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画像日記   〜都会に暮らすサイレント・マイノリティの発言


2002/12/27

 新コンテンツ、近未来のデジカメ像  〜2002年の総括と2003年の展望…を、掲載しました。

2002/12/26

 米国によるイラク攻撃が間近のようですが、世界は依然として異文化間の融合に苦しんでいます。
 アメリカ政府やイギリス政府がいかに大義名分を並べようと、アメリカやイギリスを含む西欧諸国の国民感情の根底の部分には「イラクがどうなろうと、しょせんは非西洋キリスト教文明圏に属さない国のことに過ぎない」…という感情があるようです。
 というのも、先日深夜にBBSのニュースを見ていたら、ヨーロッパの主要都市の街角で、いろいろな人にイラク攻撃に対する意見を聞いていました。その中で、人道的な理由や一般論としての戦争反対の視点からイラク攻撃に反対する意見を述べる人は多いのですが、イラクの市民や文化を破壊することに対して積極的な反対を唱える意見はほとんど見られませんでした。また根本的に無関心に近い人も多く、インタビューに答えて一般論での消極的戦争反対を唱えた後、いかにも無関心そうに立ち去っていく姿が印象的でした。
 私はなんとなく気になって、アメリカのYahoo!の掲示板を覗いてみました。予想していたことですが、イラク攻撃に賛成する意見の中には、宗教差別的発言や文化的差別発言がかなり含まれていました。むろん、こうした意見が欧米の一般市民の平均的なものかどうかについてはいろいろな見方があるでしょうが、イラク攻撃に関して欧米の人は、押しなべて「消極的反対」と「差別的賛成」が多いように見受けられます。
 イラク攻撃ではなく、戦場が西欧文明圏の国となる戦争であれば、彼らからはもっと積極的なリアクションがあるはずです。欧米諸国の国民の多くは、「イラクなんて国がどうなろうと知ったことではない」と考えているようです。欧米諸国にとって、イラクという国は「たかがイスラム文化圏、オリエント文化圏にある文化的発展途上国」に過ぎません。

 どうも世界には、既に死に絶えたはずの「社会進化論の亡霊」が彷徨っているような気がします。19世紀のイギリスの哲学者スペンサーらが唱えたことで知られる「社会進化論」は、ダーウィンの進化論の中にある「自然淘汰」「適者生存」等の考え方を人間社会に適用した民族差別、人種差別的な理論です。主に民族に対して文明の度合いで優等・劣等の差をつけ、その進化の度合いを「科学的に検証する学問」でした。社会進化論においては優劣の基準が「西欧キリスト教文明」にあったため、アジアやアフリカの国々は、全て劣等・未開の国…と判断されました。
 この社会進化論は西欧諸国による帝国主義侵略に都合よく利用されたばかりか、武力による侵略に反対する「人道的、博愛的な知識人」すらも、「未開の民族を啓蒙する」という尊大なスタンスをとらせるに至りました。

 現代に蘇った社会進化論では、さすがに「西欧中心のキリスト教文明圏が優性社会で、アジアやアフリカは未開で野蛮な地域」…と見るような露骨な論調は見られませんが、欧米諸国に住む人達の多くが、「アジアやアフリカという地域で起こる戦争・紛争にたいして注意を払っていない…」という状況は、本質的に「劣等な文化がどうなろうと知ったことではない」というスタンスと同じです。さらに、「フセイン政権打倒後のイラクの復興を指導する」という欧米諸国の基本スタンスや、同様に国連が紛争後のアフガニスタンに対して行っている援助の中身をみると、これは19世紀の知識人の多くが陥った、社会進化論に基づく啓蒙思想に近いスタンスを感じます。欧米諸国はよく、「イラクに民主主義を根付かせる」といった言葉を吐きますが、「未開な人達を啓蒙する」という感覚があって気持ちの悪い言葉です。

 考えてみれば、日本の朝鮮支配についても、社会進化論的な論調があります。曰く「日本の支配のおかげで朝鮮は近代化した」…というものです。これは、かつて自由博愛を唱える福沢諭吉が、積極的に東南アジアへの侵略を肯定したのと同じスタンスです。

 こうして見ると、世界の人類というのは近代以降は急激な社会的進歩を遂げたはずなのに、実は19世紀の頃からたいして進歩していないようにも思います…

2002/12/25

 総務省関連の03年度予算案は22日の大臣復活折衝で、どこでも何にでも通信できる「ユビキタスネットワーク技術の研究開発」に予算がつきました。ユビキタスネット開発は「世界最先端のIT国家実現」に向けて、モバイルや光技術、情報家電など得意分野を融合して実生活に生かすもの…とのことですが、何とも胡散臭い研究テーマです。
 「情報家電がネットワークでつながる」ことに、それほどの意味があるとは思えません。世の中何でもネットワークでつながればよいというわけではなく、高度な信頼性が必要な家電製品の大半は、スタンドアロン型システムとして高度化するべきだと考えます。そんなこと以前の問題として、「ユビキタス」という言葉にはどことなく政治的な匂いがするし、新しい家電需要を生み出したいメーカーの思惑が見え隠れします。要するに「胡散臭い」のです。
 この「ユビキタス」という言葉に「胡散臭さ」が付きまとう理由の1つに、またしても坂村健という胡散臭い学者が絡んでいる点があります。MacOSのパクリに近い「BTRON」を「日の丸OS」だと大騒ぎしたあげく、まともに動かないマシンを教育現場に押し込もうとしたアホな学者です。凝りもしないで、今回もまた政府の予算で「ユビキタスネットワークの研究」などとぶち上げていますが、「日の丸OS」と同じように「世界最先端のIT国家実現」などと耳障りのよい一般受けする言葉を使って、国や産業界を巻き込むことに血道を上げている…という感じ。御用学者というか、政治的影響力を誇るある種のアジテーターに過ぎません。私は「アジテーター」という人種が嫌いではありませんが、彼の場合は有害なアジテーターですね。もう、つまらないことに税金を遣わせるのはやめて欲しい…と思います。

 さらにその後、次のようなニュースがありました。
 「坂村氏は、T-Engineという"土台"となる組み込み機器向け開発環境を整備することの重要性を主張する。日本の技術開発者は、Windowsの開発環境を利用する傾向があると指摘する辺りから、同氏の言葉は再び熱を帯び始める。『研究所でWindowsを使うというのは、世界の中で日本ぐらいのもの。一般ユーザーがWindowsを使うのも間違いだが、それはまあ仕方ないとして、開発者はWindowsを使わないでほしい』。Windows OSはアプリケーション層より下のレイヤーがブラックボックス化しており、関係するモジュールが把握不能なため、表層的な開発しかできない。さらに、Windowsのバージョンアップという『ワナ』にはまり、最新版ではソフトウェアが正常に動作しなくなるというケースも稀ではない、という。『現場では、訳の分からないままデバッグの作業に追われ、製品の市場投入が遅れる。全部、Windowsのせいだ』…。T-EngineはこのITRONをベースにしたカーネル(T-Kernel)を持つ開発プラットフォームで、SH/ARM/MIPS/M32Rといった代表的な組込みCPUアーキテクチャをサポートしている。坂村氏は、『大手チップベンダーは全てT-Engineフォーラムに入会した』…」
 ホントに新しいものが好きな人です。それに自分が提唱した「TRON」になんとしてもこだわりたいのでしょう。
 Windows開発環境のデメリットは、彼の言うとおりですが、多少なりともソフトウェア開発の現場にいる人間として言わせてもらえば、別に開発現場では彼が言うほどWindows環境を利用していません。特に組み込みシステムなどでは、Windows(CEを含む)はマイナーな開発環境です。それに「T-Engine」の是非は別にしても、Windows批判がなぜ、T-Engineの採用に直結するのでしょうか。
 結局、「T-Engine」だの「超漢字」だのに期待する人間が多いのは、IT不況の時代の中でまったく新規に生まれるプロジェクトとなるらでしょう。新規のハードウェア環境には、大きな投資がつきものです。日本でしか作れないもので新しい需要を開拓する…ということに注目が集まっているわけで、これまた妙に政治的な匂いと胡散臭さがつきまとうのです。

