WS30の世界はオルタナティブ・デジカメサイト。デジカメ、MPEG-4動画、PCの話題、サブカル系の駄文コンテンツをどうぞ…
後日談  〜多くの批判メールに答える    2004/9/6

■一応書いておくべき顛末

 まずは、文月凉なる人物が、自ら運営する「<Digital Camera Express」内の「文月凉の今日もデヂカメ日和」というBlogに書いた文(2004年8月9日)を、一字一句そのまま掲載します。

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マクロの視点がたらんね
admin @ 02時52分44秒
http://www.pit-japan.com/ws30/small_ccd.html
 こいつもどっかのライターと同じだな。
 物書きとして全くの素人だと思うよ。口が悪いけど。
 「1/1.8インチで400万画素は許容できるが、1/1.8型500万画素は許容できない・・・」「画素ピッチ3μは駄目で4μならOK」
 くたくたになるまで数撮って、目が痛くなるまで画像、数見ろ。
 「メリットがデメリットを上回れば、それはそれで良いのではありませんか?」
 消費者の意見な。物書きとして次の「写真100年の計」無し。
 きっとこの人には
 「コンシューマ向けデジカメに『大サイズCCDを使う』とか『出力特性の優れたCCDを新設計する』…なんてのは、『誰でも思い付くコストを無視した最も安易な高画質化手法』とも言えます」
 そんな、この人レベルでもつっこみどころ満載の意見を、なぜ体を張って大上段に振りかざす人がいるのか、わからんだろう。こういうタイプの人間は、昔よろこんで前線に死にに行った人間がいたとか理解できないだろうし、『イスラム原理主義』とか言われても『テロ?』ぐらいにしか思いつかんだろう。
 名前を名乗って物書かない人間には、私は意見を述べる資格も無いと思うが、まぁ感想は「マクロの視点をもったらどう?」ぐらいかな。でもきっと「マクロ」って言ったら、マクロレンズのマクロはマクロ経済のマクロだと思うんだろうねぇ。
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 いうまでもなくこれは、こちらこちら)の2つのテキストについて、文月凉自身が書いたコメントです。そもそも、なぜ見も知らないライターに、突然こんなわけのわからんことを書かれなければならないのか、カチっと来ました。
 ともかく、この文月凉の書いた文は、どう読んでもバカっぽくて下品。こんな文を書くというだけで、ゴチャゴチャと論評するまでもなく頭の程度は一目瞭然です。この中で文月凉は自分で「口が悪い」と言ってますが、「頭が悪い」の間違いでしょ。
 私が文月凉が雑誌に書いた文章に対して、このサイト内で皮肉を込めたコメントを書いたことは確かですが、デジカメに関すること以外は書いていないし、むろん文月凉という人間に対する人格攻撃なんかしていない。
 むろん、私がサイト内でデジカメに関して書いた部分での議論や批判はあっても構いません。さらにサイト内のテキストに関して、記述の誤りを指摘して頂くのも大いにけっこう。間違ったことを書いているかもしれません。特に昔書いたテキストの中には、記述の修正をする必要がある部分がたくさんあることを認識しています(時間を見ては修正し続けています)。さらに、実際にサイト内記述の誤りについての指摘を頂いたことも多々ありますが、それで不愉快な気持ちになったことは一度もありません。だから、文月凉が自分のBlogで私のサイト内の文章について何を書こうと、デジカメに関する「正統な批評・批判」ならば笑って無視したでしょう。基本的には他人の意見に興味はないし、他人が極小画素CCD搭載デジカメを使おうが使うまいが勝手だと思ってますから…

 でも、デジカメの話とは無関係に、他人に対して「…『イスラム原理主義』とか言われても『テロ?』ぐらいにしか思いつかんだろう…」「…きっと「マクロ」って言ったら、マクロレンズのマクロはマクロ経済のマクロだと思うんだろうねぇ…」などと、要するに「バカ扱い」してます。他人の能力や人格を罵倒した貶めたりする行為の意味を、コイツはわかっていないな。文月凉は人間として下等なだけでなく、「物書きとしても完全に素人」ですね。コイツは同じBlog内の各所で「ライターはかくあるべき」などと高邁なことを言ってますし、同じサイトの会議室には「当会議室では、紳士と淑女の社交場らしく、丁寧語・尊敬語・謙譲語を用いてのみ発言して下さい。守られない場合は発言を削除させていただきます」などと書いてありますが…、アホか。他人にえらそうなことを言う前に、まずは物書きとして自分が襟を糺すべきでしょう。ともかく私は、理由もなく文月凉に「デジカメの話とは無関係」に中傷され、バカ扱いされたわけです。
 とは言え、この文月という自称「物書き」の人格が分裂しているのか知能が低いのか知りませんが、しょせんは「バカに対して真剣に反論するのも面倒」と思い、8月18日付の自分の日記で穏やかに反論するに留めようと思いました。それが以下の文です。

