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November 06, 2006
石原産業と石原廣一郎
石原産業の「フェロシルト」違法廃棄事件で、廃棄物処理法違反(不法投棄)の疑いで同社四日市工場の元副工場長や子会社幹部が逮捕されました。「やっと」という感じですが、フェロシルトについては何年も前から問題にされながら、いまだ不法投棄全容が解明されない上、企業責任も曖昧なままという現状には到底納得できません。
実は私は、母の実家が四日市市なので、1960年代の四日市公害問題の経緯については、非常に身近で現実的な話としてよく記憶しています。石原産業といえば、その当時、信じられないほど大量の強酸性溶液(硫酸)を長期に渡って海に流し続けたバカ企業であり、地元でその悪名を知らない人はいません。本当に「反社会的企業体質」ってヤツは、変わりませんね。
それにしても、石原産業というのは何とも不気味な企業です。光触媒など機能材料に使われる酸化チタンのトップ企業ではありますが、収益の中心は農薬事業です。60年代にあれほどの問題を起こしながら、フェロシルト問題では平然と同じことを繰り返しています。
ヒ素、鉛、カドミウム、六価クロムに加えてウランやトリウムが含まれ、さらにフッ素まで発生するという「超有害産業廃棄物」そのものと言える「フェロシルト」が、なぜ三重県からリサイクル製品(土壌改良剤、埋め戻し材)の認定を受けることができたのか? 平成17年に愛知県、岐阜県、京都府などから撤去命令を受けながら、いずれも曖昧なままで今に至るまで放置されているのか?…なんとも不思議な話です。自治体や行政との黒い癒着を疑うのは私だけでないでしょう。まあ、60年代の硫酸の不法垂れ流しを握りつぶそうとしたのが当時の内閣、通産省、そして検察庁だった経緯を考えれば、自治体どころか国家レベルで行政との癒着があることを思わせます。
こうしたモラルのかけらもない反社会的な企業が、国や行政の手厚い保護の下でのうのうと営業し続けていられるのは、やはり大正時代に遡る設立の経緯と、その後の軍部との深い関係など、過去の歴史が背景にあると見るべきでしょう。
石原産業は、石原廣一郎(広一郎)によって、マレー半島ジョホール州スリメダン鉄鉱山の開発のために大正9年に合資会社南洋鉱業公司として設立されました。設立時から、当時の軍部のアジア侵略に密着して中国や東南アジアの各地から、略奪的に鉱物資源を日本に運びこんでいました。いや軍部に密着して…というよりも、軍が実権を持つ国家によって日本の南方支配を実現するという「南進論」の第一人者として軍の一部を扇動した黒幕的存在でもありました。満州事変期前後からは右翼国家改造運動のスポンサー、リーダーとして活動し、二・二六事件では青年将校たちに資金を提供、事件後には逮捕・起訴されています。経済活動面では、「石原産業海運合資会社」、のちに「南洋海運」を興し、スリメダン鉄鉱山を足がかりにフィリピンや中国海南島にも進出、さらには四日市市に戦後に続く工場を建設。そして、マレー半島とジャワ島、スマトラ島の定期航路を開きました。石原産業は、太平洋戦争終戦にまでに1000万tに達する鉄鉱石を日本に向けて積み出し、軍部に対する大きな影響力を持ち続けるとともに、石原産業も石原廣一郎自身も莫大な資産を築きました。
戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に拘禁されています。1949年に公職追放処分を解除され、石原産業社長に復帰しました。
この石原廣一郎の戦前の活動について、「自社の利益を追求したのではなく日本国家の利益のために働いた」と、彼の業績を高く評価する向きもあります。しかし、彼が本当にそんな高潔な人物であったとすれば、彼自身が経営に携わった戦後の石原産業による60年代の硫酸垂れ流しや近年のフェロシルト投棄など、懲りもしないで続けられる反社会的な企業活動の説明はつきません。
いずれにしても、現代の石原産業と国家権力との不気味な癒着の真相は、闇の中ということでしょう。
投稿者 yama : November 6, 2006 02:39 PM