2002/12/24

 近頃PCで音楽を聴く機会が増えた私は、PC用スピーカーが気になります。もともとドルビーサラウンドによるマルチチャンネルの音は嫌いだし、2〜3万円の5.1chのスピーカーシステムはドンシャリした疲れる音が多く、長時間のリスニングには耐えません。2.1chでもよいのですが、サブウーファーで誇張された低音も嫌いです。それに私はPCでゲームもやらないし、パソコンのモニターでDVDを見るわけでもありません。そんなわけで私は、2chのモニタータイプのPCスピーカーが好きです。現在はメインマシン用にエディロール「MA-10」を使っており、満足しています。
 最近、自宅の仕事部屋でBGM用に簡便なデスクトップオーディオシステムを組もうと考え10GBのHDDとUSB2.0を搭載したCREATIVE「NOMAD Jukebox 2」を購入した私は、もう1組アンプ内蔵スピーカーが欲しくなりました。そこで、発売されたばかりのCREATIVE「Inspire Monitor M85-D」を購入しました。
 「M-85D」は、木質キャビネットに10cmミッドレンジと2.5cmツィーターの2ウェイユニットを搭載したリアバスレフ型の2chスピーカーです。デジタル入力端子を備え、バイアンプ方式を採用するなど、なかなか音質にこだわった作りですが、実売価格は9000円弱と非常に安価です。「MA-10」と比較すると少し低音が弱い気がしますが、それにしてもニアフィールドリスニングでは十分に満足できる音ですね。出力は16W×2。「NOMAD Jukebox 2」と接続して160bitでエンコードしたMP3サウンドを再生すると、ラジカセなんかよりはずっとよい音で音楽を楽しむことができます。私は、これでクラシックなんかも聞いています。
 「M-85D」は、今年私が購入したPC周辺機器の中でもベストバイの1つでしょう。同じ構成でデジタル端子のない「M-80」なら、実売価格は6千円台です。これは、けっこうオススメのスピーカーです。

  

 12月12日の日記でご紹介した子犬のジローはすくすくと育っています。どうも周囲の人間が可愛がり過ぎて躾が足りないようですが、まだ生後2ヶ月弱ということでともかく可愛い盛りです。あと数日で目の見えないおばあさんのもとに引き取られる予定なのですが、おばあさんの良き友人として楽しい田舎生活を送って欲しいものです。

2002/12/21

 朝から冷たい雨が降り続いています。クリスマスが近づいて来ましたが、池袋の街は静かなものです。何だか、年の瀬って感じがしません。オフィスで仕事をしながら、寂しい1日です。

 20日の閣議で、2003年度一般会計予算の財務省原案が了承されました。一般歳出は47兆5922億円、歳出は81兆7891億円、新規国債発行額は36兆4450億円で、公債依存度44.6%です。むろん、先進諸国のなかではずば抜けて高い国債依存度です。古代以降、歴史上の国家を見てもこのような予算を組む国が長く続くはずはありません。
 頭が良いはずの財務省高級官僚が、これでまともな予算案だと思っているわけはないでしょう。来年以降も歳入が増える見込みは全くないのですから、歳出を抑えなければならないのは、経済学部なんか出ていなくても、子供でもわかる道理です。政策インフレを起こして借金をチャラにしようにも、先端技術を持たないこの国では経済自体が持たない可能性が高い。1千兆円といわれる個人資産を吐き出させて国の借金の穴埋めをしようにも、今後は個人資産は国外へ逃げるでしょう。こんな国に投資するバカな国民がそうたくさんいるとも思えません。結局、歳出を抑える以外に選択肢がないはずですが、大人達には全くその気はないようです。一言で言えば、「後は野となれ山となれ」という予算案です。

 難しい経済の話を書くつもりはありませんが、この「歳出の半分近くを国債で賄う」という空前のバカバカしい予算案を見て、1つだけ強烈に感じることがあります。それは、現在主に50代以上の大人たちの世代が、自分たちの人生しか考えていない…ということです。
 国会議員、高級官僚などは自分たちが溜め込んだ資産を減らさず、むろん高額の退職金も貰い、さらに天下りもして十分な蓄財をもとにした計算された老後を送ることだけを考えています。
 ごく普通の国家公務員や地方公務員たちも同じです。高額な退職金と手厚い年金制度に守られた安楽な老後しか考えていません。短い労働時間、過大な職員による楽な仕事、安い家賃の公務員住宅などの各種既得権も手放すつもりはないようです。
 一般企業も同じ。公共事業で成りたっている多くの企業では、経営者も社員も公共事業費を減らすことに反対します。地方に住む老人たちの多くも、地方交付税交付金の削減には声を揃えて反対します。サラリーマンだって同じ。自分たちの年金が削減されることにはヒステリックに反対しますが、次の世代の負担を軽くするような対案を提示する人はまずいません。
 結局、今の社会を動かしている大人たちは、社会的な立場を問わず「自分たちが楽にくらせればいい」…としか考えていないようです。10代、20代という次の世代のことを少しでも考えたら、こんな莫大な額の国債発行、つまり借金を前提にした予算を、見過ごすことはできないはずです。

 しかし、私が本当に絶望するのは、こうした大人達に対して若い世代が反乱を起こさないことです。国家の歳出の半分を国債で賄う…という国、つまり後の世代のことを全く考えない国に、ただ無言で従っています。あげくに、大学生の就職先の一番人気は公務員だそうで、「お前らバカか」と言いたいなぁ。こんな国なんか、10年内、15年内には破綻することは確実で、そのときに公務員という職業が存在するかどうかも疑問です。税収がないのに、今後も大量の国家公務員を養っていけるわけがありません。
 なぜ若者は、「大人のエゴ」に対して反乱を起こさないのか、なぜ若い世代は納税を拒否しないのか、なぜ若い世代は国の統治の現場からバカな大人達を叩き出そうとしないのか…、実に不思議です。
 反乱を起こすどころか、就職もしないでフリーターで暮らす若い世代が増えています。エゴの塊のような親の世代の個人資産を当てにして、遊んでいるわけです。
 このクソのような日本という国には、もう本当に未来なんてないかもしれません。

 寒々とした窓の外を眺めながらオフィスで仕事をしていたら、暗い話を書いてしまいました(笑)

2002/12/20

 どうもデジカメのヘビーユーザー、ベテランユーザーの間では、「画質至上主義」に近い意見がますます力を持ちつつあるようです。デジカメの画質に対して妙に思い入れが強い評論家やライターの書く記事の論調に、一般ユーザーの一部が同調・追随している感があります。
 私は、デジカメという「カメラ」は、銀塩カメラとは「明らかに別物」…と割り切った方が面白いと思っています。デジカメは、カメラと言うよりも「画像キャプチャーデバイス」です。そう割り切った上で、デジカメならではの楽しみを見出すべき…と考える次第です。だから私は、画質至上主義になびく一部のベテランユーザーの意見に、一般デジカメユーザーがついていく必要はないと思っています。

 デジカメの高画質化を否定しているわけではありません。むしろ、大歓迎です。でも、メーカーや特定製品に対して、「画質を無視している」などとグチャグチャと批判したりする必要はありません。放っておいても、あと10年も経てば、デジカメの画質は同じ価格の銀塩フィルムカメラに追い付きます。現時点では、銀塩カメラに近い画質のデジカメは限りなく高価です。そんなものに手を出さなくとも、200万画素クラスの小型デジカメで画像を撮りまくって遊んだ方が面白いはずです。多少画質に難があっても、そんなことは何ほどのものでもありません。

