ここはオルタナティブ・デジカメサイト。デジカメとMPEG-4動画の話、サブカル系の駄文コンテンツをどうぞ…
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画像日記   〜都会に暮らすサイレント・マイノリティの発言


2002/11/29

 突然、冷蔵庫が壊れました。一昨日の深夜から冷えなくなったのです。冷蔵庫ってヤツは、壊れるという状況を普段から全く想定していないので、非常に困ります。冷凍室に入っていたものは全部パー。牛乳や野菜は、とりあえず外の方が気温が低いだろうということで、ベランダの日陰に避難させました。肉類やバターなんかは、もうダメでしょうね。
 冷却ユニットや強制循環ファンなど主要部品の保証期間は5年間なので、一応無料修理をしてもらえるようですが、それにしても出張修理に来るのは3日後、それまでには多くの食品が腐りそうです。
 こういうことがあると、冷蔵庫に大量の食品をストックしておくのも考えものです。毎日食べるものは毎日買う…という「在庫のない生活」の方がシンプルかもしれません。でも、主婦の視点で見れば、特売日に大量に買って買い貯めておくことができなくなります。相対的に見て食費がアップします。
 結局、現在人にとっては「合理的な生活」の多くが、安定した電力供給に支えられているわけですが、これはある意味で脆弱な生活基盤とも言えます。電気は必ずあるもの…ということを前提に文化的生活を営んでいるのも、ちょっと恐ろしい話です。

 カメラも同じです。デジカメにしても、システム化が進んだフルオートの銀塩カメラでも、必ず電池(二次電池)を必要とします。電池がなければ、シャッターだって切れません。昔の機械式シャッターを搭載したマニュアルカメラなら、電池がなくても写真は撮れますよね。以前使っていたニコンFM2やペンタクッスMXなんかは、電池がなくてもAEが使えないだけで、シャッターは切れるわけです。

 …で、こんな話を書いて、何が言いたいのかというと、別に何もありません。典型的なエッセイ風の書き出しで、最後は「現代文明に対する警鐘」と「自然環境の保護」を訴えて締める…という文をジョークで書こうかと思ったのですが、何だかバカバカしくなりました(笑)
 私は、冷蔵庫が壊れたからといって、冷蔵庫のない生活をしようなんて気は全くないし、機械式シャッターを搭載したマニュアル一眼レフを礼賛する気持ちもありません。毎日使うのはデジカメの方がいいですね。

 際限なく利便性・快適性を求める人類のあり方に疑義を呈し、現代文明を皮肉る…というスタンスは、エセインテリに多く見られる典型的なポジションです。エベレストでゴミの清掃をしたぐらいでTVで環境問題を訴えてイッパシの口を利く登山家や、田舎に家を建ててちょっとした菜園で農家の真似事をやったぐらいで自然の素晴らしさを熱心に説く芸能人…なんてのが増えてきています。こういうヤツらって、反吐が出るくらい嫌いですね。

 今日の日記、なんだか妙なことを書いています。私は誰に対して、何に対して苛立ってるんだろう。…もうやめときましょう(笑)

2002/11/28

 以前、「ライターというお仕事 その1」というコンテンツを書きましたが、今回はその続きで「ライターというお仕事 その2」というコンテンツを書きました。業界で見聞きした話をもとに書いたものですが、半分はジョークです。
 「ライターの仕事をしたい」「フリーライターになりたい」…なんていう奇特な方(笑)がおられたら、ご一読下さい。

2002/11/27

 NTTグループが苦戦しています。今週月曜日に発売されたの週刊現代では、NTTグループの大規模なリストラの話題が面白おかしく記事になっていましたし、少し前のことになりますが「光通信網なぜ鈍足――NTT歯ぎしり、『整備新幹線』化危ぶむ声も」…という記事がありました。さらに、その後もドコモも含めてNTTグループ各社をめぐるニュース・話題には事欠きません。
 NTTグループの最大の失敗は、「国の政策の尻馬に乗った」または「国の政策を当てにした」ことかもしれません。もともと官業から出発しているNTTグループ各社は、未だに民業に転換しきれてはいないようです。
 NTT東西に関しては、FTTHの整備にあたって「eジャパン構想」を含めた、自らが国のIT政策の一翼を担っていると考えていたはずです。前述の記事にもあるように、「光通信網は政府の推進する『IT戦略国家構想』の主力インフラ」であり、NTTは、このまま光ファイバー網の整備にお金を注ぎ込んで行けば、どうにかなると思っていたのでしょう。
 それにしても、「顧客はFTTHではなく、価格の安いADSLにひかれた」…なんて、寝ぼけたことを言ってます。

 NTTドコモも似たようなもの。NTT東西のFTTH事業と同じく、FOMAによって「新しい通信インフラ」を作ろうとしたわけです。またiモードを海外に広げるために世界中の携帯電話会社に出資しましたが、これも自らのシステムを自らの資本投下によってデファクトスタンダードにしていこうという「自分でインフラ整備を行う」事業形態です。しかも。第三世代の携帯電話の普及は、ある意味で国のお墨付きをもらっています。
 でも、端末価格も通信料もバカ高いFOMAがそう簡単に普及するとは思えません。iモードのパケット通信料も伸び悩んでいます。1ユーザーが支払う電話料金は、通話分も含めて昨年よりも下がっているというのが現状です。FOMAは端末価格も高ければ、通信費も高過ぎます。一般的なユーザー、普通の世帯が、「携帯電話料」や「通信費」に払うお金の限界、というか「常識」ってヤツを読み違えているとしか思えません。いくら性能がよくても、一般ユーザーは払えないものは払えないのです。

 「快適な通信環境が得られるがサービス料が高い」という通信サービスは、おそらく一般家庭には普及しないでしょう。ADSLが普及したのは、サービス自体の価格設定もさることながら、ダイヤルアップ接続という従来方式よりも毎月の通信費が「安くなる」ユーザーが多いからです。より快適な通信環境がより安く得られる…からこそ、ADSLの普及が進みました。iモードも同じです。とりあえず「普通の携帯電話」として使う限り、従来の携帯電話と料金は変わりませんでした。FOMAも、高機能と言うだけではユーザーは増えません。高機能で安価…とまではいかなくても、少なくとも従来のPDC方式のiモードと同等の価格設定でなくては、ユーザーは増えるわけがありません。

 ところで私は、「eジャパン構想」に対して、どちらかと言えば批判的な立場です。情報化の推進なんてのはむろん、ネットワークインフラの整備だって基本的には国がやることではないというスタンスです。むろん、大都市部と地方とのデジタルデバイドの解消のために、国や自治体が一定の役割を果たす必要はあると思います。でも、現実には総務庁の助成を受けて光ファイバー網などを整備した地方の町村などで、実際にまともに使われていないシステムがたくさんあります。特に失敗例が多いのが「専用端末」を使うコミュニケーションシステムを整備する例です。莫大な税金を使って「お年寄りにも使える」なんていうタッチパネル型のユーザーインタフェースを持つSTB型端末を開発して各戸に配布したが、誰も使わない…なんて事例が増えてきています。特に失敗が多い事例として、地域向けのコミュニケーションシステムを作ったり、自治体が独自コンテンツを整備するケースです。たいていの場合、誰もそんなコンテンツを使わない…という結果に終わっています。国が委託した大手システムメーカーや大手ソフトウェア開発会社が儲かって終わり…という構図です。基本的には「地方に誰も使わない立派な道路を作る」というのと同じことをやっているわけです。

