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2011年11月03日

●スティーブ・ジョブズとは何者だったのか? (2)

Apple社の失敗

 ジョブスというよりも、彼が設立したApple社は、コンピュータの世界に、どんな「大きな変革」を起こしたのでしょうか。

 1980年代半ばまで、天才ウォズニアックが作り出したAppleⅡは、パーソナルコンピュータの代名詞でした。当時のパソコンシェアの正確な統計が手許にないのですが、1970年代の後半から1980年代初頭、パーソナルコンピュータのシェアでAppleは世界を大きくリードしていたことは確かです。この時点では、間違いなくApple社は、コンピュータ世界の変革者でした。Apple Ⅱは当初はオープンアーキテクチャであり、互換機も数多く登場しました。私の記憶にある1980年の時点の全米パソコン市場では、まだシェアトップはAppleです。ちなみに当時のシェア2位はコモドール、3位がタンディ・ラジオシャックだったはずです。
 しかし、1981年にIBMがオープンアーキテクチャを採用したIBM PCを世に出します。このIBM PC用に開発されたOS、MS-DOSを搭載し、インテルのCPUが採用されていました。このIBM PCは、発売とほぼ同時にいきなりパソコン市場でトップシェアを獲得します(1983年頃に500ドルで買える「コモドール64」が爆発的に売れてシェアを獲得した時期がありましたが…)。この時期に、まずはAppleⅡが売り上げを大きく落とし始めました。
 このあたりから、ジョブスが率いるAppleは迷走し始めます。AppleⅡの次機種AppleⅢで失敗したAppleは、IBM PCとコンパックなどの互換機に対抗するために満を持してLisaを投入、これがAppleⅢに続いて失敗に終わります。次いで1984年にマッキントッシュを投入してIBM PCに対抗しますが、結果的にAppleはPC互換機群に敗退してパソコン業界でのシェアをさらに大きく減らしました。
 当初MS-DOSを搭載したIBM PC(PC互換機)には、やがてWindowsというOSが載せられ、特にWindows95以降は、互換機が爆発的に普及しました。一方で、販売方針で迷走したあげく事実上パソコン市場でのシェア争いを放棄したマッキントッシュとMacOSは、その後さらにWindowsに水を空けられ、シェアの差は現在に至るまで詰まっていません。
 参考までに、2011年7月のOS別シェアは、Windows 87.60%、Mac 5.61%です。この数字を見れば「MacはWindows陣営の敵ですらない」というのが現実です。現在のシェアを、1970年代後半から1980年代初頭に至るパソコン市場でAppleが勝ち取っていたトップシェアと、現在の悲惨なシェア状況を比較すれば、Apple社はOSを含むパソコンビジネスを失敗した…と言う結論が自然に出てきます。Appleとマイクロソフトの両社は、ジョブス死後の現在でもよく比較されますが、パソコンビジネスにおける勝者、それも圧倒的な勝者は、客観的に見れば間違いなくマイクロソフトの方です。

 ご存知の通り、ジョブズはAppleの創業者ではありますが、群を抜いた技術者ではありません。AppleⅡもマッキントッシュも、そのシステムの全てをほぼ1人で開発したのは天才ウォズニアックです。そして、ガレージメーカーであった初期のAppleに投資して法人化し「企業」として船出させたのはマイク・マークラでした。むろん、AppleⅡ及びマッキントッシュの設計思想と販売方針にジョブスのアイデアが色濃く反映されたのは間違いありませんし、特にAppleⅡの開発・販売に絶大なる貢献をしたジョブスの功績は、讃えられるべきものです。
 しかし、AppleⅡが失速した1980年以降、AppleⅢ、Lisa、そしてMacintoshへと移行する過程においてもジョブズは大きな役割を果たしました。この時期ジョブスのApple社における影響力を大きいものと考えれば考えるほど、現在のWindows圧倒的優位の状況を見れば、AppleⅡ失速後のジョブズの経営方針が「間違っていた」という話になります。ジョブスはMacintoshとLisaの開発部門であるスーパーマイクロ部門の責任者であり、マッキントッシュプロジェクトもスタート直後からジョブスが前面に立って製造・販売の指揮をとりました。追放以前のジョブスが立てたマッキントッシュの販売計画は、学生や教育機関向けの大幅割引販売で一定の販売実績を上げた他は、基本的に無残な結果に終わっています。
 さらにジョブズは、Apple退社後に立ち上げたNeXT Computerでも、主力製品であるワークステーションのコストパフォーマンスの低さから、販売実績を上げることは出来ませんでした。ただ、NeXT Computer時代に開発したOPENSTEPについては、その後MacOS Xとなって現在のMacに引き継がれています。
 こうした事実を見れば、ジョブスに「時代の変化を見抜く目がなかった」、またジョブスが「パソコン市場の基本的な方向性を予測できなかった」…という評価を与えざるを得ません。