 それにしても、得体の知れない「辛口ライター」の意見が、それに追随するユーザーのおかげで徐々に権威を持っていくプロセスは、自動車の世界と似ています。「間違いだらけのクルマ選び」という本を書いている某自動車評論家の存在が、典型的な事例でしょう。
 この某自動車評論家のケースも、デジカメの辛口ライターのケースも、コメントの中にメーカー批判を適当に散りばめることで「既成の権力に媚びない」姿勢を見せている点は、アッパークラスのユーザーを惹きつけるためのうまい戦略だと思い増す。しかし、実は彼らは、自らが批判しているメーカーの広告が掲載されている商業雑誌に連載を持っているわけですから、まあその実情は推して知るべし…といったところ。別に私はライターの商業主義を批判しているわけではありません。ライターが業界でメシを食うためには、いろいろと大変なのはよく理解していますから…。
 私は、ライターのスタンスや記事内容を批判しているのではありません。切り口は自由です。私がヘンだと思うのは、安易に雑誌記事に同調する一般ユーザーです。こうした人達に、辛口ライターの口調を真似るな…と言いたいのです。プロでもないあなたが、本当に銀塩一眼レフに匹敵する画質を持つデジカメを求めているのですか? そんなデジカメを使って、いったい何を撮るのですか?…と、素直に疑問に思う次第です。

 私は、BBS上などで初心者からの質問に答えて「○○という機種は赤の発色が悪い」とか「○○という機種は暗部にノイズが乗りやすい」…などともっともらしく答えている「ベテランユーザー」の存在を、すごく鬱陶しく感じます。また、BBS上で、必死で画質に関する議論を繰り広げている「ベテランユーザー」達も嫌いです。本当に初心者に対してアドバイスするのなら、ユーザーの立場に立った別の視点があるはずです。他人の目を意識しながら、素人がえらそうに画質に関する議論などするな…と言いたい。

 「モノを使う」という世界では、「ヘビーユーザー」とか「ベテランユーザー」とか言う言葉には2つの意味があります。例えばオーディオのベテランユーザーという場合、オーディオ機器に対する造詣が深く、よい機材やコストパフォーマンスの高い機材を的確に揃えて、機材や音質に対する確固たる意見を持っているユーザーです。そして、もう1つのベテランユーザーは、機材の良し悪しよりもともかく「音楽を聴くことにこだわり、聴くことをを楽しむ」というユーザーです。
 デジカメの世界も同じです。高い撮影技術を持ち、さらにデジカメの製品情報に詳しく、よい機材を持っているのがベテランユーザーだと思われがちです。そうではなく、チープなデジカメしか持ってはいないけど、いつもそれをポケットに忍ばせて毎日使い続けている人…これもまた「ベテランユーザー」なのです。

 趣味の世界では、ジャンルを問わず、お金を持っている人しかよい機材を買えません。お金なんか遣わなくとも、ともかく楽しむ…というのが、ベテランユーザーになる正しい道だと思います。デジカメの世界でも、高度な撮影技術の取得や、デジカメ関連技術の深い理解なんてものは、研究する時間がたくさんあるヒマな人にしか身につきません。そんなことを身に付けるより、安価で使いやすいデジカメを購入して、できるだけたくさんの画像を撮った方が楽しいはずです。

 …はてさて、またしても「しょうもない意見」を書いていますね。…この辺でやめときましょう(笑)

 今日の画像は、街で見かけた「長江(CHANG JIANG)」と呼ばれる中国製バイクです(F402で撮影)。
 「長江」や「幸福号」などの中国製バイクを販売している中国のサイトの中にあるこちらの画像を見るとわかりますが、どうもこれは「CHANG JIANG750 M1 SUPER」という車種のようです。
 水平対抗750ccで32馬力しか出ていません。サイドカー付きで総重量が350Kgとメチャ重いバイクです。エンジンはおそらく、古いBMWのフルコピーでしょう。最高速度は90Km/hですから、まあ広い中国をゆっくりと走るバイクですね。いいですね。これに乗って、タクラマカン砂漠の彼方までツーリングに行きたいですね。

2002/12/19

 この時期によく出る話題に「宝くじで3億円が当たったらどうする?」ってのがあります。私は宝くじなんて買わないのでこの話題には無関係なのですが、昨夜たまたま出たこの話で、非常に驚いたことがありました。

 昨夜遅く、大学時代の友人と某所の小料理屋でビールを飲んでいました。そのお店のママが、我々に年末ジャンボ宝くじを1枚づつくれたのです。で、友人と「この宝くじが当たったらどうする?」という話題になってしまいました。
 私は、「まあ、仕事を放り出して海外逃亡だな」なんて話をしたのですが、友人の方は「自分でお金を遣うつもりはない」なんて、わけのわからない話しをするのです。じゃ、どうするのか…と聞いたら、「実はオレにはもう1人子供がいる」と話し始めました。
 彼は現在結婚していて、子供が2人います。勤務先は某上場企業で、営業関係のセクションで課長職を務めています。社内結婚した奥さんは美人で、まあ人もうらやむ仲のよい夫婦です。
 で、話の続きですが、何でも彼が言うには「大学卒業直後に付き合っていた女性が、実は男の子を産んでいる。いろいろと事情があって入籍しないまま別れて、現在の妻と結婚した。別れた彼女の方は妊娠しており、その後実家で出産して、実家の店を手伝いながら子供を育てていた。子供が5歳ぐらいの時に子連れで地元の男性と結婚した。しかし、最近風の便りに聞いたところでは、その後離婚して生活に困っているらしい。成人した子供の方も、勤め先を解雇されて困っているらしい…」といった話をするのです。
 さらに彼が言うには、「自分は現在の家庭を平和に営んできたし生活にも困っていない。でもその時の彼女と子供には、ずいぶん苦労をかけた。双方が納得して選んだ道とは言え、自分には負い目がある。だから3億円が当たったら、その彼女と息子にプレゼントする…」と言うのです。
 私は、マジメな話、驚きました。彼とは20年以上の付き合いになるのですが、彼に現在の家庭の子供以外に、別に子供がいるなんて話は、初めて聞いたのです。私と違ってマジメな生活を送っているヤツで、そんな波乱万丈の人生を送っていただなんて、想像も付きませんでした。
 彼の話では、その子供には1度も会ったことがないそうです。中年になってから、よく昔別れた彼女と未だ見ぬ子供のことを思い出すんだそうです。
 ひょんなことから、私の知らない友人の一面を見て、その後の私はなんとなく沈黙してしまいました。

 …いやぁ、まったくもって年の瀬というのは、不思議な時期です。

2002/12/18

 昨夜は取引先との忘年会。神谷町の中華料理店で10時頃までビールや紹興酒を飲み、その後仕事仲間と神田「山の上ホテル」のバーへ。12時頃までスコッチを飲んでから池袋のオフィスへ戻り、今度はいつもの餃子屋「味居」でビールを飲む…という、私にとっては珍しく飲み続けた夜でした。
 私は、特にお酒が好きというわけではありません。…というよりも、酔いたいと思って飲むことは全くありませんし、実際に酔ったこともありません。食事を美味しく頂くための適量のビールやワイン、また友人・知人と話す時の潤滑剤としてはよいものだと思いますが、「酔う」ことには全く興味がないのです。実際に、「味」という面で好きなお酒はビールだけです。

 ところで、世の中大変な不況のようですが、この不況の中でもよく売れている商品があります。その代表的な存在が、「デジカメ」であり「カメラ付きケータイ」です。要するに、写真を撮る道具であるカメラが、不況の中でヒット商品になっているわけです。「なぜカメラが売れるのか」を考えてみると、「人はなぜ写真を撮るのか」という疑問に突き当たります。
 人はなぜ写真を撮るのか…という命題については、銀塩写真という手法が発明されて以降、幾度となく議論されてきました。哲学的な話は置いておいて、もっともシンプルに考えれば、人が写真を撮る大きな理由は次の2点でしょう。

