/ws30/cgi-bin/imgboard/imgboard.cgi (動画・静止画掲示板)

 なお、旧い動画・静止画掲示板は「閲覧のみ」にしました。サイトを始めた時からのログを保存してありますので、いずれ何らかの形で全画像を公開できる形にするつもりです。
 また、新しい「意見交換掲示板」は、以下のアドレスです。よろしくお願いします。

http://210.161.170.73/ws30/cgi-bin/bbs/minibbs.cgi?log=log1 (意見交換掲示板)

 サーバーの移転は本当に面倒です(泣)。他に、仕事で使っているメールアドレスの設定やら、FTPの設定など、膨大な作業量になりました。とは言え、新しいサーバーは国内の某データセンターに設置し、レンタルではなく新規に1台を丸ごと使っています。従って、サーバースペースは40GBと膨大なものになりました。バックボーンの帯域もかなり広いので、相当の転送量に耐えられるはずです。

2003/1/16

 新コンテンツ、製品評価記事の「裏」を読む…を、掲載しました。
 ところで、現在本サイトのサーバーを移転中です。URLは変わりません。今週いっぱいかけて移転作業を行う予定ですが、DNS移転の通知が全てのサーバーに行き渡るまで、2つの異なるIPアドレスにアクセスする状況が続きます。
 もし、本サイトをIPアドレスでブックマークしている方がおられましたら、来週以降、確認の上で変更して下さい。

2003/1/14

 私の知人の女性で、携帯電話販売店で「携帯電話のライオン電池を下さい!」と言った人がいます。そうです、もうおわかりだと思いますが、「ライオン電池」とはリチウムイオン電池のことです。彼女の持っている携帯電話は充電してもすぐに電池がなくなるので、友人に話したら「それは電池がないのよ」と言われたそうです。それで、電池の部分を見たら「Li-Ion battery」と書いてあります。彼女はこれを「ライオン・バッテリー」と読んだのでした。

 実にバカバカしい話ですが、けっして笑えない話でもあります。人間は誰でも、いわゆる「思い込み」というヤツがあり、長期間に渡って間違った解釈をしていることに気付かない例があります。
 やはり私の知人で、「赤鼻のトナカイ」の「暗い夜道は ピカピカの お前の鼻が役に立つのさ」という歌詞を、「暗いよ、道は ピカピカの オマエの鼻が役に立つのさ」…と、大人になるまで思い込んでいた人がいます。「暗い夜道は」という部分は、「暗いよ、道は」でも、意味が通じるところがミソですね。
 ミソと言えば、こんなヘンな話も聞きました。「神のみぞ知る」という言い回しがありますね。これを「神の味噌汁」、つまり「神が作った味噌汁」だと思っていた…という人の話です。ちょっと眉唾ですが、聞いた時にはけっこう笑いました。
 かくいう私も、「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か」という童謡「赤とんぼ」の歌詞を、長い間「追われて見たのはいつの日か」だと思っていました。子供が背中に背負われている情景ではなく、赤トンボに追っかけられている情景を想像していたのです。

 話は変わりますが、ちょっと前に、英国に住むアルジェリア国籍の男性らが植物性の猛毒リシンを所持していた事件が話題になりました。リシンは、ヒマシ油の原料として世界中で栽培されるヒマから得られる「毒素タンパク質」とのことで、このリシンを摂取すると肝臓や腎臓の壊死を起こし、体内に直接注入すると多臓器不全などで死亡し、空中に散布すると広範囲の人々が呼吸困難となるそうです。毒性は青酸の6000倍で、少量でも致死性が高く、生物兵器に転用される可能性もあるとされています。
 ところで、リシンと言えば、昔生物の授業で習った必須アミノ酸の「リシン」を思い出しませんか。アミノ酸は全部で約20種類あります。そのうち9種類は人間の体内で合成できず食品から摂取しなければならないので、「必須アミノ酸」と呼ばれます。必須アミノ酸は、「バリン」「イソロイシン」「ロイシン」「トレオニン(スレオニン)」「リジン(リシン)」「メチオニン」「フェニルアラニン」「トリプトファン」の8種類(子供は「ヒスチジン」をプラスして9種類)です。
 前置きが長くなりましたが、この必須アミノ酸の「リシン」と、ヒマから作られる猛毒のタンパク質「リシン」とは、同じものなのでしょうか? それとも違うものなのでしょうか? 片やタンパク質で、片やアミノ酸ですから、よく似た物質です。この話とても気になるので、化学に詳しい方、誰か教えて下さい(笑)

