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ブロードバンドはどこまで必要なのか? (その2)


 前回書いた「ブロードバンドはどこまで必要なのか?」の続きです。
 「別府湾会議」に出席して感じたことを思いつくままに書いたもので、論拠は全くまとまっていません。そのうち大幅に書き直します。




■個人情報環境の充実を

 私は、国や地方自治体がインターネットの基幹インフラの整備にお金をつぎ込むことをもって、税金の無駄遣い…というような低次元の批判をするつもりは全くありません。むしろ、日本が都市集中型の産業構造から抜け出し、過疎などで荒廃しつつある地方の復権を考え、IT技術を利用した新しい産業構造へと変換するためには、国が主導する基幹通信インフラの整備は必要でしょう。通信インフラの整備と提供は、国や自治体が「上下水道サービス」のように提供するもの…といった考え方にも、かなり賛成です。でも、国や自治体によるインフラ整備事業については“程度問題”や“バランス感覚”が必要だと考えます。現時点では、数百MBのファイバー網よりも、まずは数MBでもいいからミッドバンドのネットワークを全国津々浦々に…が先だとも考える次第です。
 現在、この東京においてすら1.5MBのADSLを利用しているユーザ数は50万人に満たないのです。8MBのADSLとなるとまだ契約者数は1万人前後です。この状況を見ていると、部分的に10MBや100MBの実験プロジェクトを行うぐらいなら、もっと早く誰でも8MBを利用できるようにして欲しい…と要求せざるを得ません。
 さらに私は、先に育てるべきはインフラではなく、ネット社会の基盤となる「個人」のスキルだと思っています。これは、「国があるから個人がある」と考えるか「国家なんてものはしょせんは個人の集合」と考えるか…といった話に近いものがあるかもしれません。
 インターネットというのは「メディア」であるという認識は誰もが共通して持っていると思うのですが、要は「何のためのメディア」かってことでしょう。
 私は、インターネットの基盤に「個人」を置く考え方が好きです。インターネットは情報を発信するのも受けるのも「個人」がベースである点が画期的なメディアだと思っています。インターネットを「放送メディア」として利用することや、大手コンテンツプロバイダが作った「番組」を見るためのメディアとして利用することは、別に反対はしませんが、それは私にとってもっとも面白くないネットの使い方です。
 さらにネットコミュニケーションの手法やネット上にあるべきコミュニケーションの“場”などを、誰かが用意すべきという考え方も好きではありません。
むろん、インターネットは「上から下へのメディアとしても利用価値の高いものです。でも、網の目のように個人間がつながる「無数のP2Pコミュニケーションの複合体を作るメディア」と考えると、さらに意味が大きなものとなります。なぜなら、こうしたメディアは、歴史上存在しなかったからです。
 「個人情報発信メディアとしてのインターネット」「インターネットは無数のP2Pコミュニケーションの複合体」…などといった視点で見ると、現時点で極端なブロードバンド化を勧めることの意義は薄いものになります。一部のモデル地域が突出したインフラを持つよりも、まずは現在のADSL程度の回線を隅々まで普及させることの方が重要でしょう。そして、ネットで情報を発信し、ネットでコミュニケーションする「文化」を育てなければなりません。これは、教育現場でインターネットの使い方を教える…などといった短絡的なものではなく、個人が主張し、個人同士が密なコミュニケーションを行うという、社会における人間のあり方と、コミュニケーションのあり方を見直すことにほかなりません。要するに、社会に対してちゃんと発言し、社会のあらゆる参加者ときちんとコミュニケーションをとれる人間が育てば、メディアの種類を問わずに使いこなせるはずです。そうした人間が増えることで、インターネットの役割はより深いものになっていくと思います。

■市民の立場

 別府湾会議には市民の立場から発言する人もたくさん参加していました。各地のいわゆるNPOの代表者なども出席していました。市民の立場からは、「一般の市民でもブロードバンドが使えるように環境を整備して欲しい」という趣旨の発言が多かったようです。
 私はこうした発言にも多少の違和感を感じました。なぜなら、コミュニケーション手段というのは「自分達で作るもの」であって、「誰かに用意してもらう」ものではないからです。「市民の代表」と言いながら、その発想は市民的ではないと感じたのです。「個」の意識が希薄です。

■個人が情報を発信することの意味

 インターネットに関して言えば、最新のネットワーク技術によって、もっとブロードバンド時代に合った使いやすいシステムへとシェイプアップしていくことは確かに必要でしょう。光ファイバーと無線を組み合わせた、新しいネットワークモデルへのアプローチはおおいにけっこうです。TCP/IPネットワークはもう古い…と言われれば確かにそうです。
 でも私は、あまりにも最先端のインターネット技術の話の連続の中で、逆にインターネットってこんなふうに発展していくべきかどうか、疑問を抱いた部分があるのです。社会生活の中におけるインターネット、そして「ネットコミュニケーション」とか「ネットコミュニティ」とかいう言葉の意味を、再度考えさせられました。

 そこで思い浮かべるのが、「ケータイ・コミュニティ」です。私は、たまたま縁があって、ブラウザフォンを使ったケータイ・コミュニティの成立の瞬間と発展プロセスに当事者として立ち会うことになりました。ネットワーク・コミュニケーションの何たるかを知らない人々が、Eメール、チャットや掲示板、そしてフレメなどのコミュニケーションツールを使って、不特定多数の相手に対して自らの意見を述べ、ケータイ用Webサイトを使って個人情報を発信するようになる過程を見ました。ケータイコミュニケーションの特徴は、文字情報がベースだという点、しかも少ない文字数の情報しかやりとちできない点が特徴です。インターネットコミュニケーションの世界で言えば、15年前に戻った感じです。にも関わらず、ケータイコミュニティはパソコンから参加するネットコミュニティを上回る規模に発展しました。
 こうした状況を見て考えたのは、「まずはネット上でP2Pコミュニケーションを行ったり、ネットを通して個人情報を発信したりすることが大事であって、その方法や送受信情報量の大小などはとりあえず問題ではない」ということです。まずは、コミュニケーションをすることです。そして自分自身が参加した自律的なコミュニティを作ることです。それこそが重要だと思います。

 ブロードバンド時代の次世代コミュニケーション手法や次世代コミュニティのあり方を考える前に、ネット上の大規模な文字コミュニケーションメディアである「2ちゃんねる」の意味や、「侍魂」のような人気サイトの位置付けを考え直したいような気がします。