  @一過性の風景や人物等を記録に残しておきたい
  A今見ている光景を他者に伝えたい

 「一過性の風景を記録に残したい」というのは、写真を撮るという行為のもっとも純粋で古典的なな動機であり、「記憶を元に生きていく」人間という動物にとっては、ある種必然的な行動でもありますね。この動機は、今後もなくなることはないでしょう。
 でも、最近のデジカメやカメラ付き携帯電話の好調な売れ行きは、Aの「他者に伝えたい」という動機に支えられている部分が大きいように思います。携帯電話の場合は、取った写真を送る…というのが基本的なパターンですから完全に、自分が見た光景を他者に伝えるためのツールといえます。デジカメで撮った画像をホームページで公開したい…というのも、広い意味で他者に伝えることを目的とした行動です。

 もっとも、どちらの理由も、自分にはあまり当てはまりません。
 私は日常生活の中でかなり大量の写真を撮りますが、その撮った写真を見ない…というケースが多々あります。
 私が写真を撮る理由は、「撮る」という行為そのもにあって、記録を残すことではありませんん。じゃあ、フィルムの入っていないカメラで撮っても同じ…かというと、そうではないのです。やはり、撮った画像はPCに保管しておくし、「記録として蓄積する」ことにはこだわります。でも、後から見て思い出したり楽しんだり…ということは、ほとんどしません。これって、何でしょうね。私は、「撮る」という行為が楽しいのであって、その結果として残る画像にはあまり興味がないという、珍しいケースなのかもしれません。

 写真を撮る動機として、こうしたシンプルな理由以外に、「自己表現」を挙げる人も多いようです。これもまた、最近のちょっとした写真ブームを支えている動機のような気がします。ただ、写真で自己表現する…という点については、なんとなく「勘違い」してる人が多いように感じますね。花の写真や風景写真を美しく撮って、それが「自己表現」だと思っている人、けっこう多くありませんか? そういうのって、私は自己表現だとは思いません。ましてや、街角の光景や人の表情、日常生活の中のありふれたモノなどを、ちょっと気取った角度で切り取って写した画像なんか、自己表現ともアートとも感じません。

 「美しい写真」は、「よいカメラ」を使えば誰にでも撮れます。銀塩でもデジタルでも構いません。日常生活の中であらゆるものにレンズを向けて大量に写真を撮影すれば、その中には面白いアングルの写真や面白い光線状態の写真が、必ず一定枚数は撮れるはず。そんな写真だけを選び出せば、あなたはもう「写真家」です。実際に、天体写真など特殊な写真を除けば、きれいな写真を撮るための技巧…なんてほとんど不要です。オートで撮影すれば、逆光だってなんだって、たいていはカメラが勝手にきれいに撮ってくれます。失敗写真は写真で「意図的に光りをコントロールした」とでも言えば、それもまた作品です。
 数年前から話題になったHIROMIXに代表される新世代のフォトグファー達だって、「写真の技巧という枠にとらわれない女性の自由な感性」なんて評価がされてましたが、あんなもの要するに首からカメラぶら下げて、適当に写真撮っただけじゃないですか。確かに「大家」と呼ばれる従来型のフォトグラファーが絶対に撮らないタイプの写真ではありますが、だからと言ってそれが「優れた感性」によるものとは限りません。この話って、要するに「大様の耳はロバの耳」の話とほとんど同じ。現代アートに対する、意味不明の評価と同じです。
 結局、「よい写真」というのは、測光機能やAF機能などの点で極端にカメラが高機能化した現在においては「誰でも撮れるもの」に過ぎません。で、とりあえず「よい写真」を撮ると、何となく自分が「自己表現」をしているような気にさせてくれるのです。
 そんなことから、カメラや写真撮影が趣味っていう芸能人、多いですね。一眼レフなんかでチョコチョコと写真を撮って、すぐに写真集なんか出したり写真展を開催したり…、まあたいていはどうでもいいような写真ばかりですが…。

 「写真を撮る」ってことは、それほどに簡単なことです。デジカメの技術進歩のおかげで誰でもよい写真が撮れ、誰もがWebで公開できる現在、「たかが写真」に、表現だのアートだのと理屈を付けられると、何となく反発を感じる今日この頃です。

2002/12/17

 私は、電車の車内で携帯電話を使用禁止にする…という鉄道各社の対応が、どうにも理解できません。ヨーロッパへ行くと、ビジネスマンが電車の中で携帯電話で話ている光景は、ごく一般的なものです。電車の中で携帯電話を使えない…なんて不合理な規制は、おそらく多くの国で受け入れられないでしょう。
 私なんかは、仕事で1日中都内を移動することも多いし、出張で新幹線にもよく乗ります。電車の中で携帯電話の電源を切っていたら、ほとんど携帯電話を持っている意味がありません。

 さて、電車の中で携帯電話の電源を切らなければならないとされる理由は、ご存知の通り携帯電話から出る電磁波です。電磁波が心臓のペースメーカーに悪影響を与えるため携帯電話の電源を切るべき…というのが通説になっているわけです。
 にも関わらず、私が「電車の中で携帯電話の電源を切るという規制には納得できない」と主張するのは、心臓にペースメーカーを入れている人の存在をないがしろにしているからではありません。

 逆に私は、個人的には携帯電話の電磁波の影響は、非常に大きいと考えており、特に成長過程の子供の脳に与える影響は大きいと思っています。バングラデシュ政府は今年、16歳未満の子どもによる携帯電話使用を禁止する計画を明らかにしました。イギリス政府も、子どもが携帯電話を使用すれば、発育途中の脳によくない影響を及ぼすかもしれないとの警告を発しています。

 私が納得できないのは、電車の中でも使えず、子供が近くにいても使ってはいけない… というような危険な電子機器を、なぜ社会的に認知し普及させているか…という点です。電車の中では使用を禁止するが、雑踏の中では使ってもよい…なんて話は納得できません。ペースメーカーが止まる危険性がある…ということは、携帯電話の存在が殺人の原因となる可能性がある…ということです。途を歩きながら携帯電話を使っていて、たまたまペースメーカーを使っている人が隣を歩いている可能性は十分にあります。電車の中では危険で、歩道では使ってもよい…という確率の問題ではないはずです。もし自分がペースメーカーを使っていたら、直ちに携帯電話の全面使用禁止を求めて訴訟を起こすでしょう。
 携帯電話の電磁波の害については、「研究中」とか「まだその影響がどの程度のものか不明」という理由で曖昧にされたままです。官民揃って、この重要な問題を曖昧な状態にして、中途半端な規制、しかも法律で規制するのではなく曖昧なモラルの問題で規制しようとしている現状に納得がいかないのです。
 人間に対する影響の問題は置いておいても、ペースメーカーに影響があるのであれば、自動車に搭載されたCPUへの影響は本当にないのでしょうか? 自動車の中で携帯電話を使ったのが原因でAT車が暴走する危険性はゼロだと断言できるのでしょうか? 携帯電話から発生する電磁波が、どの距離でどんな電子機器に影響を与えるかを、公的機関が徹底検証するのは当然でしょう。そして、人間に与える影響についても、大規模な疫学的調査をすべきです。

 官民ともに、携帯電話の電磁波の影響に関する大規模な調査・検証作業を行わない理由は、携帯電話が産業として巨大化しており、また社会インフラとしても欠かすことができないからです。産業や社会に与える影響が多き過ぎて、手をつけられなくなっているのです。
 環境問題がこれだけ騒がれ、世界的に自動車の排気ガス規制が強化される中で、携帯電話の電磁波が人間や環境に与える影響については、意図的に放置されているのです。

 それに、携帯電話の電磁波の影響を大幅に減らす「実に簡単な解決法」があるじゃないですか。それは、PHSです。携帯電話を出力の小さいPHSに変えるだけで、発生する電磁波の量は1/10程度になります(発生源から一定距離で計測)。現在のエッジのサービスエリアや高速移動体からの通話性能を見ても、あらゆる携帯電話を全面禁止にしてPHSへの移行を図ることは十分に可能です。こうした現実的な解決手段が、なぜ真剣に議論されないのでしょうか?