2003/1/13

 各地の今年の成人式は比較的平穏に行われているようですが、平穏であろうと大荒れに荒れていようと「成人式なんて無意味なセレモニーは不要」という結論については、議論の余地なんてないと思います。
 各自治体とも、若者を集めるために、子供騙しの記念品を配ったり、ひどいところでは座席番号によって景品があたる…なんてアトラクションを行ったり、二流タレントを呼んでコンサートをやったり…と、内容はひどいものです。地方自治体の首長や地方議員、地域の有力者が壇上に上がって「成人への祝辞」を述べる…というのが基本ですが、20歳になって何がオメデタイのかさっぱりわかりません。成人側の「誓いの言葉」なんてのも実にアホらしい。まあ、甲子園の高校野球大会の「選手宣誓」と同じぐらい無意味です。

 おそらく日本中の誰もが「無意味」「予算の無駄遣い」と考えているのに、各地方自治体が成人式をやり続けるのは、おそらく次の4つの理由によるものでしょう。
  • 新しく選挙権を得る選挙民を一堂に集められる絶好の機会であり、自治体首長を含む次回選挙の有力な候補者が自分の名前をアピールする場と認識している。
  • 壇上から華々しくスピーチしたり、えらそうに説教するのが好きな「大人」が、そうした自分の欲望をアピールする機会と考えている。
  • 着物メーカーとって最大の需要場面であり、業界団体がさまざまな形で成人式継続のための圧力をかけている。
  • 長い間「慣例」として行っていることをやめられない、予算を確保してあるのでやめられない、他の自治体がやっているから自分のところもやる…というバカ役人の自己保身。
 もっと不思議なのは、こんなものに「参加する」新成人がたくさんいることです。ひどい自治体になると「新成人が自主的に成人式を作る」なんてのが話題になってます。私は、成人式で暴れるヤツのことはタダのバカだと思ってますが、おとなしく出席して政治家の挨拶を聞いたり、成人の誓い…なんてやってるヤツも同じ程度にバカだと思ってます。
 そういえば、一昨年の高知市の成人式で騒いだ新成人を「静かにしろ、出ていけ」と一喝し昨年は欠席した橋本大二郎・高知県知事が、「ご自身の時代の成人式は?」と聞かれて「私は式には出なかった。役所に呼ばれて集団で行事するのは好きではなかった…」と答えています。私は、橋本大二郎なんて政治家はどうでもいいのですが、「役所に呼ばれて集団で行事するのは好きではないので成人式には出ない」というのは、20歳の人間としてはごくまっとうな反応だと思います。

 別に体制とか反体制とかいう問題ではなく、20歳の若者が、国や官公庁・自治体など「お上」が決めたお仕着せのセレモニー(例え自主的に作った形になっていようと同じ)に、何の疑問も持たずに嬉々として参加するような世の中って…クソだね。

2003/1/10

 銀塩、デジタルを問わず、カメラというものは「高画質の写真を撮る」という1点で見ると、サイズが小さ過ぎてはマズイわけです。小さいカメラはグリップしにくく、軽いカメラは重量でシャッター押す動きの衝撃を吸収できません。要するに、手ブレしやすいわけです。また、小さいカメラほど、スイッチやボタン類を小さくせざるを得ず、またスイッチのレイアウトも窮屈になり、その結果操作性が悪くなるわけです。
 小さいカメラは、さらに高画質化に不利な点があります。それは光学系が小さくなるので、解像度や収差の面で不利になります。デジカメの場合には、バッテリー寿命の面でも不利です。小さいカメラはバッテリーの体積を小さくせざるを得ないからです。  こうしたことから、「極端に小さいカメラ」というのは、銀塩時代からある意味で「キワモノ」的に扱われてきました。
 銀塩コンパクトの世界で「小さけれども高画質」というジャンルを確立したのは、京セラの初代「CONTAX T」でしょう。その後、ミノルタ「TC-1」やリコー「GR-1」などが次々と発売され、高画質コンパクト…というジャンルを確固たるものにしました。

