July 28, 2005
自分を語るケーキ
どうでもいいような話ですけど、「地図認識技術」というのは、どのあたりまで進んでいるのでしょうか? いや、実は何かの目的で簡単な地図、案内図などを作成するときに、例えばスキャナで手許にある適当な地図を読みとって、単に画像情報として記録するのではなく、OCRのように「地図の情報」、例えば道路や建物、文字などを地図データ、属性データに分けて読み取らせ、その上で自由に加工したい…と以前から思っていたわけです。つまり「文字認識」ならぬ「地図認識」ができないか…、という話です。
GIS分野では地図情報や属性情報の標準化が進んでいますから、何かのGIS規格に準拠した標準地図については原理的には読み取れるはずです。
でも私が読み取りたいと思っているのは、適当な地図本や雑誌掲載の地図など。例えば「グルメぴあ」に掲載されているような地図を読み取り、それを別の目的(あくまでプライベート利用が前提)のために作り変えたい…と思っているわけです。
人間のパターン認識能力はすごくて、非常に略された地図、デフォルメされた地図からでも情報を正しく読み取ることができます。例えば名刺や新聞の折り込みチラシなどに書いてある略図からでも、正しく目的地に到達します。私が思う「地図認識」では、さすがにそこまでの能力を求めるわけではないのですが、少なくとも「正確な元地図」をベースに加工した地図ぐらいは読み取れるものが欲しい。
むろん「地図」には著作権があることはよくわかってますから、別に商用も含めて二次利用をするために読み込みたいわけじゃありません。あくまで、個人的な範囲での利用です。
そのうち、「地図認識技術」について、しっかりと調べてみたいと思ってます。
話は変わって先週のことですが、「週刊新潮」の7.28号の記事…「阿保天皇」記事を回収しなかった「朝日新聞」の歴史観…、私はこの記事を読んで正直言って驚きました。記事中に「アホ天皇」という言葉がやたらと出てくるからです。これって、どう読んでも朝日新聞批判に名を借りた「アホ天皇連呼記事」。全体を読んでもどうでもいいような内容だし、さすがにこんな記事書いてて恥ずかしくならないかなぁ…
だって、阿保親王を知らない人でも、「阿保」という字面を見たら普通は誰でも「あぼ」と読むでしょう。私のいとこの嫁ぎ先も「阿保」さんです。ちなみに「阿保」という苗字を電話帳の掲載ランキングで調べてみると、「久本」と同じ数。まあ、特に珍しい苗字じゃありません。MS-IMEでも「あぼ」で一発変換されます(…「あほ」と入力しても「阿保」とは変換されません…)。「阿保」を「アホ」と読んだら、読むほうがアホです。
私は「書いた記者がアホ」以外、別になんとも思いませんが、民族派の皆さんは「アホ天皇」を連呼(連記)されて、さぞやお腹立ちでは…
久しぶりに写真をアップ(P700iで撮影)。新宿のケーキ屋さんの前に立っていたメニュー看板ですが、「自分を語るケーキです」と書いてありました。
この手のフレーズを平気で看板に書くセンス、嫌いだなぁ。書いたるヤツの頭の構造やメンタリティが想像できるし、この看板を見て感心してケーキ屋に入るような客も嫌い。寒気がする。絶対に店に入る気も食う気もしないですね。
投稿者 yama : 04:20 PM | コメント (0) | トラックバック
July 27, 2005
六カ国協議の行方
この1ヶ月、日記をほとんど更新しませんでした。「饒筆」な私ですから、別に書くことが苦痛になったわけでもないし、サイトの更新が面倒になったわけでもありません。この画像日記を書き始めて4年、これだけ長期間書かなかったのは初めてです。理由はいくつもありますが、オフィスの移転準備、会社の業務内容の見直しと体制変更、オフィス内の人間関係のトラブル、立て続けの海外出張、加えて体調の不良…等々、この1ヶ月はあらゆる面倒・災難が重なりました。それで、Webサイトなど更新する気が起きなかったのです。
ところで、北朝鮮の核開発問題を巡る六カ国協議が始まりました。こちらの記事には、「…日本は拉致問題を提起したが、米国を除く関係国の視線は冷ややかで『拉致外し』が顕著になっている…」とありますが、まあ当然でしょう。
