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June 23, 2006

ワールドカップ中継を見ながら…

 ドイツ・ワールドカップで、日本の決勝進出はなりませんでした。まあ、今後は戦犯探しがうるさくなるかもしれませんが、試合後のジーコのコメント通り「対戦相手が体格・体力でも、技術でも上回っていた」というのが、唯一かつ単純な敗因でしょう。欧州リーグではまともに使い物にならないレベルの選手、例えば中田や柳沢あたりが中心選手のチームなんですから、負けて当然です。でも、そんなことを専門家の誰もが事前にわかっていたわけで、予選を突破して大会に出場できただけもよしとすべきなんでしょうね。

 いや、ワールドカップの結果なんてあまり興味はないのですが、ワールドカップ関連のテレビ番組の中継映像で見かけるドイツ諸都市の街並みや、欧州各国のサポーターの様子などは、文化的な興味もあって見飽きません。前回のワールドカップは日韓共催ということでアジアで開催されましたが、やはりサッカーの祭典であるワールドカップの開催地としては、東京やソウルの風景よりも、ヨーロッパの街並みの方がよく似合います。

 ヨーロッパといえば、先日「中世ヨーロッパの歴史」(堀越孝一 講談社学術文庫)を読了しました。今さらヨーロッパ史もないものですが、あらためて中世ヨーロッパの通史を読むと、以前理解が曖昧だった部分でいろいろと気付かされるところがあります。
 自分の無知と不勉強を晒すだけのつまらない話ですが、いくつかの感想を述べます。
 実は、以前からちょっと不思議だったのが、欧州各国の文化や言語のあまりに大きな違いです。7世紀以降のフランク王国による統一以降の欧州の成立過程を見ると、国によってここまで文化や言葉が違う理由が感覚的に理解できませんでした。ゲルマンの影響が大きいドイツと、ローマ帝国の末裔であり地中海文明を起源とするイタリアが、文化も言語も大きく異なるのはよくわかります、しかし、例えば同じガリアからスタートし、いったんローマ化し、その後ゲルマン人に征服される…という同じような歴史を辿ったスペインとフランスの文化の差異は不思議です。スペインとフランスとでは、食を含む生活全般に渡って文化が相当に異なるように思います。またフランス語とスペイン語は、「同根」に近いはずなのに、わずか500年程度で、どうしてこんなに異なる言語になったのか。むろん似ている部分は多いけれど、少なくとも方言程度の違い…ではないですよね。
 不勉強な私には、現在のスペインは、レンコンキスタによってフランスを中心とする騎士団が作った国…という漠然とした認識がありました。従って、言語も含むスペインの文化というのは、西フランク→フランスの影響を大きく受けており、そこに古来イベリア半島に住むガリアの影響と8世紀以降51世紀までイベリア半島を支配したイスラムの影響が混在している…というような単純な認識をしていたわけです。
 しかし、この本を読むと、スペインという国は、レコンキスタによって騎士団が作った国を起源とするのではなく、あくまでレコンキスタはるか以前の「西ゴート王国の末裔」であることがよくわかります。フランク王国成立以前、西ゴート王国は、ゲルマン人によって建国された国ながら、もっともローマ文化の影響を残した国でもあり、また熱心なキリスト教国でもありました。この「西ゴート文化」は、イスラムの征服時にも退潮することなく、結果として、ラテン文化の影響がフランスより多く残った…と考えればよいのでしょうか。
 言語的に見れば、フランス語は北のオイル・ロマン語、南のオック・ロマン語ともにゲルマン語の影響が相当に強く、それに比べて、フランク王国成立時のスペインは、バスク語地域を除いては概ねカタロニア語とガリア-ラテン語が影響を与え合い、そこにフランクで一度文化的に混合されたオック・ロマン語が加わった…という感じなのでしょう。
 イベリア半島は、確かに長期に渡ってイスラムの支配下にありました。グラナダが陥落したのが1492年ですから、732年のツール・ポワチエの戦いから計算すれば、700年間に渡る支配です。しかし、実のところ12世紀には既にイベリア半島の約60%は、レオン、ナバラ、カスチラなどキリスト教諸侯領となっていたわけで、イスラムによる実質的な支配期間は短く、しかも支配化の領土を全面的に管理していたというよりも、拠点、拠点を押さえていただけのようです。そうした状況を考えても、イベリア半島における「西ゴート文化」は、イスラムの影響下にあってもしぶとく生き続けたのだと思われます。

 さて、あらためて整理すれば、概ね次のような感じだと思います。

●ヨーロッパの文化は、主にローマ、ガリア、ゲルマンの混合によって成立していること(むろん東方文化や北方文化の影響もあるが…)。
●ヨーロッパの言語は、ローマ(ラテン)語、ガリア(ケルト)語、ゲルマン語の混合が基本で、「それぞれの影響の度合い」が、結果的に言語の差異となって現れていること。

 まあ、当たり前の話ではありますが、政治や文化も含めた現代のヨーロッパの諸事情についての理解を深める上で、中世史を通読し直すことには、大きな意味がありそうです。こうした様々な背景を知っていれば、ワールドカップ観戦のためにドイツを訪れても、いろいろと腑に落ちることが多いでしょう。

 ところで、この「中世ヨーロッパの歴史」という本の、著者による「あとがき」には、次のような記述がありました。

 …フランク王国の分割協定であるヴェルダンとメルセンの両条約、そのメルセンは、EU、ヨーロッパ共同体が始動した「マーストリヒト協定」で知られるマーストリヒトのすぐ北にある地名だ。…ECの首脳陣は、メルセンの記憶を拠り所にマーストリヒトに集まったのではなかろうか。フランク王国が解体し、諸国家がっ群れ立つヨーロッパがはじまったメルセンから一千年、ヨーロッパはメルセンの呪縛を解こうとこころみる…

 著者も言うように、事実がどうだったのかはわかりません。でも、マーストリヒト条約とメルセン条約の関係に思いを馳せることができただけでも、十分に面白い本でした。

 とりとめもない話になりました。

投稿者 yama : June 23, 2006 11:25 AM

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