 電磁波と言えば、最近流行のWiFi(2.4GHz)のホットスポットはどうなのでしょうか? 大手ハンバーガーチェーンがホットスポット化されている状況を見ると、子供絵の影響が気になります。WiFiの電磁波の影響についても、真剣な議論がなされないまま、利用範囲が拡大していくのでしょうか。

 いずれにしても、電車の中で電源を切らなくてはならないほど危険な携帯電話が、放置されていることは、非常におかしな話です。そして逆に、放置してもよいほど危険性がないものなら、電車の中で使用禁止することがおかしいはずです。私は「電車の中でだけ使用禁止」という現状には、全く納得できません。

2002/12/16

 出張帰りで、少し疲れ気味です。これはもう確実に「年のせい」というヤツで、最近は何かというと体のあちこちが不調になるので、ちょっと悲しい思いをしています。特に、長時間本を読んでいると眼が疲れます。まあ、40代になって体のどこもかしこも絶好調…なんて方がおかしいわけで、これはしょうがないことでしょうね。
 でも、こうして40代になって体力が衰えたから人生が面白くないかと言えば、けっしてそうではありません。10代の終わりからホントに好きなことをして自分勝手に生きてきましたが、20代よりも30代、30代よりも40代の方が、人生が楽しくなったことは確かです。体力が衰えたという状況も含めて、いろんなことを楽しむようになりました。例えば海外旅行なんかに行っても、どこかの街に居心地のいい小さなホテルを見つけてゆっくりと滞在し、街歩きをしながらのんびりと過ごす…ことで、特にお金を遣わず楽しい時間が過ごせます。
 ところで、40代に入って何が一番面白くなったかというと…、それは「女性にモテるようになった」…ことです。実は、私は女性にかなりモテます。「こいつはWebで顔出ししてないから言いたいことを言ってやがる」と思われるかもしれませんが、本当にモテるのです(笑)。モテるという言い方がヘンだったら、「世代や社会的な立場を問わず、いろんなタイプの女性の友人が多い」というふうに言い換えましょう。私は女性が接客をしてくれるタイプのお店には行かないし、むろん風俗にも行ったことがない。だから、女性の友達というのは、みんなごく普通の方々です。だから、飲みにいったり遊びに行ったりする時は、そこら辺の焼き鳥屋だったり、レストランバーだったり、自分の行動範囲を逸脱しない範囲でやってます。休日なら、ちょっと遠出することもありますが、まあ女の子と一緒に本屋さんへ立ち寄ったり、服を買ったり…、そんなところです。
 私は身長170センチちょっとのヤセっぽちで、特に外観がカッコいいわけでもないし(カッコ悪いとも思ってませんが…笑)、お金持ちでもありません。いつもバリっとした格好なんかしていないし、むしろアウトドアウェア中心のラフなスタイル専門です。だから女性の友達と、高級なレストランへ行ったりすることもほとんどないし、ましてや高価なプレゼントなんてしたこともありません。第一、「友人関係」が基本ですから見栄を張る必要もなければ、カッコつける必要もありません。むろん、「クリスマスプレゼント」なんて、誰にもあげる予定はありません。
 考えてみれば、私は若い頃はさほどモテたわけではありません。20代で離婚を経験していますが、それ以前も以後も、特に女の子と遊ぶことに一生懸命になった記憶はありません。女性にモテるようになったのは30代の後半からです。

 特に思い当たる理由はありませんが、年齢を経るに従って「自分流」を貫くようになったからでしょうか? 要するに相手に気を遣わなくなったのです。気を遣わなくなったから友達が増える…というのもヘンですが、要するに相手の生き方や考え方、そして日常生活に無理やり入り込もうとしなくなったからではないか…と、実に勝手な自己分析をしています。人間関係は、適度な距離感を保った方がうまくいくんでしょうね、きっと。

   次に、女性に対する面倒な下心が全くないからかも知れません。経験的に言っても、若い男性の場合は下心…つまり「この子と付き合いたい」から始まって「セックスする関係になりたい」という気持ちがありますよね。ところが最近は、女性と会って話をしているとき、その女性に対して、セックスする関係になりたい…なんて考えることは全くありません。皆無です(笑)。要するに、私は「安全パイ」なんですね。
 昼間っから、書くような話じゃありませんが、私はセックスはけっして嫌いじゃありません。最近の若いカップルがよく言うように、「セックスは面倒」だなんて思いません。むろん、いつもしたいわけじゃない(当たり前か…笑)ですけど、女性とそういう雰囲気になったらかなりマジメに「お互いに気持ちよくなろう」と努力する方です(笑)。それに、完璧なフェチですし…
 でもそれは、長い付き合いの中で自然にそういう状況になった時に限られますし、普段は、本心から「女性といっしょにいるだけで楽しい」って思ってますから。この「女性と一緒にいると楽しい」と本気で思っている部分が相手に伝わるからモテるんだと思います。自分が楽しければ、絶対に相手も楽しいはずですから…。要するに肩の力が抜けたわけですね。
 こんな状況ですから、むろん女性との間でややこしい問題も、けっこう起こしています(笑)。私自身は別に「ややこしい問題」とは思っていないのですが、周囲からはそう見えるみたいですね…、他人事みたいですけど…。

 これで50代になったら、もっと楽しくなるんでしょうか? こればっかりは、わかりませんねぇ(笑)。自分では長生きするとは全く思ってないので、このまま楽しい人生のままで終わってくれるといいんですけど…

 それにしても、今日の日記はヒドイですね。出張で疲れたからといって、誰も読む人間がいない日記だからといって…、我ながらホントにバカっぽい話を書いてると思います(笑)。街を歩くといたるところからクリスマスソング聴こえるせいでしょうか。やたらと「(笑)」が多い文だし…。
 でも、デジカメの話もいいかげん飽きてきてますし、スミマセン…

2002/12/12

 禁煙宣言をすれば報奨金を支給する「禁煙奨励制度」を7月に導入した女性下着メーカー、トリンプ・インターナショナル・ジャパンについて、こんなニュースがありました。
 同社の禁煙奨励制度とは、禁煙宣言をした社員の家族に報奨金3万円を、この社員の喫煙現場を"密告"した社員には「同僚の健康管理に貢献した」との理由で、協力金1万円を支給。密告で禁煙失敗が明らかになった社員は報奨金の倍の6万円を返納しなければならないシステム…なんだそうです。
 「報奨金付き密告制度」とは、非常に不愉快なシステム。禁煙の是非以前の問題として、こんなエグい相互監視制度を考え付く企業に勤めている社員のメンタリティは理解し難いです。

 田村亮子選手との婚約で騒がれているオリックスの谷佳知外野手、昨夜の契約更改のニュースを見ていて思ったのですが、顔が田村亮子選手とよく似ていますね。
 顔が似ているから付き合っているのか、付き合っているうちに顔が似てきたのか…どっちでしょうか?