 あーあ、この国はいつになってもやっていることが変わりません。

2002/11/26

 昨日の出張は久しぶりの青森・弘前だったので、雪を被った岩木山の姿が見られるのを楽しみにしていたのですが、あいにくの雨天で、岩木山の山頂付近は厚い雲の中でした。

 その出張の往復で、文庫本を3冊読破しました。飛行機の片道1時間20分ずつと、羽田までの往復の電車がそれぞれ片道50分ずつに加えて、若干に飛行機の待ち時間もあります。これだけあれば最低4冊は読めると思ったのですが、さすがに帰りの電車は半分ウトウトしてました。
 まずは、二見文庫の新刊、ローレンス・ブロック「死者の長い列」で、むろん探偵マット・スカダーのシリーズです。このシリーズは最近ハードカバーで新刊が出るようになったので、このタイトルもかなり前に出ていました。でも私は、通勤途中で読むミステリーは、よほどのことがないとハードカバーを買いません。そんなわけで文庫化されるのを待っての購入でした。期待を裏切らない内容…というか、ある種のマンネリ感を感じるほどの手馴れた展開で、安心して読了できました。
 次に、ヘザー・グレアム「黒い鳥の唄」(MIRA文庫)です。北アイルランド紛争を題材にし、物語の舞台はボストンです。このシチュエーションに興味を惹かれて購入したのですが、はっきり言って面白くなかった。お勧めできません。
 3冊目は、東直巳「流れる砂」(ハルキ文庫)です。子持ちの中年探偵が主人公のハードボイルドなのですが、これは前作、前々作を上回る出来で、非常に面白かったですね。オウムを彷彿とさせる新興宗教団体の活動が背景にあるのですが、もっともらしい宗教観にオカルト的な味付けをした教義と、働く気力のない若者を上手く取り込んでいく現代の宗教団体の様子がリアルに描かれており、面白い作品でした。

 話は変わって、大手100円ショップチェーン「CanDo」で売っている、3段折り畳み傘は絶品です。200g程度と軽量で、バッグに入れておいても邪魔にならないし、けっこうしっかりしてます。私は既に5本ぐらい購入しており、昨日の出張にも持って行きました。
 それにしても傘に関しては、日本は価格・品質ともに世界で群を抜いていますね。アメリカなんて傘をさす習慣があまりないせいか、ロクな傘を売っていない。ニューヨークなんかで雑貨屋で購入すると安い折り畳み傘で5〜10ドル、品質はひどいもので、ちょっと風が強いとこわれちゃいます。ヨーロッパでも、駅なんかで売ってる折り畳み傘は10ユーロ近くする上、品質も良くない。アジアでは、傘はロクなものがなく論外です。
 私が愛用しているCanDo の100円の3段折り畳み傘を100本ぐらい買って、デカいスーツケースに入れてアメリカに持って行き、雨の日にニューヨークの街角で1本5〜6ドルで販売すると、あっという間に全部売り切れることを保証します。これで往復の航空券代が出ると思いますので、ぜひお試しを。

 1週間ほど前から、毎朝通勤の途中で通る自宅近くで、捨て猫を見かけます。建物と建物の間の10センチほどの狭い隙間に黒い子猫がいるのです。手を出すと「ミャァ」と鳴きながら近寄ってきて、手をペロペロと舐めるのです。すごくかわいいし、この寒空の下でちゃんと生活できるか心配なので、自宅に連れて帰りたいのですが、無責任に猫を拾うことはやっぱりできません。私は、20代の初めにたまたま拾った猫は、その後20年近く生きて1年ほど前に死んだところです。今猫を拾って、今後20年間面倒を見るとなると、さすがに気が遠くなります。今朝は誰かが餌をやったらしく、猫缶の空き缶が置いてありました。誰か心優しい人が拾って育ててくれることを、心から祈っています。

  
 今日の画像は、池袋駅構内に貼られていたコンタクトレンズ会社の巨大ポスターの一部です。  ポスターいっぱい書かれた山手線の路線図の駅名がダブって見えるので、一瞬自分の目が悪くなったのかと思ったら、「乱視用コンタクトレンズ」の宣伝した。ちょっと面白かったので、思わずA5301Tで撮っちゃいました。
2002/11/23

 今日は巷は祭日だけど、いつもの通りオフィスで仕事です。
 先ほど遅めの昼食から帰ってきたところですが、食べたのはベトナム料理です。池袋西口にあるベトナム料理「ミュン」、ここは知られざる池袋西口最高のランチスポットなのです。
 池袋西口を出て丸井本店方面に歩き、西口交番を過ぎるとモスバーガーがあります。モスバーガーを左折してすぐの路地にセブンイレブンがあり、その向かい側のビルの2Fに「ミュン」があります。ごく普通のビルの2Fで、道路に看板が出ていなければ、こんなところにお店があるなんて絶対にわかりません。狭く汚い階段を上がったところに、入り口があります。

  
 この「ミュン」、月〜金曜日の平日は、午後1時以降はランチが450円なのです。しかも、アイスコーヒーかジャスミンティが付いてくる。ランチメニューは6〜7種類で、「鳥カレー」「牛肉かけごはん」「豚焼きのせごはん」「チキン胸肉焼きライス」など。どのメニューもスープ(味噌汁)とサラダ付き、ボリュームも十分で非常に美味しいと思います。
 私は、ベトナム料理やタイ料理は特に好きってことはなく、香辛料が強かったり、コリアンダーが使ってあったりするものは苦手なんですが、このミュンのランチは日本人向けにアレンジした味で、非常に食べやすいものです。
 この味とボリュームで450円は安い! みなさんも池袋西口へお出かけの際は、ぜひ「ミュン」でランチを食べてみてください。なお、450円になるのは1時過ぎからで、1時までは550円です。

2002/11/22

 19日の日記に書いた、「WS30の世界」というサイトを解題する…話の続きです。まあいつもながら退屈な文章ですが、もともと他人が読んでどう考えるか…を考慮して書いている日記ではないので、勝手に与太話を書かせて頂きます。

 どうも私は、マジで「デジカメに対する思い入れ」がないらしい(いまさら…笑)。
 たかだか「カメラ付き携帯電話端末」に過ぎないau「A5301T」を本気でデジカメとして評価するようでは、もうこのサイトはデジカメ好きの人にとっては「終わってる」…のでしょう。いや、最初から気にもされていなかったのでしょうけど…。元はと言えばこの「WS30の世界」というサイト、草創期の頃から仕事でデジカメを使ってきた私が、たまたまトイデジカメの「WS30」を使ってみてけっこう面白かったので、「低解像度デジカメでこんな遊び方もできるよ」ってことを書いてみただけのもの。当初から「ちゃんとしたデジカメサイトを作ろう」などという気持ちは毛頭無く、実にいいかげんに始まったサイトです。
 ところが私は「饒筆」であり、「下手な駄文を書き出すと止まらない」という始末の悪い特異性格を有しているため、「低解像度の小さいデジカメで遊ぶのは面白い」という本来の主張がいつのまにか発展し、「大きいデジカメなんて遊びの道具としてはつまらない」という、どこまで本気かわからない主張(笑)…を展開するに至ったのです。

 確かにデジカメは仕事でよく使いますが、けっして趣味ではありません。でも、なんだかんだと言いながら、小さなデジカメを毎日カバンに入れて持ち歩いていることも確かで、もしかしたら「自分は普通の人よりはデジカメ好き」と思い始めていました。
 しかし、雑誌記事はもとより、他のデジカメサイトやデジカメ関連のBBSでの発言などを読んでいると、デジカメの機能や画質に関して、実に微に入り細に入り論評しているユーザーの方が多い。私はと言えば、デジカメで女の子の画像を撮ったり(ええハダカだって撮りますよ…)、旅先でやたらとデジカメデ画像を取りまくりことなどはあっても、デジカメの機能やら画質やらに関する確固たる意見なんてものはありません。むろん、デジカメ機能や画質について自分の意見を他人に披露したり、他人と語りあう…なんてことはほとんどありません。これは、各所で見られるデジカメ好きの行動様式…とは、あきらかに異なるものです。

