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2011年03月15日

●震災後の日常雑感

 まずは、震災、津波の被害者の方にお悔やみを申し上げます。さらに、まだ瓦礫の中に生存者がいて、低下する気温の中で生命の灯火をかろうじて持ちこたえているかもしれないと思うと、やりきれません。自衛隊、消防団、海外からの救助隊、自らが被災者でありながら救助に参加している人々…、皆さんの努力には頭が下がりますが、本当にやきもきしてしまいます。
 三陸海岸は、私が最も好きな土地のひとつです。かつて何度も日記に書いたように、週末ごとにバイクでツーリングをしていた若い頃の私が、ロングツーリングに最もよく行ったのが三陸海岸でした。仙台から国道45号線を北上し、北山崎や田老などの北三陸から八戸に至るコースは、十数回は行っています。あの柳田國男「清光館哀史」で書かれた小子内あたりに見られるような、何でもない普通の三陸海岸の光景が、たまらなく好きでした。その三陸海岸に住む人々を襲い、気仙沼、大船渡、陸前高田、宮古、久慈といった都市から、名も無い海岸の集落、そして浄土が浜や北山崎の絶景に至るまで、人の営みと美しい風景を根こそぎ破壊した今回の津波は、言葉で言い表せないほど悲しい出来事です。

 そして、数日来情報が錯綜している原発事故については、東京に住む私たちも被害者になる可能性ができてきました。家人の実家が茨城県北部の福島県との県境にあり、福島第一原発からの距離は90km余りです。また千葉県北部の公立病院では、研修医の息子が小児科病棟で働いています。いまだ過酷な状況に置かれている被災者のことを思いやると同時に、そうした身内のことが気にならないといえばウソになります。
 確かに徒に不安を煽るのはよくないことでしょう。しかし、もし今の私に被爆被害の影響が大きい幼い子供がいたら、現時点で東海地方にある自分の実家へ非難させることを考えたでしょう。200kmを越えて重大な被爆被害が拡がったチェルノブイリの被災範囲を見ても、東京も含めて関東一円がかなり危険な状況にあることは間違いありません。ましてや先に挙げた家人の実家がある茨城県北部や、津波被災地でもある大都市の仙台あたりは、福島第一原発からの距離がわずか100km以下です。今後の事故の推移や風向き次第では、数十万人単位で生命に関わる大量の被爆者が出る可能性は十分にあります。
 今回の事故については、どう考えても情報が少な過ぎます。現場の状況、各地の放射能のモニタリング値、風向きとそれによる影響の被爆シミュレーション結果など、正確な生の情報がリアルタイムで欲しいと思っているのは、私だけではないでしょう。特に再臨界を起こす可能性と、起きた場合の被爆シミュレーション結果を、できるだけ早い段階で公表して欲しいものです。
 また、TVを見ていると、被災者に平気でマイクを突きつけるレポーターや、記者会見などで東電職員に怒号や罵声を浴びせる記者など、マスコミの粗暴で不快な振る舞いが目立ちます。確かに事実は知りたいですが、こんな時こそ粗野で無神経な振る舞いはやめて欲しいものです。

 そして、何できない自分はといえば、twitterにも何度も書いたように、できるだけ普通の日常生活を送ろうと考えています。普通に仕事をやり、仕事が終われば飲みに行き、好きな音楽を聴き、友人と語らい、そして通販で買い物をする…といった日常生活です。過剰な「自粛」はしませんし、友人知人と飲んで語ることが「不謹慎」だとも思いません。むろん、買占め、買い溜めもしません。ヨウ素とセシウムが検出されたという東京の空の下で、今夜も飲みに行く予定です。
 どうか、現場で作業する方々の不眠不休の努力と危険を顧みない勇気の結果として、再臨界という最悪の自体が避けられますように…

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