 デジカメの世界も同じです。携帯に便利という意味での「ある程度の小型化」はユーザーから歓迎されましたが、あまりに小さすぎるデジカメは、メーカー自身もコンセプトし難かったと思います。
 しかし、こうした状況を一変させたのが、ソニー「DSC-U10」とカシオ「EXILIM」、そしてミノルタ「DiMAGE X」あたりの製品群です。いずれも、「一番小さい」とか「一番薄い」を、明確なセールスポイントにしました。特にソニー「DSC-U10」は、非常に小さいにも関わらず、そのあまりの面白さによって「これでは手ブレするし、まともな画像は撮れない」という正論を、封じ込めてしまいました。小さくてもそこそこの画質であれば面白い…という評価を確立したという意味で、非常に意味のある商品化でした。こうした小型カメラがヒットする状況を見て、デジカメ各社ともに「超小型・コンパクト機」の分野に注力し始めました。

 なぜ、こんな評論家っぽいつまらない話を書いたかというと、昨日、カシオ「EXILIM ZOOM EX-Z3」、PENTAX「Optio-S」と、立て続けに300万画素、3倍ズームの超小型・軽量デジカメが発表されたからです。
 小型デジカメ大好き人間の私としては、両機種ともそれなりに魅力的ですが、強いて言えばズームではなく単焦点でシンプルな高画質機種として発売して欲しかった…と思うのです。確かに、そろそろ「超小型デジカメ」が本格的に市民権を得始めてきたとは思います。でも「超小型・高画質機」というのは、デジカメ分野ではまだまだコンセプト例がありません。
 例えばPENTAX「Optio-S」は、あのサイズのボディに3倍ズームレンズを搭載するために、非常にトリッキーな光学系を搭載しています。でも、あそこまで努力するのなら、より開口径が大きく明るい、収差の少ない単焦点レンズを搭載する…という方向だってあったはずです。「EXILIM ZOOM EX-Z3」だって、せっかくチップ面積の大きいCCDを搭載して評判になったEXILIMシリーズですから、単焦点のままでマクロ機能を搭載し、画素数アップと光学系のグレードアップを図った高画質化機種には、十分にニーズがあったと思います。
 超小型・高画質機を追求することは、実はデジカメメーカーにも意味のあることだと思います。それは単に「小さいけどほどほどの画像」が撮れるデジカメを作るのなら、カメラ付き携帯電話との競争に負ける可能性があるからです。カメラ付き携帯電話では実現不可能な画質で、名刺サイズ、300万画素、バッテリーメディア込みで100g以下…といったスペックの「小型単焦点高画質デジカメ」の発売を強く望みます。

