« 電子書籍に期待すること | メイン | トヨタ電子制御に欠陥なし…? »

2010年08月05日

●大学生の半分が本を読まない…

 ちょっと前の中日新聞のコラムに「もったいない」…という記事がありました。2chで「学生の約半分が、まったく本を読まない。 もう完全に日本終わってるな…」というスレが盛り上がっていたので、ドアブロ(vol.011)によって今日になって知った次第です。
 このコラムのデータは金沢大の学生相手の調査結果だそうですが、金沢大と言えば、国立大学の中でも「難関」と言ってもよい大学。要するに、かなり入学偏差値の高い大学です、ここで「偏差値」という指標を出すのも批判の対象になるかもしれませんが、まあぶっちゃけた話、「偏差値の高い大学の学生ほど本を読む」と言い切っても大きな間違いではないでしょう。そうなると、日本の大学生の中で、金沢大学よりも偏差値の低い大学に通う学生が、少なく見積もって70%以上でしょうから、実際には「大学生の半分以上は、まったく本を読まない」と言っても間違いなさそうです。
 あまりにもヒドイ話で、悲しくなりますが、だいたい本を読まなくても大学生としてやっていける…というのが間違っています。ここでは、リベラル・アーツ教育の重要性なんて話を書くつもりはないのですが、少なくとも「教養がない大学生」という言葉は、矛盾の塊でしょう。大学生こそは、高い教養を身に着けているべきですし、教養のない人間が大学生でいられるべきではありません。

 そこで、これもかなり前のネタですが、「米・コロンビア大学の1~2年生必修コアカリキュラムは『西洋古典常識』徹底履修 毎週古典文学・思想の課題図書を読み、議論し、レポートを書く」…という「天漢日乗」さんの書かれた記事を思い出しました。

 まずは、以下のリンク先をお読み下さい。

コロンビア大学のコア・カリキュラム(1)
コロンビア大学のコア・カリキュラム(2)
コロンビア大学のコア・カリキュラム(3)

 ちょっと長いけれど、以下に「天漢日乗」さんの書かれた記事を引用させてもらいま



 …まず、コロンビア大学の1年生が文系・理系問わず履修する必修の文学を読むコースの課題作品。2コマぶっ続けの授業で、これは前期第七週までの分。
 ホメロス『イリアス』『オデッセイ』、サッフォーの詩編、デメテル讃歌、『ギルガメッシュ叙事詩』、ヘロドトス『歴史』(抜粋)、アイスキュロス『オレステイア』、ソフォクレス『オイディプス』、エウリピデス『メディア』、トゥキュディデス『戦史』…とここで中間試験。この後はアリストファネス『女の平和』、プラトン『饗宴』、旧約聖書「創世記」「ヨブ記」、新約聖書「ルカによる福音書」「ヤコブによる福音書」…、このあと、評論を行って、前期末試験。
後期はウェルギリウス『アエイネス』から始まって、最後はヴァージニア・ウルフの『燈台へ』で終わる。試験が中間と期末の2回あり、当然「すべての課題図書を読了」してないとダメなのであり、なおかつ試験とは別に8~10枚のレポート提出が半期で3回あるということなので、授業を受ける方も大変だが、これを22人クラスで開講しているという。adawhoさんによれば45人の教員がコアカリキュラム1科目にかかりっきりになる計算である。なおかつコアカリキュラムを担当すると、教員やPDにはボーナスが与えられるシステムなので、コアカリキュラム担当教員になりたいヒトは多いんだとか。全学共通科目だから自分の担当したクラスの平均点という数字で講義や指導がちゃんと出来ているかどうかが客観的に出てきてしまうわけで、教員にとっても気が抜けない。
 思想コースは2年間、全員必修で、いま見た文学以上の密度で授業が進む。こちらは週2回授業がある。扱う思想書は、プラトン『国家』、アリストテレス『ニコマコス倫理学』、旧約聖書「出エジプト記」「イザヤ書」「コヘレトの言葉」、新約聖書「マタイによる福音書」「ローマ人への手紙」「ガラテヤ人への手紙」、コーラン、トマス・アキナス(抜粋)、ガザーリー『迷いから救うもの』…、で最初の中間試験。この後はマキャベリ『君主論』から前期の後半授業が始まる、といった具合。


 さて、このカリキュラムをどう評価してよいのかわかりませんし、ここで選択されている古典の種類に異論のある向きもあるかもしれませんが、ともかく「大学生には教養が必要」…という大学側の強い意思が伝わってくることだけは確かです。

 先日行われた参院選では、「日本再生」を唱える政党や政治家が、やたらと多かったように記憶しています。私個人は、日本の将来はかなり暗いと、とっくに諦めているのですが、もし日本にもまだ「再生」の余地が残っているとすれば、「若年層の教育レベルを上げる」以外に効果的な方法はないはず(優秀な外国人移民を受け入れる…というのもありますが)。
 経済や文化の「再生」は、「人」「人材」があってこそ実現するのです。現在のように、「大学」たるものが何も本を読まなくても卒業できる状況では、人材の育成など夢のまた夢。さらに大学に限らず、中学、高校も含めて「バカを量産する教育」をやっていては、この国の将来に「没落」しかないのは自明です。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL: