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November 04, 2006

貧困層が戦場へ行く

 米民主党のジョン・ケリー上院議員が、米カリフォルニア州で学生らに対して、「君たちがしっかり勉強し、宿題をこなせば、うまく行く。そうでないとイラクで身動きがとれない有り様になる」…と発言して「兵士に対する侮辱」だと非難を浴びた件については、ケリー議員が米兵士に対し直接謝罪することで、とりあえず騒ぎが沈静したようです。ケリー議員は、発言はブッシュ米大統領と同大統領のイラク政策に向けたものだった…と説明しましたが、むろんそんな意味の発言ではないことは、誰もがわかっていることでしょう。
 このケリー議員の「一生懸命勉強しないとイラクへ行って苦労する」…発言については、非常に考えさせられる部分があります。これはむろんケリーの「本音」でしょうし、アメリカの政治家や富裕層ならば、ほぼ皆が同じように考えているはずです。また、資本主義社会における若者に対する「激励」の言葉としても、本質的な部分では「正しい」部分がある…と言わざるを得ません。
 つまり、このケリー議員の発言は「努力して勉強して出世しなさい、そして戦争に行かなくてもすむエスタブリッシュメントになりなさい」…と言っているわけで、本質的な意味の部分では「正しい」と思っている人は多いはずです。

 現在、イラクにおける米軍の治安維持活動は崩壊の危機に瀕しています。米兵の死者は2003年の侵攻以来2700人を超え、最近では月間死者数が100人ペースに達しています。ワシントンポスト紙の世論調査では、ブッシュ政権のイラク政策に否定的な回答は64%に達し、51%が駐留米軍の削減、37%が即時撤退を求めている…とのこと。米中間選挙を2週間後に控えてブッシュ政権はイラク政策推進のため使ってきたスローガン「ステイ・ザ・コース(この道を最後まで突き進む)」を急きょ取り下げることになりました。イラクは既に、かつてのベトナムと同じ「泥沼」となっています。
 いまさらあらためて書くほどのことでもありませんが、現在のアメリカで自ら希望してイラクに向かう州兵や、戦場での準軍事業務への就労を志望する民間人の大半がマイノリティで貧困層です。志願兵制度を採る米軍のリクルート活動では、貧困層をターゲットに「退役後は大学に進学できる」「病気の家族の医療費を軽減できる」「劣悪な環境から脱出できる」等々の言葉で呼びかけています。学歴社会のアメリカでは、大学卒業資格を持たない層の大半は、一生時給5ドル程度の仕事に就くケースが多いので、大学進学のための学費支給は魅力的な条件です。ただ、退役後に大学に進学できるのは全体のうち35パーセント、そして高額な授業料を払い続けて卒業できるのは15パーセントに過ぎません。さらに、命がけで戦う一般兵士の給料は年間2万ドル以下で、たいした貯金が出来るわけではありません。結局は、戦場で命をかけて戦っても、貧困層から這い上がるのは非常に難しいということです。
 また、戦場での準軍事業務を請け負う民間企業への就労者もひどいものです。兵士と同等の危険に晒される彼らの大半が、いわゆる「失業者」なのです。
 現在アメリカには、3700万人の貧困層(貧困層の規準は家族構成数によって異なるが家族3人の場合、年収14,680ドル:161.5万円未満の層を指す)がいます。人種別に見ると、黒人人口の24%、ヒスパニック人口の22%、白人人口の8%が貧困層に属しています。わずか1%の人口が、国全体の富の42%を所有するのがアメリカという国です。

 これがアメリカの現実です。政治家はむろん、富裕層や高学歴層は、リビングでくつろぎながら、TVニュースでイラク戦争を体験しているのです。ましてや政府高官とその家族は、原則として戦場に出ることはありません。稀に政府高官の家族が職業軍人となり戦場に出るケースもありますが、その場合は危険な最前線に出ることはまずありません。あの戦争を煽るブッシュ自身も、ベトナム戦争の徴兵逃れのために下院議員だった父親の影響力を使ってテキサス州空軍に入隊、きちんと兵役を務めていない…という疑惑がありました。まあ、徴兵忌避を行ったわけではないにせよ、最前線へ行くことを逃れたことは事実です。

 エスタブリッシュメントや富裕層はけっして戦場に出ない…というのは、何も現代のアメリカに限った話ではなく、「ノブレスオブリージュ」なる概念が事実上消滅した近代以降、世界中のあらゆる戦争で見られることです。むろん、わが国である日本も例外ではありません。