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 …当サイトの読者の方から昨夜メールを頂き、「Digital Camera Express」内の「文月凉の今日もデジカメ日和」なるBlogに、このサイト内のテキスト(こちらこちら)についてのコメントが掲載されていることを知らされました。8月9日の「マクロの視点がたらんね」という発言です。けっこう突っ込める発言だったので、書かれたことをもっと早く知ってたらBrog上にコメントを返したのに…、チッ…、知るのが遅過ぎた。残念ながら、書かれてから1週間以上経過して旬が過ぎてしまったので、この日記でコメントします。
 全体的にコメントの主旨がよくわからないところもあるんですが、ちょっと真面目に話すと、「デジカメ」について語るか「写真」について語るか…というスタンスの違いが大きいでしょうね。こちらを読んで頂ければ判るとおり、私がデジカメのスペックにこだわらないのは、基本的に「写真撮影を楽しむ」ためにデジカメを使っているからに過ぎません。私は「写真」の本質について、「…『写真を撮る』という行為は、『被写体と、撮影する自分との関係性』の問題と考えるべき…」と書いているはずです。
 そうしたスタンスを明言しているにも関わらず、「…くたくたになるまで数撮って、目が痛くなるまで画像、数見ろ」とか、何が悲しくてそんなバカバカしいことをしなくちゃならないんでしょう? 私は別に、写真撮ってクタクタになんかなりたくありません。オマエ、一人で勝手にやってろ。それに「写真100年の計無し」って、そんなもの私にあるわけがないし、持ちたくもない。あなた自身が「100年の計」を持ってるのは自由ですが、そんなわけのわからんものを万人に求めないで欲しいなぁ。
 で、そもそもこの駄発言を読んでコメントしようという気になったのは、「…こういうタイプの人間は、昔よろこんで前線に死にに行った人間がいたとか理解できないだろうし、『イスラム原理主義』とか言われても『テロ?』ぐらいにしか思いつかんだろう…」と、「…でもきっと『マクロ』って言ったら、マクロレンズのマクロはマクロ経済のマクロだと思うんだろうねぇ…」と書かれている部分。基本的には「意味不明の文字列」ですが、オマエ、いったい何言ってんだ?…
 私はこの「WS30の世界」というサイト内の文を、まあ「シャレ」「遊び」で書いてますから、同様に「シャレ」で罵倒されるのは大いに結構。また、他人に読んで頂くことを前提に書いていないサイト内テキストは、誤字脱字も多く論理矛盾だらけなのも十分に承知。そうした部分についての非難なら別に反論はしません。でも、何でこんなこと言われなきゃならないんでしょう。そりゃ、シャレにならんでしょう。このサイトなり日記なりのどこをどう読んだら、筆者のことを「『イスラム原理主義』とか言われても『テロ?』ぐらいにしか思いつかん」人間…だと罵倒できるんだろうか? デジカメについてこんなヤツと論争する気には毛頭なりませんが、「イスラム文化とテロ」についてなら、いつでも公開論争しますけど(アホらしいか…)。
 「名前を名乗って物書かない人間には、私は意見を述べる資格も無いと思う」…という立派な意見をお持ちですが、「イザヤ・ペンダサン」の山本七平氏の例を出すまでもなく、ライターでも作家でも「匿名で遊ぶ」のは、ごく普通のことだと思ってました。いや、そんな話以前に、この方のサイトでは、掲示板での発言者もBlogのコメント投稿者も「匿名だらけ」ですよね。幾多の匿名諸氏と、この方は嬉嬉として遊んでいらっしゃる。要するに「自分と同じ意見の場合だけは匿名発言を認める」…という「異様に自我が肥大した人」なんでしょうなぁ。
 それにしても、「…こういうタイプの人間は…」や「…マクロ」の発言で、文月凉ってのがかなり頭の悪い人だってことはわかりました。これじゃ、ときどきこのサイトの管理者宛てに、「お前はメーカーの回し者か」とか「お前はサヨクか」といった類の意味不明の罵倒メールを送ってくるヤツらと同じレベルです。個性的でちょっと面白いライターだと思っていたのですが、只のクルクルパーだと判って残念です。いや、別に残念でもないか…
 それにしてもこの人は、なんで「WS30の世界」なんて「チョー地味」で「テキトー」なサイトを読んだのだろうか? 不思議…
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 いや、「ひっそりと好きなことを書いて地味なサイトを続けていきたい」…と真剣に願う私は、これまで極力、個人Web絡みのトラブルを避けるように努力してきました。だからヤバイ題材を扱う時も、「本心」をそのまま明かすことはできるだけ避け、なるべく当たり障りのない意見に見られるように配慮して書いてきたつもりです。後述するように、これまでにもいくつかトラブルが起こりそうになったことはありますが、穏便に対応してきました。
 文月凉というライターに中傷された件についても、この日記に書いた一文でソフトに終わらせて忘れるつもりでした。ところが、事情がちょっと変わりました。

