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2010年05月20日

●終わりの始まり ~バンコクで起きた政治動乱

 私は、ここ7~8年、タイで事業を展開する日系企業との仕事で、必ず年に数回はバンコクを訪れています。特にここ数年、日本人、タイ人を問わず、在タイの知人もずいぶんと増えました。
 今回のバンコクの騒動、いや政治的動乱の要因と行方について、マスコミだけでなく、在タイの日本人や、ビジネス上のつながりからタイに詳しい日本人がたくさん、Blogなどでその原因や今後の見通しを書いていますが、わたしも思うところを書いてみたいと思います。これは、たまたま今日(20日)からのバンコク出張が中止になったこともあって、タイの政治状況が非常に気になるからでもあります。

 私が最初にバンコクを訪れたのは1980年頃ですが、当時はまだ、ちょっと裏道に入ると未舗装の道路も多く、埃っぽさと喧騒と猥雑さと活気にあふれた「エキゾチックなアジアの都市」でした。しかし、今世紀に入ってから頻繁に訪問するバンコクは、急速な経済発展の中で、市域内に次々と大型ショッピングモールが開設され、また高層コンドミニアムの建設ラッシュ、BTS、地下鉄など公共交通機関の開通などもあって、急速に、東京、香港、シンガポール、クアラルンプールなど他のアジアの大都市と同じような「近代都市の顔」へと変貌して行きました。何よりも、他のアジアの大都市と同じくグローバリズムの洗礼を受ける中で、西欧系のブランドショップが立ち並び、中心部のどの街角にもマクドナルドなどのファストフードと、「スタバ」かスタバもどきのカフェが開店している状況は、東京の街とほとんど変わりません。
 一方で、バンコクの中心部からちょっと北の戦勝記念塔付近や、ちょっと東のスクンビットやエカマイ周辺へ行けば、おしゃれな飲食店などと混在する形で、あちこちで屋台街や安食堂が繁盛し、また大通りを1本入った狭いソイや裏道を覗けば、庶民の暮らし、猥雑な生活空間をもしっかりと見ることができます。大ホテルに滞在する短期ツアー観光客でも、無理せず安全に行動できる範囲で、利便性の高い近代都市と、懐かしくエキゾチックなアジアの都市…という2つの顔を簡単に体験できるバンコクは、多くの人が魅了されるのも無理はありません。

 さて、こうした短期滞在でバンコクに惹かれ、リピーターとなる人たちの多くが、タイという国に対して、「微笑みの国」「癒しの国」というイメージを持ち、さらにはタイに暮らす人々を「穏やかな国民性」「ホスピタリティを大切にする国民」…といったイメージで見るようになります。確かにその通りの部分もありますが、私が知るタイという国、そしてタイ人の平均的なメンタリティを見ると、こうした「穏やか」というイメージはあくまで一面に過ぎません。少なくとも、日本人の平均よりは、タイ人の方がはるかに「熱くなりやすい」ということは、タイに長く住んでいる人、タイ人のメンタリティをよく知る人なら、誰もが言うことです。
 そして、もう一つあまり知られていないのが、タイは「銃社会」であるということです。タイの新聞の社会面を見ていると、「痴情のもつれで喧嘩をした相手を射殺した」とか、「浮気した亭主を妻が射殺した」…といった記事をよく見かけます。銃を使った強盗時間も頻繁に起こります。タイ社会には、日本となどとは比較にならないほど銃が蔓延しており、実際に誰でも安く入手することができます。これほど銃が蔓延し、しかもしょっちゅう銃が使われていることは、タイを「穏やかな社会」などと思い込んでいる人には、想像ができないかもしれません。
 さらにタイ人は、「面子(メンツ)」にこだわる人がかなり多いと思います。表面的には中国人やベトナム人ほどメンツにこだわらないように見えますが、実は自分が「馬鹿にされた」とか「なめられた」と感じると、顔色を変える人が非常に多いかもしれません。
 これらの事実を併せた結論は、タイ人は、すくなくとも日本人と較べると、ずっと「激しやすい」国民であり、「怒れば、黙っていないで行動する」国民です。「じっと耐える」という言葉は、タイ人には似合いません。