2003/1/9

 私は音楽が大好きで、音楽のない日常は考えられません。オフィスでも、いつも音楽が流れています。しかし毎日が多忙なので、高級なオーディオシステムでじっくりと腰を落ち着けて音楽を鑑賞する…というシチューションは、まずありません。仕事をしながら、読書をしながら…という、BGM的な聴き方が普通です。
 BGM的に聴きながら、「これはじっくりと聴きたい」と思ったときには、ボリュームを上げて、少し真剣に聴きます。ここぞという時には1曲だけをじっくりと聴くことがあるわけです。こういう用途では、BGMではあってもある程度よい音で聴きたいし、ラジカセタイプのMD/CDシステムやミニコンポでは不満です。第一、例えBGMであってもミニコンポなんかで音楽を聴きたくない…という、少し気取った美意識もあります(笑)
 私は、長い間こうした用途に向いたシステムについて試行錯誤を繰り返してきました。音楽がある快適な生活環境…のために、かなりの投資をしました。小型のプリメインアンプとコンポーネントスピーカーにFMチューナー付きのCDレシーバーを組み合わせたり、ポータブルCDプレヤーにアンプ付きスピーカーを組み合わせたり…。PCM衛星放送受信機とDATを使って高音質BGMシステムを作ったこともあります。しかし、どれも満足できるものではありませんでした。放送系ソースはそのままでは聴きたくない音楽も聴かなければなりません。放送系ソースを録音すると編集が面倒です。CDやMDの場合は、ディスクを交換するのが面倒です。
 ところが、MP3が普及して事情は一変しました。手持ちのCDの中で特に気に入ったものを100枚分ほどリッピングし、HDDに入れておけば、好きな曲だけを演奏し続けることができます。ただし、パソコンを起動しておかなければならないのが問題でした。
 そこへ登場したのが、HDD内蔵MP3プレヤーです。先月の日記で書きましたが、最近デスクトップオーディオシステムとして構築した、CREATIVE「NOMAD Jukebox 2」とCREATIVE「Inspire Monitor M85-D」の組み合わせ、これは抜群によいです。私の望む音楽環境には、最高に近いシステムです。部屋で音楽を聴きながら仕事をする時には、もうこれ以外のシステムを使う気がしません。

 もう古い話になりますが…。NTTドコモのメール端末「ポケットポストペット(ポポペ)」をMMCでブートしてCE機として使う…、という方法は、雑誌などでも紹介されてかなり広く知られています(こちらを参照)。むろん、一度CEが起動すれば、あとはMMC無しでつかえます。MIPS系CPUに対応したCEソフトが、たいてい動作します。…というわけで、一時期はポポペを3台、5台と買い占める人まで現れたそうです。考えて見れば、キーボードとカラー液晶付きの低価格・超軽量CEマシンとして使えば、最強のモバイルメール端末になるわけです。ポポペは現在、5000円程度で購入できます。これで、表計算ソフトだって走るのですから、手頃なCE端末を探していた人には面白いマシンです。
 こちらのサイトを見るとポポペのクロックアップの方法が掲載されていますし、こちらのサイトでPDCコネクタからシリアル端子を出して、GPSレシーバーを接続しているのは驚きです。いやあ、皆さんかなりのものです。こういうのを見ちゃうと、自分でも1台購入して改造してみたくなりますね。
 それにしても、昔からこの手の話は盛り上がります。10年以上前、NECのワープロ専用機「文豪Mini」シリーズがCPMマシンとして使えるというので、非常に話題になりました。「文豪Mini5H」を改造するのが流行り、8MHz改造したり、RAMを増設したるするユーザーが現れました。RAMの増設と言ったって、DRAMのチップを2段重ねにして全てのピンをハンダ付けしていく…というものです。私も文豪Miniを購入したので、このブームは忘れられません。

 愛用している2台のドコモ「eggy」のうち、初代機の方が壊れました。壊れたと言っても、本体機の機能ではなく、CFカードスロットのカバーのツメが折れたのです。まあ、保障期間も終わっているし、カバー無しでも使えるので放っておこうと思いましたが、たまたま近所のドコモショップの前を通った時に、修理コーナーで「交換用のCFスロットのカバーが欲しい」…と言ってみました。ショップのスタッフが、eggyのカバーをしげしげと眺めたあげく、ちょっと待って欲しいと言って奥に引っ込み、どこぞへ電話をしていましたが、「カバーだけの部品はない…」というようなことを言います。私は「こんな壊れやすい部分の交換部品が用意していないのはヘンじゃないか、有償でいいから取り寄せて欲しい」と言うと、「あとで連絡する」との話です。その後電話で連絡があって、「2日ほどでカバーだけを用意する、値段は300円」との話になりました。今日ドコモショップへ寄って、新品のカバーを受け取ってきましたが、シャープの交換部品となっていました。
 eggyのCFカードスロット部のカバーが壊れた方は、ドコモショップで300円で購入できます。