■送られてきた大量のメール

 この、文月凉という下品なバカライターに意味不明の中傷をされて以降、公開しているサイト管理者アドレスに「極小画素容認は許せない」という内容のメールがポツポツ来ていましたが、実は日記でBlogに反論したとたん、深夜に掲示板が荒らされ、さらに妙な中傷メールが急に増えました。8月後半の多い日には、1日に10通以上。内容は大きく3種類あって、「極小画素容認は許せない」に加えて「オマエには文月に反論する資格はない」…が、かなり多く、その他「オマエの方がバカ」「オマエはキ○ガイ」という意味不明の不愉快なものもたくさんあります。捨てアドレスを使った罵倒調のスパムっぽいメールが半分以上、他に妙に論理的に私に議論を挑んでくるメールもありますがそれは少ない。いずれにしても、サイトの内容、そして日記上での反論の内容をよく読んでいない見当違いのメールが毎日のように来ました。なんだか、私が文月凉に一言反論したのが気にいらない人がたくさんいるみたいです。それと、ヒマなヤツが多い。もしかすると、実際にスパムを送っているのは数人だけかもしれませんが、あまりの量とふざけた内容にちょっと頭に来ました。日記を再読して頂ければわかるとおり、私が文月凉に対して腹を立てたのは「デジカメとは無関係な中傷発言」の部分であり、それを書いた文月凉について「バカ」と明言しているのです。第一、私が先にケンカを売ったわけじゃありません。
 大量に送られてきた低次元な内容のメールをいくつか公開したいのですが、他人から送られてきたメールの内容をみだりに公開することは法的に許されないのが残念です。中でも特に不愉快に思ったメールは「あなたは有名評論家に噛み付くことで自分が売れたいんじゃないか」という内容のもので、さすがにこれには失笑せざるを得ませんでした。少なくとも、特殊なデジカメユーザ以外は誰も知らないであろう文月なんてバカライターよりはまともな仕事をしているつもりの私には、「売れたいがために」そんなことをする必要はありません。「ライターはかくあるべき」などの意見に至っては、まったく余計なお世話です。
 逆に私は、「オマエには文月に反論する資格はない」「文月よりオマエの方がバカ」といったメールは、もしかすると文月ってライター本人がいろんな捨てアドレスでSPAMを送ってくるのかも…なんてマジに考えました。上述のBlogの下品な文を読んでいるとそれぐらいのことやりかねないほどバカだし、コイツは私とケンカして有名になりたいのかもしれません(笑。
 とりあえず、9月に入って時間の経過とともにSPAMメールは減ってきていますが、少ないながらいまだにポツポツ来るので、無視すればいいとは思いながらもかなり不愉快。基本的に「ネットの片隅でひっそりと書きたいことを書いて遊ぶ」つもりで開設した無名サイトですので、あまり他人を批判することは本意ではありません。しかも、低レベルな人間に反論して自分も同レベルだと思われるのは嫌です。
 しかし、文月凉というライターに対してではなく、一通も返事を書かなかった大量のメールに答える目的で(中には自分のサイトのURLを書いてくるなど、まともなメールもありましたので…)、いま少しサイト批判に対するコメントを追加することにしました。

 それにしても、サイト開設以来、管理者宛に大量のSPAMメール、罵倒メールが来たことは2回あります。一度は「オウム=アレフ」の信者のサイトを皮肉った時、2度目は創価学会について皮肉った時です。今回の件は3度目ですが、奇しくも嫌がらせをされた3度とも「宗教(アレフ、創価学会、文月教)を揶揄した時」というのがちょっと面白いけど、シャレにはなりません。だから宗教は嫌いだ…

 以下、たくさんのメールに対してまとめてお答えします。

■「趣味」の多様性、使用目的の多様性

 「趣味」の世界の話なら、基本的には何を言っても対象製品にどんな性能を求めても許される…と思っています。以前も書きましたが、私はバイクが好きで思い入れがありますから、バイクについては傲慢とも言える厳しいニーズを持っています。例えば、エンジンのレイアウトや出力特性、ブレーキ性能、ライディングポジションからフレームの剛性に至るまで、「バイクはこうあるべき」という「考え」や「嗜好」を持っています。例えば、最近流行りの大排気量スクーターなど「バイクのカテゴリーには入らない」と思っています。そして、そのような自分の考えを主張することについてまったく躊躇いません。
 しかし、趣味の世界の話なら何を言っても許されますが、「他人の趣味を批判する」つもりはありません。人間の個性に準じる「趣味」こそは、「多様性」が認められるべきだと理解しているからです。だから、街で大排気量スクーターに乗っている人を見ても、「ああ、この人は私とは趣味や用途が違うな」…と思うだけです。
 さて、デジカメについても同じです。自分の趣味が「高画質の写真を撮影すること」であれば、そして高画質写真を撮るために最高の性能のデジカメを使うのが趣味であれば、「極小画素CCDを採用したデジカメなんてダメ」という意見はアリでしょう。しかし、それはあくまで「自分の趣味」の問題であって、他者に押し付けるものではありません。ましてや、赤の他人である私にメールを送って「あなたの意見は間違っている」なんて書いても、別にどうなるものでもないでしょう。よっぽどヒマなんでしょうか…

 逆に私は「小さいカメラで撮影することの楽しさ・面白さ」を繰り返しサイト内で記述していますが、それはあくまで「趣味の問題」であり、同じ考えを他者に押し付けようと考えたことなど一度もありません。コンパクトなカメラが好きなのは、あくまで「私の趣味」ですから、デカいカメラ、超高性能のデジタル一眼レフが好きで、それをスナップ用に毎日持ち歩きたい人がいたって、いっこうに構いません。「ああ、この人は体力があるなぁ…」と思うだけなんです。