頼みのアメリカは、拉致問題になどたいして関心がない。むしろ、朝鮮半島を安定させることで、経済発展著しい中国との安定した関係を築く…ことの方がはるか重要な命題となっています。中国にとっても事情は同じ。中国にとって地政学的に見る北朝鮮という国の存在の重要性は言うまでもなく、日本が拉致問題で騒ぐことに「日中戦争被害国としての生理的不快感」もあるでしょう。同じように拉致問題を抱える韓国ですが、これはもう「同朋意識」の方が上回っている上、過去の日朝関係の経緯からみれば「日本は余計な口を出すな」というところ。そして地域の安定化が経済的な権益につながる…という面では、ロシアもまた、朝鮮半島の問題を拗らせたくないのは当然です。
そして、アメリカに限らず、国際社会で有力な発言力を持つ他の国々、例えば欧州諸国や中南米諸国、西アジア諸国などにとっては、拉致問題など「遠い国の些細な出来事」です。それどころではないほど深刻な国内問題た地域紛争を抱えている国もたくさんあります。ましてや、拉致家族帰国直後のインパクトが薄れた現在、日本は拉致問題に関して「国際社会の圧力」という形で支援を得られる可能性は今後とも非常に薄い状況です。
結局日本は、今後は「自立した外交」によって、拉致問題を解決しなければなりません。
拉致問題解決にあたって、日本がもっとも頼みとするブッシュ政権は、現時点で拉致問題に対する関心は「本質的にない」はずです。何にでもホイホイとお金を出し、自衛隊もイラクに長期駐留させてくれる便利な小泉政権の命脈を少しでも長引かせる…という目的ならば、拉致問題に理解のあるフリもするかもしれません。しかし、小泉政権の命脈が尽きようとしている現在、別に日本の世論の関心を買うことなど、ブッシュ政権に全く興味がないのは当然でしょう。アメリカにとって極東の安全保障が重要だったのは、「ドミノ理論」が持て囃された1950~1970年代までの話。ソ連が崩壊し、中国が資本主義へまっしぐらの現状にあって、経済的な権益が少ない北朝鮮の問題は、「安定化」が第一目標となるのはよくわかります。経済的な繋がりが大きい中国との関係の方が、はるかに重要です。
こんな当たり前の話はどうでもよいのですが、アメリカが「北朝鮮は安定化が可能」と見ている理由については、アメリカに住んでアメリカ人とたくさん話した経験から、思い当たることがあります。
アメリカだけでなく、キリスト教国である欧米諸国の人々は、例えば「イスラム教」「イスラム教徒」に対する「不可解さ」や「畏怖心」みたいなものは確実に持っています。別に十字軍の記憶があるわけではないでしょうが、宗教的な理念から「自爆テロ」を平然と行う人々に対する恐怖はあります。この恐怖は、ある意味で彼らの「理解の範囲」を超えるものです。はっきり言って、キリスト教徒にとってイスラム教徒のメンタリティは「理解し難いもの」であり、最終的には「戦争」もやむを得ない…と考える人が多いのも無理はありません。
しかしアメリカは、おそらく北朝鮮問題は「戦争をしなくても解決可能」と見ているでしょう。アメリカの政権も議会も、そして「理性的にモノを考えるアメリカ国民」の多くにとって、北朝鮮の独裁政権のあり様は、イスラム諸国との軋轢と比べて「理解の範囲内」であるからです。
北朝鮮の独裁体制には、確固たる「理念」が感じられません。言い方を替えると、故金日成の権力を受け継いだ金正日とその取り巻きが「自らの権益を守る」ために独裁政権を布いているのであって、別に「主体思想」のためにやっていることではないのだと、世界中が知っています。
旧ソ連の後押しを受けて抗日戦争を戦い国家を造った金日成には、まだしも「良き共産主義国家」への理念があったのかもしれません。しかし、その故金日成の権力を受け継いだ金正日とその取り巻きにとって、いまや「既得権益の維持」のみが関心事であり、言ってみれば手に入れた権力とそれに見合って得られる享楽を手放したくない…ことのみが、現在の政権を必死に維持している唯一の理由でしょう。
アメリカや欧米諸国が、こうした「既得権益の維持」のための独裁政権ならば、「戦争などしなくても何とかなる」…と思うのは、無理もない。
欧米諸国にとっては、イスラム教に限らず「理解できない理念」ほど面倒で怖いものはありません。そういう意味では、欧米諸国は植民地にしたアジア各地でも酷い目にあっています。アメリカを見れば、「特攻という自爆攻撃をも辞さなかった狂気の天皇制国家」(念のために書いておきますが、私がそう思うのではなくアメリカの人間の多くがそう思っていると書いただけです)…であった日本との戦いに手こずったことは嫌な記憶でしょう。そして、ベトナム戦争では、信じられないような量の爆撃と近代兵器による攻撃の下で、縦横に地下トンネルを掘り、ジャングルでは神出鬼没のゲリラ戦を展開する解放戦線と北ベトナムに、見事に敗北しました。アフガニスタンでは、旧ソ連が「ベトナムの二の舞」を演じました。