 今日の画像は、西武池袋線の運転席です(F402で撮影)。
 私は、通勤時に電車の一番前の車両に乗ります。むろんこれは、降車後の改札口が近いからですが、実はそれだけではありません。やはり、一番前というのは眺めが良くて悪くない…と思う部分があります。普通は通勤電車の中では読書をしていますが、たまに先頭車両の一番前の席に座ると、ぼんやりと風景を眺めてみたりします。そういえば、ノーベル賞を受賞した田中氏も電車が好きで、いつも一番前に立つ…という話でした。私は別に電車好きではないし、「鉄ちゃん」でもありませんが、それでも席が空いていれば、一番前に座ったりもします。

2003/1/8

 新コンテンツ、ピンクフロイドを聞いたBeijingの夜  …2002〜2003年冬……を、掲載しました。
 まだ未完成ですが、徐々に画像を増やしていく予定です。

2003/1/7

 小学校6年生の頃、「子供の科学」とか「ラジオの製作」なんて本を買ってもらい、そこに載っていた「ゲルマニウムラジオの作り方」「一石ラジオの作り方」などの記事を見ながらラジオを作ったのが、私の「電子工作事始」です。当時住んでいた名古屋の街には、電子部品を売っている店が数軒しかなく(今でこそ大須の電子街がありますが)、そこで抵抗やコンデンサなどの部品を買い集めては、せっせとラジオやアンプなどを作っていました。当時、チューナーと言えばアルプス電気、電源トランスと言えば山水、バリコンはミツミなどと決まっていましたので、今でもミツミやアルプスの名を聞くと、かつてのラジオ、アンプ用の電子部品を思い浮かべてしまいます。
 中学1年になった頃は、真空管を使った管球ラジオや管球アンプへと興味が移り、その頃作った3級スーパー(ヘテロダイン)ラジオは感度も音質も非常に良く、その後高校時代まで深夜放送を聴くために愛用していました。当時は真空管はけっこう値段が高く、廃品回収業者を回っては、使い古しのテレビやラジオから真空管を集め、真空管の規格表を見ながら使える真空管をストックしておいたものです。廃品に使われている真空管は古いST管が多く、たまにMT管(小型で高性能)を見つけると小躍りしたものでした。  私は、真空管が好きです。別に一部のオーディオマニアによくある真空管アンプ信奉者ではありませんが、一応友人に作ってもらったA級動作の真空管アンプなども持っています。あの、ボォッとオレンジ色に光る真空管の雰囲気は悪くありません。何よりも、電源を入れてから音が出るまでに時間がかかり、かすかな「ブーン」という音とともに徐々に機能が立ち上がる、あの「待ち時間」に風情を感じます。

 いきなりこんな話を書いたのは、AOpenから発売されている真空管アンプ付きマザーボード「AX4GE Tube」が欲しいからです。AOpenは、昨年「AX4B-533Tube」を発売して話題なりましたが、これは海外市場向けの限定品であったため、入手できませんでした(前に日記で書いた記憶があります)。しかし、今回発売された「AX4GE Tube」は、国内向けに広く発売されたようで、オフィスの近くのビックカメラ・パソコン館にも実物が置いてありました。「AX4GE Tube」は、i845GEチップセット搭載Socket 478マザーなので、汎用性も高くツブシがききます。しかも、真空管の周りにイルミネーション用LEDを搭載、さらにオプションのFMラジオカードに対応しているとあっては、もう物欲を抑え切れません(笑)。というわけで、近日中に購入予定ですので、使用感は後日報告させて頂きます。それにしても、マザーボードに真空管という組み合わせが、何ともよいですね。

