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2010年05月24日

●タイにおけるアンシャン・レジームの崩壊

 私などにえらそうなことを書く資格も知識もないことは十分承知の上で、タイの今後について、さらに書いてみたいと思います。

 前回、今後タイ社会が内乱状態になる可能性もある…とは書きましたが、私はタイという国が嫌いではありませんから、むろんそうなって欲しくはありません。事実、週末以降は各地の騒乱はとりあえず収まってきています。昨夜、スクンビットのトンロー近くに住む在タイの友人に連絡したところ、夜間の銃声なども聞こえず、概ね落ち着いてきているとのことでした。ボランティア市民も参加しての各所の跡片付け進み、まもなくBTSもMRTも正常運行に戻るとのことで、バンコク市民のとりあえず安堵する気持ちが伝わってきます。

 ただ、今回のUDDデモを武力鎮圧したことで、何かが解決したわけではありません。農村部と都市部の住民の間、そして都市部においてもスラムに住むような貧困層や東北部からの出稼ぎ農民と、もともと都市部に住む富裕層との間には、もはや埋められない溝が掘られてしまったように思います。いや、今回の騒動で埋められない溝ができたのではなく、もともとあった埋められない溝に、国民の全員が気付いてしまった…ということでしょう。アピシット政権は、今回のデモ騒動に対して社会階層間の融和策を打ち出していますが、小手先の融和策、例えば農村振興策や都市部の最低賃金の引き上げ…といった対策では、社会の本質的な矛盾に目を向け始めた農村部の住民や都市部の貧困層をごまかすことは不可能です。

 現状のタイ社会では、大企業の経営者はむろん、高級官僚から各種団体の幹部、軍や警察の幹部に至るまで、タイ社会で成功の要所となる社会ポジションや職業、またはうまみのある公職は、ほぼ独占的に旧貴族、富裕層の出身者が占めている…という現実があります。タイには相続税も固定資産税もないので、効率的に富を再分配するシステムもありません。そして既得権益を持つ層は、何が何でもそれを手放したくないのです。
 社会階層間の融和策を打ち出したアピシット政権ですが、彼らが本気で階層間の格差をなんとかしようと考えているとは、到底思えません。タイ社会で既得権益を持つ層は、単に既得権益を守りたいが故に下位の階層の社会進出を阻もうとしているだけでなく、下位の社会階層には正しい政治判断など無理だ…という強烈なエリート意識を持っています。農村部の住民が参加すると衆愚政治に陥る…と公言する、エリート層出身の政治家もたくさんいます。
 スワンナプーム空港占拠事件の折に明らかになったPAD(その構成員、支持母体や資金源については、他に詳しい解説が多いので割愛します)の主張は、タクシン元首相の影響力一掃…以外に、「下院議員の7割を任命制、3割を公選制とする」…という、近代民主主義の原則とは、およそ相容れないものでした。「責任ある選良(エリート)に主導される社会」こそが、PADに代表される、既存エリート層の主張なのです。

 さらにバンコクを中心とする都市部のエリート層の多くは、農村部の住民、特にイサーン地方の住民や出身者を、バカにします。バンコクには、イサーン地方の方言を話しているだけで、露骨に侮蔑の対象とするような人が非常に多いように思います。もともとタイ人は、ラオスやミャンマー、カンボジアなど、経済的に遅れた隣国をバカにする傾向があります。経済的優越感の裏返しというか、悪気はないのでしょうが、特にラオス人をバカにするケースは一般的で、「お前はラオス人のようだ」的な相手を侮蔑する常套句があるぐらいです。イサーン地方の文化や言葉はラオスのそれに似ているので、そうした部分を、特にバンコク市民がバカにする傾向があります。
 今回の]UDDデモにおいても、東北農村部の住民がバンコクで放火や略奪という形で暴れまわった背景には、そうした長年バカにされ続けてきたことによって鬱積したものがあったのかもしれません。

 ともかく、PADに代表される既存エリート層の多くが、「判断力が乏しい農村部の人間や教育レベルが低い貧困層には、平等に参政権を与えるべきではない」…と考えているわけで、そうした主張に対して、人口的に多数を占める下位社会階層の人々が黙って従っていたら、そちらの方がよほど不自然です。
 いまやタイでは大学進学率が30%を超えて、さらに伸びて続けています。この数字の中には、無試験で入学できる「オープン大学」(スクンビット・ソイ23にあるシーナカリンウィロート大学など)が含まれているとは言え、最近では「普通の家庭」や「農家」の子供が名門大学に進学するものも珍しいことではありません。第一、日本の大学もその半分、いや半分以上が事実上「無試験のオープン大学」です。現在のタイでは、地方都市でも、塾に通いながら一流大学を目指して受験勉強に励んでいる高校生も多くいるぐらいで、感覚的には1980年代から90年代初頭あたりの日本と同じです。こんな状況の中で、「責任ある選良(エリート)に主導される社会」…などという時代錯誤なPADの主張、すなわちタイの旧支配層の主張が、広くタイ社会全体から受け入れられるわけがありません。
 そういえば、UDDの指導者の1人に、「スラムの天使」として国際的に知られ、マグサイサイ賞を受賞している元上院議員のプラティープ・ウンソンタム氏がいます。今回の騒乱で、クロントイ地区のスラム住民を組織化した彼女にも逮捕状が出ているというニュースがありましたが、彼女の存在は、今回の騒乱が「階級闘争」であることの1つの証しでしょう。

 タイにおけるアンシャン・レジームの崩壊は、まさに始まったばかりです。

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