もし北朝鮮が「国家を挙げて理念としての主体思想を信じている社会主義国家」であったとすれば、欧米諸国は「戦争に頼らない安定化」なんてお題目は持ち出しません。現在の北朝鮮の戦力ならば、戦争という手段を解決に用いることも考えるでしょう。むろん、戦争になっても自らの領土に被害が及ぶことはありません。今回、要するに北朝鮮は「ちょっと物質的な援助をしてやり、その後徐々に民衆の生活レベルを上げてやっていけば現政権は自然に自壊する」…、その程度の国であり、その程度の政権だと見られているのです。
まあ、どちらにしてもイラク問題で手いっぱいのアメリカには、北朝鮮と本気で事を起こす気はまったくないし、そんな軍事的・経済的余力もないでしょう。そうなると日本は、本気で「北朝鮮強硬論」を唱え続けることが、ある意味で「単独で北朝鮮と戦争する覚悟」が必要になるということです。日本が北朝鮮と戦争をする…というのは、確実に「多大な犠牲」が想定されます。東京など大都市ゲリラ戦をやられたり、原発や鉄道などのインフラ施設が次々とテロ攻撃の対象とされる可能性も高く、そのような戦争に「日本という国が耐え得る」とは到底思えません。日本が参加する対北戦争では、欧米諸国に被害は及ぶことはないでしょうが、日本だけはほぼ一方的に大被害と膨大な死者を出す可能性があります。そして同様の可能性がある韓国は、絶対に参戦する可能性はありません。
それにしても「嫌韓」「嫌中」を基本理念とし、「対北強硬論」を展開する「民族派」の方々にとっては、困った事態でしょう。別に揶揄しているわけではありませんが、アメリカの後ろ盾なく、しかも中国・韓国すら「精神的な敵」に回ることを前提、北朝鮮と「戦争」覚悟で外交交渉を続けることなど、この国に本当にできるとは到底思えないからです。
六カ国協議に期待する拉致被害者のご家族の方の悲痛な声が、連日TVニュースで伝えられます。しかし、事態が何も進展しないであろうことは、ほぼ間違いない。私は本気で拉致問題を解決するためには、「対北強硬論」をやめて「北朝鮮の民主化」を図った方がかえって早い…と思います。まずは、資本主義の象徴である「物質文明」を北朝鮮に流し込める体制を作りましょう。豊かな生活に慣れると「国家に対する忠誠の理念など簡単に吹き飛ぶ」ことは、戦前・戦後の日本社会の意識の変革を見ればすぐにわかることです。渋谷のセンター街でコンビニの前で車座になってしゃがみ込む若者たちや、平然と援助交際をする若い女性たちを見ていると、戦時下の同年代の純粋な軍国少年のメンタリティとの違いはいったい何がもたらしたのか…、一目瞭然です。
投稿者 yama : 04:41 PM | コメント (0) | トラックバック
July 26, 2005
「YP-C1」とエミルー・ハリス
またMP3プレヤーを購入しました。…といっても1ヶ月ほど前の話です。
買ったのはサムスンの「YP-C1」で、オンライン限定モデルです。購入理由の第一は、「安い」こと。YP-C1 Zがメモリ1GB搭載で、会員価格はなんと12,191円でした。FMチューナーは非搭載ですが、ボイスレコーダーは装備しています。
で、1ヶ月ほど使ってみた感想ですが、これが予想外にいい。最初は、ちょっと妙な感じがするデザインだと思ってたのですが、手になじむのです。単三電池1本利用なので、厚みがあります。なんというか「筒」ですね。でも、ちょうど手で握るのに具合がよい大きさで、裏側の部分の曲面が、握った手の形状とぴったり合います。ボディの色や質感も、思っていたよりも悪くありません。
そして単三電池ゆえの長時間再生もいいですね。連続再生が42時間ですから、1日に1時間ほど聞くか聞かないかの私の場合、1ヶ月以上は電池が持ちます。そして、さらに気に入ったのが操作性。まず、ホワイトLEDのバックライトを備えている液晶画面が非常に見やすい。画面右側の大きな四角いコントロールパッドと中央部のボタンで、直感的に操作ができます。コントロールパッドやボタンのサイズも指に馴染みます。
肝心の音ですが、特に目立った難はなく、わりと素直な音です。イコライザーは使わなくても、ノーマルの設定で十分聞けます。
あと、「YP-C1」で意外とよかったのが、付属のヘッドフォン。コードが長過ぎてちょっと使いにくいのですが、音が案外いいんです。むろん、高価なヘッドフォンと比較できる水準じゃありませんが、普段私が使っているゼンハイザー「MX550」と比較しても遜色のない音でした。