 電子工作の話に戻りますが、その電子工作好きが高じて中学2年の時にアマチュア無線の免許を取得し、数年間は6mバンドでの運用に夢中になりました。高校に入った頃にはアマチュア無線に対する興味は薄れていましたが、トランシーバーや受信機は今でも何台か所有している話は、前にも書いたことがあります。アマチュア無線をやっていたからというわけではありませんが、携帯電話やPHSなどを見ても、まずは「無線機」として考えてしまいます。携帯電話の出力は確実にアンテナによって抑えられていると思い、以前携帯電話(アナログ800MHz)に、市販の800MHz〜1200MHz用の5エレメントの八木アンテナを付けてみたことがあります(携帯電話に指定以外の外部アンテナを付けることは違法です…念のため…)。利得、指向性やSWRをきちんと計測したわけではありませんが、指向性範囲内での受信感度は劇的に向上します。…ってことは、指向性範囲内での送信出力もかなり向上していると思われ、携帯電話を固定局として運用(?)するには、非常に面白いかもしれません。もう1つ、携帯電話に800Mhz用の10W程度のブースターを付けてやろうかとも思いましたが、さすがにこれはヤバイので思い止まりました。
 考えて見れば、2.4GHzの無線LANシステムも、無線機の一種です。しかし、マイクロ波帯でも2.4GHzまで周波数が上がると、シロートが遊べる範囲ではなくなってきます。第一、昨今の無線機はプリスケーラのようにデジタル部分が増えて面白くありません。今後はミリ波帯の利用も進むと思いますが、まあ手を出さない方がいいんでしょうね。

 今日の画像は「毛沢東ウォッチ」です(F402で撮影)。中国では30元(450円)程度で売っているみやげ物で、毛沢東の手の部分が秒針になっており、毛沢東がにこやかに手を振りながら時を刻みます。むろん、手巻き時計です。

 ところで、デジカメもパソコンのような「キット」が登場すると面白いですね。CCDユニットや画像処理ユニット、光学ユニットを組み合わせてデジカメを作る…というのは、スペックをうんと落とせば無理じゃないと思います。CMOSの30万画素程度と、安価なプラスチックレンズの光学系の組み合わせで構いません。むろんケースもかなり大きくなるでしょう。可換型メディアへの対応は無理だと思いますが、それでもOKです。要するに、デジカメの原理がわかって、静止画像がキャプチャー出来さえすればよいのですから。
2003/1/4

 読売ジャイアンツの松井選手が大リーグのヤンキースでプレーすることになりました。まあ、日本中のプロ野球ファンの大半は「松井ガンバレ」といった心境なのでしょう。
 で、私は何となく松井がヤンキースに行くのを寂しく感じています。と言っても別に、日本のプロ野球の将来を心配してのことではありません。松井がいない日本のプロ野球を寂しく感じるのではなく、「日本人選手が増える大リーグ」を寂しく感じているのです。少し言い方を変えれば、大リーグで日本人選手がプレーすることが「なんとなく不愉快」でもあるのです。むろんこれは、あまり意味のない理不尽な話なのですが…、でも本音です。

 私は日本のプロ野球にはほとんど興味はありませんが、大リーグの試合を見るのは好きです。それも、球場(ボールパーク)に行くのが好きです。
 ニューヨークに住んでいる時には、暇つぶしによくヤンキースタジアムやシェイスタジアムなどのボールパークに行きました。その他、仕事やプライベートでアメリカを訪れる度に、機会を見てはボールパークに足を運び、大リーグの試合を見ました。シアトルの昔の球場であるKingdomeをはじめ、サンフランシスコ・ジャイアンツの昔の本拠地であるキャンドルスティック・パーク、シカゴカブスの本拠地であるリグレーフィールドなど、あちこちの球場を訪れています。私は野球が好き…というよりも、正確には「ボールパーク(Ball Park)が好き」です。試合の結果なんかどうでもいいし、特に贔屓の球団もなければ、好きな選手もいません。春や秋の気候の良い時期のデイゲームなどでは、ビールを飲み、ホットドッグを食べながら、球場の雰囲気を堪能します。安い席のあちこちにいるグラブを持った少年や、一生懸命スコアカードを付けている親子連れを見るのが好きです。ホームチームが7回裏の攻撃に入る前にTake Me Out To The Ball Game (私を野球に連れてって)を歌うのが好きです。ビールを飲んで、手を振り上げてFor it's one, two, three strikes, you're out At the old ball game…というフレーズを歌うのはすごく楽しい。リグレーフィールドで、バケツのような大きなカップに入ったビールを飲みながら夕涼みするのは、本当に素敵です。

