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August 26, 2005

人間教育

 昨日の朝のNHKニュースで、「流通経済大学 サッカー部、その強さの秘密…」という特集をやっていました。流通経済大は大学リーグで3位に入った強豪チームなんだそうですが、その強さの秘密は「密度の高い共同生活」と「監督による人間教育」にある…という話です。部員は200人以上、うちレギュラークラスだけでなく100人以上が寮に暮らしており、狭い部屋に数人が同居するという共同生活環境の中でチームメンバー同士の信頼感を高めあっています。監督の談話によると、「サッカーがうまくなるだけなら別に毎日2~3時間の練習でもいい。しかし、サッカーの技術だけでなく人間を磨かないとダメ」とのこと。
 で、寮では監督も一緒に寝起きし、監督が各部屋を回って部屋が整理整頓されているか、掃除が行き届いているか見回るシーンなどをやっており、私は目を疑いました。さらに部員は、定期的に寮の近所のゴミ拾いをさせられているのです。このゴミ拾いで、地域社会への奉仕・感謝の気持ちを育てるのだそうです。ゴミ拾いに出かける大学生に対し、監督は「一番少なかったヤツには罰として○○」なんて声をかけてました。これ、小学校の光景じゃなく、大学の光景です。取材記者のインタビューに答える部員は、「こうして地域社会に役立つこともうれしいし、人間的にも成長します」なんて答えていました。その口調は、とても大学生とは思えない「子供」のようでした。
 私には、監督に引率されてゴミを拾う大学生サッカー部員の姿が、それはもう薄ら寒い、気色の悪い光景に見えました。
 これまでに何度も書いたように、小学校から大学まで、学校教育の現場というのは「人間教育の場」であってはならないはずです。あくまで「勉強の場」です。ましてや大学となれば、これは、もう「人間教育」なんて言葉が出てくる方がおかしい。大学は、勉強どころか「高度な学問」を修める場です。何で大学生にゴミ拾いなんてものをやらせることが、ニュースで好意的に紹介されているのでしょうか。私はゴミ拾いという行為自身が人間教育になるとは思っていませんし、それ以前の問題として、「大学生」に教育的な理由でゴミ拾いをやらせる指導者ってのは、頭がおかしいんじゃないか…とまで思います。さらに、「大学生」の部屋を見回って「整理整頓ができているか」を確かめるなんて、アホらしい。日本の大学の現場は、こんな幼稚園のような場所になってしまいました。高度な学問を学び、自立的に自分と社会との関わりを考える大学生…というのは、もう夢の中の話なんでしょうか。
 別に「日本の将来が思いやられる」…なんてことを書くつもりはありません。大学の寮の部屋が整理整頓されているかを指導者が見回り、大学生に「教育としてのゴミ拾い」をさせているような「大学」が存在する国には、もう将来なんてありません。

 教育現場での「怪しげな人間教育」の実施は、中学や高校では、もう当たり前のようです。このニュースもも、気持ちが悪い。「トイレを磨いて心を磨こう」なんて、何か怪しい宗教か洗脳系セミナーのスローガンのようで、実に気持ちが悪い話です。「心を磨くこと」と「便器を素手で掃除すること」…の間には何の関係もないのは当然ですが、それ以前にこの手の手法を「教育」として受け入れる公教育現場の判断に、おぞましさを感じます。
 この記事に出てくる「掃除に学ぶ会」「日本を美しくする会」というのは全国にあるようです。本家はこちらですね。ここに書かれていること、洗脳系セミナーのようで、ホントに不気味な団体だなぁ…。この団体、全国の学校で同じようなことをやってます。

投稿者 yama : August 26, 2005 11:52 AM

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