 今回の政治的動乱の要因を、政治的には「社会階層(階級)間の闘争」、及び「下位・農村部社会階層の一部を利用した、上位階層間の権力闘争」…と見るのは常識です。ニューズウィークの記事にあったように「…泥沼化にもかかわらず、タクシンを追放したエリート層が後悔している様子はない。彼らにとって、タクシンはポピュリストのデマゴーグ(大衆迎合主義の扇動政治家)だった。タクシンは無教養な農村貧困層の大衆を操って権力を握った。第2のウゴ・チャベスになっていたかもしれない、というのが彼らの見解だ…」ということでしょう。一方で、同じ記事に「…農村の有権者を政治に参加させることで、タクシンは都市のエリート層の権力に対するチェック機能をつくり出した。タクシン政権は民主主義を実現したが国は分裂させた、というのは正しくない。分裂させたからこそ、民主主義的だったのだ」…とあるように、タクシンが立憲君主制のもとで特権階級のエリート層だけが利益を享受できる仕組みになっていたタイ社会に、一定の民主主義的な成果をもたらしたことも事実です。タクシンに、自らの権力のために、膨大な数の下位・農村部社会階層を利用した…側面があったとしても、タクシン政権下で現実に一定の経済力と政治的発言力を得ることになった下位・農村部社会階層は、タクシンの思惑すら超えたところで、政治的に目覚めた「主張する社会階層」へと変貌しつつあるように思います。

 また、今回のUDDの行動を「行き過ぎ」とし、「タクシンが暴力行為と社会分裂を扇動している」…と見る人は多いと思います。しかし、国際政治の常識から見る限り、行動の正当性はタクシン及びUDD側にあります。2006年9月の軍事クーデターでタクシンが追放され、2008年に起きたPADによるスワンナプーム空港不法占拠と憲法裁判所がタクシン派の与党「国民の力党」に解党を命じたことで、タクシン派は、不当な手段で政権を失いました。すくなくとも「選挙」によって選ばれた政権を軍事クーデー等で打倒した結果できた現在のアピシット政権は、選挙の審判を受けていません。「民主主義の原則」から見れば、いまなおタクシン派が政権を担っているべきですし、もっと厄介なことは、現在選挙を行ったとしても、やはりタクシン派が多数を占める可能性は高い…ということです。

 さて、UDDによる市域中心部の占拠は終結したものの、一夜明けた今なお、UDDの一部メンバーによる市内各地での散発的な示威運動、破壊活動は続いています。特に現政権派の財閥や有力者が関係している商業施設や銀行などを標的とした放火・破壊活動が行われています。騒乱は地方にも拡大し、ウドンタニでは5000人規模のUDDの集会が行われ、放火・破壊活動も行われているとのことです。
 タクシンは「軍事制圧は、民衆を怒らせゲリラにする」と発言しましたが、まさにその通りだと思います。現政権にダメージを与えるのなら、大人数で示威活動をするよりも、ゲリラ的に全国で治安を混乱させた方が効果的です。タクシンの立場に立ってみれば、2006年に戦車や装甲車を使ったクーデターで追われたわけですから、その戦車や装甲車と戦うためには、正規戦でなくゲリラ戦でいった方が効果的…と考える方が自然ですし、タクシン自身が実際にそうした行動を指示する意思はあると考えるべきです。
 タクシン派が自衛と騒乱惹起のために溜め込んだ武器と訓練した戦闘集団は、確かに軍隊との正規戦になれば取るに足らないものですが、ゲリラ戦に使うのなら、タイ軍はてこずるし、到底鎮圧は不可能です。私は、今後タイは「半内乱状態」に陥る可能性が十分にある…と考えます。

 こうした客観的な状況に加えて、先に挙げた「タイ人の気質」の問題もあります。「主張する社会階層」へと変貌した下位・農村部社会階層は、ここで簡単に引き下がることはないでしょう。日本人でも、タイで本格的にビジネスをやってみればすぐわかりますが、タイは特権階級による「コネ社会」です。政治家や弁護士、軍や警察の関係者へのコネがなければ、どんなビジネスもうまくいきません。こうした社会を「徐々に変革」していくことは、歴史的に見ても非常に難しく、あまり前例がないことです。特権階級が支配する社会は、一気にひっくり返すことでのみ、変革を実現します。

 そして、タイ人の間では本格的に議論することはタブーとされていますが、この問題は最終的には王室の問題へと行き着くはずです。長い目で見れば、タイは立憲君主制から共和制への移行プロセスを辿らざるを得ないかもしれません。今回、プミポン国王が「黙っていた」のは、マスコミが伝えるように「病気」や「高齢」が理由ではなく、皇室とその周辺が、タイ社会の中で密やかに醸成され始めた、こうした微妙な空気を感じ取っているからでしょう。
 私は、かつて在タイのある人から、タイの王室とその関係者が日本の天皇家・皇室のあり方に強い関心を持ち、熱心に研究していると聞いたことがあります。タイ王室は、共和制移行後の王室のあり方として、日本の皇室のあり方を参考にしようとしている可能性があるかもしれません。

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