 大リーグの日本人…と言っても、野茂がドジャースで投げていた頃まではまだ良かった。でもマリナーズでイチローが活躍しはじめた頃から、日本での大リーグ報道が過熱し始めて鬱陶しくなりました。日本のスポーツニュースでは、まず「日本人選手がどう活躍したか」…について微に入り細に入り報道されます。今日のイチローはどうだったとか、今日の新庄がどうしたとか…。そうした報道からは、あの楽しいボールパークの雰囲気が伝わってきません。私は、「ボールパークの陽だまりで楽しむ」という大リーグ観戦の雰囲気が好きなのであって、日本人選手が活躍しようとしまいと、全く興味がありません。何か、日本人選手が大挙して大リーグ入りすることによって、そうした大リーグの試合やボールパークの雰囲気が、伝わらなくなったような気がするのです。いや、それ以上に、本来の大リーグの楽しさが「貶められている」感じがします。
 これで、松井がヤンキースに入団すれば、大リーグの報道はさらに過熱するでしょう。スポーツニュースでは「松井がホームランを打ったかどうか」だけを中心に報道されるでしょう。そういう報道が増えれば増えるほど、あのボールパークの独特の雰囲気は遠いものになるような気がします。

 「大リーグで日本人選手が活躍するのは不愉快」などと書くと、反論が多々あると思うので、あらかじめ断っておきます。ここで私が書いていることは、かなり理不尽なことです(笑)。別に日本人選手が入ったからと言って、大リーグが変わるわけではありません。また、アメリカに行けば、日本人選手がいようといまいと関係なく、アメリカの大リーグファンはこれまで通りボールパークを楽しんでいるでしょう。だから、私がここで言っていることはおかしな話です。
 ただ、普段は日本で生活をしていて、あの楽しいボールパークの雰囲気を思い出している私にとっては、イチローや新庄や松井に関する報道は「鬱陶しい」以外の何ものでもありません。日本人選手が活躍するだのしないだのという話は、何だか私の知っている大リーグの試合の話とは異次元の話です。そんなこんなで…、私は日本人選手なんか大リーグに行かなきゃいいのに、なんて思ったりしてます。