 サイト内で書いていますが、私はそもそも趣味でカメラを使い始めたわけではなく、たまたま仕事でカメラを使わざるを得なくなって、最低限の撮影技術を教えられ、会社の重い一眼レフ(ニコンF2+モータードライブMD-2)を持たされたのが始まりです。荷物が重いのがいやなので、個人で軽量の一眼レフPENTAX「MX」と必要最低限の交換レンズを購入し、「ああ、軽いカメラって何ていいんだろう」と感じ、それからさらに必要に応じてコンパクトカメラを使うようにして以降、「写真撮影」がけっこう好きになりました。
 一時期、旅行雑誌などに紀行文を書いたり、サブカル系雑誌に海外の紹介文などを書いていたことがあり、その時には取材にあたって、一眼レフとの併用ながらも状況が許す限り徹底的に「コンパクトカメラ」を活用しました。私にコンパクトカメラで撮ることの面白さを教えてくれたのは、アメリカで取材中に買ったキヤノネット「G-V17」やオリンパス「XA」でした。どちらも明るいレンズを搭載し、撮影条件を限定すれば一眼レフ並みの写真が撮れたものです。こうした体験から、私は手軽なコンパクトカメラで写真を撮ることが好きになりました。その頃から続く「コンパクトカメラ好き」は、デジカメの時代になっても続いています。

 さらにモノには趣味よりも重要な「実用レベルの使用目的に応じた選択」というヤツがあります。これ、もっとも重要なポイント。例えばWebサイト掲載用に日常の画像や旅の画像を撮影するのに、デジタル一眼レフを使う必要はありません。商業印刷物用の写真だってそうです。掲載されるのがモノクロページ、しかも誌面上の実サイズで10センチ四方以下…となったら、デジタル一眼レフで撮影する理由なんてまったくありません。
 例えば、私の趣味の1つに「旅行」があります。しかもバックパックスタイルで行く貧乏海外旅行や、荷物を切り詰めた国内ツーリング旅行です。例えば海外旅行に行く場合、私は身軽に移動し、また空港でバゲッジを拾う面倒や荷物が紛失する面倒を避けるため、機内持ち込み可能な容量の荷物しか持ちません。1週間〜10日程度の旅行の場合、グラム単位で徹底して荷物を切り詰めます。そんな私にとって、200gを超えるデジカメを持っていくなんて、問題外です。さらに海外など治安の悪いところで、大きなデジカメをバッグから出して周囲の注目を集めることは絶対に避けたいことです。「大きくて高画質」のデジカメと「そこそこの画質でコンパクト」なデジカメなら、絶対に後者を選びます。これは、「デジカメの目的目的と利用形態」に基づく選択であり、何が何でも高画質カメラ…という選択をしないからと言って、他者にとやかく言われる問題ではないと思います。

 かつて私が「WS30」というトイデジカメで遊んでいたように、銀塩分野だって、高画質ではないカメラを使って「写真」を楽しんでいる人はたくさんいます。LOMOやHORGAで楽しんでいる人に、「低画質の写真を見て喜んでいるヤツはバカ」と言ったら怒りますよね、フツー。極小画素CCDを使った安価で画質が悪いデジカメを使っているからって、写真の楽しみ方は人それぞれです。今回、「そんなノイズだらけの気持ちの悪い画像を見ているヤツは感受性が鈍い」という内容のメールを私に送ってきたバカがいましたが、同じ内容のメールを、LOMOやHORGAなどのトイカメラを楽しんでいる人たち全員に送ってみたらどうですか? 「画質にこだわらない写真の楽しみ方」ってのは、銀塩時代からあるんですよ。感受性が鈍いのは、「モニタ上で等倍画像を目を皿のようにして見る」ことしかできない、文月やそのお仲間のアンタたちの方だと思いますが…。
 
繰り返しますが、「カメラの楽しみ方」「写真の楽しみ方」は人それぞれですし、ましてや「使用目的」はさらに多様です。その中には「画質」とは関係のない楽しみ方や使用目的もたくさんあります。そうした「多様な写真の楽しみ方」「多様な使用目的」をユーザーが創造できるように、銀塩カメラもデジカメも多様な製品があるべきだと思います。

■内容をよく読め

 さて、「極小画素CCDを容認しているあなたは間違っている」と書いてくるメールに対してお答えします。本当は、「間違ってると思うのなら自分が使わなきゃいいだけ」であって、わざわざ他人にメールを送ってくるようなことじゃない、とは思ってますけど…