 世の中には「モノとしてのデジカメが好きな人種」「写真が好きな人種」の2種類がいて、「モノとしてのデジカメが好きな人種」はデジカメの機能にこだわり、「写真が好きな人種」は撮影画像の画質や芸術性などにこだわります。私は、そのどちらにも当てはまらない。強いて言えば、「写真を撮影するという行為…が好き」「映像を記録するという行為…が好き」な人です。女の子と話していて、おもむろに小さなカメラを出して「パチリ」と画像を撮る…そんなシチュエーションが好きなんです。大量に撮るだけ撮って、撮った後の画像を見ないことも多いし、ましてや画質なんぞどうでもいい(そりゃ高画質の方がいいですが、あまり重要なニーズではありません)。デジタル画像を記録しまくって、それがパソコンのHDDに溜め込まれていれば満足であり、別に他人に見せたいとも思わないし、後から楽しもうとも思わないわけです。

 で、1つの結論に至りました。こういう妙な嗜好を持つユーザーは、ごくまっとうな「デジカメ好き」の方々のお仲間には入れないと…(笑)。別に、「モノとしてのデジカメが好きな人種」「写真が好きな人種」の仲間に入りたいとも思っていませんが、こうして1人で、他のデジカメサイトとはかなりベクトルが異なるデジカメ話を展開していると、「こんなことを書いていったい何の意味があるんだ?」という疑問に襲われることがあります。
 さらに、機能や画質なんかにこだわらず、ただ「写真を撮影するという行為…が好き」「映像を記録するという行為…が好き」なんてユーザーは、おそらく「デジカメメーカーが想定するユーザー」の対象外です。だから、デジカメメーカーが必死にユーザーニーズに対応し、ターゲットユーザーを絞り込んで市場に投入してくるデジカメ新製品の大半は、私の興味を惹きません。論評するのも面倒です。

 もはや、世の中のデジカメ好きの方々からは、はるか彼岸へと向かいつつあるこのサイトは、さらなる混沌の海へと船出しようとしています…なんて、バッカじゃないか…ですよね(笑)

2002/11/21

 今日は久々に、昨日の夜から今日の午後までの行動を「画像日記」で…(全てA5301Tで撮影)。
 それにしても、A5301Tがあれば、もうホントにデジカメはいらないなぁ。


まずは、新宿のアイリッシュパブで飲んだキルケニーです。


池袋の美味しい焼き鳥屋、「かめや」です。


これも「かめや」です。私はアスパラ巻きが好物。


Peace「Acorstic」のオマケのライター。


新宿の「ドコモタワー」です。


これはトヨタの販売店のショールームに置かれていた、名車「2000GT」のおもちゃ。


2002/11/20

 私が好きな「アメリカ」は、いったいどこへ行ってしまったのだろう…

 ここ何年か、毎年1月になると必ずニューヨークを訪れていました。仕事が忙しい時でも、コンピュータを持ち込み、イーストビレッジのサービスアパートメントを借りて昼間は仕事をしながら、夜のニューヨークを徘徊していました。人気のない凍えるような寒い冬の夜、クラブ回りをしたりカフェでビールを飲んだり…、毎年とても楽しい時間を過ごしていました。この時期恒例のTax Free Weekもあって、バーゲンになった冬物衣料を山ほど買い込むのも楽しみの1つでした。こうしたスタイルは、かつて70年代、80年代の一時期をニューヨークで暮らした私が、中年になって見付けた「新しいニューヨークの楽しみ方」でもあったのです。
 でも、昨年のテロ事件以降、ニューヨークには行ってません。来年の1月も行く予定はありません。別に、テロ事件後にニューヨークの街が荒廃したから行かないのではありません。「現在のアメリカ」に魅力がないから、ニューヨークにも行きたくないのです。

 私はアメリカという国が好きでした。住んでいた時にはひどい人種差別を受けたこともあります。人間関係で嫌な思いをしたこともあります。仕事上のトラブルもありました。それでも、アメリカは魅力のある国だと思っていました。アメリカの魅力とは、「多様な価値観の混在」です。ひどい人種差別や左右極端な政治的、宗教的主張などがあっても、必ずそれに対する批判が存在し、ある種のバランスが成立する…そんなところがありました。国家や帰属する企業・団体のあり方に影響されず、個人が個人の考え方を主張できる国でした。価値観を異にする多様な民族で成り立つアメリカは、この微妙な「バランス感覚」の上でこそ、国家の体を成していたのでしょう。

 しかし、現在のブッシュ政権下のアメリカは、多様な価値観が混在する国ではありません。ましてや「自由の国」でもありません。少なくとも、特定の価値観以外のものが封殺される国です。
 全てに優先する「テロとの戦い」を名目に、アラブ系の移民が理由も無く予防拘禁され、FBIによって密告が奨励されています。ブッシュの政策に批判的なマスメディアは影を潜め、3大ネットワークは御用放送局となりました。中間選挙において民主党は、「テロとの戦い」「イラク攻撃」に関する、踏み絵を踏まされることになり、公然なるイラク攻撃批判は影を潜めています。
 現在のアメリカは、異様なほどに星条旗が目立つ国となりました。もともとアメリカは国旗が好きな国で、至るところに星条旗が掲げられていました。それは多民族国家ゆえの象徴であったと思います。しかし現在のアメリカでは、星条旗は別の意味を持ちます。アメリカ国民以外の存在を拒絶する…意味です。アメリカは「アメリカ以外の国」や「他国から訪れる者」に対する寛容性を失いました。

 アメリカにおける体制批判といえば、60年代〜70年代を思いまします。アメリカが国を挙げて戦ったあのベトナム戦争時ですら、国家の方針や戦争に対する批判は許されました。反戦運動が盛り上がり、歌手ジョーン・バエズは敵国ベトナムの首都ハノイを訪れて歌いました。大量の徴兵忌避者も出ました。全米の大学のキャンパスは、反戦デモに参加する学生で埋め尽くされました。それは、アメリカ国民の中の多くの人が、ベトナム戦争が「大儀のない侵略戦争」であることを知っていたからです。
しかし、現在ブッシュ政権が行おうとしている「テロとの戦い」そして「イラク攻撃」に関しては、こうした批判は許されません。テロとの戦いは「絶対不可侵の大儀」であり、反論は許されない雰囲気が漂います。こうした状況の中でも、ブッシュの方針に果敢に異議を唱える人達もたくさんいますが、世論は味方せず苦戦を強いられています。

 もし今、私がアメリカを訪れ、マンハッタンのバーで飲んだ勢いでイスラム礼賛論でも喋っていたら、近くの席に座った人からFBIに密告され、拘束される可能性だってあります。そんな現在のアメリカは、まるで第二次大戦後の「赤狩り」、マッカーシー旋風の時代にそっくりです。

 私は、アメリカという国が正気に戻るまで、渡米を控えることにします。あのマッカーシー旋風だって、時間が解決しました。大戦後から50年代初頭までのアメリカの殺伐とした管理社会は、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなどが輩出した希望の60年代へと変わって行ったのです。今回の狂気の時代だって、きっと何年か後には、あの「多様な価値観が混在するアメリカ」に戻っているでしょう。

 ただし、そんな時代が来るまで「世界」は秩序を保っているでしょうか? アメリカのイラク攻撃は、西欧世界とイスラム世界との文明の衝突を、修復が不可能なほど決定的なものにしそうな予感がします。ブッシュ政権下で活発なロビー活動を続ける保守的なカトリック教徒達の、「非キリスト教国家の軽視」も恐ろしい。欧州諸国やアメリカがここまで多民族、他宗教国家となっている現状で、こうした文明の衝突が起これば、世界は崩壊します。ある意味で、「第二次大戦後に作り上げた世界秩序の終焉」を迎えているような気がします。誰もが自由に世界を旅行できる時代は、既に終わりを告げたのかもしれません。

 こうした冬の21世紀を迎える中で、日本という国では、その政治指導層も官僚も、さらに問題なのが経済界も一般市民の大半も、なんら歴史的な展望を持つことができず、崖っぷちへと追い詰められつつあります。日本に国籍を持つ市民には、他の多くの国と較べてもさらに暗い時代が到来しようとしています。  でも、私自身はこうしたこと全てに興味を失っています。もう、十分に好きなことをやって生きてきました。これからも、世界がどうなろうと好きなように生きて行きます。別に、仕事が食えなくなってもいっこうに構いません。年末も近づき、まもなく年が明けます。来年は、さらに破滅的に遊んでやろうと思っています。