2003/1/3

 新年早々暗い話ですが、相変わらず世界中で局地紛争が激化しており、2003年も「戦争の年」になりそうです。特にアメリカのクウェート侵攻はほぼ確実な情勢であり、この問題に関して思うところは昨年末の12/26日の日記にも書きました。今日は、ちょっと別の角度から、イラク問題について書いてみます。
 ブッシュはイラクのことを「ならず者国家」と呼び、大量破壊兵器の放棄を迫っています。私なんかは、なぜアメリカやイギリス、フランス、そしてロシアや中国が大量破壊兵器を持つのはよくて、イラクが持つと悪いのか、よく理解できない部分があります。なぜイラクは「ならず者国家」で、フセインは「凶暴な独裁者」なのでしょうか。見るところ、ブッシュほど極端ではなくとも日本の多くの一般市民を含む世界中のごく普通の市民が、フセインのことを「凶暴な独裁者」と見ていることは間違いありません。
 フセインが世界中に「悪の独裁者」というイメージを植え付けたのは、やはり湾岸戦争が大きな理由でしょう。1990年、フセイン率いるイラク軍はいきなり隣国のクウェートに侵攻したあげく、国連軍による反撃を受け湾岸戦争を引き起こしました。いきなり隣国の国境を侵犯し、領土を併合しようとするなど狂気の沙汰…というのが、一般的な見方です。でも、なぜイラクは国際的な非難を浴びることを覚悟の上で、あえてクウェートを併合しようとしたのでしょう。その理由として、長年のイラン・イラク戦争による債務の増大と石油価格問題を一気に解決しようとした…などと言われています。しかし実際には、当時も今もフセインだけでなくイラクの国民の多くは「クウェートは自国の領土」と考えており、イラクのクウエート侵攻の背景に「第一次世界大戦後のイギリスの中東政策」があったことは、あまり話題になりませんでした。
 イラクとクウェートの2つの国家が成立した歴史について、少し考えてみましょう。
 第一次世界大戦によって、オスマントルコ帝国が崩壊しました。それまでオスマントルコによって支配されていたイラクは、トルコの崩壊とともに独立できたわけではなく、代わってイギリスの支配を受けるに至りました。第一次大戦直後の1921年、イラクはイギリスの委任統治領としてハーシム家のファイサル首長が国王となった「中途半端な独立」をしました。その後、1932年にイラクは完全な独立を達成しました。さらに1958年、イラクではファイサル2世に対する不満が高まり、カセム准将らによるクーデターが成功して、共和国となりました。その時、現政権党であるバース党も革命政権の一部となったのです。
 さて、同じくイギリスの保護領だったクウェートの独立は、その3年後の1961年です。現在のクウェートは、イラク南部と同じく元オスマン帝国領バスラ州の一部だったことから、イラクは早くからその領土権を主張していました。しかし、中東に影響力を行使したいイギリスが、無理やり国境線を引いて独立させたのです。革命後のイラクにおいて、影響力の低下が著しかったイギリスの苦肉の策とも言えるものです。共和国となったイラクは西欧諸国の圧力に屈して、やむなく1963年にクウェートを承認しています。国土を勝手に分割し、自国の権益を守ることだけを貫いたイギリスに対する反感は、半端なものではないはずです。
 そのイラクが、1990年に突然クウェートを占領、併合を宣言したのが湾岸戦争のきっかけです。イラクが自国も認め、国際的に認められた主権国家を蹂躪したのは確かです。世界中の人々がフセインを「ならず者」と見るのも無理はないかもしれません。しかし、イラクという国、そしてイラクに住む多くの人々にとって、クウェートは本来自国の領土…という思いがあったことは確かでしょう。また、クウェートなどという国は、アラブを好きなように蹂躙したイギリスが作った「傀儡国家」だと考えていたかもしれません。
 イラクの行動が国際法に反する、国際社会のコンセンサスに反する…というのなら、イスラエルは、もっともっと無法だとも言えます。1947年の国連総会決議181号に始まり、その後の国連安保理決議242号など、占領地からの撤退を促す幾多の国連決議や国際法に反してパレスチナ全土を支配化においているイスラエルについては、世界の多くの人は「ならず者国家」のレッテルを貼りません。詳しい説明では省きますが、第一次、第二次世界大戦を通して、イギリスを中心とする国際社会がアラブの人々に押し付けた「秩序」なるものは、西欧社会の大国が自国の権益を守るための秩序でした。イスラエルの独立もその延長線上にあります。「国際社会」などと言いながら、誰もアラブの歴史やアラブ人の生活に対して配慮などは払ってこなかったのです。

 私は別に、ブッシュに対して批判的でフセインに対して好意的…というわけではありません。歴史的な経緯から見て「イラクの行動にも理がある」…ということが言いたいのです。…というよりも、今年も多発するであろう戦争の多くが、「世界秩序の維持」を名目に、第三世界の多くの国家や民族、そして市井に暮らす人々の長い歴史を踏みにじるものであって欲しくはないのです。

 今日はオフィスへ出てきて仕事をしていますが、池袋の街は何だか普段と変わりません。デパートをはじめ、飲食店もほとんどのお店が開いているし、小雪のちらつく中、スーツを着たビジネスマンも歩いています。年々、「お正月らしさ」がなくなっていくようです。
 2002年の12月は、池袋西口に大きな変化がありました。行きつけのダイニングバー「かつら」が閉店し、その3日後に大好きなラーメン店「味商人」が閉店しました。そして極めつけは「味居」が閉店したことです。昨年の4月に、15年間も通った池袋北口の喫茶店「街角」が移転したことも併せて、2002年は寂しい年になりました。
 私は20代の頃に池袋にオフィスを構えて、もう15年になります。こうして周囲の環境は変わってゆくのに、自分自身はあまり周辺環境に変化がありません。そろそろ、オフィスの移転た自宅の転居も含めて、個人環境を大きく変えたくなってきました。私は、以前から好きな湘南の逗子か葉山あたりに自宅とオフィスを移したいと考えており、今年あたりは真剣に実行を考えるつもりです。


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