 さて、今日は子犬のジローの画像です(A5301Tで撮影)。

       

 生後1ヶ月のジローは、まもなく眼が見えないおばあさんのところに引き取られる予定です。友人の祖母は、重度の糖尿病で10年ほど前に視力を失ったのですが、ジローという雑種の老犬とずっと一緒に暮らしてきました。そのジローが老衰で死んだので、おばあさんはとても落ち込んでいたのです。そこで、友人が老犬ジローの代わりとなる犬を探してきたのが、このチビのジローです。  柴犬の血が濃く混ざった雑種で、もうかわいいのなんのって…
 今度の日曜日におばあさんのところへ連れて行くそうですが、おばあさんは心待ちにしているとのことです。

2002/12/10

 新コンテンツ、「FinePix F402」は、常時携帯デジカメの新標準か?…を、掲載しました。

2002/12/9

 東京は久しぶりの雪です。夜半から降りはじめて、午後3時になる現在もなお降り続いています。オフィスがある都心部・池袋では、表通りの積雪はさほどでもありませんが、裏通りでは既に2〜3センチの積雪となっています。この分では、今朝の段階で既に3センチほど積もっていた自宅のある練馬は、5センチ以上積もっているかもしれません。都会の雪景色は決して嫌いではありませんが、解けかけた雪でぬかるんだ歩道をスーツを着て歩くとなると憂鬱以外の何ものでもありません。現時点でも歩行中のスリップ転倒事故が頻発しており、午後2時現在のニュースでは、普段の2倍近い1100件の119番通報が寄せられているそうです。

 最近新しいアイテムが2つ増えました。1つはミノルタのフィルムスキャナ「DiMAGE Scan DualV AF2840」です。仕事を中心に旧機種の「2820U」を使っていたのですが、USB1.0であまりに転送速度が遅かったことと、ネガフィルムの発色が悪かったので、買い替えを検討していました。新機種の「2840」は、解像度は同じですが色数は12bitから16bitと高級機種なみに向上、さらにUSB2.0に対応しています。USB2.0の威力は大きく、「2820U」と較べて読み取り時間は体感で1/5程度まで短くなり、快適にスキャンできるようになりました。また「ほこり取り補正」機能を搭載しており、これは実際に使ってみたところ古いフィルムのスキャンにはけっこう威力を発揮します。最初に色合わせをきちんとやっておけば、わずかなレタッチで印刷物に使える水準に仕上がります。ただし、相変わらずネガフィルムの発色はあまりよくありません。スキャン後、かなりレタッチが必要です。ネガに関しては、取引先のデザイン事務所にあるニコンのスキャナの方がはるかにきれいです。
 ともかく旧機種2820との性能差は歴然で、ポジ専用でブローニー以上のサイズを使わないのなら、パーソナル用途ではベストに近い選択だと思います。ちょっとした業務用途でも使えます。何よりも3万円ちょっとと安価に購入できるのがいいですね。時間が出来れば、近々スキャン画像を中心にインプレションを掲載します。

 もう1つ増えたアイテムはデジカメで、単焦点の200万画素機、Fuji「FinePix F402」です。電池・メディア込みで145gと、DSC-U10に匹敵するほど軽量で、バッテリー寿命も長い機種なので、発売時から気になっていました。私が好きな小型・軽量で単焦点の製品であるだけでなく、フルオート撮影時の使い勝手を高めた安価な製品として、常用お散歩デジカメとしての完成度は高いと思います。DSC-U20の実写画像サンプルが、U10と較べてあまり魅力を感じなかったし実売価格もかなり高いので、3万円以下で購入できるF402を使ってみる気になりました。
 実際に撮影してみると、操作性は軽快でなかなか高画質…、シンプルでよいデジカメだと思います。これまた、近々インプレションを掲載する予定です。ちなみに今日の画像は、そのF402で撮影したものです。

 かなり以前から書いているように、このサイトのサーバー移転を考えていたのですが、結局AT-LINKのサーバーに移すことにしました。まあ、Seleron 1.1MHz、40GBのHDDのマシンを丸ごと借りて月額2万円以下のサーバーは、ここしかありません。仕事で何度も使っていますが、サポート体制も悪くありません。移転とは言ってもマシンの設定やCGIの再設定などもあるし、サイトのデザインを変更したいので、来年の1月末ぐらいまでかけてゆっくりと全面移行するつもりです。

 もっとも、年明けの1月末までこのサイトを続けているかどうか…、まだわかりません(笑)

2002/12/6

 久々にクレーンゲームをやったら、大物をゲット。TAITOの「ビッグサイズエアホッケー」というゲームです。
 これがなかなかよく出来たオモチャで、電池を入れると空気が噴き出してパックが浮上します。友人と対戦したところ、けっこう熱くなりました。200円でゲットしたオモチャとしては、かなり遊べますね。

  

 光モノのパソコンを組立てました。オフィスのスタッフが雑誌の原稿用として作ったものです。音センサ付きのネオン管を2本と、LED付きの光るケースファンを装着した代物。ケースのサイドカバーをアクリルのパネルにして、内部はイミテーションの草や動物をあしらい、観賞用パソコンに仕上げました。スピーカーからの音楽とともに、内部のネオンが点滅してとてもきれいです。クリスマスシーズン向けのパソコンとしてはよいかも…です。
 eggyで撮影したMPEG-4動画でどうぞ(クリックで動画再生)。



2002/12/5

 私が住んでいる練馬区には光が丘団地という、都内でも最大規模の団地があります。この光が丘団地には友人が住んでいますが、長い間「都会のデジタルデバイド」に苦しんできました(こちらを参照)。ネットワーク接続にはスループットが低い加入者設備しか使うことができず、各戸にADSLや光ファイバーを引くことはできなかったのです(今年から部分的に改善され、一部の建物では高速回線を引くことが可能になったそうです)。この光が丘のような団地・マンションは、東京には非常に多く、うちのオフィスの女性スタッフが最近転居した葛飾区の大型マンションも、同じように各戸にADSLや光ファイバーを引くことができず、ISDN並の速度しか出ない加入者設備に悩まされています。
 総務庁が地方都市におけるデジタルデバイドの解消を目指して地域情報化を進めていますが、私が従前述べているように、現在の日本でインターネット未接続者が最も多い都市は東京であり、首都圏なのです。人口に占めるネット未接続者の割合ではなく、人口の絶対数で見ると、地域的な要因による最大のデジタルデバイドは大都市部にある…と考えています。
 とは言うものの、大都市部にデジタルデバイドが存在する原因は、冒頭に挙げたような地域的なブロードバンド・エアポケットにある…というわけではありません。こんな話は、住民の意欲さえあれば解決可能な問題だし、無線ブロードバンドの有効利用等によっても解消は可能です。

 私は、居住地域、家庭環境、教育水準、所得水準などによってデジタルデバイドが生じることに疑義を挟むつもりはありませんが、大都市部における大量のインターネット未利用者の存在を考えると、もっと本質的な問題が潜んでいると考えます。
 大都会に大量のインターネット未接続者が存在する理由、その最たるものは「ネットを活用しようという意欲のない人間」の存在です。さらに、内心ではネットを活用したいと考えていても、新しいことを覚えたり勉強したりすることを面倒と思う人間が多いことです。
 例えば私のオフィスでは、ある特定業種向けのパッケージソフトを販売しているのですが、年齢的にも30代と若く、高等教育を受け、しかも所得が多いにも関わらず、ユーザーの70%以上はパソコンの操作をまともに覚える気がありません。自分はパソコンは苦手…と公言して、操作する人間を別に雇用したりします。また、自分で操作する人間も、毎月同じようなことをユーザーサポートに聞いてきたりして、とてもまともにパソコンの基本操作やWindowsの基本動作を学習使用する意欲がありません。
 さらに私は、高校生・女子高生や20代、30代のOLやサラリーマンで、パソコンの操作に全く習熟しない人間をたくさん知っています。ましてや私のような中年になると、もうパソコンに近づかない人間も半数以上います。
 最近では、自ら教育機会を放棄する若者も増えてきています。大学で中学校の算数の補修授業を行うような時代、また渋谷の路上に座り込んで無為な時間を過ごす若者が増えている状況にあって、パソコンやインターネットなどに興味を持たない、または学ぶ意欲を持たない人間が増えるのも当然という感じもします。しして、こうした「学ぶ意欲のない人間」「進歩することに意欲を持たない人間」の存在こそが、デジタルデバイドノ最大の要因だと考えています。
 いくら立派なインフラを整備しても、ネットの利便性やネットによる情報収集の必要性、ネットコミュニケーションの有効な活用等について、自らの意思で学ぼう、覚えようとしない人間が多い現状では、「あまねく公平に」インフラが活用されることはあり得ないはずです。
 電子政府などIT化を進めようとする時、IT技術やネットワークによって社会の効率化を進めようという時、こうした「意欲のない人間」の存在をどうするか…というのは、難しい問題なるでしょう。でも、基本的には「放っておく」のが一番よいと思います。  むろん、身障者や高齢者などに対して、一定の研修システムは必要でしょう。しかし、自ら学ぶ意欲のない人間が利益を甘受できないのは、いたしかたのないことです。