2002/11/19

 今日は特に書くネタがありません。って、別にいつも何か文章を書くネタがあるわけじゃないけど、私は「テーマさえ決めれば、いくらでも駄文を書ける」…という、悲しい習性というか技術を持っています。ところが、今日はそのテーマを思いつきません。と言うか、別に書きたいことがありません。じゃ、何も書かなきゃいいじゃないか…とツッコミが入りそうですが、実は私、現在30分間ほど「暇」があるのです。暇があると何かを書く…というのが私の習性であり、これはプレーリードッグがやたらに穴を掘るのと同じです。
 そんなわけで、今日は「WS30の世界」という、自分のサイトを少し解題してみようと思います(なんのこっちゃ…笑)

 さて、唐突な話ですが、日記サイトって非常に多いですね。自分でホームページでも作ってみようか…と考えた時、コンテンツって意外と無いもの。何か趣味があれば、自分の趣味に関するホームページを作ればいいけど、世の中には「他人に自慢できるほどの趣味」がない人の方が圧倒的に多い。
 それで、自分ではどんなコンテンツが出来るか…と考えたあげく、とりあえず日記サイトでもつくろう…と考えるわけでしょうね。で、日記の次ぎぐらいに簡単にできるのが、デジカメ撮影画像のアルバムサイト。毎日会社や学校の行きかえりに目に付くものを撮って、ちょっと気の利いたコメントでも付ければ一丁上がりです。さらに、その次ぐらいに多いのが「旅行記サイト」です。ひどいサイトになると、誰でも行く国に始めてツアーで行った記録や、家族で行った温泉旅行の記録だけでサイトを作ってたりします。
 むろん、日記やデジカメ画像や旅行記をコンテンツとする優れたサイトがないわけじゃない。しかし、日記サイトもデジカメアルバムサイトも旅行記サイトも大半が安易なもので、これは面白い…というのがほとんどないのも事実です。
 私はホームページネタの中で、「日記」「デジカメ画像アルバム」「旅行記」の3つを、密かに「3大バカコンテンツ」と呼んでいます。

 …で、私は考えるのです。この「WS30の世界」というサイトだって、「日記」「デジカメ画像」「旅行記」という、「3大バカコンテンツ」が含まれているではないかと…(笑)

 それはさておき、Webサイトの「コンテンツ」と言えば、その代表的なものが「文章」と「画像」です。面白い文章、面白い画像の定義はいろいろとあるでしょうが、私が思う「面白さ」とは「エントロピーの大きさ」です。私は、言葉や画像にはその内容を問わず「エントロピーの大小」があると思っています。エントロピーが大きいほど、面白いのではないかと仮説をたてているのです。「混沌の度合いが大きいほど面白い」と言い換えてもよいかもしれません。
 例えば政治家のホームページなんかを見ると、書いてある文章の面白くないことといったらありません。いかにもこの人なら言いそう…という内容ばかりで、要するにこれはエントロピーがないのです。まあ、政治家なんて職業にエントロピーを求めるのが間違っているかもしれませんが…

 むろん「情報としてのWebコンテンツ」を考えれば、エントロピーの大小は無関係です。郵便料金が見やすく掲載されているサイトは非常に役立つ情報サイトですが、面白いサイトである必要は全くありません。エントロピーなんて不要です。だからどんな分野であろうと、例えそれがエロ情報であろうと、有用な情報サイトは、エントロピーの有無に関わらず必要な存在です。

 私が作っているこのサイト、けっして「有用な情報サイト」を目指しているのではありません。ましてや「デジカメに対する自分意見」を表明したいわけでもありません。膨大な駄文コンテンツや画像コンテンツをぶち込みながら、常にエントロピーの増大を目指しています。つまり、混沌の度合いを強めようとしている…という意味だと思ってください。
 「混沌」こそがこのサイトとっての価値であり、「混沌を極める」ことこそがサイト運営の当面の目標です。

2002/11/18

 パソコンのHDDの中で、昔懐かしい1998年の各社デジカメの撮影サンプルを見つけました。
そこで、「デジカメは4年間でいかに進化したか」というコンテンツを作ってみました。


2002/11/15

 日本カー・オブ・ザ・イヤーにホンダ「アコード」が決まりました。カー・オブ・ザ・イヤーなんてご大層な話です。自動車に思い入れがある人には申し訳ありませんが、車なんてどれも一緒。昨今クルマのメーカーが、「環境に優しい企業」なんて言ってるのを聞くとアホかって思いますが、それよりも、たかがクルマに「文化」を持ち出すのには辟易します。
 クルマはどうでもいいけど、「エンジン(ガソリン内燃機関)」には非常に興味があります。まあ私の世代のバイク乗りの常識として、自分でエンジンをいじらなければ乗れなかった…という状況から来るものです。ツーリングの途中でエンジンの調子がおかしくなると、道端でキャブレターを分解したり、ポイントを磨いたりするのは当たり前。整備上必要なら、トルクレンチを使ってシンリンダーヘッドだって開けました。初めてのDOHC車(CB450)に乗った時には、工具入れにタペットクリアランスを測るゲージまで持っていたものです。エンジンというのは生き物みたいな部分があって、メカ好きの私には、かなり面白いオモチャでした。

 ところで、非常にラフな話ですが、日本では石油消費量の40%以上が輸送部門で使われており、うち80%近くを自家用車で消費しています。つまり、全石油消費量の約1/3を自家用車が占めているというわけです。だからこそ、燃料消費量が少ない「エコカー」の開発に各社がしのぎを削っているわけですね。でも、ハイブリッド車はコスト高のうえ不合理な代物だし、燃料電池車が現行のクルマ並に普及するにはまだ10年以上かかるでしょう。
 私はいつも不思議に思うのですが、クルマが消費する燃料の総消費量を減らすのなら、車の排気量に制限をかけるのが、一番手っ取り早いと思うのですが…。要するに、自家用車に限って1000cc以上のクルマを禁止するか、1000cc以上のクルマにバカ高い取得税でもかければいいのです。そうすれば、排気ガスによる大気汚染の問題だって、大幅に改善するでしょう。
 現在私が時々使っている車は、個人オフィスで乗っているVW「ゴルフGTX」(1800cc)で、これは都内走行時の燃費は平均8km/lです。一方自宅で家人が使っているNISSAN「プリメーラ」(2000cc)は、都内走行時の燃費は平均7〜8km/l程度です。いずれも、高速道路や郊外国道を中心とする長距離ドライブ時には15km/l程度まで燃費が伸びますが、まあ都内と近郊の走行が多いので10km/lは絶対にいきません。ところが、三菱「EKワゴン」という軽乗用車に乗っている友人がいるのですが、彼は都内中心でたまに東京郊外を走るという私とほぼ同じ使い方をしています。それで燃費を聞いたら、13km/l〜15km/lだっていうのです。

 私の友人で自動車メーカーでエンジン設計に携わっている男がいますが、彼に言わせると「燃費の良いエンジン」を作るのは簡単だということです。「排気量を小さくする」「出力を落とす」…ことさえ許容されるのであれば、簡単に低燃費エンジンを設計できるというのです。最初にこの話を聞いた時、「当たり前」だと思ったわけです。排気量と出力はほぼ比例すると考えれば、低格出力を半分に落としてよいのなら、排気量が半分のエンジンでOKだし、それなら燃費を2倍にするのは簡単です。友人のエンジニアに、先の友人の軽自動車と自分の2000ccの車の燃費の話ををしら、細かい設計ファクターや高度な低燃費技術の話をあえて無視すれば、「660ccのエンジンの燃料消費量は2000ccのエンジンの半分以下」…というのは、妥当な話だそうです。
 でもこの、実につまらない「当たり前の話」は象徴的な意味を持っています。GDIのような低燃費技術でも、プリウスのようなハイブリッド車でも、「いかに出力を落とさないか」を至上命題にエンジン開発をしており、大変な労力が使われています。でも、そんなことをしても燃費を半分にまで出来るかどうか…ってとこですね。