 ところで、ジョブズに対する評価のひとつとして、彼がコンピュータを「ビジネスの道具」から「創造するための道具」に変えた…という言説もよく見られます。しかし、少なくとも初期のAppleⅡは、趣味やゲームのユーザ以外は、あくまでビジネスや科学計算の道具として売れました。特に大学や研究機関によく売れたのです。第一、70年代のAppleⅡのCPU能力、画像処理能力では、クリエイターが仕事で使うにはちょっと無理がありました。初期のAppleⅡには、ワープロやプレゼン資料作成用途すらありませんでした。かろうじて表計算ソフトが一般の人でも利用していたぐらいです(80年頃には「AppleWorks」というオフィスソフトがありました)。
 ジョブズがAppleⅡをコンセプトした時点、またはlisa、Macintoshをコンセプトした時点で、「創造するためのパソコン」をイメージしていたわけではありません。むしろジョブスが在職していた当時、Macの初期の販売戦略は、当初はビジネス分野で普及し始めたIBM PCをライバルに想定したものです。また、落ち込んだMacの販売をてこ入れするために、マイクロソフトのビル・ゲイツに「Microsoft Office」のMac対応版の販売を依頼したのは他ならぬジョブス自身です。
 MacintoshがDTPやデザインのプラットフォームとしてクリエーターの間に普及したのは、パソコンの最大の市場であるビジネス用途分野をIBM PCとMS-DOS/Windowsに奪われ、結果的には苦し紛れにニッチな分野での普及を図った経緯によるものです。加えて、クリエイターというユーザカテゴリーが、Appleのイメージ戦略のターゲットになりやすかったためでもあります。そして、マッキントッシュがDTPやデザインのプラットフォームとして普及していった時期は、ジョブズがAppleを退職していたスカリー社長時代であり、このあたりの販売戦略には事実上ジョブスは関わっていません。

パーソナルコンピュータ普及の功績

 誰かがジョブス追悼文の中で書いていたように、「コンピュータは20世紀最大の発明のひとつ」だと、私も思います。特に「パーソナルコンピュータ」は、社会の仕組みや個人の生活のあり方まで変えてしまう、そんな存在だと感じていました。パーソナルコンピュータの製品化の歴史、普及の歴史において、特に70年代にAppleが果たした役割は非常に大きいことは、紛れもない事実です。AppleⅡは、「パーソナルコンピュータのあるべき姿」を私たちに提示し、日常生活の中に普通にパーソナルコンピュータが存在する未来を予感させてくれた製品のひとつでした。
 しかし、残念なことに70年代におけるパーソナルコンピュータは、まだまだ「社会を劇的に変える」ほどには普及をしていませんでした。そしてその絶対的機能も不足していました。AppleⅡがパソコン市場でトップシェアであった70年代は、パーソナルコンピュータがいずれ社会を変革する原動力になるだろうと、ジョブスを始めとする多くの人が確信してはいましたが、現実には誰でも買えるほど安価な製品ではなかったし、ビジネス現場で実務に使えるようなアプリケーションもほとんど存在していませんでした。
 こうして見ると、パーソナルコンピュータが「社会の発展」や「社会の仕組みの変化」に大きな役割を果たし始めたのは、一気に普及が進んだ80年代です。