 極小画素CCDについて書いたこの2つの文は、サイト内の他のテキスト同様に半ば遊び・冗談で書いているテキストとは言え、よく読んで頂ければわかる通り、適当なことを書いているわけではありません。
 まずはっきりと書いておきますが、私は極小画素CCDを採用したデジカメについて、画質面でのデメリットを明確に書いています。
 CCD(charge coupled device)というデバイスは、原理的に「1つの画素の面積が大きいほど蓄積可能な電荷の容量が大きく、蓄積可能な電荷容量が大きい方が豊富な階調データを引き出せる」…という物理特性を持っています(物理特性=性能ではありませんが…)。各画素のサイズが大きいCCD、同じ画素数であればCCDサイズ全体が大きいCCDの方が「潜在的に豊かな画像情報を取り出せる可能性が高い」ということは事実です。私は、この事実としての「CCDの物理特性」については一度も否定したことはないし、繰り返しそれを述べています。加えて「小径レンズによって光の回析現象が起こる」ことにも触れています。
 私は、極小画素CCDの画質面でのデメリットを書いてそれを十分に認めた上で、同時に極小画素CCDを使うことのコスト面、製品化技術面でのメリットをも挙げているだけです。すなわち、「面積が小さいCCDは1枚のシリコンウェハーから製造できる数が多いのでコストが安い」「CCDサイズが小さいほど製造段階での歩留まりが高くなるのコストが安い」「デジカメのコストにCCDが占めるコストは大きく、コストの安いCCDを使うことでデジカメのコストを下げられる」「同一サイズで画素数を増やせば、CCDサイズに準拠する光学系を同一のものにできる」「同様に回路や筐体も使い回しが利くのでコスト面で有利」「CCDサイズが小さいとボディをコンパクトにできる」「低消費電力化を実現しやすい」…等々のメリットです。あらためて書くまでもありませんが、「小さくて安価なカメラが実現する」ことは、ユーザにとっては大きなメリットだと言っているのです。また、例え画素ピッチが小さくなろうとも、画質面で多画素化のメリットはメリットとして確実に存在する…とも言っています。
 私は、こちらの文で「CCDサイズは小さい方がいい」と「(?!)付き」で言っているのであって、これは「CCDサイズは大きいよりも小さい方がいい」という意味でタイトルを付けているのではありません。「CCDサイズは大きくなくてはならない」というバカげた主張に対する反語の意味でタイトル付けていることは、内容を読んで頂ければ誤解のしようもないほど明確です。こんなことを、メールで議論をふっかけてくる人に対してイチイチ反論するのはバカバカしいことです。私は、大きめの画素のCCDを使った高画質デジカメの存在を一言も否定していません(実際に私も使っています)。そういう高価で高画質のデジカメがあってもいいが、安価なデジカメもあってもいい…と、両者が共存する「多様な製品の存在」を肯定しているだけです。私は、デジカメの全てを安価なものにしろ…などといったことは主張していません。用途や予算に合わせていろいろなデジカメが存在すべきであって、「デジカメのCCDサイズは大きくなくてはならない」という主張は、まずは「デジカメの多様性を否定する意見」ゆえに納得できないのです。
 現行の技術で、大画素CCDを使って、多様な「高画質・コンパクト・低価格」デジカメを製品化できるのならば、その方がいいに決まっています。別にわざわざ極小画素CCDを使う必要はないと思います。現時点ではCCDがデジカメのコストに占めるウェイトはかなり高く、同じ画素数で大画素・大サイズのCCDを使えば、光学系を大径化する必要も含めて、デジカメのコストは確実に高くなります。そして、光学系の大容積化も含めてボディも相対的に大きくなります。だからこそ、安くて小さい個性的なデジカメをラインアップするためには、極小画素CCDを採用した製品があってもいい…と主張しているだけです。実に単純な話です。
 私は基本的に「デジカメには多様性を求める」という立場で書いているので、極小画素CCDを使った安価なデジカメも、極小画素CCDを使ったコンパクトなデジカメも、何でもあり…という状況を期待しているだけです。私が書いたテキストを読んで、それ以外のことが書いてあるように読めますか?

■極小画素「容認」って何だ?

 極小画素CCDを「容認」するもしないもありません。価格やコンセプトなどの面でデジカメ製品の多様性を求めることを「極小画素CCD容認」というのならそりゃそうでしょうけど、じゃあ「容認しない」という人は、デジカメ分野で多様な製品を認めない…と自ら主張しているわけですか?
 文月自身も「…デジカメの製品形態には多様性があってもいい。だから、小型・低価格のコンパクト機には極小画素採用機があってもいい。しかし画素ピッチが大きい高画質機もユーザーの選択肢に含めるべきだ」…と、商業雑誌上で明確に主張しています。繰り返しますが、これは間違いなく文月凉自身が「アサヒカメラ」(2003年7月号)誌上に書いた文です。表現方法は違いますが、私とほぼ同じことを書いているだけではありませんか。要するに、文月も「極小画素CCD容認派」でしょ。普通、こう考えるのが「マトモ」なんだと思います。しかし、文月凉というライターは、発言する場によって異なる顔を見せる。自分で商業誌に「小型・低価格のコンパクト機には極小画素採用機があってもいい」と書いておきながら、自サイト内で「極小画素CCDを搭載するデジカメを製品化することは許せない」と言う。まったくもってこのライターは支離滅裂。だから、皮肉っぽいコメントを書いて指摘したのです。

 ところで、現時点で極小画素撲滅派の標的となっているCCDは、1/2.5 400万画素CCDやさらにその上の1/2.5 500万画素、そして1/1.8 500万画素や1/1.8 700万画素あたりですね。私はまだ、1/2.5 400万画素CCD搭載製品と1/1.8 500万画素搭載製品しか所有していませんが、どちらの機種も一定の明るさがある昼間の屋外や、ストロボ使用時の夜間近距離撮影など、好条件下では特に問題のない画像が得られます。一般家庭で使う子供の成長記録写真や、旅行の記念写真用途等で使う分には、どちらの機種も「十分過ぎる」ほどの画質だと感じています。むろん、外光条件の厳しいケースでの撮影や、夜間の長時間露光、感度を上げての撮影などでは確かにノイズが目立つ場合があるし、明暗の差が大きい被写体に対してダイナミックレンジの不足を感じることもあります。でも、それがどうした…って感じ。そんな条件で撮影するケースなんて稀だし、ましてや一般ユーザのどれだけの人が気にするのでしょう。しかも、そうした製品が安価であれば、一般ユーザの眼が向くのは当然です。
 しかしこんな話をすると、極小画素撲滅派の方々は「条件のよい時だけそこそこの画像が撮れるデジカメなんていらない。メーカーは悪条件下でもきれいに撮れるデジカメを製品化すべきだ」と言います。でも、現在全てのデジカメが極小画素CCDを搭載しているわけではありません。デジタル一眼レフを含めて、大きめのCCDを搭載したデジカメも製品化されています。そういう選択肢があるのですから、極小画素CCD搭載製品が嫌いなら、自分はそちらを購入すればよいだけではないですか? 私は、「他人の選択」にケチをつける狭量なスタンスが嫌いです。他人がどんなデジカメを使おうと勝手でしょう、ホント。
 いずれにしても、「製品の多様性」を認め、多様な製品が存在する市場を希望することは、ユーザの立場としては当然です。

