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2011年12月26日

●デニス・リッチーの死… 2011年

 今年も、まもなく終わろうとしています。2011年は激動の1年でした。いまだ事態が収束していない震災や原発事故、世界を見ればアラブ諸国で民主革命が相次ぎ、欧州は金融危機に見舞われました。そして個人的には、ある種の「流行作家」であったスティーブ・ジョブズの死よりも、UNIXとC言語の生みの親であり、70年代以降のコンピュータの世界に劇的な革新をもたらしたデニス・リッチーの死に、ひとつの時代の終わりを感じた年でもあります。UNIXとC言語が存在しなければiOSもAndroidも存在しなかった、という事実に、あらためて思いを馳せることになりました。デニス・リッチー、ブライアン・カーニハン共著の「プログラミング言語C」は、現在30代後半より上のプログラミング技術者なら、読んだことがない人はいないほどの定番テキストです。

 あらためて繰り返すまでもなく、デニス・リッチーはUNIXとC言語の開発者です。1967年にAT&Tベル研究所に入った彼は、1969年頃から、DECのミニコン上で走る独自OSの開発をスタートします。1971年頃にはアセンブラで書かれたUNIXの原型が完成し、さらに、これは1973年頃にはC言語に書き換えられて現在の形になります。
 デニス・リッチーは、ベル研入所直後からMULTICSプロジェクトに参加し、BCPL(Basic CPL)開発に携わります。その後、盟友ケン・トンプソンがBCPLからB言語を開発する作業に参加、そのB言語ベースに今度は自らが中心となってC言語を開発しました。

 1970年代以降のコンピュータと応用技術の発展史を俯瞰したとき、とてもではないけれど、「UNIXとC言語の開発者」と簡単に書き捨ててしまうことはできません。「UNIX」と「C言語」、もしこの2つが存在しなければ、現代のコンピュータとその関連システム、さらには応用製品、電子機器のほぼすべてが存在しないといっても過言ではありません。
 UNIXはもともとローコストで、多様なマシンを動作対象として想定していました。そして、UNIX上で多彩なシステム、ソフトウェアを動作させるように作られていました。この優れた設計思想があったからこそ、UNIXからは、これほどに多くのOSが派生したのです。UNIXから派生したOSは、現在動いているコンピュータシステム及び電子機器のオペレーティングシステムの中で、大きなシェアを占めています。FreeBSDをベースとするMacOSやiOSもUNIX系列です。Linuxから派生したAndroidもまたUNIX系列です。さらに面白いのは、Android用ソフトは基本的にJavaで開発し、iOS端末用ソフトはObjective-Cで開発します。JavaもObjective-CもC言語の子供達です。現在、社会やコミュニケーションのあり方を変える万能のツールのように言われているスマートフォンやタブレットの全ては、デニス・リッチーが開発した「UNIX」と「C言語」の上に存在しています。
 また、現代の社会システムやコンピュータ端末のアプリケーションを支えるクラウド・テクノロジーも、その多くをUNIXとその派生OSに依存しています。サーバー用OSのシェアを見れば、いまだに50%以上がUNIX系です。Googleが数十万台のLinuxサーバを接続してクラウドを構成していることは、よく知られています。サーバー用ソフトウェアも同じです。もしC言語がなかったら、perlもruby もpython も作られなかったでしょう。
 つまり、iPhoneもiPadもAndroidフォンもタブレットも、そしてこれら端末で利用するソフトウェアやGoogleなどのクラウド系サービスも、そのOSと開発言語のすべてがデニス・リッチーが成し遂げた仕事の上に成り立っているものです。

 デニス・リッチーが残した非常に印象深い言葉があります。「私がひそかに満足していることのひとつは、オープンソースの多くのものが、私が寄与したコードに基づいていることです…」(Cマガジン1999年10月号、「偉大なるプログラマからのメッセージ」)
 彼は自分の成し遂げた業績に驕ることなく「ひそかに満足」というささやかな心情を述べ、さらに「私が開発した」とは言わず「私が寄与した」と謙虚に語っています。
 起業することもなく、ライセンスを高値で売ることもせず、技術者としての人生の大半をベル研で過ごし、コンピュータ技術の発展に尽くしたデニス・リッチーは、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツらとは根本的な部分で異なる人間だったようです。

 現代のコンピュータ社会の発展に、計り知れないほど大きな貢献を果たしたデニス・リッチーですが、その死はひそやかでした。2011年10月12日、ニュージャージー州の自宅で1人亡くなっているのが友人によって発見されました。死亡したのは10月8日だったそうです。そして彼の死は、Google社のロブ・パイクによってGoogle+上で発表されました。享年70歳、ひとつの時代の終焉を感じさせる死でした。合掌…