 人類社会にとって環境問題が重要で、石油消費量を絶対に減らさなければならない。そのためにはどうしても燃費のよい車を作る必要がある…というのなら、そんな面倒なエンジン開発に社会資本を注ぎ込むことをやめて、あっさりとみんなが軽乗用車に乗ればいいだけ…、という気がするのですが…。

 結局クルマの馬力とは「快適な走行性能」という「余裕」を作るためには必須とされています。多くの人にとって、車とは「人を4人乗せて最高時速100Kmで走ればいい」というモノではないし、メーカーの方もそう思ってもらっては困るわけです。よく冷えるエアコンも欲しいし、いい音のカーステレオも聴きたいし、カーナビも使いたい…ってわけです。
 私なんか長年縛に乗っていたので、実はカローラもベンツも乗り心地は同じ…です。スーパーカブで300km走ることと比較すると、カローラで300km走るのもベンツで300km走るのも大差はないわけです。どっちも楽チンです。
 でも、多くのユーザーは「クルマ」に対して、「人を4人乗せて最高時速100Kmで走る」という以上の付加価値を求めます。1000cc以上のクルマの販売を禁止する法律なんてすぐにでも作れるにも関わらず、そんな話には絶対にならないでしょう。「余裕を持って走る」というニーズを充たすことは、社会にとって「環境問題」よりも上位にあるというわけです。
 私は、個人ユースの自家用車に、実用上「人を4人乗せて最高時速100Kmで走る」という以上の性能は、全く不要だと思います。これなら、制限すべき最高排気量は1000ccでも贅沢です。500cc程度にだって設定できるし、それでもエアコンぐらいは使えます。必要以上快適性を求めるのは、完全に趣味・嗜好の世界です。趣味・嗜好で膨大な石油を消費し、大気汚染を引き起こしているわけですから、選択肢として軽乗用車が存在するにも関わらず、遊びで大排気量車を購入して乗っている「クルマ好き」のメンタリティの反社会性は、「喫煙者」と変わりませんね。

2002/11/14

 現在行われているポール・マッカトニーの日本公演は、かなり評判がいいようです。年齢の割に声も良く出ていたそうですし、何よりもポール・マッカトニーが歌うレット・イット・ビーやヘイ・ジュードは、ビートルズファンにはたまらないものなのでしょう。
 しかし私は、以前も書いたように、ビートルズが嫌いです。正確に言えばビートルズの音楽には何の興味もありません。ビートルズの音楽って、私にとっては「ポール・モーリア」と同じ。いやJポップの「グレイ」、いや「SMAP」あたりと同じかも…(笑)。要するに毒にも薬にもならないポップスにしか聞こえません。聞いても心が動かない、実に退屈なサウンドです。あれがロックだとは思えないし、長時間聞いていると眠くなります。だから、実は嫌いなのはビートルズではなく、「ビートルズファン」なのかもしれません。
 ビートルズファンが嫌い…という言葉には、少し説明を要するでしょう。ビートルズファンは、「ビートルズ嫌い」に対して敏感に反応します。ビートルズが嫌い…とでも言おうものなら、「音楽好きでビートルズが嫌いな人間はいない」「ビートルズの音楽は普遍的だ」「ビートルズの全てを知らないくせにビートルズ嫌いというのはオカシイ」…など、嵐のようにビートルズ賛美の言葉が返ってきます。その上で、ビートルズの音楽について滔々と講釈が始まったりする。ウザいったらないですね。
 音楽の好き嫌いというのは、単純かつプリミティブな話です。嫌いな音楽に理屈はありません。でも「偉大なビートルズ」を批判することは、そういう「単純な好き嫌いの話」にしてはいけないらしいのです(笑)
 言わせてもらえば、ビートルズはどうでもいいけど、生理的に受け付けないのがジョン・レノン。「イマジン」に代表される、「世界を平和に!」というメッセージは不愉快でしょうがないですね。ジョン・レノンの歌を平和のシンボルにして、手を繋いで歌っているような連中は、虫唾が走るくらい嫌いです。
 私は中学生の頃に解散直前のビートルズに触れた、最後のビートルズ世代です。私よりちょっと前の世代の人間について、よくこんなことを言います。「ビートルズ派とローリングストーンズ派に分かれ、体制的なのがビートルズファン、オルタナティブがストーンズファン」…、アホらしい。私はストーンズも別に好きではありません。第一、商業ロックである点はどちらも同じです。オルタナティブを意識して戦略にしている分だけ、ストーンズの方が生理的に嫌かもしれませんね。

 私がロックを好きな理由は、「サブカルチャー」であり「オルタナティブ」な音楽だからです。それも「普遍性を持つオルタナティブ」でなくちゃ、生理的に受け付けない。ビートルズは、確かに登場した時点では「サブカルチャーの端っこ」ぐらいにはいたかもしれません。しかし、その後のビートルズは、堂々たるミュージックカルチャーの本流を歩みました。現在のビートルズファンは、オルタナティブの側からみると、「紅白歌合戦」を喜んで見ている人達と同じ側にいるようにしか見えません。

 話は変わって、2chのこのスレ、個人的にはけっこうウケました。2chって、間違いなくたくさんのオジサンが書いてますね(笑)

2002/11/13

 新たに、「無意味な画質比較評価  〜デジカメの発色とは?」というコンテンツを追加しました。まあ、いつもの戯言です(笑) 再読していないので誤字・脱字がたくさんあるかもしれませんがご容赦を…

2002/11/12

 街角に増え続ける監視カメラが物議を醸しています。全米同時テロ事件以降、米国では監視カメラの大規模設置が進んでいますし、もともと監視カメラが多数設置されていたロンドンなどの欧州諸都市でも、一段とカメラ設置のペースが上がっています。  日本国内でも、街頭監視カメラの設置は急ピッチです。東京、大阪などの大都市の繁華街では多数の監視カメラが設置されていることは周知の事実ですし、徐々に地方自治体にも広まっています。

 監視カメラ設置への賛成論者は「街路は危険がいっぱい、監視カメラは犯罪防止に有用」…と強く主張します。反対論者は当然「プライバシーの侵害」「監視されることの不快感」を強く表明します。
 プライバシー問題を主張する反対論者に対して、賛成論者は「あなたが、例え自分の子供が通り魔の被害にあっても監視カメラ設置に反対するのか?」…と問いかけます。ある面では説得力がある論法です。

 私は公道の街頭に監視カメラを設置することには反対です。まあプライバシーがどうの人権がどうのという難しい話よりも、「誰ともわからない人間に自分の行動を見られている」のは、非常に気持ちが悪いのです。私は、誰かに監視されながら日常生活を送る…、という状況を受け入れることができません。カメラ付きの部屋に監禁されている状況と、たいして変わりがないような気がします。

 「あなたが、例え自分の子供が通り魔の被害にあっても監視カメラ設置に反対するのか?」という疑問に対しては、そうした事態に対する監視カメラの有効性に疑問があります。例えば新宿・歌舞伎町一帯には数十台の監視カメラが設置されていますが、人に危害を加える…とか、恐喝して物を取る…といった行為は数十秒で完結します。数十秒の間に、必ず警察が駆けつける…というのは難しいでしょう。また、人相の記録に関しても、監視カメラ設置がひろまれば、カメラに人相が写らないようにして犯罪を犯す人間が増えるだけのような気がします。

