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September 12, 2005

「共生」は本当に可能か?

 衆院選は、絶対安定多数を大きく上回る296議席を獲得した自民党が圧勝、与党が2/3超の議席を得る…という、事前予想通りの結果に終わりました。
 この結果についてはマスコミ上でたくさんの人が論評していますし、また個人のBlogなどでもこの選挙の結果についてのコメント一色です。というわけで、いまさら私が書くことなどありませんが、いくつか気になったことだけをちょっと…

 まずは与党が得た「衆院の2/3」という議席数についてですが、第96条の「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」という改憲問題の規定と第59条の「衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。」という規定ばかりがクローズアップされています。しかし、この2つ以外にも、日本国憲法には「衆院の2/3」が関わる規定がたくさんあります。
 まず、第55条【議員の資格争訟】では「両議院は各〃その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする」。次いで第57条には「両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる」。さらに第58条【役員の選任、議院規則、懲罰】には「院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする」…とあります。要するに、気に入らない議員の資格を剥奪したり、公開であるはずの議会を秘密会議にしたり…、考えてみるとけっこう怖い規定です。
 さらに、日本国憲法以外にも「議員の2/3」が問題になる法律はたくさんあります。まず「衆議院規則」では第198条に「議院は、被告議員の資格の有無について議決によりこれを判決する。資格のないことを議決するには、出席議員の三分の二以上の多数によることを要する。議院の判決には、理由を附けない」。第246条でには「懲罰委員会が除名すべきものとして報告した事犯について、出席議員の三分の二以上の多数による議院の議決がなかった場合に、議院は、懲罰事犯として他の懲罰を科することができる」…という憲法の規定を追認した規定があります。
 そして「裁判官弾劾法」では裁判官を罷免するにあたって「訴追委員会の議事は、出席訴追委員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、委員長の決するところによる。但し、罷免の訴追又は罷免の訴追の猶予をするには、出席訴追委員の三分の二以上の多数でこれを決する」…という規定があります。先ほどの、気に入らない議員の資格を剥奪したり、公開であるはずの議会を秘密会議にしたり…以外に、気にらない判決をした裁判官を罷免することもできるわけです。
 今回の選挙で有権者が自民党・小泉政権に与えた権限は、非常に大きなものだと、あらためて感じる次第です。

 それにしても、田中康夫が今回の選挙結果について「終わりの始まり」とコメントしていましたが、私もそれに近い感想を抱きました。いやこれは田中康夫のように「自民党が大勝したから」という理由ではありません。
 8月29日の日記で書いたように、この国は「“戦争”や“預金封鎖”などといった禁じ手以外のまともな手段では償還不可能なGDPの1.5倍を超える借金があり、詐欺のような年金制度や医療保険制度は事実上崩壊し、生産力を維持できないほどに出生率の低下と少子化が進み、子供の学力はひたすら落ち続け、低所得のフリーターやニートが増え続け、1980年代のニューヨーク並みに日常生活の 治安は悪化し、地方には処理不可能な大量の産業廃棄物が投棄され、食料の50%以上を輸入に頼り、最大の貿易相手国である中国との外交関係は悪化し、憲法を無視して海外への派兵が行われている」…という「政策なんてものの枠を超えた“根本的な国家維持システムの変革”が必要とされている」状況にあって、誰も「本質的な問題を議論しない」中で選挙が行われたからです。私は、民主党が勝利していようと、社民党が大勝していようと、「終わりの始まり」に変わりはなかったように思ってしまいます。

 思えば小泉政権は、この国の基本的な方向として、「改革」と称する「競争原理、強者の論理に基づく進路」に舵を切っているわけです。ところが、この「競争原理、強者の論理」に対する強力な“アンチテーゼ”が、現在の日本には存在しません。現時点では、「対立する価値観」を「万人が納得する形」では誰も提示できないのです。一部政党の唱える「富の再配分」についても、確固たる経済的な裏付けはありません。結局のところ、今回の選挙に関係なく、現在の日本の基本的な方向性である「競争原理、強者の論理」に対して、唯一「共生」という言葉のみが、アンチテーゼであり続けました。
 「共生」という言葉は、理念として間違っているとは思いませんが、必然的に賛同と共感の両者を生みます。「人類であれば誰とでも共生したいか」…と問われると、多くの人はそうは思いません。例えば「努力もしないやつに税金を遣うのは無駄」とか、「犯罪者に税金を遣うな」…あたりはごく一般的ですし、中には「移民や他民族、他の国と共生する必要はない」…と考える人も多いわけです。
 こういう心理、正直なところ私にもあります。さすがに「移民や他民族、他の国と共生する必要はない」などとは間違っても考えませんが、「幼児虐待や女児殺害などを行う社会性を持たない人間」に対しては、どこか共生を拒否する気持ちが湧くことを否めません。しかし、謙虚になって「すべての人類に対する共生の気持ち」を自分の気持ちの中で醸成したとします。しかし、そこでまた考えてしまうのです。「人類すべてが共生する社会」なんてものが、本当に可能なんだろうか…と。

 実のところ私は、地球上に生きる人類は、「人類すべてを対象とした“共生”や“持続”をキーワードとする社会システム、適切な統治システムの案を本当に持っていない」のではないか?…という“恐さ”を感じています。人口問題と食料問題だけを挙げても、現時点で有効な人口抑制手段はない…し、食糧増産もほぼ限界に来ています。確かに、破局を遅らせる対処技術や対処療法はたくさんあるかもしれません。しかし、現在の地球が、確実に100億人を超える人類を養っていけるかどうかについて、確信をもって答えられる科学者はいないでしょう。
 私は、人類の特質、社会の発展については、特に悲観論者でも、逆にオポチュニストでもありません。科学技術の発展についてもそれなりに期待・確信しています。むろん、宗教には一切の興味がありません。こんな私でも、種としての誕生以来400万年、文明を築いてから6千年の長きに渡ってこの地球上で繁栄してきた人類が、もしかすると「種として発展の限界に達した」可能性を考えてしまうのです。いかに人間の叡智を結集しても、いかに科学技術が発展しようとも、この「限界」を打ち破ることはできないのでは…と恐れるのです。

 もし、何らかの方法で人口増加の速度を遅らせることができたとしましょう。そして画期的な科学技術の進歩によって食糧増産とエネルギー確保に成功し、地球上に住む全ての人類の持続的な生存が可能なったとしましょう。さらには、戦争のない平和な社会が実現したとしましょう。そうなったときに、人類は「共生」できるのでしょうか。「共生」の絶対的な条件である、現在の世界に見る「絶望的な生活水準の格差」を無くすことが可能でしょうか?
 この点については、悲観的にならざるを得ません。例えば、現時点で1人当たりのGDPの世界平均は、日本のGDPの約30%に過ぎません。無理がある仮定・計算法ですが、もし「共生」の原理に従って世界の富を均等に再配分すると、日本人の場合は現在の1/3の生活水準になるということになります。そんな「国際社会システム」を、日本に限らず、先進国で豊かな生活をしている人間が許容するわけはありません。
 多くの人が唱える「共生」という言葉の裏には、しょせんは「現在の自分の生活水準を落とさない」…という「前提」が存在します。そんな前提の「共生」は、本来あり得ないはずです。

 今回の総選挙の結果いかんに関わらず、「終わりの始まり」は、とっくの昔に始まっていたのかもしれません。

投稿者 yama : September 12, 2005 02:00 PM

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