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2009年07月28日

●「傾聴」→「チョー聴く」

 今朝NHKの「おはよう日本」を見ていたら、大学生の中退者増加が大学の経営上大きな問題になっており、大学側が対応に追われている…というニュースをやっていました。で、いかに中退者を得ださないようにするか…について、「嘉悦大学」という大学が実際に行っている対策を紹介していました。その内容に、私はかなり驚いた次第です。

 中退者対策の第一は、「居心地のよい学生サロン」の設置です。24時間オープンで仮眠もできるおしゃれなサロンで学生がくつろいでいました。
 次に紹介された対策は、「大学生に将来に対する目的意識を持たせるための必修授業」です。その授業では、明日から始まる夏休みのついて、「夏休みの目標」なるものを学生に書かせていました。教官とおぼしき先生が学生に向かって、「夏休みの目標を書くように優しく語り掛けている授業風景が映し出されていました。
 次いで、教授・教官が集まって、「いかに学生に授業や勉強に興味を持たせるか」について議論をしていました。そこでは「授業では難しい言葉や学術用語を使わないようにする」ことが議題となっていました。難しい学術用語を使うと、学生が授業や勉強に対する興味を失ってしまうというのです。さらに学生が理解できない難しい言葉の例としてコミュニケーション系授業で必須の「傾聴」という言葉が提示され、それをどのように簡単な言葉に言い換えるか…が話し合われていました。そこで提案されたのが「よく聴く」「しっかり聴く」で、続いて「チョー聴く」という提案があり、教官陣がいっせいに「それはいい!」と賛同していました。

 このニュース、見ていたら何だか絶望的な気分になりました。友人・知人に大学の教官が何人もいますし、自分自身も大学で講義した経験も何度もあります。今の大学生の「レベル」についてはある程度わかっているつもりです。それでも、大学の授業で真面目に「夏休みの目標」を書かせている光景は衝撃的です。小学校ならともかく、大学で学生に「夏休みの目標を立てさせる」というのは、あまりにも痛すぎて見ていられません。
 そして「学術用語を使わない授業」をしないと学生が授業に興味を失う…というのは、もう「大学」の存在意義に関わるほどバカバカしい話です。学術用語を使わずに学問を教えなければならない…というのは、教える側にとっては「学問を教えてはいけない」に等しいでしょう。また、学術用語を聞くと授業を受ける気を失う学生がいるとすれば、大学に入学したこと自体が間違いなのです。
 「傾聴」の意味が理解できない大学生がいるという事実、そして「傾聴」を「チョー聴く」と言い換えるべきだと教える側が真面目に議論しているに至っては、頭を抱えてしまいます。

 ここで、安易に「こんな教育機関は不要だ」…とまでは書きません。少なくとも勉強をしない学生に何とか勉強させよう、学問の楽しさを教えようと多大な努力をしている点では、この「嘉悦大学」の教育体制を評価すべきです。また、大学側の対策の効果によって、実際にその気になって学問の世界に興味を持つ学生がいるとすれば、その志はそれなりに立派なものです。日本という国の国民全体の教育レベルを底上げするためには、こうした教育機関も必要かもしれません。しかし、少なくとも「大学」というものの存在理由、存在意義を考えれば、この大学は「大学」として存在すべきではないし、「夏休みの目標を書け」と言われて疑問に思わない学生、「傾聴」の意味を理解できない学生は、一般的な意味での「大学生」であるべきではありません。そして、どうやら今の日本にはこの嘉悦大学と同等の「レベル」の教育を行っている「大学ではない大学」が、非常にたくさんあるようです。
 こうした多くの大学に対しては、アメリカの社会人向けコミュニティカレッジのように、通常の「学問を学ぶ大学」とは別枠の「義務教育を終了した人向けの生涯教育・職業教育のための学校」といった位置付けを考えるべきでしょう。このレベルの大学と「学問を学ぶ意欲を持ちそれに応えるだけの高度な教育を行う大学」とが、制度面、法律面で同じ位置づけにあるのはおかしいし、また同じレベルで補助金や助成金を出すのもおかしな話です。

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