■工業製品とは

 「大サイズのCCDを使えばよい画像が得られるとわかっていて極小画素CCDを使うのは、何が何でも『売らんかな』というメーカーの姿勢の表れ」…という意見が書かれたメールに対して答えましょう。
 デジカメに限らず、DVDレコーダーだってコンピュータだって家電製品だって携帯電話端末だって、工業生産品はどれもみな同じ。もっと言えば「食事」だって同じ。最高の素材・材料を使った料理だけが「よい料理」ではないでしょう。
 確かに、特殊な産業用途や研究開発用途、そして軍事用途や宇宙開発用途など、コストを無視して最高性能を求める…という製品開発事例はありますが、コンシューマ用途の工業製品はコストを無視してモノを作ることは絶対にありません。メーカーの利潤追求以前の問題として、買い手の「購買力」が問題になるからで、これはもう自明のこと。コストを無視してある段階の技術や部品の最高レベルのものだけを使え…というのは、単なる「戯言」です。
 例えば車。走る・曲る・止まるという部分での高い基本性能と走る楽しさを追求するなら、まずはミッドシップが基本、過給器なしの高回転型のレシプロエンジンを搭載し、軽量で剛性の高いアルミボディと高性能サスペンションが必要かもしれません。しかも重心が安定する2シーターならなおいい。まあ、国産車で言えばホンダ「NSX」あたりはかなり理想のクルマに近いかもしれません(別に好きなクルマじゃありませんが)。しかし、誰もが900万円もするクルマを買えるわけではありません。車の購入予算に200万円しか使えない…とか、100万円しか使えない…といった人の方が多いはず。しかも、「子供を保育園に送迎する」という用途でクルマを購入したい…なんて人も普通。でも、そういう人たちに対して、「クルマは走る・曲る・止まるという部分で高い基本性能が絶対必要、だからクルマは絶対にミッドシップでなくてはならない」などと説教を垂れてどうなるのでしょう。そういうのが、「自動車100年の計」なんだろうか。
 デジカメも同じです。交換レンズも含めれば非常に高価になるデジタル一眼レフはむろん、APS-CサイズのCCDを使ったEPSON「R-D1」のような30万円もするデジカメが、誰にでも買えるわけではありません。
 性能を落とし、使用パーツの性能に妥協してコストを削った安価なクルマが多種存在し、また性能を求めるにしても販売価格を抑えたコストパフォーマンスのよいクルマが多種存在するからこそ、モータリゼーションが発展し、ユーザの利便性も高くなったわけです。こうした「用途やユーザニーズに合致した製品の多様性を追及する」という考え方は、文月というバカライターがBlogで吐き捨てた「消費者の意見」なんてものではなく、ましてや「メーカーの立場にたった意見」でもなく、いわば「消費社会における基本的なユーザニーズ」です。
 まあ大量に来たメールに答えるためとは言え、私はこんな「当たり前」の話を書かなければならないこと自体が、バカバカしいとさえ思っています。

■余計なお世話

 私に対して「ポリシーのない製品を作るメーカーに媚を売るあなたは、ライターとして失格だ」と説教するメールが結構来ました。何で見も知らない人に、こんなこと言われなきゃならんのかわかりません。確かに私はライターの仕事もやっていることをサイトで公表していますが、このサイト内で著作を公開したことはないし、遊びで作っているこのサイトの内容については、「ライターの立場とは無関係の駄文」であることを明言しています。
 いずれにしても、こうした「ライター云々」というメールは文月凉が「物書きの姿勢」をえらそうに説いている部分に少なからず影響を受けているのでしょうね。彼のBlogにはこんなことが書かれています。

 「…本質の論議があって、『画質が良くするにはどうすればいいか』という事に関しては、満場一致で『画素が大きくなればいい』という事なのです。それ対してコスト的な理由で出来ないから、小さいCCDを使い、その中でどうしたら売れるか、でもコストは上げたくないという、売らんかなのジレンマから極小画素が出てきました。つまり本質があり、それに対して売らんかなのための正当化の手管として極小画素(CCDサイズ変えず、細分化)が出てきたわけです。これもメーカーやCCDサイズメーカーによって明言されている話です。ここで気をつけなければならないのは、『多画素化』と『極小画素』は常にセットとして登場しているように感じますが、これは異なる二つの命題なのです。多画素化は1Dsだってそうだもの。それをして、1/1.8型の700やら1000万画素やら、そういう現状を容認するだけ、ないしは逆に推進しようなど、バカですね。未来を見る意志を持たない。業界を導いていこうという意志がなく、容認しているだけならば、別にそれは何も知らないままの一消費者と同じで、多少良い写真が撮れるというカメラマンとしての職業ならいざ知らず、別に未来について語るべき文筆者ではないと思いますね…」

