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ホントの話…     2001/9/15

 日本人は「ええかっこし」です(これは標準語ではないかも…)。まあ、いい格好をしたがるのは何も日本人の専売特許じゃありませんが…
 ともかく、世の中でよく言われることの中には、明らかに間違っているにも関わらず、誰もそれを指摘しないことがたくさんあります。



■人間は外見じゃない、心だ

 この言葉は、本来比較の対象にはならない「心」と「外見」を比較する…という、決定的な間違いを犯しています。人間にとって「心」は非常に大切ですが、「外見」もまた大切です。外見も心も美しい人間が理想なのであって、心さえ豊かなら外見はどうでもいいというものではありません。
 この言葉には「外見を飾っている人間」に対する揶揄の気持が込められています。外見を飾っているやつにはロクな人間がいない…とでも言いたいのでしょうか?
 一般的に見て、いわゆる「ボロは着てても、心は錦♪♪」って唄や、「フーテンの寅さん」のような存在をよしとする風潮があります。私は「フーテンの寅さん」という映画は好きではないのですが、仮に「寅さん」を立派な心の持ち主だとしましょう。そうすると、寅さんがアルマーニのスーツを着てロレックスの時計を使っていたら…寅さんは立派な人ではなくなるのでしょうか? それこそ、外見にこだわった、誤った考え方です。

■お金なんかなくても幸せになれる

 たしかに、お金なんかなくても幸せにはなれますが、お金があった方が幸せになれる確率がもっと高いと思います。
 よく似た言葉に「分不相応なお金を持つと、かえって不幸になる」というものがあります。確かにそうした事例もあるでしょう。でも、大金を手に入れて不幸になった人間よりも、大金を手に入れて幸福になった人間の方がはるかに多いはずです。
 「お金は人を不幸にする」なんて戯言を、その日食べる物もない貧困にあえぐアジアの人々に言ったら、殺されるかもしれません。
 やはりここは、正しく「お金が人を幸せにする」と言ってもらいたいところです。  

■重要なのは結果じゃない、努力したという事実が大事なんだ

 子供に「結果より努力」と教えるのは考えものです。社会に出ると、こんな戯言は通用しません。ビジネスの世界では「努力より結果」が求められます。普通の企業では、いくら努力しても、営業成績を上げなければクビになります。逆に、全く努力しなくても結果を出す人間は尊敬されます。
 スポーツの世界も同じです。オリンピックにおいては、いかに努力したかなんて無関係です、金メダルをとるヤツが評価され、賞賛されるのです。
 何年も司法試験に落ち続けている人間に対して「努力した君はえらい」と言ってあげても、けっして慰めにはならないでしょう。
 結局は、世の中全てに渡って結果が重要です。「自分は努力したから…」なんて愚痴は、敗者の自己憐憫ととられかねません。

■成績なんか悪くても、何か1つ取柄があればいい

 教育者と呼ばれる人種に、この手の戯言を言う人間が多いですね。人間には「取柄」があった方がよいのは事実ですが、取柄が1つである必要はありません。取柄はたくさんあった方がよいに決まっています。
 「成績は悪いがスポーツ万能の子供」を「成績はいいがスポーツはダメな子供」と比較する…っていうのが、こうした話の前提になっています。しかし、「成績がよくてスポーツも万能な子供」もたくさんいるはずです。例えば「成績は悪いが絵が上手い」という生徒に向かって「君は絵が上手いからえらい」といったすれば、「成績もよくて絵も上手い」生徒には何と言うのでしょうか?
 結局のところ、「成績なんか悪くても、何か1つ取柄があればいい」なんて言葉は、人間や才能の優越の現実に対する「慰め」の言葉に過ぎません。

■その人が誰を好きかなんて問題じゃない。君がその人を好きなことが大切なんだ

 これは、上記の4つとは異なり、よく言われる言葉ではありません。ある小説の中に出てきて、聞いた人間が感動していた言葉です。思わず笑っちゃいました。
 まじめに片想いでお悩みの方々に向かってこんなセリフを吐いたら、殴られちゃいそうです。正確には、次のように言うべきですね。
 「その人が誰と誰を好きかなんて問題じゃない。その人の好きな相手の1人に僕が入っていることが大切なんだ」

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