 さて、先日の日記にも書いたように、地域社会に膨大な税金を投入して通信インフラの整備を図ることに、私は反対の立場です。現在行われている地域社会向けのIT環境整備事業の場合、ブロードバンド回線を整備するだけに留まる例はごくわずかです。わけのわからないコンテンツ整備やコミュニケーションシステムの整備に相当なお金が遣われます。国がデジタルデバイドの解消を進めるにあたって、「コンピュータの使い方」も含めて何もかもお膳立てをする必要は全くない…と考えています。

 地方のデジタルデバイド解消のために、総務省は膨大な予算を計上しています。しかし、デジタルデバイドを解消するため、そして社会を効率よく運用するために、国民全体のIT化を進めたければ、「ADSLレベルのブロードバンド回線の整備」と「全世帯へのパソコンの普及」を進めるだけでよく、それ以上のことは何もする必要はありません。人口カバー率100%のレベルで「ADSLレベルのブロードバンド回線の整備」をすることは、別に難しくありません。既に、それに近い状況になっていますから…。あえて光ファイバー網を、税金を使って普及させる必要は全くないはずです。「全世帯へのパソコンの普及」も簡単です。
 極端な話ですが、パソコンが3万円で調達できる現在、日本の全世帯にネット接続可能なパソコンを無料配布してもたかだか1兆円(オープンソースOSやフリーソフトを活用しましょう)。既に所有している家も多いので、実際にはこの半分以下で済むはずです。あとは、国は何もする必要はありません。
 この程度のインフラを整えて、社会の効率化を一気に進めればよいのです。配布されたパソコンを使えない人間は、社会の中で不利な立場に置かれても止む得ないと思います。

 私は「成熟した社会」は、「自己責任の確立」と表裏一体で成立するものだと思っています。国や政府が社会的弱者を救済するのはおおいにけっこうです。しかし、税金を使って国は何もかもお膳立てする必要はないと考えています。

 本当のデジタルデバイド…、それは個人が持つ資質の違いの中にあるように思います。

2002/12/4

 フォークダンスって、今でも中学や高校でやるんでしょうか? 今となっては、思い出すのも気恥ずかしいようなダンスでした。フォークダンスと言えば、「オクラホマミキサー」と「マイムマイム」という2つの曲を覚えています。
 その「マイムマイム」という曲には歌詞というか掛け声のようなものがついていました。サビの部分で「マイム、マイム、マイム、マイム、マイム エッサッサー(?)」というような妙な歌詞です。
 先日知人に聞いたところによると、この歌がイスラエル民謡で、歌詞はヘブライ語なのんだそうです。「マイム」とはヘブライ語で「水(mayim)」のこと。なんでも、旧約聖書の「イザヤ書」の12章3節の言葉を元に作られた歌詞だそうです。砂漠の井戸から湧き出る水を賛美する歌なんだそうです。
 肝心の「マイム エッサッサー(?)」の部分は、正確には「マ・イム、 ベ・サ・ソン」という歌詞で、「喜びの中で水を汲もう!」というような意味なんだそうです。だから「マイム、マイム、マイム、マイム、マイム ベ・サ・ソン」の部分は、「水! 水! 水! 水! 喜びの中で水を汲め!」…って感じですね。
 あー、ヘブライ語だなんて知らなかったです…

 歌詞といえば、笑っちゃうのが「雪山賛歌」。「雪よ岩よ われ等が宿り 俺たちゃ 街には 住めないからに…」という歌詞ですが、これは「愛しのクレメンタイン」というアメリカのフォークソングが原曲だってことは、誰でも知っています。確か、登山家としても知られる西堀栄三郎が付けた歌詞ですね。
 で、その原曲の「愛しのクレメンタイン」ですが、これは…

  Oh my darling, oh my darling,
  Oh my darling, Clementine !
  Thou art lost and gone forever
  Dreadful sorry, Clementine

 …という、サワリの部分が有名です。

 何だか陽気な雰囲気の歌なんですが、実は非常に悲しい歌で、この曲の3番と4番はすごいです。

  Drove she ducklings to the water
  Ev'ry morning just at nine,
  Hit her foot against a splinter,
  Fell into the foaming brine.
  Ruby lips above the water,
  Blowing bubbles, soft and fine,
  But, alas, I was no swimmer,
  So I lost my Clementine.

 …この部分を訳すと、こうなります。

  毎朝アヒルを追っていた娘、
  ある日泡立つ流れに落ちて
  赤いくちびるが沈んでいった。
  泳げない私が死なせたクレメンタイン…

 この歌はゴールドラッシュのころのカリフォルニアが舞台になっており、金鉱掘りの娘が川に落ちて死んだ話を歌ったものです。曲の雰囲気に合わないばかりか、どうしてこれが「雪よ岩よ われ等が宿り 俺たちゃ街には住めないからに…」という歌詞の「雪山賛歌」になったのか…、謎は深まるばかりです。

 意外な歌詞といえばもう1つ、名曲「テネシー・ワルツ」があります。1950年にパティ・ペイジが歌って、全米ヒットチャートの1位となりレコードはミリオンセラーになりました。日本では、江利チエミがデビューしたときにこの歌を歌って、やはり大ヒットしました。1956年には、テネシー州の州歌になもなったという、アメリカを代表する歌です。
 実はこの「テネシーワルツ」の歌詞、悲しいというか、かなりこっけいなものです。

  I was dancin' with my darlin' to the Tennessee Waltz
  When an old friend I happened to see
  I introduced her to my loved one
  And while they were dancin'
  My friend stole my sweetheart from me

 圧巻は、「My friend stole my sweetheart from me」の部分で、「私の友達が、私から恋人を奪った」という意味ですね。要するに、「恋人とテネシー・ワルツを踊っていたとき、旧友に恋人を紹介したら、盗られてしまった。私はあの夜とテネシー・ワルツを忘れることができない…」という、何とも妙な歌詞なんです。日本語の訳にも、そんな部分は出てきません。
 アメリカの南部の雰囲気を漂わせた、ゆったりとしたバラードの「テネシー・ワルツ」ですが、曲の持つ雰囲気と歌詞が合わないのが、面白いですね。