 「…物を書く商業の人は、やはり自分の意志を持って未来を良い方に導いていく、とうい必要があります。そういう意味で、なんの意志も感じられない…」 (誤字は原文ママ)

 まずもって、「デジカメに極小画素CCDを使うな」と主張すること自体が(アサヒカメラに書いた文を読めば、その主張がブレていますが)、なぜ「未来を良い方に導いていく」ことになるのか、さっぱり理解できません。デジカメの「発展」とか「良い未来」とかは、「高画質」という軸だけで語られるべきものではないのは自明です。
 私が好きな銀塩カメラでも、草創期はともかく、TTL一眼レフの発明・発展段階以降にも「高画質化」以外の目的で様々なカメラが開発されてきました。むしろ、徹底的な高画質化はプロ用機材分野での試みが優先し、一般ユーザ向けには小型化や操作性の向上、操作の自動化…等に主眼を置いた開発が主流となってきたという経緯があります。エポックメイキングな「ジャスピンコニカ」などのAFコンパクトの製品化や、ライツミノルタのようなレンジファインダー型コンパクト、そしてミノックスタイプのフィルムを使う超小型カメラなど、製品の多様化によってユーザの裾野を広げてきたのです。フィルムの規格についても、APSを含めて「高画質化」以外を目的にいろいろな新規格の試みがなされてきました。それらの全てを併せて「カメラの良い未来」を探る試みであったと思います。今後は、デジカメという製品領域でも、銀塩カメラの開発で得た資産を活かし、銀塩カメラの辿った「多様化」への道と同じ道を一部で繰り返しながら発展していくはずです。
 「デジカメの良い未来」の中には、「コンパクト化」もあれば「低価格化」もあります。手ブレ補正やシーンモードのような「撮影アシスト機能の強化」もあります。そして「低消費電力化」もあります。それら多様な発展方向のバランスを取ってデジカメという商品全体を発展させていくことこそが、「良い未来」でしょう。例え「画質」という問題に未来への視点を統一したとしても、「製品コンセプトに応じた画質」「撮影画像の用途に応じた画質」といった視点を外すべきではありません。携帯電話に内蔵されるデジカメに、2/3型、500万画素のCCDなんてものは使えないし、使う必要もないでしょう。こうした「マクロの視点」に立つことが、デジカメという製品領域を総合的に発展させる真っ当な道筋のはずです。

 加えて、文月凉は「…1/1.8型の700やら1000万画素やら、そういう現状を容認するだけ、ないしは逆に推進しようなど、バカですね…」と書いていますが、仮に「高画質」だけを軸に考えても、実に乱暴な話です。ゲインアップや信号処理に頼らないで、画素が小さいCCDの基本的な性能・特性をアップしていく試みは進んでいます。こうした極小画素ながら優れた特性を持つCCDの開発は、確実に「カメラの良い未来」に繋がり、ユーザーの多くは恩恵を受けるはずです。蓄積する電荷量を増やすことは難しくても、S/N比の改善や電気的特性の向上など、CCDレベルでの性能アップについてやることはたくさんあります。素子サイズが小さくて、なおかつ優れた特性を持つ安価な多画素CCD、さらには極小画素ピッチのCCDに対応した優れた分解能と光学特性を持つ小径レンズ…等を開発しようという行為は、果たして「デジカメの良き未来にとって無意味なこと」なんでしょうか。私には、到底そうは思えません。実際に数年前から「光学的な限界」を何度も指摘されながらも、CCDの多画素化と光学系の改善が進み、かつては「光学的にまともな画像を得ることは無理」と言われた画素ピッチ3μ前後のCCDを搭載するデジカメに対して、「良い画質」との評価が下されるようになりました。こうした開発の努力や試みを「バカ」で片付けるとは…。

 「…業界を導いていこうという意志がなく、容認しているだけならば、別にそれは何も知らないままの一消費者と同じで、多少良い写真が撮れるというカメラマンとしての職業ならいざ知らず、別に未来について語るべき文筆者ではないと思いますね…」
 「…物を書く商業の人は、やはり自分の意志を持って未来を良い方に導いていく、とうい必要があります。そういう意味で、なんの意志も感じられない…」

 大上段に構えての傲慢な言葉を連ねたこれらの文に対しては、もはやコメントする気にもなりません。彼がBlog上で見知らぬ他人に対して「デジカメとは無関係の意味不明の中傷文」を書いている時点で、どんな立派なことを言っても書いても無意味です。大上段に構えて他人を批判する割には下品な文を書くやつだ…、以外の感想を思いつきません。