 パーソナルコンピュータがこれほど身近になった21世紀の現在だからこそあらためて思うのですが、パーソナルコンピュータの存在と機能が世界を変えたのだとしたら、それは「世界中に広く普及した」からです。
 そして歴史的に見れば、「パーソナルコンピュータを世界に広く普及させた功績」は、Apple社よりも、パーソナルコンピュータを一気に安価なものにするきっかけを作った「IBM PC」という製品とその開発チームの方がずっと大きいと思います。パーソナルコンピュータを安価に提供して「個人でも低所得の新興国ユーザでも使えるようにした」ことが、本当のイノベーションです。事実、「パーソナルコンピュータ」という言葉は、IBM PC互換機そのものを意味する言葉として社会に広まりました。
 1981年に発売されたIBM PCは、早期参入実現のために市場で入手可能な部品だけで構成され、周辺機器の普及のためにオープンアーキテクチャとして回路図やBIOSのソースコードを各社に公開しました。さらに、主力のオペレーティングシステムであるPC DOSを「MS-DOS」の名称でマイクロソフトから各社にOEM供給する事を認めたため、誰もが簡単にパソコン製造・販売ビジネスに参入することを可能にしました。このビジネスモデルこそが、パソコンを一気に低価格化する原動力となりました。今日、台湾や中国のメーカーが低価格PCを量産し、それが発展途上国も含めて世界中に普及しているのは、やはりIBM-PCの優れたオープンアーキテクチャ設計思想のおかげです。

 翻って、1980年代半ば以降のApple社はこのIBM PCとは全く逆の道、すなわちクローズドなアーキテクチャのMacを「ブランド力とイメージ」で高く売る…という道をひた走りました。現在のiOS機器と同じです。一時期、苦し紛れに互換機戦略をとったものの成功せず、販売戦略は迷走を続けました。
 1990年代から2000年代前半にかけては、MacintoshはWindows機と比較してバカ高い価格設定でした。本体価格だけでなくメモリなど内部の増設・交換用パーツから周辺機器に至るまで、非常に高価でした。高価なものを売るために、とりわけイメージ戦略を重要視しました。その結果「利益の確保」という面では「一定の成功」は収めましたが、実際の普及ベースでは、Windows95以降はWindows陣営に大きく水をあけられることになったのです。

 そして、こうした考え方の延長線で見れば、今後タブレットデバイスも含めて安価なコンピュータの普及により大きな役割を果たすのは、特注部品、特殊なI/Fやコネクタを多用するiOS搭載製品ではなく、汎用部品と汎用I/Fで構成されるAndoroid搭載製品である…という結論が容易に見えてきます。

 Macを礼賛する人の多くは、Macの独特なユーザインタフェースと操作性を絶賛し、一度Macを使ったら絶対にWindowsの世界には戻れない…などと言います。UIは感覚的な問題が大きく良否判断は個人差がありますので、どう感じるのも自由です。ただ私は、Windows登場以前に長い間「無機質なMS-DOSのUI」と「遊び心があるMacのアイコンベースのUI」を併用してきました。そして、DOSがWindowsに変わってからも、MacintoshとWindows機を併用して毎日の仕事をこなしてきました。しかし、どの時代でも別にどちらのUIが優れているかなどと特に考えることもなく、必要に応じて普通に両者を併用してきました。
 実際にMacの独自のUIと操作性が、本当にそこまで万人にとって優れたもの、とりわけDOSに対する優越性があったのなら、少なくともMS-DOSの時代に、MacintoshはIBM PCとその互換機を圧倒していたはずです。日本市場で見ても、PC9800シリーズは完全にMacにとって代わられていたでしょう。しかしそうはならなかった…、どころか結果は逆だった、というのが事実です。ましてやアイコンベースのUIを採用したWindwsの登場以降は、MacintoshはWindowsに全く太刀打ちできませんでした。それが、現在のOS別シェア、すなわち「Windows 87.60%、Mac 5.61%」などという数字につながっています。厳然たる事実として、Macintoshは売れていないのです。過去にも、Windows機と拮抗するほど売れた時期は一度もありませんでした。
 だいたいUIなんてものは、慣れの問題が大きく、実際はどれも大差がありません。MacもWindowsも大差ないばかりか、最近はLinuxだって似たようなものです。私は現在、Ubuntu11.04を使っていますが、これも非常によくできたUIです。初期のLinuxのX Windowとは比較になりません。結局、キータッチベースのUIだろうと、アイコンとマウス操作をベースとしたUIだろうと、マウスが1ボタンだろうと2ボタンだろうと、画面タッチ型のUIだろうと、慣れれば何でも同じです。そして言うまでもないことですが、アイコンとマウスで操作するUIも画面タッチ型のUIも、Apple社が最初に開発したというわけではありません。

スティーブ・ジョブズとは何者だったのか? (3)へ続く…

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