2002/12/3

 昨日ちょっと買い物があってビックカメラのデジカメ売り場に寄ったら、デジカメケースというのがたくさん並んでいました。各デジカメメーカーが自社製品専用ケースをラインアップしている他、周辺機器メーカー製の汎用ケースもたくさん売られていました。でも、これがけっこう高いんですね。2千円以上するケースも多く、私はとても買う気にはなれません。
 私は、基本的にはケースなんて何でもいい…というのがスタンス。普段、デジカメをケースに入れて持ち歩かないからです。お散歩している時はむろん、海外旅行時などでも、デジカメは「ハダカで持ち歩く」というのが習慣です。ケースに入れておくと撮りたいときにパッと出せないので、ケース無しでそのままポケットに放り込んで歩いています。
 ハダカで持ち歩くので、当然細かい傷などが付きますが、全く気にしません。使えば傷が付くのは当たり前ですから、機能に影響がなければ傷が付こうがヘコもうがお構いなしです。
 むろん、機能に影響があっては困るので、カバンに入れて長時間持ち運ぶ際にはケースを必要とします。海外旅行時でも、スーツケースなどに入れてバゲッジとして預ける時などには、ショックアブソーバーには最善の注意を払います。そんな使い方をする時のデジカメのケースは、基本的に100円ショップで購入したソフトケースです。バッグがヤワな素材で耐ショック性がない場合、100円のソフトケースを二重にして入れておきます。ケースなんて他人に見せるものじゃあるまいし、2000円もするデジカメケースなんて、とてもじゃないけど買う気がしませんね。

 私は、デジカメに限らず、買ったものをキレイに使いたい…という意識があまりないのです。道具はボロボロになるまで使い倒せばよい…という主義ですから、日常的な使用の範囲で出来る傷やヘコみは気にしません。
 デジカメに限らず、車やバイクなども必要以上にピカピカに磨いたりしません。新車のシートのビニールカバーをいつまでも付けてるようなユーザーは論外としても、ともかく持ち物はピカピカじゃないと気が済まない人ってけっこう多いですよね。車の塗装にちょっと傷が付くと神経質に苛立ったり、バンパーが少しヘコんだだけで修理に出したりするユーザーは、周囲にもたくさんいます。私は、塗装なんて乗ってりゃ傷が付くものだし、バンパーは車体を保護するためにあるのだから傷付いて当然…と考える人です。ワックスがけも同じ。あまりボディが汚いとガソリンスタンドで自動洗車をしますが、自分でシコシコとワックスをかけるなんてことは、まずやりません。

 でも、最近の道具は「頑丈」ではなくなった…と感じることも多いですね。つまり、ヘビー・デューティなモノが少なくなってきました。登山用品なんかもそうです。軽量のガスコンロなんて、ちょっと乱暴に扱うとすぐ壊れる。昔よく使ったラジウスやプリムスなんてガソリンコンロ、灯油コンロは、手荒に扱ってベコベコになっても問題なく使えました。デザインを気にするあまり、華奢な道具が増えたのは、本当に困りものです。

 デジカメも、大げさなアウトドア仕様や防水使用なんていらないから、普通に使って丈夫で頑丈なヤツが欲しいですね。そういえば銀塩一眼レフには丈夫なのが多かった。昔使ってたニコンF3なんて、何度も落としたけど大丈夫でした。軽量でハンディなデジカメにも、そんな頑丈さを求めたいところです。

 今日の画像は、池袋西口の名店「餃子の味居」の金さんです(A5301Tで撮影)。相変わらず、夜の池袋西口を彷徨う多くの人々に愛されています。

 味居のメニューは、最近どんどん少なくなりつつあります。基本的には数種のアルコール類と4種の餃子+αしかあありません。メニューには41種類もの料理が掲載されているのですが、このメニューを見て注文しても、まず料理は出てきません。こんなお店にもかかわらず、夜の12時を過ぎるといつも満席。
 世の中不況で、飲食店は軒並み客を減らしているというのに、深夜の味居だけは別世界です。やはりこれは、金さんの人徳(?)でしょうか…(笑)

2002/12/2

 昨日、八戸まで新幹線が開通しました。採算はどうなるのか知りませんが、まあ借金の償還は無理でしょうね。この新幹線建設の是非はともかく、八戸の周辺というのは、わりと好きな場所です。名古屋出身で、親戚には関西の人間が多く、どちらかというと子供の頃から、関西に縁がある生活を送ってきたので、東京に出てきてからは旅行というと東北に頻繁に出かけた時期がありました。私にとっては、北海道よりも東北の方が「エキゾチック」な部分があり、特に三陸海岸は大好きな場所です。
 そういえば、最近は古代東北がある種のブームになっており、中央文化に対するオルタナティブな文化が栄えた場所として脚光を浴びています。「まつろわぬ民」や「縄文文化」あたりがキーワードということになるのでしょうか。10年ほど前の三内丸山遺跡で東北縄文文化に対する注意が喚起され、最近は坂上田村麻呂と戦った蝦夷の首長アテルイが「東北のヒーロー」として復権するなど、蝦夷・東北文化に対する見直しが進んでいるようです。
 最近、岩手県遠野市で河童が写真に撮られて話題になりました。遠野の河童と言えば、思い出すのは「遠野物語」です。最近の東北ブームの中では、「遠野物語」によって東北の伝承文化に光りを射てた柳田国男に対しても批判的な見方が出てきています。何かの雑誌で作家の高橋克彦と明石散人が対談して、「遠野物語」の元ネタを提供した佐々木喜善が柳田国男によって抹殺されと怒ってましたが、これはちょっと見当違いでしょう。むしろ、柳田国男に関しては、民俗学に「地方の伝統や文化を過剰に評価・礼賛する」という「負の遺産」を残した学者として記憶されるべきです。
 遠野物語といえば、むしろ私は吉本隆明の「共同幻想論」を思い出します。だからなんだ…というわけではありませんが、遠野物語というのは、民俗学的な評価は別にしても、不思議な存在感がある作品ですね。

 ところで、中学や高校時代の国語の教科書の内容を覚えていますか? 教科書に掲載されている有名作家の小説とか詩、評論家のエッセイなどは、基本的に面白くないものが多いですね。ほとんど記憶に残っているものがありません。そんな教科書に掲載されていた作品の中で、現在でも印象に残っている数少ない作品の1つの、その柳田国男が書いた「雪国の春」の中の「清光館哀史」というエッセイがあります。これは確か、高校1年か2年の時の現代国語の教科書に掲載されていたと思います。

 国道45号線で三陸海岸を北上すると、岩手県から青森県へと入るあたりに八戸線の陸中八木駅があります。駅の近くに「小子内」という集落があり、そこにかつて「清光館」という旅館がありました。柳田國男が最初にこの小子内を訪れて清光館に泊まったのは1920年のことですから、もう80年以上も前の話です。
 柳田国男はその6年後に小子内を再訪したのですが、その時には清光館はなくなっていました。その間の顛末と時代の変化に対する柳田自身の感傷的な気持ちを書いたのが「清光館哀史」です。再訪した時、柳田國男はたまたま浜辺にたむろしていた娘たちから盆踊りの歌の歌詞を聞きます。「なにャとやーれ なにャとなされのう」というその歌詞は、東北の貧しく苦しい生活の中で一夜の夢を求める切ないもので、それを聞いた柳田は「痛みがあればこそバルサムは世に存在する」という有名なフレーズを書いています。

 もう15年以上前になるでしょう、私は何度目かの東北バイクツーリングに出かけ、北山崎あたりの45号線を青森に向かって北上していました。そのとき、ふとこの「清光館哀史」を思い出し、小子内の集落に行ってみたのです。
 しかしそこは、三陸海岸沿いによくある何の変哲もない小さな集落に過ぎず、柳田の「清光館哀史」に書かれているような80年前の面影は、全くありませんでした。確か、「清光館哀史」の舞台であることを説明する看板か石碑が立っていたように思います。  特に何もない集落を歩きながら、それでも「清光館哀史」に描かれていた大正時代の集落の様子を少しでも思い浮かべようとしていた自分を思い出します。

 私は東北ブームにも興味はないし、柳田国男という民俗学者にもほど興味はありません。でも、「清光館哀史」というエッセイだけは、今でも三陸海岸を訪れるたびに思い出してしまいます。

 東北新幹線が延長された話からの連想で、雑然とした思い出話を書いてしまいました(笑)



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