 明治の近代軍隊創設期から既に、軍隊に入隊するのは貧しい農家の次男や三男などが多かったことはよく知られています。明治5年に布告された徴兵の詔・徴兵告諭から始まったわが国の徴兵制ですが、そこでは一家の主人や、代人料270円を払える富裕層は免役となる制度などが設置されました。これによって、主に貧農の二男、三男が兵役の負担にさらされることになったわけです。
 当時の状況について、面白い話があります。世界で「脚気」の原因を最初に突き止めたのは海軍軍医の高木兼寛(慈恵医大創始者)ですが、彼は脚気防止のため明治陸海軍の主食を、白米をやめて麦飯にすることを提案しました。しかし麦飯を採用したのは海軍だけで、陸軍は採用しませんでした。その結果、日露戦争では陸軍では約25万人が脚気を発症し、脚気による病死者は約2万7800人に至りました。日露戦争の戦死者は約4万7000人で、なおかつ戦死者中にも脚気患者が多数いると推定され、結果として日露戦争では「戦闘による負傷等による死者よりも脚気による死者のほうが多い」…という事態になりました。一方で高木の提案を採用して兵員に麦飯を支給していた海軍では、脚気は軽症患者が少数発生したのみで死者はありません。
 陸軍が麦飯食を採用しなかったのは、当時の陸軍軍医、森林太郎(森鴎外)の反対もさることながら、先に述べた「貧しい農家の二男や三男などが多かったこと」に最大の理由があります。入隊前には食うや食わずの極貧生活を送っていた彼らの最大の入隊理由が、「軍隊に入れば白米を腹いっぱい食べられる」だったからです。「貧困層が食べるために軍隊に入る」…というのは、考えてみれば現代のアメリカと同じです。

 昭和2年の兵役法以降は、富裕層の徴兵免除はなくなったはずですが、国家総動員体制に入った日中戦争や太平洋戦争期ですらも、エスタブリッシュメントや富裕層は戦場に行かずに済みました。高級官僚や財閥系企業のトップクラスなどは、大半が徴兵を逃れています。それだけでなく、市井の金持ちや有力者連中も徴兵逃れを行いました。軍隊にとられる仕組みは、徴兵検査の合格者名簿から、「連隊区司令部」という役所が召集令状を出すのですが、当時、連隊区司令部に対して金品を贈り、名簿から自分の名前を削らせたり、悪い病名を書かせたりした人がたくさんいた、という記録があります。お金持ちやその役所の役人と親しい有力者は、徴兵を忌避する手段を持っていたわけです。

 さて、冒頭のケリー議員の「一生懸命勉強しないとイラクへ行って苦労する」…発言に戻りますが、これを日本に置き換えてみると、こんな発言になるでしょう。「一生懸命勉強しなさい、勉強しないと自衛隊に入ってイラクなどの戦場に行くことになりますよ」…。もし、現代の日本で、国会議員や学校の教師がこんな発言をしたら、それはもう大変な騒ぎになるはずです。ただ、本音の部分ではどうでしょう。そして、現実はどうでしょう。
 自衛隊員の所得平均については知りません。学歴構成についても詳しい情報はありません。ただ、日本の場合は公務員給与の水準が高いので、民間企業の給与と較べて、自衛隊の給与がそれほど低いわけではありません。また、大学進学率が50%近い日本では、大学卒業者の社会的価値はアメリカほど高くありません。最近では、就職氷河期を境に、大卒者の自衛隊入隊率がかなり上がった…という現実もあります。しかし、官公庁のキャリア組や医師、司法試験合格などを狙っている学歴最上位層の多くは、確実に「自衛隊に入るような人間は落ちこぼれ」と考えているはずです(キャリアの防衛庁組、防衛大学、防衛医大等卒業者を除いて…)。東・京大進学率や国公立大学医学部進学率を誇るような超一流進学校では、「自衛隊に入って戦場に行くような人間にはならないような教育」が行なわれているのが現状です。また、子供をそうしたコースに乗せたいと考えて教育費を注ぎ込んでいる富裕な家庭では、家庭内でケリー議員の言葉と同じような会話が行なわれているかもしれません。

 結局のところ、戦争を賛美し、若者を戦場に送り出そうとする人間の大半は、自分自身や身近な人間を戦場に送らなくてもよい人間たちです。ケリー議員の発言は、あらためてそうした現実を浮き彫りにしました。

投稿者 yama : November 4, 2006 01:13 PM

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