 さらに最近は、人相をスキャンするカメラの設置も始まりました。群集に紛れているテロリストや犯罪者を発見するのが目的だそうですが、こんなものが大量に設置されれば、ランダムに抽出した人間に対して「行動のデータベース」を作ることができちゃいます。私は自分の行動範囲や鼓動パターンを警察や官僚に知られたくない…というよりも、自分の身近に人間にだって知られたくありません。
 よくこんなことを言います。「自分の行動にやましいことがなければ、監視されていてもいいじゃないか」…と。私は、自分の行動にやましいところがたくさんあります(笑)。マリファナも吸いますし(むろん許された海外だけです)、日本の公道では、人妻と腕を組んで歩いていたりもします。時々は、女友達のマンションを訪ねたりもします。自分はモラルを持つ人間と確信していますが、その自分なりのモラルと、社会が要求するモラルとが一致しない部分がたくさんあります。そんな私にとって、カメラで監視される日常生活なんてものは、悪夢以外の何物でもありません。私は、自分のモラルと社会のモラルが対立することで、社会の一部から非難を浴びることをそれほど恐れてはいません。しかし、非難を浴びれば、黙ってはいません。勝ち負けは別にして、要するに喧嘩をしちゃうでしょう。でも、私は争いごとは好みません。社会の片隅でひっそりと好きなことをやって生きてゆきたいのです。

 オウム事件で効果を証明して以降、Nシステムも強化されつつあります。私は、車で行動する時、Nシステムのカメラ設置場所を意図的に避けることがあります。そうでもしないと、生理的な拘束感を感じてしまうのです。

 Winnyを使い始めました。やはり「ネットにおける匿名性」は重要だと考えます。Winnyなら、ほぼ完全に近い匿名性を保ってのコミュニケーションが可能です。普段はこうして素顔を晒してネット・コミュニケーションを楽しんでいますが、時には完全に匿名で遊びたいこともあります。
 それに…、将来的にネットを監視する側と決定的に対立するという状況が来ないとも限りません。最近の日本の政治や経済を見ていると、現在の権力構造をいったんぶち壊した方がよいかもしれない…なんて思ったりもします。その時には、完全な匿名性を守れるP2Pネットワークは強い武器になるでしょう。

2002/11/11

〜人は見えるものを見ているのではなく、見たいものを見ている


 私は「必要以上にデジカメの画質にこだわるべきではない」と何度も述べています。その証左として、私は本サイトのあちこちで「視力1.0の人間の目の分解能は300dpi程度」と書いています。これは、ある意味で「象徴的なスペック」として書いているわけで、実際に人間の目は、単純に分解能だけで対象物を認識するわけではありません。特に「階調認識能力」は、人間の目は非常に高いようです。その上、人間は「過去の記憶と比較して識別する」という能力も持っています。こうした様々な能力を考え合わせると、人の「画像認識能力」は物理的な数値以上に高い…とも言えます。

 しかし、こうした目の能力の問題よりも、人間の視覚特性としては、次の事実の方が大きな問題です。それは…、人は見えるものを見ているのではなく、見たいものを見ている…という事実です。
 これは「人間の知覚としての視覚」の本質に関わる問題です。

 例えば標準的な目の視野の角度は、横方向で約200度(片目だと約160度)、縦方向で約120度です。でも、この文を読まれているあなたが実際にどこか視野上の一点に目を向けてみると、真横のモノはよく見えません。真横のものを見ようとすれな見えるのですが、例えば正面にいる人の顔を見ようとすると、視野の隅っこの方にあるものはよく見えないはずです。
 しかし、例えば誰もいないはずの建物の中に人の気配がするので用心深く人影を探す…という場合など、「視野に入る動くもの」を全て捉えようと感覚を研ぎ澄ます。こうした場合には、確かに人は視野の隅々まで見ようとします。
 ところが日常生活の中では、人は「視野の隅にあるもの」を普通は見ようとはしていません。

 高画質デジカメの優位…を主張する人は、隅々までシャープに写った解像度の高い画像をよしとします。しかし、こうした画像は「人間の視覚特性に著しく反する」ものです。広角レンズで撮影した隅々までシャープな風景画像…、それは撮影された場所で実際に人間が見ている画像とは相当に異なる画像のはずです。

 もう1つ例を挙げましょう。赤い服を着た女の子の写真を撮影したとします。よくデジカメのインプレッションなどを読んでいると、「このデジカメで撮影した赤は実際の赤と違う」…などと書かれており、あたかもそれが大きな問題のように扱われます。
 確かに人間は高い色の識別能力を持っており、人間の目が識別可能な「色度」から見る認識可能な色数は、「1千万色に達する…」などとも言われます。ところが、この「識別可能」というのは現実に隣り合っている色を目で見て識別する場合の話です。デジカメの機能として問題にしなければならないのは「記憶色」との差です。あなたは自分の娘や彼女が来ている赤いセーターの色が、「どんな赤か」を記憶していますか?
 化学実験分野や広告分野など厳密な色再現性が求められる用途はともかく、日常の風景を撮影するデジカメに求められる記憶色の再現能力が、それほど高いものである必要はない…と思います。

 ともかく人間は、「見えるものを見ているのではなく、見たいものを見ている」…のです。

2002/11/10

 HDD内蔵型MP3プレヤーの購入で悩んでいます。CREATIVE「NOMAD Jukebox Zen」を購入するか、NOMAD Jukebox2を購入するか…です。「そんなもん好きににしろ!」などと言わず、まあ聞いて下さい(笑)。
 カッコで選択すれば、文句なしに「Jukebox Zen」です。そもそも「Jukebox Zen」が発表された瞬間に「欲しい」と思ったのです。ところがその後「Jukebox2」が発売されて、細かいところで悩み始めました。まず、「Jukebox Zen」よりも「Jukebox2」の方が、見かけによらず軽量なのです。おまけに連続駆動時間も長い。さらに、実売価格も「Jukebox2」の方が1万円は安い。でも、それだけの違いだったら、やはりカッコイイ「Jukebox Zen」に決めたでしょう。最大の悩みはインタフェースの違いです。「Jukebox Zen」はIEEE1394ですが、「Jukebox2」はUSB2.0なのです。私は、IEEE1394なんて汎用性のないインタフェースは好きではないのです。むろん、今使っているデスクトップPCにもノートPCにもIEEE1394はついていますし、DVの取り込みには使っています。でも、これからは汎用性の高いUSB2.0の時代だし、私は周辺機器は出来る限りUSB2.0で統一していこうと考えているわけです。ああ、「Jukebox Zen」がUSB2.0だったら、こんなに悩まないのに…
 「iPOD」はどうかって?…あれは遠慮しときます。私はApple製品やSONY製品に代表される、あの手の「いかにもあざといデザイン」が生理的に嫌いなんです(笑) まあ「ヒネクレ者」だと思ってください。

 話は変わって、最近は西池袋の街も変化が激しいですね。
 池袋西口に開店した「光麺」、従来からある東口店もけっこう気取った内装の店ですが、西口店はさらに気取ったお店。もうカフェバーと見まごうばかりの内装です。入り口もおしゃれだし、一階と二階は吹き抜けになっていて、中央部には透明のエレベーターが2基。かなり薄暗い店内照明は、ラーメン屋向きじゃないと思います。どんぶりが深過ぎて食べにくいのもマイナス。「熟成光麺」の味は別に嫌いじゃないけど、「たかがラーメン屋」でここまで気取るか…って感じですね。あ、画像はA5301Tで撮影した「熟成光麺」です。
 それにしても、劇場前通りの立ち食い蕎麦の名店「伊那」が閉店したのは痛い。その後、伊那の設備をそのまま使って出来たのは「地鶏蕎麦」という妙な立ち食い蕎麦屋です。そばつゆが美味しくないし、地鶏入りのかき揚げも美味しくない。もう2度と行かないぞ。
 11月26日には、川越街道と山手通りがぶつかるあたりに、「ドンキホーテ」が開店するとの情報。オフィスから歩いて行ける場所なので、夜中に買い物に行きそうだなぁ…

