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日記特別編  「山上たつひこ」が好き!


 私は活字中毒者であり、マンガ、コミックを全くと言ってよいほど読みません。ただ、このマンガを読まないというのは現在の話で、かつては非常によく読んだ一時期があります。というわけで、今回はマンガ(10年以上前の作品ばかりです)についてちょっと書いてみたいと思います。



 好きな作家の第一は「山上たつひこ」です。「光る風」に始まり、「喜劇新思想体系」「ガキデカ」と続く系譜には、自分自身が持つ社会問題の呪縛から何かを吹っ切る、表現者としての鬼気迫るプロセスがあります。「喜劇新思想体系」には、安っぽいヒューマニズムや正義感、そして倫理観なんかくそくらえ…って感じの、ある種の強さを感じるのです。そんな彼が辿り着いたところに「ガキデカ」があったとすれば、かつてPTAのオバサン達の「下品」だと言う批判は、まったく的外れだったと思いますね。
 彼の作品には「太平」や「半田溶助女狩り」などたくさんの傑作がありますが、私は後期の「怪僧のざらし」という枯れた作品が印象に残っています。確か「平凡パンチ」に連載されていたのでは…。「ブロイラーは赤いほっぺ」や「湯の谷温泉」などのエッセー・小説もあり、多彩な面を見せています。
 山上たつひこについては、評論家の呉智英がこんなことを言っていました。「ずっと高みを目指して山を上り続け、最も高いところに立ったが、さらにその高みの向こう側の斜面を降りていった…」。全くその通りだと思います。どんな分野でも誰もが高みを目指すわけですが、高みの向こう側へと降りていく人は稀です。一人で彼岸へと向かったマンガ家ですね。
 山上たつひこの信奉者っていうのは同業のマンガ家にも多いようですね。漫画史上において彼がいかに大きな影響力を与えたかを示しています。「こち亀」の作者である秋元治が、初「山止たつひこ」の名前でデビューしたのはよく知られています。

 さて、その他の印象に残るマンガ家となると…。バロン吉元の「柔侠伝」シリーズは、昭和柔侠伝、現代柔侠伝あたりまで読みました。これは漫画アクションに連載されていたものですね。でもバロン吉元って「柔侠伝」シリーズ以外にはほとんど作品が知られていません。確か「小さな巨人」っていうのがあったと思うのですが…。「村上もとか」も好きな作家です。F1とかバイクレースを扱ったマンガが多いのですが、「赤いペガサス」や「風を抜け!」は禁断の近親愛の匂いがする傑作でした。彼のわりと新しい作品では「六三四の剣」も詩情あふれる作品でよかったですね(確か84年の作品だから新しくはないですね…)。
 有名なところでは、魔夜峰央の「パタリロ」もわりと好きです。面白い話と面白くない話がはっきりと分かれますけど…。鳥山明については、好き嫌い以前に無条件で才能を認めまざるを得ません。絵もうまいし…。
 ところで、私は「あしたのジョー」は大キライです。同じボクシングマンガなら、小山ゆうの「がんばれ元気」が好きでした。これは最終回がよかったなぁ。

 そうですね、好きなマンガを挙げているとキリがないので、嫌いなマンガを挙げておきます。まずは、手塚治虫の作品全部が大嫌いです。要するに安っぽいヒューマニズムが見え隠れするのが鼻持ちならないのです。「ブラックジャック」なんてバカみたい…(こんなこと書くと手塚信者からボロクソに言われそう…)。次に、「あしたのジョー」に限らず梶原一騎原作の作品全部が嫌いです。これはもう生理的なものですね。それから、「男一匹ガキ大将」に代表される本宮ひろ志の作品も全部嫌いです。「男がどうしたこうした」って言うのは、基本的に非常に不愉快ですね。男の生き様なんてどうでもいいじゃん…って感じ。同じ理由で「北斗の拳」なんかも大キライです。同じ「男」「漢」を描いたマンガでは、どおくまんの「嗚呼!!花の応援団」は枯れてていいですね。このマンガの最終回をご存知ですか?最終回を読んで特に好きになりました。
 あ、そうそう「巨人の星」もキライです。「根性」や「友情」「愛情」など日本的な情念の世界をこうも直接的に描かれると不愉快なのです。どうせ日本的情念を描くならば、「喜劇新思想体系」を見習って欲しいものです。永井豪もダメ。ジョージ秋山も大キライ。あと嫌いと言えば、私よりも年上の全共闘世代の人たちが評価する「つげ義春」や「永嶋慎二」なんかも好きではありません。観念的なマンガは個人的にはダメです。