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November 07, 2006
人の命を救う…ということ
宇和島徳洲会病院の万波誠医師に対して、非難が集中しています。病気で摘出した腎臓を、移植に使えるのならなぜ本人に戻さなかったのか…という部分についての説明は曖昧で、まったく説得力がありません。移植手術をしたいがための摘出…と言われても当然ですし、実際に彼は移植手術をやりたかったのでしょう。責任を問われるのは当然です。
しかし、この万波誠医師による多数の腎臓移植手術については、もう1つの側面を見逃すわけにはいきません。彼のおかげで、非常に多くの命が助かっている…という現実です。腎臓疾患の患者にとっては、「移植」だけが回復への道です。透析を受ければ仕事はむろん、日常生活の維持は困難です。腎機能低下による「緩やかな死」を待つだけの患者たちにとって、万波医師の存在は「神」にも等しいでしょう。報道機関や医療ジャーナリストが言うところの「倫理」なんてものは、動機や適法性はどうあれ「死ぬはずの命を救う」という行動の前では、たいした意味を持ちません。まだ使える腎臓を摘出された人の怒りややりきれなさは十分に理解できますが、唯一の救いは、その腎臓によって1人の人間の命が救われた…という事実です。それを忘れないようにしたいと思います。
今回の件では、何をおいても、まだ使える腎臓を取り出された患者さんの予後の管理を徹底的に行うことが必要です。しかし、万波医師によって病気腎を移植されることで助かった人々が、今後肩身狭く生きなければならないような形での報道は避けたいものです。また、今回の事件で臓器移植が停滞しないようにする配慮も必要です。
臓器移植については、宗教的な理由やら倫理観やら、さまざまな問題も絡んで、この国では移植臓器の供給が少な過ぎるし、移植ネットワークもうまく機能していません。私は、公的な健康保険加入の条件に「臓器提供義務」を付けてもよいぐらいだと思っています。
金のある人間だけが海外で移植を受けられる…こうした悲しい状況は、どこかで断ち切らなければなりません。
投稿者 yama : November 7, 2006 03:43 PM