2002/11/8

 昭和32年から続いた東京・練馬の老舗バイクショップ「茂木モータース」が閉店して、既に数年経ちます。現在も練馬に住む私は、茂木モータースがあった場所を通るたびに、60代の半ばで引退して故郷の気仙沼に帰った茂木光男氏を思い出します。
 初めて茂木モータースを訪れたのは、1970年代の終わり頃です。アメリカから帰ってきて練馬に居を構えた私は、当時乗っていたKAWASAKI「90SS」のエンジンの調子が悪くなったので、たまたま目に付いた「茂木モータース」にバイクを持ち込みました。要するにオイルでマフラーが詰まっていたのですが(90SSはよく詰まったのです)、マフラーの掃除をして欲しいと頼んだところ、「工具を貸してやるから自分で掃除しな…」と言い放ったのが、店主の茂木光男氏でした。
 その後、茂木モータースとの長い付き合いが始まり、ここで何台のバイクを購入したのか記憶にないほどです。当時は自分でバイクを整備することを信条としていましたが、それでもロングツーリングの直前には必ず持ち込んで、「1週間で4000Kmは走るから壊れないようにあちこち見ておいて…」などと頼んだものでした。あまりお金のない頃で、それでも欲しいバイクがあると、「ある時払いの分割でいいよ」…なんて言ってくれるので、その言葉に甘えて次々と新車を購入しました。
 ライダーとバイク、そしてバイク屋さんとが一体であった、古き良き時代のバイクライフでした。

 茂木光男氏は1981年に、街の片隅のバイク屋の歴史…を書き綴った「バイク賛歌(茂木光男著)」という本を出版、その編集を手伝わせて頂いたりしたのも思い出です。昭和32年頃にはスーパーカブが飛ぶように売れたけどブツが無くてどうしても仕入れられなかった話、バイクが売れに売れて大晦日もお正月も休まず営業した話、昭和30年代後半にはYAMAHAの代理店として全国でも有数の売上げを達成し、欲しいバイクがあるとYAMAHA本社の役員を呼びつけて納品させた話、店の客といっしょに浜松にツーリングに行ってYAMAHA本社に押しかけて無理やりテストコースを開放させて遊んだ話…等々、街のバイク屋さんの話は日本の戦後の高度経済成長に重なる、とても面白い話でした。

 私が最近あまりバイクに乗らなくなったのは、この茂木モータースが閉店したことが大きな原因です。自分で手を汚してバイクを整備するのは嫌いじゃないけど、ともかく今は仕事が忙しくてゆっくりバイクを整備するヒマがない。かといって、整備を委託して信頼できるバイクショップが無い…、こうなるとバイクに乗るのが億劫になります。
 最近では、バイクは「量販店」で買うのが当たり前。バイクが故障して、購入した量販店に整備に出せば、メーカー指定の整備工場に送られて整備されて帰ってくるだけ。私は、目の前で整備してくれる腕の良い整備士がいないと不安なのです。バイクって、そんなところがクルマと違います。
 目の前で整備してくれるバイク屋さんは、少なくなったとはいえ、今でもあるのは知っていますが、新しく行きつけのお店を作るのも面倒です。
 そんな私は、本当にバイクに乗る機会が減りました。寂しい限りです。練馬のバイク乗りに愛された「茂木モータース」のこと、誰かがちゃんと記録に残しておかなくては…と思っています。

2002/11/7

 銀塩カメラ遍歴についてサイト内でも少し書いていますが、かつて自宅で暗室作業をしていたことがあります。ラッキーの引き伸ばし機など暗室用具一式が、いまでも自宅の押入れの中に眠っています。コダックの「D-76」も、どこかで腐ってるかも…。
 私は、趣味の写真を引き伸ばす時には、RCよりもバライタ紙が好きでした。水洗には時間がかかるのですが、重厚な感じの写真ができるのです。
 まあ、仕事関係の写真は全てデジカメで撮るようになったので、暗室用具などは2度と使うことはないと思います。便利になってよかったとは思うのですが、反面、あの現像液を入れたバットの中でペーパーを揺らしていると、オレンジ色の暗室用ランプが照らす」薄明かりの中で、徐々に画像が浮かび上がってくる感覚を思い出すと、あれはあれで面白かったとも思います。銀塩写真の現像・焼付けのプロセスは、まさに「化学反応」だってことを教えてくれる瞬間でもありました。

 けっして、懐古趣味でこんなことを書いているわけではありません。私は、仕事という面だけで言えば、無条件でデジカメを支持する立場です。また、商業印刷分野を中心にした主要な分野で、いずれ銀塩フィルムが駆逐されることは間違いなく、銀塩カメラはほどなく「過去の存在」になるはずです。しかし、趣味の世界ではどうかと言えば、銀塩写真は必ず残るでしょう。最近では、私の世代とは逆に、デジカメから入って写真の世界に興味を持ち、銀塩カメラを撮影してみたいと考える若いユーザーもいるようです。  こうした銀塩初心者の方に、ぜひ自分で暗室作業をやってみることをお勧めします。経験で言えば、別に凝った暗室などなくても遮光カーテンをひいた普通の部屋で夜間に作業すればできますし、多少光が入ってもどうってことはありません。現像液や定着液の温度管理だって適当で構いません。また、現像用具など安いものです。むろん白黒に限定されますが、一番安い引き伸ばしなら2万円前後で買えますし、イーゼルマスクやピントルーペ、バットなどを全部揃えても1万円もあればOKです。高価な暗室用タイマーなど不要です。もし、引き伸ばし機や引き伸ばし用レンズを買う予算がなければ、ブローニーフィルムで撮影して密着プリント(ベタ…印画紙の上に直接ネガをおいてプリント)で済ませる方法もあります。
 暗室作業って面白いですよ。ぜひ一度お試しを…

2002/11/6

 私は最近、「U-10」と「A5301T」の2台を持ち歩いています。中でも「A5301T」の使用頻度が非常に高い。このA5301Tを常用するようになって、もともとなかったデジカメへの「思い入れ」が、さらに薄れてきました(笑)もうデジカメなんて「写ればなんでもいい」って感じです。高画質デジカメは、日常生活の中ではほとんど使わなくなりました。 相変わらず、「写真を撮ること」は好き…というよりも日常の習慣化していますが、撮った画像の画質には全くこだわらなくなった…という感じです。

 考えてみれば、私は昔から写真を撮ることも撮られることも面倒で、大学生になるくらいまでは「カメラを持ち歩く習慣」は全くありませんでした。20台の前半までは国内外を問わずいつも旅行をしていましたが、カメラを持ち歩く習慣がなかったので、当時の写真はほとんどありません。
 たまたま、広告代理店に勤務し、その後フリーランスのライターになったおかげで仕事上の必要性から写真撮影をするようになり、写真撮影の面白さを知っただけであり、カメラも写真も趣味ではないし、今後とも趣味になる気配はありません。
 趣味じゃないし、過剰な思い入れもないけど、写真を撮ることは好きです。日常の1コマを記録に残しておくと、後からちょっと見て楽しいこともあるし、何よりも楽しく遊んでいる現場でカメラを出して女の子を撮ったりすること自体が、なかなか素敵なコミュニケーションだと思っています。
 現像・プリントの手間がないデジカメはこんな目的で使うのにピッタリだし、もう手放せません。そんなデジカメですが、U-10やA-5301の手軽さは過去に使ったいろいろなデジカメの中でも群を抜いています。
 画質なんかどうでもいい…とは言っても、一定の許容範囲があり、さすがにCMOSのトイデジカメの一部やちょっと前までの携帯電話搭載カメラの画質には不満がありました。
 ところがA5301T搭載カメラの画質は、私の許容範囲に入っています。ホント、LOMOと同じで周辺がボケてるところも可愛い(笑)。相手に撮影していることを意識させない…という点では、これに勝る撮影スタイルは無し…って感じ。おまけにMPEG-4動画もバンバン撮影できるし、eggyが小型化されて使いやすくなった感じだし、CheezSPYZの使い勝手をうんと良くした感じ…とでも言いましょうか。64MBのSDカードに無限に近く静止画と動画を記録できるし、撮った画像をその場でメールに添付して送れるし…、この面白さと使い勝手の良さは、もう絶賛です。