欠点もあります。まず、操作がちょっとトロい。ボタンを押したときの反応が、一呼吸遅れる感じが気になりますね。そしてUSBケーブルのコネクタが特殊な形状をしていること。これでは、なくしたらマズいですよね。
ともかく、この値段でこの性能なら満足です。「安かろう悪かろう」ではありません。この「YP-C1」、いまのところ毎日愛用しています。
で、私が持ち歩くMP3プレヤーに放り込んでいるアルバムはといえば、ニール・ヤングやらザ・バンドやら、ライ・クーダーやら、いつも通り替わり映えのしないシンガー達(…あややの「ドッキドキ! LOVE メール」や「タイ語会話」なんかも入ってます…)。1GBのうち、緊急用のボイスレコーディング・スペース分のメモリを除いて、アルバム15枚分ほどの音楽を転送してます。
そんな中で、最近よく聞いているのが「エミルー・ハリス」。エミルー・ハリス(Emmylou Harris)というシンガー、ご存じない方もおられるかもしれませんが、こちらのサイトで詳しく紹介されています。
私が彼女を知ったのは古い話で、ザ・バンドの「ラストワルツ」。あの中で、名曲「イヴァンジェリン」をザ・バンドのメンバーと歌っているのがエミルー・ハリスでした。
彼女の最高傑作はといえば、やっぱり1979年のアルバム「Blue Kentucky Girl」でしょう。で、以前から持っていたこの「Blue Kentucky Girl」をエンコードして「YP-C1」に転送、ここのところ毎日のように聞いて、あらためて「いいなぁ」と思っている次第。
このアルバムの2曲目に入っている「Beneath Still Waters」は、カントリータッチのバラードの名曲ですが、10年以上前にジャック・ダニエルだったかバーボンのTVのCMで使われていました。
さらに、前記の紹介サイトでも書かれているように(同じような感性の方なんでしょう)、このアルバムの中でもっとも素晴らしいのは「Save The Last Dance For Me(ラストダンスは私に)」ですね。この曲はいろいろなシンガーが唱ってますが、エミルー・ハリスの歌はもう絶品。何がどういいのか、うまく表現できません。私はここ1ヶ月、毎日1回は聞いています。
「Beneath Still Waters」も「Save The Last Dance For Me」もこちらのサイトで視聴できます。ついでに、この「Blue Kentucky Girl」というアルバムは、新たに2曲のボーナストラックを加え、デジタルリマスターされて再発売されています。
投稿者 yama : 11:39 AM | コメント (0) | トラックバック
July 25, 2005
Blogへの移行
もう1年以上前から、この日記をBlogに移行しようと考えていましたが、なんとなく「時流に乗る」のが嫌で、従来のHTMLスタイルを続けてきました。
今回、Movable Type 3.17が安定してきたようなので、サーバーにインストールして使ってみることにしました。
CSSは多少触ったものの標準からほとんど変更なし、凝ったデザインも一切なしで、ほとんどデフォルトデザインのまま。このくらいの方がシンプルで読みやすいと思います。
Blogへの移行が遅れた理由はもう1つあります。実は私のオフィスでは、仕事でBlogを扱っています。企業サイトをBlogやCMSで構築する仕事などを、けっこう受注しています。例えばMTのデータベースにMySQLを使うとか、PHP環境下で動かすなど、スタッフはそんな仕事もやっているわけです。むろん私自身が作業をしてるわけじゃないけど、Blogに関してはどうしても「仕事の材料」…という感じがしてしまう。
とまあ、そんなこんなでBlog化には躊躇いがありました。
ともかく、日記を書くだけだからデザインに凝る必要はありません。そしてコメントを受け付ける必要もありません。私は「Blogによるコミュニケーション」なんて別に望んでいません。この日記は、あくまで「私の考え、感想の垂れ流し」でいいのだ…と思っている次第。
ところで、ほとんどデフォルトのシンプルなデザイン…とは言っても、行間や字間などは読み易いように細かく調整します。そこで困るのが、ブラウザによる見え方の違い。私は普段Firefoxを使っているのですが、これで最適化するとIEではまったく違うイメージになります。むろんIEで見ても大丈夫なように調整はしましたが、イマイチ自分の思い通りにはなっていません。現時点で、このサイトはできればFirefoxで読んで欲しい…と思っています。
そんなわけで、「私的画像日記」は、今日からBlogに移行することになりました。