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大きいデジカメは嫌い

 「カッコいい」と「カッコ悪い」は、むろん自分が他人からどのように見えるか…という問題ですが、それよりも「自分で自分のことをカッコいいと思える」かどうかの方が、はるかに重要です。
 こうした感覚的な部分は、非常に個人差が大きいことですから、あくまで「個人の意見」としてお読み下さい。


大きいカメラを持ち歩くのは…

 バイクに乗り始めた頃、「バイクのデザイン」よりも「バイクに跨った自分も含めたデザイン」に非常にこだわったものでした。信号などで停車した時、ちょうど商店のウィンドーなどがあると、そこに映った「バイクにまたがる自分の姿」をチェックしたものです。
 「自分も含めたバイクのデザイン」となると、ファッションやライディングポジションなども重要な要素ですが、やはりバイク自体のスタイルは重要です。バイクって、停車しているところを眺めてるとそれなりにバランスがとれててカッコいい車種でも、人間が跨るとバランスが悪くて美しくない車種があるんです。

 さて、同じことはデジカメにも言えます。デジカメ自体のデザインがいいかどうかに加えて、それを撮っている自分がカッコいいかどうかは、非常に大きなファクターになります。その点で、実は私がずっと思っていることがあります。それは「デジカメも銀塩カメラも『大きいカメラ』で写真を撮っている姿はカッコ悪い」というものです。カメラ自体のデザインで見る限り、大きいカメラでもカッコイイ機種はたくさんあります。でも、街中や旅行先で自分がそれを構えて撮っている姿は、どうしても好きになれません。
 基本的にカメラは高性能なものほど大型化する傾向にあります。第一、「一定のサイズと重量があるから手ブレせずに撮れる」って部分もあります。だから私は、仕事でブツ撮りに使うカメラは、銀塩一眼レフを含めて大きいカメラを使います。
 でも、ニコン「D1」のような一眼レフタイプのカメラはむろん、例えばミノルタ「DiMAGE7」のような大きなカメラは、いくら高性能でよい写真が撮れても、街中スナップに使ったり旅行時に人前で持ち歩く気には到底なれません。

罪悪感?

 私は写真を撮ることは好きですが、いろんなものにカメラを向けることに対して、ある種の「罪悪感」のようなものを拭えません。被写体が動物であったり風景であったりするのは構わないのですは、被写体が見知らぬ人間である場合はむろん、ちょっとしたお店の店先を取るときだって、なんとなく遠慮する気持があります。
 これは、逆に自分自身や自分の持ち物を写真に撮られることが好きではないからでしょう。もし自分がお店を経営していたら、店頭で写真を撮っている人間に対して嫌な感じを持つかもしれません。例えば塀の外から自宅を写真に撮っている人がいたとしましょう。普通は、なにか妙な目的があるのでは、と訝しく思う人の方が多いはずです。そんな意味では、道端に停まっているバイクを撮影するのだって、何となく嫌なものです。そのバイクの持ち主の立場に立ってみると、自分のバイクを見知らぬ人に写真に撮られることって、すごく嫌かもしれません。
 大きいカメラが嫌いという感覚は、こうした「写真を撮られることへの拒絶反応」への配慮、ひいては「写真を撮る側としての罪悪感」という点が影響していると思います。
 というわけで、自分が写真を撮る時には「撮られている相手に威圧感を与えない」ことを重要視」します。
 隠し撮りをするつもりは全くありませんが、例えば花屋の店先を撮影する時に、いちいちお店の人に「店先を撮影してもいいですか?」と聞くのはおっくうな時があります。そうした時には、お店の人に軽く会釈してから、小さなカメラで短時間でサッと撮るようにします。
 ただし、仕事で撮影をする時には意図的に大きいカメラを持っていくことがあります。カメラを持っていることを相手にはっきりとわかってもらい、またカメラで撮影されるのだということを相手に認識してもらった方が、かえってスムーズに撮影できる場合もあります。こうした「大きいカメラの効用」を認めることにやぶさかではありません。

持っているカメラをあまり見せたくない…

 次に「大きいカメラで撮影するのが嫌い」という理由の1つに、自分は「写真を撮ることが趣味ではない」という点も挙げられるかもしれません。自分でデジカメサイトをやっている私がこんなことくを書くのはちょっと変ですが、私は「写真を撮ることが好き」ではありますが「写真を撮ることが趣味」ではありません。写真を趣味にする人の中には、街中で高機能の一眼レフや高価なライカなどでこれ見よがしに写真を撮っている人を見かけます。こういった人の行動を見ていると、時として不愉快に感じることもあるからです。
 街中で写真を撮っている人の、誰に対しても不愉快になるわけではありません。知り合いのおじいさんで、いつも首からライカをぶら下げて飄々と写真を撮っている、非常に感じのよい人を知っています。でも、渋谷の街角で、大口径レンズをつけた一眼レフを片っ端から通行中の人間に向けているような人を見ると、なんとなく不快になります。
 ただし、何か必要があって仕事で撮影している人もいるでしょう。また、意図的に大きいカメラを向けて、「自分はコソコソ撮っているのではない」と主張している人もいるかもしれませんね。このあたりの感覚は個人差があるでしょう。判断が難しいところです。
 もう一つ、持っているカメラをあまり見せたくない…という意識があります。これは特に海外で身に付いた感覚なのですが、カメラを持っていること自体を相手に知られない方が、コミュニケーションがうまくいくことが多いのです。日常生活の中でカメラを持って歩く人は、私が知り得る限りでは日本人しかいません。アメリカでも観光客が持っていたり、パーティの席上でカメラを使うことは多いのですが、カメラを持って散歩している人はほとんど見たことがありません。ましてや、アジア地域ではカメラを持ち歩いている人は、観光客だけです。
 海外はむろん、日本においてすら、カメラを持ち歩いているということ、ましてや大型カメラを持っているとなると、それだけで他人から注目を集めることになります。街中で他人から注目を集めることは、私はあまり愉快なことではありません。

たかが写真…

 こうして書いてくるといろいろな理由を思い付きますが、こうしたこと全てを含めて、私は「なんとなく」大きいカメラが好きではありません。銀塩の一眼レフや、高機能の多画素デジカメを所有しているのは、あくまで仕事で必要だからです。さらに、今回はあえて書きませんでしたが、本質的に「小さくて機能が詰まっているもの」が好きだという個人的な好みの問題もあります。
 こういうわけのわからないことを書くと、「この人は本当はカメラが好きではないのでは?」と思われるかもしれません。いや、カメラという道具は好きです。写真を撮ることも割と好きです。でも、前述したように「カメラや写真が趣味」ではありませんし、どことなく「たかが写真」に対してあまり真剣になることには、気恥ずかしさを感じるのです。
 そうです「たかが写真」なのです。けっして「写真を撮る」という行為をバカにするつもりもなければ、写真が趣味の方にケンカを売っているわけでもありません。情報としての写真の持つ意味や、報道写真や記録写真の重要性、写真の持つある種の芸術性…等についてもよくわかっているつもりです。アンセルアダムスの写真展を見に行って感動したりもしてます。それでもなお、「写真とは被写体をそのままに写し撮ったもの」という部分を強く感じるのです。ましてや、素人が撮る写真です。素人が撮る写真の意味や意義は人によって違うでしょうが、それほど大げさなものではないはずです。

 パーソナルな写真を撮るために、あまり「立派な道具」を振り回すのは、どことなく自分の美意識に反する部分があるのです。


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