 それにしてもこのA5301T、いくら携帯電話搭載デジカメにしては高画質とは言っても、200万画素以上の普通のデジカメで撮影する画像とは、比較にもならないもの。オルタナ系とは言え、一応デジカメサイトやってる私が、一般のデジカメと比較してA5301を絶賛しているようじゃ、このサイトもデジカメ好きには完全にお呼びじゃなくなりますね(笑)

 ともかく「カメラ」や「デジカメ」のユーザーには、何かしらの思い入れのある人や一家言ある人が多い。でも、あえて持論を言わせてもらえば、だいたい画質を追求するなんて実に虚しい部分があります。以前から言っているように、人間の眼の分解能はしょせんは300dpiです。視力の良い人が、もっと近いところで見ることを想定しても500〜600dpiたらず。最終出力の実測解像力が500dpi以上あれば、だいたいどんなデジカメで撮影したって一緒なんです。さらに、色の認識能力には著しい個体(個人)差があるので、発色や色再現性の良し悪しなんて、ある部分から先の話は無意味。本当の色…なんて「分光測色計」でも使わなければわからないはず
。  よく雑誌のデジカメ性能比較記事で、画像の一部を拡大してどこまで解像力が高いかを比較している例がありますね。あれって「意味ねぇ」と思います。だって、200万画素のデジカメの画像をパソコンのXGA画面フルサイズで見たって、そんな細かい部分の識別は不可能です。だいたい、パソコンのディスプレイは72dpiが基準です。15インチ液晶ディスプレイで、デスクトップの解像度をXGA(1024×768)に設定してある場合は、計算してみると解像度は約85dpi、12インチのノートPCでXGA表示をしているときでも100dpi程度です。こんな画面で見ているユーザーにとって、一定基準以上の解像度は、全く不要です。

 …と、まあこんな話を続けててもしょうがありません。ともかく私は、デジカメの性能に関して、本気で興味を失くしつつあるわけです。さて、こんな私が作るこの「WS30の世界」は、今後どのような方向に行くのでしょうか(笑)

 今日の画像は、そのA5301Tで撮影した「居酒屋の肉野菜炒め」です。
 居酒屋メニューってのは基本的に好きじゃないのですが、野菜炒め系は時々食べます。普段は野菜嫌いの私が、なぜか居酒屋の野菜炒めはけっこう好きなんです。そんな野菜炒めの中では、池袋東口にある「串若丸」というお店の「もやし炒め」…これが最高ですね。
 そうそう最近は、池袋西口の行きつけの串焼き屋「千登利」にはあまり行かず、近くの「かめや」で焼き鳥を食べてることの方が多いかも…。って、こんな話はどうでもいいか(笑)

2002/11/5

 多忙だった3連休の様子を、A5301Tで撮影したミニアルバムで…


ギネス

菊の花

100円ショップ

お好み焼き

美女1

美女2

肉球

怪人

じゃい

アイスコーヒー

温泉

「若貴」の行列

2002/11/2

こっちを見てます(A5301Tで撮影)。



2002/11/2

 豊島園では今、温泉を掘っています。


  ※画像をクリックして下さい

2002/11/1

 11月に入り、秋も深くなりました。そこで、今日は「不倫」の話です(笑)
 秋が深くなるとなぜ不倫の話か…って、やはり人目を忍ぶ男女関係には寒い時期の方が似合いますよね。サンサンと太陽が降り注ぐ真夏の海岸で不倫するのもいいですけど、なんとなく場違いな感じがします。

 私には、15年来の仲のよい友人夫婦がいました。仮にA夫妻とB夫妻…としておきましょう。5年ほど前にA夫妻のご主人とB夫妻の奥方が不倫関係になりました。ややこしいことに、この2人は元同じ広告代理店に勤めていた同僚という関係です(B夫人は既に退職)。後から聞いたところによると、在職中の一時期には恋人関係にあったそうです。で、ひょんなことからこの2人の縒りが戻り、その結果A夫妻、B夫妻ともに離婚し、A君とB夫人が結婚することになりました。で残されたA夫人とB君は、どういう経緯があったのかは知りませんが、結婚したのです。結果的にA夫妻とB夫妻は、奥さん(または旦那)を取り替える形で、収まるところに収まりました。A夫妻には子供がなく、B夫妻には小学生の女の子が1人いましたが、結局「B夫人+A君」のカップルが引き取ることになりました。ちなみに、さすがに配偶者が入れ替わった両夫妻の間に、以前のような親しい交流はなくなりましたが、B君はA夫妻に引き取られた子供と点きに1度ほど面会しているそうです。
 別に小説やTVドラマのストーリーではなく、本当にあった話です。配偶者が入れ替わった量夫妻ともに、私は今でも付き合っています。

 なぜ突然こんな話を書いたかと言うと、配偶者を交換したA君から先日メールが来て、相談がある…というのです。で、会って話を聞くと「部下の女性と不倫しているが、今の女房と別れて結婚したい」…と言うのです。私は、「忙しい人生を送るヤツだな」と思いながらも、「好きにしたら」と言っておきました。

 で、私は知人の女性にこの話をしたのです。そうしたら、彼女は「A君のような男性は許せない」というのです。彼女の言うには、こういうのは「貞操観念がない軽い男性」なんだだそうです。こういう「不倫を繰り返す男性」というのは許せない…というのが彼女の考えです。

 でも、私はA君を非難する気には、全くなれません。彼は、人を好きになると一途で、その女性のために尽くそうとします。現在の彼女に対しては、「私は○○さんという女性を好きになった、君のことが嫌いになったわけではないが、○○さんという女性の方がもっと好きだ。だから彼女と一緒に暮らしたい」…とはっきりと告げるのです。私は、こういうA君を見ていて「ごく普通」だとは思いませんが、「こんな人生もアリかな…」とは思って、受け入れています。
 確かに、既に結婚している(または付き合っている)女性がいるにも関わらず他の女性を好きになることは、現在結婚している女性を深く傷つける結果になるでしょう。でも、「誰かを好きになる」という感情は、止めようとして止められるものではありません。これが、人間の感情の難しいところです。

 ところで、「不倫」というのはなんでしょうか? まあ「人妻とメシを食っただけでも不倫か?」などという議論が昔からありますが、こんな話をしていてもしょうがないので、ここでは「既婚者が婚姻の相手以外とセックスすること」と明確に定義しちゃいましょう。

 で、不倫というのは「悪いこと」なのでしょうか? 実はここのところがよくわかりません。私はこう見えても「モラル」というものを、けっこう守る方です。というか、「法律よを守るよりはモラルを守る」というのを、一応の指針として生きてます(笑)
 そんな私ですが、「不倫が人のモラルに反するか?」という点が、この年になってもよくわからないのです。

 普通の人は相手が「他人の配偶者」というだけで、絶対に好きにならないものなのでしょうか? 私は、相手がどのような立場の人間であろうと好きになる時は好きになっちゃいます。だから私は、不倫をしたことがあります。たまたま、既婚者や恋人のいる女性を好きになっただけのことで、別に不倫しようと思ってしたわけではありません。
 私は、人を好きになっても、相手や自分の社会的立場や家庭内の立場を考え、常識的な範囲で行動を抑制します。これは当たり前です。でも、行動を抑制するとは言っても、自分の感情と相手の感情の全てが抑制されるべき…とも思いません。

 小雨が降る寒い1日です。秋も深まってきた…というより、着実に冬の足音が聞こえます。オフィスで誰かがおやつに買ってきたタイヤキを食べながら、こんな実にくだらないことを考えていました。バカですねぇ…(笑)

 今日の画像はインド人の「ラムちゃん」です(A5301Tで撮影)。
 ラムちゃんは5歳、とっても可愛いのです。先日水槽で飼っている金魚をガス台で焼いて食べようとしたので、お父さんに叱られて夕食を抜かれちゃいました。なせ、当然金魚を焼いて食べようと思ったのかは、誰もわかりません。

 現在飼っているメダカは順調に育っています。この夏の間に100匹ぐらいは子供が生まれましたが、最終的に育ったのは20匹前後です。やはり、もっと大きな水槽に移さないと、淘汰されちゃうようです。



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