 そして、私自身の問題としてではなく、あらゆる分野で活動するライター全ての立場に立った上で書いておきますが、自ら駄文を書き、平然と理由もなく他者を中傷しながら「ライターのあるべき姿」を他者にお説教するなど、「余計なお世話」という以外にありません。「文筆者は未来について語らなければならない」…というよくわからない「哲学」はどこから思い付いたのか知りませんが、自分がそうありたいと考える分には勝手。第一、文筆者ってのはそんな立派なポリシーを持つべき職業なんでしょうか。私の周囲には、「未来を語るため」ではなく「生活のため」に物を書いているライターがたくさんいます。家族のために懸命に働いている彼らの仕事を侮辱することは許されません。また、「物を書く商業の人は自分の意志を持って未来を良い方に導いていかねばならない」という論理で行くと、例えばクライアント企業に満足してもらうこと、製品を売ることを目的とした広告関係の仕事をしているライターなどは「賤業」ということになってしまいます。こうした考え方は、多くのライターに対して傲慢かつ非礼です。
 それにしても「業界を導く」って何だ? 業界団体のトップにでもなったつもりか? 私自身も小さな企業を経営していますが、外部のライターくんだりに将来を導いてもらいたいとは思いません。デジカメメーカーの人の思いも同じでしょう。

■マクロの視点

 私は「デジカメ百年の計」なんてものにまったく興味はありませんが、もしそんなものがあるとして、果たして「極小画素CCD撲滅運動」をやることが、デジカメという製品の未来を良い方へと導いてくれるのでしょうか? μ(ミクロン)単位のデジカメの画素ピッチがどうたらこうたらという話だけにこだわるのは「ミクロの視点(笑)」であって、デジカメという製品の発展方向を多面的に、マクロな視点で見ているとは言えません。
 前述したように、「高画質」を目指すだけでも、CCDの画素ピッチを小さくしてもなおかつ基本特性を向上させる試み、信号処理を高度化しS/N比を向上させる試み、光学系の特性を向上させる試み、画像処理アルゴリズムを高度化する試み…等々、デジカメという製品には様々な技術が集積されており、まだまだやることはたくさんあります。さらに、液晶技術、バッテリー技術、駆動モーター技術、低消費電力化技術、部品実装技術等の周辺技術も含めて、技術開発面での様々なアプローチを繰り返しながら、多様な製品領域にデジカメを展開させていくことこそ、「マクロな視点から見たデジカメの発展方向」だと思うのですが…。まあ、どっちでもいいけど…
 いずれにしても、「マクロの視点がたらんね」という文を書いた文月というバカライターには、「マクロ」と「ミクロ」の意味の違いもわからないようです。

■Webサイト開設の目的は人それぞれ

 Webサイトという表現メディアには様々な可能性があります。またその可能性をどのように使おうと、それは自由です。例えば文月某は、こちらのWebサイトを自己の意見を主張し啓蒙する場として、またスポンサーを見つけてのビジネスの場とすることを考えているのでしょう。でも私は違います。
 私にとってこの「WS30の世界」というWebサイトは、「遊ぶ場所」というだけです。知人の会社のサーバーを有償で借りて好きなことを書いている…だけです。発言の制約をなくするために、一切の広告も掲載していませんし、アフェリエイトの類もやってません。もっと言えば、サイトを多くの人に知ってもらうための宣伝すらしていません。自分が好きなサイトを例外とすれば、ことらから積極的にリンクを求めることもほとんどありません。
 サイト内には、旅、本、デジカメ、音楽、サブカル関係など、できる限り私の仕事とは無関係の分野について、日々思うことなどを「適当に脚色したりして」書いて遊んでいます。私は「自分の意見を広めたい」「自分の意見に賛同して欲しい」などとは、これっぽちも考えていません。はっきり言って「反対も賛同も求めていない」のです。「自分の意見や考え方を理解して欲しい」とすら考えていません。さらには、自分のサイトを「コミュニケーションの場」とも考えていません。人様に役立つ情報を掲載しようとも思っていません。そして、「社会に対して本当に自分が考えていること」は、まず書きません。
 どうもWebサイトを作って何かを書くと、「自分の意見を公開する」という目的があるかのように見られがちですが、少なくとも私はそうではありません。私は楽しみながら「自分の趣味」について書いているだけだし、その自分の趣味に対する理解者を求めているわけではないのです。私は「自分のため」にサイトで駄文を書いているのであって、「世のため人のため」に書いているのではありません。
 こう考えているからこそ、このサイトは「WS30の世界」なんて陳腐で意味不明のタイトルを付けまたままで放ってあるのです。今、「WS30」なんてデジカメのことは知らない人が大半でしょう。初めてこのサイトを訪れる人の大半は、「WS30の世界」というタイトルの意味がわからないと思います。それでいいんです。私には、「デジカメを考える」というようなタイトルでサイトを公開する趣味はありません。

■ぼやき

 ああ、日記のリライトも含めてサイトの更新・メンテナンスには絶対に毎日30分以上は時間をかけない…つもりでやってきましたが、この「批判メールに対する答のようなもの」を書くのには1時間近くもかかってしまいました。あまり難しいこと考えずに一気に書いたとは言え、なんか「自分の意見に対して賛同も批判も求めていない」という割には、無駄なこと書いたかも…
 ともかく、今後もデジカメに関する意見を求められれば、それが極端に礼を失していないものである限り、できるだけ答えようとは思います。むろん匿名でも構いません。でも、別に「答える義務」があるとも思っていませんから、答えないこともあるかもしれません。
 まあ、このサイトは「大人の遊び場」です。今後とも気楽に駄文を書いていきますが、意味不明のメールを大量に送りつけられるのは、ちょっと勘弁です。


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